2009年だけで出演作が10本以上にのぼる若手実力派、斎藤工の新作「カフェ・ソウル」。韓国・ソウルの伝統菓子店に飛び込み、店を切り盛りする兄弟たちと絆を育んでいく日本人フード・ルポライターを演じた。その斎藤工くんが自然体な演技が生まれたわけを真摯に語ってくれたロング・インタビュー。
ー大阪と東京の試写会で舞台挨拶をされて。満席でしたね。
斎藤工(以下、斎藤) 「そうですね。ほとんどが韓流ファンの方で。皆さんほんとに目が肥えていますよね。韓国映画はレベルが高いんでちょっと怖かったんです、そういう目の肥えた方たちにどう見られるのかなと。でも非常に反応がよくて。最初は韓流の俳優さん目当てで見たのかもしれないですけど、最終的にはこの作品の世界観に浸ってくれて」
ーこれまでも写真集を台湾で発売されたり、タイでDVDを撮影したりしていて、今回は韓国とがっぷり四つで撮った作品。アジアづいているのは斎藤さん自身の志向なんでしょうか?
斎藤「実は、高校生の時に沢木耕太郎さんのルポ『深夜特急』に100%影響されて、バックパッカーしてたんです。ヨーロッパとかも行ったんですけど最後は香港に落ち着いて、暮らしつつモデルみたいなことをしていたんですね。そこでウォン・カーウァイのスチールカメラマンのウィン・シャに会って。日本に良く行くから日本でも会おうって言ってくれ、彼の紹介で出会ったのが僕のデビュー映画のプロデューサーで。そういう流れがありまして、海外に出ることで、特にアジアに行くことで今の自分の居場所ができてきた。またそのデビュー映画が、韓国の『時の香り リメンバー・ミー』っていうユ・ジテさんとキム・ハヌルさん主演作のリメイクだったりして。もともと金城武さんみたいな大陸的なスケールの役者になりたいっていうのがあったし、同時に僕も事務所の社長もアジア映画に魅せられていて、チョウ・ユンファやホウ・シャオシェンなどいろんな素晴らしい役者や監督さんを見てきました。たぶん自分らしいのはアジアの中での作品というか。金城さんや、最近だったらオダギリジョーさん、浅野忠信さんみたいに、アジアっていうくくりの中で仕事をしていく。もうひとつきっかけになったのは、撮影自体は2年前なんですけど、ジャッキー・チェンさんの『新宿インシデント』に参加させてもらったこと。彼はハリウッドを経験した上でもう一回アジアで作りたいとプロジェクトを立ち上げた。僕も、アジアがタッグを組めばハリウッドに負けないものができるって思って。で、ちょっと前ならいかにも合作っていう映画が多かったと思うんですけど、今回の『カフェ・ソウル』はナチュラルにマッチングしている。いわゆる合作というのよりも、ヨーロッパがよく隣りの国と作るような感覚で、日本も合作映画に加われるようになってきたのかなって。それと僕はもともとアジアで仕事をしたいっていろんなとこで言ってるので、それが効いてきたのかなと」
ーお仕事の仕方を見ていると無国籍というか、"日本人だから"っていうこだわりがない感じがします。
斎藤「そうですね、ないですね。もう僕より下の世代の俳優も多くなってきたし、じゃ僕はどんな役者なんだろうって思った時、自分のルーツを含めて自分のカラーはこういう感じなのかなと。でも同時に、海外で仕事をすると自分が何人であるかというのはとても大事なんですよね。海外の人って自分の国の文化に誇りをもってるし、相手の国にも興味をもってるんですよ。僕は以前は自分の国のこと何も知らなかったんですけど、今は自分は日本人であるってことや日本の歴史、そういうことを自分の中で咀嚼して、その上で仕事をしないとなっていうのを強く思ってますね」
ー先日の東京の舞台挨拶で、日韓間の歴史や現状、共演したJohn-Hoonさんが現在兵役に行っていることも含めた韓国の状況を知っていくこと、考えていくことが大事だとおっしゃっていましたね。それは来ていたお客さんに向けてのメッセージでもあったんでしょうか?
斎藤「そうですね。僕が行ってた学校で、日本が戦争中どんなに残酷なことをしてたかっていうことについて、韓国側の人たちが作ったフィルムを見せられたんですよ。余りにも残虐で目を覆いたくなるようなことばっかりだったんですけど、ああ、ここを今の日本は隠しているんだと。それと僕はたまたま小学校がシュタイナースクールっていう日本にあるドイツ系の学校だったんですよ。先輩にミヒャエル・エンデとかがいて」
ー実験的な学校ですよね?
斎藤「はい、姉が一期生で僕が二期生なんですけど。だからちょっとドイツにもゆかりがあって。ドイツにはナチスドイツの行為があったけど、今はそれを公開して反省して、もう二度と起こらないようにしようっていうような意識がありますよね。打ち出しとして日本とは真逆なんですね。日本はそういうことを伏せていて、今がよければいいっていうのがイヤで。だから僕は韓流って言う言葉も含めてすごく賛成なんですよね、文化交流が。政治を超えられる気がして。そういう歴史を知った上でタッグを組めたらすごく素敵だなと思っていたので。それでああいう挨拶になったんですけど(笑)、ハイ」
ー大阪での反応はどうだったんですか?
斎藤「すごくうれしかったのは司会の方が在日朝鮮人の方で、終わったあと握手してくれて、有難いって言ってくれたこと。それと東京でもスタイリストのアシスタントさんがまた在日の方で、なんかホントに感動しましたって言ってくれて。それもうれしかったですね」
ーそういうものの見方をされる斎藤さんだから、本作では韓国人俳優さんの中で一人だけ日本人なのに、すごく溶け込んでるって言うか自然体に見えたんですね。
斎藤「なんて言うんですかね、実は、ふだんあまりにもメディアにコントロールされているんだなって言うのを感じました。僕らのもってる韓国の印象などが。ちょうど本作のロケの時WBCの決勝だったんですね。監督と僕だけが日本人で、あの試合をアウェイの中見てたんですけど、終わった時に拍手してくれたんですよ、彼らが」
ー日本が優勝した時?
斎藤「そう。でも日本に帰ってみると、その時反日の暴動が起こったとかそういうところばっかり抜粋して報道してたり。お互いの国に言えると思うんですけど、報道される情報だけを信用してしまうと誤解が生じる。僕は日本で生まれて育った日本人だけど、日本側から見えることだけを基準にしちゃうと恐ろしいなって、彼らと交流してて思いましたね。いろんな角度から見てこその日本なんじゃないかって。報道だけを基準にするんじゃなくて、もっとフラットに見たいなって思いました」
ー韓国では、ゴハンのとき鍋をみんなでつついたと聞きましたが、向こうのスタッフさんや俳優さんたちの印象はどうでしたか?
斎藤「うーん、日本と変わらないですね。っていうか日本人以上に交流しました。日本人同士だと一言えばもう一以上のことが伝わっちゃうじゃないですか。でも言葉が伝わらないって時点で、お互い相手が何言ってるか知ろうとするんですよ。それって小っちゃい頃の係わり合いって言うんですかね、動物的な係わり合い方に近くて、ホントにオープンになるし、ホントのコミュニケーションってこういうことなんだろうなって思って。言葉で何かを埋めるんじゃなくて、言葉がわからなくても相手の眼を見て、ジェスチャーとかで感じ合えたので、そういうことが映画の中に生きてたかも。ああ、こんなことができるんだな、これが映画のすごい所だなと思ったんですよね。映画のタイトルを言うこととかでコミュニケーションできるんです。僕が韓国のキム・ハヌルとかソン・ガンホとか、そういう名前を言うことで。向こうの人も岩井俊二とかね、作品名で会話が出来るんですよ。映画はホントに共通言語だなと。驚きましたね」
ー韓国映画を結構好きで見ていらっしゃると聞きましたが、印象に残っている、あるいは好きな作品はありますか?
斎藤「ベタなんですけど、『殺人の追憶』を見たときに、これをもし日本で撮ったらかなり違ってしまう、日韓の映画にはこんなにも差があるのかって思っちゃいましたね。と同時に、ああいう社会派の作品を国民の大半が見に行ってる。韓国人は映画に対する興味が大きいと。そのくらい国民が映画を文化だと思ってる。国立の学校がありますからね、俳優も監督さんも。日本の方は映画作りのバックアップ体制が完全に不利っていうのもあるんですけど。韓国は各コースの選りすぐりの方たちが映画作ってらっしゃるから、下手な人がいないんですよね」
ーホントにうまいですよね、韓国の俳優さんて。
斎藤「そうなんですよ。ちょっとしか映らない人とかもみんなすごく上手で。国として世に出すんだったらここまでっていう水準が高いんですよね。だから、あ、この国と係わることで自分のレベルも上がるし、もっと大きい話をすれば日本映画の水準も上がっていくとは思いましたね。俳優としてだけじゃなく、音楽とかいろんな係わり方をしていければいいなっていうのもありますよね。ただ、本作での通訳役というか、劇中に日本語を話すおばさんがいるんですけど、実際に彼女は日本語が話せる韓国の方で。日本語が通じるというのもあったんでいろいろ話をしたんですよ。今の文化的な交流をどう思うかって。そしたら彼女は、やっぱりまだ溝があるって言うんですね。日本も韓国も待っている状態で、お互いがやっぱりもう一歩前へ踏み込まないとその溝は絶対に埋まらないっておっしゃってて。だから表面的な部分だけではまだ判断できないんですけれど、でも合作の機会があるんだったらそれをどんどん続けていくべきだと思うんです」
ーソウルに日本人観光客がいっぱい来てて、ロケ中その人たちに台湾の俳優さんと間違えられたとか?
斎藤「そうそう、どうも台湾のF4の誰かみたいなんですよ(笑)。なんでだろと思いながらもなりきってました。彼が片言の日本語が話せる人らしくて、だから彼のふりして(笑)」
ーその人、失礼ですよね(笑)
斎藤「いやいや、こっちの方がその人に対して失礼だったなと。でも結構間違えられることあるんですよ。15歳の頃竹下通りのマックでバイトしてた時、斎藤工っていうのは本名なんですけど、なぜか逆から読まれた。工藤くんって。でも僕否定が出来なくて、一か月工藤として働いてたんですよ(苦笑)。なかなか言い出せなくて。僕、間違ったこと言われてもハイって言っちゃうタイプなんです」
ー面白すぎる(笑)。ところで、これから公開される出演作も多く役柄の幅も広がっているし、お芝居のプロデュースや映画評論、カメラマン的な仕事などいろいろやってらっしゃいますが、一番やりたい方向、なりたいものっていうのは何なんでしょうか?
斎藤「僕、20代というのは突っ走る年代だって思ったんですね。これと厳選するんじゃなくていろいろ経験してみて、その上で自分に合ってきたものを突き詰めていくのが30代からの作業なのかなと。で、いろんなものに手を出してるっていうのが現状なんですけど。でもやっぱり映画かな。父が無類の映画好きで、しょっちゅう映画館に連れて行かれてたんですね。で、いつからかあのエンドロールの中に名前が載る仕事に就きたいなって。それは今も変わっていなくて、映画のそばにいたいなっていうのはありますね。でも別に役者がベストかどうかはまだわからないですし、映画にはプロデューサーとかいろんな係わり方もあると思う。映画のそばにはいたいっていう漠然としたものしか、まだないんですけど」
ースタッフ側に回る可能性もあるわけですね。
斎藤「ただ、今時代劇やってることや海外に行くことで思うのは、軸はブレたくないなと。日本人であること、日本の役者が海外で仕事することに意味があるので、軸の部分は絶対にしっかりしないと。日本に軸を置いていろいろ広げていきたいなっていう思惑があるんです。今の仕事を全く忘れるっていうのは違うと思うんで、その辺のバランスは見極めていかなきゃなと思うんですけどね」
ー今度は香港映画に出るという話があると聞きましたが?
斎藤「そうですね、すごく有難いお話をいただいてて。そういうことをずっと言い続けてるとどっかで聞いている人がいるんだなと。自分はこうなりたい、こういうことをしたいということを常に言い続けてきて、『カフェ・ソウル』はそのご褒美のような作品。まさにこんな作品があったら参加したいなっていう作品でした。かつてこうなりたいと思ってたものがやっと芽を出し始めたのかなっていう感じですね。と同時に、今、三池崇史さんの『十三人の刺客』に出させていただいてて。すさまじいメンバーの中に、なんでオレがっていうポジションで入れてもらってます。そういう日本映画との係わり方っていうのも大事ですよね。いつかは『殺人の追憶』みたいな作品に出られたらなと思って、今は突っ走ってる感じなんです」
ーあまりに多才なんで、ホントはどっちに行きたいのか伺いたかったんです。
斎藤「ホントはホントはですね、今思ってるんですけど、これって決めないことが自分のスタイルなのかなって。やっぱり大好きな諸先輩方、今は石橋蓮司さんとご一緒してるんですけど、そういう方たちって好奇心の固まりで常に何かを探究されてるんですよね。だから僕も、これって決めないのが自分のスタイルになったらいいなと思っているんです」
【読者への、SPメッセージ&予告編を動画で配信中!】
1981年東京出身。'01年映画「時の香り リメンバー・ミー」でデビュー。主演TVドラマ「オトコマエ!」('08)で人気に。ほか 映画「春琴抄」('08)「新宿インシデント」('09)など多数に出演。'09年に「20世紀少年 <最終章>ぼくらの旗」「悪夢のエレベーター」、ドラマ「オトコマエ!2」などの公開を控える
アールグレイフィルム、コミュニティ・アド配給 公開中
フード・ルポライターの順(斎藤)がソウルの街で出会ったサンウは、父のあとを継ぎ小さな韓国伝統菓子店を切り盛りしていた。地上げを企むヤクザに脅されている彼の店を盛り上げるべく、順はサンウの弟、サンヒョクと共に立ち上がる。サンヒョク役には、大ヒット・ドラマ「宮 Love in Palace」で日本でも人気爆発したJohn-Hoon。