進捗状況のご報告

こんばんは。
今日から二学期が始まり、始業式や職員会議、保護者会代表との行事に関する打ち合わせ、
+内勤とお葬式とけっこうな忙しい一日でした。
まぁ、だいたいいつもこんな感じなのですが(笑)

その合間を縫って、デモの出発地点として使用する公園の許可申請までの具体的な段取りを管轄の公安局の担当者と話し合い、
申請に必要なファイルをPCに送付してもらいました。
後はそのファイルを元に申請書類を完成させ、私が5日に東京のスタッフと直接公安局に出向く手筈を整えました。
ふぅ~、なんとか間に合いそう。よかった。

既に告知していましたが、4日午後に東京で第一回目の運営スタッフミーティングを行います。今日会場も押さえました。
当初は翌日午前中に鹿児島へ戻るつもりでしたが、予定を変更して5日午前に公安局へ申請書類の提出、
午後に警視庁警備一課のお世話になっているデモ担当の方への挨拶に伺うことにしました。
やはり代表である私が直接お願いに上がるのが筋ですので、
それが出来ることになって本当に良かったと思っています。
デモの日程は関しましては現段階ではまだ公表は控えますが、
分かり次第このブログにて告知いたします。もうしばらくお待ち下さい。

上記のように、確実にデモに向けての準備は進んでいます。
スタッフの辞退が続出しているとのデマも流れているようですが、そのようなことは一切ないということを明言しておきます。
スタッフの中には、高機能拡声器を提供してくださった方や、ミーティングに向けての備品等の準備、また横断幕の作成を申し出てくださっている方もおり、本当に心強い限りです。 心から感謝いたします。

引き続きお手伝いしてくださるスタッフを募集しています。
在京でなくても構いませんので、より効果的なデモを作り上げるためにいっしょに活動してみませんか?
今ならまだ4日のミーティングへの参加も可能です。
tatakaujusyoku@hotmail.co.jp宛に
「デモスタッフ希望」とタイトルに入れて送ってください。

それでは引き続き、ご支援、ご協力よろしくお願いいたします。


住職@白鳥浄之

知覧特攻平和会館で思う

今年のゴールデンウィーク、
甥っ子二人と知覧特攻平和会館へ行ってきました。
鹿児島に住んでいながら初めての訪問でした。

甥っ子達は戦争に対する興味が深く、
以前から行ってみたかったようです。(中三と小五)

知覧まではけっこう遠くて、2時間半くらいかけて
途中で道を間違えたりしながらようやくたどり着きました。



【知覧特攻平和会館】
http://www.city.minamikyushu.lg.jp/cgi-bin/hpViewContent.cgi?pID=20070920195935


先の太平洋戦争で特攻隊として
この地を飛び立っていった若者たち。

たくさんの写真と、家族に当てた手紙や縁の品などが
整然と展示してありました。

当時の若者たちの、凛々しく力強い表情が印象的でした。
二十代の方が圧倒的に多く、中にはまだ十代の方もいらっしゃいました。
彼らは大切な家族を守るため、自分の生まれ育ったこの国を守るため、
そして平和を勝ち取るために散っていったのです。


この若者たちがこの今の日本を見て
いったいどう思うだろうか。
彼らが命をかけて守ろうとしたこの国を
胸を張っていま堂々と誇れるだろうか。

そんな疑問が一気に湧いてきました。

このままじゃいけない。
彼らに、そしてこの国を守ってきた先祖の方々に
このままでは顔向けできないではないか。


自分の中に埋もれたそのおもいを、ここで思い出させていただけたからこそ
私はこうして立ち上がる決意が出来たのだと思っています。

日本人の誇りと真の自由をこの手に取り戻すため
この国の平和な未来を勝ち取るために闘い続けます。


共に闘いましょう!



http://www.youtube.com/watch?v=619EjCCX-BU&NR=1 

雑記

少しとりとめのない話をさせてもらいますね。深夜なので。


現在私は住職(浄土真宗本願寺派)ならびに幼稚園の園長をしています。
責任の重い仕事であることは、20年近くの経験で身に染みて承知しています。常に命と向き合う仕事であり、命を守り命を育む、命を見つめ命を思う。そんな毎日です。でも、まだまだわからないことばかりです。



「死んだらどうなるの?死んだらどこに行くの?」

そう問われたときにどう答えればよいのか。


浄土真宗の教えには、人はこの世で命尽きたその瞬間にお浄土の世界へ仏として生まれるとそう説かれています。これを「即得往生」といいます。
「死んだこともないのに、そんなことがわかるの?」
その通りです。死んだことのない私にはそれが本当かどうかわかりません。
でも、もしお浄土があるとしたならば、それは自分の中にある。空の上ではなく、どこか知らない遠い場所でもない。お浄土は自分の中にこそあるのだ。そうでしかあり得ないと思っています。なぜなら自分は宇宙であり、すべてであるからです。

「死んだらすべてが無に帰す。」いいえ、そんなことはありません。

「生存=生きていることは存在の一つの形態に過ぎない。」
これは私の師である哲学者・池田晶子さんの言葉です。これは紛れもない真実であると私は確信しています。死んだらすべてが終わり。なにもない。そんなことは到底あり得ないのです。

だから、存在=命は永遠なのです。始まりもなく終わりもない。それが永遠です。そんなことを考えていると、いつしか自分が空っぽであることに気がつきます。まさに色即是空、空即是色。自分があるけど自分がない。なぜかしらどうしてもそうなるのです。絶対的に矛盾なのです。存在というものはなぜかしらそういうものなのです。

ずいぶんと変なことを言うなぁ、とお思いでしょうが、そうなのだから仕方ありません。恐ろしく不思議なのです。


池田晶子さんの言う「生きながら死んでいる」ということが、最近よくわかるのです。



自分がいまここにいる不思議。




ヤバい、明日も仕事だ!もう寝よう。
おやすみなさい。




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