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[27194] 正義の在り方と悪の定義
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/05/04 17:53
 正義の味方について語るなら、第一に挙げられるのは『犠牲』という言葉だろう。
 なぜなら、正義の味方とはいつだって弱者の味方であり、弱きを助け強きをくじくモノだからだ。
 もちろん、それについてはある一定の例外もあるだろうが、概ねの所の――いわゆる漫画やアニメ、小説などに出てくる客観的視点でのそういった存在はどうあっても大前提として第三者に好かれる語られ方をする。
 では、読者が好む正義の味方とは果たして何なのか。
 つまるところそこが正義の味方という存在の在り方を決定づけるモノであり、好みの問題、または考え方の違いでそれについても恐らくはある種の差はあるモノの、やはり最後に落ち着く概ねの意見は正しい存在であり、そういった正しい存在の大多数は弱者の味方であり正義の味方だ。
 故に正義の味方とは、弱者があってこそと言える――というのは、まだ語っていないテーマがあるので早計と言える。

 正義の味方が正義であるためにもっと大前提として必要なモノ、それは正義か、弱者か、それともそういった主役足る存在か。
 否、絶対的『間違い』である。

 絶対的間違え――即ち『悪』だ。
 正義が正義であるためには、それに相応しい悪が存在しなくてはならない。
 コインに裏表があるよう、光があってこそ闇が生まれるように、終わりがあるから始まるように、人が死ぬために生まれるように、モノが壊れるために作られるように、有るモノが無くなるためにあるように――悪があるからこそ正義が必要なのだ。

 それが明白に分かるのが、物語と言えるだろう。
 彼のモノは、顕著なまでに、丁寧なほどに悪を討つ正義を書きだしている。
 生み出している。正しい存在が間違った存在を倒す。
 読者が、物語の記憶者たちがそう望むからこそ物語はそう有るモノであり、だからこそそんな物語は総じて言えば大半過数の人間の心理を表しており、そういった観点から正義の味方にはそれ相応の悪が必要であるということが証明される。

 そもそもだ。先に挙げた弱者という存在、彼らがどうしているのかと言えば、それは悪があるからだろう。
 悪者に家族を殺される子供、悪に理不尽に苦しまされる者。
 そういった顕著な例を外したとしても、例えば生まれつき足が不自由な人間がいたとして、その人は弱者なのか。
 確かに人より多少劣っている感は否めないが、それでも弱者には定義されまい。その人を弱者足らしめるのは周りの反応であり、接し方であり、つまりはそういった細かな悪なのだ。
 そこにたとえ本人たちの意思がなくとも誰かを『弱い』と定義させた何かが生まれた時点でそこに悪は生まれたと言える。

 無論、これは弱者に限り言えるような狭い考えではない。
 例えば正義の味方が持つ正しいまでの正義感。
 弱者を救い、悪を倒そうとする何ともお偉い考えは、果たして正義の味方と呼ばれるような『主人公』達が、悪を知らなかったら持ちえたモノだろうか。
 正義感とは、言ってしまえばトラウマとそう大した違いはない。
 自身が許せない者がある――その事実がそういった感情を生み出し、正義漢の場合は正しさ、トラウマの場合は恐怖――正義の場合は悪を憎む心、トラウマの場合は恐ろしさを憎む感情。
 つまりはどちらにせよ負の感情からくる気持ちであり想いであり、もしそういったマイナスがなければ、そういったプラスな考え方はそもそも生まれることさえなかったのではないだろうか。

 つまり、悪という存在がなければそもそも正義と言うモノは存在しないと言える。
 影があるからこそ光は光足れるのであり、言うなればマイナスがあるからこそプラスがあるのだから。

 双対成すモノこそが、物体の証明。
 つまり論じるならそこに行き着くのが自然であり必然なのである。
 否、行きつかないのが間違いとさえ言えよう。

 ならばである、正義の味方は言い方を変えれば悪があってこそのモノであり、もっと正しく言い換えれば、悪があるからこその正義ではないだろうか。

 悪があるから弱者が生まれ、悪があるから正義感があり、悪があるから正義の味方が必要になる。

 物語で言うところの王道的展開。正義が悪を、間違い失敗し犯し過ち許されない存在を討ち倒す――そんなことに人が純粋に爽快感を感じることこそ、この持論は正しく成立していると言えよう。

 では、ここで少し視点を変えてみてはどうだろうか。

 視点の変更――つまりコインの『裏側』を見つめ直すということだ。

 たかがコインとはいえ、表しか見なければそのコインが果たして表と裏があるか確認できないだろう。
 表に動物の絵が刻まれているから、裏にも同じ絵が刻まれている、そんな考えは所詮考えの域を決して出ることはなく、ならば確認しなくてはその結果は永遠に分からないということだ。

 今例に出したのはコインというどこにでもあるようなモノだが、どうだろう。たかがコインという一枚の金属を指してさえそう言えるというのに、正義と悪というあるいは人なら一度は絶対に考えたことがあるであろうこのテーマの裏側を見る意味が本当にないと言えるのか。
 まぁ、言える人間は確かにいるのだろうが、では見たくないというそんな人間は、前者と比べてそこまで多いのか。それについては第三者が好きに判断するだろうからここでは追論しまい。

 今、語るべきは正義の裏側――即ち悪だ。

 悪。言葉にすれば一文字で収まり、声にしたとしても二言で終わってしまうそれは、だが本当に悪と言えるのか。弱者を生み、正義を生みだすそんな存在。多くの人が皮肉を除けば概ねこちらには入りたくないと答えるだろうそれは、だがしかし本当に『悪』と言えるのだろうか。

 物語で例えてみよう。正義が悪を倒すという概ね全ての人が好感を抱くその展開は、だが悪があってこそではないか。弱者を苦しめる悪を正義の味方が面白おかしく圧倒的に絶対的に倒すシーンで好感を持つ人間がいるのは、果たして正義の味方のおかげなのか。
 世界を終わらせようとした悪の企みを正義の味方が正しさとそこからなる奇跡の力で防ぐことに人が心動かされるのは、そこに正義の味方がいるからか。

 そこに――悪があるからではないだろうか。

 無様に無残に不格好に恰好悪く見苦しく聞き苦しく倒されていく、そんな悪があるからこそ、正義が美しく正しく恰好よく見えるのではないか。

 人が間違いを知ることが出来るのは、正義以上に全ての人間が理解する悪があるからではないか。

 人が失敗を恐れるのは、そこに恐怖という名の悪があるからこそではないか。

 人が人として在れるのは、明白に明確な悪があるからこそではないか。

 間違わないと人は失敗に気付けない。

 追い込まれなければ、人は本気にならない。

 絶望を知るからこそ、人は誰かに優しくしてあげられる。

 死にたくないと思うからこそ、人は生きていられる。

 死ぬと思わないと、人は生きていると思えない。

 悪があるからこそ――人は、人で在れる。

 ならば、悪とは何だろう。

 無様に無残に不格好に恰好悪く見苦しく聞き苦しく倒されていく、そんな悪は果たして『悪』と言えるのか。正義を正義足らしめる悪は、本当に悪でしかないのか。

 コインの表と裏が同じなら、どちらの面でも表で在り裏で在るように、悪もまた、正義をより正しくするための、なお良しとするための、絶対的なモノに押し上げるための――弱者と同じ『犠牲』なのではないだろうか。

 人が勝手にそう決めただけで、そう望んだだけで、悪は――本当は犠牲者なのだとしたら、そこに刹那の憂いを感じるのは、果たして間違ったことなのか。

 それはきっと、それこそ第三者が決めるべき命題でしかないだろう。

 だが、もし感じるモノが多少あるとするなら、正義の味方が悪を倒すそんな王道の物語の、悪の内心を考えてみてもいいのではないか。

 これは、きっとそんな物語なのだから。



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『1-1』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/04/17 12:15
 この世界に存在する、王が納める国は大きく分けて四国に分かれている。

 破壊、守護、心理、調停。それぞれをテーマに置く四国のうち、破壊を司るは剣王だ。

 剣の君と称される彼ないし彼女は千の剣を持ち、その刃に絶てぬモノ無しと謳われるほど、この世界において戦いの主張とされている。

 そんな剣王の国は必然戦いに特化した形となり、彼の国においては『闘技場』と言われる闘うためだけの空間がいくつも存在していた。

 そんな剣王の闘技場の中においての最も強固とされる『剣王の間』と呼ばれる場所がある。名のとおり剣王あるいはそれに属する存在、または彼の王が相応しいと断じた者しか入れないそこは絶対強固の空間であり、中のモノは剣王でさえ容易に破壊することが出来ず、その防御性は守護の王たる盾王のそれに匹敵するとさえ噂されている。

 そんな『剣王の間』はけれど今、圧倒的な瓦解をその空間に刻んでいた。

 闘技場と称されているその空間はだが、見た目は王宮のそれだ。様々な甲冑。芸を凝らした家具に王者が座るに相応しい玉座の間。剣王の色である赤で塗りつぶされたそこはけれど一色のみという大雑把な配色に対し、浮かぶイメージは意外なほど上品で、あるいはそう感じさせることこそが剣王のイメージを固めている――王足る者と見た者が瞬時に浮かべてしまう、そんな雰囲気がある。

 だが、それも彼の空間が常時のそれを保っていればこそだ。

 粉々に砕けた甲冑の屑。芸を凝らした家具はもはや本来の用途どころか形さえ分からないほど砕け、壊れ、王が座るべき象徴たる玉座に至っては無くなってすらいる。どんな形であれ、この空間において高い防御力を携えるそれらが一つとして原形を留めていないのだ。それは言葉にすれば脅威と言う言さえ生ぬるい現象で――そんな空間を破壊の上で創造したのはそこに立つ唯一の者たちだった。

 唯一――否、二人であるから相対という言葉のほうが適しているかもしれない。

 片方は、紅い髪を腰まで揺らす少女だった。強く鋭い、髪と同色の瞳が第一に彼女を印象付けるほど存在感を表す彼女はだが、それ以上にその身に――ボロボロでありながらなお立つその姿に大きな存在感を感じさせる。

 あたかもそれは、『上』に立つ存在のように。

 見る者が見れば自然、膝を屈し彼女に忠誠を誓いたくなるほどの、そんな在り方をする、少女。

 その、見た目において少女と称されていいその年齢で既に『王』足る威厳を持つ彼女こそ、現剣王――破壊の象徴である剣の君だった。

 そんな彼女に対するは、青年だ。

 黒の髪は男性のそれにしては長く、後ろで纏められ一本の房を作っている。そんな後姿だけ見れば女性と思えるほど、髪と同じく身体付きさえ細い青年の顔はあたかも比例するように中性的で、少し手を加えれば女性にさえ見えてしまうほどだ。

 だが、今の彼を見て『女性』という、悪い言い方をすれば『脆さ』や『弱さ』を象徴する印象を受ける者はいないだろう。

 白い肌には細かな切り傷があり、薄い鮮血を幾重にも漏らしている。それ以上に溢れ出る汗は血と混じり、薄い赤を『王の間』に落としていた。

 そんな二人の、性別も年齢も在り方も違う二人の共通点は――服装。

 剣王が纏うのは、自身のイメージである深紅の衣服だ。肩口までしない上衣に、肘まである薄い手袋。ロングブーツまで紅で染めるその姿はけれど紅ということで第一に思うであろう炎というモノは欠片も感じさせず、ただただ剣王と言う存在をその場に示している。

 青年もまた、衣服だ。全身を覆うその服は一番適す表現がロングコートであり、その色は白――調停の国がイメージとする配色で統一されていた。

 どちらの衣装もその在り方に大仰たる意味を示し、場が違えばあるいはもっと別の意味を持つであろうそれらはけれど互いに本来の意味を表現できているとは言い難い。

 当然だ。どちらの衣服も、ボロボロになり最低限の役割を果たす布切れとなっているからだ。

 だが、そんな布切れにしかし成り下がるという表現は誰も出来ないだろう。見た目こそ衣服のそれはこの世界において甲冑であり、鎧なのだ。そんなモノがボロボロになっているということは即ちそれほどまでに互いの着る者を守った証明であり、そこに傷はあっても不名誉は欠片さえ存在しない。

 そして、そんな鎧たちが指し示すもう一つの事実は、二人の実力。

 片や剣王――破壊の象徴にしてこの世界において最攻の存在である少女。そんな彼女に対し、多少の傷を受けながら、同時に若干の攻撃を加えている青年。

 その、自身でさえ驚く事実に、けれど剣王が浮かべるは――笑み。

 その強く鋭い瞳に応じるそれは不敵を刻み、彼女の唇の端を釣り上げている。

 そして、そんな笑みと共に彼女が繰り出すは斬撃。空気ごと空間さえ切り裂くようなそれは、だが距離が離れている。剣王と青年。互いの間は数メートルの差があり、彼女の絶対的象徴たる剣も届きはしない――そう、物理的には。

 ここに記しておこう。

 王の前に――常識は通じない。

 斬撃は、剣としては届かなかった。だが、斬撃という形としては、十全な戦意を以てその在り方を体現する。

 素振りに終わった剣王の刃が、紅の光を纏い青年に向かったのだ。その鋭さは剣のそれと変わらず、いや、物理として形成していない以上斬撃というただそれだけのモノとするなら、それ以上かも知れない。

 だが、それも見えてしまえばそれまでだ。多数ならともかく一撃のそれでは交わすことは難しくない。

 青年が、身体を少し動かすそんな最低限の動きだけで紅の斬撃を交わした。余裕さえ窺えるその身のこなしはけれど、剣王の予想の範囲内だった。

 仮にも彼女と三日間戦い続けている相手なのだ。今や戦闘に対する思考においてのみ言えば、剣王は青年の心理を大抵の所で把握している。

 剣王が、飛んだ。一歩の踏み込み。魔力によって限界まで高められたその移動は瞬間の言葉を以て、青年に剣王を肉薄させる。

 剣王が狙ったのは、彼が少しでも動いたその時だった。無論彼に隙がないのは攻撃した彼女が誰よりも知っている。

 それを承知で飛び込む事実は、けれど勝算なき考えによってではない。

 動いた――彼の意図としてでないその動きこそ重要だったのだ。

 動けば、体制がずれる。体重が移動する。

 微かな変化。隙でさえない、当たり前に人がすること。そんな行為は普通の人間なら気にさえ留めないことでも、王なら違う。剣王は、その微かな変化を意味なしと考えはしない。

 彼が意図せず、そして彼女が意図して動き出した流れ。この三日間の戦いの中で何度もあり、けれど決定的に意識したことのなかったそれを剣王は意識したうえで動き出したのだ。もっといえば、そうまでして動かなければならなかったのだ。

 剣王は思う。今、彼女の前に立つ青年は今まで戦ってきた中で最も強いと。

 故に彼女は出し惜しみしない。自身の全力を以て、彼に対する。

 ゼロと比類出来る二人の距離。そこは、剣王の空間だった。

 剣が、一閃。閃光さえ微かにしか見えない横に薙ぐ一撃を青年は跳躍することで交わす。そんな彼を剣は追わず、剣線をむしろ下へ叩きつけた。

 強固の空間が斬れるほどの威力。剣は折れないまでも反動を彼女の腕に伝え、だが、それが剣王の狙いだった。

 剣が、今度こそ青年へ向かう。ただ振り上げるそれではない、反動という名の力を持った振り上げ。速さと重さを携え、更には青年の虚を突く形になったであろうその一撃は彼に数ミリという死の気配を与え――かわされた。

 青年の動きが、剣を超えたからだ。彼の魔法なのだろう。空へ浮いていた彼は魔力により飛行よりもなお速く動き、剣王の必中の一撃を避けた上で彼女の背後に回り込み重心の乗った蹴りを放つ。

 身体を回し威力の増したそれは、とっさに防御した剣王の剣を罅割るほどの一撃。が、仮にも剣王の千剣が一本だ。剣の腹で防御してなお、青年の足に斬撃という形を残す。

 鎧の靴を切り裂き、鮮血が彼の足を濡らす。その隙を、剣王は見逃さない。

 役目を果たした剣を捨て、この戦いにおいて九四六本目になる刃を魔法という形で成し、先以上の速度を以て青年へ斬りかかる。上段から降り下ろす一撃。威力特化のそれは彼が万全の状態なら絶対にしないであろう、隙さえ孕む攻撃。

 それに対し青年が行ったのは、腕に魔力を貯めて上段を防ぐ防御の型。なるほど瞬間の間しかなかったその短時間にすれば濃密に練られた魔力は鎧と合いまみて剣王の一撃を即死にしないだけのことは出来るだろう。

 そんな彼に剣王は不敵な笑みを消すことなく――消えた。

 比喩のそれは、あるいは王以外の者なら比喩にさえならないほどの速度により移動。

 剣王は知っていた。彼がそうやって防御してくるであろうことを。その上で彼は生き残り、彼女を倒す次の手に出ることを。

 三日間戦い続けた仲だ。そんな思考は自分のモノのように分かる。

 故にこそ、剣王はそんな彼の思考のその先を描いた。体現した。

 自身の限界を超えた移動。足の細胞が根こそぎ壊れるようなそんな感覚に耐え、彼女は今度こそ本当に隙が出来ただろう彼の背後――絶対に避けられないし防御させできないだろうそこに回り込み最後の一撃を放ち――同時に目を見開いた。

 彼は、向こうを向いている。先まで彼女がいた位置を。

 それなのに、どうして青年の足は、まるで用意されたように剣王に向かっているのか。

 確かな魔力を纏い、攻撃という意思を十全に伝えながら剣王を襲おうとしているのか。

 剣王は止まれない。止まれないし止まらない。もう彼女も限界なのだ。この一撃を外せば剣王の――破壊の象徴の敗北は決定する。

 だから止まらず彼へ斬りかかり――刹那に見えた、彼の横顔を見て理解する。

 笑みを浮かべたその顔を見て、彼はこうなることを分かって、剣王が背後に回り込むことを先読みして動いていたのだと。

 三日間、剣王は青年と戦った。

 故に青年の考えは自身の考えのように分かり――それはそのまま青年にも当てはまるのだ。

 斬撃と、蹴りが、交差する。

 そして、最後に立っているのは――剣王。

 だが、そうやって青年を見下ろす彼女の顔に浮かぶのは勝利に対する喜びではなく、自身がたっていることが信じられないという驚きのそれだった。

 スッと、彼女は剣の切っ先を倒れる青年の首元に当てた。

「……答えなさい」
「……」

 青年は答えない。ただ、息を荒くして呼吸を整えている。
 構わず、剣王は尋ねた。

「どうして――怪我をしたほうの足で攻撃した?」

 勝因の分岐は、彼が放ったほうの足にあった。青年は、怪我をしたほうの足で蹴りを放ったのだ。その結果、軌道が若干変わり、彼の足は剣王の頬を掠めるに終わり、剣王の剣も彼に直撃することなく、だが魔力により衝撃だけは伝える形になった。

 息が整ったのだろう。剣のせいでまだ動けない彼は、動く表情と口を以て答えた。

 苦笑を浮かべ、どこか残念そうに、それでも悔いはないというように。

「あの軌道だったら、たとえ貴女に当てることが出来ても足の負傷は免れなかった」

 剣王の斬撃は、当たらなくとも破壊の意思を持つ。今、彼が倒れていることこそが証明で、故に彼女は頷いた。

「当然ね。私の斬撃は、そんなに甘いモノじゃない」
「だからですよ」

「剣王閣下」と彼は苦笑交じりに続け、

「貴女を倒しても――立っていなければ勝利とは言えない」
「……」

 思わず、剣王は押し黙ってしまった。

 彼は、果たして自身が何を言っているのか理解できているのか、と彼女は思う。一歩間違えれば死んでいたというのに、それでもなお、絶対的な勝利を求めたのだ。彼女――剣王に対して。

 だが、何故だろうと彼女は思う。

 それが、そんな愚かしささえ感じる彼の意思が、

「ふ、ふふはは……!」
「……?」
「あははははっはははは!!」

 心の底から、面白く思えた。
 剣王の豪笑が、空間を響かせる。目を丸くする青年。そんな彼に、剣王はひとしきり笑うと、笑みを浮かべた。

「はは、面白いね。お前」

 剣が、下げられる。

 それが指し示す答えとはつまり、

「オッケー乗った。私はお前と共に戦うことを、我が身に宿る千の剣に誓うよ!」

 この世界が仮にとはいえ一つになった、そんな瞬間だった。




[27194] 正義の在り方と悪の定義 『1-1・リバース』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/04/16 20:40
 ふむ、まあ予定調和とはいえこうなったか。概ねの所予想通りの結果であり、私としても十全のそれではあるが、少々順調が過ぎる嫌いがあるな。仮にも王の一人なのだから私程度の予想など斜め上を突っ切る在り方をしてほしくもあったんだが、良しとしよう。私は所詮しがない記憶者でしかないのだ。覗き見の結果について誰も聞いていない場所で言っても意味はないし、文句など付けるのは物語の紡ぎ手たちに失礼に当たるだろうからね。

 ……あぁ、キミ、来ていたのか。だったら挨拶の一つでもしてくれよ、私たちの仲だろう? というより、いきなり背後に立たれると私としても驚きのそれなのだよ。私はキミと違ってどこにでもいるような小心者の『悪者』でしかないのだから。昔あった特撮ヒーローモノの映像で表すなら敵の親玉の隣りで自分こそが黒幕という雰囲気を出しつつ最終回手前で無様に負け、視聴者の皆さんにザマアと思われるそんな立ち位置の人間なのだよ。と言っても、別にそんなお決まりの『悪役』でなくともそういうカテゴリーに入っている時点で負けは決定しているのだけれどね。

 うん? 話が長いと言った顔だね。何、今に始まったことでもないだろう? 私とキミはそれ相応の仲ではないか。許してくれたまえ。無駄口に付きあうのもまた『仲間』の役割だよ、それが『悪者』であってもね。

 で、キミとしてはどう思う? この展開。既に敵側――いや、この表現はむしろあちら側の人間が使うべき単語だね。ならばここは一つ『正義の味方』と称しておこうか。うん、実に適した表現だ。キミもそう思うだろう?

 話を戻そう。『正義の味方』は順調に十全に力を付けつつある。今回、剣王閣下が『正義の味方』入りしたことでこの世界に存在する全ての王がまだ継ぎ接ぎだらけとはいえ一つになった。これで時を刻み、その仲をより親密にしていかれるとキミでさえ勝てなくなるよ? もっとも、私としてはキミが負けるビジョンなど記憶できそうにないがね。

 破壊の剣王、守護の盾王、心理の心王、調停の正王。一人一人が一騎当千の彼らが集うというこの展開。少年漫画で表せば正に激熱のシーンではあるけれど、さてはて彼女らは本当にそんな少年漫画の王道を体現してくれるものかね? 歴史の重みというモノを心から身体から理解している私としては心底疑心であり暗鬼を生むところだよ。だってそうだろう? 彼の王たちは殺し合いをしながらこの世界で歴史を紡いできたんだ。それが今、全ての王が世代交代を果たし、その子らが統一したとして順調にやっていけるものか、私ごとき『悪者』にはいまいち想像に欠けるよ。まあ、鍵を握るのは調停の君足る正王と言ったところだろうね。

 そうそう、正王と言えば、彼の国が抱える最速の男。うんそうだ、彼の剣王と互角に近い戦いをし、なおかつ盾王、心王両名を諭し、この統一を成し遂げた功労者と言っていい彼。

 彼と剣王閣下の戦いを見ていたが、正に壮観の一言さ。目に追えないほどの高速戦、巧みな剣術に心理戦は、まあ心王とのそれに比較すれば大分劣るのモノ、それでなお記憶者であるこの私を――この世界で起こったこと全てを記憶するこの私を驚かせるものであったよ。

 その上で言わせてもらえるのなら、果たして彼は何者なのだろうね。この世界において『王』は絶対だ。故に王に対するは王でしかならないその不文律を打ち崩した者。これがアレかな、才能を持つモノを持たぬ者が倒す少年漫画的爽快感なのかな。まあ彼は結果論でいえば剣王に勝ってもいないし、盾王、心王両名とも明確な戦いをしたわけではないけれどね。

 だが、逆に言うと彼はそんな『王』達に一度も勝たずしてこの統一を成したと言える。その点を考えると正に脅威だ。戦って勝つ、そんな少年漫画の展開よりも私の心を揺さぶるね! うん、握手してもらいたいくらいさ!

 ……おいおい、そんなに睨まないでくれよキミ。うん、知ってるよ、キミが彼を嫌っていることは。この世の誰よりもキミは彼を嫌い、また彼もキミをこの世の誰よりも嫌っているからね。

 なら、それが分かっているならどうしてここで話すかって? ふむ、そう言われるとまあ答え難いね。いやいや、誤魔化しているわけではないさ。私としてもどうしてこう饒舌に雄弁に彼のことを話し、褒め称えたのか疑問が残るところなのだよ。とはいえ答えがないわけでもないが、聞いてみるかい?

 そうだね、言うなれば『持ち上げ』ってやつかな。これから主要人物になるであろう彼を、第三者――この場合の例であげるなら読者に向けて「こいつはすごいぞ!」「目を離すな!」という意思を伝えようとしているのさ。この世界に果たして読者などと言う第三者がいるか否かは別としてね。

 それと別に言うなれば、俗に言う『ページ稼ぎ』さ。キミは知っているかい、もはや現代で廃れてしまった小説家という存在のその大変さを。一ページ、とあるところを上げてみれば四十文字四十行を埋めるためどれだけの労力と時間を彼ら彼女らがかけて物語を紡いでいるのか。これは私の個人的感覚ではあるが、一ページを読者が読むのを一分として、物語の紡ぎ手たる彼ら彼女らは半時から一時間をかけてその一ページを、千と六百文字を埋めているのだよ。そんな彼らの彼女らの気持ちを察し、心足らずながらこの私がこんなどうでもいいところで一ページでも、一行でも物語を長くするよう努めているのさ。うん? そう思うと急に疲れてきたな。冷蔵庫にドクターペッパーがあるから取ってくれないか? ……うん、ありがとう。ちなみにドクペってコーラのパクリなのかな?

 ふう、一息ついてホッとした心持だよ。こんなテンションだと、普段隠していることがついポロリと口から転がしだしてしまいそうだね。あぁ、ちなみに私のスリーサイズは永久の秘密さ。墓どころか来世まで持って行くよ。そんなわけで最後に蛇足と分かりながらも言っておこうか。

 そうだね……キミに理解してほしかったからかな。彼が――キミが心の底から嫌うあの青年がこんなにも素晴らしい結果を出しているその事実を、さ。言うなれば彼は英雄だよ? 殺し合いを続けてきた彼の王らを一つにまとめ上げたのだから、私が記憶するこの世界のどんな英雄譚にもまさる偉業だ。誇っていいと心から祝福したいところだよ。まあ、私のような一『悪者』に褒められても彼は嬉しがらないだろうけれどね。

 ……うん、帰るのかい? そうか、ではさよならだ。うん、任せて置きたまえ、計画は順調。私たちは十全に物語を進められているよ。正にキミ様々だね。あっと、そういえばここで一つ、何となく言いたくなったことが出来たよ。

 何だって顔だね。アレさ、剣王閣下の戦いについて、まあキミに言っても意味はないかもしれないけれどさ、私の一個人的感情で一言、付け加えておきたいんだ。

 伏線一つ――てね。



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『1-2』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/04/19 22:38
「それで、あなたの要件と言うのは何なのですか? 彼の『宣誓』以降どの国もあの二人を警戒し、出方を窺っているこの現状で、たとえ王でなくとも調停の国の恐らくは最強に属するあなたがその国を空けて、この心理の国に赴いた理由。概ねの所は既に私の目によって見えていますが、是非ともあなたの口で言葉で伝えてほしいところですね」

「最強だなんて比喩と揶揄が過ぎますよ、心王閣下。自分は一魔術師でしかなく、どんなに過剰に自身を表現したところでようやく『最速』程度でしかありません。つまり逃げることに特化した存在と言えるでしょう。こう言うと、我が王はそんなことないと庇ってくれえますがね。それで、要件ですが、既に貴女が見られたようにこの国の――いえ、この世界の今後についてです」

「ふむ、あなたの自身の過小評価については色々と多々言いたい事が無きしにもあらずですが、あえて言及は避けましょう。分かっていたこととはいえそれなりに火急の要件のようですしね。あ、ちなみにあなたのその肩で纏められた髪、綺麗ですね」

「ありがとうございます。では?」

「えぇ、まずはとりあえず伺わせていただきましょう。あなたが何を思いこの心理の国――それも私と会うためにたった一人の味方も付けず、武器も持たず、なお魔力を拘束してこの国の門をくぐったのかを。その勇気と蛮勇と愚行に免じて、ね」

「ありがとうございます。では、貴女相手に前置きは不要でしょう。単刀直入に斬り込ませていただきます――自分たちと共に、戦っていただけませんか?」

「それは、同盟を組めと、そう言っているモノと理解して?」

「えぇ、その理解で十全です」

「……なるほど、見る限り、別段冗談を言っている訳でもないようですね。あなたの心から漏れる色は白――意味するは、潔白。その色を心に表すものが嘘をつくことは出来ません。特に、この心王の目に対してはね」

「光栄です。というより、貴女に対して嘘を抱くほうが愚かしいというモノですがね」

「ですが、それ故に奇妙ですね。あなたは、私のこの目が普通のそれだとしても馬鹿には見えません」

「有りがたい限りです」

「その上でなお、同盟を望むのですか? いえ、あなたの王が治める調停の国と私が治める心理の国、この二国だけならまだ理解の範疇です。ですがあなたの心には、それ以上の望みがある。それ以上の現実が見える」

「……」

「あなたは本当に――この世界の四国を一つにまとめられると、そう考えているのですか?」

「まぁ、難しくは有るでしょうね。一応、既に盾王閣下には概ねの理解を示しえもらいましたが、それでもまだ半信半疑――いえ、これは楽観が過ぎますね。二信八疑といったところでしょう。もし他の王がそれを受け入れるなら断りはしないというのがあの方の最終判断でした」

「妥当ですね」

「そうですね」

「それで、彼の盾王を一応とはいえ同意に結び付けたから、今度は私のところというわけですか。もしかして舐められています?」

「いえいえ、そんなことはありませんし、それはその『目』を持つ貴女が一番理解し見切っているはずのことです。その上であえていい訳をさせてもらえるのであれば、剣王閣下とは話し合いとはいかないでしょうからね。時間があまり多くない今、出来うる限り効率よく行動していこうと思い今自分はここにいるのです」

「まぁそうでしょうね。あなたが彼の剣王に勝てるか否かはともかく、あの千の剣と戦うのなら死闘は逃れられない。なら、その後で休養の時間を取り私と相まみえるよりも先に私に合意を取り付けて置くほうが十全のそれでしょうから。むしろそう考え私を二番目に選んだあなたを私は高く評価します。既に盾王を諭した点など、高評価ですね」

「流れの結果です。そう過剰に評価されると恥ずかしくなってしまいます」

「そうですか。まぁそれはそれとして、仮にです。仮に私がこの席で同意し、あなたが剣王を諭すことが出来、結果盾王もそれに頷いたうえで四国が一つに統一したとして――あなたは本当に、私たちが心から手を取り合えると、そう考えているのですか?」

「……」

「私たちの歴史は殺し合いの歴史です。四国は、調停のそれを除きずっと戦いながら自身の国の物語を紡いできました。えぇ、確かに私はこの一年で心王という格付けを正式なモノにし、それは剣王、盾王、そしてあなたの王足る正王もまた同義です。故に私たちは個人的に憎みあってはいないものの、だからといってそう簡単に仲直りしましょう、これから一緒に戦いましょうと笑顔で頷けはしません。手を取り合えるとも思えません。むしろ間近に見れば憎悪が溢れ、殺し合いにさえ発展するでしょう。歴史の重みとはそういうモノで、それはあなたも十全に理解していることでしょう」

「えぇ、返す言葉もありません」

「その上で、私たちが合意できると?」

「自分は、そう考えています」

「……黒。意味するは揺るがぬこと……あなたの心の色は、刹那の疑問もないのですね。見ていて心地いいくらいです。では、本当にあなたは全ての王をまとめ上げることが出来ると考えているのですか? 自身にその力があると?」

「いいえ、自分にそんなことは出来ません。自分は王ではなく、ただの一魔術師ですからね。物語で例えるところの脇役ですし、出来て良いところお膳立てと言ったところでしょう」

「では、誰があなたのお膳立てを継ぐというのです?」

「我らが王です」

「……黒が濃くなりましたね。それだけあなたはその王を信じているということですか……少々、羨ましいくらいですね」

「羨ましい? 貴女も多くの民に信じられ、敬われているではありませんか?」

「否定はしません。ですが……いえ、王足るもの、ここで心中を吐露するは間違いというモノでしょう。聞かなかったことにしてください」

「分かりました。ですが、その上で言わせていただけるのなら」

「……?」

「貴女が素直に心中を吐露できる居場所を、自分は作ることが出来ます。貴女の心中を受け止められる強い人を、自分は知っています」

「……それが、あなたの信じる人ですか?」

「はい。この世でたった一人、自分が敬愛し、心の底から信じることが出来る御方です」

「……」

「それでも、この件に同意していただけませんか?」

「……ずるいですよ、その謳い文句は」

「では?」

「えぇ、分かりました。未だ剣王との同意が取られていないとはいえ、もしあなたが本当にこの国を一つに纏め上がられたのなら、私はあなたと共に闘いましょう。この千の心理を暴く瞳で全てを見定めて」



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『1-2・リバース』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/04/19 22:38
 戦いというモノについて、キミはどう考える? 私としては剣が裂き、魔法が飛び、互いの実力と実力を余すことなく伝えるものこそ戦いであり、それは物語で言うならそう、読者という名の第三者を魅了して然るべきものであると考えるのだよ。圧倒的な戦闘描写に伴う心湧きたつ感情。そういったモノを魅せることこそが戦いの醍醐味であり、逆説的に言えばそうだね。例えば論争。あぁいった口先だけのそれは私の個人的意見から言わせてもらうとどうにも戦いのそれではないと思うのだよ。とはいえ『悪者』に対して正義の味方が自身の正論をぶつけ、相手を論破するというシチュエーションはそこまで嫌いではないけれどね。だが、それでなお言わせてもらうならそうやって正義の味方に論破される『悪者』なんていうのは失敗作さ。『悪者』の風上にも置けないね。だってそうだろう? 正論に論破されるということは、本人の意識無意識問わずそうやって自身を正してほしいという心が欠片でもあったということの証明であるのだから。


 あぁ、すまない私としたことが随分と無駄話を紡いでしまったモノだよ。いつものことだという顔だね。否定はしないが私が伏線になるのかいまいちわからないことをこうやって雄弁に語るのは思いの外珍しいことなのだよ。つまり私が何を言いたいのか、わかるかい? ……うん、ありがとう。ドクペ取ってくれて。疲れた時はこの素晴らしき炭酸飲料に限るね! そうやって私の疲れを見ただけで察してくれるキミを私は好ましく思うよ。結婚してくれないか?


 冗談、冗談だからその腐ったミカンを見る目はよしてくれ。ぞくぞくしてしまうじゃないか。あ、今引いたね。三歩ほど後ずさったね。あぁ、何ということだろう。信じていたのに、キミなら受け入れてくれるとそう信じ、カミングアウトしたというのにキミってやつは――という全く以て不毛な茶番を繰り広げられる程度には回復したよ。さすがドクペ。これって実は王よりも偉大なモノなんじゃないか?


 それはそうと、疲れたというのは本当さ。流石の私もこと今日の件に至っては心底疲労しているよ。いやはや流石心王閣下と言ったところさ、他の有象無象や剣王、盾王のそれよりも随分と念入りに魔法を仕掛けさせてもらったよ。というよりそうせざるを得なかったというのが本音だけれどね。やはり私の魔法はあぁいった肉体よりも精神に特化した類の王には相性が悪いよ。


 とはいえまぁ、安心したまえ。魔法は十全に彼の王を侵食し、今の彼女にとって『アレ』はもう真実さ。欠片の疑惑さえ感じないほどのね。それもキミの膨大な魔力あってのことではあるが、流石の私も今日は眠たいよ。


 そういうわけで、記録者としての独り言も概ね済んだし、今日はここらで睡眠を取らせてもらうね。適度な運動と適度な睡眠こそが十全な『悪事』の基本だよ。


 どうせならキミもどうだい? 私をサポートするだけとはいえあれだけの魔力を消費したんだ。ここらでいったん休むのが吉であると私は考えるのだがね……そうか、うん、わかった。なら止めはしないよ。あ、でも行く前に私が十全に睡眠を摂れるよう、子守唄でも歌ってくれないか?


 ……無言で行ってしまった。まあ、キミがそういう男だということは分かっていたが、もう少し私の相手もしてくれて良いと思うのだけどね……いや、このタイミングでキミがここに残り、多少とはいえ私の相手をしてくれたこと自体、キミの想いやりなのだろうけれどね……ふあぁ。


 あぁ、うん。本当に眠くなってきたようだ。ではではここらでひと眠りするとしよう。ようやくこの世界の人間全てに『仕掛け』を刻み終わったんだ、ここで少し休憩しても罰は当たるまいし、罰当たりなことなら最早数えきれないほどしているからね。今更少し増えたところで焼け石に水と言ったモノさ。


 ふむ、もし今の私を読者と言う存在が見ているというなら、ここは可愛い声で「おやすみ~」と言ってあげるのがセオリーと言うモノだろう。まぁ、私は一『悪者』でしかないからそういった読者サービスはしてあげないがね!

 ……ふむ、いや、本当に眠い……ふあぁ。

 うん、最後に一つ。

 ……伏線、一つ。



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『1-3』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/04/19 22:38
 守護の国は、そこを治める王が盾王であるからというだけでその名に守りを入れているわけではない。無論彼の王の影響力というのは十全に他の王と同義のモノであり、故に国の名にそれ相応以上の意味合いを含んでいることは確かに事実だが、同時にもう一つの意味を含んでいることも事実だ。

 守護、つまりは守りを象徴とするその国が守っているモノ――それは広大な自然である。

 盾王の国は、四国の中で最も広い面積を誇っている。他の国がそこまでの広さを自身の国に求めていないということもあるが、彼の王の国はそれを差し引いてあまりある大地を自身の領地に治めているのだ。

 そんな守護の国の大地を言葉にするならば、概ねの第三者らは口をそろえてこう表すだろう。自然、と。

 この世界は戦いを繰り返しながら歴史を刻んできた。それは四国の王が一人である歴代の盾王も例外になることはなく、それでもなお、彼の王はその全てが自身の生れし大地を守り続け、その自然を今に受け継いでいる。

 それはあたかも、自身が確かに何かを守れているのだと証明しているかのように。

 そんな、この国において希少と言える緑が残る盾王の国には、雨が降り注いでいた。濃厚に空を覆う曇天は自然の巡りをその身で体現し、空へ昇ってきた水を雫として大地へ返している。しとしとと、静かに音をたてて。

 それは、まるで彼女の、大地に降る、もう一つの涙を隠しているように。

 しとしとと、しんしんと、雨は降り注いでいた。

 大地を濡らし、そこから小さくそびえる石造りの墓を濡らし――けれど、彼女を決して濡らすことなく。

 雨の中、とある墓の前で少女が蹲っていた。膝を抱えただ呆然と墓を見る彼女の目には欠片の力もなく、彼女の――いや、彼女の血のイメージとも言うべき翠緑の髪は覇気なく大地の緑と混ざり合っている。

 果たして、この姿を見て誰がこの少女を盾王だと思うだろうか。

 確かに少女には、気品があった。王足る者が持てる威厳を持ち、圧倒的存在感を示している。だが、それだけだ。動かないその姿はどこまでいっても虚しさを顕わにし、その王足る雰囲気をただの少女のそれに陥れている。

 それでも、少女はどこまでも盾王だった。

 彼女の周りに落ちる雫が、それを証明している。誰もに等しく降りゆく自然の雫は確かに盾王に触れ、けれど触れてはいなかったからだ。

 それは何故か。ここにそれに気付くだけの力量を持つ者がいたのなら、あるいは見て取ったかもしれない。盾王の身体から、薄い翠緑の魔力が立ち昇っていることに。ゆらゆらと不規則に揺れるそれは、盾王を盾王足らしめる絶対防御の力だった。

 誰も、触れられないモノ。

 魔法さえ、自然さえ、誰かの手さえ、盾王が拒絶すれば弾いてしまう心の壁と言うべき、彼女の檻。

 それでも、そんな力を持って生まれた盾王も、一人ではなかった。彼女には、姉がいたのだ。二つ年上の姉は、盾王と違い盾王の力を持たず、それどころか全ての盾を弾く、あるいは剣王に匹敵する破壊の力を持って生まれた。そんな姉を当時の盾王、つまり二人の父親は忌み、人として姉を扱わなかった。王がそれでは民を従わなければならない。物心付いた歳の盾王から見てもそんな周りの態度は気持ち悪いほどあからさまだった。姉を空気のように扱い、見ても見えないふりをする。触れても触れないふりをする。だが、それ以上に盾王を驚かせたのは、誰であろう姉自身だった。

 姉は、いつも笑っていたのだ。空気のように扱われ、いないモノとされてなお微笑み、まだ力を持て余し誰にも触れてもらえなかった盾王を自身の力を以てして触れ合ってくれた。普通の姉がそうするように、にこりと笑って頭を撫でてくれた姉の顔を、盾王は今も明確に思いだすことが出来る。

 そんな姉は、けれど身体が弱かった。規格外にして盾王の血に相反する魔法をその身に受けた姉は、その代償と言うように脆かったのだ。普通のそれより身体が脆く、魔力の助けなしでは歩くことさえままならない。そんな姉はけれど、戦えば無類の強さを発揮した。そも、防御という概念が姉には通じないのだ。剣王の単純な破壊とは違う、もう一つの絶対攻撃。それは盾王ではなくとも王に匹敵するモノのそれで、故に姉は戦いを強いられた。

 幼かった盾王は、そんな姉の在り方を止めるよう伝えた。それでも姉は戦いを止めなかった。無言の民に強いられる以上に、姉は戦うことを望んでいたのだ。

 戦うことでしか守れないから――そう、微笑みを浮かべて。

 そして、姉は死んだ。

 あの男に、殺されて。

「姉、さん……!」

 ぽつりと呟きは、雨音に消されていく。

 盾王は涙を流し、姉が眠る墓に縋った。冷たいその石には姉の温かな温もりが感じられず、その体温を思い出すことは出来ない。

 優しかった微笑みは、もはや思い出の中のモノでしかなくなった。

 盾王を、唯一名で呼んだ声は、永久に失われてしまった。

 この世でたった一人、心を許した人が、死んでしまった。

「……私は、私はどうすれば、いいの……?」

 問いかけに墓は答えることなく、ただただ眠る死者の安寧を願っている。

 盾王は、構わず問いかけ続けた。自身がどうすればいいのかを。どうすることが正しいのかを。

 姉の仇を取るべきなのか、この国を守り続けることなのか。彼女には分からない。盾王となった彼女は、だがどこまでいってもまだ十六の少女なのだ。盾王たる自覚は出来ても、心の制御は出来はしない。それどころか盾王足ろうとすればするほど自身がどうするべきなのか、分からなくなっていく。

 そうやって、終わることのない思考の渦を抱えたままどれほどの時間が過ぎたのだろう。

 雨は、相も変わらず盾王を濡らさない。だが、今盾王を守っているのはその絶対防御ではなく――自身の上でさされた傘だった。

 盾王は、力ない動きでのろのろと上を向いた。見えるのは、純白の傘を指す、純白の衣装の青年だ。服の色合いからして調停の国の人間であることは分かるが、どうして彼がここにいられるのか、盾王には理解できない。彼の国は確かに自国を含む他の三国と違い調停――即ち戦いを止める立ち位置にいるが、それでもこう易々と他の国には入れないのだ。たとえ使者のそれだとしても、それならまず、盾王に連絡がいくはずだ。

「……誰?」

 どこか胡乱な声に、青年は悲しげな微笑みを浮かべ、

「無盾の……友人です」
「……!」

 盾王は、目を見開く。なぜなら今彼が口にした人間の名はまぎれもなく盾王の姉のそれなのだから。

 だが、だからといって盾王は口を開くことが出来ない。姉意外に対しほとんど王として振る舞っていた彼女だが、今はその王足る自身さえ分からなくなっている。故に青年に対してどう接すればいいのか分からず、結果口を閉じ、そんな盾王に青年はあまり頓着していないようだった。あくまで、彼にとって自然なのだろう姿で、静かに口を開く。

「……無盾とは、互いに似ているところがあり、友人――いえ、少々語弊が交るかもしれませんが、『仲間』という立ち位置で向き合っていました」
「……仲間……?」
「えぇ。それが最も適した表現でしょう、盾王閣下。故に彼女からは貴女のことをよく聞かされていましたよ。最高の、自慢の妹だと」
「……」
「そんな折です。無盾は、自身の死期が近いことを悟っていたのでしょう。自分に一通の手紙を送ってきました。『もし、私が死んだら、妹をお願い』――そう、優しい文字で」
「……」

 盾王は、何も言えなかった。

 言葉が出ず、想いがこみ上げる。姉がずっと自身のことを想っていたこと。死ぬ時でさえ、盾王のこれからを考えていてくれたこと。そうだいうのに、何もしない自分への腹立たしさ、恥ずかしさ、悔しさ。

 入り乱れる感情は、盾王を少女から本当の『王』へと変える。

「盾王閣下、お話を聞いていただけますか?」
「……」

 声は、出さず頷くだけで応える盾王に、青年はどこか優しげに微笑む。

「これから数日ののち、世界に『宣誓』が成されます」
「宣誓?」
「はい。無盾を――貴女の姉を殺した男の、世界に対する宣誓です」
「……!」

 目を見開く盾王。青年は続ける。

「無盾は強かった。それこそ自分が歯も立たないほど。そんな彼女を殺した男です。何をするかわかりませんし、何をしても納得できます――そして、自分の予想が正しければ彼は、この世界を終わらせようとするでしょう。自分は、それを止めたい」
「……止められると、思っているの?」

 姉を屠った男。その力を、盾王は欠片も見下したりはしない。それどころか、盾王の身ながら脅威とさえ考えている。

 青年は、短い黒髪を揺らすように微笑んだ。

「自分では無理でしょう。我が国王でも困難であり、それはこの世界の全ての王に対して共通して言えることです」
「じゃあ、どうする?」
「決まっています」

 微笑みと共に、告げられた言葉に盾王は愕然とするしかなかった。

「力を合わせるのです」
「……本気で、言っているの?」

 言うまでもなく、守りの盾王も戦わないわけではないのだ。いや、戦うということなら正王や心王よりも強いだろう。何故なら盾王は剣王の対なのだから。

 故にこそ、未だまともに戦ったことのない盾王でさえも、彼の言葉がどれほど絵空事かは分かる。ずっと戦い続けてきた盾王としての血が、その困難さを示している。

 その上で、青年は頷く。確信を深めた顔で。

「えぇ、出来ますよ。必ずね」
「……」
「だから、力を貸してください、盾王閣下」

「貴女の力が必要です」と、そう頭を下げる彼を見て、盾王の脳裏に浮かんだのは、姉の言葉だった。

『戦うことでしか守れないから』――そう、ずっと姉は守ろうとしてきた。多くのモノを。

 盾王は、自身の左手を見つめる。今は現出していない盾王の盾は、このためにあるのではないかと。もし姉が自身の立場にいたら、きっと迷わないだろうと。

 それでも、率直に頷けないのは民のため。

「……もし、心王と剣王の両名を諭すことが出来たのなら、私はあなたと共に戦いましょう。千の矛を受け止める、絶対の盾と共に」

 今返せる最高の返事に、青年は嬉しそうに微笑んだ。




[27194] 正義の在り方と悪の定義 『1-3・リバース』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/04/20 07:07
 誰かが言っていたようなそうでもない気がしないでもない言葉なのでけれどね、この世には尊い犠牲というモノがあるらしいよ。物語で言うところの、主人公のために「ここは任せて先に行けぇ!」と死亡フラグを世界樹のごとく打ち立てる脇役や、あるいは世界を救うために自身の命を捧げるヒロインなど、まあ私に対しそれを言った人間が言いたいところは概ねそういうモノなのだろうね。死ぬことに意味を見出すと、そんな風に言いたかったんじゃないかな? 私は記憶者でしかなく、その人本人ではないからこの考えはどこまで行こうと私の自分勝手な思考の域を出ることはなく、故に答えは永遠に出ないまま平行線を辿る言葉にしかなりえないのだろうけれどね。


 さて、私がなぜ、今になってそんな些細な――この記憶者の『在り方』に眠る記憶の断片のほんの微かでしかないそんな領域の言葉を思い出したかといえば、思うに彼の盾王閣下の姉君のせいだろうね。


 そう、キミと同じほどに強く、そして一点とはいえ酷似した点を持っていた彼女さ。


 盾王無盾。いや、彼女は前盾王からいない者とされていたのだから、ただの無盾とフレンドリーに名を呼んであげるのが正解なのかな。王に属する者は、等しく自身の名を呼ばれないからね。特に王など、称号こそが名だと言わんばかりだよ。彼女たちがそれを望んでいるか、私としては大いに疑問が残るところではあるがね。


 さて、少々話が脱線してしまったが、無盾のことだ。彼女の死は、やはりいわゆる一つの『尊い犠牲』なのだろうか? 現段階においてまだ未来のことであるから確定にして明確な言葉には出来ないモノの、彼女の死が、この世界の統一の足がかりになったのは事実だ。それは微かな切っ掛けであり、もっと言うならば本当に転機となるべきはその切っ掛けを十全な結果にするべき人間なのだろうけれど、それでも彼女がいなかったら後に紡がれるであろう、王の統一の物語は始まりさえしなかっただろうからね。そして、その物語が始まりさえしなかったなら、私たちの計画さえ芽吹きはしなかったはずだ。あぁ勿論、現段階においてそれさえも以前不確定なことであるからここで『始まった』と断言するつもりはないし、『芽吹いた』と考えもしないけれどね。何しろ未来は不確定だ。些細な切っ掛け、微小な干渉で大きくその結果を変えてしまう。無論この世には確定した絶対の未来――キミや正王閣下がいうところの『確定未来』も存在するが、一記憶者であり一『悪役』でしかない私にはそんなモノ見えはしない。故にここは曖昧に言葉を濁しておくとするよ。曖昧、あぁ、何と良い響きの言葉だろうね。


 とはいえ、全てを全て曖昧なままにしておくのは読者という名の第三者に失礼なことだ。故にここはきっぱりとはっきりと大いに雄弁に詭弁ながらも弁解にさえならない便利な戯言を独り言のように言っておこう。


 私は、無盾という彼女に感謝をしているよ。彼女の死は、これからの世界に必要な物語の全ての結果になったはずさ。王の統一然り、私たちの計画然り、ね。あるいは、彼女が死ななかったら別の誰かが、別の何かが死ぬか壊れるかして彼女の代役を務めたかもしれないが、私が記憶した、記憶者がその『在り方』に刻んだ歴史は確かに彼女の尊い犠牲だ。これは、この事実は誰にも、たとえ王であろうと否定はさせない。


 ……なんて、私らしくもなく恰好つけたことを言ってみたモノの、あるいは恰好がつかないかもしれないね。何しろ私がこれを、こんな四十文字四十行で言えば五行で済んでしまう彼女への感謝の意を言うために前文という名の駄文を三十二行もかけてしまったのだから。これはアレだね。昔あった小説投稿サイトに数十行で済む短編を書いて、それ以上に長い後書きを書くような矛盾を孕む恥ずかしい行為だよ。まったく、私という存在もまだまだということか……ふむ、まだまだということは成長の証でもあり、数年前から止まってしまった私の、ある一定の膨らみのもまだ未来はあるということなのかな?


 ふむ、うん、これだ。ようやく私らしさを思いだしてきたよ。私はこうやってまじめなことを言いながら、それでもなおふざけた態度が出来る真正の『悪役』だったね。少々気が滅入ることがあり、ちょっとばかしキャラを忘れていたよ。このままではこの世界のこれからの物語に少なからず影響を及ぼしてしまうほどのね。とはいえ私程度の影響力などキミや王たちのそれに比べれば月とすっぽん、満月と水面に浮かぶ水月ほどの差があるのだろうけれどね。


 さて、それではそろそろ始めようか。私たちの物語を。せっかく彼の盾王の姉君、無盾が無様に無残に見苦しく聞き苦しくしながら築いていくれた、物語の始まりとなる切っ掛けなのだからね。


 準備はいいかい、キミ。せっかくの全国放送だ。盛大におしゃれをしてもいいんだよ? なんなら私が見繕って――て無言の圧力は止めてくれたまえ。ドキドキしてしまうじゃないか? ……うん、何だろう。私は今、これから先言うだろう自身のセリフを先読みしてしまった登場人物の気持ちになったのだが? 気のせいかな?


 さて、では本当に始めようか。私たちの、計画という名の物語を。


『悪者』が紡ぐ、見るに堪えない聞くに聞けない読むに値しない、そんな物語を。


 では、さよならだ無盾。盾王の姉君。キミの死は、この私が責任もってアレンジし、全世界に放送してあげるよ。無様に無残に見苦しく聞き苦しく、それでいてなお、意味のあるあり方としてね。


 と、ではではついでだ。ここで一つ、いつも言うキャラ立ての口癖でも作っておこうか。


 伏線一つ、なんてね。



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『宣誓』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/05/04 17:48
 とある日の、とある時間、この世界で宣誓と宣告された行為が成された。

 男と女、その立った二人の人間によって。

 男のほうは、その全身を黒の衣装で覆う男だった。平均的な身長に、服から窺える身体つきは指して大きさを感じさせず、見た目だけで言えば恐らくはどこにでもいる青年といったところだろう。だが、その『宣誓』を見ていたモノたちは皆、それこそ四国の王たちでさえ、彼の男に平凡や普通といった感想を浮かべはしなかった。

 分かってしまうからだ。その衣服で全身を包み、フードで顔を隠してなお、その存在感の大きさに。その身の内に内包するであろう魔力の大きさに。そしてそれ以上に言葉に出来ない『何か』に、『宣誓』を見ていた人間全てが恐怖し、震えた。あたかも物語の中にしかいない『魔王』の実物を見たかのように。

 そんな彼の隣りに立つ少女は、不釣り合いなほど人懐っこい笑みを浮かべていた。どこかの学校のような制服、紺色のブレザーにチェック柄のスカートをはく少女。そんな衣装に比例して、見た目も服相応な彼女には、だがしかし男とは違った存在感があった。

 それは、決して大きなものではない。むしろこの世界において、馴染み深いと、心にすとんと落ち着いてしまう、そんな、けれどどこか違和感が残る、そんな感じ。

 一方は絶対的に他を寄せ付けず、一方は安易的に他を受け入れる、そんな二人はどこまでも対照的であるのに、共にいるのがひどく自然に、この世界の住人には思えた。

 と、不意に少女が笑みを深める。青年の隣りでなお変わらない人懐っこい笑みを浮かべる彼女は、年相応の女性らしい高めの声を、世界の住人へ届かせた。

「えー、皆さんこんにちは。私は記録者。この世界の全てを記憶する存在です。さて、まぁ皆さん、特にこの世界という名の物語において名前さえ出ないであろうモブキャラないし背景の皆さんは、この私たち二人による行為の意味が分からず目を白黒させていらっしゃることでしょう。そんな皆さんの間抜け面を思うと腹を抱えて大爆笑してしまいそうですが、えぇまぁ、今は止めておきますね。何しろこれは、いつもふざけている私としても十全に大切な儀式なのですから、しっかり努めねばいけません。それがこの世界のあなた方のためになるかは別問題としてですがね。あっと、この段階で疑問に思った人がいるかもしれませんが、どうして今私の隣りに立つ彼が話さないのかといいますと、彼は口下手でしてね。私という名の仲間の前でさえ滅多に口を開かないのですよ。故にこの場は役者不足ないし役不足かもしれませんがこの私、一記録者にして一『悪役』の私が概要を務めさせていただきます」

 そこまで言って、記録者と自身を名乗る少女は手に持っていたペットボトルを開けると、それを一気に飲み干した。どこか透明感のある黒の液体はプラスチック製の容器から彼女の身体へと雨が大地に落ちるように吸い込まれていく。

「ぷはぁ。あぁ失礼。長々と話して、のどが乾いてしまいましてね。私の大好物であるドクターペッパーを一気飲みさせていただきました。ふむ、これはいい機会ですね。いつもは彼しか私の相手をしてくれず、その彼もこんな無愛想のため結果答えが先延ばしになっていた件なのですが、ドクペはコーラのパクリなのでしょうか? 私としてはこの炭酸飲料はコーラのそれよりも美味しく、存在の大きさとしては王のそれを上回るものであると思うのですが、果たして第三者の皆さんの考えは如何なのでしょうかね。まぁそれを聞いたとして私は私の意見を欠片も変えるつもりはありませんが」

「さて、閑話休題です」と記録者が微笑んだ。

「ここまでの私の話で皆さん、私が何を言いたいのか概ねの所を理解していただけたと自負します……うん? 何か見えない皆さんの顔にクエスチョンマークが浮かんでいる気がしてなりませんね。まるで『いや、今までの会話じゃキミがドクペについてしか語っていないから何がどうなのかさっぱりだよ』って感じです。ふむ、まったく、これだから学のないモブキャラはいやなんです。察してくださいよ。それとも、察せられるほどのプライドもないのですか? まぁ良いでしょう。あなた方に別段欠片の期待もしていなかった私です。ここは一記録者らしく寛大な態度を以て皆さんを笑顔で受け流しましょう。とはいえ、勘の鋭い王様方はそうはいかないんでしょうがね」

 少女は笑う。どこまでも和やかに、穏やかに、人懐っこく――全てを馬鹿にしたように。

「分かりますよね、王様方。剣王閣下、心王閣下、盾王閣下。そして正王閣下。私たちが今行っている行為のその意味が。とはいえこれは一方的に私たちが私たちの想いを十全に十分に伝えるための『宣誓』であるからして、皆さんの声は口惜しくもこちらには聞こえません。故に代弁しましょう。あなたたちが思っているだろうことを、私の視点からね――舐めているんですよ、あなた方を」

 その瞬間、世界は確かに静止した。この世界に住む六人以外の人間が顔色を失い、目を見開く。それは、全ての王に対して少女が言ったこと、そして今から言うであろう言葉を思えば当然の反応だった。

「もっとはっきり言っておきましょう。四国の無能にして無価値にして無知にして無残な最期を迎える無様な王様方に、私たちは優雅に悠然に悠々と喧嘩を売らせてもらっているのです。ばーかばーか」

「とはいえ」と記録者は難しそうな、それでいてなお楽しそうな顔で、顎に指を添える。

「ここでこんな形でこんな風に言葉だけを告げても皆さんは脅威のそれを上手く理解できないでしょう。えてして人は体験してこそ恐怖を知るモノ。故にこんな趣向を凝らしていただきました。そこまで気が利く私に私自身が惚れてしまいそうです」

 少女が、指を鳴らす。パチンと乾いた音と共に、世界中の人間が見た。黙し何も語らぬ黒の男が、血だらけの少女を、その細い首を掴む形で釣り上げているところを。

 荒野の背景は、今『宣誓』を行っている二人がいない場所で、見ていた者は、これが別の日のどこかしらでの光景であることを理解し、そして傷だらけの少女を見て、目を見開いた。

 何故ならその少女は――盾王の姉君だったからだ。

 彼の少女の名は、それこそ盾王のそれと同様にこの世界に広まっている。いや、その異端さだけ言えば王のそれ以上だろう。だからこそ皆は彼女の強さを知り、その彼女の敗北は今までの記録者の言葉を十全のモノとする。

 即ち、この『宣誓』は冗句のそれではないという絶対の証明を。

 そして世界の皆の視界は戻り、記録者と黒衣の青年に戻る。

 どこまでもおかしそうに笑う彼女は満足げに一息つき、にこりと微笑みを深めた。

「そんなわけで世界中の皆さん、本日、この日、この時間を以て私、一記録者にして一『悪役』と無言にして最強のラスボス足る『悪役』の彼が、王を皆殺し、ついでに皆さんも殺し、ついでのついでに世界まで終わらせようと思います。降参は認めません。投降も却下です。逃げることは無意味です。従うことは低能です。皆さんに残された未来は絶対的デッドエンドしかないモノとお考えください。それがこの世界のトゥルーエンドであることを理解してください。といっても今までの世界とこれからの世界が変わりあるモノとも思えませんがね。そんなわけで、さてさて今から目についた小国の国々を潰して行きますので、皆さん大いに逃げ惑ってください。無意味と知りながらその低能を私たちに見せてください。その、馬鹿のように王に従ってきたゴミ未満の価値しかない皆さんの命の重みとやらを私たちに伝えてください」

「というわけで」と記録者が締めに入る。

「ここに世界の終わりを『宣誓』します」

「伏線一つ」と最後に少女が呟き、『宣誓』は終わった。

 そしてその日、この世界の人口は世界に住む人間の記憶の、三分の一になった。



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『2-1』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/04/29 21:04
 この世界の歴史は即ち戦いの歴史といっても過言ではないが、そんな中にもちゃんとした常識はある。例を上げるなら自然を守る盾王の在り方であり、剣道に精神の成長を唱える剣王であり、ジャンクフードの技術を現代に残している心王だ。そして四国の調停を願う正王が唱えるは正しき『学』であり、故に彼の国の学校は他の三国よりも自然、力を入れたモノになっている。

 そんな正王の国の学校の一つ、更にその内の一室は、だが学校の教室と聞いて思い浮かべるべき喧騒とは全く以て無縁だった。それどころかその教室を満たすのはただただ重い沈黙ばかりである。

 教壇のスペースと、生徒用の机を六行六列並べて丁度いいほどのその教室には今、四つの机が並べられ、内三つがその席を埋めていた。

 並ぶ席の、教壇から見て右を埋めるのは赤髪の少女だ。腰まで届くその髪を大雑把に下ろし、それでなお映える姿は不機嫌に歪められた顔を以てしても見とれてしまう在り方をしていて、あるいはそこが普通の学校であればクラスの中心に自然と位置するであろう存在感を示している。

 とはいえ、そんな彼女に話しかける者は、今のところこの教室にはいなかった。だが、それは彼女が放つ人を外れたあり方に怯えた結果ではない。単純に、他の二人もまたそういう『在り方』をしているだけのことだった。

 赤髪の彼女の隣りに座るのは、翠緑の髪をサイドで結んだ少女だ。年齢は赤髪の彼女と同じくらいといったところだろう。見た目十六といった翠緑の少女は我関せずと言ったように他者を寄せ付けない雰囲気を醸し出し、その瞳を静かに閉じていた。その、どこか絵画の世界を思わせる少女もまた、赤髪の少女と名称こそ違えど存在としては同じであり、そしてそれは翠緑の隣りで銀色を揺らす彼女にも言えることだった。

 銀髪を肩で揺らすのは、これもまた他の二人と同じ年の少女だ。白い肌に太陽の光を浴びた後はほとんどなく、見間違えれば病人のそれのように儚いそれは、けれど彼女の銀髪と相まって美しく、危うくも儚い『美』を体現していた。

 そんな彼女は仏頂面とすました無表情を携える紅と翠とは違い、何もかもを理解したそんな穏やかな表情で座している。あるいはこの教室で最も近づきやすいように見えるが、それでもそんな彼女に好んで近づきたがる者がいるかは不明だ。とりわけ彼女の『在り方』は二人の少女のそれよりもずっと他人に忌避されるモノなのだから。

 そんな三者三様の三人に共通するのは服装だった。彼女らが来ているのは、等しく学校の制服なのだ。紺色のブレザーにチェックのスカート。唯一違うのはタイだけで、その色は本人たちの髪の色と比例している。

 彼女たちの王足るイメージの色と。

 剣王の紅、盾王の緑、心王の銀。足りない色はあと一色だけである。

 そして最後の一色も、もう揃わんとしていた。

 ガラガラとわざとらしいほどの音を立て、教室のドアが開いた。現れるのは、黒髪の青年。教室の三人とは違いスーツ姿の彼は、三人皆が共通して知る唯一の存在だろう。いや、『宣誓』という名の例外を除けば別だろうが。

 そんな彼にしかし、盾王と心王は違和感を覚えた。何かが違う、そんな気がするが何が違うのか分からないという感じの、そんな自然な違和感だ。

 彼は教室の雰囲気を完全に無視した笑顔で「おはようございます」と朗らかに挨拶しながら教壇に立った。皆を見下ろし、そして彼は一言。

「いきなりですが、転入生です」
「「「……」」」

 本当にいきなりだった。皆が目を丸くする中、彼は「では、入ってきてください」と能天気な声を教室の外へ向ける。

 そして、最後の王が現れた。

 教室を潜るのは、白。決して穢れを知らないかのような純白の髪を黒のリボンで後ろで纏め、同じ色の瞳はまっすぐに自身が進む道を向き、その瞳が座る三人へ向けられる。まっすぐな瞳にぶれる色はなく、その女性をしても華奢で小さな身体にはだが、微塵の弱さも見て取れず、三人に自身が王であることを告げているかのようでさえあった。

 そんな、白の少女がゆっくりと、優雅に頭を下げる。

「初めまして、剣王、盾王、心王。私がこの国の、調停の君である正王、正王運命(せいおう さだめ)です」

 その、透き通るような美しい声に、王である三人でさえ一瞬心を奪われかけた。そんな、他の王でさえ圧倒する彼女は優雅に微笑むと――動きを止める。次いでだらだらと汗をかき始めたように見えたのは気のせいなのか。いや、気のせいと言える段階を既に超えるほど冷や汗を彼女は溢れだしている。

「え?」
「……?」
「ふふ……」

 剣王、盾王の二人が疑問符を上げる中、唯一微笑む心王。そんな三人の前で優雅に微笑んでいた正王はなおも優雅に背後を振り返り、

「ど、どどどどうしよう唯人(ただひと)君! この後何言うか忘れちゃったよぉ!」

 剣王と盾王は、がくりとその顎を阿呆のように外した。とはいえ当然だ。今の今まで王足る雰囲気を十全に出していた少女が、蓋を開ければ――というほどの時間もなくその本性を現してしまったのだから。

 そんな正王こと運命に微笑むことが出来るのは二人だけで、その内の一人である青年こと唯人は優しい笑顔で「大丈夫ですよ」と彼女を励ます。

「すっごい可愛いですから、正王閣下!」
「か、可愛いじゃダメだよぉ。私、王様なんだよぉ? カッコよくないと馬鹿にされちゃうよぉ!」
「安心してください」

 そう微笑む唯人の顔はどこまでも安心出来る優しさに包まれていて、自然と落ち着いてしまう運命。

「もう手遅れですから」
「う、うわぁぁぁん!」

 ぽかぽかと腕を回して彼の胸板を叩く正王に、もはや王の威厳は皆無だった。というか叩かれている彼の顔がどこか嬉しそうなのは客観的な視点からいって気のせいなのか、剣王と盾王には分からない。

「いえいえ、概ね本当に嬉しそうですよ?」

 言ったのは、心王だった。ようやく元より教室の中にいた三人の王の内一人が話しだしたことで、切っ掛けというように二人の王も口を開き始める。

「なに? お得意の覗き見ってやつ? 心王様?」

 皮肉を言う剣王を諌めるのは、隣の盾王だ。

「止めて置きなさい、剣王。ここは同盟の場。無暗にやたらと喧嘩を売るというのは、自身の格を下げる行為ですよ?」
「格、ねぇ。そんなモノ、最強になったら勝手についてくるもんでしょ? だったら別に気にすることじゃないわ、次期最強の私にはね」
「赤。意味するは自信。さて、貴女の自身が果たして本物になるのか疑わしいところですがね」
「心王殿に同意です。自信を持つことはいいことですが、過ぎた自信は過信となって貴女を襲いますよ?」
「まぁ自信なんてモノとは無縁のカメと覗き見じゃ、そんなことを言うのが関の山ってことかしらね」
「カメ……」
「覗き見……」
「「単細胞のくせに」」
「なっ!? あんたたち、いい度胸じゃない……!」
「たち、と複数形にしないで頂けますか単細胞閣下。私としても心王殿と同義に扱われるのは不満のあるところです」
「おや、思いがけないカメ様の発言に私は傷つきましたよ? 今の私の心の色は憐憫の青といったところでしょう。ちょうしょっくー」
「……」
「……」
「……」

 彼女たちは、初対面である。だが、どうしてこんなにも早く敵対してしまうのか、成り行きを見ていた運命と唯人には、まあ分からなくもないが理解に苦しむことではあった。特に彼の場合は王たちについて客観的な視点を持っているから尚更だろう。

 王は、血で受け継がれる。故に彼女たちの中に流れる血が、戦ってきた互いの王を許せないのだろう。

 いがみ合い睨みあう三人の間に、不穏な魔力が蓄積されていく。それぞれのイメージに沿う魔力のぶつかり合いは物理的に音をたてるほどで、そんな三人に運命が取ったのは――叱ることだった。

 とてとてと軽い足音と共に彼女は剣王に近づく。剣王の敵意を含んだ視線を受け、それでも彼女は臆することなく剣王に手を差し伸べ――その額にこつんとタメを作った指を弾いて見せた。

「……」

 声も出ない、という風に目を丸くする剣王の反応は当然だ。今この状況下で誰かが誰かに手を上げることは即ち同盟の破棄と同義であり、それ以前に四国の王の内戦うことで言うなら最強と自他ともに認められる剣王に手を上げる者など、いるはずないのが当然なのだから。

 だからこそ剣王の驚きは当然であるし、それは他の王たちにも言えることだ。盾王もまた自身が何かをされたわけでもないのにその目を見開き、心王も先のように何もかもを見切った表情を唖然のそれにしている。

 今この空間で驚きを顕わにしていないのは二人だけだ。まるでこうなるだろうと思っていたような微笑みを浮かべる唯人と、当人足る運命。

 運命は下がりがちな目元を少しだけ釣り上げている。怒っているのだろうがその剣幕は剣王から見てもあまり怖いモノではなく、むしろ子供が大人ぶっているようなそんな微笑ましささえあった。

「ダメだよ、人の悪口言っちゃ」
「……」

 声が出ない剣王。運命は彼女の沈黙を了解と思ったのだろう。その視線を他の二名にも向ける。

「盾王様も、心王様もだよ。言われたからって言い返してちゃ、ダメだよ。きちんとそれがダメなことだって教えてあげなくちゃ。ね?」
「……」
「……」

 二人の王もまた、答えない。盾王はその言葉の真意を確かめるように運命を見、また心王も自身の魔法で、その目で運命を見定めている。

 そんな探り合いの空間でなお、運命は微笑んだ。服装よりも少し幼く見える、そんな子供が浮かべる微笑みを。

「せっかくこうして皆が集まれたんだもの。いがみ合ったり、怒り合ったりしないでね」

 言葉を切り、改めて告げられた言葉を、果たして今の王たちは受け入れられるのだろうか。

「友達になろうよ!」
「……」
「……」
「……」

 誰も、何も答えられなかった。

 剣王は先のショックが向けていないからだろう。未だ唖然とし、あるいは言葉が届いてない気配がある。

 盾王はそんな夢物語のようなことを言う、それこそ夢見るような運命に賛同できず口を閉じ、沈黙。

 心王は運命が自身の言葉を本気で言っていることをその目で確かめた上に呆れて言葉が出なかった。

 そんな無言の返答に少しだけ不安そうな顔を浮かべる運命の肩を、唯人が優しく叩いた。振り返れば大丈夫ですよ、というような微笑みがあり、運命は「うん」と頷く。

「では、我らが王。今からホームルームを始めますから、席についてください」
「はーい」

 明るく手を上げ、運命があいている席に座る。盾王と、心王の間に。
 ようやく埋まった全ての席を見て唯人は満足そうに一息つくと、切り出した。

「さて、皆様はこの状況に大いに疑問をお持ちでしょう。自分が皆様に伝えたのは同盟という名の共闘であり、故に貴女方は戦うことを前提に集められたと考えているはずですから」
「当然ね。というかそれ以外に考えられるはずないじゃない」

 ようやく思考を取り戻したのだろう。いや、自身に向く話になり、剣王が少女から王足る者に戻ったというべきかもしれない。

 そんな剣王の言葉に、「えぇ」と唯人は頷き、

「もちろん貴女方には共に力を合わせて戦っていただきたい。先の『宣誓』を見ている貴女方ならあの男の力がどの程度か察しているはずでしょうし、何よりその後の結果は驚愕のそれです」
「……それには同意ですね」

 心なし声が暗くなった盾王。彼女は知っているのだ。恐らくは誰よりも彼の男の強さを、姉が殺されたという記憶で。

 だが、それ以上に盾王は、いや他の二人の王も理解していた。彼の男がもたらした、自身たちでさえできない圧倒的結果を。

「無盾――盾王閣下の姉君が殺されたのもそうですが、あの男はそれを脅威と感じた前剣王、ならびに前盾王、前心王、そして前正王の軍勢を一蹴しました」

 そしてもたらされたのは、この世界の人口を三分の一にする破格の惨事。

 その人災はもはや天災のそれだ。それが分かっているからこそ王たちはこの場に集まり、共に闘うことを誓っている。無論、自身の血が許さないためいがみ合いもあるが、ここに四国の王が集まっている、その結果だけでそれこそあの男が起こした人災と同格の現状を迎えられていると言えよう。

「とはいえ、です。では貴女方に問いますが、どうして前王らは敗北を期したと考えますか?」

 誰も答えない。答えが分かっているからこそ。

「それぞれが単独で当たったためであると、自分は考えます。たとえ軍勢とはいえ、彼の男とまともに対峙できるのはそれこそ王だけでしょう。なればこそ、王は軍であり個であったともいえます。そして単一の王では、あの男には勝てません」

 それは、この世界の在り方を根本的に変える言葉だった。王は絶対――その不文律を全ての王を殺すことで成し遂げてしまったのだから。

「では、更にここで一つの質問です。今ここにいる四人だけ――いえ、自分も含めれば五人ですね。この共闘で、貴女方は彼の男に勝てるとお考えですか?」
「それは、私たちがここに集められ、共に同じ制服に身を包むその理由になっていると考えてもいいのですね?」

 心王の言葉に、「えぇ」と唯人は答えた。

 剣王が言う。最強の名を持つ彼女が、最強の視点から。

「無理だな」
「……予想外ですね、剣王殿。貴女ならここで楽勝と虚勢を張ると考えましたが」
「ふん。私は最強よ。でも、それは現段階で言えるだけ。前剣王――親父は私よりもずっと強かった。それが勝てないんだったら、こんな寄せ集めで勝てるはずないでしょ?」
「……」
「寄せ集め。この四人がですか?」

 黙った盾王に変わるように、心王が問いを口にする。

「別に私たちが弱いとは言わない。私の剣は千の敵を屠るし、盾王の盾は千の矛を受け止める。あんたの目は千の真実を見透かすし……正王はよくわからないけど、そこの男――唯人は私が保証する『最速』よ。この五人が集まった時点で言うなれば最強の寄せ集めが出来ただけだわ。それこそ一国の軍勢に値する程度のね」
「ならば、何故勝てないと?」
「敵は――あの男はその一国の軍勢を四国分潰してる。そこの盾王は分かってるみたいだから黙ってるようだけど、私たちは集まっているだけ。チームにもパーティにもなれていない。だから勝てないし、むしろ一国の軍勢ほどの連帯力も信頼関係も成り立っていない。連携もなければ補助もできない、どころかいざ戦えばその大きすぎる力は互いのそれを相殺し合うだけ。だから勝てない」
「なるほど」

 頷き納得を表す心王。そんな中、起こるのはぱちぱちといった拍手だった。

「すごいね、剣王様。私、そんなにいろいろ思いつかなかったよぉ」

 そう言って、微笑みながら手を叩く運命。それは剣王からすれば当たり前の考えで、もし自身の国の人間に同じような反応をされれば馬鹿にしているとされ、一閃しているだろう言葉はけれど何故か、彼女が言うと心の底からの言葉のようで、「ふん」と剣王は鼻を鳴らした。

「こ、こんなの私の国なら子供でも考える当たり前のことよ。こんなことで褒められても全く以て嬉しくないわ!」
「でも、私は思いつかなかったし、剣王様の考えがすごいって思ったよ? だから私にとって剣王様はすごいの」
「……」

 褒められる、そんなことが殆どない生き方をしていたせいだろう。その、裏表なき純粋な言葉に剣王は頬を染めてしまう。

 話が一段落したのを見て、再び唯人が口を開いた。

「剣王閣下が言われた通り、自分たちは今のところ寄せ集めのそれです。故に彼の男には勝てないでしょう。ならばどうすれば勝てるのか? 簡単です」

「本当の仲間になればいい」と唯人が言った。「うん!」と返事をしたのは運命だけだった。

 他の三人は未だ半信半疑の表情を浮かべている。彼女らは運命ほど楽観的に自身たちの共闘を受け入れられないし、仲間になれるとも思えない。無論ここに集まった以上その意思はあるが、それでもなお、心のどこか――いや、血が今の状況を受け入れてくれなかった。

 それは、唯人も同盟を持ちかけたころから分かっていること。彼はにこりと微笑む。

「とはいえ、いきなり仲間になれるものでもないと自分は考えます。故にこその、今の状況です」
「……この、制服のこと?」
「えぇ、剣王閣下。仲間――即ち友達を作る一番の場所といえば、どこですか?」
「……」
「……」
「……」
「はい! 学校です先生!」

 唯一の答えに、唯人は頷く。

「その通りです。さすが我らが王、天才です! 可愛いです!」
「えへへー」
「「「……」」」

 褒める唯人と嬉しそうに笑う運命。それはひどく和やかな光景なのだが、あまりに平和すぎて他の王は呆れ半分心配半分といった気持ちになる。

「まぁそんなわけです。あの男のことですから、こちらが集結していることを既に知っているでしょう。なればこそ迂闊に手を出す道理はありません。故に自分はこの時間を活かし、より親密にこの寄せ集めを『仲間』にしたいと考えますが、貴女方はどう思いますか?」
「……まぁ、別に他の考えが私にあるわけじゃないし拒否はしないわ」
「私も構いません。どころか、他の王と共にいるこの時間をどう有意義に使おうか考えていたところですから」
「剣王、盾王に賛成を示しますよ。それに、あなたが私に言った件を確認しやすそうですしね」

 三王の了解を得て、「ありがとうございます」と唯人は笑った。

「では、さっそく自己紹介といきましょうか。いつまでも剣王、盾王と呼ぶのは他人行儀ですからね」
「じゃ、私から。剣王鞘呼(けんおう さやこ)。趣味は剣術、好きな言葉は『最強』。嫌いな言葉は『弱さ』。正直なところまだあんたたちを信じられていないけど、とりあえずはよろしく。ちなみに歳は十六よ」
「では、次は私がいかせてもらいます。盾王御盾(しゅんおう みたて)。趣味といえるのは読書程度ですが、よろしくお願いします。ちなみに歳は十六です」
「心王心(しんおう こころ)。趣味は人間観察。特技は人間観察。生きがいは人間観察です。私に対して嘘は言わないでくださいね? すぐ見破ってしまいますから。ちなみに歳は十六です」
「もう一回言っちゃったけど、改めて! 正王運命です! 趣味はヘアカット。髪を切りたくなったらいつでも言ってね! ちなみに歳は十六だよ!」
「……うん? 今私聞き間違えたか? 十六って聞こえた気がしたんだけど?」
「へ? うん、十六って言ったんだよ?」

 首を傾げる剣王――鞘呼に同じく首をかしげる運命。だが、剣王の反応は他の王も同じだ。皆が皆、正王をあり得ないという目で見ている。

「……正王殿」
「運命でいいよ、御盾ちゃん!」
「……で、ででででは、さ、さささささ運命殿」
「何回噛んでんのよ……」
「し、失礼! 他人に名前で呼んでもらうのはひどく久しいことだったモノでつい」
「気にしないで御盾ちゃん。それにしても御盾って良い名前だね!」
「い、良い名前? い、いえいえそんなことは!」

 心王と剣王が言った。

「恥ずかしがっていますね」
「恥ずかしがってるな」
「そ、そんなことはありません! 少しばかり平時よりも心拍数が上昇し、思考がまとまらないだけです!」
「おばあちゃんが言っていましたよ? 人はそれを羞恥と呼ぶと」
「盾王の盾も言葉には無意味ってことか」
「あ、貴女方は私を馬鹿にしているのですか!?」
「おやおや、被害妄想きましたよコレ」
「言ってやるなって心王。あいつは今、大人の階段を上っているのさ」
「~~!」

 もう言葉も出ないほど顔を赤くする御盾。そんな彼女をからかいつつも、鞘呼と心は彼女の心中が理解できないわけではなかった。

 王足る者故に、痛いほどに、理解できる感情であるからだ。

「で、話し戻すけど正王――じゃなくて運命だっけ。あんたホントに私たちと同い年なの?」
「うん! そうだよ鞘呼ちゃん!」
「鞘呼……」
「おやおや、剣王閣下も頬を染めることがあるんですね」
「茶化すな心王」
「失礼。それはそうと、見た目十二歳くらいですのに、私たちと同じ年齢なのですね。かわいすぎて撫でたくなる心持です」

 自然、手が行ってしまうのだろう。運命の白髪に触れようとした心はしかし、運命が一歩下がったことによってその髪に触れさせてもらえなかった。

「えっと、頭を撫でるのは、ダメ、かな……」
「ふむ、どうしてか聞いても?」
「その……ここは、唯人君のための場所だから」

 そういって頬を染める彼女は、年相応の少女が浮かべる温かなモノで、三人の王の視線が一瞬で青年へ集まる。

「ロリコンだな」
「ロリコンですね」
「ロリコンで決まりです」
「ちなみに自分も十六ですよ?」
「「「……は?」」」

 こんないまいちしまらない形で、ホームルームが終わる鐘の音が、ごーんと響いた。



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『2-2』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/04/29 21:04
 世界というモノは規則あってのモノだ。それはこの世界の王にも十全に当てはまるモノで、故にこの学校にも幾通りかのルールが設けられた。

 まず第一に、生徒同士は常に二人以上で行動すること。

 第二に、魔力の使用を禁ずること。

 他にも細々とした規則が設けられたが、彼の王らにとって大きなルールはこの二つだろう。とりわけ第一の規則は血の影響がある剣王、盾王、心王には辛いものであろうが。

 そんな規則の中、始まる学園生活。ホームルームが終わり、まず行われたのは知識と体力のテストだった。

 彼の王四人と、その監査役である『最速』こと唯人がいる教室は今静けさに覆われていた。とはいえこの沈黙は先のホームルーム前の探り合いのような険悪さは欠片もない、ただ目の前のテストに生徒が集中するようなどこにでもある当たり前の静かさだ。いくら王とはいえ、制服を着、授業を受ける姿は一般的な学生のそれと大差がなかった。そう、それはどこにでもいる十六歳の少女たちの姿で、だがしかし、彼女たちはそんな『当たり前』『普通』を今までの人生で受けてきたのか、この場の誰にも分かりはしなかった。

 さて、肝心の知識テストの様子ではあるが、既に始まって一時間がたっている。内容も数学や物理など科目は多々ある者も量も質も平均より低いくらいのそれだ。四国の王の内三人は既に終わらせているのかテスト用紙を裏にして回答終了を唯人に示している。

 だが、彼は沈黙の笑みを浮かべたままテストの終了を告げることはない。困ったような彼の微笑みが向くのは、未だにテストが終わっていない剣王鞘呼へだ。

「えーと、鞘呼さん。もういいですか?」
「……」

 鞘呼は答えない。まるで聞こえていないようにそのシミ一つない肌に大粒の汗を流しながらテストを凝視している。

 ちなみに内容は、半分程度しか埋まっていなかった。

(か、考えるのよ剣王鞘呼!)

 内心で呟きながら彼女は紙面に印刷されたインクの羅列を読んでいく。文字、数字、記号と多々あるそれらはだがしかし、どんなに考えても剣王足る彼女に答えを示すことはなく、ただただ時間だけが流れて行った。

「……」

 鞘呼はちらりと横を見る。皆が終わっていた。御盾は常のすまし顔で、運命はニコニコと何が楽しいのか嬉しそうに微笑んでいる。和んじゃうでしょ、と半ばヤツ当たりに近い感情を抱きつつ心に目を向ければ、彼女もまた楽しそうに笑っていた。
 
 ――他人の不幸は蜜の味!

 精神感応――分かりやすく言うとテレパシーで告げられた心の声に、鞘呼は思わずにこりと微笑みながら手にしたシャープペンシルを力強く握った。たとえ魔力の枷があってもそこは戦いの象徴たる彼女だ。機能美のため細く軽い仕様のそれはそんな握力に耐えきれることなくばきりと音をたてて粉砕する。

「さ、鞘子さん?」
「……唯人、私は思うわけよ……」
「え?」

 目を丸くする彼に、鞘呼はテスト用紙を勢いよく裏返し、告げる。

「この世はそう、力によって出来ているの。うんうん別に私はそこで知力を馬鹿にするわけじゃないわ。知識あってこその戦略だし、そもそもあって困るようなモノなんてそうそう滅多にあるモノじゃないから、きちんと学を付けておくべきという考え方も確かに納得のそれなのよ。分かる? 分かるわよね? でも、そんな知識は戦場では役に立たないわけ。そこで役に立つのは戦力という名の暴力であって、つまりうん、生きていくためには知力よりも体力のほうが圧倒的に必要だって私は言いたいの。別に知力を馬鹿にしているわけじゃないわよ? 文武両道って言葉は私も好きだし、だけどその、やっぱり人には向き不向きがあるわけ。体力があっても知力がない――いえいえ少し、そう少しだけ平均より低いとか、そういうの。分かるでしょ唯人? 分かるわよね私が何を言いたいのか? ていうか分かりなさい分かりやがれー!」

 後半、半ば涙目になりながら叫んだ鞘呼に、唯人は優しく微笑む。それは万人の心を救う聖人のような優しさと温かさを含むそれで、あぁ、と彼女は思った。伝わったのだ、鞘呼の必死の訴えが。だが、このとき彼女は気付いていたのだろうか。

「じゃあ、回答に移りましょう」
「唯人さぁぁぁん!?」

 彼のその微笑みが、運命を励ました時のそれと同様だったことに。

 ちくしょう、と鞘呼は思う。この世に王はいても神はいない、その事実を受け入れた十六の夏だった。

 そんな、四国の王の一角足る剣王が悟りを軽く開いた中、テストの回答が唯人の口から告げられていく。前半から後半にかけて難しくなっていくこのテストはその性質上、最初のほうは四人とも概ね正解していた。そこで『概ね』と言わなければならないのは、鞘呼の責が大きいわけではあるが。

 そんな回答の途中である。歴史の問題のある一問で、

「え?」

 そう、疑問符を上げたのは運命だった。

「どうかしましたか、運命さん?」
「えっと、唯人君。今の答え、もう一回言ってもらっていい?」
「えぇ。十年前のこの世界の人口を答えよ。答えは一億人です」
「……えっと、二十五万人じゃなくて?」

 不思議そうに言う運命に答えるのは隣の席の御盾だった。

「正王殿――いえ、さ、運命殿。それは今の人口でしょう?」
「そうそう、この間、彼の男にざっくり減らされてしまいましたからね」

 心に続き、鞘呼が得意げに言う。

「ふふん、これは私も合ってたわよ!」
「ちなみに他の問題は今のところ正解率五十以下のようですがね」
「なっ、心王――じゃなくて心! なんで分かるのよ!」
「心が覗けるって、実に使い勝手がいいですね!」
「その心の底から嬉しそうな笑顔……あんた、性格悪いでしょ?」
「おやおや、なんて酷いことを。運命さん、私を慰めてください。うえーん」
「よしよし。ダメだよ鞘呼ちゃん。仲良くしなくちゃ」
「今の嘘泣き聞こえてなかったの、運命!?」
「なでなで……いいな……」

 最後の御盾の呟きは、誰にも聞こえず、それを機に、テストの回答が再開される。

 最後の問題を終え、成績順位が御盾、運命、心――そこから大きく離され鞘呼となり、知識のテストは終わった。

 ただ、最後まで運命は歴史の答えに首を捻っていた。



 所変わって、運動場。

 この学園はコの字型の体を取っているため、運動場は教室から見下ろせるようになっている。とはいえ今、教室にいた全員が外に出ているため上から見下ろす者はいない。

 運動場は、比較的簡易な作りだった。縦長の円形の砂地に、鉄棒や体育倉庫など、運動に使用するいくつかの機材があり、それ以外は何もない平坦。身体を動かすためだけに特化した作りのそれはとかく『走る』という行為には誂えたように適していて、体力のテストに持久走が選ばれた今、その性質を惜しみなく出し切っていた。

 そんな運動場を走る影が、五つあった。教室の王たちとそれと同様の力を持つであろう彼である。先頭を走るのは鞘呼、次いで御盾。それから半周分後ろに下がって運命と心。しんがりを務めるのが唯人といった具合だ。

「ったく、こんなことで何が分かるっていうのよ」

 先頭を走りながら半ば愚痴るように言う鞘呼。一歩後ろを走る御盾が受け答えた。

「魔力使用不可というところから、純粋な体力の判断でしょうね。ですから愚痴ることなきようお願いします鞘呼殿。前でネガティブな発言はあまり聞きたいものではないですから」

 そう言いつつも、御盾の顔にも鞘呼のそれと同様の陰りがある。持久走、とりわけ期限なきそれはいつ終わるか分からないということもあり、ただ単に走って終わるような競争とは違った疲労を人に与えるのだ。

 王とはいえ彼女らも人。常のように魔力の補助があれば別だが、今の状態では普通の人間のそれと大差ない体力しか有せず、故に疲労も溜まっているのだろう。

「分かってるわよ。それにしても意外ね。あんた、結構体力有るじゃない」
「私としては心外な言葉です。こう見えても戦いの貴女と相反する立ち位置にある王です。自己の鍛練は欠かしていません」
「ふ~ん。ま、あんたの姉さんも強かったから、弱いとは思ってなかったけどね」
「……! 姉さんと、戦ったことが?」
「ま、ね。あんたたちと違って私は戦うことしかできないから、子供のころから戦場に立たされていたわ。周りは甲冑を纏った男ばっかりだったから、戦闘中でも女のあいつはすぐに覚えられた。それでなくてもあの強さだったから、印象は強かったわね」
「……そうですか」

 そんな会話が先頭でかわされる中、半周後ろの心はなぜ自身がこんな拷問を受けているのか切実に悩んでいた。

 彼女は息を切らし、半ば歩く速度で歩を進める。先が見えないゴールを目指し、無為に体力を消費する現状。人生のそのほとんどを城の中で暮らしていた彼女には苦痛以上に拷問でしかない。

「……もう、ダメです……」
「頑張って、心ちゃん!」

 もはや体力など残っていないというように両手をだらんと下げ、下を向いて走る心を応援する運命。その子供のような小さな体躯のどこに隠れているのか、運命の身体には汗はあっても疲れは見えず、心はため息を吐いてしまう。

「……運命さん、私には嫌いなモノが三つあります」
「え? いきなりどうしたの?」

 困惑する運命を気にかけず、半分以上に混乱している心は放言を吐く。

「太陽の光、労働、アンチネット環境です」
「それ、引きこもりのセリフじゃない」

 後ろから周回で追い付いてきた鞘呼の言葉に、「そうですとも……」と心は頷く。

「あぁ、冷却魔法の聞いた部屋でソファーに寝転がりネットの海を泳ぎながらポテチを食べてコーラを飲みたい……」
「見てはいけません運命殿。これは堕ちた王のなれの果てです」
「そ、そんなことないよ! これも個性だよ。そうだよね、唯人君? ……唯人君?」

 いつもの軽快な返事がないことに心以外の三人が振り返れば、そこには校庭の中で倒れる唯人の姿があった。

「唯人君!?」

 思わず叫び、彼のもとへ急ぐ運命。他の二人も同様に駆けだし、運命に支えられ仰向けになった唯人のもとへ膝をつく。

 三人の王に見下ろされ、唯人は苦々しく笑った。

「すみません、我らが王。自分は、ここまでのようです……」
「な、何言ってるの唯人君! まだ始まったばかりだよ、私たちの冒険は!」
「はは、もはや廃れてしまった週刊少年漫画の打ち切り的なセリフですね。可愛いですよ、運命さん……」
「しっかりして! 気を確かに! し、死なないでよ唯人君! まだ、約束守ってもらってないよ!? お嫁さんにしてくれるって、そう指きりしたでしょ?」
「うん? 私たちの場合、婿に来てもらうのが正解なんじゃ……」
「しっ、鞘呼殿。空気を読んでください」

 外野の声など聞こえないように、唯人は苦笑のままそっと運命の手を握った。

「はは、一ヶ月くらい前、聞いたようなセリフですね……でも、すみません。自分の残機は、もうゼロですから……」

 そう言って、唯人は静かに目を閉じた。安らかなそれはまるで満足した死者のそれで、涙を浮かべ、運命は彼を揺する。

「唯人君? ただ、ひとくん……?」
「返事がない。ただの人のようだ」
「唯人殿だけにですか? 上手くありません」
「……私もそうだけど、あんたもたいがい空気読めてないわよね?」
「さて、どうでしょう? それはそうと運命殿? 唯人殿はただの日射病です。保健室へ連れて行きましょう」

 それが、本日の授業を終える会話となった。



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『2-3』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/05/04 18:16
 知識、体力のテストが終わり、また監査役気絶ということもあって今日は終わることになった。だが、だからといって王たちが自国に帰ることはない。彼女たちは今、王である前にこの学園の生徒なのだ。故にこの学校の寮に二人一部屋で寝泊まりすることになっている。

 その組み合わせも、日によってバラバラだ。今日は鞘呼と御盾。心と運命だが、明日は明日で別の者と相部屋になるようになっている。

 そんな相部屋の一室で、鞘子と御盾は睨みあっていた。魔力が抑えられている現状でなお、自身のイメージの色足る魔力の幻視を顕わにしていることで、二人の本気の程度が伺えるだろう。真剣な深紅と翠緑の瞳に遊びの色はなく、ともすれば瞬時に命の奪い合いさえ起こってしまいそうだ。

 そんな二人が共通して手にしているのは、カードである。それ自体から魔力が伺えないことから、普通のそれであろう札には決まったマークと数字が刻まれ、今、二人が持つ三枚のカードの内、二枚がマークは違うが数字は同じモノで、もう一枚は道化の絵が描かれているモノだ。

 俗に、一般的に、普通に言うところのトランプである。

 そして行われているのが俗に、一般的に、普通に言うところのババ抜きだった。

 自身の手札を見て、御盾は思考する。

(鞘呼殿の見舞いのカードの内、一枚がジョーカー。ここで引いておかなければ……)

 ちなみにこの思考はもう十数回繰り返したモノであり、それは鞘呼も同様だ。最後の三枚となり二人は延々とジョーカーの引き合いを繰り返しているのである。ある意味反対に位置する剣王と盾王らしいと言えばらしいのだが。

 そんな緊張感溢れる空間に、コンコンとノックの音が響いた。二人は「ふぅ」と息を吐きあい、カードを放る。

「休み時間に疲れても仕方ないし、終わりにする?」
「賛成です。が、先ほど貴女が捨てた手札から察するに今私が引こうとしていたカードは上がりのそれでした」
「あん? なに? 負け惜しみ?」
「負けていません。負けるのは貴女だったというだけです」
「……」
「……」

 睨みあう二人の耳に、もう一度ノックの音が響く。ため息ひとつ、御盾が「どうぞ」と告げた。

 ドアから顔を出したのは、心。見透かしたようないつもの笑みを浮かべる彼女に警戒心をあらわにする二人。

「疑心の灰色。そんなに警戒しないでくださいよ、鞘呼さん、御盾さん」
「ふん、あんたが言えたこと? それ?」
「別段それは私一人に言えることでもないでしょう? 剣王鞘呼さんに盾王御盾さん。何といっても私たちは『王』なのですから」
「……」
「……」

 沈黙は、納得してなお受け入れがたい現実故か。

 室内に重い沈黙が下りる。どこか自虐的なそれは鞘呼の笑みに反映され、「まったくね」と彼女は呟いた。盾王も声に出さないだけで同じような雰囲気を醸し出している。

「それで、要件は何ですか、心殿。規則で言えば今は就寝の時間です。その上運命殿が見当たらないとなると、貴女は単独で行動していることになるのですが」
「えぇ、見たとおりその通りですよ。そして問題はそこに帰結します」
「……分かりにくい言い方ね。はっきりしなさいよ」
「ぷぷ。さすがテスト36点のアンダーキング。テラワロス」
「オーケイ。つまり戦争しに来たのね表に出なさいひっきーが!」

 紅い魔力をその身に纏い戦意を顕わにする鞘呼。今にも斬り殺しそうなそんな彼女にそれでも笑みを絶やさない心もさすがと言えるが、この場合は火に油を注ぐようなモノだ。

 あるいはここに運命がいれば、と御盾は考える。運命ならこの状況でさえ微笑んで止めてしまうだろう。まるで当たり前のように、自然に、王たちの冗談にならない『戯れ』さえ、彼女は『普通の女の子』のケンカ程度に変えてしまうのだ。そんなよくわからない『何か』が、運命にはある。

「はぁ。お二人とも、ケンカは止めてください。それよりも今は、何故この場に運命殿がいないかを糺すほうが先決です」

 御盾の正論に、舌打ち一つ鞘呼が怒気を治めた。

 心が、ニヤリと微笑む。それは微笑みであるのだが、まるで悪だくみをする悪役のような表情で、鞘子と御盾はいやな予感しかしなかった。

「実はですね、先ほど運命さんが『ちょっと用事が』と言って部屋を出て行ったのです」
「? トイレじゃないの?」
「私も一瞬そう思っていたのですが、部屋を出る直前に見えた運命さんの頬が少し赤みを帯びていましてね。気になって付けてみたところ――」
「いや、付けてはダメでしょう」

 口を挟む御盾。心は気にしないようだ。

「何と、唯人さんの部屋に行き着いた次第でありまして」
「――よし、見に行くわよ!」
「えぇ!? 鞘呼殿!?」

 何故かひどく輝いた笑顔で立ち上がった鞘子に御盾が目を見開くが、心にとっては予想できた反応だったようだ。ニヤリと笑みを深くし、彼女は笑う。

「さすが鞘子さん! 私の思った通りの反応です! テラワロス」
「うん、とりあえずそのテラワロスはウザいからやめなさい。で、場所は?」
「こっちです」

 そう言って部屋を出ようとする二人を、止めるのはもちろん御盾だ。

「ま、待ってください! 貴女方は何をやろうとしているのですか!?」
「……」
「……」

 鞘呼と心は顔を見合わせて、

「「覗き」」

 自信満々の笑顔でそう言った。それはあまりにも眩しいほど清々しい笑顔で、なんでこんな時だけこの二人は仲良しなのだろうと御盾は頭を抱えてしまう。

「何よその反応? ダメだって言ってるみたいじゃない」
「良いと言うとでも思ったのですか!?」
「むしろ乗り気になるかと私は思っていましたが!」
「ご期待ありがとうございます! でも全く以て嬉しくありません! そして断固阻止します貴女方の醜態を!」
「だが、断る」
「それは、無理」

 前者を鞘呼、後者を心が。御盾はそんな全く以て悪気の欠片もない二人に大きなため息を吐く。

 それは正しい反応のはずなのだが、何故か二人にはため息を返された。

「じゃ、あんたは行かないのね?」
「当然です。人さまの、その、逢瀬を邪魔するのはその……」
「いいんですか? 後悔しませんか?」
「こ、後悔など誰が……」
「今日は今日しかないのよ? 明日、同じイベントが発生するなんて甘い考えじゃこの先生きていけないわよ?」
「~~」
「さあ」
「さあ」
「「どうする?」」
「~~! い、行きません――!」

 そして三人は唯人の部屋の前に辿り着くのだった。

 ドアの前で聞き耳を立てる鞘呼と心を見ながら御盾は頭を抱える。なぜ自身がここにいるのか、分からないわけではないが認めたくはなかった。認めてしまえば彼女の何か大切なモノが壊れてしまいそうだったからだ。

 とはいえである。身体の内から湧き上がる好奇心を抑えることが出来ず、御盾もまた、二人に習うようにドアに耳を当て――

「く、くすぐったいですよ、運命さん」
「ふふ、敏感さんなんだね、唯人君」
「「「……」」」

 全員、言葉を失った。三人の反応は、あるいは彼女らの思考を考えれば当然と言えるだろう。十六と言う子供以上大人未満の思考を持つ彼女たちは当然それ相応のイメージを思い浮かべここに来たのだが、その想像は三人が三人とも今の状況とは逆の発想をしていたのだから。

「さ――運命が攻め、だと……!?」
「あわわわわ! さすがの私のこれは予想外です!」
「拝啓、天国の姉さん。たった今地上はカオスと化しました……」

 三者三様に取り乱す。が、ドアに当てた耳は三人とも外さない。

「いえ、別に敏感では――あぅ」
「えへへ、知ってるんだよ? 唯人君、ここ触られるの苦手だもんね?」
「「「……」」」

 もう、我慢の限界だった。

 三人は顔を見合わせ、同時に頷く。血の争いなど無縁というような息の合いようが示す行動は――ドアを少し開けることだった。

 キィ、と本当に小さな音を鳴らしてドアが開く。一センチも空いていないだろうスペースはしかし王足る者の視力によれば十全の広さだ。魔力の枷がある中でなおその自身のイメージを顕わした色の瞳に魔力を送り中を確かめる三対の瞳に映るのは――

「ですから、そんな風に髪を扱わないでください、運命さん」
「えぇ~。だって唯人君の髪、すっごく気持ちいいんだもん」
「「「ですよねぇぇぇぇ!!」」」

 思わず口調を揃えて叫んでしまう三人。「ふえっ!?」と運命が目を見開き、唯人は呆れたように苦笑する。

「えーと、はい、まぁ概ねのところ予想はつくのですが、三人とも、何をなされているのですか?」

 特に怒ってはいないのだろう。険のない声にけれど王たちは若干ばつが悪そうに眼を反らし、

「心が覗こうとか言うからさ」
「御盾さんが興味津々だったモノで」
「鞘呼殿を止めるためつい」

 責任のなすり付け合いを始めた。

 三人は一瞬で睨みあってしまう。が、それも唯人の視線に気付くまでだ。

 それは、静かな目。決して怒っているのではなく、ただ純粋に静かで、故に重い圧力。言葉で何か言われたほうがまだマシだろうと思えるその視線に、三人は素直に謝るのだった。

「で、それはそうと運命、あんた何してんの?」
「髪切ってあげてるんだよー」

 鋏をかざすように前に出す運命。「髪?」と目を丸くする鞘呼が唯人のほうに目を向ければ、彼は椅子に座って微笑んでいた。肩から下をビニールのエプロンで覆っているのは切った髪を片し易くするためだろう。

「うん? でも、あんた別に切る必要ないいんじゃないの? まあ男にしては長いほうだけど、見苦しいって程じゃないし」
「いえ、それも今日までです。明日になったら床についてしまいますからね」
「床に?」
「……一つ、お伺いしてもよろしいですか? 唯人殿」

 そう口を開いた御盾の視線は、先の冗談の空気を子細も感じさせないほど鋭い。それは、彼女がその事実に気付いているからなのか。御盾の隣りにいる心もまた、似たような表情で唯人を見ていた。

「あなたの髪は――伸びているのですか?」

 意図を見極めにくい質問。鞘子は気付かない。彼女にとって、唯人の髪型はロングが基本なのだ。初めて会った日と、今の彼の髪は、鞘呼の記憶と合致している。だが、それは彼女だけだ。御盾も、心も、彼のそんな髪を知らない。御盾が知っている彼の髪はリボンで纏めるほど長くなかった。心の知る彼の髪は、肩に一房かかる程度の長さしかなかった。そして二人がそれを見たのは、一週間程度前でしかない。

 髪が伸びるには――速すぎる時間だ。

 唯人は、特に途絶えることなく淡々と答えた。

「えぇ、伸びています。三日に一度切らないと、床についてしまう程度の速さで」
「……それってまさか……!」

 鞘呼も、二人の王が発する緊張感を察したようだ。驚いたように目を見開き、唯人を見る。深紅の瞳が映すのは、いつものように微笑む彼と、そんな彼の隣りで悲しそうに目を伏せる運命。

 ひどく悲しそうな運命の顔に、王たちの心は何故か軋んで、

「自分は――人の数倍の速さで、生きていますから」

 告げられて言葉の重みを、王足る彼女らは皆、知っていた。



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『2-4』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/05/03 22:09
「自分は――人の数倍の速さで、生きていますから」

 告げられて言葉の重みを、王足る彼女らは皆、知っていた。

 この場の全員が、理解している。目の前の青年の『最速』足る所以を。単純な『速さ』では辿りつけない頂に彼が、王でもないその身が立てるその理由を。

 知っているからこそ――分かってしまう。

 唯人が、言う。常と同じように微笑む彼の表情は青年と呼ぶに相応しい落ち着いたモノだ。十六という未だ大人になりきれていない人間には恐らく出来ないだろう、年月を重ねたうえで浮かべられる微笑を、彼は至って『普通』に浮かべる。

「皆さんは存知あげられていると思いますが、自分の『速さ』は即ち速度とは異なります」

 その場の全員が、静かに唯人の声を聞いていた。王足る者たちがたった一人の青年の言葉を清聴する、それは王というモノを知るこの世界の人間ならば皆が破格の扱いであると気付くほど壮観な光景だ。それほどまでに、彼の言葉は重いと言える。

「自分の魔法は――時間操作。とはいえ好き勝手に逆行や未来予知が出来るような便利な力ではありませんがね」

「あはは」と苦笑するように笑い声が響く。笑ったのは、当人だけだった。

「最速は、そういう意味では少し意味を違えるかもしれませんね。速度上昇術でない、時間促進力。至る結果が同じでも、過程が違いますから、単純な速度を求める者からすれば邪道な在り方かもしれません」

 そこで、初めて、遮る声が放たれる。

「――唯人」
「なんです? 鞘呼さん」
「……説明の要点が違うわ。私たちは、そんなことを聞きたいんじゃない。あんたがどうなってるのか、それだけを知りたいの」
「あぁ、そうですか」

 事もなげに頷き、唯人は、

「まぁ、端的に言うと」

 淡々と、世間話をするように、

「人より少し、成長が速いだけですよ」

 告げた。

 聞くだけなら、なんてことのない言葉。

 だが、それが彼の『魔法』の宿命であるとするなら、それは重すぎる言葉だ。

 彼の、その身体が青年と呼ばれて然るべきことを考えるなら――

 成長が速いということはつまり――人よりも寿命が短いということなのだから。

 それは、王たちのそれよりもずっと重い『犠牲』だった。

 場に、重い沈黙が落ちる。誰もが言葉を出しあぐねているような、あるいは何を言っていいのか分からないというような空気。

 それを断ち切ったのは、シャキンと鳴らされた鋏の空切りだった。

「……皆、少し席外してもらっていい? まだ唯人君の髪、切り終わってないから」

 運命の言葉に、否を唱えられようはずなかった。

 彼女は唯人の後ろにいるから、彼は見えないはずだ。その、ひどく悲しそうな、今にも泣きそうな少女の顔が。

 ズキンと、鞘呼の頭に痛みが走る。
 ギュッと、御盾は痛む胸を抑える。
 スッと心は泣きそうな瞳を伏せる。

 運命の今の顔は、それほどまでに辛いモノだった。



 寮に設けられた二室の内の一室に、三人は戻っていた。室内に、言葉はない。誰が何を言っていいのか分からずただただ時間だけが過ぎて行っている。いくら『王』とはいえ彼女たちはまだ、十六という子供なのだ。

 鞘呼は剣王として戦っていた。だからこそ、命が簡単に散ることを知っている。
 御盾は姉が殺された。身近な人間の死を、彼女は知っている。
 心は多くの『心』を見てきた。その中で、死を間近に控えた者たちを見たこともある。

 それでも、王であっても、死というモノを知っていても――どうすればいいのか、彼女たちには分からない。

 それは、自らが認めた者の在り方が許容できないからか――

 運命のあの悲しい顔のせいなのか――

 コンコン、とドアがノックされる。誰かが「どうぞ」と答えた。入ってくるのは、当然運命だ。長い白髪を揺らし、それに反する赤くなってしまった泣きはらしの目。痛々しくて、王たちは直視できない。

「ごめんね、追い出すようなことして」
「……気にしてないわ」
「えぇ。あの時は運命殿の判断が正しかったと私も考えます」
「二人に同意です」

 それぞれの言葉に「うん」と頷いて、

「……一ヶ月くらい前、かな」

 語りだした。そのどこかはなぐんでいても透き通る彼女の声に皆は静かに耳を傾ける。

「唯人君がね、これで世界が平和になるって、そう言って私を撫でてくれたの」
「……どういう意味?」

 問う鞘呼に、運命は首を横へ振る。

「よく、分からない。でも、唯人君は絶対嘘を言わないから、私はそうなるんだって納得してたの。そうしたら唯人君、色々準備始めて、この学校だって、あの日から準備し始めたモノなの」

 要領を得ない言葉。皆が訝しむ中、「でもね」と運命は続けた。

「そんなのは関係なくて、私はただ、皆にお願いしたいの」

 運命が行ったのは、ひどく簡単で常識的で――けれど王ならまずやらないであろうこと。

 頭を、下げたのだ。

「お願い、皆。唯人君は全力で生きてるの。私たちよりも短い『生きていられる』時間を一生懸命使って、ここに私たちを集めたの。だから――」

 上げられた顔にあるその意思の強さを示す表情を、三人が見たことがあると同時に思ったのは果たして偶然なのか。

「私と、一緒に戦ってください」

 その願いに――けれど誰も、頷けなかった。

 何故かはわからない。ただ、三人の王たちは皆、どこか遠くの景色を見るような、そんな現実味のない痛みを心に受けていた。

 もう同じ間違いは犯さない――例えるなら、そんな言葉のような痛みを。

 そして、一日目が終わる。

 結果としては最悪の、一日目が。



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『2・リバース』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/05/04 17:57
 うん? なんだいキミ、その顔は。まるで私に気を使っているような表情じゃないか。よしてくれよ。
 そんなのは彼女が死んだ時だけで間に合っている。『仲間』の彼女が死んだ時だけで、ね。

 ならなぜそんな不機嫌な顔をしているんだって顔だね。
 いやいや、それはキミの勘違いさ。今の人生どころか今までの『記録者』しての私を思い返してみても一度も怒ったことがないというのが私の自慢なのだよ? そう、彼女が死んだ時でさえ怒らなかった私さ。
 そんな私がなぜ高々四十文字四十行を一ページと纏めるて十九ページほど出番がなかったくらいで不機嫌にならなければいけないのさ? まったく、憤慨してしまうよ。ドクターペッパーを取ってくれたまえ!

 ……ぷはぁ。うん、やはりこの炭酸飲料は素晴らしいね。今の私の気分をマイナスからプラスへ一気に持ち上げてくれたよ。
 コーラには出来ないことを事もなげにやってくれるとは、昔一代ブームを巻き起こした漫画のネタを使わせてもらえるならそこに痺れる憧れるぅ! と叫びたい衝動に駆られるね、うん。

 と、まあいつもの無駄口はこの程度しておこうか。
 この世界にもし読者と言う存在がいるのなら、ここらでまた私の伏線になっているようないないような意味深なセリフを期待しているだろうからね。そんなことはないって? おいおい寂しいこと言わないでくれよ。泣いちゃうだろう?

 さて、ようやくとはいえ彼の働きはさすがと言えるね。
 彼の王を一か所にまとめ上げることが出来るとは、概ね予想していたことではあっても現物を見ては圧巻の一言だよ。
 おっと、厳密には『現物』とは言えないのかもしれないけれどさ、そこはまあ棚上げしておいてくれ。
 あるいは伏線として記憶するのもありだよ。おっと、この一文で更に二つ伏線を張ってしまった。
 うんうん、これは由々しき事態だね。自業自得的な感があるものの、やはり伏線は匂わせる程度にしなくてはならない。
 ヒントの出し過ぎで先が読めてしまう推理小説ほど面白くないモノはないからね。ちなみにキミはサスペンスドラマの登場人物紹介の段階で犯人が断定できる口かな? ちなみに私は出来ないよ。私の専門は記録だからね。
 そういう意味では正王閣下はむしろ得意分野ではないかな? いや、彼女のそれはもう少し意味合いが違ってくるね。私程度の『悪役』の対極程度では彼女は役不足であろうし役者不足だ。

 話が逸れたが、それももうご愛敬の領域かな? いやさ、あるいはこんな他愛もなく益体もない私の独り言のほうが興味を持たれていたりするのかもしれないね。 まぁ私自身、一人称の小説でもなければ読書の際どうしても会話文に目がいき地の文をないがしろに斜め読みする癖があるから分からなくもない考えではあるし、もし読者と言う存在がこの世界にあるのなら私のこれを楽しみにしてもらえるというのは誇らしく甚だ嬉しいことではあるモノの、いや、それは物語としてはどうかな? とも思わないでもないんだよ。私は所詮一『悪役』の脇役でしかないのだから、本丸である王たちのストーリーのほうに注意を傾けてほしいモノでもあるしね。

 そんなわけでここは一つ私が率先して王たちのストーリにこんな裏側からとはいえ介入してみようじゃないか。
 ま、介入とはいえ裏から適当な言葉をテキトーに口にするだけなのではあるが、それでもやらないよりはやったほうがいいしね。
 それはキミも同意見だろう? キミのそれの場合は私の個人的な意見としてはやらないままのほうがいいのだけれどね。

 一日目、うん、一日目だ。王たちが初めて集ったこの日。
 私は最初から最後まで全てを知っているわけだが、うん、これは何とも感想の抱きづらい一日目だったね。
 いやいや、まぁ初日でいきなり分かり合えというのが難しいことなのだろうけど、現段階から一個人の観点で言わせてもらうなら彼女たちは一歩も前に進めていない。この一日めで分かったことは正王閣下の可愛さくらいさ。うん? いや、心王閣下の残念さもあるかもしれないね。

 そう、ここが重要なのだよ。

 この私を指し置いて十九ページも使いながら、彼女たちは一人としてまともに内心を吐露していない。
 うん、いや別にこの物語が全千ページもの大長編になるのならそれでもいいさ。だが、彼女らに残された時間はあまりない。
 そうだろう、キミ。キミの支度と仕込みが終わればすぐにでも出ていけるのだからね。まあだが、こうやって彼女らに分かりあうだけの時間を与えている。この事実もまた脅威のそれだ。
 そんな都合のいい展開が現実にあるとはね。さすがは恐れ多い正王閣下ということか。だから私は嫌いなのだよ、彼女が。いつか地獄を見せてあげたくなるほどにね。

 そんな訳で、次からは一人ひとりをピックアップする展開になるだろうと記録者足る私が当てにならない予想をしてみるよ。おっと、これも聞き様によっては伏線になってしまうのかな?

 そんな訳でまた彼女たちの物語をじっくり鑑賞させてもらうとするよ。どうせその時まで、私にやることなんてないからね。いや、もう私の役割は半ば終わっているとさえ言っていい。キミと違ってね。物語が始まる前から終わっているとは、うん、なんだか自分の存在意義に疑問を感じてしまうよ。存在意義なんて気にして時点でもう終わっているとも言えるけれどね。

 ならばこうやって独り言を淡々と散々に語るのもありと言えばありなのかな? うん、なんだかそんな気がしてきたし、そういうことにしておこう。

 では、今回はこの程度にしておこうかな。どんなことであってもペース配分が大事だからね。この物語も『起承転結』で言うところの『承』を終えたところであるし、まぁいい感じかな。

 それでは恒例のあのセリフに行こうか。ふむ、だが今回は少々以上に伏線を張り巡らせてしまった感があるからね。ここは一つ、この私の独言を纏めて、

 伏線一つ――って言ってみたり。



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『3-1』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/05/07 22:46
 夢を、見ていた。

 回想――第三者の視点で自分の物語を見ているかのような、現実味のない、けれど覚えのある光景だ。

 夢の中の舞台は、自国の王の間だった。玉座に座る、未だ健在だった父であり心王でもあるその人の隣りで、心は王女として隣に座っていた。周りには家臣が並び、厳かながらも誇りある雰囲気を全体に表している。

 そう――たった一人の女性を外して。

 その女性は、ひどく優れない顔色で心とは反対の心王の隣りに座っていた。心王の隣りは即ち王妃か王女の席だ。既に王女の位置を心が占めている以上、その女性は王妃ということであり、だが、あまりにも彼女にはその威厳がなかった。

 椅子に座りながら、顔を伏せ、誰とも目を合わせようとしない。心なし身体が震えてさえいる。

 夢を見ている心は、その弱々しい姿に小さくため息を吐いた。これが夢である以上、彼女の記憶である以上、この後夢の中の自身が何をするか分かってしまうからだ。

 夢の中の心が動く。まだ幼くも、この段階で心は既に心王としての力を制御していた。無論、初代のそれには遠く及ばないながらもその才気は歴代の王でも群を抜いており、この間にいる全員の心を読む程度は造作もなかった。

 そんな心はだが、それでも子供だったのだ。父も母も好きだった。大切な人に愛してもらえる――そんな風に当たり前に考えていた。だからこの時、夢の中の彼女は母が恐怖していることを知りながら、一体誰に恐怖しているのかまで、見ようとしなかった。

『お母様、大丈夫?』

 まだ、子供らしさしかない幼い声に、母は目を見開いた。

 その目が意味することを、まだ心は知らなかった。

『どうしたの? お母様』と心が無邪気に母に手を伸ばし――その手が、払われた。高い、ぱあんと弾けた音。何が起こったのだろうと、心は思った。何に母は怒っているのだろうと、心は思った。

 だからこそ、母の心の中を心は見て、

 ――怖い恐い怖い恐い怖い!
 ――その目で私を見るな!
 ――その呪われた目で、無遠慮な目で、汚らわしさしか映さない目で、
 ――私を見るな!

 心は知った。

 愛されないことを。

 自身が誰にも愛されていないことを。

 これからも、愛されることなんて絶対にないことを。

 一度知ってしまった『嫌悪』という感情。知ってしまえば、もう知らないふりは出来ない。

 心は父を見た。父も、心の才気に恐怖しその力を嫌悪していた。

 心は家臣たちを見た。皆が、母や父と同じ心をしていた。

 心は見えない自国の全ての民の心を探った。誰も、心を受け入れてはいなかった。

 心王としてしか見ず――心本人を見てくれては、いなかった。

 たった一人、祖母を除いて。

 唯一、愛するということを心に教えてくれた人は、もういない。

 心は、そして目覚めた。

「心ちゃん、心ちゃん!」

 大きな声。叫び声に近いそれは、けれどそれでもなお美しさを失わず、心の耳を刺激する。そんな少々荒めの目覚ましに心が目を開けると、すぐ近くに美しい顔があった。白い肌に、揃うような白い髪が揺れる。そこから覗く黒い瞳にはけれど、今は昨日のような無邪気さは伺えず、ただただ心配そうに憂いを帯びていた。

 そんな視線を受けるのはいつ以来だろう、とそんな風に思い、心は「おはようございます、運命さん」ととりあえずそんな涙目がひどく可愛い運命をギュッと抱きしめて置いた。

「ふぇっ、心ちゃん?」
「あぁ、癒されます。暖かいです。涙目キュートです。萌え萌えです。頭撫でたいくらいかわいい過ぎですが約束通りそれはしませんよでもその代わりギュッとしてもふ~んですもふもふもふ~!」
「こ、心ちゃーん!?」

 心のその所業は、叫び声を聞いて飛び込んできた剣王と盾王、二人の戦いの王の鉄拳制裁によって幕を落としたのだった。

「ですが、全く後悔も反省もしていません!」
「何よその、『どや?』って顔。かなりイラつくんだけど?」
「どやっ?」
「声に出さないでください心殿。有体に言えばウザいです」
「う、ウザいなんて言っちゃダメだよ御盾ちゃん。心ちゃんが傷ついちゃう――」
「いえ、むしろもっとなじってくださ――」
「せんせーい、ここに変態がいます!」

 そんな会話が交わされるのは学園の食堂でだった。四人は既に制服に着替えている。未だテーブルには何も並べられていないが、次期自身たちが頼んだ朝食が並べられるだろう。

 そんな空のテーブルから、心は隣に座る運命に目を向けた。いつものようにふわりと微笑みを浮かべている彼女がなぜ先ほど泣いていたのか。分かっていてもなお疑ってしまうのは、過去の傷のせいなのか否か、心には上手く理解できない。

「あの、運命さん」
「なに? 心ちゃん」

 曇りない、どこまでも自然な微笑みが向けられ、心はあえて運命の心を見ないように努める。見てしまえばまた、あの時と同じように悲しい想いをする気がした。

「先ほどは、何故泣いていたのですか?」
「さっきって、朝のこと?」
「えぇ。私を涙目で呼んでいましたよね?」
「うん。だって心ちゃん、うなされていたから……」

 そう言うと彼女は、その微笑みを心配のそれに変えて「大丈夫?」と不安そうに聞いてきた。あの時、夢の中の心と同じ顔で。

 そんな彼女に上手く言葉を返せず、心は何故か目を背けてしまう。

「えぇ、問題ないです」
「ホントに? ホントのホントに?」
「もちろんですよ運命さん。私が嘘をつくと思いますか?」
「え? 嘘しか言わないんじゃないの?」
「う~ん、今の鞘呼殿の発言に空気読んでくださいと指摘できない私がいます」
「お黙りやがってください矛盾コンビ!」
「剣と楯で矛盾ってことね上手くない!」
「辛口評価!?」
「そんなことないよ、心ちゃん! 私はすっごい面白いって思ったよ! えっと、てらわろす?」
「あぁ、そんな心づかいがむしろ痛いです……」

 そうやって、何時ものようにというにはまだ時間が足りないけれどくだらない生徒同士の会話に出来たことに心は内心でホッとする。

「さて、変態さんというのは誰のことですか?」

 そう言って会話に入ってきたのはスーツ姿の唯人だった。彼はスーツの上着を脱いだワイシャツにその上からエプロンといういで立ちで王たちの前に料理を並べていく。皆が各々頼んで言ったものだ。右からトーストにサラダ、コーンスープ。肉まん二つにウーロン茶。さんまの塩焼きに味噌汁ご飯。そしてカップ○ードル。

「「「いただきま――」」」

 鞘呼と御盾に合わせ、心もまた手を合わせたその時――ばたん、と大きくテーブルを叩く音が響いた。

「え?」と心は目を丸くする。鞘呼と御盾も同じだ。それほどまでに、それをやった人物は意外だった。

 そう、運命である。心の視線の先で彼女はテーブルを叩いた手が痛いのだろう。「う~」と若干痺れつつもキッと顔を上げる。涙目で可愛いなーと心は思ったが声には出さなかった。

「皆、これはどういうこと!?」

 そんな風に聞かれても心は何も言えない。視線を巡らせれば鞘呼も御盾も目を丸くしている。

「えっと、運命殿。もう少し的確に言ってもらわないと私たちにはわかりかねるのですが……」

 言葉に、返される行動は指先。運命が指差したそれは、自身のそれ以外の朝食だった。

「うん、昨日の晩御飯はまだ許せたの。夜くらい皆好きなモノ食べていいんじゃないかなーって。でもね!」

 キッと目じりを上げる運命。怒っているのだろうが、それは子供が大人ぶるような微笑ましさがあって、可愛いなと心は思った。

「可愛いな~」

 今度は言葉に出てしまった。だが、怒り心頭中の運命は気付かない。

「朝は、和食が基本なんだよ!?」

 言葉に、さすがの心も目を丸くして、

「「「は?」」」

 三人のシンクロ。その反応に、運命はますます怒ってしまう。

「朝食、それは一日の始まりで元気の源なの! それをパンとか肉まんとかカッ○ヌードルで済ませるなんて!」
「いや、別にトーストはいいでしょう? 洋食は基本お腹に残るモノだし」
「肉まんもぎりぎりセーフにしていただきたいです運命殿。昔、コンビニというモノがあった時代では冬の朝はこれが定番であったとも聞きますし」
「カップヌード○のどこがいけないのか全く分かりません」
「「いや、朝からそれはさすがにおかしい」」
「なん、だと……?」
「ともかくー!」

 ばんばんと子供の癇癪のようにテーブルを叩く運命。その度に手をしびらせるから、心はそれはやらないほうがいいんじゃないかと心配する。

 とはいえ、涙目の運命が可愛いのでその心配をそっと心の宝箱に収める彼女だが。

「朝は和食! これは決定事項だよ! 学級会議で決まりました!」
「あ、これ学級会議だったんだ?」
「まぁ、学級といっても私たちしかいませんからね」
「だが断る!」
「いや、ここでネタとかいいから心。でもさ運命。さすがに今日はいいんじゃない? 出た物残すってのも後味悪いしさ」
「それは大丈夫だよ」

 怒りを治め、いつもの微笑みを浮かべる運命が指差したのは、綺麗に平らげられた和食以外の朝食と、口元をナプキンで行儀よく拭く唯人の姿だった。

「ごちそうさまでした。そしてお粗末さまでした」
「会話に入ってこないと思ったら食べてたのかよコイツ!」
「しかも私たちの会話五分もありませんでしたよね? その間に食べきったというのですか?」
「ふん、それが何ですか。私も○ップヌードルでなら同じことが出来ます!」
「甘いですよ心さん。何故ならカップヌ○ドルは三分待たなければいけませんから」
「し、しまったー!」
「いや、それは意味が分からないわよ唯人に心!」
「そんな訳で代わりの朝食です。今度は仲良く食べてくださいね?」

 いつの間にか並べられた四人分のさんまの塩焼きに白米、味噌汁。皆は席に着き、今度こそ揃って

『いただきます』

 手を、合わせるのだった。



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『3-2』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/05/08 23:35
 学園での時間は、概ねのところが授業で埋められていた。『学園』という体をなす以上当然のことではあるが、こうやって普通にクラスメイトと授業を受けるということがなかった心は新鮮な気持ちを抱く。それは鞘呼と御盾も同じなのだろう。二人から感じる心の色は若干の違いがあるモノの穏やかさを表す山吹色だった。

 唯人が黒板に週刊少年誌に掲載されているマンガの善し悪しを詳しく書いていくのを見つつ、心は隣の運命へ目を向ける。思い出すのは、朝の出来事。心配そうに自身を見てくれた彼女は今、他の皆と同じように山吹色の心で授業を受けている。いや、運命の場合はいつも心がこの色なのだ。温かい、太陽の色。これが陰ったのは昨晩の時だけで、他はどんな時でも彼女は穏やかだった。

 心王という、どんな心をも見透かしてします心を前でなお、欠片も警戒しない。鞘呼も御盾も程度の度合いは違えど心を警戒し、向き合えば決していい顔をしないというのに、視線の先の彼女は常にいつもどおりなのだ。

 無垢と言えばそれは適した表現なのだろう。まるでその髪の色――正王のイメージ足る白のように純粋な運命はけれどそれを長所と言っていいのか、心には分からなかった。

 ただ分かるのは、運命といるとどこ安堵してしまう自身がいるということ。

 同時に、ひどく落ち着かない自身がいること。

 相反する二つの感情は、前者は間違いなく自身の気持ちであると言いきれるのに対して、後者はどこか自身の気持ちを誰かの視点で見ているようなそんな感覚だった。

 それが何なのか、心にはまだ分からない。いや、それはどこかとぼけてぼかした表現だ。分からないのではなく――分かりたくない。漠然と自然とそう思う心と別の自身がいることを、彼女は理解していた。

 いつしかじっと見ていたせいだろう。

「心ちゃん?」

 銀色の視線に気付き、運命が心のほうを向く。白髪がゆったりと揺れ、黒の瞳が純粋な疑問と共に心を映した。

「どうかしたの? 心ちゃん」
「いえいえ、運命さんが可愛いな~と思わず見惚れてしまって」
「それには心の底から同意ですが心さん、今は授業中です」

 ぽこり、と軽く頭を叩かれ心が声と衝撃のほうを見上げれば、週刊少年誌を丸めた唯人が微笑みを浮かべて立っている。

「おやおや唯人さん。暴力ですか出ると出ますか?」
「暴力ではありませんよ。愛の鞭です」
「告白ですか恥ずかしくなってしまうじゃないですか」
「無表情で言われても説得力ありませんよ?」
「た、唯人君……?」

 軽い掛け合いをしていたつもりが、思いの外重い声に、心は唯人と揃って声のほうを向き――愕然とした。

 そこに、涙目の運命がいたからだ。加えて言うなら今の彼女の表情は今朝のように茶化すには真に迫ったモノがあり、さすがの心も口が開かない。

 涙目を揺らしながら、運命が震える唇を動かせた。

「こ、告白って、心ちゃんのこと好きってこと……?」
「い、いやいやいや! 運命さん、これは私の冗句です! 決して私と唯人さんにそういった関係はなく無論そういった想いも芽吹くことはありません! そうですよね唯人さん!」
「もちろんです。自分が愛するのはこの世でただ一人ですからね」
「それって、誰……?」
「……言わせないでください」

 困ったように微笑む唯人だが、運命の不安は消えないようだ。心の目が映す今の彼女の心は不安の紫色だった。

 そんな運命に唯人は頬をかいて、そっとその手を白髪にうずめる。

 大切なモノを触るようにゆっくりと彼は彼女の頭を撫でて、

「自分がこんなことをするのは、貴女にだけです」
「唯人君……」
「……これはアレですかね? 私ダシにされました?」
「リア充爆発しろ」
「心殿、鞘呼殿、ブラックコーヒー飲みますか?」

 いつの間にかコーヒーを淹れていた御盾からブラックコーヒーをいただき口を付ける心。不思議と甘ったるかった。

 そんな外野に気を配ってではないだろうが、頭を撫でるのを終える唯人。運命はまだ物足りなさそうだったが、何も言わなかった。

「まぁそれはそれとしてです、心さん」
「はい?」
「授業中に喋っていたので、居残りです」

 ドスン、と音を立てて心の机に置かれたのは三十冊はあろう、単行本セットだった。

「これを明日の朝までに読んで、感想と意見、また作者が何を想い描いたのかを考察し原稿用紙100枚程度に纏めてください」

 心は、にこりと笑った。

「マジで?」

 唯人も、笑い返した。

「マジです」

 心は唯人の心を見た。色は白――潔癖、正直を意味するそれは、彼が冗談を言っていない証明であり、二日目にして心王は居残りをさせられる羽目になるのだった。



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『3-3』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/05/09 06:23
 夕暮れに染まる教室は。茜色を帯びてどこか幻想的な雰囲気を醸していた。放課後という、心にとって初めての空間。昼と同じ場所のはずだけれど、景色の色が変わり、温度が変わり、そして時間が変われば全く違った印象を中にいる者に与える。

 とはいえ今の心にそんな感傷を抱くことは出来なかった。自身の目の前にそびえ立つという表現が適する単行本の束。それらはもう読み始めて一時間となるが、未だ三分の二も余っている。心自身マンガを読むのが嫌いではないが強制されて読むということがここまでキツイモノとは思っていなかった。

 ちなみに今の教室に鞘呼と御盾はいない。

『じゃ、私は日課の稽古に行くから』

 そう言って早々に外へ出て行った鞘呼を追いかけるように御盾も出て行った。この学園の規則上常に二人以上で行動しなくてはならないから仕方ないと言えるのだが、少しばかり寂しさを、

「まぁ、別に覚えはしませんがね」

 単行本をまた一冊読み終わり、新たに心は読み始める。

 そんな中、心は自身に向かい合って座る運命を見た。二人以上でいることとはつまり、四人か二人という形態が必ず出来るということだ。故に彼女は心と共にいてくれている。いや、運命ならばそんな規則がなくとも一緒にいてくれるような気が心にはした。

「すみません運命さん。私に付き合っていただいて」
「ううん、気にしないで心ちゃん。私が好きでやってるんだもん」

 にこりといつものように優しい笑みを浮かべる彼女は、夕陽の色と混じり合い、常以上に幻想的な美しさをその身に表している。

 そんな無垢な笑顔が微笑ましくて、ついついからかってしまうのはある意味必然だろう。

「おやおや、好きとは積極的ですね運命さん。とてつもなくウェルカムですが!」
「え、えぇー!? あ、あのね、そういう意味じゃないの。その、友達としてって意味でね……」
「そ、そんな。私の純情を弄んだって言うんですか……!?」
「ち、違うよ! そうじゃなくて、その、あの……」

 困ったようにあたふたする運命は可愛かったが、別に困らせたいわけではない心である。

「冗談ですよ、運命さん。運命さんが好きなのは唯人さんですものね」
「……うん」

 恥ずかしそうに俯いて頷く運命。彼女の頬が赤くなっているのは夕陽に映えたせいではないだろう。

 会話が、止まる。だがそれは沈黙のような重いモノではなく、ただ単純に互いがするべきことを始めた結果だ。

 心はマンガを読み、運命がそれを待ってくれている。

 いつもの心なら、そんな優しさに疑心を感じてしまうのだが、不思議と運命にはその思考が浮かばなかった。無垢でありのままを体現した彼女の在り方のおかげだろう。だからこそ余計に気遣いすることなく読書に勤しめる。

 唯人が置いて行った本の内容は、主人公が心を読む目を手に入れて苦悩するといったモノだった。見えるが故の苦しみ、それが愛しい人にばれて拒絶され、けれど和解し真実の愛を知るといった、少年漫画らしいどこにでもあるような展開と流れ。途中で二人を邪魔する恋のライバルが現れるものの、二人の愛の前に見事に轟沈する。そして二人は永遠の愛を誓うのだった――以上が全巻を読んでのこの漫画の概要だった。

 読み終わり、心は「ふぅ」と小さく息を吐く。ライバルの見事なまでのやられっぷりにザマアと思いつつ、だがしかしこの主人公にいまいち感情移入できない。それが心の抱いたこの漫画に対する感想だった。

 主人公の在り方は、心に似ている。途中の描写でいろんな人に白い目で見られ、誰も信じられなくなるようになった部分など最も経験のあるところだ。それでもなお、心がこの主人公――いや、この漫画の在り方に納得できないのは最後は皆が主人公を信じて彼を受け入れる、そんな所だった。

 現実はそんなに甘くないと心は思う。いや、思うなどという不完全な言葉ではない。それは断言だ。誰も彼もがこの漫画のキャラクターたちのように心を見透かされてそれを良しと出来るような人格者ではない。否、もっと言えばそんな人間は滅多にいない。

 心は知っている。心を見る目を持つ者を、周りの人間がどんな目で見るのかを。

 恐怖、畏怖、忌避、侮蔑。そこにあるのは常に負感情だ。マンガのように美的な表現はまずない。いつだって人の心は、その心と同じように負を孕んでいる。

 それを悪だと、心は思わない。何千という心を見てきた彼女はその中に優しさや温もりが秘められていることを知っている。ただ、それが自身に向けられなかっただけのこと。

 そう、たった一人、祖母を除いて。

 そして、その祖母ももういない。

 故に、彼女はもう何年も自身に向かう優しさを知らなかった。思い出せなった。思い出すよりも先に、疑っていた。疑うよりも先に――諦めていた。

「……運命さん、聞いていいですか?」

 それは、自然に出てきた言葉。

 不思議そうに顔を上げた彼女は、けれどすぐに微笑んで頷いてくれる。優しい、無垢で、温かな――祖母にそっくりな微笑みで。

「うん。どうしたの?」
「――貴女は、恐くないのですか?」

 銀の瞳で運命を映し、心は尋ねた。久しぶりに本当の意味でまっすぐに、人を見て。

 心の瞳が、運命の心を映す。最初は色だ。疑問の藍色。言葉の意味が分からないのだろう。それは色からはっきりとした運命の心の声に変わり、心に伝わる。

「私の目が、です」
「心ちゃんの、目?」
「えぇ。知らないわけではないでしょう? 私の目は、人の心を映します。人の心を、覗けます。人の全てを、見透かします」

 その結果、誰も心を愛してくれなくなった。祖母を除いて。

「そんな目で見られて、見つめられて見透かされて、貴女は私が気持ち悪くならないのですか?」

 きっと運命はそんなことないと言うだろう。彼女はそんな優しい、それこそ先の漫画に登場するような稀有な人間だからだ。

 運命は「う~ん」と顎に指を当てて、

「ちょっとだけ、恥ずかしいかな」

 少しだけ心の予想とは違う言葉ではあるけれど、それは許容の範囲内だった。少なくとも嘘を言ってはいない。心の瞳がそれを映すのだから。

「でもね、気持ち悪くはないよ。だって」

 にこりと、いつもの微笑み。

「心ちゃんの目、すっごく綺麗だもん」

 その言葉は――昔どこかで聞いたことのあるモノだった。

「え……?」と思わず心は呟いてしまう。思い出すのは、目の前にある微笑みと同じ色の微笑み。それは昔どこかで見たことのあるモノで、同時に自身を唯一愛してくれた人と同じ色の微笑みだった。

「心ちゃんの銀色の目を見てると、いつも思うよ。綺麗だなって。だから、そんな綺麗な目を持ってる心ちゃんはきっと、心も綺麗なんだろうなって」
「……」

 どうしてだろう、と心は思う。それは、彼女の言葉はどこまでも予想できたものだった。優しい無垢な彼女ならきっとそう言ってくれる――そう思っていたはずなのに、澄んだ声が伝える響きはどこまでも嬉しくて、愛おしくて、狂おしくて――気付いた時には、心は泣いていた。

 頬を伝う涙は、母に拒絶された時の恐怖のそれでもなく、祖母を失った時の悲しさでもなく――ただただ、嬉しさから来るモノ。

「心ちゃん? どうして泣いてるの?」

 不安そうな声に、けれど心は何も言えず、俯いた。そんな彼女を包むように、運命が抱きしめてくれる。

 母がしてくれなかった、温かな抱擁。

 細い運命の腕は、けれど今はひどく強く頼もしく思えた。

「昔ね、泣いてるときに唯人君がこうやって慰めてくれたの。だから、私もこうするね」
「……」
「いや?」

 顔を上げられず、瞳も涙で覆われた心にはもう何も見えなくて――首を横に振るだけで精一杯だった。

 それから、どれほどの時間が過ぎただろう。

 涙が止まり、それでも顔を上げられない心は小さく呟いた。

「……私は、子供のころから才能に恵まれていました……」
「……うん」

 短い相槌は、ただ聞いてくれる証明。

 心は、続ける。

「心王として心を見透かし、どんな嘘も暴きました。どんな感情も、周知のもとに晒しました。それが私の役目だと、子供心に思ったからです」
「……」
「お父様も、お母様も、そうすれば喜んでくれると思っていました。心王として正しく在れば、愛されると思っていました。ですが――私に待っていたのは畏怖と恐怖と孤独だけでした」

 誰かの心を暴けば、それだけ誰かに忌避される。心王としての才気は高くても、子供だった心はそれを知らなかった。

「お父様も、お母様も、家臣も国民も、誰も私を信じてくれなくなりました。心王としてでしか受け入れてくれず、心王心という私個人を愛してくれる人は、祖母だけでした」

 それでもよかったのだ。心には、祖母だけが自身を愛してくれればそれでよかった。

「でも、その祖母ももういません。誰も私を見てくれません。心王としか受け入れてくれません。なら私は、心王心は、いる意味があるのですか? この目を私個人が持つ意味が、果たしてあるのですか……?」

 受け入れて、欲しかったのだ。
 認めて、欲しかったのだ。
 ただ――自分が自分でいられる場所が、心王心を受け入れてくれる存在が欲しかった。
 心が望んだのは、心王が望んだのは、そんなありふれたモノだけ。

「私は、私は……」

 もう、上手く言葉も出ない。

 ただただ泣くように呻く心の耳に、澄んだ声が響いた。

「心ちゃん」

 もう、当たり前のように読んでもらえるようになった名前。

 顔を上げれば、微笑む運命がそこにいてくれる。

「私の心、見てくれる?」
「……いいんですか?」
「うん」

 迷いない言葉。心はその銀の瞳で運命を見て――その心を知った。

 優しさ。

 温かさ。

 大切さ。

 そして、悲しさ。

 全てが、心に向けられていた。受け入れてくれる優しさも、包んでくれる温かさも、つないでくれる大切さも、心の悲しみを自身の悲しさとする、優しい悲しさも。

「私ね、思うよ」

 微笑みながら、一緒に泣いてくれる運命が言った。

「心ちゃんの目は、人の気持ちを分かることが出来る、優しい目だって」

「それはね」と彼女は続けた。

「心ちゃんにしか出来ないことだよ。心王様じゃない、心王心ちゃんにしか出来ないこと」
「……」
「だから心ちゃん、お願い。笑って。自分のことを嫌われ者だなんて、そんな風に思わないで。心ちゃんは人の痛みが分かる、優しい子なんだから」

 心は思う。これでは先のマンガのようだと。

 マンガの主人公のように、受け入れられて、泣いて。

 これからはこの言葉を胸に抱いて生きていようなどと、そんな風に思えて。

 現実はもっと厳しい。たとえ運命が受け入れてくれても、他の人間がそうなるとは限らない。現実はもっと醜悪で残酷なのだ。

 それでも、今は、今だけは――こんな物語のような展開も受け入れられた。

 たとえどんなに現実が最悪であろうとも――この瞳に映る運命の心はどこまでも真実なのだから。

「ありがとう、ございます。運命さん」

 こんな風に心の底から何も考えず言葉を紡げたのはいつ以来だろう、と心は思った。



 放課後よりもなお時間が過ぎた時。心は一人、唯人の部屋に来ていた。運命は鞘呼と御盾と一緒にいる。一人の心は一応規則違反になるのだが、今だけはこの言葉だけは一人で彼に伝えたかった。

「唯人さん」

 書類作業をしていたのだろう。彼は筆を止め、椅子ごと振り返る。昨日まであった長髪は今はもう肩までしかない。とはいえ朝の段階でかなり短くなっていたのだからこの成長速度は異常だろうが。

「あぁ、心さん。課題が終わったんですか?」

 微笑みと共に言う彼に、「いいえ」と心は首を振る。

「二つ、言いたいことが出来まして」
「ふむ、聞きましょう」
「一つは、この課題――期限を延ばしていただけませんか?」
「期限を?」

 疑問に目を丸くする唯人に「えぇ」と頷く心。

「少し真剣に、書いてみたいと思いまして」

 その言葉に察したのだろう。嬉しそうに「いいですよ」と彼は頷いた。

「それで、二つ目ですが」

 それから彼女がした行動は、驚くべきことだった。

 下げたのだ。頭を。心王足る彼女が一介の魔術師に向けて。

「ありがとうございます、唯人さん。あなたは約束を守ってくれました」
「それはいいんですが、心さん。心王として自分に頭を下げるのは少しまずくないですか?」
「えぇ。心王としては大問題です」

「ですが」と心は迷いなく微笑む。

「私は今、心王心という個人として頭を下げました。だから無問題です」
「……そうですか」

 一瞬不意を突かれたように目を丸くした彼は、次いでその顔に笑顔を浮かべる。

「なら、素直に受け取っておきますね」
「えぇ、子孫三代に渡って受け継いでください」
「それは無理です」
「そうですか」

 最後に軽口のような掛け合いになるのはご愛嬌というべきか。

 心は、彼に挨拶をして部屋を出ていく。そんな彼女を、唯人は嬉しそうに眺めていた。



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『3・リバース』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/05/11 20:59
 さてさて、ではここでお茶濁し的に昔話でもしようか。まぁ私の昔が果たして読者という名の第三者様が捉える『昔』に定義されるかは甚だ不安ではあるがね。

 とある世界に、人の心が読める人間がいたんだ。いや、アレを人間と呼んでいいのかいまいち自信が持てないがね。まぁそれは私を含めて同じか。アレも私も他の奴らも皆、軒並み離れて外れた力を持っていたという点に関して言えば同じだからね。とはいえ一個人的感想を抱かせてもらえるのなら私をあんな奴らと同じ部類に入れないでほしいのだが、それは今は置いておこうか。話しの脱線というネタにも大概飽きてきたところだしね。

 その彼女は自身がなぜそんな力を持って生まれてしまったのか分からなかった。欲しいと思って欲したわけでもないようだし、そもそも欲しいと思って手に入れられるそれでもない。魔法――オンリースキルというのは正にそういうモノだからね。

 彼女自身、別にその力に酔っていたわけではないようだ。私欲のために使うようなマネはしなかったし、何より人の心を見るという意味を彼女は正しく理解していた。だからこそ、あそこまで魔法を使いこなせていたと言えるかもしれないがね。

 人の心は、概ねのところで汚いといえる。私自身にその力がなく、故にこれは想像以上のモノではない一意見でしかないけれど、恐らくは真理の片鱗をかする程度はしているだろう。心に穢れと持たない人間などいない。それこそ『彼女』であってもね。

 さて、その彼女――うん、ここは分かりやすく名前を付けてみようか……そうだね、シンプル・イズ・ベストの精神でマインドとしておこう。ハートでもよかったんだけど、それだと若干うわぁと思ってしまったからね。ハートなんてまるで小学生向けの少女漫画の登場人物的ネーミングセンスだよ。

 マインドの力は他の奴らと同様大きなモノだった。そして大きな力は持ち主の意思に関わらず人を引き付ける。その点に関して言うなら私は幸運だったのだろうね。私の場合は人よりも世界に干渉するそれだと言えるから、マインドほど他者を引きつけはしなかったし、その例に漏れた少数派の人間も記憶を消すことで事なきを得ていた。

 おっと、この場面は私のような一『悪者』の話をするところではなかったね。とはいえこれから先はどちらかというと第三者でも概ね予想がついているであろうことだから端折っても問題ないだろうが、一応言葉にしておこうか。

 マインドの力にひかれた人たちが集まり連れ立ち結集し、そして出来たのが心理の国であり、その頂に立ったのが初代心王――つまりマインドだったということさ。

 彼女が十四の時のことだね。とはいえ当時の心理の国は他の二国同様指して大きなモノとは言い難かったが、それでも王がいて民がいて土地があればそれはもはや一つの国さ。だからこそ、私は彼女に同情するね。同族悲哀とでも言おうか、同じ立ち位置にいたからこそ、当時のマインドの辛さが少しは分かるつもりだよ。

 そう、彼女は絶大な魔力と無双の魔法を持ち、その上で精神も強かった。王足る器はもとから出来ていたと言えるね。だが、それでも彼女はまだ『少女』だったのだよ? 自身のために生きて然るべき年齢だ。それがその一身に――その一心に多くの民の期待を背負い生きることになった。それがどれほどの重さか、国民たちはきっと最後まで知らなかったのだろうね。そう思うと、ある意味においては彼らもまた『悪』と断じられてしかるべきだろう。私の私的意見で言わせてもらえば、無知こそが最悪だからね。

 そうやって国民のために生き、その辛さを誰にも見せず生きていた彼女はきっと、ひどく辛かったのだろう。誰にも理解されない苦しみ、辛さ。自身を慕う心が見えれば尚更さ。心優しかった彼女は故にこそどつぼに嵌り、向け出せなくなっていた。

 ――『彼女』に会うまで。

 ……あぁ、来ていたのかキミ。私としたことがキミの接近をここまで気付かないとはね。思いの外私が想定していた以上に根を詰めて話していたようだよ。いやいやらしくないね。恥ずかしさで湯気が出そうなほどさ。なんて無表情で言ってみたりね!

 そういえば現心王様は無事心の拠り所を見つけたみたいじゃないか。よかったね、キミも嬉しいだろう? たった一人誰にも理解してもらえない悲しみを背負った少女が救われる――一昔前に流行った小説のあおりのような謳い文句さ。おっと、キミは王道の話はあまり好きではなかったね。週刊少年誌でも悪役に感情移入する筋がね入りの変態だしね。

 ……ごめん、すみません、謝るからその無表情にゴミを見るような目はよしてくれ。目覚めちゃうじゃないか……あれ? これいつかやったようなやりとりだね。ともあれまぁ、ここでキミの意見でも聞かせてもらおうか。心王様と正王様の仲の進展について、キミはどう思う?

 ……はいはい、まぁ予想出来てはいたけどノーコメントか。それがキミらしいと言えばキミらしいが、たまには一仲間として声の一つでも聞きたいくらいだね。キミが『私』に向けて喋ったのは私の記憶によると一ヶ月くらい前が最後だよ? まったく寂しくなってしまうじゃないか。

 と、ではではキミの尻拭いもといお茶濁し的に私の感想を言っておこうか。

 うん、はっきり言って昔見た光景だよ。言葉の一つ一つから行動の節々に至ってまさしく正しく過去の再現だ。これ以上ないほどこれ以下にないほどにね。マインドの時と同じだよ。これも“運命”というやつなのかな?

 おっと、マインドとは誰だという顔だね。まぁキミが知らないのも無理はないか。いや、知識としては知っているだろうけれど、私が彼女をこう呼んでいるのは知らなかったはずだからね。

 初代心王様のことだよ。彼女もまた『彼女』に救われていた。いや、これは表現が過小に過ぎるね。まるでいつものキミの自己評価のように。謙遜も度が過ぎれば嫌味だし、もっと積極的に発言しておこう。他の二人も――三人の王が皆、彼女には救われていた。

 だからこそ――私は『彼女』が大嫌いさ。

 心の底から、ね。

 ……伏線、一つ。



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『4-1』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/05/14 21:42
 拝啓、空の上の姉さん。夏も半ばの今の時期、常々思うことですが外の空気はひどく暑いそうです。授業中も隣で『あちぃ』と頻りに唸っている鞘呼殿を見ているとなるほど剣王でさえ唸るのだこれは私の想像する以上に熱いのだろうということが理解できます。
 さて、空の上にいるであろう貴女はお元気でしょうか? こう言うと死後に元気もくそもないでしょ、と鞘呼殿に突っ込みを入れられそうですが、これは気持ちの問題ですね。たとえそんな中でも姉さんには元気であってほしいと私は思っています。
 とはいえそれも徒労な考えに終わるでしょう。常に太陽のように明るかった姉さんのことです。空の上でも生きていた時と同様あの明るい笑顔で駆けまわっているのだろうと思います。いえ、むしろ生の時の鬱憤を晴らすため今は亡き初代盾王に『お前の血は何色だぁぁ!』とよくわからないセリフを言いつつ挑んでいるかもしれませんね。そう思うとどうしても苦笑してしまいます。はは、死後でなお私を笑わせてくれる。やっぱり姉さんは私の最高の姉上です……えぇ、まぁここまでくれば聡かった姉さんのことです。常ならしない私のこんな長い思考に私の精神状態の異常を理解してくれているでしょう。
 はい、前置きはここまでにして本題に入らせてもらいます、姉さん。――朝起きていたら私に運命殿が抱きついているこの現状は何なのでしょうか!?


 学園の寮の一室は、もう一週間も寝起きをしているため例え二日に一度部屋が交互に変わろうと慣れて寝やすささえ覚えられる。

 昨晩も夏の暑さの中、御盾は特に気分を害することなく眠りに就いた。『暑いよぉ』という泣き言であってもなお澄んだ運命の声に苦笑した覚えさえある。

 そんな中、どうして御盾が先のようならしくもない思考に駆られたかと言えば――自身に抱きつくように眠る幼さの残る可愛らしい顔がすぐ近くにあったからだった。無論いつもの彼女なら、同室の運命が寝ぼけて自身のベッドに入ってきたのだろうと分かるのだが、盾王とはいえ彼女も人間だ。寝起きではそうそう上手く頭が回らず、その上幼少時から他者に触れることをほとんどされない過去のせいもありこういったすぐ近くに誰かがいるという事態に混乱してしまったのだ。

 どきどきとらしくもなく鼓動する心臓は煩いほどに御盾の耳を響かせる。そんな中に混じるのは「スー、スー」と規則正しい運命の寝息で、御盾は自身に落ち着けと囁きながら御盾の胸元を枕にして眠る運命の顔を見た。

 いつも通り、綺麗でありながらなお可愛いという表現が似合う少女の風貌。常の笑顔もまた可愛らしいが眠る今はいつも以上に無防備に運命の柔らかさを体現していた。

「……」

 少しずつ冷静になり、御盾はとりあえず運命を起こさないよう小さく身じろぎしつつ、空いている腕を動かす。その先にある指が向かう先は、白の中に薄い桜色が混じる運命の頬だ。少し押せば柔らかく抵抗するそんな肌に何故か心臓が再度高鳴る。

 あぁダメだ、と御盾は思った。これは人として間違った感情だとそう理解していながらも頬を突くことが止められず御盾はぷにぷにと柔らかい頬を突き続ける。

 そうやってどの程度時間が流れたのだろう。悦の状態から我に返った御盾は何故か胸のう内から来る背徳感に落ち込み、運命から離れようとその手で彼女に触れた。

 ――触れられないというのに。

 掴んだ運命の手は、温かくも冷たくもなかった。いや、この表現は間違っている。運命は変わらず温かいはずのなのだ。それを御盾が感じられないだけのこと。

 当然だった。何故なら御盾は――運命に触れているが、触れていない。今、確かに彼女の腕を掴んではいるモノの、それは御盾が盾王として身にまとう全身を覆う盾であって、御盾自身の手ではないのだ。

 掴んだ感触はある。

 それでも、体温を感じない。

 直に触れていない――直に触れられない。

 それが、御盾の盾王としての力の『犠牲』だった。

 姉が死んでから、御盾は、誰にも触れられていない。体温も感じなければ日の光を肌に感じることもなく――御盾は今日も何も触れないままの一日が始まる。そう思った。

 そんな思考に自虐的に笑い、不意に御盾は壁に掛けられた時計を見た。時刻はそろそろ起きなくては危ぶまれる時間だ。早急に運命を起こそうと本格的に彼女から離れようとして――

「運命さん、御盾さん、起こしに来ましたよー」

 間延びした声と共に拓かれるのは扉。開かれたそこから現れるのは声の持ち主である心と同室だった鞘呼だ。

 鞘呼がダルそうに寝癖の残る紅髪をかいて、

「まったく何やってんのよあんた、ら……?」

 声が終わりに連れて小さくなったのは、現状の二人を見たからに相違ない。

 御盾の視界では全体から見えず分かりにくかったのだが、第三者の心や鞘呼からすると今の二人の姿は同じベッドに寝合い互いを抱きしめあっているようにしか見えず――鞘呼は明後日の方向を遠い目で見た。

「あぁ、何やってんのじゃなくナニやってたのね……」
「う、上手いこと言っているつもりですか鞘呼殿! 誤解であり間違いです!」
「そう、それは一つの間違えでしょう。同性できゃっきゃうふふすることは今の世でも受け入れられない悲しい理。ですが私はそんな貴女方を全力で支持しますよ御盾さん! というか混ぜてください!」
「お黙りやがってください心殿! この場面で言うことはそれだけですか!?」
「百合展開キター!」
「もう嫌だこの人!」

 本気で泣きたくなった御盾だった。

 そんな騒ぎの中、ようやく目を覚ました運命は「ほへ?」と目をこする。

 目の前で広がる喜劇のようなやりとりは、一週間たてば見慣れたモノで、運命はにこりと微笑んだ。

 今日も楽しい一日が始まりそうだ、と。



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『4-2』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/05/19 23:15
 晴天の空は今日も変わらず大地を照らしていた。時が違えば喜ばれるであろう強い日の光が満たす今はもう昼だ。十二時になるかならないという時刻の今はそれこそ太陽が最も輝く時間で、それは鬱蒼と茂る森の中でも変わらなかった。

 とはいえ御盾にとって日光は特に自身に害するものではない。身に纏う盾という名の鎧がある限り、例え夏の今であろうと冬の最中であろうと御盾は外からの影響をほとんど受けないのだ。

 そう、外からの。

 故に今、彼女が汗まみれになっているのは概ね以上に内からの力が原因だった。

 必死に動く足。比例して少しでも早く走ろうとバランスを取るべく左右に動く手。総じて動かす全身は全力疾走の形を取っており、たとえ今が夏でなかろうと汗まみれになることが必至の状態だ。

 御盾は走りながら横に目を向ける。並走するように走ってる運命は御盾同様汗をかきながら走りつつもなお微笑みを絶やしていなかった。自力の体力が高いのだろう。魔力を使っていないとはいえ盾王足る御盾に付いていけているあたり流石は正王といったところだ。

 そんな彼女から視線を外し、御盾は更に後ろを見る。森の中であるがゆえに緑が多い背景の中に、青が乱れていた。

 青――そう、それは青だ。

 全身をゼリーのような流動体で包み、その中身を青で染める存在。御盾と運命を追走するたびにぷるんぷるんといっそ気持ちよさそうに動くその身体は走るというよりも跳躍を繰り返しているといった表現のほうがあっている。

 二人を追うモノ。それは俗に言うところのスライムだった。

 そう、古の時代ではゲームと呼ばれるモノにしかいなかった存在。とあるシリーズにおいてなら必ず序盤で登場する主人公よりもポピュラーな存在が、そこにはいた。

 百匹。

 比較的かつ一般的視点から見て可愛いと称されて然るべき彼らが百匹、連れ立って御盾と運命を追っているのだ。それはある意味一頭の獅子に追われる以上の恐怖だった。

 そう、言うなれば群に対する恐怖。一匹一匹なら和む光景が群になった瞬間恐怖を煽るそれだ。より正確に言えば気持ち悪い。

 走りながら御盾は、先まで一緒に走っていた唯人を思う。この群を見た瞬間「ここは任せて先に行けぇ!」とスライムの群に突進していった彼は一秒ももたず青に呑まれた。

 まぁあの人なら生きているでしょう、と御盾は思い、同時になぜ今こんな状態になっているのかと頭を悩ませた。

 始まりは、ホームルームだ。

 毎朝行われているそれで、唯人が言った。

「遠足に行きましょう」

 常の笑顔で言う彼の髪はもう何度目になるのか、後ろで纏められるほど長くなっていた。

「遠足、ですか?」

 怪訝そうな御盾に、唯人は頷く。

「えぇ。皆さんがここに集まってもう一週間です。それだけの時間が流れればそれなりに慣れが生じるモノ。もちろんそれは喜ばしいことですが、慣れが退屈になってしまうのは好ましくありません。ですからここで一つ、止まった水面に一石を投じる気持ちでいつもと違うことをするのもありかなと思いまして」
「別にそれはいーけどさ、唯人。どこに行くの?」
「『守竜の森』です」

 その答えに、御盾は目を見開いた。それは鞘呼と心も同じだろう。何しろそこは、四国の王が歴代を通して不干渉を貫いてきた場所だからだ。

 この世界において、人の王は四国の王足る彼女たちだ。だが、それは人の域であり他を統べるモノではない。

 無論凡俗なる下級の生物なら王たちを恐れ、人と同様に畏怖と畏敬を示すだろう。中堅どころも言葉を解せるモノなら彼女たちに敬意を表す。だが、上位種――今の時代にはもはや一体しかいないそれは、獣の王なのだ。

 四国の王と同等か、あるいはそれ以上に根本的に――強い。

 それが動けば世界のバランスが崩れる。歴代の王たちが暗黙のままに認める事実であり、それは盾王足る御盾も同じだった。

 故に不干渉。それを唯人は破ると言っているのだ。

「……本気なのですか?」
「もちろんです」
「遊びになりませんよ?」
「遊びではなく授業ですよ。遠足も立派な学業ですからね」

 唯人は引かない。「はあ」とため息をついて、御盾は他の三人に目を向けた。

「鞘呼殿は?」
「いいんじゃない? というよりむしろ乗り気ね! 一度話に聞く『ヤツ』とは戦ってみたかったし!」
「心殿は、いいのですか?」
「運命さんが行くなら行きます」

 心が何故かギュッと隣の運命を抱きしめていた。

「ふえ? どうして心ちゃん、私を抱きしめるの?」
「読者サービスです。百合展開がお好みの方もあるいはいるかもしれませんからね! だからこそこれは義務なのですいえいえ決して私が運命さんをもふもふしたいという欲望に忠実に従っているわけではなくこう大きな力が働いていると言いましょうかあぁいいにおいがします、はぁはぁ」
「こ、心ちゃーん!?」

 暴走した心に驚く運命。話しが進まないので御盾は殴って心を止めて置いた。

「……」
「返事がない。まるで心の様ね」
「まんまですね鞘呼殿。それはそうと運命殿、貴女はいいのですか? あそこは危険です。私は行ったことがありませんが、歴代の王たちがそれを示しています」

 正直に言えば、御盾はこの話に反対だった。これが自身と鞘呼、そして唯人だけならまだ肯定出来る。戦いに特化した御盾たちなら危険な状況下でも生き残れるからだ。

 だが、心と運命は違う。

 確かに二人は王だ。その魔法はもとより、単純に魔力からして強い。魔術の域で一戦士の魔法を凌駕出来るほどの力を持っている。

 しかしそれでも、戦いに向いてはいないと御盾は思った。心もそうだが、それ以上に運命がだ。

 一週間。それはきっと短い時間だろうが、触れ合うには十分な時間であり、互いに性格を大まかに把握するには十全な時だ。だからこそ、その程度とはいえ運命を見てきた御盾だからこそ、思う。

 運命は優しい。優しいが故に、戦えない。

 守るか守られるかなら真っ先に守られてしかる存在。それが御盾の運命に対する考えだった。

 心配な気持ちが表に出るのを自覚しながら運命の答えを待つ御盾。そんな彼女に返されたのは、嬉しそうな微笑みだった。

「ふふ、優しいんだね、御盾ちゃん」
「な――!?」

 言葉に必要以上に驚いてしまったのが、正に証拠だった。顔を赤くしてしまう御盾に、運命は微笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。

「心配してくれてるんだよね? ありがとう。でも、大丈夫だよ」

 その微笑みは心の底から言っているようで、御盾は眉を寄せる。

「なぜ、そう言い切れるのですか?」
「だって、唯人君が私に危険が及ぶようなことするわけないもん」

 信頼の言葉は、「それにね」という言葉と共に続く。

「御盾ちゃんも、守ってくれるでしょう?」
「……!」
「ね? だからきっと大丈夫だよ」

 朗らかな微笑みは欠片の疑心も抱いておらず――結果御盾は反論することなく唯人の提案を受けるのだった。

 そしてその結果が今の現状だった。

 守竜の森に入った御盾たちは唯人の指示で二組に分かれたのだ。鞘呼と心。御盾と運命、そして唯人の振り分けである。

 戦力的に妥当なそれは、ここにいるであろう目的の存在の居場所を探すためのモノだった。

 守竜――獣の王足るそれがどこにいるのか、正確には分かっていない。この森にいるのは確かなのだが、その中のどこにいるかまでは誰も知らないのだ。

 故の別行動。

 スライムを何とか振り切った御盾は汗をぬぐった。

「運命殿、大丈夫ですか?」
「うん、私は平気だよ!」
「そうですか、よかったです。ですが、唯人殿は無事でしょうか? スライムとはいえあれだけの数です。大事なければよいのですが……」

 基本的にスライムの魔力は子供のそれだ。その身体の性質上攻撃力も低いので御盾はそこまで心配していない。むしろ彼女が心配しているのは彼を心配するであろう運命のほうだ。

 だが、そんな御盾に対して運命はいつものように微笑んでいた。

「大丈夫だよ。だって唯人君だもん。スライムさんにだって負けないよ」
「……信頼しているのですね」
「うん! だって唯人君のことだもん」

 屈託ない笑顔は相も変わらず眩しい。

 そんな彼女に御盾は苦笑しつつ、「信頼か」と小さく呟いた。

 信頼――それは彼女にとって程遠いモノだった。御盾の盾王としての力は偉大だ。強大であり、防御においては無比の力を有する。故にこそ民たちには信頼されていた。盾王の盾は父足る前盾王と同様健在であると。

 だが、それは盾王としてのこと。

 御盾本人を信じてもらったことはほとんどない。そのほとんども、姉である無盾のそれだ。

「……」

 御盾は自身の頭に触れた。翠緑の髪が、指先に触れる。自身の温もりを感じ、だが、それ以外は感じられない。

 そこに、盾があるからだ。

 盾王を守る盾は相手を選ばない。どんなモノでも、それが自身以外なら弾いてしまう。

 そんな盾さえも壊して自身を撫でてくれた姉はもういなくて、御盾は空を見上げた。晴天の空は、強い日光を発し、けれどそれさえ御盾に届かない。

(……姉さん、私は……)

 言葉は、続かない。何を言えばいいのか、御盾自身分からなかった。

「御盾ちゃん?」

 沈黙した御盾を心配してくれたのだろう。いつもより少し不安そうな運命の声に御盾は「いえ」と小さく答えた。

「なんでもありませんよ運命殿。それより今は、アレが住む場所を探すとしましょう」
「……うん」

 運命はまだ何か言いたそうだったが、結局何も言わなかった。無意味に不安にさせたかもしれないと御盾は謝ろうとして、

「運命さーん!」

 叫び声と共に飛んできた心を運命が受け止めた。

「こ、心ちゃん!?」
「はい、貴女の心の友である心さんです! あぁ会いたかったですよ運命さん! この森に入って貴女と別れ、鞘呼さんとモンスターハントしながら過ごす時間。幼い顔に対してけしからん双丘を持つ運命さんに会えない時間はもはや拷問のそれでした! 鞘呼殿はぺったんですし」
「だ~れ~が~ぺったんよ~!」

 地獄から響いてきたような低い声は今まさに心が走ってきたほうからだった。

 驚く御盾がそちらを見れば、紅い魔力をその全身に纏わせ鬼の形相でゆらりと立つ鞘呼がいる。その手には剣王の千剣の一振りが握られており、はたから見れば危険人物のそれ以外には見えなかった。

「ひぃ!」と心は珍しく悲鳴を上げるが、御盾は見逃さない。恐がるふりをして運命の大きな胸に顔をうずめる幸せそうな彼女の顔を。

「さ、鞘呼さん。無事だったんですね?」
「あぁ無事よ。この通りぴんぴんしてるわ。スライムの大群に立ち向かわされること十回。翼竜の群れに襲われること五回。自爆する球型モンスターのゼロ距離攻撃を受けること三回。自分でもどうして生きてるのかな? って考えちゃうほどの死地を私は乗り越えてきたわ……」

 そのセリフは、聞いただけなら畏敬を以て清聴できる類のそれだろう。だが、今それを語る鞘呼を見れば畏敬よりも早く別の感情が浮かぶはずだ。

 畏怖――いや、純粋に恐怖だ。

 常にないほど無表情に、瞳から光を失って語る彼女は恐怖の象徴とさえ御盾には思えた。少なくとも身に纏う鎧が危険を感じ翠緑の光を発するほどに。

 だが、御盾以上に恐怖を感じているのは心だろうと御盾は思う。何しろ鞘呼の視線は寸分の違いもなく心に向いているのだから。

「心王心」
「は、はい!」
「あんたがこの森に入って私とバディを組んだ時のセリフを言ってみなさい」
「さ、サー! 安心してください鞘呼さん。私には攻撃力はありませんが心を読んで貴女をサポートすることができます――であります、サー!」
「えぇ、あんたは確かにそう言ったわ。で? そのあとあんたがしたのはどんなことだっかしら?」
「サー! モンスター相手に心を読むとか無理じゃね? という事態に気付き最初のエンカウントで『ここは任せて先に行きます!』と死亡フラグを鞘呼さんに立ててトンズラこきましたでありますさーせん」
「……弁護の余地もありませんね」

 もし事情があれば心を守ろうとしていた御盾だが、全く以て救えない話だった。

 嘆息する御盾を余所に、鞘呼は不意に優しく笑みを浮かべ、

「よし殺そう」
「す、ストップです鞘呼さん! 落ち着いてください素数を数えるんです! 1、2、3、4――」
「それは素数ではないですよ?」
「突っ込む暇があるなら助けてください御盾さん! 貴女の盾は何のためにあるのですか!?」
「少なくとも貴女を守るためであはりませんね」
「くっ、これだから人間ってやつぁ! でもそんな中にも人格者はいるはず! というわけで運命さん助けてください!」

 必死に縋りよってくる心にこの時ばかりは運命も「う~ん」と悩み、

「鞘呼ちゃん」
「何よ?」
「剣は危ないよ。心ちゃんが死んじゃう」
「あぁ流石運命さんです! 私を助けてくれる、そこに痺れる憧れ――」
「だから拳骨で許してあげて?」
「分かった」

 直後、ごんと地球が割れるような音が森に響き渡った。

「……」

 返事のない死体のようになった心を余所に、御盾たちはこの後に付いて話し合っていた。

「で、結局そっちも見つけてないわけね」
「では、鞘呼殿も?」
「まあね。この森結構深いから、『ヤツ』がいる場所を探すのは難しいかもしんないわね」
「そうですか。困りましたね」
「困ったわ」
「じゃあじゃあ、木の枝が倒れた方向に行ってみようよ」

 無垢な笑顔で言う運命の提案に苦笑交じりに鞘呼が首を振った。

「そんなんで見つかるわけ――」

 数分後、ダメもとで行われたそれは見事に功を奏した。

 復活した心を含め、四人が立っているのは如何にもな感じの祠だった。岩と岩が重なり合って出来た自然の祠。見た目だけでも怪しいそこからは王たちでさえ緊張するほどの並々ならない魔力を発している。

「見つかりましたね、鞘呼殿」
「見つかりましたね鞘呼さん」
「……見つかっちゃたわね運命さん」
「結果オーライだよ皆」

 何か納得いかない空気を発する三人に気付かない運命はにこにこと微笑んでいる。そんな笑顔を見ていると何か考えるのがバカバカしくなり、御盾は苦笑した。

「では、入りますか」
「賛成。さっさと行きましょう」
「皆さんいいですか? 武器は持ってるだけではいけません。きちんと装備してくださいね」
「心ちゃん、何の話?」

 いつものような掛け合いはむしろ緊張の表れか。

 四人は、祠に入っていく。

 そして――真実の断片を知った。



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『4-3』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/05/30 23:03
 祠の内部は思いの外明るかった。入口から差し込む太陽の色と異なる翠の光が照らす中は御盾が想像していた以上に広く、天井は高い。それが何を意味しているのか。歩みながら顎に指を添えて考えようとして――それが杞憂に終わった。

 考えるまでもなく、目の前に答えがあったからだ。

 祠の内部、岩石で固められた密閉空間にいたのは、一頭の竜だった。翡翠の色に輝く身体はその衣の鋭利さも相まって本物のエメラルドのように映え、エメラルドが覆う身体は眠るようにその長い身体を渦巻かせていた。

「これが、守竜……?」

 運命の呟きに、竜の眉間が動いた。次いで開くのは閉じられていた瞳。ゆっくりと重々しく、どこか目覚めたくなかったかのような鈍重な動きで目覚めるそれの翡翠の瞳を見た瞬間――御盾は、自身でも気付かないうちにその身に翠緑の鎧を纏っていた。

 同時に輝くのは、深紅と銀。己がイメージの色の甲冑を身に纏う鞘呼と心も、目の前のそれに警戒を顕わにする。

 四国の王の内、三人までもが自身の意に介さぬ形で甲冑を身に纏った事実。もしここに王たち以外の誰かしらがいたらその事実に驚愕の意を顕わしただろう。だが、御盾も鞘呼も心も、そんな考えは欠片も生まれなかった。

 分かってしまうのだ。頭ではなく身体ではなく、本能と心で。

 これは――危険な存在であると。

 だが、同時に御盾はどうしてだろうと思う。初めて見る、話に聞いていただけの翡翠の竜。それがどこか自身に似ていると感じたのは。

 ざわめくのは、心。盾王の“血”以上に自身の心が、竜の存在に釘付けになった。

 そんな御盾の視線の先で、守竜と伝えられるそれはその巨大な身体に比例した巨大な顎を大きく広げ、

『ふあぁ……ん』
「……」
「……」
「……」

 沈黙は、御盾と鞘呼と心のモノ。心底緊張した場面でいきなり空気を壊すかのような竜のその行為に上手い返しを返せないまま沈黙する三人を代弁するように、

「あ、欠伸……?」

 竜は気にした様子なく涙が浮かんだ目をその翡翠の尾でこすり――そこでようやく四人の姿を確認したように視線の焦点を王たちに当て、

『ふむ、奇怪なことだ』

 ひどく低い声は、人間の男性のそれだった。

「あ、話せるの?」
 
 言葉が通じるのを見て少し安心したのだろう。運命はいつもの微笑みを浮かべてペコリと頭を下げた。

「こんにちは、正王運命です」
『正王……あぁ、なるほどな。貴様らがここに来れたのは彼女のおかげか』

 一人、得心したように頷く竜の仕草はひどく人間臭い。まるで十数年も人と共に生きてきたようなそんな雰囲気さえある。

「何の話よ?」
『こちらの話だよ、剣王』
「――! 私を、知ってるのか?」
『ふむ。それは否だ。が、同時に肯でもある。私は貴様は知らぬが剣王は知っているし、見たこともある。故にその紅は見違えんよ。相も変わらぬ荒々しくも美しい深紅。初代に比べると少々見劣りするところがあるが、それでもなお感じる威圧感は王のそれだ』

 次いで翡翠が向くのは、心に向けて。

『銀もなお健在か……ふむ。だがしかし、貴様はもう「目覚めている」ようだな。いや、自覚したと、ここはそう表現しておくのが好ましいか。何はともあれ「彼女」の脚本通りではあるがな』
「お初にお目にかかります。獣の王殿」

 優雅に一礼する心。だがその瞳はまっすぐに銀の輝きを放ちながら守竜を見据えていた。

 だが、そんな心の視線を特に気にするでもなく、翡翠の竜はゆっくりとした動きで首を回し、その翡翠の瞳が翠緑の瞳と交り合った。

 同系統の色の、二つの瞳。

 交り合うそれらは、どこか似ているようで――けれどまったく違うモノのようでもあった。

 果たしてそれが何を意味するのか――王たちは知らない。

 知っているのは、いつだってそれを秘中の秘とするモノだけなのだから。

 故にこそ、竜が呟くような、些細とさえいえる小さな呟きは御盾には理解の及ばないモノでしかない。

『……久しいな。盾王……』
「? どういう意味です? 私はあなたとは初対面のはずですが」
『……』

 その沈黙は、刹那モノも。

 竜の表情は変わらない。その無骨な顔を微動だにせず、まっすぐに、見方が違えば真摯なまでに純粋に御盾を見て――ゆっくりと、顔を背けた。

 まるで表情を隠すように。

『さて、最後に正王殿。挨拶が遅れてすまないな。貴様の言う通り、私が守竜だ』
「やっぱりそうなんだ。大きいですね」
『あぁ――そう在らねばならなかったからな』

 その動きを見取れた者が、果たしてこの場にいたのか。

「――運命さん!」

 叫び声が、空気を切り裂く。比喩的なその表現に並んで物理的に空気を引き裂くのは――翡翠の一閃。

 音が遅れて聞こえるほどの速さを誇るそれは、尾だった。胴体同様翡翠の鱗で覆われたそれは元からして相当の強度を持つのが伺える。それに速さが伴えばそれはもはや必殺の一撃でしかなく――そして絶速の一撃でもあった。

 竜の、攻撃だ。

 目にもとまらぬという表現が適した程の速さに心が叫ぶだけとはいえ対応できたのは、竜が心を持つゆえである並みの獣ならそこまで理性的な思考を持たず心はその心が読めない。鞘呼とのタッグでそれを学んだ。だが、今眼前にいる竜は確かな思考をしていた。思考する――心を持つというなら、心にそれが見えない道理はない。

 そして、心の声があったからこそ動けた者がいた。

 どん、という衝撃音。空気を本当に震わせる程の質量同士の衝突。

 御盾の左手に輝く翠緑の盾が、翡翠の一撃を受け止めていた。重く、速いその必殺にして必中の一撃はなるほど並みの魔術師どころか高位のそれでも反応できなかっただろう。

 だが――ここにいるのは並みでもなければ高位程度に収まる人間ではない。

 盾王の盾――それはい鉄壁の盾であり完璧の防御だ。その翠緑の盾に止められない攻撃はこの世界になかった。

「――くっ!」

 重い衝撃に、御盾は思わず呻く。それほどの衝撃が、盾を伝い腕を襲った。幸い今後の戦闘に支障をきたさないだろうが、それもそう何度の我慢できるモノではないだろう。異種ながらも『王』を名乗るモノの一撃というわけだ。

「とはいえ――こちらには『最強』の矛がありますがね」

 どこか困ったようにさえ感じる苦笑に、

「それを言うなら剣よ、御盾」

 凛々しく返す声は、遥か高みから。

 声に反応して、竜が天井を仰いだ。自身が放つ翡翠の明かりで照らされたそこに映るシルエットはしかし、それ以上に紅を纏って――天井を蹴った。

 跳躍と落下。単純なまでに物理を利用したそれは先の竜の尾の一撃のそれと比してなお上回る速さの墜落。

 深紅に映える剣を帯びた彼女だ。それはもはや閃光だった。

 紅の、閃光。

「はあぁぁぁ!」

 掛け声とともに放たれるのは、上から薙ぎ払うかのような紅の一閃。剣王の千剣が一振りの一撃。この世界において唯一盾王の盾を傷つけられると言われるそれに、断てないモノはない――

「――!」

 はずだった。

 落下のエネルギーを無理矢理抑え込んで着地する鞘呼。御盾はその王足るモノのみが到達できる一閃に素直な感嘆を込めて言った。

「流石ですね、鞘呼殿」
「……」

 鞘子は答えない。てっきり「当然でしょ」という笑いが返ってくるものと思っていた御盾は彼女の視線を追って――その事実に、驚愕する。

 剣が、折れていた。

 真ん中から、いっそ綺麗と称せる程に。

 絶対の剣が折れたその事実に二人が目を見開く中、

『まあまあでは、ある』

 低い声は、剣と竜がぶつかりあった影響で生じた砂煙の中から。
 ゆっくりと動く影。時が置かれじりじりと見える竜の身体は翡翠の輝きを欠片も失わず、そこに顕在している。

『流石は剣王の千剣といったところか。これほど劣化してなお、私に衝撃を与えた。私の鎧を切り裂いて『触れる』程度のことは出来た。ふむ、だが――その程度だな』

 見下すかのような口ぶりは、真実見下しているのだろう。いや、竜を見ればどこか呆れてさえ見える。

「……鞘呼殿」
「分かってるわ」

 怒るだろうと思って御盾が鞘呼に言葉をかけようとして、鞘呼は大丈夫と伝えるように先の言葉を紡いだ。

「この程度のことで怒ったりしない。冷静さを失った者ほど先に死ぬ――御盾。あんたの姉が言った言葉よ」
「姉さんが、ですか……?」

 意外な人の名前に思わず疑問の声が出て、そんな御盾に鞘呼は「まぁね」とどこか嫌そうに頷いた。

「あいにくと、剣を折られたのは初めてじゃない。だからこの程度のことで冷静さを欠いたりしないわ――心!」

 運命の安全を優先して彼女を隅にやっていたのだろう。少々遠くにい運命と心の二人の内、銀が振り返る。

「先導、任せるわよ!」
「だがこと――」
「ネタはいい!」
「……前々から思っていたのですが、鞘呼さんって結構こっち系の知識豊富ですよね」
「必殺技を叫ぶのはデフォでしょ? て言って『アイギス・ブラスト・リバース!』って叫んできたどこぞの盾王の姉に色々教えられてきたのよ」
「何その人すっごい仲良くなれそうです!」
「姉さん……」

 姉の醜態に落ち込みつつも冗談を交わせるのなら鞘呼は冷静だろうと御盾は考え、彼女の隣りに並ぶ。

 深紅と翠緑。並び立つ両者の片手には壊れることなき鉄壁の盾と千剣が一振り。

 剣王と盾王。向かい合うことはあった。戦い殺し合うことが常だった二人の王が並び立つその光景はあまりに圧倒的で壮観だった。

「先祖たちが見たらどう思うか、少々考えさせられる光景ですね鞘呼殿」
「びっくり仰天してんじゃない? ま、もう天の上でしょうけどね」
『否――他はどうあれ、初代たちなら驚くまい』

 思いがけない挟まれた言葉に、御盾と鞘呼、心と運命が竜を見た。

 そんな彼女たちの反応に、竜は小さく嘆息し――その視線が、目の前にいる盾と剣から銀に庇われる白へと向いた。

 鋭い、今までで一番殺意を帯びた翡翠の瞳。

「……そういえば、最初もあなたは運命殿に攻撃しましたね」
「それに、その反応……あんた、運命に何か恨みでもあんの?」

 二人の言葉に、竜は吐き捨てるように答える。

『怨む、か。その程度で済む感情なら、それはそれで救いだったかもしれぬ』
「……? 心」
「えぇ、もう見ています。群青の色。それもひどく濃い、深い……恨みの色です」

 銀の瞳が映すのは、そこまでだった。

 竜の顔から、元より薄かった表情が消える。無骨な無表情で顔どころか雰囲気まで覆った竜は、ただ一言、まるで隠しきれない怨嗟のように呟いた。

『全て、貴様のせいだ――正王』

 そして、戦闘が再開される。



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『4-4』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/06/19 22:02
 ――盾王御盾は、才気に恵まれ人徳に恵まれた存在であった。生まれおちた時点で既に盾王の盾を纏い、姉にはそれに対成す力を持つ無盾を得て、姉妹の仲も十全以上に良好だった。御盾は無盾のことを誰よりも慕っていたし、無盾も御盾のことを自身の境遇から考えれば怨んでさえいいのに愛してくれていた。

 そう、御盾は生まれた時点で最硬の盾と最攻の矛を有していたのだ。

 だが――それでも彼女はどこまでも不完全だった。

 どこまでも完全に近い、けれど決して完成することのない存在。才気と人徳に恵まれ、けれどたった一つ、だが決定的に盾王が持っていなければならないモノを、御盾は持っていなかった。

 彼女がそれに気付いているか否かは別として――

 御盾自身の考えから言葉にするなら――盾王の盾を最硬から絶対防御へと昇華させる要因。

 つまり――反射だ。

 盾王の盾には、それがどんな攻撃であろうと跳ね返す力がある。それは例え剣王の千剣が九百九十九本すら例外ではない、王の中でも規格外な力だ。

 だが、御盾はそれを有していなかった。

 誰よりも、それこそ前盾王である父さえ幼少期の段階で盾王の技術で抜き去っていた御盾。だからこそ、彼女は思っていた。例え自身が反射を使えなくとも、自身が盾王として劣ることにはならない、と。

 事実、彼女は模擬の戦いとはいえ負けを知らなかった。体面上父と魔術をぶつけ合うことはしなかったし、無盾の場合はそんな姉妹の仲から戦うことをお互いが嫌がっていたため相手は王以外の――それでも並みの魔術師では決してたどり着けない域にいる、唯人並みの力を有する相手にもだ。

 だが、もしこの時彼女がもっと上を見ていたのなら、今の状況は変えられたのかもしれない。

 そう思いながら、御盾は迫りくる竜の尾を左手の盾で受け止めた。重い一撃は盾王の盾と言えど確実な衝撃を腕に伝え、それが御盾の次への反応を遅らせる。そこに間髪いれない竜の魔力砲。牙の淵から放たれる必殺の一撃を封じているのは、鞘呼だ。翡翠の塊を、今日九百六十本目の剣が切り裂く――が、同時に彼女の剣も折れた。

「ちっ!」

 舌打ち一つ、鞘呼は新たな剣を精製しようとして――竜の視線が彼女を射抜いていることに気付いた。翡翠――どこか御盾のそれを思わせる瞳が示すのは破壊の意思。殺意の形。

 長い首が一瞬縮み――反動のごとく伸び放たれる。向かう先はまごうことなく鞘呼であり、口から覗く翡翠の牙はあたかも剣王の剣のごとき鋭さを誇っていた。
噛まれるどころか触れるだけで壊されそうな圧力のそれに、

「ったく、私の力は守り向けじゃないのよ!」

 彼女は精製する剣を一振りから二振りへ変える。中途変更と短縮時間のせいで若干綻びが目立つそれはけれどさすが剣王の剣だ。決して変わることのない刃の質だけは有し、閉じ行く牙を上下から受け、持ち主を守っていた。

 だが――

「――!」

 鞘呼は声もなく歯噛みする。腕にかかる上下からの圧力。腕力の比ではない顎の力は人のそれからして圧倒的な差がある。それが獣のそれとなればなおのこと長くは持たない。

 徐々に狭まる牙と牙の距離。剣王を食いちぎらんとするそれに、鞘呼は魔力を開放する。

「――なめんなぁ!」

 深紅が輝き、剣が爆ぜた。身体強化で限界まで高めた腕の力は竜の顎を跳ね上げ、鞘呼を鋭利な刃から解放する。けれど、その代償は小さくなかった。

 限界まで強制的に引き上げた身体強化はその分だけ負荷を肉体にかける。無論、そこは剣王の鞘呼だ。かかる負荷も最低限であるし時間も一秒どころか刹那のそれに等しい硬直だ。

 だが、戦場において、そして相手が獣とはいえ『王』である時点で、致命的に過ぎた。

 竜が、腕を振り上げている。既に予備動作を終わらせているそれは必殺の一撃という形で宙に静止する鞘呼へ振り下ろされ――

 衝撃。

 だが、それは竜の一撃と鞘呼の身体ではない。

 翠緑の盾が、爪の光る一撃を防いでいた。

 時間にして一秒といったところか。足場がある地面ならいざ知らず、空中という不利でその時間を稼げたのは流石盾王の盾と言えて、その間を逃す剣王でもない。

 鞘呼が、空気と蹴る。強化された足による一歩は空気抵抗と言う形で彼女に即席の足場を作り、竜の腕を受け止めた御盾へと鞘呼を運んだ。

 そして二人は同時に着地。即座にその場を離れ――一拍後、そこへ魔力砲が放たれる。

「……厄介ですね」

 御盾の呟きに、鞘呼は苛立っているのだろう。不機嫌を隠さず吐き捨てる。

「はん、厄介程度で済んでる今は御の字よ。これじゃじり貧じゃない」

 言葉に、御盾は声にさえしないが肯定する。

 鞘呼の言う通りだった。先のやりとり、それは形は違えど概ねの流れを置いて御盾たちが竜と何度も交わし合った攻防だ。いや、防戦と言ったほうが適していると言える。あちらは確かに攻撃出来ているが、こちらは防ぐので手いっぱいなのだ。

 それがこのまま続けば――

「……心さん」
「えぇ。相手に疲れの色はありませんね。まぁ……薄黄色。仕留められない苛立ちはあるようですが」
「そうですか」

 頷くモノの、だからと言って御盾に策があるわけではない。

 例え相手が精神的に苛立ちを覚えていても、体力の差異はあまりに大きかった。

「……」

 御盾は自身の現状を鑑みる。体力はまだ余力があるモノの、このままいけば遠からず尽きるのは目に見えていた。魔力の残量も心許なく、そう長い時間は戦えない。

「鞘呼殿」
「……業腹で遺憾で認めたくなくて否定したいけど、こっちも似たようなもんよ。ったく、何よあいつ。剣王と盾王二人掛かりでやって引けを取らないどころか簡単に圧倒してくれる。自分の弱さが恥ずかしくなるわ」
「鞘呼さーん。私もいますよー?」
「心殿は、まだ持ちそうですね」
「見るだけ、というつもりもないけど私たちより負担が少ないからでしょ。まぁ、初めて会った時よりもなんかここ最近、あいつ変わったみたいだからそれもあるかも知れないけどね」
「変わった? 心殿がですか?」
「そ。上手く説明は出来ないんだけどね――と!」

 迫りくる尾の一撃をかわす鞘呼。御盾も続くように跳躍しながら思考する。

 竜の攻撃は一撃一撃が必殺のそれだ。現に今彼女がかわした横薙ぎの一閃さえかわしてなお風圧が頬を打つ。

 対し、こちら打つ手がない。

(反射が使えれば……!)

 ないものねだりとはいえ、御盾はそう思ってしまう。

 最硬以上に絶対の盾。盾王のそれは万物の攻撃を跳ね返す防御の絶対だ。それが使えれば今の状況さえ一変できる。

 どうして使えない、と御盾は思う。

 答えは出ない。

 その間にも、竜の攻撃は続いた。魔力砲が飛び、翡翠の爪が空を裂く。鞘呼が返すように剣を放つが防御に思考を裂いた剣王の剣線に常時の切れはなく、硬い翡翠の鎧には欠片の傷程度しかつけられていない。

(ですが)

 欠片の傷が付いているということは、鞘呼の攻撃が本気のそれになれば刃は通るということだ。

 だが、そこまでへ持っていけない。

 体格の差。剣王と竜のその差は明確に二人の攻撃範囲を画している。

 その差は、均衡した場ほど大きい。

 その差を埋めるには、賭けが必要だった。

 御盾は刹那、判断し、その答えを鞘呼へ伝える。

「鞘呼殿」
「うん?」
「……賭けに出る覚悟は、ありますか?」

 真剣な表情で問われる声に、返されるのは清々しいまでの笑み。

 深紅の髪の少女は、笑う。燃える炎のような、苛烈な笑みは、どこまでも不敵で御盾は鞘呼にひどく似合っていると思った。

「いいんじゃない? どうせこのままじゃ負ける。なら一%に賭けるのもありだし何より」

 迫りくる爪の一撃を力任せに鞘呼が弾いた。キン、と高い音は賭けに対する彼女の心の持ちようの清々しい。

「そういうの、私好みよ!」

 やれやれと、御盾は肩を竦める。

「自分で提案しておいてなんですが、私としてはもう少し安全な策を選びたいものです」
「馬鹿ね。戦いに安全なんてあるわけないでしょ? 命のやりとりは即ち賭け合いみたいなもんなんだから」
「そうですよ御盾さん――なんて、安全圏でサポートに徹する私が言ってみます!」
「うん、心。あんたは戦いが終わったら正座ね?」
「地雷踏んだお」
「はぁ。掛け合いはそこまでです。心さん、竜の隙が出来たら合図、頼みます」
「了解です」
「鞘呼殿はすぐに私の後ろへ。私が盾になります」
「ん。この世界一の盾に守られてるつもりで行かせてもらうわ」
「プレッシャーを与えないでください……」

 そして、また幾度かの攻防の後――心が告げた。

 ――今です!

 声ではない、精神に直接響く彼女の声。御盾と鞘呼にしか聞こえていないだろうそれに、御盾は即座に反応した。

 全身の鎧の硬度を下げ、その分を身体強化に裂く。ここから先は如何に早く鞘呼を一刀の範囲に入れるかが重要だ。自身の守りは左手の盾だけで十全と言うのが御盾の判断だった。

 鞘呼も即座に御盾の後ろに付き――翠緑と深紅が並ぶ。

 翡翠の竜の反応は遅い。そういうタイミングで仕掛けたのだ。だが、それでもなお尾による横薙ぎの一閃を放ったのは驚嘆と言える。

 けれど、苦し紛れの攻撃など盾王には利きはしない。

 横薙ぎの一閃を、御盾は左手の盾で防ぐ。重い振動。衝撃にけれど彼女は疾駆を止めることなく駆けた。そう何度も好機が巡ってくる道理はない。いや、竜の思考能力を考えれば学習するであろうアレに同じ手は通じないのだ。

(これで決めなくては!)

 心中で呟き、御盾は更に疾走する。尾の追撃はなく、魔力砲の気配もない。

 通る――と御盾は思った。

 このまま竜に近づけば、鞘呼の範囲に入れると、彼女は思った。

 そう、本来ならそうだったのだ。

 敵が――王でなければ。

 不意に、自身に落ちる影。

「え……?」と呆然と呟けば、上空に、竜がいた。

 その両翼を羽ばたかせ、空を浮く竜。それの顔には人間のような笑みが浮かべられて、その笑みは罠にかかった獲物を嘲るモノだった。

 そう、これは竜の罠だったのだ。

 心にワザと思考を読ませ、隙を作り、そこへ御盾たちが来るように仕向けた。

 それを理解しながら、けれど身体は反応してくれなくて――

 上空にいる竜の口から、魔力砲が放たれた。

 それは、暴力の塊。

 翡翠の色はどこまでも翠緑の守護の光に似ているのに、もたらす結果はどこまでも反対で――迫るそれを見ながら、御盾は思った。

(守らないと――)

 何を――そんな疑問が次いで出て、それを考えるよりも先に彼女は自身の左手の盾を鞘呼へ投げた。翠緑の魔力は既に組まれており、ただの一度の攻撃なら弾けるだろう。

 だが、それはつまり御盾を守るモノがなくなったという証明で――

 全身を襲う痛み。何かに煽られ覚える浮遊感。最後に感じたのは背中を襲う衝撃と、「御盾ちゃん!」泣くように叫ぶ、大事なことを教えてくれた、誰かの声。

 ――それはいつのことだっただろう。無盾が言っていたことを、御盾は思いだす。

「御盾。いつか本当に守りたいモノを見つけなさい」

 そう優しく微笑んで言う姉に、彼女は同じように微笑んで答えた。

「私は姉さんを守りたい」

 いつも自身を愛してくれる姉。大好きな彼女を守りたいという、それは御盾の本心だ。

 そんな答えにけれど無盾は困ったように苦笑する。

「う~ん、それはダメ」
「どうして?」
「上手く言葉に出来ないんだけどね」

「御盾」と無盾は真摯な瞳でこちらを見ていた。同じ翡翠の瞳は、けれどひどく美しいと御盾には思える。

 それはきっと、真に守るべき人を見つけられた者の目だろう。

 御盾に、まだないモノ。

「いつか、きっと見つけられる。あなただけが守りたいと思うモノ。守るべきだと感じる人。盾王が真に盾王足りえる時は、その人を見つけられた瞬間なの」
「……」
「わからない?」
「……うん」

 俯く御盾に、無盾は「そっか」と彼女の頭を撫でてくれた。

 優しい、大好きな手。

「いいよ、今は分からなくて。でも、それが分かった時はちゃんと覚悟しなさい。最後までその人を守るって」
「うん!」
「よし!」

 そう頷いた時の無盾の顔を見て、御盾は少しだけ思った。

 どうしてそんな寂しそうな顔をしているのだろう、と。

 ――記憶の回想。

 気を失っていたのだと御盾が理解し、瞳を開ける。

 全身が、痛かった。

 焼けるような、凍るような、痺れるような、終わるような、そんな痛み。

 今までずっと盾王の盾に守られてきた彼女が味わうそれは、思っていた以上に酷くて。

 立てなかった。

 もう、立ちたくなかった。

 瞳の先では、二つの背中が見える。小さなそれは運命のモノで、銀のそれは心のモノだろう。もっと先では深紅が何かを叫んでいた。

 ――逃げなさい。そう読みとれる唇の動き。見れば竜がその翡翠の尾でこちらに止めを刺そうとしていて。

 終わるんだ、と御盾は思った。

 死ぬんだ、と御盾は観念した。

 もう、瞳を開いているのも煩わしくて、彼女は翠緑を閉じる。

 結局、守る者も見つけられないまま――

 盾王御盾の人生は、終わった――少なくとも、本人はそう思っていた。

 けれど、幾許待っても死は訪れなくて――

 どうしてだろうと、御盾は瞳を開ける。そして――見開いた。

 何故なら、それはあり得ない光景だったから。

 運命が、翡翠の尾を受け止めていた。純白の魔力をその細い手に集めて、その優しい容姿を似合わないほど必死に固めて、竜の必殺に耐えている。

 心を見れば、彼女は運命の背中に手を添えていた。だが、その顔は険しい。恐らくは運命に魔力を分けつつ、白の少女の精神に感応し、魔力の調整を手伝っているのだろう。二人で守るよりも一人の力を上げたほうが効率がいいと、そう判断してのことだった。

 そんな小さな背中。

 自身の身体の何倍もの攻撃に対して、けれど決して引かない白の大きさ。

「どうして、ですか……?」

 知らず、聞いていた。

 どうしてそんなに耐えられるのだろう、と。

 どうしてそんなに、頑張れるのだろう、と。

 返ってくる答えは、

「だって、友達だもん」
「……友、逹……?」

「うん」と運命は頷く。その額に異常な汗をかきながら、けれど決して微笑みを絶やすことなく。

「友達を守りたいと思うのは、当たり前だよ」
「……!」

 守りたい――そう、運命は言った。

 御盾が思ったことのないことを、守護の盾王が本当の意味で望んだことがないことを、彼女は言った。

 何故なら御盾は、ずっと守ってもらってばかりだったから。

 盾王の盾に――

 無盾の心に――

 守ってもらってばかりだったから、守りたいと思ったことはなかった。

 そんなことをしなくても、盾王の盾も無盾も強かったから。

 でも、今はどうだろうと彼女は思う。

 自身の目の前で盾王を守る少女。彼女は強いのか――と。

 心の中に出てくるのは、肯定。

 けれど、その強さは御盾が知るモノではなくて――でも、何よりも強い気持ちだ。

 優しさと言う強さ。

 守りたい、と御盾は思った。初めて、誰かを守りたいと彼女は感じた。

 この少女を、優しくて温かな彼女を。

 守ってくれるでしょ――そう、純粋に言ってくれた運命を、守りたいと。

 痛む身体を、御盾は立たせる。

 全身の痛みは、和らぐことなく彼女を襲っていた。

 けれど御盾は止まらない。

 痛み程度に――負けはしない。

 守りたいと、初めて思った人がそこにいるから。

 そう思えば、知らずの内に笑みが零れていて――

 心の中に、力が湧く。

 あぁ、そうかと御盾は思った。

 盾王として足りないモノ。御盾はそれを、ずっと『反射』のことだと思っていた。

 けれど、違うのだ。

 盾王として本当に足りないモノは、もっとずっと単純で――

「そうか……」

 呟き、御盾はそっとその手を未だ運命が受け止める超重量の尾に添えた。刹那――弾かれるそれ。それも横に反らしたような半端なモノではない。

 正面に――真逆に。

 反射したのだ。完全な形で。

 心が、目を見開く。

 鞘呼が、瞠目する。

 竜が、利目する。

 けれど、運命だけは微笑んでいた。まるでそうなるのが分かっていたように。

「ありがとう、御盾ちゃん」

 そう微笑む彼女に、御盾は「いえ」と微笑み返す。

「遅くなりました」
「ううん。信じてたから」

 運命の表情はどこまでも優しく、温かい。

「御盾ちゃんなら、きっと私たちを守ってくれるって」

 その言葉が、ひどく嬉しくて――

 御盾は涙を流しながら微笑んだ。守りたいと思う人がいる。たったそれだけの事実が、どこまでも遥かに心地よい。

 そんな御盾たちに、竜の魔力砲が放たれる。

 それはけれど――同じ威力のまま反射された。

 翡翠が、砕ける。

 竜が、絶叫する。

「鞘呼さん」

 呼びかけに、

「遅いわよ、御盾」

 剣王は、笑みを浮かべて隣に並んだ。

 それは、絶対の防御と最攻の攻撃の並列。

 戦いは、もはや決していた。



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『4-5』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/06/21 21:38
 これが小説という名の物語であれば、ここからの展開はもはや流れ作業のようなモノだろう。盾王として本当の力を得た御盾に防げないモノはなく、鞘呼の剣は竜を倒せる必斬のそれだ。

 故にこの戦いはもう終わっていると言えた。過去の遺産足る週刊少年誌のような、苦難に晒されてなお諦めず進んだが故の力の覚醒。努力、友情、勝利を体現する――彼女たちがするのは後、それだけだった。

 そう、これが物語と言うフィクションであるのなら。

 けれど、これはどこまでも現実で――だからこそ、流れに沿わない者もいる。

 王たちが竜を倒して終わり。そんなお決まりの展開に、真っ向から否を唱える――邪魔にしかならない『悪役』が。

 それは、もはや直感のそれだった。

 鞘呼が――

 御盾が――

 心が――

 そして運命さえもが、反射的に反応してしまう。

 何かが来る。そしてそれは、今まで自身たちが知っているようなモノではないという事実を伴って。

 直感の後に起きたのは――轟音。

 爆発とさえ感じてしまう一撃は内側に向いていたせいで上手く視認出来ないモノの、感じる魔力でそれがどの程度の破壊力を秘めているのか御盾と鞘呼には分かった。

 そして視認できる被害は生じた砂煙と、それが治まった後に現れた、瓦礫の山。
岩石を主とするそれは、ここを祠と化していた物質たちであり、それが示すのは、強制的に開けられたこの戦いの場の門だった。

 そんな、その破壊だけでも十全に驚く事実はけれど、そこに現れた人物の衝撃に驚愕と言う感情は全て奪われてしまう。

 誰も、言葉を出せなかった。

 彼を見て、見据えて、目を奪われて、何も言えない。

 それほどまでに、そこにいた人物は圧倒的過ぎた。

 黒の黒衣。

 深いフード。

 治めてなお漏れでる黒の魔力。

 ――魔王が、そこにいた。

 あの宣誓を起こした片割であり、事実上、四国の前王たちを全て殺しきった最強にして最凶の存在。

 そんな彼が、一歩前に出る。

 たったそれだけ。だが、その一歩で鞘呼は剣を握りしめた。御盾は反射が出来ると分かりながらなお翠緑の魔力の密度を上げた。心は背で運命を庇い、銀色の瞳を彼へ向けた。

 戦う意思のような三人の行動にはけれど、決定的に足りないモノが一つ、共通してある。

 それは――表情。

 三人の顔には蒼白が張り付いていた。全てを切り裂く剣を構えて、全てを防ぐ盾を纏いて、全てを見透かす瞳を携え、それでもなお、恐怖が先行している。勝利を望めていないでいる。

 そんな王たちに、彼はフードの奥で見えない瞳を向け――逸らす。まるで眼中にないというような行為は常の鞘呼なら悪態の一つでも飛ばすだろう。それがないことが今の彼女の――いや、彼女たちの心中を表している。

 黒衣の彼が、歩く。一歩一歩、ゆっくりと。

 それだけで、場は彼に支配されていく。竜と王たちの戦いの場が、魔王の恐怖に染められていく。

 そうやって、何歩目だろう。

 彼が――消えた。

「え……?」

 疑問の声は鞘呼か、御盾か、心か、運命か。

 刹那、魔力によって彼を見つけた彼女たちは驚愕する。

 彼が――竜の前にいたからだ。

 彼がいた場所と、彼がいる場所。過去と現在の地点は鞘呼と御盾が挟まれている。そんな戦いに特化した二人に気付かせることなく彼は竜の前に躍り出て見せたのだ。

「空間、転移……?」

 自身で言って信じられないのだろう。半ば放言のような口調の鞘呼に、御盾は震える声で、

「断言は、出来かねますが……」

 そんな彼女たちの会話に彼は興味がないかのように振り返らず、じっと竜を見上げている。対する翡翠の竜はその目に幾許かの憂いを見せて、

『そうか。終わるのか』
「あぁ、終わりだ」

 まるでカセットテープを巻き戻したような声が、返された。

 瞬間、竜の身体が寸断される。まるで翡翠の鱗などなかったように、易々と、淡々と、飄々と、切り裂かれ、血が舞い、そして――終わった。

 あの、圧倒的と言っていいほどの強さを誇っていた竜が、終わった。

 呆気ないと言っていいほど、簡単に終わってしまった。

 彼が何かしたようには思えなかった。身動き一つ、初動の欠片さえ見えなかった。

 ただ――魔力だけが如実に証言している。彼がこれをやったのだと。

 そんな中、図ったように竜の首が御盾の足元に落ちてきた。翡翠に赤が交ったそれ。今まで戦っていたそれを見て――

 御盾は、

「あああああああぁっぁぁぁぁぁぁぁ!」

 絶叫した。

 頭が、沸騰する。

 恐怖で冷え切っていた理性が、刹那に溶け燃える。

 何故かはわからない。後は戦いを終え、皆で笑って変えるだけという規定未来を壊されたからかもしれない。こんな残酷な殺し方を優しい運命に見せたからかもしれない。目の前で勝利を奪われたからかもしれない。

 だけどそれ以上に――竜の死が、御盾の理性を焼き切っていた。

 彼女は魔力を放出する。翠緑が暴れ、場違いなほど周りを照らす。

 キッと睨みつけられた翠緑の瞳が向くのは――黒衣の男。御盾は刹那も間に練った魔力を身体強化へ当て、一歩で加速した。

 埋まる、彼と彼女の距離。

 御盾の手が、彼へ伸びる。固められた拳に纏う魔力は防御と言う名の硬度を誇る鉄のようなものだ。攻撃に使えばそれだけで凶器になる。

 そんな、魔力の乗った拳はけれど空振りに終わった。

「――!?」

 目を見開く御盾はけれどすぐに彼を魔力で探し――先まで自身がいた場所で彼を発見する。振り返った翠緑が映すのは、

「馬鹿馬鹿しい」

 巻き戻しのような声と共に竜の頭を踏み砕く男の姿だった。

「――!」

 声にならない怒りの叫びが、空気を響かせる。

 何故、御盾は自身が怒っているのか分からなかった。

 それでも、ただただ怒りが先行する。敵を殺せと、あの竜を殺した男を殺せと、姉を殺した彼を殺せと、加速の一歩を駆け――狙ったように倒された。

 御盾の足が地面を蹴り、再び地面に付く瞬間、刈るように、その軸足を蹴られたのだ。彼に。

 速度の乗っていた彼女は静止出来様なはずなく、無様に転げる。鎧の加護で傷はなかった。御盾はすぐに起き上がろうとして、背中を襲った衝撃に伏せを強制させられる。

 彼が、御盾を踏んでいた。防御の上から、見下すように。

 咄嗟に御盾は反射を使おうとするが、怒りの脳は高度な魔力操作を拒絶する。結果彼女は踏まれた体制のままけれど瞳だけは怒りを伝えるべく顔を反って彼へ向き
 ――すぐ近くに迫っていたフードの闇に眼を見開く。

 男が、彼女を踏んだまま身体を折って御盾を覗いていた。近すぎる距離。御盾の皮膚は嫌なほど男の魔力を当てられる。

 黒い、深い、闇のような、夜のような、絶望のような、冷たい魔力。

 フードの奥の顔は見えない。だけどその顔に御盾が思い浮かべたのは――冷たいまでの無表情だった。

 無感情で、無機質。

 巻き戻しの声が、響く。

「たかだかペットが一匹死んだだけだろう? それだけだと言うのに、何を怒っている? 盾王」
「……」

 御盾は言葉を返せない。先までの怒りは既に冷め、男の恐怖が彼女を支配していた。自身の背中には、目の前には盾王を簡単に殺すだけの力を持つ者がいる。そんな恐れが、盾王御盾を凍らせていた。

 無言をどう取ったのか、彼は「ふむ」と頷き、

「今日はあの竜を殺すだけのつもりだったのだが、さて、どうしたものかな」

 値踏みするように御盾を見て、鞘呼を見て、心を見て、けれど運命にだけは目をくれず、彼は考えるように一言。

 簡単に、それを口にした。

 大した重さもなく、

「ここで、全員死んでおくか?」

 咄嗟に反応したのは、鞘呼だった。

 鞘呼が剣と共に跳躍し、彼へ斬りつける。彼は避けようとはしなかった。だが、剣が彼に達することはない。

「な――!?」

 驚愕の声を放つのは、攻撃したはずの鞘呼だった。同時に彼女の身体が跳ね返されたように後ろへ飛ぶ。御盾は見ていた。今、鞘呼がなぜそうなったのかを。

 斬り付けたはずの鞘呼の剣が、男の額の前で跳ね返ったのだ。それはまるで――

「はん、しゃ……?」
「……」

 彼は答えず、未だ宙に浮く鞘呼を見て――消えた。

 だが、それは先のような何の動作のないモノではない。

 背中にかかった力は、彼の跳躍の結果だろう。身体強化で足を強化した跳躍。だが、速度が違う。加速が違う。

 それはもはや瞬間移動のそれで、それはもはや魔法のそれだった。

 そんな速さに驚愕したのだろう。鞘呼の反応が一拍遅れ、その鈍速に高速が迫る。彼がその速さのまま鞘呼の首を掴み、御盾のほうへ投げ捨てた。既に解放されていた御盾は即座に起き上がり迫る鞘呼を受け止め――悪寒が、走った。

 ここにいてはいけない。そんな漠然とした死の気配。

 考えるよりも早く動いた身体。瞬間二人がいた場所が『壊れた』

 そう、表現するしかなかった。空間に罅が入ったように、そこが壊れたのだ。

 それは、どんな魔術でもない。

 あの空間転移も。

 あの瞬間移動も。

 あの反射も。

 先の切断も。

 今の空間攻撃も。

 全てが魔法のそれで、だからこそ二人は信じられなかった。

「な、何なのよあいつ……!」
「魔法を、いくつも持っているというのですか……!?」

 信じられない。二人の声には多分にそんな感情が満ちている。

 魔法は一人に一つ。それはこの世界の規則であり、王にも適用されるモノだ。故の不文律はけれど、簡単に瓦解する。

 目の前の、魔王によって。

 ――鞘呼さん、御盾さん!

 驚愕と恐怖に染められかけた二人を呼ぶのは、心の声。精神に直接届くそれに、二人は耳を傾ける。

 ――私が精神攻撃を試みます。ですが勝率はないモノと考えてください。止められて数秒です。

 つまりはその隙に逃げる準備をしろと、そう心は言っているのだ。

 無言で二人は肯定の意を示し、それを見届けたからこそ心は銀の瞳で男を見て――

「――!」

 びくんと、心の身体が揺れる。

 彼女が魔法を使用した瞬間動いていた二人はその光景に今日何度目になるのか驚愕し、すぐに心へ駆けよった。

 御盾は「心ちゃん!」と叫ぶ運命を鞘呼に任せ、銀を抱き上げる。心の身体は痙攣していた。開けられた瞳は閉じることなく、恐怖の色を顕わにしている。

 果たして彼女の瞳が何を見たのか――考える御盾はけれど後ろの気配に目を向けざる得なかった。

 男が、無言で佇んでいる。

 発する魔力を衰えさせないまま、圧倒的な実力の差を見せつけて。

 御盾は鞘呼を見た。鞘子の顔は険しく、それが現状を物語っている。

 勝てない。それはもはや決められた事実だった。

 彼は今、やろうと思えば即座に行動できる優位に立っているのだ。

 だが、その彼は動かない。

 訝しむ御盾と鞘呼。だが、すぐに二人はそれが何故かを知る。

 濃密に練られた魔力が爆ぜたのは、次の瞬間だった。

 空間攻撃。それも先の比ではない。咄嗟に御盾が盾を翳したおかげで四人に直撃はしなかったが、祠は持たなかった。

 過程を介さないと行くように壊れていく空間。あと数秒あるかさえ疑わしい祠の内部は岩々が落ち、地面を刺して行く。

 祠の崩壊。もはや巻き込まれたあとだった。

 男の姿はもうない。空間転移だろう。消えた彼に残された彼女たち。これはもはや、死刑のようなモノだった。

 急げばまだ間に合う。そう、御盾と鞘呼だけなら何とかこの場から逃げられるのだ。だが、今ここには動けない心と、戦闘に向いていない運命がいる。『速度』に特化出来ない現状をもし彼が計算してのことだとしたら、もはやそれは笑いしか出ないことだった。

「どう、すれば……!」

 御盾が言った。

 その間にも祠は崩壊していき――タイムリミット。

 結局御盾と鞘呼は何の決断も出来ないまま、瓦礫が――四人へ降り注ぐ。



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『4-6』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/08/16 11:07
 それは、黒の閃光だった。

 翡翠の光が絶え、光源が弱くなった祠の内部。振動と降り注ぐ岩の雪崩の中でなおはっきりと視認できるそれは、けれど何かが違う。

 確かに速い――そう断言できる速度を出していながら、その黒はまるでぶれていないのだ。言うなれば動きだろう。他者から見れば速いそれは、本人からすれば大したものでもないというような、時間軸のズレ。主観と客観の相違。

 安定した速さと、それは称するべきなのかもしれない。

 黒の彼は、そんな速さで四人の元にたどり着き、にこりと微笑んだ。

「――」

 黒の閃光――唯人が何かを言う。だがそれを、四人は知覚できない。まるでビデオの早送りのような高い音が示すのは、人間が近くできる聴覚の認識速度を超えた音を出している証拠で、それはつまり彼が魔法を使っているということだ。

 だが、何故だろうと御盾は思う。こんな状況で、今にも瓦礫に押し潰されそうな状況でなぜ、こんなにも安心できてしまうのか。

 唯人の笑顔には、そんな力があった。

 彼が、四人を背負う。両肩に鞘呼と御盾、その背に気を失ったままの心を。そしてその両手には大切な宝物を扱うように運命が抱かれている。

「待遇の差に遺憾を覚えるわ……」

 愚痴るように言う鞘呼に「まあまあ」と御盾は背中の心をそっと支えつつ宥めた。「ふん」とそっぽを向く鞘呼だが、決して彼から降りようとはしない。恐らくは彼女も限界だったのだろう。あんな終わり方になったとはいえ、守竜と激戦を繰り広げたのだ。消耗は、あるいは反射に目覚めた御盾以上かもしれない。

 そんな二人を肩に背負いながら、唯人は走りだす。

 そして御盾は――はっきり言って驚いた。

 速い、とそれは最速の男と言う彼の異名から知っているつもりだった。それでも、彼の速度は違う。『速い』であり『速い』でない。

 まるで周りの時間が遅くなったようにさえ感じるそれは、もはや感嘆の域でさえある。

「すごい……」

 瞬く間に落ち行く岩の雪崩を抜けていく彼に声を上げれば、

「ね? 唯人君はすごいでしょ?」

 そんな、まるで自分のことを語るように誇らしげな運命の澄んだ声が聞こえて、御盾が彼女を見れば、その顔にはいつも以上に優しくて温かな彼女の微笑みがあって。

「……そうですね」

 頷く御盾は、不意に覚えた眠気に瞼が落ちてしまう。

 あの戦いの中、反射という新たな力を得て、その上で圧倒的な力に呑まれた彼女だ。そもそも今、意識を保っていられるほうが間違っている。

 だが、そんな冷静な分析は今の御盾の頭にはなくて――

 今、彼女が考えるのは――運命の優しい微笑み。温かなその笑顔は、張っていた御盾の心を優しく解きほぐしてくれて――

 御盾は眠る。安心して。

(だって、今ここには……)

 最攻の剣があり――
 看破の瞳があり――
 最速の時があり――
 何より――最愛の温かさがあるのだから。

 盾王の鎧以上に心強い初めての『味方』の頼もしさを肌で感じて――御盾は、眠った。



 夢を、見ていた。

 だけど、それを御盾は夢だと思えなかった。

 目の前に広がる光景。自身が住んでいた盾王の国の広大な庭の一角。綺麗なほどに整備が施されたそこは緑が生い茂り、爽やかな風が大地の草を揺らしている。

 そんな庭の片隅で、木々の影に身を寄せる人がいた。御盾もお気に入りの底にいるその人を見て、御盾は首を傾げる。

『私……?』

 いまいち声になったのか分からない、響きのない、けれど自身では確かに出したと感じるそれが疑問の形になっているのは、影に腰を下ろすその人が自身にひどく似ていたからだ。

 翠緑の髪と、翠緑の瞳。法衣のような翠緑の衣に身を包んだ彼女を見て、御盾は先の自身の言葉に否を唱えた。何故なら、その人は御盾などよりもひどく、美しかったから。

 御盾より五、六歳上といったところか。大人の落ち着いた雰囲気の彼女は表情に小さく表す微笑だけでもどこか世離れしたような美しさがあり、彼女の周りだけ違う空間のような錯覚さえ受けてしまう。

「く~」

 不意に、彼女の膝の上で声が鳴った。

 翠緑の法衣の上で身体を丸めるのは、一匹の竜だ。翡翠の鱗を纏った小竜。思い出すのは先まで戦っていた守竜で、けれど今、御盾の目の前にいるそれは比べてひどく幼い。

 小竜が、甘えるように女性に擦り寄った。翠緑の女性は優しい笑みを浮かべて、なでるという行為で竜に答える。竜は嬉しそうにもう一度鳴いて、彼女の膝の上で丸くなった。

 ほのぼのとしてしまう光景。けれど、御盾は笑えない。

 だって――彼女モノ前にはひどく悲しげな微笑みを浮かべる彼女がいるから。

「……ごめん、ね……」

 ぽつりと、呟かれた言葉。

 美しい声は、けれど涙に濡れていて。

 翡翠を撫でる手は優しげなのに、悲しげで――

「ごめん、ね……」

 彼女は何に謝っているのか。御盾には分からない。

「あなたには、きっと誰よりも辛いことを任せることになる……」

 小竜は気付く様子もなく、眠っていた。母親のもとで安心する子供のように。

「でも、これしかないの……」

 涙を流しながら、女性は言った。

「いつか、『彼女』の望む未来を導くためには……」

 ――初代盾王の声を御盾が聴けたのは、そこまでだった。



 夏の空気が暑いということを、御盾は知っていた。けれど、知っていると感じたことがあるは決してイコールには成りえない。知識と体験、一見は百聞に如かずという諺はなるほど古き時代からあるだけあって、夢から覚めた彼女は初めて感じる『暑い』と言うことに少々以上の驚きを強いられた。

 そっと目を開け、御盾は自身が感じる『熱』を知る。

 なるほど、と彼女は思った。この暑さなら鞘呼が愚痴るのも頷ける。それほどまでに空気は夏の色を体現していて、だけど御盾は、それを嫌だと感じなかった。

 そんな中、御盾は不意に自身の後頭部に夏以外の『温もり』がある事に気付く。温かで、柔らかいそれはどこか自身を撫でてくれた姉の手の感触に似ていて、けれどどこか違っているようでもあって。

「……?」

 首を傾げるついでに御盾は顔を上に反らした。そして、驚く。

「え……?」
「あ、御盾ちゃん。おはよう」

 疑問と驚きの声に返されるのは、優しい微笑みと、澄んだ声だった。

 白の髪を揺らし、御盾のすぐ上にいたのは運命。そんな彼女を見ながら御盾は徐々に目を覚まして――気付く。自身の後頭部に当たっている柔らかなモノの正体に。

 そう、御盾は運命に膝枕をされていたのだ。

「す、すみません!」

 慌てて起き上がろうとする御盾に、

「だめ」

 温かくも決して譲らないであろう運命の声が返される。その黒の瞳に真剣の色を感じた御盾は観念して、現状を受け入れた。頭部で運命の満足げな頷きを感じつつ、彼女は尋ねる。

「運命殿」
「なに?」
「ここは……?」

 まだ頭しか動かせないため部分的にしか見えないそこは、緑が目立つどこかの庭らしきところだった。今は夕刻なのだろう。緑と橙色が混じるように風景を描くそこは、どこか御盾には見覚えがあって。

「御盾ちゃんの国。盾王様の城の、中庭だよ」
「あぁ、なるほど……」

 頷き、御盾は運命越しに自身たちに影を与える気を見上げた。夢の中よりも少しだけ太くなった幹。生い茂る緑の葉は小さく風に揺れ、それが夢の中のそれとどうしようもなく一致してしまって。

「あの後唯人君が助けてくれたの。だから皆無事だよ。心ちゃんも鞘呼ちゃんも私も。でも、御盾ちゃんだけは魔力的に安定してないって唯人君が言ってね」
「……」
「たぶん、『反射』を発現させた影響だって。だから盾王の魔力が安定する御盾ちゃんの国のここに寝かせてるの。唯人君が、盾王にとってはここが一番魔力的に安定する場所だからって」
「そうですか。まぁ、そうでしょうね……」
「御盾ちゃん?」

 不思議そうに首を傾げる運命。彼女には分からないのだろう。どうして御盾が辛そうな顔をしているのかが。

 御盾はもう一度、周りを見渡した。夢の中の中庭。盾王が守ってきた自然の景色――その結晶とさえ言っていいそこは、けれど夢の中の初代を見てしまった彼女にはあまりにも辛い。

 何故ならここは――夢の中の彼女が涙を流したところだから。

「……運命さん。少し、話を聞いてもらえますか?」
「? うん」

 小首を傾げて頷く白の少女。彼女がこの話を聞いて果たしてどんな反応をするのか。考えて、御盾はひどく安易に想像がついてしまう自身に苦笑してしまう。

「うぅ、なんだか御盾ちゃんに馬鹿にされてる気がする……」

 苦笑を誤解したのだろう。可愛らしい涙目をする運命に御盾は「すみません」ともう一度苦笑して、

「私は、誰かに触れることができませんでした」
「……え?」

 驚いたような、呆けたようなそんな声。

 御盾は、静かに続ける。

「盾王の盾の力です。私はどうやら歴代の誰よりも強い盾王の力を擁していたようで、生まれた時から、盾を纏っていました」

 盾――鉄壁の鎧。

 この世の全てから御盾を守るそれはけれど、決して御盾と誰かの触れ合いを許すことのない冷たい壁でもあって。

「私に触れられるのは、姉さんだけでした。ですが、その姉さんも、死んでしまった」

 思い出すのは、姉との別離。
 ベッドに横たわり、力ない手で御盾の頭を撫でてくれた――撫でようとしてくれた無盾。
 ――けれどその手は、盾を打ち砕く力の無くなってしまったその手は、御盾に触れることはなかった。

「もう、誰も私に触れられない。私は、もう誰にも触れてもらえない」

 うわ言のように、御盾は呟く。もう、自分自身でさえ何を言いたいのか分からなくなっていた。

 こんなことを言っても運命が困惑するだけなのに――

 そう分かっていても、言葉は止まらない。夢の中の初代と竜の姿が、瞼の裏から消えてくれない。

「私は――ずっと、一人ぼっちになってしまった……」

 初代には、心を許せる友がいた。

 けれど、御盾にはいない。

 それが、どうしてかひどく寂しく思えて――

「一人じゃないよ」

 涙を流し、腕で瞳を覆う御盾にかけられた、優しい言葉。

 御盾は、そっと腕を下ろす。見えたのは――いつも運命が浮かべる優しい微笑み。

「御盾ちゃんは、一人じゃない。私がいるし、唯人君がいる。鞘呼ちゃんも心ちゃんもいる」

「だからね」と運命が手を伸ばした。行き着く先は、翠緑の髪。姉のように優しい手つきで撫でながら、彼女は続ける。

「御盾ちゃんは、一人じゃないんだよ」
「――!」

 御盾は、何も言えなかった。

 本当は最初から分かっていたのだ。頭部に感じる運命の体温から、もう自身は誰かに触れられる。触れることが出来ると。

 それでも、その温もりが刹那の夢ではないかと恐くなって、夢の中の初代のように、大切なその温もりが遠くに行ってしまうように思えて。

 縋ったのだ。運命に。

 そんな弱い自身を、運命は受け入れてくれた。

 欲しい言葉を、紡いでくれた。

 それが嬉しくて、嬉しすぎて――

 御盾は泣きながら、言葉を紡ぐ。

「運命さん、私は」

 弱い自身を、今日で終えるため。
 そして何より、大切な人を守るため。

「貴女を守る、盾になります。千の矛から貴女を守る、絶対の盾に」

 そして盾王は、本当に守るべきモノを見つけた。



 魔力が回復し、運命を共に皆がいるであろう盾王の城、その客間に入り御盾が見たモノは――土下座する唯人の姿だった。

「……はい?」

 思わず目を丸くする御盾。そんな彼女に構わず、彼の前に仁王立ちする鞘呼は冷酷な目で唯人を見下ろし、

「唯人、私が何を言いたいのか分かってるわよね?」
「……」

 唯人は答えない。だが、その土下座する身体がビクリと動いたので何となくは分かっているのだろう。

「私たちは戦っていたわ。えぇそれはもうこの剣王がこれ冗談にならないくらいやばいかもって思うほどね?」
「……はい」
「幾たびの竜の爪をかわし、その硬い鱗に効き目薄い斬撃を浴びせ、必死に戦っていた」
「おっしゃる通りです」
「で? その時あんたは何をしていたのかしらぁ~?」
「えっと……スライム一万匹倒してレベルアップしていました」
「……オーケイ、最後に言いたいことは?」
「唯人はヒットポイントは3上がった。マジックポイントが4上がった。攻撃力が――」
「吹っ飛びやがりなさいませぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 すごい勢いを付属した鞘呼の蹴りが、唯人に命中した。

 綺麗な放物線を描いて宙を舞う唯人。彼はその後、床に生えるオブジェと化した。

「まったく、こっちが必至こいて戦っていたっていうのにあんたは」

 腕を組み未だ怒っている鞘呼。そんな彼女に同調するのは心だ。彼女は「うんうん」と鞘呼に習い腕を組んで、

「そうですよ唯人さん。まったく――あんなおいしいタイミングで現れるなんて!」
「違うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 叫び、鞘呼は心にヘッドバッドをかました。

「論点が違うわよ心! と言うかあんな戦闘こなしたのによくそんな発想に行けるわよねあんた!」
「それが私ですから!(キリ!)」
「口で効果音出すんじゃない!」

 更なる追撃をかけようとする鞘呼は、そこでようやく御盾たちに気付いたのだろう。「こほん」と咳払いをして誤魔化そうとしているが、誤魔化せていない。
「えー」とそんな目で視線を浴びる鞘呼。

「な、何よその目は?」
「いえ、別に」
「ふん、そんな態度取れるんなら身体のほうは大丈夫な様ね」
「……心配してくれていたんですか?」

 少々意外に思いながら御盾が口を開けば、鞘呼は自身の髪と同じほど顔を紅くして、

「べ、別に心配なんてしてないわよ! ただあんたがいないとこれからの戦いに支障が出るから! そ、それだけよ勘違いすんな!」
「ツンデレキタこれ!」

 ガッツポーズと共に叫んだ心は、すぐに鞘呼によって亡き者にされた。

「鞘呼ちゃんが一番心配してたんだよ、御盾ちゃんのこと」
「な、何言ってんのよ運命!」

 微笑み言う運命にあたふたと反論する鞘呼。
 そんないつもの光景が、御盾にはひどく温かく思えて。
 守りたいと、御盾は思う。
 こんな、自身が安心できる場所を。心安らげる場所をくれる仲間たちを。

「守りたいモノ、見つかりましたか?」

 いつしか隣に来ていた唯人の言葉に、御盾は「えぇ」と頷く。

「私の盾は、そのためにありますから」



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『4・リバース』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/08/17 20:21
 少々意外と言えば意外だよ。キミがこんなにも早く表舞台に立つとはね。いや、むしろ遅かったのかな? 物語は既に後半に差し掛かりつつある。あちら側も今回の竜との戦いで『鍵』を手に入れたはずだ。なれば、次に行うだろうは『試練』だろうからね。そういう意味でキミは何故あそこで鍵を奪わなかったんだい? と問うのはまあ無意味なことか。キミのすることだ。私は全面的かつ絶対的に支持しよう。それが正しい選択だ……例えそれが、私にとって許せない選択であってもね。

 さて、ここでスパッと区切ってしまうのも一つの手ではあるがそれではこの物語を見ているかもしれない神視点の観客――即ち読者という立場の人間に暇を与えてしまうかもしれないからね。簡単な捕捉をしておこう。とはいえ、この世にそんな読者などいればの話だが。

 守竜の名の由縁。それは彼の竜が何かを守っているという伝承があったからだ。そしてそれは正しい。保障しよう、このこの世界の過去を管理する『記録者』である私がね。古、それも全ての王が初代だった時より、彼の竜は守り続けていた。いつかこれを必要とする者達が来るその時まで。

 竜に与えられた使命はそれの守護と、選定、そして覚醒だ。そしてその全てを、彼の竜はこなした。使命を全うした。ふむ、全く以て尊敬に値するよ。主人の願いを聞いて、何十年、何百年もひたすらに時を重ねていた竜。ただ死ぬために生きていた竜。あるいは滑稽とさえ言えるね。キミはどう思う?

 ……? なんだい? キミが自発的にドクペを取ってくれるとは珍しいね。まぁいただくが――てきゃー!

 ……振ったな? 炭酸飲料を振ったな? これがどれほど悪逆で非道なことか、キミは分かっていないようだねよろしい戦争だ。

 ともあれ、これがキミの答えか。まあこの場合、私はこの程度で済んでよかったと思うべきなんだろうね。キミの怒りがこの程度で済んで、と。

 話を戻そう。では誰が竜にそれを命じたか、だ。

 ふむ、これは私が言っていいことなのかな? 少々疑問が残るよ。何しろこの後の試練で彼女たちは自ずと知ることになるだろう事柄だからね。

 ならばここはあえて断片の情報だけを与えておこうか。

 守竜の主は、初代盾王だ。

 そして、彼女にそんな決断をさせたのは『彼女』だ。

 さて、概ねこの場で私が語ることも終わったかな。これから先は物語が進んでいけば自然、見えてくるモノだ。となるとこれ以上の語りはもはや無粋の域に入ってしまうからね。

 では、締めの言葉にさせてもらおう。

 伏線一つ。



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『5-1』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/08/17 20:24
 夕暮れの空は茜色に染まり、昼の蒼天とは違う強くない、けれどどこか馴染みやすい光と温もりを大地に与えていた。
その光を浴びながら、鞘呼は剣を振るう。力を入れすぎず脱力の中に必要なだけの力みを入れて、握る刃は剣王が最初に出せる始祖の剣。無意味な装飾のない端的かつ完結的刃は彼女の魔力を浴びて紅の光を放ち、その上から茜の染めを帯びて空を斬っていた。

「――!」

 声もなく、ただ気合いのみで意気を放ち、振る刃。素振りのそれはもう何千、何万と繰り返してきたそれで、考える前に身体が勝手に動くほど、鞘呼の身体に馴染んだ動作になっている。

 故にこそ、その動きはあらゆる意味で芸術的であった。無駄な力の抜けた、脱力を刹那の力による振り落としと振り上げには欠けらの歪さえない。あるいはそこに何かを置いてみれば、紅の剣は何の抵抗もなくそれを両断するだろう。そんな達した域にある、斬撃。

「……」

 だが、それに反して鞘呼が浮かべるのは不満の渋面。素振りを止め、汗をぬぐい、彼女は片手で剣を以て、空いたもう片方の手をじっと見つめた。

 出そうとするのは、未だその手にない剣王の千剣が最後の一振り。この世界において唯一盾王の盾――その反射さえも切り裂く絶対斬撃の紅剣。

 それを出そうと鞘呼は常のように自身の手の中に剣を生みだす魔力を練るが、彼女の意思に反して剣が生みだされることはない。

「……はあ」

 小さくため息を吐いた後、彼女はすぐに周りに誰かいないか確認する。ため息をつく――即ち弱い自身を見せるのを嫌がった彼女だが、幸い周りには誰もいなかった。とはいえ当然だ。今日のパートナーである運命は今、鞘呼のためにタオルを持ってくると言っていいないし、心はまたも授業中に馬鹿をやったため唯人に大量の宿題を投下され、御盾はそんな心に付いている。

「今頃ため息でもついてそうね……」

 軽く同情しつつ、鞘呼はもう一度素振りに戻ろうとして、

「鞘呼ちゃ~ん」

 間延びした声に止められた。

 声のほうを向けば、タオルと恐らくは水が入っているのだろう容器を持ってとてとてとその年齢に反して小柄な身体を揺らし、走り寄ってくる運命が見える。転びそうね、と鞘呼は思い、そんな風に誰かを心配する自身に苦笑した。

「お待たせ~。うん? どうしたの、笑って?」

「別に」と鞘呼は運命の、その髪と同じくらい白い頬を両手で伸ばして、

「ちっこい子供が寄ってくるなーて思っただけよ」
「うぅ、気にしてることなのに……」

 しゅんと落ち込む彼女に「ごめんごめん」と鞘呼は謝る。運命は「うん、いいよ」と許し、タオルと容器を渡してきた。

 休憩の時間にはちょうど良かったようだ。

 鞘呼は礼を言って受け取り、その場に腰を下ろす。運命も同じように座った。鞘呼が胡坐で運命が体育座りなのは、二人の性格の差だろう。

 二人眺める中、太陽がゆっくりと落ちていく。未だ夏の今、冬のそれよりも数段遅い日光の終わりはひどく緩慢で、だがだからこそ、茜色の帯を残すそれはどこか幻想的ですらあった。

 と、不意に言葉が紡がれる。

「ねぇ、鞘呼ちゃん。訊いていい?」
「どうしたの?」
「鞘呼ちゃんは、どうして毎日修行するの?」

 自然なほど緩やかに、投げられた質問。

 だから鞘呼も、自然に、常に思っていることを答えた。

「最強になるためよ」
「最強?」
「そう。最も強い者。それが私の目指す場所」

 強く在れ――それが先代剣王、鞘呼の父が常に投げかけてきた言葉だった。

 愛すだの、可愛いだの、大切だの、そんな、娘にかけるべきだろう言葉をかけず、ただひたすらにそれだけを唱えて、彼の王は死んでいった。

 鞘呼とて別段そんな甘い言葉が欲しいと思ったことはない。剣王の血か、父の言葉には賛同だったし、自身も強くなりたいと思っていたからだ。

 そうやって、ありのままの答えを返した彼女に与え在れるのは――更なる問い。

「じゃあ、どうやったら最強になれるの?」

 鞘呼は、すぐに答えようとして――咄嗟に出ない言葉に目を見開いた。

 最強――彼女の目指す場所。

 今までただまっすぐに見据えていた道はけれど、いざ問われればひどく曖昧なモノであり、上手く言葉に出来ない。

 そんな風に考えて、ふと浮かんだのは、自身に対する疑問だった。

(じゃあ――)

 強いとはなんだろう、と鞘呼は思う。

 追い求めてきた真実。願い続けてきた結果。

 それが酷く霞がかかった先にあるように思えて、

「運命、あんた、強いってどういうことだと思う?」

 答えを返さず自身の問いを口にした鞘呼に運命はけれど、考えるように指を唇に当てた。それから数十秒、あるいは一分ほど考えて、白の少女は小さく口を開く。

「鞘呼ちゃんは、お昼の太陽と今の太陽、どっちが好き?」

「え?」と意図の見えない問いに困惑しつつ、鞘呼は答える。

「どっちかというと昼かしら。どうせなら一番強く輝けるほうがいいしね」
「そっか。私はね、どっちかというと今みたいなほうが好き」

「だってね」と彼女は続ける。

「真昼の太陽は全部を照らすって感じだけど、夕方の太陽は皆を優しく包み込むみたいだから」

 そう言って、夕暮れの茜の照らされた白の彼女の微笑みが、ひどく温かくて。

 思わず魅入ってしまった鞘呼は小さく苦笑する。

「何よ、結局答えになってないじゃない」
「ううん。これが私の答え」

 ニコリといつものように微笑んで、運命は言った。

「強いっていうのはね、こうやって包み込む温もりだと私は思うんだ」
「……そう」

 反論がなかった訳ではなかった。

 けれど、運命の言葉には何か納得させられるモノがあって――

 鞘呼は並んで、落ち行く夕暮れを見る。茜色は、静かに夜の帳へ変わっていった。



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『5-2』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/08/19 21:11
「重大なお知らせがあります」

 この学園生活において、授業の始まる前に必ずホームルームがある。基本的に普通の学校を模範としているためそれは当り前なのだが、本日教壇に立ち適当な諸連絡を済ませていく唯人にはどこか常にない真剣味があった。

 朝の日差しが窓から入り、また腰まで伸びた黒髪が光沢を放つ。後ろで束ねられたそれを軽く揺らしながら言う彼に、心が手を上げて、

「どうしたんです唯人さん? いつになくシリアスですね。ぷーくすくす」
「……心さん、廊下に立っていてください」
「だが、断る」

 断じて譲ろうとしない不退の意思をその銀色の瞳に帯びさせて言う心。話しが進まないので鞘呼が再び尋ねた。

「で、実際は何よ? まさか運命の誕生日を祝おうとかそんな話じゃないでしょうね?」
「え? 私の誕生日は冬だよ?」
「いいことを聞きました。ではその時までに運命殿のプレゼントを考えないといけませんね」
「ちなみに私の誕生日は来月です!」

「どうでもいい」と鞘呼。
「どうでもいいですね」と御盾。
「……」と打ちひしがれる心に、運命が微笑みを浮かべ、

「えっと心ちゃん。何か欲しいモノある?」
「では運命さんのはじめてを――」
「あーてがすべった」

 渾身の力を込めて放たれた鞘呼の右拳が心に放たれた。遠心力と腕力に身体強化の魔力と斜め上から放たれたことによる重力の交わる一撃に、銀の王は悲鳴さえ上げられず机に突っ伏してしまう。

「こ、こんな時どんな顔をしていいのか分かりません……」
「死ねばいいんじゃないですか?」
「な!? 礼儀を忘れない御盾さんにあるまじき暴言! どうしたんです御盾さん!?」
「……運命さんに手を出す輩は殺してもいいと偉い人はいいました」
「なにぼそりと言ってるんですか!? そして偉い人って誰です!?」
「私です」
「確かに王様ですけど!?」
「えっと皆さん。そろそろ本題に入ってもいいですか?」

 教壇で苦笑する唯人に、鞘呼は苦笑を向けるのだった。

「皆さんには、これから『試練』を受けてもらいます」

 急に告げられた言葉に目を丸くする鞘呼。周りを見れば似たり寄ったりな反応で、皆に心当たりがないことが窺える。

「すみません唯人殿。その『試練』というのは何なのですか?」

 手を上げて言う御盾に、唯人は頷いて答えた。

「皆さんは先日の守竜との戦いを覚えていますね?」

 忘れられずはずのない戦い。何度も死にかけて、最後があんな挙句だったモノだ。鞘呼はあの時守竜にも魔王にも歯が立たなかった自身に悔しさを覚えながら頷く。

「自分は、別段狩りの目的でアレを皆さんにぶつけた訳ではありません。無論皆さんの研磨になればよいと考えなかった訳でもありませんし、それに応じた結果も十全に出たモノと考えます」
「そうね。御盾の『反射』が使えるようになったのは大きいし」

 鞘呼の言葉に、「えぇ」と唯人は肯定を示す。

「ですが、本来の目的はそこではありません」
「というと唯人殿。他に何かあるのですか?」
「はい。それも、皆さんにひどく関わり合いのある事柄が」

 そう言って、彼が懐に手をやった。黒のスーツ、その内ポケットから取り出されるのは――鍵。守竜を倒した翌日、その祠で見つけた純白の、どこか運命を思い出させる白の鍵を手に、唯人は言う。

「これは、『試練』を受けるための鍵。そして『試練』とは――」

 鞘呼、心、御盾――そして最後に運命を見て、唯人が告げる。

「初代の四王と、戦うことです」

 鞘呼にはその言葉よりも、最後に運命を見た唯人の表情のほうが心に残った。

 まるで悲しいような、寂しいような、そんな表情。

 それは最後にあった盾王の姉――無盾が見せた顔と被って見えて――酷く心がざわめいた。



 初めて盾王無盾に鞘呼が会ったのは、戦場でだった。

 盾王と剣王の戦い。この世界においてそれはもはや常識と化したことであり、それでも戦いは戦いであり殺し合いだ。当時10歳程度だった鞘呼を戦場に立たせていれば、それはどうしたって目立つモノで、無盾という女性が気に留めるのも仕方のないことと言えた。

 戦いの中、その力を大いに奮い鞘呼に近づいてきた無盾。当時の鞘呼は確かに子供であったがそこは剣王の純血だ。戦いというモノを知識以上に感覚で覚えており、自身に迫るものはそれが剣王の国の印をつけていない人間ならば敵でしかないことを知っていた。

 故に彼女は自身へ迫ってきた無盾に対して剣王の千剣が一振りを構えて対応したわけだが、

『お嬢ちゃん、こんなところで何してるの?』

 戦場で、今も正に何人もの死者が出ているそんなまっただ中で、それでも無盾というその女性は剣を構える鞘呼の前に膝をついて、目線を合わせて、その瞳に――どこか黒の交りがある翠緑のそれに困惑を込めて、そう語りかけてきた。

 困惑したのは鞘呼も一緒だ。敵である人間が、何故か自身の前に膝を付き、隙だらけの状態で心配げな表情をしているのだから。

 だが、困惑と沈黙は数秒だった。すぐさま鞘呼は剣を構えなおすとその剣を無盾の首筋に当てて、

『構えなさい。じゃないと殺すわよ?』

 対し、返答は――苦笑。

『スイーツ(笑)ね』

 そんな風に言って、無盾が無造作に鞘呼の剣を掴んだ。目を見開く鞘呼の反応は当たり前だ。剣王の千剣は千の敵を切り裂く絶対斬撃。それはこの世界の常識なのだ。例え戦場に立ったことのない人間だって知っている周知の事実。そしてそれを誰よりも知っている剣王鞘呼は、その埒外すぎる無盾の行動が信じられなくて――刹那、それ以上に信じられないことがおきた。

 パキ、と軽い音が響いた。

 鞘呼の剣が、折れた音だった。

『え……?』と呟く彼女は気付いていない。今自身の前にいる女性が盾王の血統――その忌子として扱われる守護の対極の力『破壊』の申し子である盾王無盾であることを。

 あるいは、これが六年後の成長した鞘呼の剣なら分からなかっただろうが、今の彼女は剣王として未熟だった。あっさりと、自身の剣を折られてしまうほどに。

『名前も知らないお嬢ちゃん、覚えておくといいわ。戦場で構えろなんていうのは無知か馬鹿か痛い子だけよ。うん、痛い子なら私的にはアリだけど、お嬢ちゃんは前者よね。だったら構えろなんていう前に斬りなさい』

『じゃないと』と、すーと無盾は笑みを消して、

『死んじゃうわよ?』
『――!』

 鞘呼は何も言えなかった。

 ただ、目を見開くしか出来ず、新たな剣を出すこともできなくて――

 戦いの終わりを告げる笛が鳴り響いたのは、その時だった。

『う~ん、今日はここまでかー』

 のんびりと、こちらの気などまったく知らないかのように呟いて、無盾が――微笑んだ。

 敵に対して、ひどく無邪気に。

 まるで親戚の女の子に笑みを向けるように笑って、

『じゃ、またね』

 無盾は去って行った。

 残されるのは何も出来なかった鞘呼だけで。

 そうして剣王鞘呼の初陣は――敗北によって始まった。



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『5-3』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/08/22 21:20
「鞘呼ちゃん?」

 不意に掛けられた幼さの残る声に鞘呼がハッと顔を上げれば、そこには心配そうに白の瞳を揺らす運命がいた。少し考え過ぎていたと鞘呼は思い、「なんでもないわ」と苦笑を浮かべる。

 運命は未だ心配そうな顔をしていたが、それ以上踏みこんでは来なかった。
「ふぅ」と一息つき、鞘呼は改めて今、自身たちが下りている階段を見下ろす。彼女がいるのは、正王の城――その地下へと続く階段だ。先頭を唯人が歩き、御盾、心、運命、そして鞘呼の順で降りていくその回廊はけれど既に十数分歩き続けているがなお、終わりが見えない。

「ここは、少し特別な場所なんですよ」

 鞘呼の考えを察したように、唯人は微笑みながら説明する。そんな彼の様子には、先ほど鞘呼が見たような憂いは見て取れなかった。

「現と夢、生界と霊界の境――自分たちが行き着くのはその場所ですからね。気付いていないかもしれませんが、今の段階でも既に半分死者の世界です。いえ、死者というよりも死者という名の『記憶』の世界でしょうか?」

 意味深に言う彼は「ともあれ」と結論付けた。

「安直に考えず、広い見識を以て考えましょう。そのほうが人生楽しいと自分の友人も言っていましたからね」
「つまりなに? ここをそのまま地下だって考えるなってこと?」
「はい。さすがに正王の城とはいえ、ここまで深い地下室はありませんからね」
「分かりました唯人さん。つまり『イメージしろ』ってことですね」
「はい心さん。全然意味がわかりません」
「……心、その無理矢理ネタに持っていくの止めない?」
「だが――」
「はいはい使いまわし乙」

「え?」と心。
「え?」と御盾。
「え?」と運命。
「え?」と唯人。

「……なんでもないわ」
「しかし驚くべきは鞘呼さんにこの知識を与え、もはや洗脳に近い教育を施した御盾さんの姉君ですね」
「確か、無盾さんだっけ?」
「えぇ、運命殿。そういえば唯人さんは姉さんと知り合いと言っていましたが、どんな関係だったんですか?」

 その問いに答えた唯人の変化に気付いたのは、果たしてどれほどだろうか。

 歩みを止めず、振りかえらず――表情を見せないまま、彼は言う。

「友人ですよ」

 いつもの優しい声に似た、どこか冷たい声。

「二人しかいない、自分の――友人です」

 階段が終わったのは、まさにその時だった。

 今までの二人並んでしか進めなかったような狭い通路とは違う、大広間。大理石で囲まれたそこにあるモノはたったの五つだ。一つは鞘呼達が下りてきた階段への道。もう一つは閉まっている四つの門。

 四――この世界においてこの数字が意味することは大きい。四とは即ち――四王足る王らを指す言葉だからだ。

「……」

 皆が見守る中、唯人が虚空へ向けて鍵を出す。何もないところで彼が鍵を回した。鞘呼を始め皆が怪訝に見る中――ガチャリと、まるで鍵が解ける音がする。

「――!?」

 その瞬間、大広間に魔力が放たれた。咄嗟に身構える鞘呼だが、彼女の顔に浮かぶのは焦り以上に戸惑いだ。

 鞘呼は、その手に発現させた剣を構え、周りに目を向ける。唯人たち以外の気配はない。御盾も心も今は運命の周りを囲み、彼女を守っている。

「……どういうことよ、これ……!」

 声に滲みでるのは、困惑。

 鞘呼は、剣王だ。戦いの象徴であり破壊の王。そんな彼女でも確かに驚くことはあり、想定外のことには取り乱すこともある。それでも瞬時に冷静になる技術を、彼女は幾多の戦いの中で学んでいた。何よりもそれが重要だと、世話焼きの盾王の姉も言っていた。

 そんな彼女でも、今は冷静になれない。平静を装えない。

 何故なら大広間に満ちる魔力は異常に強大で――何よりも彼女の身近なモノだったからだ。

 破壊の紅――
 守護に翠――
 真実の銀――

 大広間には、鞘呼、御盾、心以外の王の魔力が充満していた。

 他者を圧倒する魔力。常に自身たちが放っているそれを他者から受けるのは、鞘呼にとって久しい感覚だ。父である先代剣王が死んでからだからもう一年近くになるだろう。

「唯人、これは――」

 どういうことよ、と聞こうとして蘇るのは、朝、彼が言ったこと。

 初代の四王と、戦うことです――鞘呼はその言葉を精神的な何かだと感じていた。死者は蘇らない。例え魔法であってもだ。故にこそ問答という意味だと彼女は思っていたが、今自身が感じる魔力がその考えを許してくれない。

 肌を揺さぶるそれは――まぎれもなく『王』の魔力だった。

「皆さんには、今から一人ずつこの門に入ってもらいます」

 静かに、いつもの微笑みをどこか寂しげに染めて、彼は囁くように紡ぐ。

「先も言いましたが、『試練』というのは初代の王たちと戦い打ち勝つこと。これは言葉のままです。初代に勝てなければ魔王には到底歯が立ちませんからね」
「……唯人、一ついい?」

 鞘呼には、気になっていることがあった。
 それを、彼女は尋ねる。

「なんで正王の国に、こんなもんがあるの?」

 王たちは戦い以外では不干渉を貫いている。調停の正王はともかく、他の王たちは互いに憎み合っているのだ。今は鞘呼達のように目的のために集まっているが、このような状態が過去にあったという話を彼女は知らない。故に四王の共通の場所などあるはずがないのだ。

 唯人は、どこか曖昧に微笑み、

「この『試練』が終われば分かりますよ、きっと」

 そう言われれば、何故か追及する気になれなくて――「はあ」とため息ひとつ、鞘呼は剣を消すと、剣王の魔力が放たれる門の前に立つ。御盾、心、運命もそれぞれも門の前に立ち、手をかけ――

「皆さん、気を付けて」

 囁きにも思えるそんな声援とともに、彼女たちは初代と出会った。




 初陣を終えた夜は、酷く心が落ち着かなかった。

 剣王と盾王の、国家同士としての戦いは引き分けという形になった。だが、鞘呼はあの戦いを個人として敗戦だと思っている。

 雲一つない空。星の輝きを遮るものは欠片もなく、月が静かに大地を照らしている。銀というよりは白に近い月光は、話にだけ聞いた正王を彷彿させた。

 そんな空を少し仰いで、鞘呼は剣を振るう。何度も何度も、想像の敵――先の戦いで自身を圧倒した盾王の異端たる無盾を。

 あの黒の混じった翠緑の髪と瞳、そして戦いの中でなお見せた微笑に歯ぎしりしながら彼女は剣を振るう。だが、何度空を斬っても想像の無盾を斬ることは出来なかった。

「……クソ」

 苛立たしげに吐き捨てた一言は――

「こらこら、女の子が汚い言葉を使うもんじゃないよ?」

 どこか軽率な、馴れ馴れしい声に拾われた。

「――!」

 咄嗟にその場から飛びのき警戒するように剣を構える鞘呼の目に映るのは、ここにはいないはずの女性。黒交じりの翠緑の髪と瞳に、人懐っこい笑みを浮かべた彼女は先の想像と寸分変わらぬモノだ。

「盾王……無盾……!」
「あら? 自己紹介してたかしら?」

 わざとらしく小首を傾げて見せる無盾に、鞘呼は緊張を隠せない。

(こいつは、何をしに来た……?)

 意図の見えない無盾の行動。当然だ。この世界において国同士は不干渉が基本。加え言うなら警備がいるこの城の内部に侵入するのはそう容易なことではないはずだ。

 それを軽々と、少なくとも鞘呼の直感ではやってみせただろう無盾に敵意を込めた視線を送る。返ってくるのは、こちらの意思など眼中にないような微笑み。

(……?)

 その、あまりにも無防備な無盾の気配に軽く鞘呼が目を丸くすれば、それを悟ったように無盾が笑う。

「ふ、ふふふふふふふ――ふはははははははははははははぁぁぁぁぁぁぁ!」
「!?」
「そう、キミが考えているとおりさお嬢ちゃん! 私はキミを抹殺するために盾王の国から送り込まれたエージェント! 漢字にすると刺客! 絶対破壊を引っ提げて、地獄の門ヘルゲート(笑)へとキミを送る存在! さあさあそれが分かったのなら、今すぐ戦おうじゃないかぁぁぁ!」
「……!」
「ちなみに言っておくぞ? 昼の私の力は今の十分の一! つまり今は昼の十倍ということだ! 更に私は残り十三回の変身を残している! この意味分かるな? 更に更に言わせてもらえば私は二十四の奥義を習得済みであり、更に独自の才能によって幻とされた二十五個目の必殺技をも可能にし、伝説の武器エクスカリバー・ツインドライブ・ジェノサイドデストロイ・エターナルフォース・ブリザードを右手に所有し、左手はパーフェクトガード・アルティメットシールド・エボリューションバリアで武装している! 更に更に更に言うとこの右目には普通の人間には見えないモノを見る特殊能力があり、服で隠れているが右腕には聖痕が刻まれているのだ! ぬぉぉぉぉ治まれ邪気眼よぉ……呪われた右腕よぉ……!」
「……」
「すぅわぁらぁに言わせてもらうと私は十三もの命を保有し、十二回まで死ねる上二十四時間を過ぎれば殺された回数をリセットできる仕様になっている! その上私の身体は物理攻撃を受け付けす、魔力遮断もでき、神の奇跡さえ打ち消す『幻想ごろ――』」
「いい加減長いわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 プチンときた鞘呼は無盾を思い切り殴った。柔らかい肉と、その内にある骨の砕ける感触を拳に覚えたのち響く人間が殴られた音。「のぉぉぉぉぉ!」とのたうち回る無盾を指差し、鞘呼は言う。

「なんなのよあんた! 人がシリアスになってる中意味分からないこと言いだして馬鹿にしてんの!? だいたい何よ昼の十倍とか変身とか奥義とかエクスカリバー・ツインドライブ・ジェノサイドデストロイ・インフィニティフォース・ブリザード――」
「違うわ! エクスカリバー・ツインドライブ・ジェノサイドデストロイ・エターナルフォース・ブリザードよ!」
「やかましいわ!」

 もう一度人が人を殴る音が響く。無盾はぴくぴく痙攣した。

 数分後、剣王の中庭にて正座させられる盾王の異端とそれを見下ろす剣王の純血という光景が生みだされる。

「……で?」
「えっとはい、わたくし盾王無盾は貴女様である剣王鞘呼様にお会いしたく誠に無礼ながら剣王の国に侵入し、のみならず城にまで不法侵入させていただきましたですはい」
「へ~、私に会いに? 目的は?」
「昼に出会った美少女に会いたいと思うことに理由が必要かしら!?」
「……あ?」
「えっとすみませんですはい、実は先ほどの戦いで貴女様のような少々年齢の低い方が参戦していることに疑問と好奇心を抱き、調べたところそれが彼の有名な剣王閣下の御息女と知った次第で、そんな貴女様と少しお話がしたいと思い馳せ参じさせていただきました」
「話? いったい何よ?」
「……」
「……?」
「……怒らない?」
「怒ることなの?」
「……そんなことないわ」
「今の間は何よ?」
「……ぬるぽ」

 急に訳のわからないことを言ったので、鞘呼は無盾を殴っておいた。「がっ!」とのたうちまわる無盾。

「ちょ、なんで!? そこは鞘呼ちゃん貴女が『がっ!』て言うところでしょう!?」
「一体何の話よ?」
「くっ! 唯人君なら分かってくれるのに」
「はぁ、何を――」
「なんでもないわ鞘呼ちゃん! それよりも私がここに来た理由だっけ?」

 ニコリと笑って言う無盾に鞘呼が再度警戒するように目を細め――

「あなたと友達になりに来たのよ!」
「……は?」

 次いで丸くなる紅の瞳だった。



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『5-4』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/08/28 23:16
 門を開いた瞬間瞳を覆ったのは、銀の光だった。

 自身の魔力の色と同じそれに心は目を閉じる。そして開いたそこにあったのは、銀の空間。先の大広間の気配など欠片も存在しない、ただ銀だけが存在するそこに、一人の女性が座していた。

 直感的に心は悟る。彼女が初代心王だと。

 ごくりと、酷く乾いた喉でつばを飲み込み、心は彼女に近づく。心臓の鼓動がいつになく速く、知らず握っていた手には汗をかいていた。

(緊張、しているみたいですね……)

 他人事のように自身を分析するが、身体の硬直は未だ治らない。

 一歩一歩、初代に近づく度に心は知る。今、自身が近づいている人は自身よりも圧倒的に上位に位置する存在だと。

 そして、彼女はついに初代の目の前に立った。初代は動かない。心と同じ銀の髪は揺れることなく、閉じられた瞳は何も映しておらず――だからこそ、心から呼びかけた。

「……貴女が、初代心王なのですか?」
「……」

 声に、心王がゆっくりと顔を上げる。病的に白い肌と、銀の前髪に隠れる瞳は、未だ閉じられたままだ。

 それでも、何故だろうと心は思う。こんなにも見透かされた気持ちになるのは。

 寒気を覚え心が軽く身体をさする。落ち着かない沈黙は、けれどそう長くは続かなかった。

「えぇ、私が、初代の、心王、です」

 酷く区切って紡がれた言葉は小声で、けれどはっきりと聞こえる不思議な音。

 目を丸くする心へ、初代は言葉は向ける。

「貴女が、今の、心王、ね」
「はい。心王心です」
「私は、マインド。大切な、友達が、付けてくれた、名前」

 愛おしそうに、胸を抱く彼女からはその言葉が本当であると告げているようで、心は思う。あぁこの人にも大切な人がいるんだ――と。

「単刀、直入に、聞く」

 不意に、風が起こった。

「え?」と心は目を見開く。静かに、ゆっくりと、しかし確実に変わった空間の気配。それが目の前の女性の魔力によるものだと気付いたからだ。

 直感以上の何かで心は悟る。ここから先、初代との受け答えに失敗したら自身の命がないことを。

「貴女には、大切な人、いる?」

 それは、あまりにも純粋に問いだった。

 周りに満ち足りた、圧倒的に圧倒してくる魔力に対してあまりにも邪気のない問い。

 だが故にこそ、真実を問われている。

 千の真実を暴心王――その初代が突きつけてきた問い。

 それが何を意味しているのか、心には分からなかった。

 初代が何を想い、この問いを口にしているのか。

 どんな答えが正解なのか。

 何も知らない心。けれど、彼女は分かっている。

 唯一、絶対に変わらない答えを。

「はい、います」

 まっすぐに初代へ向けるのは、言葉だけではなくて。

 心は、心の底からその言葉を紡いだ。大切な、自身を受け入れてくれた白の少女を思って。

 なぜならそれが、この問いに対する心の絶対の真実だから。

 他の問いなら、まだ何かを迷ったかもしれない。

 けれど、この問いだけは迷わなかった。迷うはずがなかった。

 心王心は、正王運命を誰よりも大切だと思っている。

 それは、心の決して変わらない真実だった。

 初代は、

「そう」

 たった一言、そう呟いて――瞳を、開いた。

 銀の瞳が、心を捉える。

 そして――心は地獄を見た。

 そこには、モノがあった。

 生きていない人間の身体――死体。

 モノと断じていいそれは、少女のモノだった。

 白の髪――
 白の瞳――
 温かかった微笑みを浮かべた顔は無表情で――
 自身を救ってくれた口はもう何も話してはくれない。
 正王運命の死体が、そこにはあった。

 一つ、二つ、三つ四つ五つ――
 十、百、千、万、億、兆、京――

 数えきれない運命の死体が、心を見ていた。
 死んだ人間の目が、心を見据えていた。
 大切な人の死体が、心を映していた。

 死体の上に死体があり――
 運命の上に運命が乗って――
 その上に心が座っていた。

 なんだこれは、と心は思う。
 どうして運命が死んでいるのか、分からなかった。
 どうして自身がここにいるのか、分からなかった。
 どうしてなにかなにもどれもわからなかった。

「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんであああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 そんな地獄が、ずっと続いた。
 何秒も何十秒も何分も何十分も何時間も何十時間も何百時間も――
 何日も何十日も何百日も何千日も何億日も何兆日も何京日も――
 永遠と、淡々と――

 そうやって、ずっと、地獄は続いた。
 終わらない悪夢。
 消えてくれない幻想。
 そんな中で、たぶんと心は思う。

「運命さんに出会っていなければ、私はここで、壊れていたでしょうね」

 そして――幻想は終わりを告げた。

 心は、ゆっくりと瞳を開く。見えるのは、先の銀の空間と静かに佇む初代心王だけ。

 銀の瞳を開いた初代は、そこで初めて微笑んだ。

「大丈夫?」
「見せた貴女が言いますか」

 苦笑する心の言う通り、先の景色は幻だった。初代心王の力だろう。真実を暴くその瞳で自身が抱いたイメージを他者に強制的に見せる魔法。そっと目に手をやりながら心はそんなことも出来るのかと感心してしまう。

「正直、ダメだと、思ってた……」
「そうですね。私も死ぬかと思いました」
「でも、貴女は死ななかった」
「えぇ、そうですね」
「どうして?」
「死ねない理由がありますから」
「そう」
「えぇ」
「それは、貴女の、大切な、人のため?」
「そうですね。というよりも私自身のためかもしれませんが」
「……?」
「次の運命さんとのペアは明日ですからね! 明日の夜運命さんと一緒に寝てその可愛い寝顔を堪能するまで死ぬわけにはいきませんから! はぁはぁ」
「……そう」
「あれ? どうして後ろに下がって距離を取るんですか?」
「気に、しないで……あと近寄らないで」
「最後小声で何か言いましたよね!? しかも普通に喋っていたように聞こえるんですが!?」

 そうやって心が若干傷つきながら言うと、初代心王はクスリと笑った。おかしそうに、口元に手を当てて。

「ふ、ふふ……貴女は、私と、違うのね……」

 心は「当然です」と胸を張る。薄い胸だった。

「私は私以外の誰でもありません! それに……運命さんが友達になってくれたのは私という心王心ですから。『心王』ではない、ただの私を、彼女は友達だと言ってくれました」

 それは、心の目に見えない大切な宝。

 だからこそ、抱きしめるように彼女は言葉を紡ぐ。

「私の大切な人は正王運命さんです。それが私の答えです!」

 堂々と言う心を、初代は優しげに、けれどどこか寂しげに見ていた。

 まるで懐かしむような、愛おしむような――悲しむような、そんな表情。

「初代様?」

 困惑する心に、初代は小さく微笑んで手を出した。伸ばされたそれを、心は受け入れる。初代の手を小さくて、腕は酷く細かった。

「私にもね、大切な人が、いたの……」

 語りには、問いが許されなくて。

 心は初代が答えを望んでいないことを何となく知った。だから、静かに耳を澄ませる。聞き逃さないように――もういない彼女の言葉を、忘れないように。

「その人は、とっても、優しくて。心が、見えて、誰も、信じられなくなった、私を、受け入れて、くれたの……心の底を、暴く、私に、向かい合って、くれたの……」

 声は響く。静かに、銀の空間で。

「誰も信じられなくて、誰にも受け入れてもらえない私を、彼女は、友達だって、言って、くれた……」

 初代の身体は震えていた。

 心は、そっと彼女を抱きしめる。

 初代の身体は、酷く細かった。

「私は、彼女のためなら、何でも、するつもりだった。彼女の幸せが、私の、幸せだった……なのに」

 ギュッと、小さな力が心を襲う。

 初代が、心を抱きしめ返していた。

 そうしないと壊れてしまう――そんな儚さだった。

「なのに、私は……気付いて、あげられなかった。彼女が、苦しんで、傷ついて、いるのを、知らなかった。無理してるって――死ぬほど悩んでいるのを……私は、気付いて、あげられなかった……」

「だから」と初代は心を見る。

 全てを暴く銀の瞳。涙に濡れたそれが、真摯に心を映している。

「貴女は、間違わないで。あなたは、失わないで。大切な人を」

 泣きながら微笑んで、初代は言った。

「私には、出来なかった、から」

 心には、どうして初代がこんな話をしたのか分からない。

 それでも、分かる。

 彼女がどんなにその大切な人を大切に想っていたのか。

 心にも、大切な人がいるから。

「分かりました」

 たった、それだけの一言なのに、初代の顔には微笑みが広がって――

 銀の光が、空間を覆った。

 それが、心王の『試練』――その合格の証だった。





 あの日、無盾が友達になろうと告白してきた日から、彼女はまるでその宣言を実証するかのように鞘呼の部屋を訪れていた。

「やっほ~鞘呼ちゃん」
「……」

 剣王の城。その一角にある鞘呼の部屋の窓から上半身を乗り出しにこやかに手を振ってくる無盾に、鞘呼はげんなりとその整った表情を歪めさせた。だが、無盾は気にしないようだ。「よっこらしょ」と言いながら、窓から部屋に入ってくる。

「……何の用?」
「用? 別にないわよ? 友達の家に遊びに行くのに理由なんて必要ないし」

 あっけんからんと言うが、それはただの人間の話だ。

 鞘呼と無盾は、王の血を引く存在。そして王たちは共に対立しているのだ。そんな中で今このように二人が秘密裏にあっていることがばれてしまえば大変なことになる。

 なのに、と鞘呼はへらへら楽しそうに笑いながら鞘呼のベッドにダイブする無盾を見る。ベッドの上をまるで猫のようにゴロゴロと回って見せる彼女にはそんな重大さなど欠片も見えなくて、変に考えている自身が間違っているように思えるほどだ。

 思わずため息を吐く鞘呼。そんな彼女の耳に入るのは、どこか至福に満ちた無盾の声。

「う~ん、鞘呼ちゃんの匂いがするわ~」
「なに嗅いじゃってんの!?」
「クンカクンカ。はぁはぁ」
「きゃー!」

 自身でも驚くほど女らしい悲鳴を出しながら、鞘呼は跳躍すると一直線にベッドの上にいる無盾の、その無防備な背中にドロップキックを放つ。背骨が砕けるような低い音が鞘呼の部屋に響いた。

「~~~~~~!」
「痛いでしょ? これをもう一発食らいたくないなら今すぐ――」
「も、もっと……!」
「もういやー! お母さーん!」

 思わず死んだ母に助けを求めてしまう鞘呼だった。

「まあ冗談はともかく、やっほー鞘呼ちゃん。元気してた?」

 今までのことなど完全になかったかのように手を上げる無盾。だが鞘呼は見逃さない。未だ彼女がベッドの上から下りていない事実を。

「冗談? ……ホントに冗談よね?」
「もっちろん! 私は友達の匂いを嗅いで興奮するような変態じゃないわ!」
「ほっ……」
「変態淑女よ!」
「うおぉぉぉぉぉぉぉい!?」
「違うわ鞘呼ちゃん! そこは『ダメだコイツ、速く何とかしないと』って苦悩を感じさせるように額に手を当てて言うのが正解よ!」
「何の正解!? というか何よそれ!?」
「ボケに対する正しいツッコミよ!」
「……ダメだコイツ、速く何とかしないと」
「素晴らしいわ鞘呼ちゃん! もう使いこなすなんてやっぱり初見見立て通り貴女にはこっち側の才能があるみたいね!」
「あの戦いの中であんたは私に何を見たわけ!?」
「貴女に眠る萌の心だけど?」
「なんでそんな残念なところ見てんのよ!? もっと別にあるでしょ!? 魔力とか戦闘スタイルとか!」
「むしろ私はそこしか見てないわ!」
「威張って言うことか!」

 そんなやりとりが通算半時ほど続いた結果、鞘呼は半ば酸欠気味になりベッドに突っ伏す。そんな彼女を無盾がニコニコしながら見ていて、妙に苛立った鞘呼は不機嫌さを隠さず言った。

「で? ホントになにしに来たのよ? 遊びにとか言ったら殴るわよ?」

 言葉に対して返されるのは、「う~ん」という困ったような苦笑。

「別に理由なんてないのよ。ホントに遊びに来ただけ。強いて言うならそれが理由かしらね」
「そんなことのために見つかる危険侵してここまで来たっていうの?」
「そんなこととは失礼な。私にとって鞘呼ちゃんに会いに行くのは妹を愛でることの次に重要なことよ!」
「……妹、ね」

 鞘呼は思いだす。初陣の後、自身を圧倒した無盾を調べていく過程で知った事実を。

 無盾の力――剣王とは方向性を著しく違う絶対破壊。守護の象徴である盾王が故に『守り』と言うモノを理解して、そこから逆算する要領で破壊を行う力。

 だがそれは、守護の盾王にとって強大な力であっても畏怖し忌み嫌われる呪われた力だった。故にその力を発現させてしまった盾王の子は――『なかった』こととされる。

 そんな、鞘呼の考えを察したようなタイミングで、無盾が微笑んだ。

 優しい微笑み。あの初陣の最後に見せられたそれと同じそれは、まるで母が子に向けるようなそんな微笑みで――それは、早くに母親を失った鞘呼には、慣れない微笑。

「気にしなくていいわよ、鞘呼ちゃん。その様子じゃ私のこと知ってるみたいだけど、私自身『今』に不満はないもの」

 そう言って微笑みを深めた無盾には、本当に欠片の寂しさも見えなくて――

 無盾が言う。優しく、旋律を響かせるように。

「だから鞘呼ちゃんをギュッとさせて大丈夫匂い嗅いでモフモフしてきゅ~んってなるだけだから!」
「いっ」

 鞘呼は立ち上がる。

「ぺ」

 次いで無盾の顔面を掴むと彼女を持ちあげ、

「ん」

 空中へ放つ。刹那の無重力状態。

「死んでこいやぁぁぁぁぁ!」

 そこに放たれるのは、紅い雨だった。
 剣王の魔力を纏った、拳の連撃。『オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!』という謎の擬音さえ聞こえてきそうなそれは十数秒続き、受けた無盾は人様に見せられない有様になる。

「はぁ、はぁ」

 鞘呼は荒い息をつきながら、無盾を見下ろした。どこかモザイクがかかったように見える彼女の顔が恍惚そうなのは鞘呼の気のせいだろう。

(……もしかして、私に気を遣って……?)

 冗談のようにぴくぴくと痙攣する無盾を見て鞘呼は思う。もしかしたら彼女は、鞘呼のせいで暗くなりかけた雰囲気を誤魔化そうとしてくれたのではないか、と。

「鞘呼ちゃん……そこは『オラオラオラオラ』でしょ……?」
「ないわね」

 うわ言のように戯言を言う無盾に呆れつつ、鞘呼はふと思う。

(……誰かにこうして対等に話したのって、いつ以来だっけ……?)

 疑問に答えは出なくて――

 鞘呼は「ふぅ」と息を吐き、窓から空を見上げた。

 月は満月。それを遮るものはない。

 こんな日がたまにはあってもいいかな――そんな風に、彼女は思った。

「この痛み……クセになっちゃいそう……」
「いい加減締めさせてよ!」



[27194] 正義の在り方と悪の定義 『5-5』
Name: 新古理◆2317a3ba ID:bfea5208
Date: 2011/08/31 21:21
 門を抜けて御盾の視界を埋めたのは、翠緑の光。

 自身の魔力と同じそれに微かに目を閉じ、御盾は目を開く。翠緑の視界の先にいたのは、自身と同じ髪と瞳の女性だった。

 翠緑の髪と瞳。
 法衣の如き、衣装。
 歳は御盾よりも少し上くらいだろう。少なくとも見た目においてはだが。

 いつかの夢の中の女性――初代盾王が、そこにいた。

 その左腕に、盾王の証である盾を構え、初代の絶対防御が、静かに御盾を見ている。

 その、圧倒されそうな視線と魔力に御盾は自身が背中に嫌な汗をかいていることを自覚した。

 恐怖――あの守竜の時でさえここまでのそれは感じなかっただろう。あたかもあの黒き魔王と対峙した時のようで、けれど、それでも御盾は足を止めなかった。

 一歩一歩、ゆっくりと彼女は初代に近づく。

 初代は動かない。ただ不動のまま、静寂を以て御盾を見ていた。

 そうやって、何歩進んだのか。御盾は、歩みを止める。いや、止めさせられたというのが適切だろう。

 何故なら――変わったのが、分かったからだ。

 魔力の質――今まで静寂を保っていた翠緑のそれが、ざわめいていたから。

 それは、間合いの証明だった。

 あと一歩こちらに歩めば動くと、初代は言なくして告げている。

「……」

 御盾は自身の足元を見る。恐らくはあと一歩だった。その一歩を踏み出せば、初代は動くだろう。

 そしてその一歩を踏み出す勇気を、御盾は、持っていた。

 ダン、と音を立てて、彼女はその一歩を踏みしめる――時にはもう、初代はいなかった。

「――え?」

 そんな呆けた声を出したのは御盾で――次の瞬間には自身の前に初代がいて――

 繰り出される神速の手刀――風を断ち、あたかも全てを断罪するかのような剣王の剣さえ彷彿させる一撃。

「くっ!」
(鎧で間に合う――いや!)

 直感が告げていた。これは危険だと。

 刹那の瞬間。

 迫る手刀に対し、御盾は鎧の強固と共に手刀が当たるであろう部位に魔力を込める。練りだすそれは反射のそれ。完全防御を絶対防御に昇華させた盾王の盾王足る証明の力。

 結果を言えば、御盾の反射は間に合った。
 結果を見れば、それは無駄なことだった。

「……え?」

 二度目の、呆けた声。

 同時に響くのは――パリンとガラスが割れるような高い音と、酷く近くで聞こえた、肉を抉るような音。

 それは、たぶん咄嗟だった。

 御盾は自身の首筋に手を当てる。血が、出ていた。頸動脈には届いていないだろうそれは微かな量の血で、致命傷ではない。

 そう分かっていても、抑えられない動揺。

 御盾の中で、疑問が巡る。

 どうして自身が傷ついているのか――
 どうして防御したのに欠損しているのか――
 初代が何をしたのか――

(――落ち着け!)

 溢れだす疑問に対し、彼女が行ったのは自身に対する叱咤。

 同時に放つ、両頬を襲う痛みは自身の手によるもの。頬を張ることで御盾は混乱する気持ちを抑え、御し、持ち直す。

 あるいは、以前の御盾ならこのまま混乱して終わっていただろう。

 慣れない痛みに恐怖して、終えない疑問に混乱し錯乱する――そんな自身が簡単に想像でき、

「ふふ……」

 戦いの中でさえ、思わず笑ってしまう。初代が訝しげに御盾を見たが、気にならなかった。

 そう、もう御盾は、こんな痛みで動揺し、崩れるほど弱くはない。
 弱くてはいけないことを、彼女は知っている。
 弱くては守れない存在が、彼女にはいる、
 だから、と御盾は自身に語る。

 今は冷静になって考える時だった。

(恐らくは、単純な話です)

 自身の首筋に垂れる薄い赤を感じながら御盾は思った。

 破られたのだろう。単純に御盾の反射が彼女の手刀によって。

 だが、それは一つの矛盾だ。盾王の盾は絶対防御。この世界においてこれに対抗できるのは剣王の千剣――それもたった一振りだけだ。

 ならばどうして自身は傷ついているのか。疑問に対し、御盾が起こすのは行動。

 魔力を足に練り、身体を強化する。

 踏み出す一歩は、彼我の間合いを切り裂く跳躍。

 一歩で十数歩の歩みを狩りとった御盾が向かう先は、当然初代だ。

 初代が向かい討つように構えた。御盾の知らない、攻撃的な構え。『守り』に特化した盾王らしくないそれは、けれどどうしてだろう。初代がそうするだけで、酷く自身にも適しているような気がした。

 そんな奇妙な感情を覚えながらも、御盾は冷静に距離を詰める。

 速さが見切られているのは必至。

 恐らくは虚を突くことが出来ないだろう。

 そもそも虚を突くことに意味はない。

 御盾が知りたいことは――真っ向でしか掴めないことだから。

 だから、御盾は初代へ向かう。小手先の小細工を排し、単純に魔力と盾のみで自身を固め――あたかも一つの砲弾と化したかのような彼女はけれど、決して壊れることなき絶対の弾丸とも言えた。

 そんな彼女に対し、初代は優雅とさえいえる動きで迎え撃つ。

 弾丸に対し、彼女はまた、手刀を構えた。

 まっすぐに天へ構えられるそれは、上段の構え。振り落とすのだろう一撃に、御盾も絶対防御を以て突進する。

 縮む、二人の距離。

 愚直とさえ言えるほどまっすぐ飛びこむ御盾。

 ゆっくりと、上段に構えた手刀を振り下ろす初代。

 二人の影が重なったのは、刹那の間。

 その刹那に鳴り響いたのは――ぱあんと高い音。

 そして御盾が覚えた――

「くぅ――!?」

 肩に走る、熱いほどの痛み。焼けた鉄板を押しつけられたようなそれに御盾が肩口を見れば、肩が、斬れていた。

 致命傷ではないが、軽くない傷。

 そのまま彼女は肩を押さえながら、殺しきれない突進力に床を転がって。

 止まった時に見上げたのは、静かな初代の構えだった。

 いっそ美しいとさえ言える、武勇の象徴。

 見惚れてしまうほどのそれ。いや、確かに御盾は見惚れてしまった。これが初代盾王なのか、と。

 だが、同時に不可解なことがある。

 絶対防御を破ったこともそうだが、それ以上に。

(……どうして初代は、追撃をしてこない?)

 少なくとも、今を含めて御盾を倒す機会は何度もあった。なのに御盾は生きている。

 本気で戦っていないとも考えるが、ならばどうして戦っているのかという疑問が浮上して――

「……初代、貴女は……」
「……一撃」

 不意に、小さく、微かに、初代の口が動いた。

「え?」と咄嗟に反応できない御盾に、初代は指を一本立てて、言う。

「私に、一撃入れたら貴女の勝ちにしてあげる」

 それは、もはや回答だった。

 御盾の中で、疑問がほどける。

 つまりは、彼女は自身を試しているのだ。

 どうして自身が傷ついているのか考えろ――と。

 試練とはよく言ったものですね、と御盾は思う。

 だが、そうのんきに考えていられないのも事実だった。

 試されているとはいえ、恐らくは初代は手を抜かない。

 殺しに来るであろう。首筋と肩の血が、それを証明している。

 けれどそれは、同時に絶対防御を更に高められる可能性だった。

 この攻撃を守れるようなれば、御盾のそれは魔王にだって対抗できると。

 今以上に、守りたい人を守れると。

 だから、御盾は立ち上がる。

 次の可能性は提示された。ならば、そこへ向かうだけだから。

 だが、決意に対して疑問は消えない。どうして絶対防御が機能しないのか。

 反射さえきかなった事実。世界における矛盾。

 そんな中、初代が動いた。今までの受動ではない、攻めの形。御盾は受けながらも、受けきれず切り裂かれる自身を分析する。

 思い出すのは、近い記憶。

 守竜を倒して、御盾は常に防御をしなくてよくなった。

 いや、この言い方には語弊がある。防御は常にある。ただその範囲が自身で操れるようになったのだ。以前のように全てを拒絶せず、自身に対して害になるモノだけ防御する。

 大切な人の温もりまで断ってしまう以前とは全く違う、防御の形。

 だが、そんな中でも自身に触れてくれる人がいた。

 無盾。たった一人の姉。自身に触れてくれた、最初の人。

 もう思い出すのも難しいほど遠い記憶の中で、無盾は御盾に触れてくれた。

『守り』を知るからこそ、『守り』を破れるその力で――

「――!」

 咄嗟に、思いつくのは、答えだった。

 そう、御盾は答えを知っていた。ずっと前から自身に温もりをくれていたたった一人の姉から。

(ありがとう、姉さん)
「貴女はいつだって」

 生まれた時から、ずっとずっと――たとえ死んでいても、

「私を――助けてくれる!」

 迫りくる手刀は、自身の胸に向かっていた。守らなければ、心臓を抉られるだろう一撃。

 御盾は魔力を練る。そこに――鉄壁の翠緑を。

 そして――初めて、初代の手刀が、止まった。

 御盾の胸の前で、翠緑に阻まれ。

「防御を知るからこそ打ち破る破壊なら、それを含めて魔力を練ればいい」

 答えは、そんな単純なモノ。

 だが、それをやるのは高等な技術を擁する。

 けれど、御盾はやった。やって見せた。

 それを教えてくれた姉がいたから。

 守りたい人がいるから。

 御盾は、動きの止まった初代に軽く、拳をあてた。

 そうやって、どれほど時が過ぎただろう。

 答えは出て、初代が手刀を収める。

 向かい合う、翠緑の二人。

 そして、御盾の翠緑が、初めて初代を映した。

 優しい、夢の中で見た微笑み。

 あぁ、と御盾は思う。彼女にとって、これがいつもの彼女の表情なのだ。

 だって、その微笑は、ひどく初代に似合っていたから。

「うん、正解」

 そう言って、不意に、初代が動いた。

 自然に、ゆっくりと、かわそうと思えばかわせる速度で――

 その細い手が、御盾の翠緑の髪に、触れた。

 撫でられた――そう理解するまで、数秒かかった。

 温かな、もういない人間のそれとは到底思えない優しい温もり。

 姉とも、運命とも違うそれは――まるで母親のそれで。

「ねぇ」と、初代が呼びかけてくる。

「貴女の盾は、何を守るためにあるの?」
「……」

 それは、御盾にとってひどく簡単な問いだった。

 きっと過去の彼女なら、自身の国民のためという、大して顔も知らない人間のためだと答えただろう。それが盾王としての正解だから。

 けれど、それは正解であっても間違いだ。

 御盾は、盾王であってもただの人間だ。

 人に触れてもらえず寂しくなれば――
 姉が死んで、自棄してしまう。
 友達が出来たことに喜んで――
 本当に守りたい人を見つけて、その人に受け入れてもらえて、涙する。

 そんな、ただの人間なのだ。

 そんな彼女が見ず知らずの誰かのために戦うことなんてできない。

 だから、御盾は答える。

 盾王としてではない――御盾としての、答えを。

「私の盾は――たった一人、守りたい人のためにあります」

 揺らぐことのない決意を翠緑の瞳に抱いて、静かに告げた言葉。

 返されるのは、ひどく淡い微笑みと、

「うん、正解」

 繰り返される、温かな信頼。

 初代が、もう一度御盾を撫でた。

 ゆっくりと、愛おしむように。

「頑張ってね、今の盾王さん」

 温もりと励ましのご褒美をもらって、御盾の視界を、翠緑が埋める。

 それが、盾王の『試練』の合格だった。





「ではではただ今より、第108回『鞘呼ちゃんをこっち側に染めちゃいましょうぜヒーハー!作戦』を開始します!」

 ドンドンパフパフという効果音を自身の口で言う無盾に、鞘呼は残念なモノを見る目を向ける。

 場所はいつもの鞘呼の部屋だ。女味の薄いそこにはいつの間にか持ってこられていたホワイトボードがあり、その前に胸を張って無盾が仁王立ちしている。偉く自身の存在を主張してくる彼女の胸に何故か苛立ちを鞘呼は覚えた。

「えー、この作戦の意義は名前の通り鞘呼ちゃんを遠くない未来の内にこっち側に誘い込もうと言うモノです! ちなみにこっち側がどんな側なのかは想像にお任せします! あ、でもエッチな想像ってか妄想はダメですよ! きゃっ!」
「……」

 もう十六歳になろう少女の気持ち悪い「きゃっ!」に鳥肌が立つのを感じた鞘呼だった。

「では早速いってみよう!」

 そう言って、無盾がホワイトボードに文字を書き連ねていく。未だに声を発していない鞘呼の心中など欠片も知らないほどの能天気さで動く彼女に、鞘呼はどうしてこんなやつに興味持ったんだろうと過去の自身を貶してみた。もちろんそんなことで無盾が消えてくれることはなかったが。

 そんなことを考えていた内に、無盾は書き終わったようだ。きゅと音を立ててマジックのキャップを締める彼女は、とても満ち足りた笑顔で言った。

「まずはジャブからいってみましょう! はい鞘呼ちゃん! 自分が笑っているのを文字だけで伝えるにはどうすることが正解ですか!?」
「……知るか」
「えー、分からないのぉ? 鞘呼ちゃんがぁ? 仮にも剣王閣下の純血さんがぁ?」
「……」

 鞘呼は非常にイラっとした。

「あぁ別にいいよぉ。そうだよねぇ、鞘呼ちゃんもただの人間だもんねぇ? わからないことがあっても仕方ないよねぇ?」
「……いい度胸じゃない」

 ぼそりと、地獄から響くような声が発せられた。

 声の発生源である鞘呼を見れば、その片頬は怒りが浸透し過ぎてぴくぴく震えている。

 彼女は知らない。この時無盾がやっぱりこの子単純だなぁと思っている事実を。

 そんな他者の思考など知る由もない鞘呼は、堂々と、未だ発達途上の胸を張って答えた。

「(笑)よ!」
「ぶっぷー。正解は『wwwwwwwwww』でした!」
「分かるかぁぁぁぁ!」

 ホワイトボードに書かれたそれを指して言う無盾に叫ぶ鞘呼。無盾がやれやれと言うように肩をすくめたのが異常にイラつく鞘呼だった。

「まったく鞘呼ちゃん、これは初心者レベルよ? こんな所で躓いてたんじゃ私たちの目指す頂にはたどり着けないわよ?」
「達を付けるな! あんたが勝手にたどり着きたいだけでしょ!?」
「はいはーい、では第二問!」
「無視された!?」

 軽くショックを受ける鞘呼を華麗にスルーする無盾。

「謝罪の意を示す適切な言葉は何でしょう」
「……ごめんなさい?」
「正解は『ふひひ、サーセンwww』でした」
「うおぉぉぉぉぉい!?」
「どうしたの鞘呼ちゃん? そんなに叫んで」
「これが叫ばずにいられるか! 何よそれ! 全然謝られてる気がしないしむしろ異常にムカつくんですけど!?」
「そう?」
「そう思わないあんたの神経が信じられないわ!」
「ではでは続いて第三問!」
「また無視か!」
「相手が本当に信じられないことをしたときに言うべきセリフは?」
「……信じられないわまったく?」
「『馬鹿なの? 死ぬの?』でした!」
「がががががががが!」
「あらあら、鞘呼ちゃんが壊れたパソコンみたいになっちゃたわ。どうしてこうなった?」
「責任であり原因は私の目の前にいると思われるんですがねぇ!?」
「そんなバカな。だって今鞘呼ちゃんの前にいのは超絶最高の美少女だけよ?」
「はいはいワロスワロス。大事なことだから二回言いました」
「……え?」
「……え?」
「……」
「……」

 気まずい沈黙。

 十秒ほど続いたそれの後に待っていたのは――歓喜の叫びだった。

「キタ――――――――! 苦節一年! 遂に鞘呼ちゃんに自発的に言わせることに成功したわ!」

 よほど嬉しいのだろう。ガッツポーズまで決めてしまう無盾だが、鞘呼としてはそんな場合ではない。自身のイメージが崩れていくのを感じ、必死に言い訳する。

「ち、違うの今のはなし! ノーカンよノーカン!」
「なにがですかぁ? なにがノーカンなんですかぁ?」

 非常にイラつく言い方をする無盾だった。

「あ、ああああああんたねぇ!」

 拳を握りしめる鞘呼。そんな彼女を見て、無盾は「ふっ」とクールに笑う。

「殴る? いいわよ。今の私は殴られたことさえ快感にする超越者だから!」
「こ、このHENTAI!」
「え?」
「え?」

 もはやいろんな意味で手遅れだった。

 数分後、もはや言い返すことさえ出来なくなった鞘呼は部屋の片隅でずーんと落ち込んでいる。

「では更に言ってみましょう第四問!」
「ちょっとはこっちの気にもなってもらえませんかねぇ!?」
「ダダン! 相手に本当に死んでもらいたい時に言うセリフは何でしょう?」
「今の私にぴったりね! ぶっ殺す!」
「ぶっぷー。正解は『死ね! 二回死ね!』でした!」
「~~~~~~~~!」

 怒りに声も出なくなる鞘呼だった。

 そんな彼女を見かねたのだろう。無盾は不意に優しく微笑んで言った。

「鞘呼ちゃん、いいこと教えてあげるわ」
「……何よ?」
「大人になっても胸が大きくならなかったら、『おっぱいなんてただの飾りです。偉い人には分からんのです』っていえば大丈夫よ」
「なんのアドバイスだぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 と、鞘呼が叫んだとき――不意に、ドアがノックされる。

 ぎくりと鞘呼が驚き、制止をかける前に、ドアが開かれ、白のメイドが顔を出した。

「あの、鞘呼様? 何か叫んでいらっしゃいますがどうかいたしましたか?」
「え、いや違うのよコイツは!」

 咄嗟にその年相応の小さな身体を動かして無盾を隠そうとする鞘呼だが、さすがに自身でも無理があると思った。

 もうダメだ――そう、観念した鞘呼は思わず目をつむってしまい――

「コイツ? どなたかいらっしゃいますか?」

 不思議そうなメイドの声に、目を見開く。

 鞘呼はメイドを見た。不思議そうに首を傾げる彼女に嘘は見えなくて――恐る恐る鞘呼が振りかえると――そこに、段ボールがあった。

 まるで人が一人丸まれば丁度収まってしまいそうな段ボール。

 ミカンと書かれ、まるで視界を確保するための二つの小さな穴があいた段ボール。

「……何でもないわ。下がっていい」
「? 分かりました……あの、鞘呼様」
「……?」
「その、分不相応かもしれませんが、悩みがありましたら、私が聞きますので、遠慮なさらずおっしゃってくださいね?」
「? えっと……うん」

 ひどく悲しそうな顔でそう言われ、驚きながらも答える鞘呼。そんな彼女に一礼して、メイドが部屋から出ていく。

 部屋に満ちる、気まずい沈黙。

 破ったのは、鞘呼だった。

「……無盾?」
「何かしら?」
「それ、なに?」
「段ボールよ」
「……段ボール?」
「えぇ、段ボール」
「……なぜ、段ボール?」
「知らないの鞘呼ちゃん!? 段ボールは隠密行動に必須のアイテムなのよ!」
「知らないわよ! てかさっきの子、よくこれに気付かなかったわよね!?」
「? さっきの子だけじゃないわよ? 私ここに来る時いつもこれで身を隠してるけどばれたことは一度もないわ!」
「世界がどうかしてるとしか思えない……」

 そんなことを言って、鞘呼は「はぁ」とため息をつく。

「でも、よくばれなかったわね。段ボールはともかく、あんたの声も聞こえてそうなもんだったけど」
「あ、その点は大丈夫よ。だって私の声、外には漏れないようにしてるから」
「……はい?」

 あっけんからんと言う無盾に鞘呼が目を丸くすれば、彼女は「よっこいしょ」と段ボールから出つつ言う。

「破壊の力の応用ね。私の声は、この部屋から漏れた瞬間壊れるように設定してるの」
「……破壊って、そんな風にも使えるのね」
「えぇ」
「だったら私の声も消しといてくれればいいのに……うん?」
「どうかした? 鞘呼ちゃん?」
「……あんた今、私の声は消していないって言ったわよね?」
「えぇ」
「それじゃあ、声が漏れてたのって、私だけってこと?」
「イエス」
「……」

 鞘呼は考えた。
 無盾との会話で出ただろう、無数の自身の叫び声。
 そして、先のメイドの気遣わしげな態度。
 導かれる答えは――

「……もしかして私って、夜一人で叫んでるってことになってる?」
「そうねぇ。隠れてこっちに来る時メイドさんがお喋りしてたわよ? 最近鞘呼様が一人で叫んでるって」
「はぁぁぁぁぁぁぁ!? 何しちゃってってんの!? えぇ!? ちょっと待ってそれって私かなり痛い人じゃない!」
「うん」
「うん、じゃねぇわよ! 馬鹿なの!? 死ぬの!?」
「ふひひ、サーセンwww」
「サーセンじゃないわよ!」
「wwwwwwwwwwwwwww」
「死ね! 二回死ねぇぇぇぇぇ!」

 追っかけまわす鞘呼と逃げる無盾。

 こうして剣王の城では更に鞘呼の乱心が噂されるのであった。


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