ZOUO!DEBASO氏!インタビュー、其の三!
次々に出てくる知られざる歴史の数々!
今回は、ZOUOの音楽性について掘り下げ!
さらにファッションからツアーエピソード、etc...と盛りだくさんでお送りします!
Z:
高校1年だったら、お金とかそういうのも考えないですよね。
D:
そうそう。
お金のことは、まったくでしたね。
楽しかったらええ、っていうか。
M:
出せてうれしいっていうのもありますもんね。
N:
もう、楽しいっていうのでやってたから。
お金になるっていう考えは、まったくなかったな。
Z:
でも、1000円だから、600円として、60万ぐらい儲かってますもんね。
N:
ほんまやな(笑)。
そのお金どこへいった? って感じやけどね(笑)。
M:
ラフィンカンパニーへ(笑)。
N:
吸い上げられたんかな(笑)。
Z:
音源は、PONさんから出さないか? って言われたのですか?
ところで、PONさんは年上ですか?
N:
PONは、西田君のひとつ上やったんかな。
CHARMYはもっと上?
M:
いやいや、もっと上。
50歳手前ぐらいでしょ。
N:
そっか、もう50歳近いんかな。
俺らが当時、16歳ぐらいの時、20歳そこそこやったんか。
Z:
もう、大人ですもんね。
N:
やっぱりそこは、お金の計算もちゃんとできるな(笑)。
Z:
ここ、ちゃんと連絡先書いてますもんね。
N:
俺、言われるまで気がつけへんかったわ(笑)。
Z:
そうですか、みんな10代の時でしたから。
レコード出せへんか? 出します!っていう流れで。
N:
タダで出せるんやったら、って思うやんね。
Z:
レコードは何枚かもらえるのですか?
N:
たぶん、もらったけど、1枚だけ。
後にこんなことなるんやったら、買っといたらよかった(笑)。
Z:
そうですよね(笑)。
1人、1枚しかもらえなかったのですか?
N:
うん、確か1枚。
M:
僕も"不法集会"の時、もらったの1枚だけやったね。
N:
"不法集会"の時も、メンバーに各1枚やったね。
Z:
"不法集会"も当時は、すごく売れてたでしょ?
5000枚とか。
M:
メチャクチャ売れたんちゃうかな。
ポニーからもCD出てるし。
N:
CDになってから、西田君に『これ、CDになったから』ってもらった。
ただ、それだけやったな(笑)。
Z:
当時は、どの辺のバンドとよくライブやってました?
N:
あの当時は...
MEMAI、LAUGHIN'NOSE、BAWS、MOHAWKS、MOBS...。
M:
FREEDOM。
N:
はいはい、タイキとこの。
Z:
すごいですね...高校1年で。
"不法集会"になると、音楽性も変わりますよね?
N:
EPの頃は、ほとんどオキノが作ってたんやけど、オキノが抜けてしまって、新しいベースが入ったんですよね。
それで"不法集会"の2曲は、俺が作ってる。
どっちかといえば、メタル寄りになってるんかな。
Z:
そうですよね。
N:
EPの頃は、DISCHARGEやG.B.H.を聴いてたけど、"不法集会"の頃になると、メタルを聴きこんでたからね。
VENOMとかMOTORHEADとか。
どうしても聴いてるものが音に出て、そっちにいってしまったんかな、っていうね。
西田君にしたら、イヤやったかも知れへん。
たぶんね。
Z:
自分は、"不法集会"のほうが好きなんですよ。
N:
ああ、そう(笑)?
Z:
コラージュというか。
N:
いろいろ遊びが入ってる感じやね。
やっぱり、俺も好きやけどね。
EPの時は、出せるからやる! って感じで、前もっての準備がまったくない状態やったから。
"不法集会"の時は、ゆっくり作れる時間があったんですよ。
Z:
じゃあ、その頃は、ハードコアよりメタルが好きだった感じですか?
N:
俺的には、基本ハードコアなんやけど、メタルの部分も取り入れてって考えてたな。
自分の中で、新しいものを求めてたのもあったかも知れないですね。
そこは、西田君的に違う方向性に行ってしまったって思ってるん じゃないかな。
Z:
そうなんですね。
"不法集会"の時は、高校3年生ぐらいですか?
N:
そうやね、高3かな。
Z:
ZOUOって当時の他の人と比べると、ファッション的に飛び抜けてるじゃないですか。
この間、友人たちとも話してたんですけど、やっぱりZOUOはファッション性も高いって話だったんですよ。
今でこそ鋲や革ジャン、何でも揃いますけど、82〜83年頃って売ってなかったじゃないですか。
当時にすれば、かなり完成度が高かったと思うんですよね。
N:
無いものは、自分たちで作るっていう考えやったからね。
例えば、背中に好きなバンドのロゴとかを写して...何ていうかな、シートみたいなヤツ。
下敷きみたいなのあるやん?
何て言うの? アレ。
M:
カッティングシート?
N:
じゃなくて、ペラペラの下敷きみたいな柔らかいヤツ。
M:
プラ板?
N:
プラ板じゃなくて、机に敷いてあるような...。
Z:
ああ、ビニールみたいなヤツですね。
N:
そうそう!
あのビニールみたいなのを、好きなバンドのジャケットをコピーした物の上に乗せて、それをカッターで切り抜いて、その枠をあててスプレーで噴いたりとか。
M:
版を作るみたいな感じで。
N:
そうそう。
みんなよくやってたんですよ。
Z:
影響を受けたミュージシャンや、手本になるファッションってありました?
N:
ファッションか...何やろ?...。
Z:
この写真見ると、髪型もこう、ちょっと...。
N:
何やろ、これ?
なんでこんな頭してんねやろ(笑)。
まあ、基本的に人と同じのは、みんな避けてましたからね。
それなりにオリジナリティなとこ見つけて、被らんようにしてたんちゃうかな。
Z: この髪型とかすごいですもんね。
N:
すごいよな(笑)。
Z:
結局、ZOUOは何年ぐらい活動したのですか?
N:
3年半ぐらいかな。
Z:
ライブは、かなりの数をやってました?
N:
83年ぐらいまでは、かなりやってたと思います。
ほぼ毎月。
Z:
印象に残るライブとかありますか?
N:
印象に残ってるライブ...
どこやろな...。
M:
徳島?
N:
徳島(笑)?
あれは、どこがおったっけ?
M:
ZOUO、OUTO、MOBS...COBRAもおったかな?
N:
COBRAおった?
M:
たぶん...
2回ぐらい行ってると思うねんけどな。
MOHAWKSもおった!
シン君が居たから。
徳島のスタジオへ行った時に、シン君が声かけてきたの憶えてる。
『自分ら、OUTOやろ?』って。
メッチャうれしかったもん(笑)。
Z&N:
(爆笑)!!
N:
『OUTOやろ?』って言われたんや(笑)。
M:
そうそう(笑)。
ライブは、確か野外でやったのかな。
N:
そやそや! 野外でやった。
Z:
え?
野外ライブだったのですか?
N:
初の野外ライブ(笑)。
ちょうど、徳島の阿波踊りの時やったな。
M:
ジョータロー君の地元やったんやけど、ヤンキーたちが、『おお〜!ジョータロー! 』って言いながら、ブワ〜ッって寄ってきて(笑)。
俺らは、うわ〜怖い怖い! みたいな(笑)。
Z:
野外ライブだったんですね!
N:
でもあれが初の野外ライブで、後にも先にも1回だけです。
Z:
野外ライブは、どこでやったのですか?
M:
なんか、駅前やったような気がする。
N:
商店街かなんかのヤツやったな。
Z:
観客は一般の人?
M:
阿波踊りやったからね、普通の人でしたね。
異質やったのは憶えてる(笑)。
N:
異質(笑)。
Z:
当時は、かなり異質ですよね(笑)。
観てる人も何? みたいな。
それは、誰が呼んでくれたのですか?
N:
ジョータロー君。
MOBSのギターの子が地元で、ライブを組んでくれたんですよ。
俺らも初ツアーで、OUTOとかと一緒で。
Z:
そのツアーの写真は見たことがあるんですよ。
N:
ミッチュンも初ツアーやった?
M:
あれが初ツアーやった。
Z:
フェリーの写真は、見せてもらいましたよ。
ちょっと、みんなキメてる感じで(笑)。
N:
フェリーて(笑)。
Z:
あの時は、フェリーですもんね?
M:
そうそう、フェリー。
現地はタクシーで移動して。
Z:
かなりの待遇ですね(笑)。
N:
ミッチュンたちは、高知でもやった?
M:
高知は、たぶんやってないな。
また別のツアーで行った記憶はあるけど。
N:
俺ら、あの時のツアーで高知も行ったで。
M:
あれ?
忘れてる(笑)。
無ければ自分で作る!
D.I.Y.の精神を持つことは、音楽や遊びにしても"無"から何かを生み出し、人とは違うものを作り出すことに繋がります!
そして、時代を踏み固めながら進むZOUOのゆく末は...?
次回も目が離せません!
こうご期待!!!
次回更新日は4月18日月曜日です!
ZOUO BARMYARMY TSHは...
引き続き
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