投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイルお絵描き<IMG><OBJECT>タグが利用可能です。(詳細)
    
  ファイル1
  ファイル2
  ファイル3
アップロード可能な形式(各1MB以内):
画像(gif,png,jpg,bmp) 音楽(mmf,mld) 動画(amc,3gp,3g2)

 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.>その他 | 画像 ] [ お絵かき ] [ 検索 ]

投稿募集! スレッド一覧

他のスレッドを探す  スレッド作成

[PR] カスベ 妊娠中 風邪 ホテル 伊東 渋谷 美容院 
teacup. ] [ 無料掲示板 ] [ プレミアム掲示板 ] [ みんなの掲示板 ] [ 無料ブログ ] [ チャット ] [ お絵かき twitter ]

全99件の内、新着の記事から100件ずつ表示します。 1  |  《前のページ |  次のページ》 

(無題)

 投稿者:初心者  投稿日:2011年 8月30日(火)21時24分2秒
返信・引用
  大石寺派の遺文集のものでしょ。真偽未決なものではないんですか。  

教えて下さい

 投稿者:初心者  投稿日:2011年 8月30日(火)18時08分13秒
返信・引用
  >私は、本尊問答抄について、諸兄のご賢察を賜りたいと存じますが、
いかがなものでしょうか?
 これは、どの遺文全集のナンページにありますか。
初心者で分かりません。
 

本尊問答抄について

 投稿者:  投稿日:2011年 8月28日(日)13時11分10秒
返信・引用
  すぐ九月です。まだまだ暑いですね。
>何か、テーマを出しながら色々議論しあうのもよろしいかと思います。

私は、本尊問答抄について、諸兄のご賢察を賜りたいと存じますが、
いかがなものでしょうか?
 

皆様、ご無沙汰しております。

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 8月13日(土)10時06分55秒
返信・引用
  毎日暑い日が続いております。
外にお出かけの際は、熱中症にお気をつけ下さい。
また、活発な議論がなされていないので、何か、テーマを出しながら色々議論しあうのもよろしいかと思います。
 

Re: 唐突ですが

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 3月24日(木)20時28分33秒
返信・引用
  > No.108[元記事へ]

中さんへのお返事です。

> こんにちは、管理人さん、そうでしたか、「お帰りなさい」
>
> さて、唐突ですが、以下の現訳がどうも、うまくいきません。
>
> 正応2年2月12日「波木梨入道日円より大隈殿への状」の一節です。
> 久遠寺本堂での出来事を書いたものと思います。以下です。
>
> 聖人の御本尊の入らせ給いて候御厨子(ずし)に仏造りて入れ進らせ候わんと申して候いしは、
>
> 白蓮阿闍梨御房も聞かせ給い候いしに、尤(もっと)も能(よ)かるべしと仰せ候いしなり、
> 聖人の御仏は始成の仏にて候と和泉殿仰せられしを、
>
> など聖人は秘蔵し進らせて我より後には墓の上に置けとは仰せ候いけるぞと問答申して候えば、宣(の)べやらせ給い候わで御立ち候いき。
>
> (正応2年2月12日「波木梨入道日円より大隈殿への状」/『富士宗学要集』第8巻13頁~)

中さん、こんにちは。

読んだ如くと思います。

他にどのように読めるのか、お聞きしたく存じます。


 

唐突ですが

 投稿者:  投稿日:2011年 3月24日(木)18時53分37秒
返信・引用
  こんにちは、管理人さん、そうでしたか、「お帰りなさい」

さて、唐突ですが、以下の現訳がどうも、うまくいきません。

正応2年2月12日「波木梨入道日円より大隈殿への状」の一節です。
久遠寺本堂での出来事を書いたものと思います。以下です。

聖人の御本尊の入らせ給いて候御厨子(ずし)に仏造りて入れ進らせ候わんと申して候いしは、

白蓮阿闍梨御房も聞かせ給い候いしに、尤(もっと)も能(よ)かるべしと仰せ候いしなり、
聖人の御仏は始成の仏にて候と和泉殿仰せられしを、

など聖人は秘蔵し進らせて我より後には墓の上に置けとは仰せ候いけるぞと問答申して候えば、宣(の)べやらせ給い候わで御立ち候いき。

(正応2年2月12日「波木梨入道日円より大隈殿への状」/『富士宗学要集』第8巻13頁~)


以上ですが、私は、この様に訳しています。

聖人が本尊としていた随身釈迦立像は遺言により

大国、日朗師が持ち帰り、空になっていた御厨子(ずし)に同様の仏像を造りて入れると
波木井実長が申して、日興師も「尤(もっと)も能(よ)かるべし」と仰せ候いしなり、

しかし、和泉、日法師は「一体仏では、始成の仏となりはしませんか?」「宗祖のお墓にあってこそ、「久成釈尊と上行日蓮の関係」となるのではありませんか」と問答あるも、これには日興師は答えず、無言のまま、お立ちになられた。

諸兄のご指導を賜りたい。
 

Re: 日蓮正宗信徒のフジ助改め淫罪院フジ助でございます。

 投稿者:管理者  投稿日:2011年 3月22日(火)05時30分40秒
返信・引用
  > No.95[元記事へ]

淫罪院フジ助さんへのお返事です。

> 日蓮正宗信徒のフジ助改め淫罪院フジ助でございます。
>
> 管理人様はどうされたのでしょうか?
> せっかくの有益な掲示板なのに・・・
>
> 心配しております。

ご心配くださり、有難う御座います。

このたびの大震災発生一週間前ほどに、海外より帰国いたしました。

御迷惑をお掛けしました。

どうぞ、末永くお付き合いの程、よろしく御願いします。

 

Re: 日蓮正宗の板曼荼羅について

 投稿者:管理者  投稿日:2011年 3月22日(火)05時00分46秒
返信・引用
  > No.96[元記事へ]

日蓮宗初心者信徒さんへのお返事です。

> 日蓮正宗の板曼荼羅について教えて下さい。
> 私の持っている御遺文集は平楽寺のものしかないのですが、日蓮聖人はその板曼荼羅について
> どのように書き残しているのですか。
> おおしえください。平楽寺版でおねがいします。

書籍名は、読んだ方がわかるようにお願いします。

平楽寺版といっても、意味が通じないようにおもいます。

宜しくお願いします。

 

東北関東大震災

 投稿者:管理者  投稿日:2011年 3月22日(火)04時56分31秒
返信・引用
  合掌

被災地の皆様、被害に遭われました皆様、お見舞い申し上げます。
 

佐渡始顕本尊

 投稿者:  投稿日:2011年 2月25日(金)01時07分1秒
返信・引用
  書きましたように毎日新聞の記者に依れば

「日蓮の直筆曼荼羅は戦前から127点確認されている。今年5月、新潟県三条市の本成寺で約半世紀ぶりに直筆曼荼羅が発見されており、同寺の曼荼羅で129点目になる。」ということで、129点と言うことのようですね。

佐渡始顕本尊については、いろいろと言われていますので、詳しい人の解説をまつことにしたいのですが、基本的にはその名のごとく

文永一〇年(一二七三)七月八日、佐渡一谷(いちのさわ)において初めて大聖人が始めて図顕した大曼荼羅本尊のことを言うわけですね。

それまでに二、三習作があるが、大曼荼羅として整えられたのはこれが最初であり、しかし、残念な事に、真蹟は明治八年の身延山大火で焼失してしまいましたね。

ただ、身延山三三世日亨師(一六四六-一七二一)がですね『宗祖御本尊集』(御本尊鑑)に臨写されておりましてですね、その書式を知ることができるのですね。

本尊脇書に「文永八年太才辛未九月十二日、御勘を蒙りて遠く佐渡の国に流さる。同十年太才癸酉七月八日、之を図す。

此の法華経の大曼荼羅は仏滅後二千二百二十余年の間、一閻浮提の内、未だ曽て之れ有らず。日蓮始めて之を図し上る」とあり、

『本尊抄』述作から三ヵ月ばかり後、本尊の儀相を始めて図顕して大曼荼羅として世に表されたことがわかるわけですね。

これも、ご存知のことだと思いますが
この御本尊の様式は諸仏諸尊皆悉く南無の二字を冠する総帰命式であり、讃文は上部に「此経則為閻浮提人――病即消滅不老不死」、

下部に「如来現在猶多怨嫉況滅度後」等が書されている。

その形状は日亨師が「絹地巾二尺六寸一分、長五尺八寸二分」と記録していますね。

この御本尊は佐渡始顕ということで大きな意義がある訳ですが、
大聖人はその後本尊の書式に手を加えられ、弘安年間(一二七八-八二)に至って整備治定されていて、

文永期のこの本尊と再治後の本尊とでは書式に大きな変化がみられるのも、
ご存知のとおりですね。

ただ、私個人が尊敬する人たちが投稿活動しているサイトにこのようなご意見がある事も知っていただきたいと考えています。

http://ip1.imgbbs.jp/read3/fujikyougaku/9/49/

図をクリックすれば拡大しますね。ぜひ、参考にしてください。
 

未整理ですが

 投稿者:  投稿日:2011年 2月24日(木)20時10分22秒
返信・引用
  資料の整理が出来ていません。が参考になりましょうかね。

1、最近発見された御本尊として、小田原浄永寺所蔵一幅、香川県慈雲寺所蔵一幅があり、現在知られている御本尊の総数は一二五幅である。

2、聖人直筆御本尊は身延山三三世遠沾院日亨が臨写した身延所蔵二二幅などが知られるがこれら身延所蔵本尊は明治八年焼失した。

3、毎日新聞から、
仏教の世界観を文字で表現
鎌倉の妙本寺所蔵の曼荼羅、日蓮直筆と判明 /神奈川

 鎌倉市大町1の妙本寺(加藤日暉貫首)の所蔵する曼荼羅(まんだら)1幅が、日蓮の直筆であることが判明し同寺が19日、発表した。

日蓮の直筆曼荼羅は戦前から127点確認されている。今年5月、新潟県三条市の本成寺で約半世紀ぶりに直筆曼荼羅が発見されており、同寺の曼荼羅で129点目になる。

 曼荼羅は、縦49・1センチ、横31・1センチの1枚の楮紙に油煙墨で書かれている。中央に「南無妙法蓮華経」、周囲に法華経に出る仏や菩薩、守護神の名が記されている。

曼荼羅には、日付と与えられた弟子の日行の名、日蓮の署名と花押がある。調査した中尾尭・立正大名誉教授は「筆跡と紙質などから日蓮の直筆に間違いない」と説明した。

 曼荼羅は、仏教の世界観を表現した図。画像で表現された物が知られるが、日蓮は文字で表現したという。この曼荼羅は本来、同市小町1の大巧寺が所蔵していたが、江戸時代初期に徳川家ゆかりの妙本寺に渡ったようだ。表装には葵の紋が描かれている。

このため、日蓮直筆の曼荼羅はすべて「宗宝」に指定されているが、表に出ず、今まで「直筆」とされていなかったという。

【吉野正浩】毎日新聞 2004年11月20日
 

くわしくはありませんが

 投稿者:  投稿日:2011年 2月22日(火)23時24分28秒
返信・引用
  日蓮宗の中と申します。

>日蓮正宗の板曼荼羅について教えて下さい。

師、日蓮も六老僧たちも「日蓮正宗の板曼荼羅」は知らないのではありませんか?
遺文記述にはないと思います。

後世、日寛師の説明によれば、
「菩薩に、「私(日蓮)は何を本尊とすべきか教え給え」と祈ると、老人が現れて、
「七面山明星が池を見よ」とのお告げがあり、言われる如く池を覗くと、そこには、

不思議なり日蓮が影今の大曼荼羅なり、」と「御本尊七箇之相承」を板曼荼羅様の依文としているようですよ。(日寛著「六巻抄当流行事抄第五」)

また、解説は出来ませんが「取要抄分段・研教書p138」には
「明星が池」での末法の御本尊感得は「聖寿32歳建長五年四月二十八日」となっているようですが、しかし、この日は正午に「立宗宣言」する日ですからね。


ただ、周知のごとく、
既成宗教の本尊は、木に彫ろうと字に書こうと、その“本尊・曼荼羅”を通して、
「仏・菩薩」にお会いするわけです。

いまさらですが、
その本尊・曼荼羅が破損すれば修理も、し、万一の時には新しい本尊・曼荼羅を新設して、旧来の信仰生活に戻るわけですが、

ここが、大石寺では違うようです。

どうもこの板曼荼羅は「これを通して仏に逢う」のではなく、板曼荼羅そのものが、日蓮であり、仏だと言うことのようです。

この「板曼荼羅」は、今では珍しい偶像(字像)信仰という特徴でも知られているようです。

破門事件などを経て、信者数は激減しましたが、海外からも善男善女が今もお参りしているようですね。
 

VIVA自分

 投稿者:富岡  投稿日:2011年 2月15日(火)02時40分42秒
返信・引用
  なんかラップとかヒップホップとかだせえくせに流行ってるよな
超イラつくぜ ヒップホップとかやってるやつ全員殴りたい
 

静か過ぎますね。

 投稿者:  投稿日:2011年 1月25日(火)10時12分21秒
返信・引用
  あっ!と言う間に二月ですね。

数少ない日蓮宗系の掲示板ですからね、ちょっとした、疑問やなんか、色々な質問をしてみたいと思っています。

どうかよろしく、お願いいたします。
 

日蓮正宗信徒のフジ助です。

 投稿者:フジ助  投稿日:2010年 8月14日(土)15時43分52秒
返信・引用 編集済
  日蓮正宗信徒のフジ助です。

管理人様、大変ご無沙汰しております。

最後に投稿したのが2010年5月23日(日)11時38分40秒でしたがその後は多忙の為に投稿出来ずに失礼致しました。
こちらの掲示板も開設から数ヶ月が経過し一連のご祝儀投稿もひと段落し本来の趣旨に添う形での発展を期待しております。


「本尊感も随分違うものだなぁ」 投稿者:フジ助  投稿日:2010年 5月23日(日)11時38分40秒
http://9322.teacup.com/nichiren/bbs/42

Re: 「本尊感も随分違うものだなぁ」 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月23日(日)21時03分5秒
http://9322.teacup.com/nichiren/bbs/43

浅学のフジ助に詳細についてご教示賜りたいと存知ます。 投稿者:フジ助  投稿日:2010年 5月25日(火)20時59分39秒
http://9322.teacup.com/nichiren/bbs/48

フジ助様 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月26日(水)15時30分53秒
http://9322.teacup.com/nichiren/bbs/48


さて今回はお互いの本尊感の違いにより発展した話題の返信になります。
以下の管理人様のご投稿のあと返信を失念していましたので。

>コメントありがとうございます。

>本尊集(日蓮正宗 細井 日達)非売品に関する詳細をわかる範囲でお答えします。

>※御本尊集 奉蔵於奥法實

>確か、限定100部しか当時でていないはずです。

>二回ほど、刊行されたものと思います。

ご指摘の御本尊集ですがフジ助的に捜索しましたが未だ発見出来ず的確なお答えが出来ない状況にあります。
最大の原因は限定100部・非売品であるという事です。

限定100部・非売品という事はおそらく何かの折に関係者のみに配布されたと考えるのが妥当ですから、
それらがオークションや中古本市場に出回る可能性は極めて低く発見するのは至難の業といえるでしょう。

「せめて装丁や奥付などの画像が存在するのでは?」と考え画像も検索しましたが結果は同様でした。


以下はフジ助的な推測となります。

日蓮正宗では現在「公式御本尊集」というものは存在していない事になっています。
限定100部・非売品での出版も話に聞いた事はありません。

なにかのイベント時に関係者のみのお配りしたと考えても部数が少なすぎます。
配布先を極めて限定したとしてもです。

配布先で考えられるのは僧侶や寺族・有力信徒などが考えられますが、到底100部や200部では数が足りません。

そこで考えられるのが日蓮正宗の宗務院が出版に携わった書籍ではなく他宗派による発行ではないかと推測しております。
近年、日蓮正宗では創価学会を始め冨士大石寺顕正会や僧侶グループを中心とした正信会、等々が当宗から破門後に独自の活動を継続しております。

創価学会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E4%BE%A1%E5%AD%A6%E4%BC%9A

冨士大石寺顕正会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%A8%E5%A3%AB%E5%A4%A7%E7%9F%B3%E5%AF%BA%E9%A1%95%E6%AD%A3%E4%BC%9A

正信会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E4%BF%A1%E4%BC%9A

その中でも若手僧侶を中心にした正信会は日蓮正宗時代から極めて優秀な者が多いと言われています。
特に専門家に指導を仰いだ古文書の修復や解析能力は非常に優れており各方面からも高い評価を得ているようです。

また正信会有志が集う研究機関の興風談所での書籍等の出版活動も盛んにおこなっているようです。

彼らの多くは昭和三十年代中程から総本山大石寺で始まった年分得度制度の出身者であり従来の寺ごとの師弟制度の中で修行した訳ではありません。
師匠は時の日蓮正宗第66世 日達上人迎下様であり、日達上人迎下様への想い入れも取分け強かったと聞いております。

そんな彼ら正信会の面々達が日達上人迎下様への強いメモリアル的な想いで興風談所を通じて発刊したのが、
管理人様ご指摘の本尊集(日蓮正宗 細井日達)非売品 ※御本尊集 奉蔵於奥法實ではないかとフジ助的には想像しております。

これですと限定100部・200部でも辻褄が合いそうです。
 

天城五兵衛さん

 投稿者:  投稿日:2010年 7月26日(月)11時02分1秒
返信・引用
  首を長くしてお待ちしておりますが、まだでしょうか?  

天城五兵衛さん

 投稿者:  投稿日:2010年 7月24日(土)03時39分7秒
返信・引用
  こちらでの、議論内容を決めたいので、宜しく御願い致します。

テーマをお互い出しましょう。
 

日蓮の本尊は釈迦仏像か、曼荼羅か?

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 6月17日(木)14時49分48秒
返信・引用
  宗祖御遷化記録

一、弘長元年(辛酉)五月十二日伊豆の国に流さる(御年四十)
 伊東八郎左衛門尉に預けらる(立正安国論一巻を造り、最明寺入道に奉る故なり)
 同三年二月二十二日赦免

一、文永八年(辛末)九月十二日佐土の島に流さる(御年五十)
 武州の前司に預けらる(極楽寺長老良観房訴状に依るなり)訴状別紙に在り。 同十一年(甲戌)二月十四日赦免
 同五月十六日甲斐の国波木井の身延山に隠居す(地頭南部六郎入道)

一、弘安五年(壬午)九月十八日武州池上に入御(地頭衛門大夫宗仲)
 同十月八日本弟子六人を定め置かる(此の状六人面面に帯す可し云云 。日興一筆也)



一、弟子六人の事  不次第
一、蓮華阿闍梨  日持
一、伊与公     日頂
一、佐土公     日向
一、白蓮阿闍梨  日興
一、大国阿闍梨  日朗
一、弁阿闍梨    日昭

右六人は本弟子也 仍つて向後の為めに定むる所件の如し

 弘安五年十月八日
 同十三日辰の時御滅(御年六十一)即時に大地震動す
 同十四日戌の時御入棺(日昭 日朗)子の時御葬也

一、御葬送次第

先火       二郎三郎鎌倉の住人
次大宝華 四郎次郎(駿河国富士上野の住人)
次幡       (左 四郎左衛門尉 右 衛門大夫)
次香       富木五郎入道
次鐘       大田左衛門入道
次散華      南条七郎次郎
次御経      大学允
次文机      富田四郎太郎
次仏       大学三郎
次御はきもの   源内三郎御所御中間
次御棺      御輿也

         待従公
     左  治部公
        下野公
        蓮華阿闍梨
前陣  大国阿闍梨
        出羽公
     右  和泉公
        但馬公
        卿公

        信乃公
        伊賀公
     左  摂津公
        白蓮阿闍梨
後陣  弁阿闍梨
        丹波公
        大夫公
     右  筑前公
        帥公

次天蓋    大田三郎左衛門尉
次御大刀 兵衛志
次御腹巻   椎地四郎
次御馬    亀王童 滝王童

一、御所持仏教の事
御遺言に云わく
仏は(釈迦立像)墓所の寺に立て置く可し云云
経は(私集最要文 注法華経と名づく)
同じ墓所の寺に篭め置き六人香花当番の時之れを被見す可し
自余の聖教は沙汰の限りに非ず云云
仍つて御遺言に任せ記する所件の如し
弘安五年十月十六日      執筆 日興 花押

(裏面紙の継ぎ目に、本弟子の裏判あり)
弁闍梨花押、大国闍梨花押、白蓮闍梨花押、佐渡公他行、伊予公他行、蓮華闍梨花押

・・・・・・・・・・・・・・
富士宗学要集5-141 日蓮宗宗学全書2-101 日興上人全集-111
系年 弘安五年十月十六日、正本 西山本門寺蔵


本尊三度相伝

一、本尊口伝

(図、略す)
示して云はく此の五形は我等が本分なり、迹門には此の五形一々に挙げず只ふさねて境と説く、此の五形の境を始覚の智と云ふ、爰を以つて方便品に云はく其深無量乃至諸法実相と、釈に云く境の淵・辺り無き故に甚深と云ひ智の水・測り難き故に無量と云ふ文、

又諸法は境なり実相は智なり、宝塔品の時多宝の境・釈迦の智と一塔に座し玉ふ事は境智不二の淵源を表するなり云云、

此の境智不二は何物ぞ

即我等衆生無始より今に至るまで受る所の生死なり、色心境智なり、千草万木の動静なり云云、

多宝已に入滅は是れ死なり、釈迦未だ入滅せず是れ生なり、此の動静の二を色心に当つる時心は動なり色は寂なり、故に多宝は我等死々の死相、釈迦は我等生々の生貌なり、二仏一塔に座すとは即生死即死生なり、此の如く生死一躰なるを不生不滅大涅槃とは云ふなり、

若し理智に約せば釈迦は我等が四陰心躰なり、心には動転の用有る故に釈迦には説法あり、多宝は我等が色陰の躰なり色は寂なり故に多宝は法を説かず、若し此の意を得ん者は我等が色心を動かさずして全く釈迦多宝なり、是を迹門にては即身成仏と説けり本門にては我実成仏と説けり、釈には無始の色心、本是れ理性・妙境妙智なりと釈す、伝教大師は一教の玄義に此の智と是の境とあり文。

一教とは法華独一の教なり玄義とは此の五形玄微の故に玄と云ひ深く由ある故に義と云ふ、凡そ法華二十八品の肝要只境智妙法の五形なり、本迹各境智不二の義有りと雖も迹門には始覚の転迷を論ず故に恵能く惑を破するに約し・面に智門を立つ、故に釈迦は右なり智なり、本門には本覚即徳を談ず、故に理に約して断結に能はず・面に理門を立つ、故に多宝左に在り左は理なり、然りと雖も互ひに境智色心・定恵、生死等は具足するなり是れを境智冥合とは云ふなり、余は之れに准じて知る可し、

爰を以つて大智の文殊は序品に居して此の経を発起し大理の普賢は経末に出でゝ此の典を流通す、証前起後・宝塔品に二仏一塔に住する即ち此の義を表するなり、所詮此の如き種々の深義何物ぞ但た我等が五形は境智なり、我等が色は多宝・我等が心は釈迦と談ずれば我等が無言は多宝の無説・我等が言説は釈迦の有説なり、釈に云く若し此の意を得ば掌菓を観るが如く法華一部の方寸知る可し文、此の方寸とは我等が五形の根源なり、此法門最秘々々口外に出す可からず口外に出す可からず。

次に二明王の事は愛染王は煩悩即菩提の躰なり、是の色赤きは渚覧~の色なり、此の渚覧~即是れ道と観ずれば明王なり、

さて不動明王は生死即涅槃の躰なり、其の色黒きは界内険氷・生死黒業は改めざる即不動明王なり、

されば愛染は恵なり・不動は定なり、此の愛染不動は何物ぞ定恵の二法なり、此の定恵の二法は何物ぞ我等が境智の二法なり、我等が境智の二法何物ぞ只是れ我等が本分の妙法なり、

爰を以つて経には歓喜して愛敬し能く千万種善巧の語言を以つて分別し演説し法華経を持つ故とも説き、又云く無量義処三昧に入つて身心動ぜずとも説けり、されば我等が煩悩愛染する時も妙法と唱ふれば即菩提の明王なり、我等が生死の動転する時も妙法と観すれば即涅槃明王なり、全く愛染不動とて別躰なし、只是れ我等が色心境智定恵の妙法是れなり、余准じて之を知るべし云云。

本尊の口決秘曲之に在り努め聊爾に之を伝ふ可からず。

身延山久遠寺番帳事

定 次第不同
 身延山久遠寺番帳事

正月、弁阿闍梨(日昭)
二月、大国阿闍梨(日朗)
三月、越前公(波木井)
   淡路公
四月、伊予公(日頂)
五月、蓮華房(日持)
六月、下野公(日秀)
   越後公(日弁)
七月、伊賀公
   筑前公
八月、治部公(日位)
   和泉公(日法)
九月、白蓮房(日興)
十月、佐土公(日向)
十一月、但馬公
    卿公(日目)
十二月、寂日房(日華)
    丹波公
右守番帳次第無懈怠勤仕之状如件(右番帳の次第を守り懈怠無く勤仕せしむべきの状件の如し)
 弘安六年正月 日  執筆 日興
      日持 花押
      日興 花押
      日朗 花押
      日昭 花押
・・・・・・・・・・・・・・
正本。池上本門寺。日蓮教団全史P52。

墓所可守番帳事


 墓所可守番帳事 次第不同
正月、弁阿闍梨(日昭)
二月、大国阿闍梨(日朗)
三月、越前公(波木井)
   淡路公
四月、伊予公(日頂)
五月、蓮花闍梨(日持)
六月、越後公(日弁)
   下野公(日秀)
七月、伊賀公
   筑前公
八月、和泉公(日法)
   治部公(日位)
九月、白蓮阿闍梨(日興)
十月、但馬公
   卿公(日目)
十一月、佐土公(日向)
十二月、丹波公
    寂日房(日華)
右守番帳次第無懈怠勤仕之状如件(右番帳の次第を守り懈怠無く勤仕せしむべきの状件の如し) 弘安六年正月 日
・・・・・・・・・・・・・・
正本。西山本門寺。日興上人全集P117。
 

お願い

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 6月13日(日)04時43分49秒
返信・引用
  > No.87[元記事へ]

お願い

管理者からのお願いです。
書き込みのルールですが、
他宗の事を書いたり、する事や御釈迦様のことでもいいのですが、日蓮の時代と比較してどうかという点で論を展開してほしいと思います。

見た人が、わからないようでは意味がなりませんので、ご協力をお願いします。
 

削除

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 6月12日(土)09時52分25秒
返信・引用
  鈴木様のコメントは、全て一旦削除させていただきます。  

Re: はじめまして、鈴木さん

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 6月12日(土)08時06分55秒
返信・引用
  > No.84[元記事へ]

鈴木さんへのお返事です。

忠告です。

人に意見を求められ、答えられないのであれば、無駄な投稿はしないで下さい。
御覧の方々の迷惑になりますので、ご理解の程、宜しくお願い致します。

管理者
 

Re: 議論の内容。

 投稿者:道元  投稿日:2010年 6月11日(金)16時27分29秒
返信・引用
  > No.80[元記事へ]

鈴木さんへのお返事です。

> 管理者さんへのお返事です。
>
> > 鈴木さんと呼ばせていただきます。
> >
> > 曹洞宗の議論のテーマにしますか?
> >
> > 御教示いただけますか?
>
>  日本の曹洞宗は、大乗仏教の一派です。
> それは、中国曹洞宗の教えを元にしています。
> しかしながら、その教えは中国曹洞宗とは少し違い、道元禅師様独特の教えがあります。
>
>  特に正法眼蔵が有名です。
> 日本曹洞宗の開祖である道元が、1231年から示寂する1253年まで生涯をかけて著した87巻(=75巻+12巻)に及ぶ大著であり、日本曹洞禅思想の神髄が説かれている。道元は、中国曹洞宗の如浄の法を継いだが、さらに道元独自の思想深化発展がなされている。 また、鎌倉時代の仏教者の主著が全て漢文で書かれている(法然、親鸞『教行信証』、栄西、日蓮、…)時代に、真理を正しく伝えたいという考えから日本語、仮名で著述している。 古い巻の記述を書き直し、新しい巻を追加して、全部で100巻にまで拡充するつもりであったが、87巻で病のため完成できなかった。その後、拾遺として4巻発見され追加されている。
>
> (仮字)『正法眼蔵』は、道元の禅思想を表現するために、語録から特に公案で使われてきた重要な問答を取り出し、それに説明注釈する形で教えを述べている。これの種本が(真字)『正法眼蔵』であり、10種類ぐらいの禅語録から道元からみて重要な300則の禅問答を抜き出しているが、ただそのまま写すのではなく、その段階で既に道元の思想から若干の変更が加えられていることが研究の結果分かっている。

上記文は、鈴木さんの論文でしょうか?

それとも、どちらかの転載ですか?
 

すみません。

 投稿者:道元  投稿日:2010年 6月11日(金)16時19分6秒
返信・引用
  何が言いたいんでしょうか?

鈴木様、分かりかねますが。
 

はじめまして、鈴木さん

 投稿者:道元  投稿日:2010年 6月11日(金)15時53分44秒
返信・引用
  曹洞宗の修行は


修証不ニですよね。

鈴木さんは、どのような修行が正しいという事でしょうか。

お答えいただけますか?
 

議論の内容。

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 6月11日(金)15時27分56秒
返信・引用
  鈴木さんと呼ばせていただきます。

曹洞宗の議論のテーマにしますか?

御教示いただけますか?
 

Re: はじめまして

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 6月11日(金)14時25分25秒
返信・引用
  > No.74[元記事へ]

鈴木さんへのお返事です。

>  鈴木と申します。
> 宜しくお願いします。
> 私の檀家は曹洞宗です。
はじめまして。

鈴木様

宜しくお願い致します。

道元禅師のお話、宜しければ御教授の程、宜しくお願い致します。
 

日大直兼問答

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 6月10日(木)22時42分50秒
返信・引用
  日大直兼台当問答記。

一、貞治二癸卯十二月二十三日。一条猪熊の上行院より山門に罷り向う。
 坂本の大和尚円実坊法印権大僧都直兼は、(延文五年庚子十一月二十三日山門惣探題に補任さる。)山門無双の碩学なり、一代の聖教を総覧すと云云。
 対面を遂げ、両日一夜に法談す。天台宗と法華本門宗に於て同不同の立義種種之れを論談す。仍って直兼末代の為に証判を加え畢んぬ。

一、日大尋ねて云く、迹門を破して本門を立つるの立義、当宗内富士門跡之れを立つる如何。直兼答えて云く、尤も同きなり云云。
 翌日に云く、此の事、天台・妙楽・伝教大師等、御判釈之れを引用すべからず。其の故は大綱涌出品は本門の序なり、半品は正宗なり。此の品を説き玉ふ時、上行等の大菩薩出現す。霊山一会の衆、奇異の思いを成す。昔にも更に見ざりし白髪の老々たる菩薩は、唯今何くより来り涌出せるや。仏の成道は久からざれば諸衆一同迹情晴ず、但今日成道の仏とのみ思へり。されば経に云く、父少(わか)くして而も子老ゆと云云。此の文迹情更らにうせぬ言なり。
 疏九に云く、寂場の少父、寂光の老児。其の薬力を示し、咸く知ることを得せしむ。故に地より涌出と言う云云。□□疏九に云く、虚空は湛然として早無く晩無し。惑者は迹に執して、而も其の本に暗し。昔を召して今を示し、近を破して遠を顕す。故に従地涌出品と言うなり云云。此等の文、其の外、迹門を破して本門を立つる義文無量なり。四大菩薩顕れて時久しき事を示すなり。
 さて寿量品にして四ヶ度まで諌誡す。「誠諦誠諦」等能く能く誡めすまして□成顕本し玉ふ。「如来秘密神通之力」云云。天台云く、所迷の法を出す云云。猶心得ざる迹機どもありしかば、事成顕本を説き玉ふ。一切世間の天人三菩提を得る。然りて「我実成仏已来甚大久遠」云云。猶意得ざりしかば、譬を出して東方五百千万億等の塵をかぞへきかせ給いき。此等は迹門して、本門を立つるの義文に非ずや云云。
 前の十四品までは、今日成道の始成の見のうせざりしを破して、本門の顕本等はあるなり。天台の前三後三の釈等云云。

一、尋ねて云く、三時五ヶの内(慧心の要法文)第五の五百歳、今年貞治二癸卯年、仏滅後二千三百十二ヶ年なり。しかれば本門の流通其の時を得たり。所謂天台の云く、遠く妙道に霑う等云云。妙楽大師の云く云云。伝教大師の定判に云く、後の五百歳必ず応に流伝すべし等云云。如何。
 直兼云く、尤も同ず然るべきなり云云。流行すべき時なり云云。本文繁多なり云云。

一、尋ねて云く、本師聖人末法入り、正像二干年の間に造り書く仏像之れを造るべからず。宝塔の内釈迦多宝、上行等の四菩薩の脇士、薬王等の四菩薩、分身諸仏の造立之れ有るべきか。答う之れ有るべきなり云云。
 翌日に云く、此の事私の会釈入るべからず、学生式に云く(伝教第五)、問うて曰く、其の第一菩薩戒の本師、塔中の釈迦、伝戒の相、如何。答えて曰く。塔中の釈迦は、分身を集め以って垢衣を脱し、地涌を召して以って常住を示す、霊山の報土は、劫火にも壊れず、常寂の厳土なり。無明豈に汚たるや。三変土田、娑婆にせまらず云云。
 又翌日に尋ねて云く、迹門の戒壇、本門の戒壇之れ有るべきや。直兼云く、尤も之れ有るべし云云。
 問い尋ねて云く、本門の戒壇は四部の衆、一向之れを踏むべきなり。迹門の戒壇は伝教大師山上に建立す云云。坂本の大宮権現は且く本門の戒壇を示す等云云。
 直兼云く、多宝は法身を表し、釈迦は報身を表し、分身は応身を表す等。経に分身は樹下に座すと説くは、大地に処して三身の相を顕すと見たり。然るに実には三身四部の衆等、皆宝塔の内に座すと心得べきなり。法華論に云く、同一塔座とは、化仏と非化仏と法仏と報仏等の示現するは、皆、大事を成ぜんと為す故に等云云。分明なり。
 直兼又云く、法勝寺に円頓戒の相承を伝えて、山門には之れ無し云云。法勝寺の所談は菩薩戒の分也。仏戒は山門当流(慧心)一家の相承にして人之れを知らざるなり云云。
 日大尋ねて云く、法華会上、虚空会の式は二仏並座なり。是れ則ち本門戒は唯仏与仏戒也。迹門は菩薩戒か云云。

一、尋ねて云く、本迹互に表裏と成るか如何。答えて云く、尤も然るべきなり云云。
翌日に直兼、此の事の表裏の子細は如何。
 日大云く、富士門跡に於て、迹門を破って本門を立つる之の事自他共に許すと云云。
之れに付き迹門を破しながら今の法華宗方使品読誦する事自語相違すと難ずと云云。此の難を会釈するに四義あり。
 或は云く、方便品は読みて捨つる方。取る方あり。捨る方では之れを破すと云うべし。取る方にては読誦等云云。
 或は云く、方便品を読む事は、迹門を捨つる方是なり。寿量品を取る方是なりと仏前にて読み上ぐるなり。されば捨つる体を顕さんが為に読んで捨つるなり等云云。
 或は云く、読んで捨つるも、読まざるも同じ事也。寿量品のみ読むべし云云。
 先師日尊の云く、本迹の勝劣は、在世と滅後と経釈分明なり。但迹門の行者の出世弘通、本迹倶に釈し玉へども共に迹門なり。本門の行者の出世本迹共に弘通すれども共に本門なり。迹門の行者の時は、一経の始終迹門となり。立ち反りて見れば皆本門なり。爾れば方便品は本門也なりと申すは如何。
 直兼云く、疏一に云く、即ち迹にして而も本は寿量の方に談ず。即ち本にして而も迹とは具に今説に在り等云云。第四の義尤も神妙神妙、目出度く目出度く候云云。

一、尋ねて云く、理観は熟脱順機の修行一心三観なる事知るべきなり。三千観等は迹門の弘通、天台伝教等の御弘通なれば、末法当機に叶わず、故に之れを劣と云うべきなり。首題の五字の弘通は時機相応なり。末法当機に叶ふ故に勝れたりと立つる義如何。
 答えて云く、未だ判ぜず云云。其の故は当山は通じて大義を弘通す。故に当方には之れを用うるべからず云云。一方一方之れを立つるべからず云云。
 翌日に云く、此の事気に当って難義なり。妙即三千。三千即法の故に入門の不同なり。譬へば内裏の四門より入て御位を拝するが如し。一念三千の観法は妙法なり。妙法と唱る即ち三千観なり。別の物に成らせらるるは無念の次第なり。入門不同なれども落居は同じく、仏果も同じ云云。又一念三千観を熟脱順機と成らせらるるは心得ざるなり。底下薄地の凡夫等即ち一念三千観如何と尋ぬれば、かぢばんじやう(鍛冶番匠)万能万機、其の当体、其の業三千なりと示さば。何の不可有らん云云。止め畢んぬ。
 日大の意云く、此の如く云はば、五逆十悪等、当時の大謗法等を殊勝なりと証明するに成り畢んぬ。此の義不審なり。然して之れを難ぜずと得心の上は止め畢んぬ云云。
 尋ねて云く、三法妙の事、先師日尊の義に云く、南岳大師の三法妙、天台の九法妙等云云、此の中に九法妙とは衆生法妙の仏法妙、心法妙。仏法妙の衆生法妙、心法妙。心法妙の衆生法妙、仏法妙云云。今の方便品は心法所具の衆生法妙にして迹門。寿量品は心法所具の仏法妙にして本門なり。題目の五字は観心の心法妙の直体なり。当家初後の読誦の意拠此の如し。首題は本因本果不二なり。衆生法妙の三法妙をも取らず、仏法妙の三法妙をも取らず、心法所具の三法妙を取りて事相の勤行に之れ成り等云云、如何。
 答えて云く、尤も之れ同じ云云。神妙神妙、目出度し目出度し。玄義第二巻本末に此の義悉く符合す云云。

 二十四日退出の刻、御相承之由、抑も伝教大師御渡唐の時、七ヶ大事之れを相承す。しかれば七ヶ共に本意か、将又七ヶを一ヶに收めて本意と立つる条之れ有りや。
 答えて云く、七ヶ共に本意なり。仍って東陽の座主忠尋の記せらるる三帖の秘要之れ有り云云、当流代代相承の書也。忠尋自序を書き給へり、進すべきなり等云云。即ち持ちて帰る。已後血脈之れを進すべきなりと約束して坊に帰る云云。
 直兼の物語に云く、当山には碩学之れ無し云云。某は俊範より四代なり、此の坊は俊範法印の護摩堂の跡なり、慧心流の宗督我に在り云云。
 日大答えて云く、大聖人は俊範より天台の法門は御相伝なり云云。日大は当宗御弘通の四代なり、大聖人の天台を御相承の本坊にて日大、直兼に値い、天台宗と法門の同不同云云、交合云云。宿習不思議不思議、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。

 二十三日酉の剋、合点する法門、直兼の証判を持ち畢んぬ。編目は別に在るのみ云云。当時山門最第一の碩学、天下無双の名仁なり云云。
于時貞治二年癸卯十二月二十五日夜半一条猪熊上行院に於て之れを記す云云。日大判。

 本に云く、日大聖人御生年五十五歳。于時永徳二壬戊四月二十九日。土御門の本覚寺に於て之れを書写し畢んぬ。
 右此の大事当宗五代祖師日ギ(★豈+頁)より之れを口伝す、末代と雖も左右無く非器の仁に見するべからず。穴賢穴賢。
                    生年六十五歳日英判。

 又尋ねて云く、尊師、玄義の序王を読誦し玉ふに妙の名不可思議なり云云。
 直兼答えて云く、是は用より体を顕す義なり。妙をば不可思議に名づく、体より用を施す義なり云云。
 又尋ねて云く、玄義の惣序に、此の言墜ちなば将来悲しむべし云云。何の言ぞや。
 直兼答えて云く、三大部の惣釈なれば義は別序等に顕さる云云。此の言は、此の妙法蓮華経とは、本地甚深の奥蔵なり。三世諸仏之を証得したまう所なり等云云。妙楽大師功を推するに在ること有り、故に本地と云う云云。此れ即ち本門と云う言なりと云云。
 尋ねて云く、此妙法蓮華経と云う点をば斯と読むべきか。斯のと読むべきか如何。
 答えて云く、斯の妙法蓮華経と読むべきなり等云云。
 尋ねて云く、此の妙法蓮華経と云はば三種の法華の中へは何ぞや。
 直兼云く、顕説法華の義云云。
 日大了見して云く、此の事は所詮経文(宝塔品)なり、仏、此の妙法華経を以って付嘱すること在ること有らんと欲す云云。記八に云く、略して経題を挙ぐるに、玄に一部を収む、故に「仏以此妙法華経」等云云。玄の序に此の妙法蓮華経は本地甚深の奥蔵なり、三世諸仏之を証得する所なりとも云う、故に宝塔品の文に二ヶの釈ありと意得べきなりと見たり。三世の諸仏の証得は根本法華の内の文を顕説法華と取られたり。但し秘密の奥蔵を発く、之れを称して妙と為す。言説に出しぬれば顕説とも云うべきか。
 重ねて尋ねて云く、あらあら昨年には談ずと云へども尚以って明らかならず。一心三観、一念三千は熟脱の法門と云うべき云云。題目弘通は本門の下種と之れを云うべき、如何。
 答えて云く、是は言説の一心三観、一念三千なり。何ぞ偏に下種に限らんや。されば天台宗は真如言説宗なり。是を取り分けて如の字と説の字を略して真言宗と云うなり。真言と云う事は真如言説と云う事なり。今は真言宗とてある故に。此にかえて真如立行と名目を使い替うるなり。しかれば一念三千、一心三観の重重の内、言説の一念三千、一心三観なるべし等云云。
 日大意に云く。さればこそ南無妙法蓮華経を唱る。今万法悉く円備して五字の内に一念三千、一心三観を收めたる。しかれば言説に唱うる題目、末法五濁、極博の機に相叶ひ、利益広大なるべし等云云。
 已上論談之れ多し、十分の一之れを記す云云。

 貞治三年甲辰正月二十六日。山門に於て探題円実坊法印権大僧都直兼坊大和尚と一夜法談の時、重重の法門の沙汰云云。就中。
 直兼云く、天台大師の法華相承に二あり。一には霊山の薬王菩薩相伝、此は本地を糺して相伝を云うなり。二には多宝塔中大牟尼尊、震旦にて南岳に直授し、天台に直授せる相承なり。已上二度の相承なり。天台宗は直授塔中の相伝を本意とす。
 天台の直授大牟尼相承の依文、法師品云く、寂寞(一心寂淨の時を云うなり)として人の声無からんに、此の経典を読誦せば 我爾の時に為に 清浄光明の身を現ぜん、若し章句を忘失せば、為に説いて通利せしめん、若し人是の徳を具して、或は四衆の為に説き、空処にして経を読誦せば、皆我が身を見ることを得ん云云。此の文等は天台三身に約して釈し玉へり、三身共に顕れて、天台に直に法門を授け玉へり、是れ則ち牟尼相承の口伝なり云云。
 直兼云く、抑も日蓮は本地如何が沙汰あるや。
 日大云く、上行菩薩の再誕と云云。涌出品云く、上行等云云。神力品に云く「爾時仏告上行」等云云。経文并に天台、妙楽の疏釈分明なり云云。
 直兼云く、是は霊山付嘱の本地上行の沙汰なり。本師の本地此の如くあるべからず如何。
 日大云く、其の子細あるが故に云うべからず、此の如き数通の疏釈の中に観心本尊抄は明鏡なり。国主崇敬の時其の隠れ有るべからず云云。
 直兼云く、日蓮既に妙悟の時。直に多宝塔中にして大牟尼尊より末法相応の法門を相承し給へり。霊山にて一度、是は本地の沙汰なり。我朝にて相承し玉へり。清澄山開悟の時、多宝塔中大牟尼尊に直に値い玉へり。其の故は経文の明鏡なり。又復、如来の滅後に、若し是の経を聞いて、毀シ(★此+言)せずして随喜の心を起さん。当に知るべし、已に深信解の相と為づく。何に況や之を読誦し、受持せん者をや。斯の人は、則ち為れ如来を頂戴したてまつるなり来等云云。則為頂戴の徳を開き玉へる聖人なり。塔中牟尼直授疑無し云云。しかれば此の如く成立せしむるべきか云云。
 日大云く、既に神力品付嘱の上は。偈の下に其の相分明なり。しかも霊山付嘱を先づ表として直授の義をば広宣流布の時披露すべし云云。
 日大尋ねて云く、去去年本門の釈迦を造立す云云。印契は教主脇士等合掌をもって皆造立す云云。如何。
 直兼云く、尤も然るべし。其の故は。儀軌に云く、十指合掌印、諸印之母と為す云云。総じて法華は一部始終合掌文なり。三種法華の時、根本法華は、堅実合掌(二掌堅く合す)。虚心合掌(十指合せど少し合ず)は、隠密法華。開敷蓮華合掌(指を皆開きて左右の手を合す)は、顕説法華等なり。しかれば十指堅実合掌尤も叶う道理なり。文五に云く、爾前の権実は相隔つること有りて二掌合わざるが如し。法華の体は権即実なり、二掌合うが如し、しかれば相違無し云云。
 直兼云く、真言三身種子の義。(悉曇等省略)。

実成寺二十世日仁、悪筆為りと雖も、破失を恐れ、之れを写し後代に送る者なり。
奥州会津郡 久遠山実成寺 日尊正流 日仁判。
 

Re: 今後ともよろしく

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 6月10日(木)02時27分14秒
返信・引用
  > No.71[元記事へ]

中さんへのお返事です。

> 初心者さん、こんにちは、初心者さんは大乗仏教の成立を「盗用」と捉えておいでなのですか。
> 私は違います。「正しい」を求める姿にその違いが現れたのだと考えています。
>
> 勿論、同じ言葉を聴いても、比喩を聞いたとしても、受け取る側はその価値観で解釈が異なると言う事でしょうか。
>
> 勿論、如是我聞から始まる釈尊の教えも、公然と語られる解釈にいつしか、異議が生じるわけです。
> いわゆる上座部(保守)的解釈と、大衆部(進歩)的解釈と言われている解釈の違いです。
>
> 釈尊滅後百年頃にこれを統一しようとして七百人の僧を毘舎離(びしゃり)の大林精舎(だいりんしょうじゃ)に集め、
> 両派から四人の代表で律を検討するのですか、
> ここで大衆部の解釈を非法と決めるのです。
>
> ここに始めて、仏の教えが分立を生じのだと。
> これが、第二回結集、あるいは毘舎離の結集と言うらしいですよ。
>
> 釈尊滅後二百五十年ごろになると、仏教はいよいよ盛んになるようですが、やはり、教えの解釈に異論が甚だしくなるようですね。
>
> そこで時の大王・阿輪迦王(阿育あいく)は首府の華子城(かしじょう)の阿輪迦寺(あしゅかじ)に今度は千人の僧を集め、目r連子帝須(もっけんれんていす)を上首として結集を行うも、
>
> 大衆部は参加せず、上座部のみの結集となったようですね。このころから文字が使われるようになったのでしょうか。
> これを第三回結集、または、華子城の結集と言うようです。
>
> この後、滅後七百年ごろ迦ニ色迦王(かにしっかおう)が、迦シ弥羅(かしみら)に馬鳴(めりょう)など五百の小乗学者、五百の大乗学者、五百の居士をあつめ、十二年を費やし、経、律、論の三蔵を結集したようですね。
>
> この時から、大乗経典が蔵経中に加えられたようですね。これを第四回結集とも、
> 迦シ弥羅(かしみら)の結集とも言うようですよ。
>
> 何時の世も「正義の衝突」は避ける事が出来ないようですね。政治でも宗教でも「私は第二」と言うところはありません。
>
> 「相手を認める」たったこれだけの事が出来ない、我慢ならない人が、かく言う私を含めて、多すぎますよね。
>
> さて、ネットで見る宗教欄の、何と形容すべきでしょうかね。ひどいものですね。「心の安らぎなんて、絵にかいた餅」ですよ。
>
> 日本の仏心(ほとけごころ)なんかは、もうなくなってしまうのでしょうかねえ。
>
> お釈迦様は何を教えようとしたのか。これが全てでしょうね。しかし、宗教にはお金がついて回るのも残念ながら事実です。
>
> マインドコントロールされた人たちの実態を知るにつけ、この人たちとどのように向かい合っていくべきなのか、大変な問題である事に唖然としています。
>
> 勿論相手から見れば、私の方が「仏教に無知」なのです、し、「邪宗」なのですから、「正しい宗教をおしえて、救う対象なのです。」
>
> 初心者さんも、仏様は釈迦仏ではなく、日本の日蓮が仏なのだ、と平然と語る人々をご存知ですね。
> 仏教に無知な人に徹底的に釈迦は過去の仏で今の人々を救うのは日蓮だと教え込むのです。
>
> もののニ三年もすれば、そこそこの仏教談義が出来るくらいになるようです。
> まず、ふつう、この人たちには、歯が立たないでしょう。そのようなノウハウを叩き込むようです。
>
> 貴方との対話を見させていただいていましたが、冷静さを失うことなく、相手されていたのには正直感心しました。
>
> ただ、彼らは犠牲者なのです。
> そんなスタンスで管理人さんの邪魔をしないように投稿を続けて行きたいと考えています。
>
> 今後ともよろしく、お願いします。

※中さん

管理者です。

素晴らしいコメントを頂き有り難うございます。

人が人として、人に依存するのではなく、仏教[法]に依る教えを、自分自身に確立して戴ければと思っています。

日蓮本佛は、もはや限界論であり、お釈迦様が見なおされる時代になったとも思います。

いつも中さんや、初心者さんのコメント、刺激があり勉強になります。

引き続き宜しくお願い致します。
 

今後ともよろしく

 投稿者:  投稿日:2010年 6月10日(木)02時12分48秒
返信・引用
  初心者さん、こんにちは、初心者さんは大乗仏教の成立を「盗用」と捉えておいでなのですか。
私は違います。「正しい」を求める姿にその違いが現れたのだと考えています。

勿論、同じ言葉を聴いても、比喩を聞いたとしても、受け取る側はその価値観で解釈が異なると言う事でしょうか。

勿論、如是我聞から始まる釈尊の教えも、公然と語られる解釈にいつしか、異議が生じるわけです。
いわゆる上座部(保守)的解釈と、大衆部(進歩)的解釈と言われている解釈の違いです。

釈尊滅後百年頃にこれを統一しようとして七百人の僧を毘舎離(びしゃり)の大林精舎(だいりんしょうじゃ)に集め、
両派から四人の代表で律を検討するのですか、
ここで大衆部の解釈を非法と決めるのです。

ここに始めて、仏の教えが分立を生じのだと。
これが、第二回結集、あるいは毘舎離の結集と言うらしいですよ。

釈尊滅後二百五十年ごろになると、仏教はいよいよ盛んになるようですが、やはり、教えの解釈に異論が甚だしくなるようですね。

そこで時の大王・阿輪迦王(阿育あいく)は首府の華子城(かしじょう)の阿輪迦寺(あしゅかじ)に今度は千人の僧を集め、目犍連子帝須(もっけんれんていす)を上首として結集を行うも、

大衆部は参加せず、上座部のみの結集となったようですね。このころから文字が使われるようになったのでしょうか。
これを第三回結集、または、華子城の結集と言うようです。

この後、滅後七百年ごろ迦ニ色迦王(かにしっかおう)が、迦シ弥羅(かしみら)に馬鳴(めりょう)など五百の小乗学者、五百の大乗学者、五百の居士をあつめ、十二年を費やし、経、律、論の三蔵を結集したようですね。

この時から、大乗経典が蔵経中に加えられたようですね。これを第四回結集とも、
迦シ弥羅(かしみら)の結集とも言うようですよ。

何時の世も「正義の衝突」は避ける事が出来ないようですね。政治でも宗教でも「私は第二」と言うところはありません。

「相手を認める」たったこれだけの事が出来ない、我慢ならない人が、かく言う私を含めて、多すぎますよね。

さて、ネットで見る宗教欄の、何と形容すべきでしょうかね。ひどいものですね。「心の安らぎなんて、絵にかいた餅」ですよ。

日本の仏心(ほとけごころ)なんかは、もうなくなってしまうのでしょうかねえ。

お釈迦様は何を教えようとしたのか。これが全てでしょうね。しかし、宗教にはお金がついて回るのも残念ながら事実です。

マインドコントロールされた人たちの実態を知るにつけ、この人たちとどのように向かい合っていくべきなのか、大変な問題である事に唖然としています。

勿論相手から見れば、私の方が「仏教に無知」なのです、し、「邪宗」なのですから、「正しい宗教をおしえて、救う対象なのです。」

初心者さんも、仏様は釈迦仏ではなく、日本の日蓮が仏なのだ、と平然と語る人々をご存知ですね。
仏教に無知な人に徹底的に釈迦は過去の仏で今の人々を救うのは日蓮だと教え込むのです。

もののニ三年もすれば、そこそこの仏教談義が出来るくらいになるようです。
まず、ふつう、この人たちには、歯が立たないでしょう。そのようなノウハウを叩き込むようです。

貴方との対話を見させていただいていましたが、冷静さを失うことなく、相手されていたのには正直感心しました。

ただ、彼らは犠牲者なのです。
そんなスタンスで管理人さんの邪魔をしないように投稿を続けて行きたいと考えています。

今後ともよろしく、お願いします。
 

Re: 第一結集

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 6月10日(木)01時03分39秒
返信・引用
  > No.66[元記事へ]

初心者さんへのお返事です。

> 管理者さんへのお返事です。
>
> > 初心者さんへのお返事です。
> >
> > 逆に、御教示戴けますか?
> > 今後の仏教推進の為に。
> >
> > 出来れば、初心者さんの論
> > で、論証してくれると有り難く存じます。
>
>  第一結集時に纏められた経典は、その後たいした修正もされず、スリランカに伝えられたようです。
> 但し、その後スリランカには大乗仏教も伝わっています。
> ところが、大乗仏教は廃止し、上座部仏教に一本化されたようです。


※御教示有り難うございます。

そこから、日蓮聖人に繋がる御文はございますでしょうか?

分かる範囲で宜しいのですが再度御教示戴けましたら幸甚です。
 

<自殺>「いじめられた友を救えず」と中3男子 川崎市で

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 6月10日(木)00時02分9秒
返信・引用
  川崎市教委は9日、同市麻生区に住む市立中学3年の男子生徒(14)が、7日に自宅で心肺停止状態で見つかり、死亡したと発表した。神奈川県警麻生署は残された遺書などから、いじめられた友人を助けられないことを苦に硫化水素を使って自殺したとみている。

 同署によると、7日午後4時50分ごろ、生徒が自宅トイレであおむけに倒れているのを帰宅した母親(44)が見つけ119番した。約1時間後、搬送先の病院で薬物中毒による死亡が確認された。トイレには硫化水素を発生させたとみられる薬剤などの空容器とバケツがあった。

 トイレにあったA4判の遺書には、いじめを受けたという友人の名前があり「救えなかった」と悩んだ様子のほか「ごめんなさい」「14年間生きて楽しかった」などと書かれていたという。

 市教委によると生徒の通っていた多摩区の中学校は、生徒の周辺でのいじめを把握していないという。生徒は6日まで2泊3日の修学旅行に参加していたが、悩んだ様子はなく、7日は代休だった。【川端智子】
(毎日新聞 - 06月09日 20:33)
 

Re: 日蓮宗の皆様告知失礼致します。

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 6月 9日(水)23時59分46秒
返信・引用
  > No.67[元記事へ]

日本が危ない!カルト集団によるさんへのお返事です。

> 管理者様失礼致します。
> 日本国民の問題ですので告知御容赦下さいませ。拝
> 近年カルト集団の無法ぶりよって日蓮様に対してあまりに顔に泥を塗る行為の数々、これは断じて許せる事ではございません。
> 大乗仏教徒である日蓮宗の皆様何卒!何卒御力を御貸し下さい。
> 尊い日蓮様の名を騙り暴れまわっているカルト集団により多くの日本国民が被害に遭われております。
>
> 【憚りながら 後藤忠政著 第4章 創価学会との攻防】が有志の御協力で読めます!!(後藤様の証言情報から過去の事案も確認できると存じます)。
> http://cultbokumetsukonzetsu.web.fc2.com/04shoseki01.html
>
> 上記サイトは、集団ストーカー、ハイテク被害について扱っております。
> 皆様に御支援を賜り運営させていただいております。感謝
> 恐縮ながら被害者様、日本の皆様は必見の情報と存じます。
> ありがとうございました。拝
>
> ・アマゾンレビューから抜粋
> 後藤先生(元山口組後藤組組長)が創価学会との関係を認めているところです。勇気のある行動で、それはほめなくてはならないのです。やっぱり、長年創価学会の汚れ役と闇の用心棒が後藤組でした。ヤクザを利用する宗教団体の倫理は如何なものでしょうか。 by天狗太郎
>
> 暴力団とと創価学会はつながっていた! byよっしぃ


※掲載ありがとうございます。

皆さん、御覧になられている方は、興味を記す内容だと思います。

これからも、立正安国の妨げになる記事がございましたら掲載してください。

不適切なものについては削除の対象になりますので予めご了承下さい。
 

日蓮宗の皆様告知失礼致します。

 投稿者:日本が危ない!カルト集団による  投稿日:2010年 6月 9日(水)20時58分18秒
返信・引用
  管理者様失礼致します。
日本国民の問題ですので告知御容赦下さいませ。拝
近年カルト集団の無法ぶりよって日蓮様に対してあまりに顔に泥を塗る行為の数々、これは断じて許せる事ではございません。
大乗仏教徒である日蓮宗の皆様何卒!何卒御力を御貸し下さい。
尊い日蓮様の名を騙り暴れまわっているカルト集団により多くの日本国民が被害に遭われております。

【憚りながら 後藤忠政著 第4章 創価学会との攻防】が有志の御協力で読めます!!(後藤様の証言情報から過去の事案も確認できると存じます)。
http://cultbokumetsukonzetsu.web.fc2.com/04shoseki01.html

上記サイトは、集団ストーカー、ハイテク被害について扱っております。
皆様に御支援を賜り運営させていただいております。感謝
恐縮ながら被害者様、日本の皆様は必見の情報と存じます。
ありがとうございました。拝

・アマゾンレビューから抜粋
後藤先生(元山口組後藤組組長)が創価学会との関係を認めているところです。勇気のある行動で、それはほめなくてはならないのです。やっぱり、長年創価学会の汚れ役と闇の用心棒が後藤組でした。ヤクザを利用する宗教団体の倫理は如何なものでしょうか。 by天狗太郎

暴力団とと創価学会はつながっていた! byよっしぃ

http://cultbokumetsukonzetsu.web.fc2.com/04shoseki01.html

 

Re: 第一結集

 投稿者:初心者  投稿日:2010年 6月 9日(水)15時25分5秒
返信・引用
  > No.60[元記事へ]

管理者さんへのお返事です。

> 初心者さんへのお返事です。
>
> 逆に、御教示戴けますか?
> 今後の仏教推進の為に。
>
> 出来れば、初心者さんの論
> で、論証してくれると有り難く存じます。

 第一結集時に纏められた経典は、その後たいした修正もされず、スリランカに伝えられたようです。
但し、その後スリランカには大乗仏教も伝わっています。
ところが、大乗仏教は廃止し、上座部仏教に一本化されたようです。
 

Re: 釈迦仏の御心

 投稿者:初心者  投稿日:2010年 6月 9日(水)15時17分31秒
返信・引用
  > No.61[元記事へ]

中さんへのお返事です。

> 初心者さん、こんにちは、
> 藤本晃(慈照)博士も御引用の論文の最後に
>
> 「現存パーリ聖典が釈尊の教えそのままかどうか、もう一つ確かめる方法があるのですが、
> それは、いわゆる学問的な方法ではありませんので、学界では問題になりません。
>
> その方法とは、現存パーリ聖典を自分で読んで理解し、説かれている内容を自分で実践して確かめることです。
>
> パーリからの和訳本でも良いのですが、教えの内容に直に触れると、それが釈尊の言葉そのままかどうか、自分ではっきり分かります。
>
>  「それは主観的だ」と言われれば、「そうですね」としか応えられませんけど、
> 客観的な学問ではなく、自分が悟り、自分が苦しみから逃れる教えですから、
>
> それが釈尊が説いた教えかどうかは、そこに悟りへの道が示されているかどうか、自分で確かめれば分かるのです。」
>
>
> とありますね。
>
> 全ての人がそうだとは言いませんが、「八正道の「正」とは果たして何か」を求めるのではありませんでしょうか。
> 初心者さんはどうですか、正直言って、皆さんここで躓くのです。
>
> 大変乱暴な説明で恐縮なのですが、上記「それが釈尊が説いた教えかどうかは、そこに悟りへの道が示されているかどうか、自分で確かめれば分かるのです。」を
> 大胆に求めたお一人が貴方もおっしゃる竜樹ではありませんでしょうか、
>
> いわゆる大乗経開祖とまで言われる人です。
>
> ですから、部派仏教で悟りが開ける人はそれで良いのでしょう。しかし、部派仏教でも飽き足らぬ(こんなことで悟りが開けたは思えない)人が「正しい」をどこまでも探求するのでしょうね。
>
> 恐れずに言わせてもらえば、釈迦仏が説いた「八正道」とは本当に上座仏教者が伝えているような教えなのだろうか。となるのではないでしょうか。
>
> 勿論、お釈迦様の教えを「真に理解していたのか、どうか」「私が真に理解していたのです。」
> の判定は上述「それが釈尊が説いた教えかどうかは、そこに悟りへの道が示されているかどうか、自分で確かめれば分かるのです。」と結ばれている通りでしょうね。
>
> 「正しい言葉とは」正しく信じるとは」
> 「そりゃあ、「愛」でしょう。「平和でしょう」「感謝でしょう」「南無阿弥陀仏だよ」「南無妙法蓮華経に決まっているだろう」
>
> 釈迦仏の御心は、真の御心は果たして、どうなのでしょう。すべては、そこから、始まるのかも知れませんね。
>
> 失礼しました。

 中さん、よろしくお願いします。
釈尊の本来の教えとは何か?
それは、「八正道」なのでしょう。
 上座部仏教と大乗仏教の共通点は多数あります。それは、大乗仏教が釈尊の教えを盗用したからではありませんか?
大乗仏教を創作した方々は、釈尊から直に教えを受けていません。
それなのに、如是我聞といういう言葉を使用しています。
この如是我聞という言葉は、第一結集時に使用された言葉です。
 

Re: 創価学会と日蓮正宗の共通点。

 投稿者:初心者  投稿日:2010年 6月 9日(水)15時04分37秒
返信・引用
  > No.62[元記事へ]

管理者さんへのお返事です。

> ※マインドコントロール
>
> 自分たちの利益のため、知らぬ間にあなたの心を操作する宗教や商売が、想像以上にはびこっています。インチキ宗教、あなたの潜在能力を開発しますという自己開発セミナーやマルチ商法、あるいはある種の政治団体などがそれです。
>
> 研修会などといった家族や知人と切り離した環境で、短い睡眠時間、食事の制限、情報のコントロールなどで疲労させ、情緒的に不安定にし、暗示にかかりやすい状態にします。そこで、これまでの信条や価値観などを破壊して、教義をがっちり埋め込んで、新しい人格を作り上げるのです。そうなりますと、ロボットのように疑問を持たなくなり、教えを忠実に守って行動するようになります。そして勧誘や募金などに全生活を費やすのです。嘘をつくことも平気です。なぜなら正しいことをしているのだから、そのために嘘をつくのも許されるからです。
>
> 要するに、マインド・コントロールによって奴隷になるわけですが、本人はそうとは思っていません。人が反対すればするほど、迫害をされていると感じ、一層打ち込むようになりますから、やめるように説得することは困難です。
>
> スティーブン・ハッサン『マインド・コントロールの恐怖』では、マインド・コントロールとは何か、どうしてそうなるのか、かかっていればどうすればよいのかなどが説明されます。
> 著者は十九歳の時に勧誘されて統一協会に入ります。アメリカ統一協会の副会長にまでなりますが、交通事故をきっかけに脱洗脳を受けて脱会します。その後、カウンセリング心理学を学び、マインド・コントロールの犠牲者の救出や、破壊的カルトの啓蒙活動をしています。
>
> マインド・コントロールは、普通の人なら誰でもかかる可能性があり、自分は大丈夫だと自己過信した人が一番危ないそうです。多くの場合、自分が勧誘されているのだとは気づきません。また勧誘された人の大多数は、安定した、知的な、理想家肌の人々で、一般的傾向としてはよい教育を受けており、立派な家庭の出身だそうです。というのもそういう人を選んで勧誘するからです。なぜならそうした人なら信用があるから、さらに信者を増やすことができるからです。
>
> マインド・コントロールにかかっていたら、ほかの人の助けなしに、本人がそうだと気づくことは不可能でしょう。ですから、家庭が大切です。しかし、家族は自分も問題を見つめ、自分たちも変わって成長しようとする気がないなら駄目です。また、家族は過度の自責と恥を感じて、感情的に反応しすぎたり、議論でやめさせようとしますが、これでは説得できません。状況によっては専門家の協力が必要だそうです。
>
> 米本和広『教祖逮捕』には、頭を空っぽにさせてそこに教義を詰め込む洗脳の仕組みについて書かれてあります。
>
> ・脳にも容量があるが、情報量ではなく、時間が関係する。
> ・洗脳セミナーでは脳に休む暇を与えない。
> ・思考力の容量が限界に達し、自我はパンクしてしまう。
> ・自我がパンクし、思考が停止した状態でも情報はインプットされる。
> ・そこでカルトの教えが刷り込まれる。
> ・カルトの教義は普通に考えると理解できないものだが、自我がパンクしているので論理的思考ができず、直接教えが刷り込まれてしまう。
> ・それに加えて、パンクした瞬間、ドーパミンやエンドルフィンといった脳内物質が放出され、感動体験、神秘体験を経験する。
> ・そうした体験を伴う教義の刷り込みだから、しっかり脳にこびりついてしまう。
> ・教えを理解し、納得して結論を出したのではない。
> ・だから、「本当の自分に出会えた」「すばらしかった」といった抽象的で幼稚な表現しかできない。
> ・そのため、カルトの教えを他人に論理的に説明することはできない。これはカルト信者に見られる共通した特徴である。
>
> 高橋紳吾によると、真光の二泊三日の研修に参加して精神的な病気になってしまう人もいるそうです。
> 「真光あたりから始まったのは、一般の者が真光のわざを学ぶことによって霊能者になるというシステムができたんです。ところが、きちんとした訓練を受けていないために、精神的な病気になってしまったりする例がたくさんあります。
> そもそも霊能力なんて、あるのかどうかということが問題で、病気が暗示作用によって治った気がするだけなのに、教団の持っている霊能力で治ったんだという錯覚にとらわれて、そこで縛られてしまうことがあるわけです。
> だけども、手かざしなんてことをやっていると、自分がとてもいいことをしているような、熱い気持ちになれるんですね。自分は価値のない人間だけど、真光のわざによって人のお役に立てるという気持ちになって、自分の存在が認められて、とても生き生きとしてくる。
> カルトに入っている間は熱くなっていって、それである種の快感を得ているわけです。人を救うとか、仲間と一体化するとかいうのは、ちょうど恋愛でもしたようないい気持ちになっていくものですから、そこを取り去られると、心が全く空虚になって、生きていく現実がなくなったりしてしまいます。
> そしてもう一つ、カルトに入る時には、何かを求めてカルトに入るんだけれども、やめる時にその問題が解決しないまま残っているんです。これをカルトのマインド・コントロール後遺症といいます」
>
> 自己開発セミナー潜入記である二澤雅喜,島田裕巳『洗脳体験』、ヤマギシ会がいかに危険な集団かを暴露した米本和広『洗脳の楽園』も読んで下さい。具体的にどういうふうに洗脳していくかがよくわかります。
>
> 米本和広はヤマギシ会の特講(研修会みたいなものだが、実際は洗脳)を受けます。その報告を読むと、私自身もその場にいあわせているような気がして、なんだか気分が悪くなるほどです。
>
> ヤマギシ会は1953年、山岸巳代蔵が理想社会を人間社会で実現するために結成しました。
> 「ヤマギシ会はヤマギシズムをもとに、世界を〈無所有一体〉の理想社会に塗り替え、世界中の人間を幸福にしたいと願っている。「実顕地」はその拠点であり、理想社会のモデル村なのである」
> 米本和弘は94年、豊里実顕地(三重県津市)を訪れます。
> 金のいらない村。お腹がすけば食堂に足を運べばいい。浴場、クリーニングもただ。下着以外の服、装身具、靴、タオルなどは共用だが、これもただ。日用品もほしいものがあれば展示供給所に行き、自由に持っていくことができる。病気になれば無料で診てもらえ、死ねば共同墓地に埋葬される。
> まさにユートピア社会です。
>
> 案内をしてくれた女性は米本和広にこう言います。
> 「この村は無所有社会だから、所有観念はいっさいないの。すべて誰のものでもないから、誰が何を使ってもいい。食堂だってお風呂だって、みんなが使う。一体なのよ。誰のものでもないっていうのは物だけでなく、私の子どもだって私のものではない。だから、この村にいる子どもは誰のものでもない。私の身体だって、私のものではないの。世界中のすべてのものは誰のものでもない、すべては一体なのよ」
> 学生運動に挫折してヤマギシの村に入った人。
> 「簡単なことですよ。働いて得たお金を〈村の一つの財布〉に入れる。その財布のなかからみんなの生活費に充てる。それだけのことですよ」
> 村での労働時間は長く、元日以外の毎日が労働日です。だから、日本の平均労働時間より二倍近く働きます。
> 「そりゃあ、あなたが生活のため、金のために働く労働を考えるから大変だと見えるだけなんだよ。ここではみんなが理想社会を実現し、世界中の人が幸福になる〈全人幸福社会〉を実現するために、それぞれ専門の分野で働いている。だから、みんな楽しくてしかたがない」
> 村人の一人に「諍いはないのか」と聞くと、こういう答えが返ってきました。
> 「それは村人に我執がないからですよ。この世の諍い、いがみ合いのもとは我執です。我執があるから所有にこだわったり、競争が始まる。ここでは我執がないから、喧嘩が起きない、誰とでも仲良くできるんです。〈無我執〉はこの村の最大の特徴です」
>
> 大変結構な話ですが、なんだかソ連のプロパガンダ映画のセリフみたいですね。米本和広は、ヤマギシ会は中国の文革と共通すると言います。
> 「〝ヤマギシズム〟の創始者である山岸巳代蔵にみんなが魅かれたのは、我執のない人たちが所有意識なく自他の分け隔てなく暮らせるような、争いのない幸福社会を夢想したからである。
> 毛沢東が発動した文化大革命のことがついよぎってしまう。
> 文化大革命の本質は毛沢東の奪権闘争だったが、それを抽象すれば、利己主義や所有意識を生む資本主義的要素のすべてを消滅させる運動であった。知的労働者も肉体労働者もみんな同じ人民服を着て、人民公社の食堂で同じものを食べる。私心ある利己的人間は告発され、人民集会の場で吊し上げられた。世界の若者は文化大革命を熱狂的に支持し、当時の学生運動に大きな影響を与えた。
> ヤマギシズム運動と文化大革命に共通するのは、物欲に限らず個性的でありたい・自由でありたいといったすべての欲望を否定し、人の心をある鋳型に流し込み作りかえようとしたことにある。それが同時に運動が瓦解する原因ともなったのは皮肉な話である」
> まさに洗脳の楽園で、アンチユートピアがヤマギシ会によって実現したわけです。
> ヤマギシ会は政治とのつながりもあり、将来どうなるのだろうと、『洗脳の楽園』を読んだ時は恐ろしくなりました。
>
> しかし、『新装版 洗脳の楽園』は1997年以降のヤマギシ会の衰退を報告しています。
> 子どもを預けていたヤマギシ会の会員が子どもを引き取るようになった。99年に、売り上げが激減したためにヤマギシの村では労働の担い手がだぶつき、村人が外で生活を始める方針に変わった。00年には中心となっていた人たちがヤマギシ会を離れて、別のところで集団生活を始めた。94年には2,500人の大人と2,500人の子どもがヤマギシ会の実顕地で暮らしていたのが、07年には大人1,300人、子ども200人に減少している。
> ほっとしました。
>
> どういう人がそういうセミナーや研修会に参加するのでしょうか。島田裕巳はこのように説明しています。
> 「どちらかと言えば、お金や病気といった現世的な利益をめぐる悩みではなく、より完璧な人生を歩もうとして、それがうまくいかないことから生じる精神的な悩み、葛藤の方が多いように思われる。自分にこだわり、自分に真っ正面から向き合ってきたという点で、みんな真面目で純粋なのである」
>
> 洗脳は教育や研修会で組織的計画的意図的になされるばかりではありません。我々はいつの間にかある考えを刷り込まれてしまうことがあります。そして疑うことを許さぬ狂信、疑うことを知らぬ盲信に陥ってしまうのです。そうしたことになるのは宗教によってだけではないのです。
>
> 会社の犯罪に加担してしまう人がいます。与えられた任務を忠実に果たせば、仕事の仲間から受け入れられ、会社という組織と自分とが一体化します。そうなると組織の論理に従うことは必然です。たとえそれが法に触れることであってもです。
>
> 田中康夫のアシスタント募集に応募してきた野村証券に勤める女性に、証券不祥事をどう思うかと聞くと、
> 「悔しい。上司があんなにがんばってきたのにマスコミにあることないこと書かれて」
> と憤慨したそうです。
> 「上司のそばにいて、あなたが涙が出ちゃうのはわかるけど、事件全体についてどう思うの」
> と田中康夫が尋ねると、
> 「やくざとのつながりは昔からあったことで、何が悪いの。どうしていまごろになってうちだけをいじめるの」
> とほとんど抗議口調だったといいます。
>
> この女性は自分の都合のよいことだけを本当と思い込み、不都合なことは無いことにして見ようとしません。いつの間にかウチの社に間違いがあるはずがないという自己正当化の罠にはまってしまったのです。
>
> 自分中心で生きている私のあり方を破るのが宗教のはたらきの一つです。ですから宗教を聞いていけば、他者からの批判に耳を傾けることができるよう、おのずとかたくなな私の心を開かせるはずなのですが。
> http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/maindo.htmlより転載。

 創価学会と日蓮正宗の共通点は、創価学会が日蓮正宗の教義を盗用したので共通なのです。本来ならば、創価学会は日蓮正宗に破門されたのですから教義は創価学会独自の教義をたてるべきなのですが、池田大作氏には出来ないのでしょう。
 池田大作氏は、お金儲けしか頭にはありません。
それは過去の行動でも一目瞭然です。
 

カルトの見分け方

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 6月 4日(金)18時51分0秒
返信・引用
  ※創価学会と日蓮正宗の見分け方。

カルトを見分けるのに分かりやすい特徴を箇条書きにするなら、以下のような点を挙げることができるでしょう。これらをチェックしていけば、その宗教がどれほどカルト性を持っているかを知ることができます。必ずしもカルトが以下のすべての特徴を有しているわけではありませんが、その大部分が当てはまるなら、カルトと考えて差し支えないと思います。

 1.真理はその組織に占有されており、その組織を通してのみ知ることができると主張する。

 2.組織を通して与えられた情報や考え方に対しては、疑ってはならない

 3.自分の頭で考えることをしないように指導する

 4.世界を組織と外部とに二分する世界観を持つ

 5.白黒を常にはっきりさせる傾向が強い

 6.外部情報に対して強い警戒感を与え、信者の情報経路に様々な制限を加える

 7.信者に対して偏った情報、偽りの情報を提供することがしばしばある

 8.組織から離脱した人間からの情報に接することを禁じる

 9.家庭や社会との関わりで多くのトラブルを生じている

 10.社会からの迫害意識を持ち、それをかえってバネにする

 11.外部に対して正体を隠す傾向がある

 12.生活が細部にわたって規定される

 13.組織が信者の生活のすべてになっている

 14.共同体内部でのみ通用する言葉を多く持っている

 15.組織からの離脱について極度の恐怖心を与える

 更に具体的に、ご自分で接する宗教団体がカルトであるかどうかを見分けるためには、以下のような点に注意を払うとよいでしょう。

 1.誘われたグループについて外部からの情報を集める

 2.そのグループの特徴を内部からも探る(観察、質問、内部文書等によって)

 3.どんな状況においても自分自身を見失わないようにする

 あなたにもできるカルト対策

 カルトに対して私たちがなすべきことは多くありますが、最も基本的なことは以下の3点でしょう。

 1.自分自身を守る

 まず、自分自身がカルトに取り込まれないよう、注意する必要があります。上記のようなカルトの見分け方をしっかり身につけると共に、代表的なカルトについては、その特徴や布教方法、歴史、教義など、できるだけ正確な知識を日頃から得ておくと良いでしょう。

 更に、カルトであることが分かっていながら、自分を過信して生半可な知識でもってカルトに近づくことは危険です。マインド・コントロールの力を軽視してはいけません。そのようにしてカルトに近づき、取り込まれてしまった人々が多くいます。

 2.家族や周囲の人々がカルトに入らないよう注意する

 いくつかの危険信号があります。

 たとえば、統一協会の場合、
 ・遅い帰宅、あいまいな外出、不在期間が多くなる
 ・あいまいな「合宿」
 ・住居の変更
 ・うそをつく
 などが危険信号になります。それぞれのグループで特徴が違ってきますから、幅広い情報収集を日頃から行っておくことが必要です。

 3.家族や知人がカルトに関わっているかもしれないという時

 この場合の対応は非常に注意深く、かつ早急に行う必要があります。

 ・まず、早急な情報収集によって団体の特定をする

 ・どれほど深入りしているかを知る(本人に聞いてもうそを言う場合も多い)

 ・その団体について専門的に救出活動をしているところを探し出す(関係書籍を調べれば分かるでしょう。キリスト教系カルトであれば、とりあえず当方にご連絡頂けば、ご紹介できると思います。)

 ここで注意すべきは、そのような救出活動をしている方々との接触を本人には知られないようにすることです。時には、知られてしまうことによって、家族との連絡を一切絶つようなこともあります。その後のことは、専門家の助言によく耳を傾けて下さい。素人判断で勝手に行動すると、救出を難しくする場合があります。

 どのような事態になっても、希望を捨てないで下さい。ご家族の本人に対する愛情が一番重要です。
 

創価学会と日蓮正宗の共通点。

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 6月 4日(金)18時45分25秒
返信・引用
  ※マインドコントロール

自分たちの利益のため、知らぬ間にあなたの心を操作する宗教や商売が、想像以上にはびこっています。インチキ宗教、あなたの潜在能力を開発しますという自己開発セミナーやマルチ商法、あるいはある種の政治団体などがそれです。

研修会などといった家族や知人と切り離した環境で、短い睡眠時間、食事の制限、情報のコントロールなどで疲労させ、情緒的に不安定にし、暗示にかかりやすい状態にします。そこで、これまでの信条や価値観などを破壊して、教義をがっちり埋め込んで、新しい人格を作り上げるのです。そうなりますと、ロボットのように疑問を持たなくなり、教えを忠実に守って行動するようになります。そして勧誘や募金などに全生活を費やすのです。嘘をつくことも平気です。なぜなら正しいことをしているのだから、そのために嘘をつくのも許されるからです。

要するに、マインド・コントロールによって奴隷になるわけですが、本人はそうとは思っていません。人が反対すればするほど、迫害をされていると感じ、一層打ち込むようになりますから、やめるように説得することは困難です。

スティーブン・ハッサン『マインド・コントロールの恐怖』では、マインド・コントロールとは何か、どうしてそうなるのか、かかっていればどうすればよいのかなどが説明されます。
著者は十九歳の時に勧誘されて統一協会に入ります。アメリカ統一協会の副会長にまでなりますが、交通事故をきっかけに脱洗脳を受けて脱会します。その後、カウンセリング心理学を学び、マインド・コントロールの犠牲者の救出や、破壊的カルトの啓蒙活動をしています。

マインド・コントロールは、普通の人なら誰でもかかる可能性があり、自分は大丈夫だと自己過信した人が一番危ないそうです。多くの場合、自分が勧誘されているのだとは気づきません。また勧誘された人の大多数は、安定した、知的な、理想家肌の人々で、一般的傾向としてはよい教育を受けており、立派な家庭の出身だそうです。というのもそういう人を選んで勧誘するからです。なぜならそうした人なら信用があるから、さらに信者を増やすことができるからです。

マインド・コントロールにかかっていたら、ほかの人の助けなしに、本人がそうだと気づくことは不可能でしょう。ですから、家庭が大切です。しかし、家族は自分も問題を見つめ、自分たちも変わって成長しようとする気がないなら駄目です。また、家族は過度の自責と恥を感じて、感情的に反応しすぎたり、議論でやめさせようとしますが、これでは説得できません。状況によっては専門家の協力が必要だそうです。

米本和広『教祖逮捕』には、頭を空っぽにさせてそこに教義を詰め込む洗脳の仕組みについて書かれてあります。

・脳にも容量があるが、情報量ではなく、時間が関係する。
・洗脳セミナーでは脳に休む暇を与えない。
・思考力の容量が限界に達し、自我はパンクしてしまう。
・自我がパンクし、思考が停止した状態でも情報はインプットされる。
・そこでカルトの教えが刷り込まれる。
・カルトの教義は普通に考えると理解できないものだが、自我がパンクしているので論理的思考ができず、直接教えが刷り込まれてしまう。
・それに加えて、パンクした瞬間、ドーパミンやエンドルフィンといった脳内物質が放出され、感動体験、神秘体験を経験する。
・そうした体験を伴う教義の刷り込みだから、しっかり脳にこびりついてしまう。
・教えを理解し、納得して結論を出したのではない。
・だから、「本当の自分に出会えた」「すばらしかった」といった抽象的で幼稚な表現しかできない。
・そのため、カルトの教えを他人に論理的に説明することはできない。これはカルト信者に見られる共通した特徴である。

高橋紳吾によると、真光の二泊三日の研修に参加して精神的な病気になってしまう人もいるそうです。
「真光あたりから始まったのは、一般の者が真光のわざを学ぶことによって霊能者になるというシステムができたんです。ところが、きちんとした訓練を受けていないために、精神的な病気になってしまったりする例がたくさんあります。
そもそも霊能力なんて、あるのかどうかということが問題で、病気が暗示作用によって治った気がするだけなのに、教団の持っている霊能力で治ったんだという錯覚にとらわれて、そこで縛られてしまうことがあるわけです。
だけども、手かざしなんてことをやっていると、自分がとてもいいことをしているような、熱い気持ちになれるんですね。自分は価値のない人間だけど、真光のわざによって人のお役に立てるという気持ちになって、自分の存在が認められて、とても生き生きとしてくる。
カルトに入っている間は熱くなっていって、それである種の快感を得ているわけです。人を救うとか、仲間と一体化するとかいうのは、ちょうど恋愛でもしたようないい気持ちになっていくものですから、そこを取り去られると、心が全く空虚になって、生きていく現実がなくなったりしてしまいます。
そしてもう一つ、カルトに入る時には、何かを求めてカルトに入るんだけれども、やめる時にその問題が解決しないまま残っているんです。これをカルトのマインド・コントロール後遺症といいます」

自己開発セミナー潜入記である二澤雅喜,島田裕巳『洗脳体験』、ヤマギシ会がいかに危険な集団かを暴露した米本和広『洗脳の楽園』も読んで下さい。具体的にどういうふうに洗脳していくかがよくわかります。

米本和広はヤマギシ会の特講(研修会みたいなものだが、実際は洗脳)を受けます。その報告を読むと、私自身もその場にいあわせているような気がして、なんだか気分が悪くなるほどです。

ヤマギシ会は1953年、山岸巳代蔵が理想社会を人間社会で実現するために結成しました。
「ヤマギシ会はヤマギシズムをもとに、世界を〈無所有一体〉の理想社会に塗り替え、世界中の人間を幸福にしたいと願っている。「実顕地」はその拠点であり、理想社会のモデル村なのである」
米本和弘は94年、豊里実顕地(三重県津市)を訪れます。
金のいらない村。お腹がすけば食堂に足を運べばいい。浴場、クリーニングもただ。下着以外の服、装身具、靴、タオルなどは共用だが、これもただ。日用品もほしいものがあれば展示供給所に行き、自由に持っていくことができる。病気になれば無料で診てもらえ、死ねば共同墓地に埋葬される。
まさにユートピア社会です。

案内をしてくれた女性は米本和広にこう言います。
「この村は無所有社会だから、所有観念はいっさいないの。すべて誰のものでもないから、誰が何を使ってもいい。食堂だってお風呂だって、みんなが使う。一体なのよ。誰のものでもないっていうのは物だけでなく、私の子どもだって私のものではない。だから、この村にいる子どもは誰のものでもない。私の身体だって、私のものではないの。世界中のすべてのものは誰のものでもない、すべては一体なのよ」
学生運動に挫折してヤマギシの村に入った人。
「簡単なことですよ。働いて得たお金を〈村の一つの財布〉に入れる。その財布のなかからみんなの生活費に充てる。それだけのことですよ」
村での労働時間は長く、元日以外の毎日が労働日です。だから、日本の平均労働時間より二倍近く働きます。
「そりゃあ、あなたが生活のため、金のために働く労働を考えるから大変だと見えるだけなんだよ。ここではみんなが理想社会を実現し、世界中の人が幸福になる〈全人幸福社会〉を実現するために、それぞれ専門の分野で働いている。だから、みんな楽しくてしかたがない」
村人の一人に「諍いはないのか」と聞くと、こういう答えが返ってきました。
「それは村人に我執がないからですよ。この世の諍い、いがみ合いのもとは我執です。我執があるから所有にこだわったり、競争が始まる。ここでは我執がないから、喧嘩が起きない、誰とでも仲良くできるんです。〈無我執〉はこの村の最大の特徴です」

大変結構な話ですが、なんだかソ連のプロパガンダ映画のセリフみたいですね。米本和広は、ヤマギシ会は中国の文革と共通すると言います。
「〝ヤマギシズム〟の創始者である山岸巳代蔵にみんなが魅かれたのは、我執のない人たちが所有意識なく自他の分け隔てなく暮らせるような、争いのない幸福社会を夢想したからである。
毛沢東が発動した文化大革命のことがついよぎってしまう。
文化大革命の本質は毛沢東の奪権闘争だったが、それを抽象すれば、利己主義や所有意識を生む資本主義的要素のすべてを消滅させる運動であった。知的労働者も肉体労働者もみんな同じ人民服を着て、人民公社の食堂で同じものを食べる。私心ある利己的人間は告発され、人民集会の場で吊し上げられた。世界の若者は文化大革命を熱狂的に支持し、当時の学生運動に大きな影響を与えた。
ヤマギシズム運動と文化大革命に共通するのは、物欲に限らず個性的でありたい・自由でありたいといったすべての欲望を否定し、人の心をある鋳型に流し込み作りかえようとしたことにある。それが同時に運動が瓦解する原因ともなったのは皮肉な話である」
まさに洗脳の楽園で、アンチユートピアがヤマギシ会によって実現したわけです。
ヤマギシ会は政治とのつながりもあり、将来どうなるのだろうと、『洗脳の楽園』を読んだ時は恐ろしくなりました。

しかし、『新装版 洗脳の楽園』は1997年以降のヤマギシ会の衰退を報告しています。
子どもを預けていたヤマギシ会の会員が子どもを引き取るようになった。99年に、売り上げが激減したためにヤマギシの村では労働の担い手がだぶつき、村人が外で生活を始める方針に変わった。00年には中心となっていた人たちがヤマギシ会を離れて、別のところで集団生活を始めた。94年には2,500人の大人と2,500人の子どもがヤマギシ会の実顕地で暮らしていたのが、07年には大人1,300人、子ども200人に減少している。
ほっとしました。

どういう人がそういうセミナーや研修会に参加するのでしょうか。島田裕巳はこのように説明しています。
「どちらかと言えば、お金や病気といった現世的な利益をめぐる悩みではなく、より完璧な人生を歩もうとして、それがうまくいかないことから生じる精神的な悩み、葛藤の方が多いように思われる。自分にこだわり、自分に真っ正面から向き合ってきたという点で、みんな真面目で純粋なのである」

洗脳は教育や研修会で組織的計画的意図的になされるばかりではありません。我々はいつの間にかある考えを刷り込まれてしまうことがあります。そして疑うことを許さぬ狂信、疑うことを知らぬ盲信に陥ってしまうのです。そうしたことになるのは宗教によってだけではないのです。

会社の犯罪に加担してしまう人がいます。与えられた任務を忠実に果たせば、仕事の仲間から受け入れられ、会社という組織と自分とが一体化します。そうなると組織の論理に従うことは必然です。たとえそれが法に触れることであってもです。

田中康夫のアシスタント募集に応募してきた野村証券に勤める女性に、証券不祥事をどう思うかと聞くと、
「悔しい。上司があんなにがんばってきたのにマスコミにあることないこと書かれて」
と憤慨したそうです。
「上司のそばにいて、あなたが涙が出ちゃうのはわかるけど、事件全体についてどう思うの」
と田中康夫が尋ねると、
「やくざとのつながりは昔からあったことで、何が悪いの。どうしていまごろになってうちだけをいじめるの」
とほとんど抗議口調だったといいます。

この女性は自分の都合のよいことだけを本当と思い込み、不都合なことは無いことにして見ようとしません。いつの間にかウチの社に間違いがあるはずがないという自己正当化の罠にはまってしまったのです。

自分中心で生きている私のあり方を破るのが宗教のはたらきの一つです。ですから宗教を聞いていけば、他者からの批判に耳を傾けることができるよう、おのずとかたくなな私の心を開かせるはずなのですが。
http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/maindo.htmlより転載。
 

釈迦仏の御心

 投稿者:  投稿日:2010年 6月 4日(金)14時53分51秒
返信・引用
  初心者さん、こんにちは、
藤本晃(慈照)博士も御引用の論文の最後に

「現存パーリ聖典が釈尊の教えそのままかどうか、もう一つ確かめる方法があるのですが、
それは、いわゆる学問的な方法ではありませんので、学界では問題になりません。

その方法とは、現存パーリ聖典を自分で読んで理解し、説かれている内容を自分で実践して確かめることです。

パーリからの和訳本でも良いのですが、教えの内容に直に触れると、それが釈尊の言葉そのままかどうか、自分ではっきり分かります。

 「それは主観的だ」と言われれば、「そうですね」としか応えられませんけど、
客観的な学問ではなく、自分が悟り、自分が苦しみから逃れる教えですから、

それが釈尊が説いた教えかどうかは、そこに悟りへの道が示されているかどうか、自分で確かめれば分かるのです。」


とありますね。

全ての人がそうだとは言いませんが、「八正道の「正」とは果たして何か」を求めるのではありませんでしょうか。
初心者さんはどうですか、正直言って、皆さんここで躓くのです。

大変乱暴な説明で恐縮なのですが、上記「それが釈尊が説いた教えかどうかは、そこに悟りへの道が示されているかどうか、自分で確かめれば分かるのです。」を
大胆に求めたお一人が貴方もおっしゃる竜樹ではありませんでしょうか、

いわゆる大乗経開祖とまで言われる人です。

ですから、部派仏教で悟りが開ける人はそれで良いのでしょう。しかし、部派仏教でも飽き足らぬ(こんなことで悟りが開けたは思えない)人が「正しい」をどこまでも探求するのでしょうね。

恐れずに言わせてもらえば、釈迦仏が説いた「八正道」とは本当に上座仏教者が伝えているような教えなのだろうか。となるのではないでしょうか。

勿論、お釈迦様の教えを「真に理解していたのか、どうか」「私が真に理解していたのです。」
の判定は上述「それが釈尊が説いた教えかどうかは、そこに悟りへの道が示されているかどうか、自分で確かめれば分かるのです。」と結ばれている通りでしょうね。

「正しい言葉とは」正しく信じるとは」
「そりゃあ、「愛」でしょう。「平和でしょう」「感謝でしょう」「南無阿弥陀仏だよ」「南無妙法蓮華経に決まっているだろう」

釈迦仏の御心は、真の御心は果たして、どうなのでしょう。すべては、そこから、始まるのかも知れませんね。

失礼しました。
 

Re: 第一結集

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 6月 3日(木)03時41分48秒
返信・引用
  > No.59[元記事へ]

初心者さんへのお返事です。

逆に、御教示戴けますか?
今後の仏教推進の為に。

出来れば、初心者さんの論
で、論証してくれると有り難く存じます。
 

第一結集

 投稿者:初心者  投稿日:2010年 6月 2日(水)07時42分55秒
返信・引用
  2-II 第一結集で経蔵はどれだけ確定したの?

 経典も、そのほとんどは第一結集の時に確定していました。何しろ、釈尊が説いた教えが経典なのですから、仏滅までに全部揃っているのは当たり前のことです。
 ただし律の場合と違って、全ての弟子が釈尊の全ての説法を聴いていたわけではありませんので、五百人ものアラカンたちが自分たちが聴いたものを相互にチェックする必要がありました。自分が聴いて覚えている説法をお互いに持ち寄り、知らなかった説法を新たに聴く中で、聞き間違い、言い間違い、覚え間違いなどをチェックしたのです。これによって、間違った内容の教えを保存してしまう可能性は全くなくなり、釈尊が説いたそのままの教えが、語句まで正確に、一揃いの経典「経蔵」になって、みんなに等しく保持されたのです。
 もちろん、完全に悟ったアラカンたちが嘘を言うことはあり得ませんので、彼らが口を揃えてお経を捏造した心配は全くありません。
 経蔵に含まれる経典のほとんどは釈尊自身によるものですが、サーリプッタ長老など高弟たちが説いたものも、さらには神々などが説いたものまで、釈尊以外の人々が説いた「経典」も幾つかあります。これらの「お経」は、釈尊が生前に真実語であると是認していましたので、仏説に準じるものとして経蔵に一緒に収録されたのです。
 同様に、仏滅後に弟子たちが説いた経典も僅かに収録されていますが、その内容は釈尊在世中の教説と同じであり、五百人のアラカンたちが内容に間違いなしと認めていますので、これも仏説に準じるものです。

 経蔵は、以下の五つのグループに分類されます。

長部経典三四経:比較的長い、物語も含む経典。
中部経典一五二経:中位の長さの、教説をぎゅっと詰めた経典。
相応部経典二八七二経:短いお経を、教理や説者などの共通点に応じてグループ分けしたもの。
増支部経典二一九八経:四諦や五力など、説かれる教説の数によって一から十一までグループ分けした、短いお経の集まり。
小部経典十五経:以上のどこにも入らない特異な経典の集まり。「スッタニパータ(経集)」「ダンマパダ(法句経)」「ジャータカ(前生経)」など。
 この中、長部、中部、相応部、増支部の四つのグループには、第一結集以後新たな経典は加わっていません。
 小部経典には、第二結集やそれ以後に加えられた経典も僅かにありますが、それらの経典には必ずそう明記して区別してありますので、ごちゃ混ぜにはなりません。例えば餓鬼に関するお経を五十ほど集めた『餓鬼事経』に、第二結集の時に加えられたお経が幾つかあります。仏滅後にも弟子たちが餓鬼に遭遇して助けてあげた事件があったので、その顛末も経蔵のこのお経のグループに含めたのです。でも、きりがないからでしょう、一つ二つだけです。それらは、第一結集の時に既にきちんと整理されている各経典群の、一番最後に明記して加えられています。

 長部、中部、相応部、増支部、小部の五部にグループ分けされたたくさんのお経は、その一つ一つに経名と番号が付けられ、十経ずつ一セットにまとめられ、セットの名前まで付けられています。それがこの五部にグループ分けされているのです。こうしておくと、お経のどれか一つでも抜け落ちたら、数が足りなくなるのですぐに分かります。デタラメなお話を「お経」だと言って後から付け加えようとしても、数が増えて合わなくなるので、すぐにバレます。
 一つのお経の終わりに続編を作ってくっつけようとしても、全ての経典の終わりに「この何々経はこれで終わり」と終わりの印が付いているので、その後にはどうやっても続けられません。もちろん、お経の途中に別の話を挿入しようとしても、前後と話が合わなくなるし、アラカンたちがしっかり覚えた内容と違うので、これもすぐにバレます。
 このように、最初にお経を結集した時に何重にも鍵が掛けてありますので、経蔵やその中のお経の一部を改竄することは、どんなお経泥棒にもお経仕掛け人にも無理です。ですからますます、釈尊の教えが第一結集で保存されたまま、現在まで伝わってきたと分かるのです。お経を保存し守るこのような編纂の工夫も、五百人ものアラカンたちが智慧を持ち寄ってこそできたことです。
 

八正道についての日蓮宗の見解。

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月30日(日)14時22分52秒
返信・引用
  八支聖道ともいい、涅槃に趣向するための八種の方法。(1)正見=正(ただ)しく四諦の道理を見る。(2)正思惟=正しく四諦の道理を思惟する。(3)正語=妄語等を離れ正しい言葉を使う。(4)正業=殺生等を離れ、正しい行いをする。(5)正命=身口意の三業を清浄にし、正しい生活を行う。(6)正精進=仏道修行に励む。(7)正念=邪念をはらい正道を念ずる。(8)正定=清浄なる禅定を行う。以上の八正道は主に三蔵教(小乗)の修行方法であるとされる。

(日蓮宗事典より)

このようになっていますね。

然し、日蓮門下教学は日蓮聖人の時代より違目されてきているので、現実かどうでしょうか。
 

釈尊の教え

 投稿者:初心者  投稿日:2010年 5月30日(日)10時04分41秒
返信・引用
  1.釈尊の根本的教え
(3)八正道(はっしょうどう)
A・スマナサーラ長老
 四聖諦一即ち釈迦尊の四つの聖なる真理をあらわす苦(く)(Dukkha), 集(じゅう)(Samudaya), 滅(めつ)(Nirodha), 道(どう)(Magga)の「道」に当たる実践方法が八正道(はっしょうどう)であるということを前回にお話しました。ところで、八正道とは読んで字の如く人間が正しい生き方を実践するための八つの方法を表します。まず、この八つの方法とは何を指すのか、そのへんからお話していきましょう。

 八正道の第一は、『正見(しょうけん)』といことです。これは正しく四聖諦を見きわめるという意味ですが、これは非常に誤解している人が多いのです。

 ありのままに見るということには違いないのですが、ではありのままとは何かということになります。ふつうの人はありのままとは、自分の好き勝手に見るというふうに思うのですが、人間はありのままには物ごとを見られないのです。森羅万象のものはすべて刻一刻変化しているのですが、人間はそう思いたくないのですね。例えば、物質だって目の前にあるかぎりは何も変化せずにあるように見えますが、ほんとは微妙に化学変化して存在しているのですね。長い目で見れば、新しいものだっていつかは古くなっていくでしょう。ところが、人間というのは、道具にしてもそうですが古くなってほしくない、変化を嫌うのです。

 例えば、何か計画を立てるときも、国を発展させるときも、あるいは勉強するときだって、すべて今のまま存在していくという仮定に基づいて準備や行動をしています。でも、事実は物ごとはそのまま存在するのではなく、常に変化しているもの--つまり無常ということを認識して見ていかなければいけないのだというのが正見の基本です。ですから、私たちは正しい見解を持っていないのです。今の世の中を創りだしているのは、正しい見解ではなく、すべての物ごとは存在する、私も存在するという立場で創っているのです。

 私たちが生きているということは瞬間瞬間変化していることで、それを無常といって存在の定義になっているのです。変化することこそ存在なのですが、私たちはそれを認めたがらない。変化を嫌うのです。ところが、変化を停止するということは死を意味するという事実に気がつかないんですね。正しい見解というのは、無常というものを認める心を持つこと、それが正見の基本です。

 次は『正語(しょうご)』です。端的に言えば正しい言葉づかいということです。しかし、ここでも、では何をもって正しいかということになりますが、人間のためになる言葉、平和で調和のとれる生活ができる言葉づかいということになるでしょう。真実をつたえる言葉といっても間違いはないのですが、時として真実を言うことは相手を傷つける場合もありますから、話をしたり文章で伝える場合も、その言葉が人間を幸福にするという認識でされなければ、意味がありません。

 三番目は『正業(しょうぎょう)』です。正しい行いということですが、この場合も殺生をしないとか、人のものを盗んではいけないなどと解説書にありますが、そう狭義にとらずに他人の迷惑にならない、生命の妨げになることをしてはならないというふうに解釈したほうがいいでしょう。

 次は『正命(しょうみょう)』です。これは仕事のことと思っていいでしょう。私たちは生きるために何かしらは働らかねばなりませんが、その場合、自分の職業や仕事が何か人間の命に貢献するものでなくてはいけないわけです。毒を作ったり、武器を作ったりする職業は仏教では禁止しています。ですから仏教とでなくとも釈迦尊の教えを学ぼうとするのであれば、職業にも神経を配る仕事をしてください。

 『正精進(しょうしょうじん)』正しい努力をする。ふつうの努力と違って仏教では自分のいま持っている悪いところを消すための努力。また未だやったことのない悪いことをこれからも絶対にしないための努力、いけないことはこれからもしないという努力、さらには自分の持っているいいところはこれからもどんどん伸ばしていこうとする努力、また今までしなかったいいことをこれからは積極的にやっていこうとする努力、努力にもこうした四つの努力の道があるのです。精進とは、いい人間になるため、より立派な人間形成への努力ということになるでしょう。

 さて、八正道のなかで、次の『正念(しょうねん)』と『正思惟(しょうしゆい)』は似通っていて、解釈が混同されていますので、ちょっとこの二つの違いをお話しておきましょう。

 正思惟には無害心、無瞋恚、無貪欲の三つがあって、人間は勉強することも、研究することも自由にやっていいのですが、考える前にまずその考えなり研究が、人や生きもの、自然を害さない、そういうものの命をまもることを念頭におかなければならないということです。
生きとし生けるものに対して、どうすれば助けられるか、どうすれば慈しみを持って考え方を発見できるかということです。これが無害心です。

 次の無瞋恚は怒りのことです。怒るということはだれもがいけないこととわかっていますが、人間は時として、例えばスポーツなどで相手を憎んでその怒りで闘うというように、怒りを支えにして頑張ることかありますあるいは木を伐採するときなんか、その木が邪魔だからと言って伐ってしまったり、悪い虫だからといってすぐ殺してしまったりしますが、そういうことはいけないと教えるのです。
怒りの基は、結局自分のしたいことを邪魔されるから怒る、つまり底に欲望というものがあるのです。もちろん人間がこの世のなかを生きていく場合には物というものが必要になってきますが、「お金はいくらでも欲しい」とか、「クルマは何台あってもいい」というように際限なく欲望をつのらせてしまいます。貪欲というのは余分な欲という意味ですから、その余分な欲のために人間は大変な苦労や悩みを背負いこんでいるのです。
これが正思惟の三つの考え方です。

 一方の『正念(しょうねん)』とは、原語でsamma-sati と言って、サティ とは気づくという意味です。何に気がつくのかというといまの自分に気がつくということです。瞬間瞬間の自分に気づくことなのですが、自分に気がつくためには精神統一をしなければなりません。
そこで『正定(しょうじょう)』つまり、精神統一の状態で自分に気づく。ですから正念とは実践法なのです。

 自分に気がつくことから始めて仏教究極の悟り、解脱、涅槃まで進むのですが、この涅槃に至る道は正念の一方通行の一本道なのです。
この正念の実践を詳しく教えたものが、「中阿含経」に出てくる四念住という言葉です。
「人間のすべての憂いや悲しみ、悩みをなくしたいと願うなら、実行してください。生きとし生けるものすべての人々の清らかな心を創るため、即ち解説するためには、なさってください。涅槃の道に入りたいならば、それしか実践の方法はないのですよ。涅槃や解脱を得るためにはずっとこの一つの道しかないんですよ」
「四念住」とはそこに止まってくださいという意味です。
四種類とは、身念住、受念住、心念住、法念住を指します。
私たちはいろいろ考えて物ごとを見るから、本来あるべきでないものまで見てしまうのです。映画がいい例なんですが、本来映画というののはフィルムに一コマ一コマ停止したシーンがあって、私たちはその瞬間瞬間変化している画面を、これは動いているんだという頭の働きで動いているように見ているのです。真理としては、動いていないのです。ところが。私たちは余計な考え方を働かせるから、真理が見えなくなってしまう。だから、そうではなくて今の自分に気がついてそこに留まりなさい、それ以上先きに行ってはいけませんというのが「四念住」の意味です。

 修行の方法としては、体から覚えさせていく。
人間はまず体に執着しています。「私は寒い」というのは体が寒いということでしょう。「私」というのは肉体の自分を指すのです。ですからまず肉体から実践しようということになるわけです。
実際のやり方は『正定(しょうじょう)』の説明にもなるのですが、坐禅に似ています。
雑音の少ない場所で坐禅のように坐って、背筋を伸ばし、まずいのちのことを思うのです。自分かいまこうして生きていられるのは、いのちのお陰であることを感謝して、そういう自分が幸せでありますように、悩み、苦しみがなくなりますように、願いごとがかないますように、解脱、涅槃、悟りがあらわれますようにと念じます。また、いまの自分がこうして生きているのは、周りの人たちのお陰でもありますから、自分の親しい人、関係のある人、周囲の人みんなが幸せでありますように、と念じていくのです。さらに自分と周りのすべての生きとし生けるものの幸せも念じます。そういうことを心をリラックスさせて、すこしづつやっていくといいのです。

 よく、こういうことはしてはいけない、とか無我の境地になれなどと言いますが、そんなことは最初のうちはどだい無理なことです。それに、無理に自分を抑えるということは、それだけでもういまの自分の認識ではなくなってしまうのです。
大切なことは、ヴィパッサナー(観察)ということです。
つまり、ありのままの自分を観るということですね。坐禅を組んでいると足が痛くなってきたりする。
そうしたら、「いま私は足が痛い」と観察するのです。痛いと思うのではなく、痛い自分を観察する。ただ痛いという感覚もありますから、それはただ感じているという認識でいいのです。また人間は静かにしているといろいろなことを考えますから、考えを否定するのではなく、「あ、いま自分は考えている」「余計なことが心に浮かんだ」というふうに、なるべく短いセンテンスでしまい込んでしまう。イメージとしては、「心のなかにラベルを貼ってしまっちゃう」と考えるといいかもしれません。もし怒りが出てきたら、「怒り」とラベルを貼ってしまっちゃうといいのです。因みに、怒りというのは仏教で言えば、「いやだ」と言うことなのです。坐っているときに立ちたいなあ、と思ったらそれは怒りを意味するのです。

 これが八正道を実践するヴィパッサナー冥想法の第一段階です。
ところで私たちは毎日毎日24時間、死ぬまで生き、行動しているわけですから、四六時中サティ(気づき)の修行をしてほしいのです。勉強していても、仕事をしていても、家でテレビを見ているときも。例えば、歩いているときだって、余計なことを考えずに、左足と右足が交互に動いて歩くわけですから、「右、左、右、左」と言葉にだして歩くのです。それが精神統一につながって、やがていろいろな知恵に恵まれ、苦しみ、悩みが消えていくのです。(以下次号)

(スマナサーラ師 講義要録より ~文責 根守)

日蓮宗では八正道の教えはどのように評価されているのですか?
 

本覚思想と真宗

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月29日(土)20時21分25秒
返信・引用
  ● <本覚>とは、『大乗起信論』にある語で「衆生に内在する覚りの本性」の意
味。(cf.不覚、始覚)
● <仏性><如来蔵>は、客塵煩悩に覆われた「仏を生み出す基体」を意味する
から、実際に覚を得るための実践として苦行を強調するのに対し、<本覚>は
単なる内在的可能性ではなく、「現実に覚りをひらいている」という意味で使
われ、修行の必要性が否定され、かつ大胆な現実肯定主義となる。
● 如来蔵思想はインド大乗中期に生まれたが、有情と非有情を区別する観点が残っ
ていたのに対し、本覚思想は中国で生まれ、有情と非有情の区別を否定した。
「草木国土悉皆成仏」
● しかし両者はしばしば同じものと扱われることがある(基体説)。より正確に
は、如来蔵思想の中国的展開が本覚思想であり、中国の土着思想(老荘思想)
と結びついて定着した。
● 日本では中古天台において本覚思想が浸透定着するようになり、法華経重視の
中国の天台宗および日本の初期天台宗と区別して<中古天台本覚法門>とよば
れる。鎌倉仏教はそれを克服していった面と、強い影響を受けた面がある。
● 大乗仏教でいう「煩悩即菩提」「生死即涅槃」とは、本来、仏の立場(あるい
は覚りをひらいた立場)からいうことであって凡夫がいうことではない。また
煩悩や迷いを肯定しているわけでもない。しかし、これが本覚思想によって積
極的に利用されたため、本来の意味とは違って使われるようになった。
二種深信~本覚思想の否定
「『深心』と言うは、すなわちこれ深信の心なり。また二種あり。一つには決定して深く、『自身は
現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に没し常に流転して、出離の縁あることなし』と信ず。
二つには決定して深く、『かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑いなく慮りなくかの願力に
乗じて、定んで往生を得』と信ず。」(観経疏/教行信証215-216頁)
● 機の深信→如来蔵・自性清浄心の否定
● 法の深信→『無量寿経』を真実教として選び取ること
老荘思想~本覚思想の基盤
● 老子の存在論
道:老子の説く「道」は孔子の「道」と異なり、「万物がそこから生まれ、そ
こに帰っていくところの根源」という形而上学的な意味合いを含む。
● 老子の倫理思想
無為自然:人為を徹底的に排除し、大宇宙の根源である「道」にしたがってあ
るがままに生きることが大切であると説いた。 自然=「他者の力によらないで、
それ自身に内在する力によって、そうなっていること」 (森三樹三郎)
「近代仏教学から真宗を問う」 -11-
● 荘子の存在論
天:無限の時空を通じて万物を支える根源。天は一定の秩序たる「道」にした
がって万物を変化させる。この「道」は知性に拘泥せず己れを空虚にすること
によって体得できる。したがって天を絶対としてそれへ従うことが肝要である。
天の道という観点から見れば万物はすべて等しい価値を持ち(万物斉同)、善
悪の議論は相対的である。
● 荘子の倫理思想
真人:社会という人為的な束縛から脱して自然の中に回帰し、天の理にしたがっ
て自由な境地で生きる人間を真人とよんで尊んだ。
無用の用:一見すれば役に立たないようなものが視点をかえれば実は役に立っ
ているというような自由な発想が大切である。
一念義=本覚思想=仏教の異端
● <一念義>浄土宗で法然の門弟幸西らの主張した教義。浄土に往生するには一
度の念仏だけで十分であり,多く念仏する必要はないとするもの。その正反対
は<多念義>で、浄土に往生するためには多く念仏する必要がある、というも
の。浄土宗では共に異端とされる。
● <一念義>は本覚思想の影響を受けて成立した(?)少なくとも両者の間には
論理的なつながりがある。本覚思想が、「あらゆる有情・非情は現に覚りをひ
らいているから、改めて修行をする必要はない」というのと、<一念義>が
「既に阿弥陀仏によって往生を約束されているのだから、それ以上の念仏は必
要ない」というのとは、ほとんど紙一重。
● <一念義>は<造悪無礙>(悪をなしても信心さえあれば浄土往生できる、と
いう説)と結びついて、社会的に問題視され、浄土宗弾圧を招く一因となった。
この<造悪無礙>説じたい、本覚思想に由来している。
● 親鸞は<一念義>派とみなされることがある。その理由として、(1)幸西や行
空との親しい関係、(2)<現生正定聚>説(生きている間に覚りを約束された
地位につく)の2点があげられる。しかし、(1)は決定的証拠ではない。また、
(2)は現生で約束されるのは正定聚までであって、覚りはあくまでも来生なの
だから、かろうじて本覚思想を免れている、というべき。
● 親鸞は「信をはなれたる念」「念をはなれたる信」を共に否定している以上、
<一念義>派と断定はできない。しかし、<自然法爾><如来等同><便同弥
勒>説はきわめて本覚思想に接近している。(唯信鈔文意対校本参照)
自然法爾=老荘思想=外道
「自然というは、もとよりしからしむということばなり。弥陀仏の御ちかいの、もとより行者のはか
らいにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまいて、むかえんとはからわせたまいたるによりて、
行者のよからんともあしからんともおもわぬを、自然とはもうすぞとききてそうろう。ちかいのよう
は、無上仏にならしめんとちかいたまえるなり。無上仏ともうすは、かたちもなくまします。かたち
「近代仏教学から真宗を問う」 -12-
もましまさぬゆえに、自然とはもうすなり。かたちましますとしめすときは、無上涅槃とはもうさず。
かたちもましまさぬようをしらせんとて、はじめに弥陀仏とぞききならいてそうろう。弥陀仏は、自
然のようをしらせんりょうなり。この道理をこころえつるのちには、この自然のことは、つねにさた
すべきにはあらざるなり。つねに自然をさたせば、義なきを義とすということは、なお義のあるべし。
これは仏智の不思議にてあるなり。」(511頁)
<約理の二諦>と<約教の二諦>~真理論
● <約理の二諦>成実論学派の主張。俗諦は迷いの凡夫のありかたであり、真諦
は仏のありかた。二諦の関係は、俗を捨て真を取るという意味で不可逆的なも
のであり、二者択一的である。二諦はともに<理>であるが、前者は邪分別
(偽)であり、後者は正分別(真)である。
● <約教の二諦>三論学派の主張。俗諦と真諦を区別した上で、両者を同価値の
ものとする。すなわち、俗諦は凡夫にとっての方便、真諦は聖者にとっての方
便であり、ともに言葉を超えた<理>を覚らしめるための方便。すなわち、二
諦という概念は教法に限定される。
● 両者の違いは、言葉と真理との関係をどう見るかによる。<約教の二諦>が真
理を言葉を超えたもの・言葉によっては表現できないものとして実在すると主
張するのに対し、<約理の二諦>では言葉(仏語)こそ真理であると主張する。
親鸞思想の二つの系譜
A. 成実論学派 - 善導 - 法然 - <二種深信>
B. 三論学派/格義仏教 - 曇鸞 - 中古天台 - <自然法爾>
● 仏身観
A. 化報二身論
釈迦(化身)・弥陀(報身)二尊
釈迦を教主とし阿弥陀を救主とする、救済論の次元での二身説
「今日仏を見たてまつること釈迦の恩なり。仏語に随順すれば弥陀を見たてまつる。」
(般舟讃)
「釈迦はこの方より発遣し、弥陀はすなはちかの国より来迎したまふ。かしこに喚ばひこ
こに遣はす、」(観経疏)
B. 法性法身・方便法身の二身論
方便法身は法性法身に由来し、衆生に法性法身をさとらしめる働きとして
存在する。相即・相入の関係。
法身の先験性を前提としている点で、如来蔵思想と同質性をもつ。
「法性法身によりて方便法身を生ず。方便法身によりて法性法身を出す。この二の法身は
異にして分つべからず。一にして同ずべからず。このゆゑに広略相入して、 統ぶるに法
の名をもつてす。」(浄土論註)
● 観察~観経の第八観理解をめぐって
「諸仏如来はこれ法界の身なり。一切衆生の心想の中に入りたまえり。このゆえに汝等心に仏を想う
「近代仏教学から真宗を問う」 -13-
時、この心すなわちこれ三十二相・八十随形好なり。この心、作仏す。この心これ仏なり。諸仏正遍
知海は心想より生ず。このゆえに応当に一心に繋念して、あきらかにかの仏・多陀阿伽度・阿羅訶・
三藐三仏陀を観ずべし。」
A. 観=智慧の観
「『観』といふは照なり。つねに浄信心の手をもつて、もつて智慧の輝を持ち、かの弥陀
の正依等の事を照らす。」
観経の第八観の「法界」を如来蔵・真如とは理解せず、仏に教化される衆
生の世界と理解する。
「『法界』といふはこれ所化の境、すなはち衆生界なり。『身』といふはこれ能化の身、
すなはち諸仏の身なり。」 (観経疏)
B. 観=vipaśyanā=観仏三昧
仏国土と阿弥陀仏と諸菩薩の荘厳功徳を対象化して観察する
法性法身には形相がないので観察の対象にならないが、方便法身を観察す
ることにより、法性法身を間接的に体験する。
観経の第八観理解において、衆生における仏の内在を認める。
「『諸仏如来はこれ法界身なり』といふは、『法界』はこれ衆生の心法なり。心よく世間・
出世間の一切諸法を生ずるをもってのゆゑに、心を名づけて法界とす。法界よくもろもろ
の如来の相好の身を生ず。」(浄土論註)
● 浄土観
A. 西方の浄土
「あるいは行者ありて、この一門の義をもって唯識法身の観となし、あるいは自性清浄仏
性の観となすは、その意はなはだ錯れり。絶えて少分もあひ似たることなし。」「総じて
無相離念を明かさず。」「相を離れて事を求むるは、術通なき人の空に居して舎を立つる
がごとし。」(観経疏)
B. 唯心の浄土
● 機根
A. 機根の不同の否定
「もし衆生の垢障を論ぜば、実に欣趣しがたし。まさしく仏願に託してもつて強縁となす
によりて、五乗をして斉しく入らしむることを致す。」(観経疏)
個人の内面的性質の違いではなく、教法の真偽を区別。
「ただ縁に遇ふに異なることあるをもつて、九品をして差別せしむることを致す。」
「いまの時の善悪の凡夫をして同じく九品に沾はしめんと欲す。信を生じて疑なければ、
仏の願力に乗じてことごとく生ずることを得。」(観経疏)
B. 宗教的差別思想
女性・二乗(声聞・縁覚)・根欠(障害者)の往生を否定した唯識派の世
親(五性格別説)
「大乗善根の界は、等しくして譏嫌の名なし。女人および根欠、二乗の種生ぜず。」(浄
土論)
曇鸞は唯識派ではないが、浄土論の立場をそのまま引き継いでいる。
 

日本天台宗

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月29日(土)20時18分18秒
返信・引用
  鎌倉時代には、比叡山で修行した高僧たちによって、多くの新宗派が生まれている。日本天台は法華一乗の教学を基礎に、圓密禅戒を包摂していることから、鎌倉佛教の諸宗派の生まれる素地は備わっていたものといえる。更に中古天台を特徴づける本覚思想が、新しい鎌倉佛教の教えを誘発したともいえる。平安末期、政治の実権は貴族から武士へと移り、僧兵の暴挙、源平の争い、そして天災・飢饉など、世の中は不安な状況にあった。佛教史観によれば、いわゆる末法の時代であった。そこに、平安貴族佛教に代わり、民衆の願いと救済を目的とした佛教が生まれるに至ったのである。しかし、鎌倉時代の佛教は、再編成された旧佛教、つまり戒律を守り、修行を重視する本来の佛教のあり方があくまで正統であって、戒律を無視し、修行を軽視する易行道を主旨として生まれた鎌倉新佛教は正統ではない、とみる佛教史観がある。それは顕密を融合する立場で、鎌倉佛教を捉えようとする顕密体制論である。
 法然(一一三三~一二一二)は、浄土宗を開いている。法然は、叡山で修行を重ね、恵心僧都源信の『往生要集』の影響を受け、更に唐の善導大師の教えに触発されて、専修念佛を唱導した。念佛の易行のみを修することに専念し、伝統的な佛教の立場を否定したので、旧佛教側から激しい反発を招き、念佛停止の禁制に遇い、流罪となった。それは、法相宗の貞慶が、法然教団への弾圧を訴えた『興福寺奏状』を執筆したことにもよる。主著に『選択念佛本願集』があり、専ら口称による称名念佛を主張した。これに対し、旧佛教側の華厳宗の明恵は、法然の『選択集』が、発菩提心を否定し聖道門を群賊に譬えるなどの過失があることについて、激しく批判した『摧邪輪』を著している。
 法然の弟子たちは、数派に分かれたが、その一念義派の親鸞(一一七三~一二六二)も、やはり叡山で修行をしており、法然の唱導した念佛の教えこそ、真実の教えであると浄土真宗を開いた。親鸞は、念佛停止のために、越後に流されたが、許されて後、常陸で『教行信証』を撰している。浄土真宗の立教開宗の根本経典である。親鸞は、徹底した他力本願を説き、妻帯も佛道を妨げないと唱え、『愚禿親鸞と自称し、非僧非俗の生活を送った。第八代の蓮如(一四一五~九九)は、活発に布教を行い、今日の大教団の基磋を築いた。真宗は、本願寺派(西)、大谷派(東)の東西本願寺の二大教団が、主体をなしている。浄土系には、他に叡山で修行した良忍(一〇七二~一一三二)の開いた融通念佛宗、天台を学び後に熊野で神勅をえて、念佛を唱え遊行と賦算をこととした一遍(一二三九~八九)の時宗がある。
 栄西(一一四一~一二一五)は、叡山で修学していたが、入宋して懐敝より臨済宗の禅を受けた。日本臨済宗の祖。栄西は、叡山の弾圧に対して、禅宗の立場を弁明するために『興禅護図論』を著している。更に幕府の帰依を受け、寿福寺や建仁寺を創建した。臨済宗は公案による禅修行を主体としている。栄西は、茶を日本に伝え、茶についての著『喫茶養生記』がある。また叡山で修学していた道元 (一二〇〇~五三)は、栄西の高足明全に師事し、師とともに入宋して、天童山の如浄に参じ、曹洞禅を学び、それを伝えている。日本曹洞宗の開祖。曹洞宗は、公案を用いず只管打坐、つまりただひたすら坐禅することを重んじている。『正法眼蔵』は、道元の法語を集めたもので、行を重んずる道元禅の教えが説かれている。
 日蓮(一二二二~八二)は、比叡山で天台教学を究め、のち故郷安房の清澄山で、法華経こそ佛教教理の真髄であり、宇宙の真理を説くものであると悟り、日蓮宗を開宗した。のち鎌倉を中心に布教をし、幕府に対しても法華経の宣揚に努め、北条時頼に『立正安国論』を呈した。日蓮は、この書の中で法華経に帰依しなければ、国内の戦乱と外国の侵略とが必ず起こるであろうと述べている。このような幕府非難や他宗批判を激しく行ったため、幕府の迫害を受け、度々法難に遇っている。佐渡にも流されたが、やがて許されて身延山に入り、法華経の宣布に当った。日蓮は、南無妙法蓮華経の題目を唱えることによって、法華経読誦の功徳があると説いて、この唱題を勧めた。そして、法華信仰を否定するものは、佛法を謗るものとして折伏した。また日蓮は、浄土宗で説く厭離穢土・欣求浄土のために、否定された此土つまりこの娑婆こそ寂光土であるとの主張をしている。
 旧佛教の立場に代表される高僧たちには、貞慶や明恵の他に、俊?や叡尊などがいる。彼らは戒律を厳格に守ることを主張した。
 

Re: 日蓮大聖人直結思想

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月26日(水)19時10分4秒
返信・引用
  > No.53[元記事へ]

初心者さんへのお返事です。

> 管理者さんへのお返事です。
>
> > 初心者さんへのお返事です。
> >
> > >  創価学会では、創価学会が日蓮大聖人に直結している、所謂大聖人直結思想を展開しています。
> > > 日蓮宗では、このような大聖人直結思想はないのですか?
> > > 是非、お聞かせ下さい。宜しくお願いします。
> >
> > > 日蓮宗では、このような大聖人直結思想はないのですか?
> >
> > ※初心者さん
> >
> > コメントありがとうございます。
> >
> > 大聖人直結ですか(笑)
> >
> > 直結したら、どうなってしますのでしょうねぇ。
> >
> > 恐らく、退転者続出するでしょうねぇ(笑)
> >
> > そのほうが、有り難いのですが。
> >
> > 日蓮宗は、お釈迦様が根本であり法華経が根本です。
> >
> > ですので、日蓮聖人の立場はお釈迦様の教えを忠実に守り、法華経を弘通することです。
> >
> > ですので、私たちは日蓮聖人の教え(偽書は除く)を実践することが日蓮聖人の実践と
> >
> > 受け止めます。
> >
> > 基本は、四弘誓願です。
>
>  管理者さん、返信を有難う御座いました。
> 創価学会が日蓮大聖人直結思想を言い出したのは、日蓮正宗に破門された後だそうです。

※初心者さん

コメントありがとうございます。

日蓮正宗からの破門はお互いにある意味、都合が良かった面も伺えますよね。

それは、細井日達の考え方や、池田大作の策略の賜物と考えます。

互いの策略により、信徒、会員は迷いに迷い、信者獲得、会員維持の交戦へと発展するわけです。

そこに石山独自の唯授一人相承、血脈、などを中古天台に現れた語が石山を救う結末となっているわけです。

そこに本門戒壇本尊が石山に存在したため、更に唯授一人相承が強く主張されてきたのではないかと推測します。

然し、破門前後であっても、法主か会長かの違いですから、創価学会は日蓮正宗の教義をパクリ、日蓮正宗は創価学会会員の獲得で互いに得しているのではないでしょうか。
 

Re: 日蓮大聖人直結思想

 投稿者:初心者  投稿日:2010年 5月26日(水)18時51分42秒
返信・引用
  > No.49[元記事へ]

管理者さんへのお返事です。

> 初心者さんへのお返事です。
>
> >  創価学会では、創価学会が日蓮大聖人に直結している、所謂大聖人直結思想を展開しています。
> > 日蓮宗では、このような大聖人直結思想はないのですか?
> > 是非、お聞かせ下さい。宜しくお願いします。
>
> > 日蓮宗では、このような大聖人直結思想はないのですか?
>
> ※初心者さん
>
> コメントありがとうございます。
>
> 大聖人直結ですか(笑)
>
> 直結したら、どうなってしますのでしょうねぇ。
>
> 恐らく、退転者続出するでしょうねぇ(笑)
>
> そのほうが、有り難いのですが。
>
> 日蓮宗は、お釈迦様が根本であり法華経が根本です。
>
> ですので、日蓮聖人の立場はお釈迦様の教えを忠実に守り、法華経を弘通することです。
>
> ですので、私たちは日蓮聖人の教え(偽書は除く)を実践することが日蓮聖人の実践と
>
> 受け止めます。
>
> 基本は、四弘誓願です。

 管理者さん、返信を有難う御座いました。
創価学会が日蓮大聖人直結思想を言い出したのは、日蓮正宗に破門された後だそうです。
 

日蓮本仏論

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月26日(水)16時54分32秒
返信・引用
  日蓮宗事典より転載。

※日蓮聖人を本仏と仰ぐ説。宗祖本仏論ともいう。「本仏」とは迹仏に対する語で、本地の仏、本門の仏、本覚の仏等の義によって説明されるが、簡単にいうと本体仏のことで、諸仏の根本身をさす。法華経の如来寿量品で、釈尊が自らの久遠実成の因果を顕して、一切諸仏を分身とし三世十方の仏の本体なることを明かして、本仏として顕現した。日蓮聖人はこの釈尊の久遠実成をもって本尊の義を定めるのであるが、日蓮本仏論とは、その久遠実成の釈尊をも垂迹仏として更にその奥に本仏を設け、この本仏が日蓮聖人となって現れたという説である。この日蓮本仏論は特に日興門流の富士大石寺派(現在日蓮正宗)の主張である。彼らは釈迦は在世衆生のための脱益(だつちやく)の仏で抜けがらであり、日蓮聖人こそが久遠元初自受用報身仏(くおんがんじよじじゆゆうほうじんぶつ)の再誕、末法の本仏であるといって、独特な異流の法門を作りあげてきた。日蓮本仏論が聖人信仰を逸脱した曲説であることは既に各師によって論評されてきたところであるが、室町以後の大石寺の石山教学はこの日蓮本仏論が中心となって展開し、昭和に入って大石寺の在家教団創価学会が狂信的な伝道で盛んにこれを喧伝したため、社会的にも論議をよび、純正な日蓮信仰までが誤解されるに至り、現在創価学会の邪義として批判を浴びている。
創価学会発行の『仏教哲学大辞典』に、本尊を説明して、人本尊と法本尊をたて、その人本尊とは「主師親の三徳具備の御本仏日蓮大聖人のことである。すなわち久遠元初の自受用報身の再誕であり、末法下種の主師親であり、本因妙の教主である大慈大悲の南無日蓮大聖人である。百六箇抄に、久遠名字より已来(このかた)本因本果の主・本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮、とあり、一往の見方では上行菩薩の再誕が日蓮大聖人であるが、再往は、久遠元初自受用報身の再誕が日蓮大聖人であって」(四巻、九七三頁)本仏が凡夫の姿のまま出現したのであると記されている。この思想は釈尊の説く法華経と日蓮聖人の説く法華経とは別個なもので、既に末法においては釈迦仏法は何の価値もなく、日蓮聖人の三大秘法の仏法こそが唯一の成仏教であるが故に、釈迦はぬけがらの仏(脱仏)、日蓮聖人は末法の本仏である、という考え方が基本にある。そして、この大石寺流の日蓮本仏論は大石寺だけに相承されているという「両巻血脈」即ち『本因妙抄』と『百六箇相承』並びに『産湯(うぶゆ)相承事』等の偏狭な口伝書を論拠として形成されたのである。この日蓮本仏論について、近代富士宗学の硯学大石寺五九世堀日亨は「日蓮本仏観は開山上人(日興)御代の原始教団には不言の間に実行せられて居た。中興日有上人は顕はに口にして門の内外に叫ばねばならぬ事となったが、波動は存外狭かったようである。第二の中興日寛上人の時更に筆に口に極めての明論が今更の如く非日蓮本仏論者の耳目を驚かして、寛上独創の本仏論の如く思はしめた」(福重照平著『日蓮本仏論』序)と述べていて、日蓮本仏論の思想形成に三人の大石寺貫首の名をあげている。即ち開山の日興、九世日有、二六世日寛である。この三人は日蓮本仏論に限らず、日蓮教団の中でも特異な展開をした富士大石寺の思想的基盤を作りあげ、その方向を決定してきた富士派の教傑である。現在の日蓮正宗・創価学会の教義がこの三師を結んだ延長線上にあることはまちがいない。以下三師の思想内容を検討する。
(1)富士の開山六老僧の白蓮日興(一二四六-一三三三)に既に日蓮本仏論があったというのは富士派の所伝であるが、これが事実でないことは日興の確実なる著書から明白である。ただ最初に問題となるのは、富士派が自山の基礎的資料に対する客観的批判を拒否していることである。資料批判という現在の文献学の成果にあえて目をつぶろうとしているのは、その思想の弱体を自ら露呈しているようなものだが、富士の石山教学が日蓮聖人・日興以後に偽作された教義書を金科玉条として、それらの偽書を依処として他門不共、自派独一秘伝相承の教学を形成し、強引に正統化しようと努めてきた歴史は既に指摘されているとおりであり、大石寺の唯一正統を強調する『身延相承』『池上相承』を始め、本門戒壇本尊と称するいわゆる「板本尊」の偽作などはその最たるものである。この日蓮本仏論にしても『本因妙抄』『百六箇相承』を「宗祖直受日興」と盲信したところから起ったのであり、聖人の確実なる遺文には、当然のことながら自らが本仏だなどと述べているところは一ヵ所もないので、『本因妙抄』等の口伝書から曲解する以外になかったのである。日興が血脈相承したという大石寺の相伝書をみてみると『本因妙抄』(『日蓮宗宗学全書』第二巻一頁)は「法華本門血脈相承事」といい、「本因妙の行者日蓮之を記す」と書かれ、弘安五年一〇月一一日の日付となっている。もちろん聖人・日興の真筆はなく、内容を一読しても中古天台の「三大章疏七面相承口決」に基づいて書かれた室町期の爛熟した中古天台教学の影響下に作成されたものと考えられ、文献にこの名が現れる頃から推定して聖人滅後一〇〇年頃のものという説が通説になっている。この書は種本脱迹の勝劣判-下種益の日蓮聖人の題目を本とし、釈尊の法華経を迹とする本迹勝劣論、本門法華をも熟脱の迹とする-を強調する。『百六箇相承』(『宗全』第二巻一一頁)は、「具騰本種正法実義本迹勝劣正伝」といい、本因妙の教主日蓮が日興に授与すとされている。種脱勝劣せる百六ヵ条の本迹を述べるのであるが、一見偽書たること明瞭で『本因妙抄』と同じく聖人滅後中古天台の本覚法門に刺激されて謀作されたものと考えられる。この他日興相伝の宗祖本仏論関係の書に『産湯相承』『寿量品文底大事』『本尊七箇相承』等があるが、後代、日蓮本仏論が盛んになった時期に偽作され日興相承に仮託されたものとみられている。日興の確実なる著作からは逆に『御遺物配分帳』には「御本尊一躰釈迦立像」(『宗全』第二巻一〇七頁)、『与波木井書』に「仏は上行無辺行浄行安立行の脇士を造副進せて久成之釈迦に造立し進せ給べし」(『宗全』第二巻一六九頁)などと久成釈尊を本仏本尊と見ているような点が窺える。大石寺四代日道の『三師御伝』には日興の遺告として「日蓮聖人云く、本地は寂光地涌の大士、上行菩薩六万恒河沙の上首なり。久遠実成釈尊の最初結縁の初発道心の第一の御弟子なり」(『宗全』第二巻二五三頁)と釈尊の本化の弟子上行日蓮の信仰を伝えている。これらをみても興門の上期教団に日蓮本仏論が確立されていたとするのは信用できない。この思想が唱えられるようになったのは「両巻血脈」等に見られる如く、発達した種脱勝劣の思想を釈尊と日蓮聖人に配当した結果からであろう。興門で日興滅後にその思想に種脱論がみられるのは、重須の三位日順、妙蓮寺日眼であるが、特に妙蓮寺日眼の『五人所破抄見聞』(聖人滅後九九年著作)は『本因妙抄』の思想に基づき、釈迦脱仏宗祖本仏を明確に論じている。この教義を大石寺で最初に主張しだしたと考えられるのが、板本尊を偽作したといわれる日有の時である。
(2)大石寺九世日有(一四〇九-八二)は大石寺根本道場を主張して重須派と争い、楠(くすのき)板本尊を造立したとされている。この日有は八品日隆の影響を受けてその種脱判を富士派の本尊論に適用し、脱益の教主は釈尊、下種益の教主は聖人であるとし、種脱勝劣の立場から宗祖本仏をいうに至った。しかしその論はまだ不完全で、現今伝えられる日蓮本仏論は江戸期をまたねばならない。日有には『化儀抄』等の門下筆受の著がある。
(3)近世に入って大石寺の独特な教学を大成し、今日の創価学会教学の基を作ったのが大石寺二六世堅樹日寛(一六六五-一七二六)で彼は「三重秘伝抄」「文底秘沈抄」「依義判文抄」「末法相応抄」「当流行事抄」「当家三衣抄」の『六巻鈔』を著して、いわゆる石山教学を確立した。そして『観心本尊抄』の四種三段の第四重三段を種熟脱の三益に配し、本門三段に対し文底下種三段を設け、種と脱に法体勝劣をたて、文底下種事一念三千を開いて三大秘法とするのである。即ち文底下種の妙法は釈迦所説のものではなく、本因妙の教主の久遠所得の大秘法で、末法においてそれを顕した日蓮聖人こそその本因妙の教主、本仏そのものであるとするのである。ここに日蓮本仏論が完成する。五百塵点の久遠実成の釈尊は文上本果妙の釈尊であり、この本果妙の釈尊を釈尊たらしめた本因の釈尊、即ち無作三身の仏体とたて、この久遠元初に本来有りのままで自ら法楽を受用している本因行の報身仏こそが、文底三段で顕本された教主とみ、それを「久遠元初自受用報身仏」とよぶのである。従って法華経説法の釈尊はこの本仏の垂迹であり、今末法に下種する日蓮聖人は、下種の教主は唯一人なる故に本因妙の教主、久遠元初の本仏と全同であるというのである。「文底秘沈抄」に「問て云く、教主とは釈尊に限るべし、何ぞ蓮祖を以て教主と称せんや。答う、釈尊はすなわちこれ熟脱の教主なり、蓮祖は即ちこれ下種の教主なり、故に本因妙の教主と名づくる也」(『宗全』第四巻二八頁)。また「故に知んぬ、本地は自受用身、垂迹は上行菩薩、顕本日蓮なり」(『宗全』第四巻二六頁)。日寛はこの日蓮本仏論を正統化するために『本尊抄』の「此の時地涌千界出現して本門の釈尊の脇士と為(な)りて、一閻浮提第一の本尊此の国に立つべし」(定七二〇頁)の文を「本門の釈尊を脇士と為し」(『観心本尊抄文段』『宗全』第四巻二三四頁)と読み変えて本門の釈尊を迹劣とするのである。このような我田引水の恣意的な訓点が許されるはずもないが、大石寺の種脱判の行きつくところ、どうしても「釈尊を脇士とする」というような無茶な読み変えをしなければならなくなるのである。この日寛の作為的な大石寺教学が創価学会に全面的に利用され、その思想的欺瞞の論拠にされたのである。
以上大石寺の日蓮本仏論の展開を考察したが、日蓮本仏論の根本理論が「種脱勝劣」にあることが明白である。そしてその「種脱勝劣」の思想的基盤に、久遠元初の自受用身、即ち「本有(ほんぬ)無作三身」を志向する中古天台本覚法門が横たわっていることが看取できる。大石寺・創価学会の偽作された口伝書による種脱判の最大の文証は『観心本尊抄』の「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但し彼は脱此は種なり。彼は一品二半此は但だ題目の五字なり」(定七一五頁)のこの文である。その他『上野殿御返事』「今、末法に入りぬれば、余経も法華経もせんなし。但南無妙法蓮華経なるべし」(定一四九二頁)等も引くが、それらの御書は都合のよい部分のみを取上げ、執筆の状況やその前後の文の流れを無視し、為にする解釈をしているので問題にはならない。ただし、『本尊抄』の文は確かに聖人が種脱対判しているのである。ところが同抄のこの文は、決して一品二半という本門の法華経と妙法五字とを対峙させ勝劣取捨せんとするものではない。在世の本門と末法は一同に純円なのであり、釈尊が在世得脱のために説かれた本門は、再往これを考えれば「本門は序正流通倶に末法の始めを以て詮となす」であって、そのまま下種の秘法を具しているといっているのである。日寛は法華経(脱)と題目(種)との法体そのものに異りをみ、別個なものだから取捨をせねばならないとするが、聖人はあくまでも釈尊顕説の法華経の本門において初めて本迹が一如し、種脱が一具したとみ、本門の教こそ脱にしてしかもその脱によく種を内含するものであると宣明されて、種脱一双・因果具足の本門の題目を末法の要法とされたのである。だからこそ先の文のあとに「我が内証の寿量品」といい「寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字」といって、寿量品に内含秘蔵されている題目を弘通すると述べられているのである。日寛のいうように寿量の本門法華を脱仏の教として捨ててしまえば聖人の題目をも捨てなければならない。『開目抄』にいう「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり」(定五三九頁)という文を、寿量品では顕示されない秘法が文底にあるとして、文上文底の勝劣をつけるのは、あまりにも遺文を曲解するものであろう。この文こそまさに一念三千の仏種が本仏釈尊顕本の寿量品の文に内含されていることをいうのであり、だからこそ「寿量品を知らざる諸宗の者は畜に同じ」(定五七八頁)と断ぜられるのである。大石寺の種脱勝劣が、日蓮聖人の思想から出たものではなく『本因妙抄』等の志向した中古天台口伝法門の久遠元初の天真独朗の法門に依っている以上、教観相具・本因本果不二の聖人教学の宗是を破壊する傾向に赴くことは当然の理だが、日蓮本仏論もその逸脱の上に立てられた誤謬の法門である。《『日蓮宗宗学全書』第二巻「興尊全集興門集」、同第四巻「日蓮正宗部」、望月歓厚『日蓮宗学説史』、執行海秀『日蓮宗教学史』、創価学会教学部編『折伏教典』、同編『日蓮大聖人御書辞典』、福重照平『日蓮本仏論』、日蓮宗宗務院編『創価学会批判』》(小野文緩)
 

追加。

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月26日(水)16時30分26秒
返信・引用
  > No.46[元記事へ]

フジ助さんへのお返事です。

> 日蓮正宗信徒のフジ助です。
>
> 日蓮正宗の場合、総本山大石寺にご安置されている本門戒壇の大ご本尊様はもとより
> 末寺や各家庭にご安置されているご本尊様に至るまで一切の写真撮影やスキャナでの取り込み
> ・ネットや紙媒体の掲載は出来ません。
>
> 上記は前回投稿した文章です。
> フジ助のような信徒的立場の場合は日々、自宅において総本山より御下付されたご本尊様を拝します。また正宗信徒にとって総本山大石寺に参詣する事は、とても重要な事なのです。
>
> 総本山大石寺に参詣する事を正宗信徒は【登山】と言い、総本山の事を単に【お山】と表現する場合もあります。
>
> 総本山大石寺には平成14年10月12日に落慶した奉安堂と呼ばれる建物内に【本門戒壇の大ご本尊様】が厳重な警備のもとご安置されております。
>
> 奉安堂内に入るには信徒であっても【内拝券】を所持していないと入る事は許されません。
> そしてはじめて【本門戒壇の大ご本尊様】への御目通りが叶います。
> そして御目通りする事を【御開扉】と呼びます。
>
> 奉安堂内部に入ると、注意事項のひとつとして「内部の写真撮影は禁止」のアナウンスが繰り返し流されます。
>
> 【本門戒壇の大ご本尊様】は、もちろん内部の写真撮影も一切厳禁です。
>
> もし万が一写真撮影が発覚した場合はその場で画像確認して問題箇所は削除して頂く事になります。
>
> このような体験を日々通じて一般信徒は【ご本尊様】は写真に写してはいけないと自身に刻みこんでいく訳です。
>
> しかしながら現実にはプロの写真家が撮影したと思われる奉安堂内部信徒席を撮影した公式写真も存在するようですし、あきらかに素人がデジカメ等で信徒席側から御戒壇を撮影した画像もネット上に存在する事も事実です。
>
> 本人は決死の覚悟で撮影したものと考えますが、フジ助的に「やっちゃいけないって何度もアナウンスされているにも関わらずやっちゃうひとっているんだよねー」というのが感想です。
>
> >※日蓮正宗から発行されている本尊集はどう説明するのか、お答え下さい。
>
> さて管理人様ご指摘の【日蓮正宗から発行されている本尊集】についてですが、
> 今回のやりとり以前にもフジ助も随分探した事がございました。
> というのは平成の世に入り法華講組織(信徒団体)である創価学会を日蓮正宗は破門致しました。
> 彼らは数十年に渡り日蓮正宗の【本門戒壇の大ご本尊様】のコンセプトに乗りまっくてきた訳ですが、破門により、そのコンセプト自体が完全に破綻してしまいました。
>
> つまりそれまで散々一丁噛み、二丁噛み、三丁噛みしていたコンセプトが使えなくなってしまったのです。そこで彼らが打ち出した新コンセプトは【本門戒壇の大ご本尊】は実は後世の贋作だった。・・・という事にしてしまったのです。
>
> その後は歴代のご法主のお曼荼羅まで難癖つける始末です(笑)
> 例えば比較CMのように二体のご本尊様を比べて議論するような【素人鑑定団】がネット上に多数出現したのです。
> フジ助的には「どうして日興上人をはじめ歴代のご法主のご本尊様の画像が存在するのか!?」
> 当初はかなり疑問に感じました(笑)
> しかしいろいろと調べると各宗派から公式に【本尊集】が出版されているのですね。
> 代表的なのは【日蓮聖人門下歴代 大曼荼羅本尊集成】『石山本山の研究』『日興上人御本尊集』あたりですね。いずれも大石寺以外の別寺院の所蔵のようでした。
> しかしフジ助の検索力が足りないのか日蓮正宗総本山大石寺監修の【公式御本尊集】は発見出来ませんでした。
> フジ助も、もしや日蓮正宗総本山大石寺監修の【公式御本尊集】が存在するのではと思い永年探しておりました。
>
> もし管理人様がその存在をご存知でしたら浅学のフジ助に詳細についてご教示賜りたいと存知ます。

※フジ助様

本当に、文章を見ても素晴らしい信仰感をお持ちでいらっしゃるのですね。

私は、妄信、邪心については厳しく論じていく構えですが純粋に人を傷つけることなく

信仰なさっている方々を、誹謗することはしません。

それは、同じ南無妙法蓮華経を唱えるからです。

南無妙法蓮華経に差別があるならば、また優劣、勝劣があるのならば妙覚は邪になるからです。

ですので、私は日蓮正宗の教義の逸脱は言及いたしますが信仰者(法華講並びに創価学会員)

に、対して攻撃、誹謗をするつもりはありません。

何故ならば、無意味だからです。

然し、邪心を起こした人には徹底的に論及します。

それが、慈悲に繋がることを信じています。

然し、根拠や実践のない信仰は信仰ではないからです。

実践と信仰が、結ばれてこそ日蓮聖人が一番喜ぶことではないでしょうか。

簡単ですが、これが私が思う日蓮聖人への思いです。
 

訂正。

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月26日(水)16時19分21秒
返信・引用
  > No.48[元記事へ]

管理者さんへのお返事です。

> コメントありがとうございます。
>
> 本尊集(日蓮正宗 細井 日達)非売品に関する詳細をわかる範囲でお答えします。
>
> ※御本尊集 奉蔵於奥法實
>
> 確か、限定100部しか当時でていないはずです。
>
> 二回ほど、発汗されたものと思います。

>> 二回ほど、発汗されたものと思います。

刊行と打たねばならぬ箇所を、発汗と誤字打ちしてしまいました。

訂正致します。
 

Re: 日蓮大聖人直結思想

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月26日(水)15時36分31秒
返信・引用
  > No.47[元記事へ]

初心者さんへのお返事です。

>  創価学会では、創価学会が日蓮大聖人に直結している、所謂大聖人直結思想を展開しています。
> 日蓮宗では、このような大聖人直結思想はないのですか?
> 是非、お聞かせ下さい。宜しくお願いします。

> 日蓮宗では、このような大聖人直結思想はないのですか?

※初心者さん

コメントありがとうございます。

大聖人直結ですか(笑)

直結したら、どうなってしますのでしょうねぇ。

恐らく、退転者続出するでしょうねぇ(笑)

そのほうが、有り難いのですが。

日蓮宗は、お釈迦様が根本であり法華経が根本です。

ですので、日蓮聖人の立場はお釈迦様の教えを忠実に守り、法華経を弘通することです。

ですので、私たちは日蓮聖人の教え(偽書は除く)を実践することが日蓮聖人の実践と

受け止めます。

基本は、四弘誓願です。
 

フジ助様

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月26日(水)15時30分53秒
返信・引用
  コメントありがとうございます。

本尊集(日蓮正宗 細井 日達)非売品に関する詳細をわかる範囲でお答えします。

※御本尊集 奉蔵於奥法實

確か、限定100部しか当時でていないはずです。

二回ほど、発汗されたものと思います。
 

日蓮大聖人直結思想

 投稿者:初心者  投稿日:2010年 5月25日(火)21時13分32秒
返信・引用
   創価学会では、創価学会が日蓮大聖人に直結している、所謂大聖人直結思想を展開しています。
日蓮宗では、このような大聖人直結思想はないのですか?
是非、お聞かせ下さい。宜しくお願いします。
 

浅学のフジ助に詳細についてご教示賜りたいと存知ます。

 投稿者:フジ助  投稿日:2010年 5月25日(火)20時59分39秒
返信・引用
  日蓮正宗信徒のフジ助です。

日蓮正宗の場合、総本山大石寺にご安置されている本門戒壇の大ご本尊様はもとより
末寺や各家庭にご安置されているご本尊様に至るまで一切の写真撮影やスキャナでの取り込み
・ネットや紙媒体の掲載は出来ません。

上記は前回投稿した文章です。
フジ助のような信徒的立場の場合は日々、自宅において総本山より御下付されたご本尊様を拝します。また正宗信徒にとって総本山大石寺に参詣する事は、とても重要な事なのです。

総本山大石寺に参詣する事を正宗信徒は【登山】と言い、総本山の事を単に【お山】と表現する場合もあります。

総本山大石寺には平成14年10月12日に落慶した奉安堂と呼ばれる建物内に【本門戒壇の大ご本尊様】が厳重な警備のもとご安置されております。

奉安堂内に入るには信徒であっても【内拝券】を所持していないと入る事は許されません。
そしてはじめて【本門戒壇の大ご本尊様】への御目通りが叶います。
そして御目通りする事を【御開扉】と呼びます。

奉安堂内部に入ると、注意事項のひとつとして「内部の写真撮影は禁止」のアナウンスが繰り返し流されます。

【本門戒壇の大ご本尊様】は、もちろん内部の写真撮影も一切厳禁です。

もし万が一写真撮影が発覚した場合はその場で画像確認して問題箇所は削除して頂く事になります。

このような体験を日々通じて一般信徒は【ご本尊様】は写真に写してはいけないと自身に刻みこんでいく訳です。

しかしながら現実にはプロの写真家が撮影したと思われる奉安堂内部信徒席を撮影した公式写真も存在するようですし、あきらかに素人がデジカメ等で信徒席側から御戒壇を撮影した画像もネット上に存在する事も事実です。

本人は決死の覚悟で撮影したものと考えますが、フジ助的に「やっちゃいけないって何度もアナウンスされているにも関わらずやっちゃうひとっているんだよねー」というのが感想です。

>※日蓮正宗から発行されている本尊集はどう説明するのか、お答え下さい。

さて管理人様ご指摘の【日蓮正宗から発行されている本尊集】についてですが、
今回のやりとり以前にもフジ助も随分探した事がございました。
というのは平成の世に入り法華講組織(信徒団体)である創価学会を日蓮正宗は破門致しました。
彼らは数十年に渡り日蓮正宗の【本門戒壇の大ご本尊様】のコンセプトに乗りまっくてきた訳ですが、破門により、そのコンセプト自体が完全に破綻してしまいました。

つまりそれまで散々一丁噛み、二丁噛み、三丁噛みしていたコンセプトが使えなくなってしまったのです。そこで彼らが打ち出した新コンセプトは【本門戒壇の大ご本尊】は実は後世の贋作だった。・・・という事にしてしまったのです。

その後は歴代のご法主のお曼荼羅まで難癖つける始末です(笑)
例えば比較CMのように二体のご本尊様を比べて議論するような【素人鑑定団】がネット上に多数出現したのです。
フジ助的には「どうして日興上人をはじめ歴代のご法主のご本尊様の画像が存在するのか!?」
当初はかなり疑問に感じました(笑)
しかしいろいろと調べると各宗派から公式に【本尊集】が出版されているのですね。
代表的なのは【日蓮聖人門下歴代 大曼荼羅本尊集成】『石山本山の研究』『日興上人御本尊集』あたりですね。いずれも大石寺以外の別寺院の所蔵のようでした。
しかしフジ助の検索力が足りないのか日蓮正宗総本山大石寺監修の【公式御本尊集】は発見出来ませんでした。
フジ助も、もしや日蓮正宗総本山大石寺監修の【公式御本尊集】が存在するのではと思い永年探しておりました。

もし管理人様がその存在をご存知でしたら浅学のフジ助に詳細についてご教示賜りたいと存知ます。
 

Re: 管理人様始めまして、沖浦克治と申します

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月25日(火)07時10分30秒
返信・引用
  > No.44[元記事へ]

沖浦克治さんへのお返事です。

>  最初に貼ってある御本尊様は、何処にご安置でしょうか?
>
>  一度機会あるなら拝みたいですね。
>
>  http://9322.teacup.com/nichiren/bbs?M=IMGDT&CID=1&ID=1

※沖浦様おはようございます。

宗定曼陀羅は、神奈川県鎌倉市にあります妙本寺所蔵の曼陀羅になります。

やはり、古いものですので墨字のかすれなどもありますが、聖人独自の墨字であり素晴らしいと思っております。
 

管理人様始めまして、沖浦克治と申します

 投稿者:沖浦克治  投稿日:2010年 5月25日(火)06時10分6秒
返信・引用
   最初に貼ってある御本尊様は、何処にご安置でしょうか?

 一度機会あるなら拝みたいですね。

 http://9322.teacup.com/nichiren/bbs?M=IMGDT&CID=1&ID=1
 

Re: 「本尊感も随分違うものだなぁ」

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月23日(日)21時03分5秒
返信・引用
  > No.42[元記事へ]

フジ助さんへのお返事です。

> 日蓮正宗信徒のフジ助です。
>
> 同じ日蓮系宗派を標榜していても各派いろいろと個性がありますね。
> 本日のフジ助的疑問は本尊感についてです。
>
> こちらの掲示板を訪問して一番ビックラこいたのが下段の投稿。
>
> http://9322.teacup.com/nichiren/bbs/1
>
> 日蓮正宗の場合、総本山大石寺にご安置されている本門戒壇の大ご本尊様はもとより
> 末寺や各家庭にご安置されているご本尊様に至るまで一切の写真撮影やスキャナでの取り込み
> ・ネットや紙媒体の掲載は出来ません。
>
> 例えば大勢での記念撮影でもご本尊様が写り込まないように注意します。
>
> これは日蓮正宗信徒の間では、常識となっている訳です。
>
> しかし他宗ではあまり関係ないようで「本尊感も随分違うものだなぁ」と驚いております。

※日蓮正宗から発行されている本尊集はどう説明するのか、お答え下さい。

日蓮宗には、そんな規定はないのでアップしています。
 

「本尊感も随分違うものだなぁ」

 投稿者:フジ助  投稿日:2010年 5月23日(日)11時38分40秒
返信・引用 編集済
  日蓮正宗信徒のフジ助です。

同じ日蓮系宗派を標榜していても各派いろいろと個性がありますね。
本日のフジ助的疑問は本尊感についてです。

こちらの掲示板を訪問して一番ビックラこいたのが下段の投稿。

http://9322.teacup.com/nichiren/bbs/1

日蓮正宗の場合、総本山大石寺にご安置されている本門戒壇の大ご本尊様はもとより
末寺や各家庭にご安置されているご本尊様に至るまで一切の写真撮影やスキャナでの取り込み
・ネットや紙媒体の掲載は出来ません。

例えば大勢での記念撮影でもご本尊様が写り込まないように注意します。

これは日蓮正宗信徒の間では、常識となっている訳です。

しかし他宗ではあまり関係ないようで「本尊感も随分違うものだなぁ」と驚いております。
 

Re: 本仏の違い

 投稿者:初心者  投稿日:2010年 5月22日(土)20時28分31秒
返信・引用
  > No.37[元記事へ]

中さんへのお返事です。

> 初心者さん、最初、「正宗信者」とあったので正直驚きましたが、やはり「別人」でいらしたか。
>
> > 同じ日蓮聖人を宗祖に持つとは言え、教義が違うのでは、一緒には行動出来ないのでしょう。
>
> そうですね、とにかく、大同小異と言えなくもないのですがね。
> どこも、本尊はお釈迦様です。お釈迦様に向って、「南無妙法蓮華経」と唱える事に変わりはないようです。
>
> ただ、日蓮正宗系(創価学会・顕正会)は本仏は日蓮・本尊は「南無妙法蓮華経」で南無妙法蓮華経と唱えるようです。多分。
>
> ま、このような掲示板が出来たので、おいおい、その違いが鮮明になることでしょう。
> 日蓮が本仏か、釈迦仏が本仏かですからね。

 私の場合、仏教信者=お釈迦様本尊です。日本国の宗派には属していません。
かと言って、外国の宗派にも属していません。
スリランカの仏教に興味を持っています。釈尊直結の教えにです。
 

日蓮正宗信徒の方、質問です。

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月22日(土)02時41分39秒
返信・引用
  十一、互為主伴の事
在世滅後の仏法弘通・本来本因妙の菩薩の御内証より本果の成道を遂げられたまふ、釈迦霊山虚空の間には虚空会の時・涌出して上行菩薩等の四菩薩と顕れて・蓮の大なるを以つて池の深さを知るが如く・弟子の髪白うして面皺めるを以つて・師の釈尊の久き事を顕して脇士となりたまふ、而るに釈迦以大音声普告四衆したまふ事・末法の法主を募り御座す、仏法授与有れば末法の導師日蓮聖人にて御座す故に、此の時は霊山の時の釈迦多宝は脇士と成りたまふ互為主伴の法門なり、只上行菩薩の種々の身を現したまふ時、生死共に三世不退に法花修行の御身。(富士要  穆 作 抄)


四、諸宗先づ本尊を定むる事
仰娑婆界の衆生に有縁の教主とは唯釈迦一仏に限り奉るの由、台家の宗要の部を次第するに第一に仏帖として最初には大小乗の中には一世界の二仏並出の道理を許すや否や、応ふ大小乗共に以つて一世界に二仏の出世を許さず、必定して十方恒河沙等の三千大千世界を名けて一仏国土と為し実に釈迦牟尼一仏と文、十方とは東西南北四維上下なり、恒河は堅は八千里、横にみなかみ八十里・広き所は三百五十里なり、其の沙の数・一肘の下・金輪際まで八万斛なり、惣じて恒河の砂の数の三千国土は皆釈迦一仏所住の土なり、さる時は東方浄瑠璃世界も西方安楽世界も十万億仏土を過ぎて世界有り名けて極楽と為す其土に仏有り阿弥陀と号す、此れ等の浄土は好世の浄土なり、爾前の席に於いて浄土を好む者の為に一往儲けたるなれば、三変浄土の時悉く打ち破られて法華経の時は之れ無しと云う迹門の化儀なり、本門の大法広宣流布せば十方通同如一仏土にて好世の浄土は名躰有るべからずと説けり、世に二仏無く国に二主無し一仏の境界に二の尊号無し文。

三綱とは君臣・父子・夫婦なり、君は船・臣は水・水能く舟を浮ぶ、父無きは不可なり・子無きは不可なり、夫のみ有て妻無きは叶ふべからざるなり、仏を十九出家・卅成道と迷遠の謂ひをなすを上行等の臣下顕れ・雨の猛きを以つて竜の大なるを知り蓮の大なるを以つて池の深きことを知る様に・弟子の久きを以つて仏の寿命長遠なるを知る、釈迦如来は舟・上行菩薩は水なり、釈尊の父有りとも菩薩の御子なくば偖の君も有るべからざるなり、釈尊は国王・法華は婦人なり、諸仏の国王是の経の夫人と共に是の菩薩の子を生ず文、仍つて釈尊一仏此の界の本尊にて御座すなり、東西南北の仏の綺を止めたまふ、されば末法の本尊を定めたまふ時・五六類の発誓弘経有れども止善男子と止めけるを、汝等各々自ら己住有り若し此の土に住せば彼の利益を廃せん文是れ我が弟子応に我が法を弘むべし文、仏法の習ひ其の法を譲り得る所を弟子とは云ふなり、弟子とは子を弟ぐと訓めり、爰を以つて本尊に於いて下種脱益の不同有るを皆本尊に迷ふ、釈迦は在世の正機の為の御本尊なりけるが・復至他国して遺使還告有る上は・脱益の師と下種の師匠と有つて入滅したまへども別付属有つて・正像末の中に末法の本尊は日蓮聖人にて御座すなり。

然るに日蓮聖人御入滅有るとき補処を定む、其の次ぎ其の次ぎに仏法相属して当代の法主の所に本尊の躰有るべきなり、此の法主に値ひ奉るは聖人の生れ代りて出世したまふ故に、生身の聖人に値遇結縁して師弟相対の題目を同声に唱へ奉り信心異他なく尋便来帰咸使見之す、何ぞ末代の我等卅二相八十種好の仏に値ひ奉るべき、当代の聖人の信心無二の所こそ生身の御本尊なれ、此の本尊を口には云へども身に行ぜずば本尊を取り定むべき事なり、釈尊と聖人と互為主伴したまふ事を知らざるなり、能く能く明らむべき事なり、此等の事も追つて下に書くべきなり。(富士要 類聚翰集私)

この上文を日蓮聖人の御遺文、御真蹟からどのような思想を基準で日有の弟子とされている
左京阿闍梨日教は取り入れる必要があったのか、お答え下さい。
>互為主伴の法門なり。(富士要  穆 作 抄)と出てきますが、そんな思想を日蓮聖人がお持ちのはずはないのですが、どの御真蹟に互為主伴(本地垂迹)になるのか。

お答え下さい。

こちらの見解では、日有の弟子というのは大石寺の間違い話ではないですか。

偶然、日有が教学に優れていたひとであったので左京阿闍梨日教が学びに来ていたというのが正論ではないですか。

更に付け加えれば、日有の弟子でありながら阿闍梨号がつくことに不自然を感じますよね。

現代的に言えば、役職のない社員が名前だけ社長になるようなものです。
 

日蓮正宗信徒の方、質問です。

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月22日(土)02時06分9秒
返信・引用
  日蓮聖人から見た、三宝とはなんだったのでしょうか?

さぁ、御遺文でお答え下さい。

ヒントは、日蓮正宗に保存されている御真蹟です。

さぁ、立正安国のために証明してください。

お待ちしております。
 

Re: 私の素朴な疑問です。

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月22日(土)01時57分49秒
返信・引用
  > No.36[元記事へ]

初心者1さんへのお返事です。

> 管理者さんへのお返事です。
>
> > 何故、日蓮正宗及び、創価学会は曼荼羅の[妙]の字を見ながら題目をあげるのでしょうかねぇ。
> >
> > これは、日蓮聖人の教示にはないと思うのですがね。
>
> 日蓮宗は、なにの、なにを見ながら題目をあげているんですか?
>
>
> 狐の目?狸のキンマンコ?鬼子母神の母?
>
>
> まさか・・・・胸中の肉団子ですか?
(日蓮正宗信徒 初心者1さんからの質問)> 日蓮宗は、なにの、なにを見ながら題目をあげているんですか?


※貴方は、そんなことも分からずにこの掲示板にはいっているのですか(笑)

日蓮聖人は、何と言われていますか。

観心之心如何。答曰 観心者観我己心見十法界。是云観心也。

との教示をしています。

どこを、見るか明確ですがどこを初心者1さんは見るんですか?

ちゃんと、御遺文に則りお応え下さい。

偽書を使うことは当掲示板のルールに反します。



さすが、日蓮正宗信徒さんですね。



> 狐の目?狸のキンマンコ?鬼子母神の母?
※はぁ?
 

本仏の違い

 投稿者:  投稿日:2010年 5月22日(土)00時29分42秒
返信・引用
  初心者さん、最初、「正宗信者」とあったので正直驚きましたが、やはり「別人」でいらしたか。

> 同じ日蓮聖人を宗祖に持つとは言え、教義が違うのでは、一緒には行動出来ないのでしょう。

そうですね、とにかく、大同小異と言えなくもないのですがね。
どこも、本尊はお釈迦様です。お釈迦様に向って、「南無妙法蓮華経」と唱える事に変わりはないようです。

ただ、日蓮正宗系(創価学会・顕正会)は本仏は日蓮・本尊は「南無妙法蓮華経」で南無妙法蓮華経と唱えるようです。多分。

ま、このような掲示板が出来たので、おいおい、その違いが鮮明になることでしょう。
日蓮が本仏か、釈迦仏が本仏かですからね。
 

Re: 私の素朴な疑問です。

 投稿者:初心者1  投稿日:2010年 5月21日(金)20時08分51秒
返信・引用
  > No.35[元記事へ]

管理者さんへのお返事です。

> 何故、日蓮正宗及び、創価学会は曼荼羅の[妙]の字を見ながら題目をあげるのでしょうかねぇ。
>
> これは、日蓮聖人の教示にはないと思うのですがね。

日蓮宗は、なにの、なにを見ながら題目をあげているんですか?


狐の目?狸のキンマンコ?鬼子母神の母?


まさか・・・・胸中の肉団子ですか?
 

私の素朴な疑問です。

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月21日(金)01時57分55秒
返信・引用
  何故、日蓮正宗及び、創価学会は曼荼羅の[妙]の字を見ながら題目をあげるのでしょうかねぇ。

これは、日蓮聖人の教示にはないと思うのですがね。
 

中  様

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月18日(火)19時43分21秒
返信・引用
  はじめまして。

管理者です。

私は、日蓮宗及び日蓮聖人の教えを広めたい一心です。

どうぞ、今後とも宜しく致します。

ご返事遅くなりまして申し訳ありません。
 

初心者1様

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月18日(火)19時41分26秒
返信・引用
  所用があり、書き込み遅くなり申し訳ありませんでした。

②元のいろんな本尊の上からナゾッて書いたものを、いろいろ張り合わせて作った?

※ここが、濃厚ではないかと推察しています。

>妙満寺の本尊はパッチワークといわれている?
パッチワークである?
どちらですか?証拠はあるのですか?

※ここについては、妙塔学報を購入してご自身で調べることをお薦めします。

文献は学報に証明されていますね。

>パッチワークは「誰が」「なんの為」にしたのでしょうか?
証拠があれば併せて提示していただきたい

※妙満寺に限らず、八品派にも存在して特に顕著に現れるのは板曼荼羅にはその傾向が強く出ます。

つまり歴史上、どこでも構わずやっていたということです。

細草檀林跡地に立てられた八品派の末寺がありますが、そこにある板曼荼羅も偽作曼荼羅が濃厚です。

>信心修行内容はどういったものなのでしょうか?

ご存知なかったのですか?

日蓮宗では、法華経八品読誦並びに根本修行である題目行です。

本尊は宗定で定まっている、最初に貼り付けた曼荼羅が日蓮宗の曼荼羅です。

しかも、御真筆の曼荼羅を厳密に複写した曼荼羅です。

創価学会の曼荼羅、脇書きがない、本門戒壇本尊御真筆のない曼荼羅は、日蓮宗では採用されません。
 

はじめまして

 投稿者:  投稿日:2010年 5月18日(火)04時03分15秒
返信・引用
  こんにちは、日蓮宗信徒の中と申します。よろしくお願いします。
表題「日蓮宗は、唯一日蓮聖人の教えを守り」はいいですね。
基本的には門派に固執するのではなく、「日蓮聖人の教え」を求める事が大事でしょうね。
素敵な議論が展開されると良いですね。又書きます。
 

Re: 初心者さんへ。

 投稿者:初心者1  投稿日:2010年 5月17日(月)14時42分27秒
返信・引用
  > No.30[元記事へ]

管理者さんへのお返事です。

> 顕本法華宗のお話だと思いますが、顕本法華宗では単立の派と、妙満寺(顕本本山)、日蓮宗系(旧顕本法華宗)と三つに分かれています。
>
> この問題は、祈祷の問題などで分裂した歴史的な問題があります。
>
> 妙満寺では、祈祷などを一切認めていません。
>
> ですので、この点は譲れないものと思います。
>
> また、妙満寺から下付されている曼荼羅はパッチワークによる曼荼羅だということが濃厚です。
>
> 岡宮 光長寺105(立正安国会発行 本尊集掲載)とほぼ同形です。
>
> これは、妙塔学報でも論文発表されています。

初心者さんが現れたので、初心者1とさせていただきます。

私しへの回答と思われますが、

日蓮宗が唯一正しい日蓮仏法と称しながら、各末寺?本山で教義や拝する本尊がバラバラということでよろしいですか?


管理者様の本尊は一体どれなのですか?

又、信心修行内容はどういったものなのでしょうか?

日蓮正宗では、曼荼羅を拝し毎日5座3座及び唱題をおこなっておりますが、
日蓮宗では日々どんな修行をおこなっておられるのでしょうか?
又、日蓮宗では折伏した方にどのような本尊を配っているのでしょうか?

又、創価学会宿坊などがよく用いる
「パッチワーク」本尊とはどのように作られた本尊なのでしょうか?
①元のいろんな本尊のいいとろを千切って貼り付けたということでしょうか?
②元のいろんな本尊の上からナゾッて書いたものを、いろいろ張り合わせて作った?


②が正解なら、なぜわざわざあっちこっちの本尊をパッチワークしたのか?
いいとこどり?
妙満寺の本尊はパッチワークといわれている?
パッチワークである?
どちらですか?証拠はあるのですか?
証拠もなく言われているのなら
それはただの悪口です


又、パッチワークは「誰が」「なんの為」にしたのでしょうか?
証拠があれば併せて提示していただきたい
 

初心者さんへ。

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月17日(月)09時27分13秒
返信・引用
  顕本法華宗のお話だと思いますが、顕本法華宗では単立の派と、妙満寺(顕本本山)、日蓮宗系(旧顕本法華宗)と三つに分かれています。

この問題は、祈祷の問題などで分裂した歴史的な問題があります。

妙満寺では、祈祷などを一切認めていません。

ですので、この点は譲れないものと思います。

また、妙満寺から下付されている曼荼羅はパッチワークによる曼荼羅だということが濃厚です。

岡宮 光長寺105(立正安国会発行 本尊集掲載)とほぼ同形です。

これは、妙塔学報でも論文発表されています。
 

Re: 初めて投稿させて頂きます

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月17日(月)09時19分3秒
返信・引用
  > No.28[元記事へ]

初心者さんへのお返事です。

>  私も初心者と申します。仏教を勉強中です。何処の宗派にも所属していません。
> (Wikipedia)より日蓮宗の歴史を引用します。参考になれば幸いです。
>
> 歴史
> 明治維新直後の廃仏毀釈の後、明治政府は仏教各派に対し一宗一管長制を打ち出し、統一教団の結成を要求。日蓮系の諸門流は、1872年(明治5年)、日蓮宗を形成した。この日蓮宗は、1874年(明治7年)、教義の違いから日蓮宗一致派と日蓮宗勝劣派に二分した。1876年(明治9年)、一致派は日蓮宗と改称、「釈尊を本仏とする一致派」(日向門流、日常門流など)の統一教団として再組織された。
>
> 1941年(昭和16年)、時局緊迫を理由に政府当局が教祖、宗祖や教義を同じくする諸宗教、諸宗派に統合を迫るという時勢の後押しを受け、「釈尊を本仏とする勝劣派」である顕本法華宗(日什門流)「日蓮を本仏とする勝劣派」である本門宗(日興門流)と、日蓮宗が、形式上、それぞれの宗派を解消して対等の立場で合併(三派合同)、中世期に成立していた門流の多くと、思想的潮流の相当部分を包含する新生日蓮宗が結成された。
>
> 第二次世界大戦終戦により「統合を強要する圧力」が消滅したりするのに伴い、旧顕本法華宗、旧本門宗に属する本山、末寺には日蓮宗より独立するものもあったが、旧顕本法華宗の改革派である本山妙國寺、本山本興寺、本山玄妙寺、本山妙立寺、や、旧本門宗の大本山重須本門寺、本山小泉久遠寺、本山實成寺とそれらの末寺は引き続き、日蓮宗の内部で固有の教義を維持し続けている。
>
> 又、上記とは別に宗教法人法施行以降身延祖廟に帰正すべく法華宗三派等日蓮系宗派寺院からの散発的な日蓮宗への改宗が現在も続いている。
>
>  この日蓮宗は、1874年(明治7年)、教義の違いから日蓮宗一致派と日蓮宗勝劣派に二分した。
> これが重要な点ではないでしょうか?
> 同じ日蓮聖人を宗祖に持つとは言え、教義が違うのでは、一緒には行動出来ないのでしょう。


※はじめまして。

(Wikipedia)だけでは、本来の実情を明かにする方向性にはならないものと思います。

日蓮宗は、題目と布教を中心に推進していることだけは確かです。

日蓮正宗or創価学会で、一緒にという考え方があるのならば別だと思います。
 

初めて投稿させて頂きます

 投稿者:初心者  投稿日:2010年 5月17日(月)03時59分46秒
返信・引用
   私も初心者と申します。仏教を勉強中です。何処の宗派にも所属していません。
(Wikipedia)より日蓮宗の歴史を引用します。参考になれば幸いです。

歴史
明治維新直後の廃仏毀釈の後、明治政府は仏教各派に対し一宗一管長制を打ち出し、統一教団の結成を要求。日蓮系の諸門流は、1872年(明治5年)、日蓮宗を形成した。この日蓮宗は、1874年(明治7年)、教義の違いから日蓮宗一致派と日蓮宗勝劣派に二分した。1876年(明治9年)、一致派は日蓮宗と改称、「釈尊を本仏とする一致派」(日向門流、日常門流など)の統一教団として再組織された。

1941年(昭和16年)、時局緊迫を理由に政府当局が教祖、宗祖や教義を同じくする諸宗教、諸宗派に統合を迫るという時勢の後押しを受け、「釈尊を本仏とする勝劣派」である顕本法華宗(日什門流)「日蓮を本仏とする勝劣派」である本門宗(日興門流)と、日蓮宗が、形式上、それぞれの宗派を解消して対等の立場で合併(三派合同)、中世期に成立していた門流の多くと、思想的潮流の相当部分を包含する新生日蓮宗が結成された。

第二次世界大戦終戦により「統合を強要する圧力」が消滅したりするのに伴い、旧顕本法華宗、旧本門宗に属する本山、末寺には日蓮宗より独立するものもあったが、旧顕本法華宗の改革派である本山妙國寺、本山本興寺、本山玄妙寺、本山妙立寺、や、旧本門宗の大本山重須本門寺、本山小泉久遠寺、本山實成寺とそれらの末寺は引き続き、日蓮宗の内部で固有の教義を維持し続けている。

又、上記とは別に宗教法人法施行以降身延祖廟に帰正すべく法華宗三派等日蓮系宗派寺院からの散発的な日蓮宗への改宗が現在も続いている。

 この日蓮宗は、1874年(明治7年)、教義の違いから日蓮宗一致派と日蓮宗勝劣派に二分した。
これが重要な点ではないでしょうか?
同じ日蓮聖人を宗祖に持つとは言え、教義が違うのでは、一緒には行動出来ないのでしょう。
 

フジ助 様

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月16日(日)22時46分15秒
返信・引用
  日蓮宗事典から日蓮宗の転載をします。

※法華経を生命とする本宗は古来から法華宗、日蓮法華宗、日蓮宗などと通称されてきた。「日蓮は何れの宗の元祖にも非ず」といわれた聖人も、釈尊所立の妙法蓮華経宗といい、自ら法華宗比丘とも名乗っているが一定した宗名は明治以降のことに属する。その経緯は、百事改革を基本とする草創期にあった明治維新の政府は明治五年(一八七二)一〇月神道、仏教の各界を統轄する必要上、一宗毎に一管長を設けるようにしたために教義の相違から勝劣派、一致派と分れていた題目系の各派は合併して日蓮宗と総称し、交替制の管長を定めた。しかしこの各派一纏めには内部的に問題があり、宗教行政にも無理があったことから政府は同七年三月各派別に管長を置くことに修正した。本宗では本門迹門一致を主張する建前から日蓮宗一致派を名乗って新居日薩が管長となった。次いで八年になり宗名を一致(いつち)とすることは立宗の本義に外れるのみならず「宗派ノ源流ト支流ノ分弁モ相混ジ不都合」につきという理由で「派名廃止伺書」を政府へ提出し、単に日蓮宗とのみ称したい意向を請願したが題目系他派との関係もあってか一応撤回した。再度の強訴に管長副書を添えて教判、宗旨、かつまた宗名は人についてすべきであることを詳述し、管長自らもしばしば陳情に赴くという紆余曲折を経て、翌九年二月二七日に入り漸く承認をみるに至った。後年日薩門下の清水梁山は「名称は宗祖の御遺誠を主とすべきである。昔は天台法華宗に対し日蓮法華宗といった。維新後は二字がとれて日蓮宗というようになった。御義口伝(御講聞書に非る也)に〈日蓮の弟子檀那は本果より本因を宗とするなり〉とある。これ即ち宗名の起りなり」と主張している。がいずれにしても以後、宗名日蓮宗を称して今日に及び、その伝統を本化上行の再誕日蓮聖人が付嘱された釈尊所立の真髄たる法華経を広宣流布するにありとし、法華経本門の三大秘法を信行の本旨とすると共に、異体同心にして皆帰妙法の祖願達成に精通することを本誓とする仏教正統の宗団であり、所定の儀式行事を行い、僧侶を養成し、信者を教化し、寺院及び教会を包括し、その他統一ある教団行動によって関係事業の遂行を所期の目的としている。
 本宗の源流を振りかえると武家政治の覇府鎌倉期には親鸞、道元、一遍など庶民の心を動かす新しい息吹をもった教えが鼻を揃えて生れた。日蓮聖人もまた時を同じく貞応元年(一二二二)、三上皇島流しで知られた承久の変の翌年、安房小湊に孤々の声を挙げ、一二歳で天台の巨刹清澄寺に入った。即ち「民の家より出でて頭をそり、袈裟をきたり」(『妙法比丘尼御返事』定一五五三頁)といい、また貧窮下賤の者と生れ、あえて社会の底辺の出身なることを明かしている。これは法然源空が「源空はいう甲斐なき辺国の土民なり」といったのに似ているが、当時の名僧の多くが貴紳顕門の出である中を殊更に自己を卑称していることは、仏教界の貴族化に対する一種の抗議であり、庶民の心に溶け込もうとする弘教精神の現れであろう。こうした時の上層階級に浸透し、貴族的仏教といわれる世の風潮の流れをよそに、宗祖は清澄出家以来、吐血する程の克己精進、止暇断眠の後、学問の成果として『戒體即身成仏義』を纒めた。二一歳より建長五年(一二五三)四月二八日(三二歳)で旭森に題目創唱に至るまで比叡山を中心に各所を遍歴遊学し八宗、一〇宗を極めた結果「此れを申さば必日蓮が命ちと成るべし」(『清澄寺大衆中』定一一三四頁)と死を覚悟の上で諸宗の誤りを強く破折した。地頭(じとう)僧俗の怒りを招き、清澄の山を追われてからは、鎌倉に居を求めて街頭法門を展開した。『立正安国論』を幕府へ上書して諫言し、各宗の邪義、悪法を批判して法華経の貴さを説いた。その結果、焼打ちの迫害、伊豆の流罪となり、竜の口では首の座に据えられ、小松原では清澄説法以来の法敵・地頭景信の剣難を受けた。遂に文永八年(一二七一)一〇月、死罪同然の佐渡配流となったが、勧持品二十行の偈の色読を自覚され「今の世の僧等日蓮を讒奏して流罪せずば、此経文むなし(略)日蓮法華経のゆへに度々ながされずば数々(さくさく)の二字いかんがせん。(略)御勘気を蒙ればいよいよ悦びをますべし」(定五六〇頁)とした。この流罪によって佐渡の地頭本間家の帰依するところとなり、法華未生の地に下種結縁する結果となった。また人開顕といわれる『開目抄』、法開顕とされる『本尊抄』などの重要法門を著し、在佐三年の忍苦を経て赦免となり、文永一一年三月鎌倉に帰還し、波木井一族に迎えられて身延山に入った。以後は弟子檀越の摂化と教育に当り、弘安五年(一二八二)九月八日、釈尊入滅の故事にならい身延を立って武州池上宗仲の邸に到り、万事を配慮し、帝都弘通の念願を託して一〇月一三日六一歳を一期として入滅された。宗祖滅後、日昭、日朗、日向、日興、日頂、日持の六大弟子はそれぞれ独自の立場において教線を張り、また日朗門下の九鳳と称された人々は、いずれも法績を残した。とりわけ日像は京都に上って法華宗を名乗り、題目を唱導して法戦の結果、後醍醐帝の聖旨を受け、浄域を賜わり後年妙顕寺となった一宇を建て法華伝道の拠点とするに至り聖人臨滅度時の遺命を果し、四条門流といわれて六条門流と共に栄えた。室町時代に及んでは身延の行学院日朝、平賀の妙高院日意などの高僧によって法門弘通の盛んな反面、永享法難(一四三六)を始め『立正治国論』を将軍義教に上書して怒りにふれた冠鐺日親の法華強信による酸鼻を極めた受難があった。また天文五年(一五三六)には法論敗北に端を発した比叡山僧徒の怨憎による襲撃を受け、京都の盛大な法華諸山二一ヵ寺が焼失し、殉難の僧俗多数を出して京の町を大火の厄に巻き込むほどの潰滅的な大法難を受けた。織豊時代に入っては信長を謀略の背景とする浄土門との宗論を原因とする残酷な安土法難(一五七九)があり、別には上総大野法難の悲劇もあったが、三類の強敵を覚悟した日蓮聖人以来の法難を一つの節として一難ある毎に教線は伸びた。徳川時代にあっては慶長法難(一六〇八)といわれる常楽院日経の極刑や、不受不施弾圧事件があったほかは、幕府が仏教一般に対して保護政策をとったので国教的地位に恵まれた。この頃人材が多く、宗門中興の三師といわれた一如日重、寂照日乾、心性日遠などの名僧も出て大いに法誉を高めた。のち明治維新の廃仏毀釈によって大きく迫害を蒙り、法滅盡の慨きもきかれたが、日薩、日鑑、日修らの三傑によって宗門の危機は支えられ、加えて一般僧侶の反省努力と政府の配慮によって逐次頽勢を挽回した。明治一七年(一八八四)には仏教各界共に国の巨細に亘る直轄支配から解放されて自治体となり、宗制、寺法を確立して宗門の方途を強固にした。以後、幾多の変遷はあったがいずれも布教伝道の使命を自覚し、その抱負所信に邁進している。本宗にあっては明治八年の初期宗会において「久遠寺ヲ祖山ト称シ」と定めてから、日蓮聖人九カ年隠棲、留魂の地として時に総本山と尊崇し今に祖山と仰ぎ、池上本門寺、中山法華経寺、京都妙顕寺、本圀寺、北山本門寺等、総本山、大本山、本山と通称されるものを含めて霊跡、由緒寺院五五、元・中本寺などのほか一般寺院等合して四五六一、教会三八一、結社二五七を有している。全国教師数は住職四一〇五、担任二三七、教導一四三、非住職二七九八、合計七二八三を数える(54・10・31現在)、宗務院を池上におき、内局に総務、庶務、教務、護法伝道、新聞、財務の六部一二課を組織し、宗門の象徴的存在としての統理者たる管長を推戴するほか、行政上の責任者たる宗務総長が宗教法人日蓮宗の代表役員として統制指揮に当っている。
 全国に七四宗務所を分置し、これに所長を設けて出先機関とし、中央の宗務伝達、連絡、実践に当らせ、更にこれを地域的に一〇宗務区及び輪番区に分割してそれぞれ区長を任命し、宗務所相互の連携を計ると共に、六老輪番の遺風を遵守して祖廟の輪番奉仕に当っている。議決機関には宗会があって公選による者四三、推薦二、の四十五名の議員から成っている。その他管長推戴委員会、宗務顧問会、各種審議会、宗勢調査会、檀信徒協議会等を置き、研究機関に日蓮教学、法華文化、現代宗教等の各研究所があり、布教院、信行道場、祈祷修法の加行所などがあって行学二道を担当している。教育機関では明治八年に人材養成の急務を感じて設立した大教院を母体とする日蓮宗大檀林以来の歴史をもつ立正大学が大崎及び熊谷市にあり、身延に身延山短大があって、いずれも付属高校をもち、他に宗門有志による東京立正女子大学がある。またアメリカ、ハワイ、アラスカ、カナダ、南米等に教会があって海外布教を行い、「日蓮宗新聞」、『宗報』、『正法』などの宗門機関紙を発行し、伝道車、視聴覚、講演講話等の言舌文書伝道と相まって護法統一信行運動の展開がある。
 

フジ助 様

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月16日(日)22時40分1秒
返信・引用
  ご丁寧な御解説有り難く存じます。

>一応、フジ助的な日蓮宗の組織的部分の理解としては、日蓮大聖人御入滅後に六老僧(日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持)が、それぞれ教団をつくり門流と言われる派閥を形成したと理解しております。

※ここについては、色々な議論が各門下に存在していて、これだという答えを出すことは難しいと考えています。

日興上人と実長との問題点、日向上人と日興上人の問題、色々問題が発生していたのではと思います。

>事実上の分派第一号は日蓮正宗の開祖である日興上人であり日興上人が身延山久遠寺を離山したその瞬間から日蓮大聖人の仏法上のDNAが爆発的に分裂・増殖を開始したのです。

※妙法蓮華経の妙は、蘇生の義と述べられるように同じ題目を唱えながらおかしいとか、間違っているのであれば私は日蓮聖人の弟子の選択こそ間違っているか、富士門流の教義がまちがっているものと思います。

>つまり大聖人の【教義はひとつ】といっても事実上は各門流が独自の教義や本尊・本尊感を持って布教していたものと思います。

※聖人が、釈迦仏像を拝した事実、曼荼羅へ題目を唱えよと訴えた事実、両義有りと捉えています。

また、両義を批判するものには至らない結論です。
 

DNAが爆発的に分裂・増殖を開始!?

 投稿者:フジ助  投稿日:2010年 5月16日(日)18時33分56秒
返信・引用 編集済
  日蓮正宗信徒のフジ助です。

管理人さまへ

お返事遅くなり大変申し訳ございません。
またいろいろ教えて頂き感謝です。

>日蓮宗では、争うための信仰ではなく日蓮聖人の教えの如く各末寺で信徒の方や、在家の方々が各自修行なさっておられると思います。

>恐縮ですが日蓮宗は日本国内でも、最大の組織宗教団体ですのでその地域により違いがあると思いますので、一概には言えないのが現状です。

日蓮宗では各末寺で信徒の方や、在家の方々が各自修行なさっておられるとの事ですが、修行は各自が行うものとしても宗派内で統一した修業方法はないのでしょうか?
まさか各自が、てんでバラバラ思い思いの修業ではないと思いますが?

一応、フジ助的な日蓮宗の組織的部分の理解としては、日蓮大聖人御入滅後に六老僧(日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持)が、それぞれ教団をつくり門流と言われる派閥を形成したと理解しております。

事実上の分派第一号は日蓮正宗の開祖である日興上人であり日興上人が身延山久遠寺を離山したその瞬間から日蓮大聖人の仏法上のDNAが爆発的に分裂・増殖を開始したのです。

ちなみに六老僧のお一人日持さんは、その後、海外布教の為に外国に行かれたとの事で日持門流が、
存在していたかはフジ助的にはわかりません。

つまり大聖人の【教義はひとつ】といっても事実上は各門流が独自の教義や本尊・本尊感を持って布教していたものと思います。

例えば日蓮大聖人が晩年を過ごされ現在の日蓮宗の総本山である身延山久遠寺ですら必ずしも永い間、日蓮系宗派の保守本流という訳ではないようで単に日向門流としての位置付けであったかと思います。

その後の数百年間は各門流間(派閥・セクト)が凌ぎ削る状態でしたが江戸時代に入り徳川幕府の打ち出した【本末制度】により各門流が国家権力的強制合体に至り現在の日蓮宗が形成されたものと存じます。

現在の組織としての「宗教法人日蓮宗」は国家権力的強制合体が発端ですから、それぞれ教義や本尊・本尊感の異なる「釈迦本仏論と一致派」や「釈迦本仏論と勝劣派」そして「宗祖本仏論と勝劣派」などの57にわたる総本山、大本山、本山の各門流を包括する連合体(寺院数5,200ヶ寺)として理解したほうがわかりやすいかも知れません。

一方、日蓮正宗ですが連合体構造ではなく完全なピラミッド型の中央集権的システム構造であり、一応、総本山以外にも本山格・由緒寺院などの寺格は存在しますが通常、末寺は等級により評価され僧侶の育成も総本山にて一括でおこなわれております。

これ以上は話が、ながくなりますので今回の投稿は、あくまでも組織としてフジ助がどのように理解しているかを示してみました。管理人さまの他のご質問にも答えられず申し訳ございません。

初心者様のご質問は現在の組織としての「宗教法人日蓮宗」ではなく門流(派閥・セクト)についての事柄であったとフジ助的には理解しております。
 

Re: 初心者さん

 投稿者:初心者  投稿日:2010年 5月15日(土)10時40分25秒
返信・引用
  > No.23[元記事へ]

管理者さんへのお返事です。

> 私の質問、お応え下さい。
>
> それまで返答しません。

なにをおっしゃっているんですか?

日蓮宗が正しいと証明できないのに

日蓮正宗や創価学会が間違っている証明などできないでしょう

あなたの目的はなに?

唯一正しい日蓮大聖人の仏法を広めたくないのですか?

おかしな人ですね
 

初心者さん

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月15日(土)00時21分5秒
返信・引用
  私の質問、お応え下さい。

それまで返答しません。
 

Re: 初心者さん

 投稿者:初心者  投稿日:2010年 5月14日(金)19時37分56秒
返信・引用
  > No.21[元記事へ]

管理者さんへのお返事です。

> 初心者さんへのお返事です。
>
> > 管理人さんへのお返事です。
> >
> > > 初心者さんへのお返事です。
> > >
> > > まず、唯授一人がいつ認められた書か、真蹟で証明してください。
> > >
> > > 派とは、何ですか?
> > >
> > > 派が存在したのは、富士系列だけでしょ。
> >
> > あのね
> >
> > 私は日蓮宗と日蓮門下というこの掲示板の題に興味があり
> > 下記の質問をしたのです。
> >
> > 日蓮宗と名乗る以上、まず日蓮宗の良さを説明できなければこの掲示板の題の意味がわかりません。
> >
> > 日蓮宗の正しさ、良さを主張なさってはどうでしょうか?
> >
> > あなたは日蓮大聖人の唯一正しい仏法は、日蓮宗にありとおっしゃっていました。
> >
> > その証明が先でしょ。
> >
> >
> >
> > もしかして日蓮宗の教義も知らないのでは?
>
> やはり、攻撃型の日蓮正宗の信徒さんだけあって言うことが違いますね。
>
> 私は、日蓮門下と書いてあります。
>
> 見えますか?
>
> 日蓮正宗は、日蓮門下ではないのですね。
>
> そういうことならば、私が答える必要などありません。
>
> 日蓮宗は、祈祷、開眼、全て認めています。
>
> 更に曼陀羅は、本尊ともなります。

攻撃してますか?

この掲示板は日蓮宗ですよね?

っで?日蓮宗の正しさはいつ教えてくれるのですか?

> 日蓮宗は、祈祷、開眼、全て認めています。
>
> 更に曼陀羅は、本尊ともなります。

祈祷以外日蓮正宗と変わりないですね

もう一度聞きますよ

日蓮宗の正しさはなにですか?
曼荼羅は本尊にも???
曼荼羅は本尊以外なにになるのですか?
これも日蓮大聖人の真蹟より引用してお答えください




日蓮宗の化儀も語れないのですか?

真蹟より引用して、日蓮宗の正しさ証明してください。
 

Re: 初心者さん

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月14日(金)19時09分2秒
返信・引用
  > No.20[元記事へ]

初心者さんへのお返事です。

> 管理人さんへのお返事です。
>
> > 初心者さんへのお返事です。
> >
> > まず、唯授一人がいつ認められた書か、真蹟で証明してください。
> >
> > 派とは、何ですか?
> >
> > 派が存在したのは、富士系列だけでしょ。
>
> あのね
>
> 私は日蓮宗と日蓮門下というこの掲示板の題に興味があり
> 下記の質問をしたのです。
>
> 日蓮宗と名乗る以上、まず日蓮宗の良さを説明できなければこの掲示板の題の意味がわかりません。
>
> 日蓮宗の正しさ、良さを主張なさってはどうでしょうか?
>
> あなたは日蓮大聖人の唯一正しい仏法は、日蓮宗にありとおっしゃっていました。
>
> その証明が先でしょ。
>
>
>
> もしかして日蓮宗の教義も知らないのでは?

やはり、攻撃型の日蓮正宗の信徒さんだけあって言うことが違いますね。

私は、日蓮門下と書いてあります。

見えますか?

日蓮正宗は、日蓮門下ではないのですね。

そういうことならば、私が答える必要などありません。

日蓮宗は、祈祷、開眼、全て認めています。

更に曼陀羅は、本尊ともなります。
 

Re: 初心者さん

 投稿者:初心者  投稿日:2010年 5月14日(金)18時57分9秒
返信・引用
  > No.19[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

> 初心者さんへのお返事です。
>
> まず、唯授一人がいつ認められた書か、真蹟で証明してください。
>
> 派とは、何ですか?
>
> 派が存在したのは、富士系列だけでしょ。

あのね

私は日蓮宗と日蓮門下というこの掲示板の題に興味があり
下記の質問をしたのです。

日蓮宗と名乗る以上、まず日蓮宗の良さを説明できなければこの掲示板の題の意味がわかりません。

日蓮宗の正しさ、良さを主張なさってはどうでしょうか?

あなたは日蓮大聖人の唯一正しい仏法は、日蓮宗にありとおっしゃっていました。

その証明が先でしょ。



もしかして日蓮宗の教義も知らないのでは?
 

Re: 初心者さん

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 5月14日(金)17時28分41秒
返信・引用
  > No.18[元記事へ]

初心者さんへのお返事です。

まず、唯授一人がいつ認められた書か、真蹟で証明してください。

派とは、何ですか?

派が存在したのは、富士系列だけでしょ。
 

Re: 初心者さん

 投稿者:初心者  投稿日:2010年 5月14日(金)14時32分25秒
返信・引用
  > No.17[元記事へ]

管理者さんへのお返事です。

> 初心者さんへのお返事です。
>
> 自分自身の宗派の事もわからずに、質問するのですから、話になりません。
>
> 貴方が自分自身の信仰なさっている宗派の歴史を調べてから再度ご質問下さいませんか。
>
> 私は日蓮宗です。
>
> 何派?
>
> 聞いた事ありませんが。
>
> 日蓮宗と名のつく寺は、全て日蓮宗です。

自分自身の宗派の事はわかっているつもりです。

ここの掲示板の題が「日蓮宗と日蓮門下の掲示板」とありますので
日蓮宗に興味があるので質問したまでです。

あなたは日蓮門下の信徒さんですよね?

日蓮大聖人の仏法は、下種の仏法を言われております。

日蓮宗が唯一正しいとおっしゃっていたので
日蓮宗の正しさを教えていただきたく質問したまでです。

まじで日蓮宗の方ですか?下種する又は、折伏するおつもりはあるのですか?

日蓮宗の正しさを示すことができなくて
他宗の批判のみで、日蓮宗が広まるのでしょうかね?

あなたの考えや行動では、日蓮大聖人の仏法とはいえないのではないでしょうか?

まず、絶対正しい「日蓮宗」とやらの正しさを教えてくださね
 

初心者さん

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月13日(木)18時53分34秒
返信・引用
  > No.16[元記事へ]

初心者さんへのお返事です。

自分自身の宗派の事もわからずに、質問するのですから、話になりません。

貴方が自分自身の信仰なさっている宗派の歴史を調べてから再度ご質問下さいませんか。

私は日蓮宗です。

何派?

聞いた事ありませんが。

日蓮宗と名のつく寺は、全て日蓮宗です。
 

(無題)

 投稿者:初心者  投稿日:2010年 5月13日(木)13時34分40秒
返信・引用
  初めまして、日蓮正宗のものです。

管理者さんがおっしゃっていたと思うのですが
以下の問いのお答え下さい

①唯一正しい日蓮大聖人の仏法は日蓮宗にありとのことですが
その証明を現存真蹟から引用してお答えください?
又、日蓮宗ではなにを広げておられるのでしょうか?
日蓮大聖人の仏法とか抽象的な回答は避けてください

②日蓮宗の本尊とはなにですか?
曼荼羅?狐?狸?鬼子母神?一体どれが本尊なのですか?
それが本尊たりえる証明を現存真蹟から引用してお答えください

③この掲示板を見る限り、日蓮正宗の化儀が掲載されていますが
日蓮宗と同じとおっしゃられていました。
日蓮宗の化儀を掲載してください
勤行方式等々、5座3座?
又、日蓮正宗が元日蓮宗であったとのことですが、
日蓮大聖人ご自身が、身延におられたのでそうおっしゃったのですか?
日蓮大聖人は日蓮宗になにか特別なことを譲られたとか、
その証明は現存真蹟から証明できますか?

④創価学会or日蓮正宗と言いながら、なぜ創価学会系掲示板にリンクを貼っていないのですか?
法華講系の掲示板にしかリンクが貼られていないような気がします。
理由を教えてください

⑤最後に管理人様の所属は日蓮宗何派で、どんな教えを根本とされているのですか?
又、その教えを広めようとされていないのはなぜですか?
この掲示板を見る限り、日蓮宗の良さ、ありがたさが伝わってきません

回答のほどよろしくお願いいたします。
 

Re: 一種の幸福感!?

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月12日(水)01時22分0秒
返信・引用
  > No.14[元記事へ]

フジ助さんへのお返事です。

> フジ助です。再度のお返事ありがとうございます。
>
> >フジ助様は、どちらの宗教団体所属ですか?
>
> 日蓮正宗信徒です。
> 所属寺院は都内二十三区内の都心にも程近い寺院とさせて下さい。
> 入信は昭和三十年代後半で、まだ物心つかない時期だったと思います。
>
> >私は、日蓮宗所属です。
>
> 日蓮宗と言えば総本山・身延山久遠寺 宗務院・池上本門寺系列ですね。
>
> >更に言えば、富士、興門においては、互いにどっちが悪い、
> >この教義はおかしいなどと言うのは、もう古い話ではないかと私は思います。
>
> 日蓮大聖人は四箇格言に代表されるようにかなりアグレッシブなお方のようで日蓮正宗も大聖人のその高い攻撃型のDNAを100%受け継いでおります。もちろん日蓮正宗を母体として誕生した創価学会も正宗と同じく高い攻撃性と排他性を有しております。創価学会誕生時に日蓮正宗からたっぷりと攻撃型のDNAを注入されているからです。
>
> もし宗教に前衛と後衛、穏健と過激が存在するならば間違いなく前衛であり最過激派に位置する宗派になるでしょうね。
>
> 少なくと日蓮正宗と創価学会は、真理の追究や悟りをひらく、自己の内面を深く掘り下げ見つめる等の修行とは不向き・無縁の宗教だとフジ助は思っています。
>
> おそらく管理人様はネットの各掲示板での誹謗中傷合戦に嫌気をさされているかと思いますが、
> ご当人達は、いたって楽しく盛り上がっているものと想像しております(笑)
> 誹謗中傷合戦をしていると常に軽い興奮状態となり脳内の覚醒が始まり一種の幸福感が得られるようです(笑)
>
> それから創価学会の危険性を危惧されているようですが、己の肉体のわずか250分1の弱小教団である
> 日蓮正宗ですら相当期間、綿密に準備しても支配に失敗している訳です。あれだけ高い攻撃力がありながら日蓮正宗宗門の牙城を突き崩す事は出来ませんでした。
> 従って日本全土を掌握する事は不可能でしょうし少子高齢化時代ですから今後会員数が飛躍的に伸びる事もないでしょう。
>
> さてフジ助は他宗についてはまったく無知なのでご教示くださいませ。
>
> 日蓮宗では信徒組織はどのような活動をしているのでしょうか?
> あまりイメージが沸かないものですから・・・

日蓮宗では、争うための信仰ではなく日蓮聖人の教えの如く各末寺で信徒の方や、在家の方々が各自修行なさっておられると思います。

恐縮ですが日蓮宗は日本国内でも、最大の組織宗教団体ですのでその地域により違いがあると思いますので、一概には言えないのが現状です。

フジ助さんに、お聞きしたいのですが日蓮聖人が御遺文の中で、法華経行者の定義において
どのように仰っているか、ご存知ですか?

法華経行者とは、血脈に依るのですか?

それとも、唯授一人に依るのですか?

それとも、観心に依るのでしょうか?

また、日蓮聖人の御遺文の中からは妙楽大師の釈が出てきますが、実際はどこまで引用されているかご存知でしょうか?

> 日蓮大聖人は四箇格言に代表されるようにかなりアグレッシブなお方のようで日蓮正宗も大聖人のその高い攻撃型のDNAを100%受け継いでおります。もちろん日蓮正宗を母体として誕生した創価学会も正宗と同じく高い攻撃性と排他性を有しております。創価学会誕生時に日蓮正宗からたっぷりと攻撃型のDNAを注入されているからです。

※このような、四箇格言などは現代的な思想、発想から言えばもう研究的な余地はありません。

今の、時代は攻撃性を持つよりも慈悲性が優れているからです。

そう言えば、歴史の中でかつては日蓮正宗はもともと日蓮宗ですものね。

何故、離れたか知りませんが、化儀が日蓮宗そのものですね。

DNA=負けず嫌い。

負けず嫌い=観心の喪失

観心の喪失=法華経行者の損失。

ではないでしょうか。

攻撃は、慈悲にはなりません。

慈悲は、どこまでも慈悲でしかありません。

創価学会は、池田大作教会です。

会員は、本当に鬱病になっていて可哀想なのです。

なのに、攻撃性はかなりあります。
 

一種の幸福感!?

 投稿者:フジ助  投稿日:2010年 5月11日(火)23時47分51秒
返信・引用
  フジ助です。再度のお返事ありがとうございます。

>フジ助様は、どちらの宗教団体所属ですか?

日蓮正宗信徒です。
所属寺院は都内二十三区内の都心にも程近い寺院とさせて下さい。
入信は昭和三十年代後半で、まだ物心つかない時期だったと思います。

>私は、日蓮宗所属です。

日蓮宗と言えば総本山・身延山久遠寺 宗務院・池上本門寺系列ですね。

>更に言えば、富士、興門においては、互いにどっちが悪い、
>この教義はおかしいなどと言うのは、もう古い話ではないかと私は思います。

日蓮大聖人は四箇格言に代表されるようにかなりアグレッシブなお方のようで日蓮正宗も大聖人のその高い攻撃型のDNAを100%受け継いでおります。もちろん日蓮正宗を母体として誕生した創価学会も正宗と同じく高い攻撃性と排他性を有しております。創価学会誕生時に日蓮正宗からたっぷりと攻撃型のDNAを注入されているからです。

もし宗教に前衛と後衛、穏健と過激が存在するならば間違いなく前衛であり最過激派に位置する宗派になるでしょうね。

少なくと日蓮正宗と創価学会は、真理の追究や悟りをひらく、自己の内面を深く掘り下げ見つめる等の修行とは不向き・無縁の宗教だとフジ助は思っています。

おそらく管理人様はネットの各掲示板での誹謗中傷合戦に嫌気をさされているかと思いますが、
ご当人達は、いたって楽しく盛り上がっているものと想像しております(笑)
誹謗中傷合戦をしていると常に軽い興奮状態となり脳内の覚醒が始まり一種の幸福感が得られるようです(笑)

それから創価学会の危険性を危惧されているようですが、己の肉体のわずか250分1の弱小教団である
日蓮正宗ですら相当期間、綿密に準備しても支配に失敗している訳です。あれだけ高い攻撃力がありながら日蓮正宗宗門の牙城を突き崩す事は出来ませんでした。
従って日本全土を掌握する事は不可能でしょうし少子高齢化時代ですから今後会員数が飛躍的に伸びる事もないでしょう。

さてフジ助は他宗についてはまったく無知なのでご教示くださいませ。

日蓮宗では信徒組織はどのような活動をしているのでしょうか?
あまりイメージが沸かないものですから・・・
 

Re: お返事ありがとうございます。

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 5月11日(火)21時47分53秒
返信・引用
  > No.12[元記事へ]

フジ助さんへのお返事です。

フジ助様

私は、日蓮宗所属です。

更に言えば、富士、興門においては、互いにどっちが悪い、この教義はおかしいなどと言うのは、もう古い話ではないかと私は思います。

あるならば、現存する御真蹟遺文で新たに見つめ直す事が私は大事であると考えております。

フジ助様は、どちらの宗教団体所属ですか?
 

お返事ありがとうございます。

 投稿者:フジ助  投稿日:2010年 5月11日(火)19時14分12秒
返信・引用 編集済
  管理人様へ

フジ助です。お返事ありがとうございます。

>日蓮正宗or創価学会の方で、悩みのある方には相談にのります。

管理人さまは、日蓮宗をお名乗りになっているので身延派を想像しておりましたが明確なお答えがないのでフジ助も苦慮しております。
ご自身の所属をあきらかに出来ないのはなぜでしょうか?

日蓮宗=広義の解釈では日蓮大聖人を宗祖とする各宗派であり、狭義の解釈では日蓮宗とは
総本山・身延山久遠寺 宗務院・池上本門寺を指すかと思いますが・・・

またなぜ?日蓮正宗VS創価学会の図式ではなく日蓮正宗or創価学会ですか?

>私はタイトルの如く、日蓮正宗or創価学会で苦しんでいる人を救済するべく議論が必要と感じて掲示板を立ち上げました。
>それ以外の、目的はありません。

日蓮正宗or創価学会で苦しんでいる人とは脱宗・脱会に踏ん切りがつかない人々の手助けをしたいと言う事でしょうか?それとも折伏の成果の上がらない方に良い知恵を授ける事が出来ると言うことでしょうか?

ご多忙とは存知ますがフジ助の無粋な質問にお答えして頂ければ幸いです。
 

Re: はじめまして フジ助です!

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月11日(火)04時58分26秒
返信・引用
  > No.8[元記事へ]

フジ助さんへのお返事です。

> はじめまして フジ助です!
>
> 掲示板開設おめでとうございます。
>
> 板を拝見しましたが、掲示板コンセプトがいまひとつ理解出来ません。
> 【日蓮宗】とは具体的にどの宗派寺院に属するのでしょうか?
>
> また管理人様のプロフィール(HNも含めて)も書いてありませんので、
> どのような議論展開を、目指されているのかも不明です。
> 教えて頂ければ幸いです。

私はタイトルの如く、日蓮正宗or創価学会で苦しんでいる人を救済するべく議論が必要と感じて掲示板を立ち上げました。

それ以外の、目的はありません。

日蓮正宗or創価学会の方で、悩みのある方には相談にのります。

教義であれば、議論します。

その際は、http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/goibun/ibun_shi.htm
の電子ファイルをお使い下さい。
 

Re: 葬禍は宗教やくざ政治結社

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月11日(火)04時54分50秒
返信・引用
  > No.9[元記事へ]

葬禍脱会運動さんへのお返事です。

> 学会の大論師、宿坊先生ですか、もしくは近いグループ、開設されたんですね。
>
> 学会員でありながら、五老僧系を、、応援されるんですね。
>
> 狐・狸・蛇・鬼子母神でも拝んでください。
>
> 一生、葬禍嶽界、頭破七分=創価宗でいてね。
>
>  【テーマ:「創価学会」大阪講演会09.06.20】
>
>
> http://jp.sevenload.com/videos/aFMwfHy-09-06-20

全く私は宿坊とか、いう人も創価学会も無関係です。

日蓮宗関係者です。
 

葬禍は宗教やくざ政治結社

 投稿者:葬禍脱会運動  投稿日:2010年 5月11日(火)03時30分7秒
返信・引用
  学会の大論師、宿坊先生ですか、もしくは近いグループ、開設されたんですね。

学会員でありながら、五老僧系を、、応援されるんですね。

狐・狸・蛇・鬼子母神でも拝んでください。

一生、葬禍嶽界、頭破七分=創価宗でいてね。

【テーマ:「創価学会」大阪講演会09.06.20】


http://jp.sevenload.com/videos/aFMwfHy-09-06-20
 

はじめまして フジ助です!

 投稿者:フジ助  投稿日:2010年 5月11日(火)02時08分29秒
返信・引用 編集済
  はじめまして フジ助です!

掲示板開設おめでとうございます。

板を拝見しましたが、掲示板コンセプトがいまひとつ理解出来ません。
【日蓮宗】とは具体的にどの宗派寺院に属するのでしょうか?

また管理人様のプロフィール(HNも含めて)も書いてありませんので、
どのような議論展開を、目指されているのかも不明です。
教えて頂ければ幸いです。
 

Re: 言葉、汚い創価学会と日蓮正宗。

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 5月11日(火)00時53分8秒
返信・引用
  > No.6[元記事へ]

keyさんへのお返事です。

言われる通り、宗教が政治家に変わり自分たちの思い通りにならなければ、会員を使い、弾圧する。

最低な行為そのものです。
然も、我々日蓮聖人の教えにない教義を立てて、正しいと言い張るようではこの世はよくならないと私は感じます。

自分たちが正しいと勘違いする思考は指導者に問題があるとかんがえます。

要するに池田大作です。

実際、創価学会の会員は、全国単位で10人に一人いると言われていますが、現状は精神疾患の集まる教団となっています。

犠牲者は、会員であり、それを信じ込ませる上層部の幹部です。

理由は、信仰と利害の問題だと所感ながら思います。
 

Re: 言葉、汚い創価学会と日蓮正宗。

 投稿者:key  投稿日:2010年 5月11日(火)00時17分3秒
返信・引用
  > No.2[元記事へ]

管理者さんへのお返事です。

> どうしても、日蓮正宗or創価学会会員は、唯授一人を信じてそこから脱していけない現状を、どう理解させ考えていかなければならないか深刻な問題である。
>
> 日蓮正宗or創価学会には、規製されたものが沢山ありそれを深々の法という。
>
> 事の一念三千についても偽作された戒壇本尊を信じ込まされている。
>
> 余りにも、可愛そうだ。

同感ですね(key)

伝統宗教と新興宗教、伝統を汲む新興宗教を分類し、納税義務を課すべきである。

私は神、仏であるといい、団体を開き金儲けをしてる、そして政治にも影響力のある団体と

入信すると、福祉面でも就職でもメリットがあると誘う。

 行政のトップや役人にも創価学会の人間がいる。隠れ創価というのもいる、妻が一生懸命

してるパターンだ。私の市、山形県酒田市は隠れ創価市長である。何もしない。

 自分の利益ばかり追求し、施しなどしない役人。死んだ街
 

第二章 仏前作法

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月11日(火)00時05分11秒
返信・引用
  ◆ 第二節 合掌

  合掌の字義は掌を合せるの意にして、十指は十界三千を表わし、しかも左右の十指を 合すれば、このとき十界互具にして実相印となり、胸にあてるところは、胸中心性の白 蓮華に通ずる。
  このように、色心の二法合して御本尊に向かい奉り、南無妙法蓮華経と唱えるところ は、すなわち無作三身、事行の一念三千であり、当体蓮華仏の相である。
  姿勢は背筋を伸ばし両肘を軽く両脇につけ、胸の前で十指を合わせる。眼は御本尊の 「妙」の字を中心に全体を拝する。


◆ 第三節 数珠

  本宗において、数珠は三衣の一であって、当家三衣妙に説かれているように「夫れ数 珠とは此れ乃ち下根を引接して修業を牽課するの具」である。その体相は数珠即妙法五 字、無作本有の当体にして、珠の円形は法性の妙理、大円鏡智を、一百八箇は百八煩悩 を表わし、二箇の大顆は父母、境智、妙法を、四箇の小顆は本化の四大菩薩、左右の房 に貫く三十の顆は三千を表わす。また僧侶(教師)用の数珠の房が長いことは一閻浮提 に広宣流布して、この妙法を一天四海へなびかす意である。古来「数珠は仏の如くせ  よ」と諭されており、大切に随身することが肝要である。

 ○ かけ方
   房が二本ある方の親珠を左手中指にかけ、数珠を一回ひねり、綾にして、房が三本  ある方の親珠を右手中箱にかけて合掌する。なお、数珠はむやみに揉んで音を出した  りしないようにすること。

 ○ 開眼の事
   数珠は必ず開眼を済ませてから使用する。
  開眼は僧侶が行ない、読経唱題中に数珠を両手にかけ、「南無妙法蓮華経」と祈念す  る。


◆ 第四節 朝夕勤行の次第並びに磬の打ち方

初座 諸天供養(夕の勤行には除く)
  はじめ御本尊に向かい奉り、題目三唱(以下三唱という)礼拝、終わって東天に向か い三唱し、方便品・自我偈読誦、引題目三回(二座以下同じ)を終わって三唱し、「生 身妙覚自行の御利益・大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王・大明星天王等・総じ て法華守護の諸天善神、諸天昼夜常為法故而衛護之の御利益・法味倍増の御為に」の文 を観念して三唱。

二座 本尊供養
  御本尊に向かい奉り、直ちに磬を七打し、方便品を終わって磬三打、寿量品(長行・ 自我偈)、引題目を終わって磬を五打し、三唱の後「南無本門寿量品の肝心・文底秘沈 の大法・本地難思境智冥合・久遠元初・自受用報身如来の御当体・十界本有常住・事の 一念三千・人法 一箇・独一本門戒壇の大御本尊、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の 御為に」の文を観念して三唱。

三座 三師供養
  啓を七打し、方便品を終わって磬を三打、自我偈、引題目を終わって磬を五打し、三 唱の後「南無本因妙の教主・一身即三身・三身即一身・三世常恒の御利益・主師親三徳 大慈悲宗祖日蓮大聖人、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に」の文を観念して三 唱。
  次に「南無法水瀉瓶・唯我与我・本門弘通の大導師・第二祖白蓮阿闍梨日興上人、御 威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に」の文を観念して三唱。
  次に、「南無一閻浮提の御座主・第三祖新田卿阿闍梨日目上人、御威光倍増御利益広 大御報恩謝徳の御為に南無妙法蓮華経(題目三回)」と観念し、引き続いて「南無日道 上人・日行上人等御歴代の御正師、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に」と観念 して三唱。

四座 広宣流布祈念(夕の勤行には除く)
  磬を七打し、方便品を終わって磬を三打、自我偈、引題目を終わって磬を五打し、三 唱の後「祈念し奉る一天四海本因妙広宣流布大願成就御祈祷の御為に」と祈念して三  唱。
  次いで「某過去遠々劫・現在漫々の謗法罪障消滅、信心倍増・行学増進・寺檀和合・ 現当二世大願成就の為に」「本日参詣の面々、本宗信仰の面々、内得信仰の面々、信心 倍増・一切無障礙・心願満足・大願成就の為に」(更に他の祈念がある場合は、ここに おいて行なう)と観念して三唱。

五座 回向、
 磬を七打し、方便品を終わって磬を三打、自我偈の終わりに磐を七打して唱題に入る(寺院においては太鼓を打つ)。磬五打にて唱題を終わり三唱。
 次に回向、回向中は磬を打つ。
 1 過去帳記載の御歴代上人。「総本山第○世日○上人御命日忌御報恩謝徳の御為に   南無妙法蓮華経」。
 2 過去帳記載の法難等の観念(例) 「文永八年九月十二日、宗祖日蓮大聖人竜ノ口  御法難御報恩謝徳の御為に 南無妙法蓮華経」。
 3 命日回向(宗祖御両親を含む) 「○○○○信士命日忌追善供養の為に 南無妙法  蓮華経」。
 4「某先祖代々並びに当宗信仰の面々、内得信仰の面々、各先祖代々の諸精霊追善供養  証大菩提の為に 南無妙法蓮華経」。回向を終わって三唱。
  三葉を切り「乃呈法界平等利益自他倶安同帰寂光」と念じ、磬を三打して三唱。鈴座  は題目三唱後に終了鈴を打つ。
 *磬は七・五・三に打つのを基準とする。また、観念文及び回向は声を出さない。

付、四座における他の祈念の場合、祈念文の例(諸祈念は八七頁参照)
 当病平癒祈念
 「当寺(院)信徒○○○○、信心倍増・罪障消滅・当病平癒祈念の為に 南無妙法蓮華  経」
 安産祈念
 「当寺(院)信徒○○○○、信心倍増・罪障消滅・身心健全・安楽産福子祈念の為に   南無妙法蓮華経」


◆ 第五節 太鼓・喚鐘の打ち方

 一 出仕太鼓及び喚鐘の打ち方
 (○の大小は音の強弱、1は第一打2は第二打を示す。また○が大きいときは間隔を長 くする)

                                         二 唱題時の太鼓の打ち方 (右は右打、左は左打を示す)
  1 打ち始め
                    (右)    (右)(左)(右)(左)
 導師が唱題を始める最初の南無妙法蓮華経の経で打ち、次に妙  法  蓮  華
(右)        (右)(左)(右)(左)(右)(左)(右)
 経 と打ち,三唱目より南  無  妙  法  連  華  経,
(右)(左)(右)(左)(右)(左)(右) (右)(左)(右)(左)(右)(左)
 南  無  妙  法  連  華  経,  南  無  妙  法  連  華 (右) (右)(左)(右)(左)(右)(左)(右)
 経,  南  無  妙  法  連  華  経  と南無を小さく,妙法蓮華経は 同じ強さで打つ。

 2 打ち終わり
    (右)          (右)(左)(右)(左)(右)(左)(右)
 導師が 経 で磬を入れると,更に 南  無  妙  法  連  華  経 と
 ややゆっくり一回打ち(唱題はここで止める),次に(右)(左)(右)とゆっくり力 強く三打して終わる。
 

◆ はじめに

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月10日(月)23時54分8秒
返信・引用
  ◆ はじめに

 本宗の教義信仰の根幹は、本門戒壇の大御本尊と唯授一人の法体血脈にある。故に、古来、本宗における法要儀式等の一切は、この教義信仰の根幹に基づいて形にあらわされた化儀であり、それが総本山の山法山規として伝えられてきたのである。
 本書は、この血脈相伝に基づく山法山規の意義に則り、本宗僧侶としての必要不可欠な心得を示すとともに、現宗門における仏前作法をはじめとした法要化儀の標準的規範を記したものである。
 したがって、本宗僧侶は、右の教義信仰の根幹を身に体し、本書に示した規範に準拠して法要儀式を執行し、もって寺檀和合、寺運興隆、大法広布に努めなければならない。


◆◇ 第一章 僧侶心得

◆ 第一節 住職・主管並びに事務取扱者心得

 寺院・教会は仏祖三宝尊の所有であり、住職・主管または檀信徒のものではない。すなわち、住職・主管は、法主上人の命を受けて寺院・教会を管理し、寺務を執行するのである。
 したがって、常に法主上人の御意を深く体し、宗務院の命令及び通達に従い、左に掲げる心得を基本として、寺檀和合、寺運興隆、大法広布に努め、もってその責務を果たさなければならない。
 また、事務取扱者は、法主上人の命により、兼務の住職・主管に代わってその職務を行なうものであるから、住職・主管の指示に従い、この心得を守って御奉公に精進しなければならない。

 一 仏祖三宝尊に対する信仰と御報恩の念に立脚し、総本山護持の精神を根本とするこ  と。
 二 行学二道に励み、随力弘通し、特に日常の行体を正して布教に心掛けること。
 三 宗制・宗規及びその他の本宗の法規、寺院・教会規則、並びに宗教法人法その他の  法令を遵守して、寺院・教会の経営にあたること。
 四 寺院・教会はそれぞれの地域における大法弘通の法城であり、この意義と目的を体  して、檀信徒を教化育成し、僧俗一致の実践を期すること。
 五 檀信徒の御供養その他の収入は適正に管理し、寺院・教会の護持興隆その他為宗為  法を旨として有効に使用すること。
 六 寺院・教会の営繕、設備の充実はもちろん、寺檀和合、寺運興隆のため、御奉公の  まことを尽くすこと。
 七 在勤の僧侶に対しては、総本山の山法山規に準じて、その修行並びに日常の行体を  指導監督し、また学衆に対する勉学増進に留意すること。
 八 寺族に対しては、寺院・教会の護持、宗門の興隆に寄与するよう教導すること。


◆ 第二節 寺院・教会事務管理事項

 宗教法人たる寺院・教会は、宗教法人法による義務を履行し、その管理運営にあたっては、本宗の法規、寺院・教会規則、その他の法令の定めに従って、適法に会計処理・事務処理を行なうとともに、規定の帳簿・書類を備え付け、その他必要な関係書類を整備し、保存しなければならない。
 また、新築、改築、増築、移築、建物の除却・模様替、不動産(土地・建物)の取得及び処分、資金の借入及び担保の設定、規則の変更などを行なうときは、事前に宗務院の指導を受け、責任役員会の議決を経た上、所定の申請書類を、宗務支院を経由して宗務院へ提出し、必ず日蓮正宗代表役員の承認を受けなければならない。
 なお、これに付随して、公告、登記、所轄庁の認証、宗教院または所轄庁への提出などを要する事項については、これらの手続きをしなければならない。
 非宗教法人の寺院・教会においても、宗教法人の寺院・教会に準じて、同様に管理運営しなければならない。

 一 寺宝・什物等の管理
  寺宝・什物等は厳格に管理し、異動があった場合は、必ず財産目録、寺院明細誌に記 載する。特に、御本尊、古文書等の保管については、厳重に防犯設備を調え、更に、諸 種の災害に対する万全な避難策を構じておかなければならない。

 二 常備すべき帳簿及び書類
1 宗教法人として必要な書類
  次に掲げる帳簿及び書類は、宗教法人として必ず常備しなければならないものであ  る。寺院・教会規則・規則認証書などは写しを事務用に使用し、本書は耐火金庫などに 保管して安全を期し、紛失することのないよう特に留意すること。
  これらの備え付け書類のうち、役員名簿、収支計算書、財産目録など、宗教法人法第 二十五条第四項の規定により、所轄庁への提出が義務づけられている書類については、 毎会計年度終了後四ヶ月以内に各書類の写しを所轄庁へ提出すること。また、所轄庁か ら受領した旨の収受印を押してもらった書類のコピーを宗務院庶務部へ提出すること。
  なお、非宗教法人の場合も、左記の「ハ」以下の書類を必ず備え付けること。
イ 寺院・教会規則(宗教法人「○○寺(院)」規則)宗教法人設立当初の知事の認証印  のある本書。万一、災害等により本書が紛失してしまったような場合は、必ず所轄庁 より謄本の交付を受けて備え付けること。
ロ 規則認証書
  宗教法人設立当初の知事の認証印のある本書。また、規則を変更した場合にも認証書 が交付されるので、設立当初の認証書とともに大切に保管すること。
ハ 役員名簿
  代表役員及び責任役員(総代)の住所・氏名・就任退任の年月日及びその事由などを 記載Lたもの。
  なお、代表役員または責任役員(総代)に異動があったとき、または住所などの記載 事項に変更があったときは、そのつど必要事項を記載する。特に、責任役員の任期満了 による改選の場合は、新任・再任にかかわらず全員について新たに記載しなければなら ないので留意すること。
ニ 収支予算書・収支計算書・財産台帳・財産目録、及び現金出納簿・預金出納簿・領収  書綴・月次計算書などの会計処理に関する必要書類。
ホ 責任役員会議事録
ヘ 事務処理簿
  法人としての事務処理の経過概要がわかるように、日付順に事務の内容を要約して箇 条書きに記載する。
ト 宗制・宗現
チ 宗教法人法
リ 教師必携

 2 事務上必要な書類
 宗教法人としての法定帳簿以外に、寺院・教会の事務には必要に応じて次のような帳簿・書類を備えなければならない。これらの書類は、常に整備補充して事務所に保管する。既に使用済みのものも、その寺院・教会の事蹟を示す資料となるから保管しておくこと。
 また、宗務院・総本山及び所轄庁などへの申請・届出の書類は、堤出した本書と同じものを控え書類として、必ず保管・記録しておかなければならない。
イ 檀信徒名簿
ロ 過去帳
ハ 新寂帳
ニ 永代回向帳
ホ 墓地関係帳簿
ヘ 納骨堂関係帳簿
ト 不動産関係書類(特に土地・建物の権利証)
チ 積立金関係書類(永代回向料・寺院過去帳冥加料・墓地使用冥加料)
リ 法華講支部関係帳簿
ヌ 宗務院及び総本山よりの通達書類
ル 寺院明細誌
ヲ 月例報告書控綴
ワ その他、その寺院・教会として事務上必要な書類
 

日蓮正宗は日蓮宗の真似事。

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月10日(月)23時51分59秒
返信・引用
  ※日蓮正宗 教師必携

住職・主管並びに事務取扱者心得
◆ 第二節 寺院・教会事務管理事項
◆ 第三節 住職・主管の交替並びに事務引継
◆ 第四節 入院式
◆ 第五節 末寺歴代系譜の事
◆ 第六節 末寺法要における導師並びに鈴座
◆ 第七節 全国布教師の派遣と席順
◆ 第八節 総本山の法要
◆ 第九節 僧服
◆ 第十節 有職並びに法衣・袈裟免許、居士衣
◆ 第十一節 在勤者心得
◆ 第十二節 御秘符
◆ 第十三節 信徒登山
◆ 第十四節 総本山への諸願手続き
◆◇ 第二章 仏前作法
◆ 第一節 末寺本堂荘厳式
◆ 第二節 合掌
◆ 第三節 数珠
◆ 第四節 朝夕勤行の次第並びに磬の打ち方
◆ 第五節 太鼓・喚鐘の打ち方 ◆ 第六節 供華
◆ 第七節 仏飯 ◆ 第八節 華香水(六器)
◆ 第九節 献膳
◆ 第十節 高座説法

◆◇ 第三章 授戒並びに御本尊下付
◆ 第一節 授戒式(付、謗法払い)
◆ 第二節 勧誡式
◆ 第三節 御形木御本尊下付並びに信徒宅入仏式 ◆ 第四節 常住御本尊等の下付申請並びに信徒宅入仏式
◆ 第五節 御感得祈念顧
◆ 第六節 御本尊の再表装並びにおきよめ

◆◇ 第四章 諸式範例
◆ 第一節 得度式
◆ 第二節 新寺落慶入仏式
◆ 第三節 結婚式
◆ 第四節 起工式(付、地形式)(じぎょうしき) ◆ 第六節 進水式及び船舶祈念 (付、除幕)
◆ 第七節 諸祈念

◆◇ 第五章 葬儀回向 ◆ 第一節 葬儀
◆ 第二節 戒名
◆ 第二節 法事
◆ 第四節 塔婆
◆ 第五節 永代回向
◆ 第六節 過去帳
◆ 第七節 石塔及び墓参
◆◇ 第六章 年中行事 ◆ 第一節 年中行事
◆ 第二節 正月飾り付け
◆ 第三節 孟蘭盆会精霊台飾り付け
◆ 第四節 御会式飾り付け
◆ 第五節 末寺御会式

◆ 索  引
◆ 奥付

*******************************************************************************

◆ 目次

はじめに
第一章   僧侶心得
 第一節  住職‥王管並びに事務取扱者心得
 第二節  寺院・教会事務管理事項
  一   寺宝・什物等の管理
  二   常備すべき帳簿及び書類
   1  宗教法人として必要な書類
   2  事務上必要な書類
  三   月例報告書について
  四   舎計事務について
 第三節  住職・主管の交替並びに事務引継
  一   座替式
  二   幸務引継
 第四節  入院式
 第五節  末寺歴代系譜の事
 第六節  末寺法要における導師並びに鈴座
  一   法主上人御親修の各種法要(新寺入仏式は七一頁参照)
  二   法主上人御親修以外の各種法要
   1  御会式
   2  各種法要(開創○周年記念、再建、増改築落成法要等)
   3  入院式
   4  葬儀
    イ 住職・主管の葬儀
    ロ 各本山並びにその塔中の葬儀
    ハ 代務者・副住職・副主管の葬儀
    ニ 事務取扱者の葬儀
    ホ 在勤教師の葬儀
    ヘ 在勤非教師の葬儀
    ト 寺族の葬儀
   5  法事
 第七節  全国布教師の派遣と席順
 第八節  総本山の法要
  一   二大法要・特別法要の座配
  二   奉安堂座配(御開扉)
  三   御影堂座配
  四   客殿座配(付、客殿焼香の順序)
 第九節  僧服
  一   非教師の服制
  二   僧侶の俗服
 第十節  有職並びに法衣・袈裟免許、居士衣
 第十一節 在勤者心得
 第十二節 御秘符
 第十三節 信徒登山
  一   団体登山
  二   個人登山(添書登山)
  三   海外在住信徒の登山
 第十四節 総本山への諸願手続き
  一   満山供養願
  二   永代回向願・過去帳記入願
  三   大納骨堂納骨願(一時預かり)
  四   合葬願
  五   墓地使用許可願
  六   墓地埋葬願
第二章   仏前作法
 第一節  末寺本堂荘厳式
 第二節  合掌
 第三節  数珠
 第四節  朝夕勤行の次第並びに磬の打ち方
 第五節  太鼓・喚鐘の打ち方
 第六節  供華
 第七節  仏飯
 第八節  華香水(六器)
 第九節  献膳
  一   具味
  二   御箸
  三   献膳作法
  四   信徒の家における場合
 第十節  高座作法
  一   準備
  二   登高座作法
  三   心構え
第三章   授戒並びに御本尊下付
 第一節  授戒式(付、謗法払い)
 第二節  勧誡式
 第三節  御形木御本尊下付並びに信徒宅入仏式
 第四節  常住御本尊等の下付申請並びに信徒宅入仏式
  一   常住御本尊の申請
  二   特別御形木御本尊・御守御本尊・御守御形木御本尊等の下付申請
  三   常住御本尊下付
 第五節  御感得祈念願
 第六節  御本尊の再表装並びにおきよめ
  一   御本尊の再表装
  二   御本尊のおきよめ
第四章   諸式範例
 第一節  得度式
 第二節  新寺落慶入仏式
  一   住職・主管の赴任
  二   準備
  三   落慶入仏式法要次第
 第三節  結婚式
  一   準備
  二   式次第
  三   諭戒文
 第四節  起工式(付、地形式)
 第五節  上棟式
 第六節  進水式及び船舶祈念(付、除幕)
 第七節  諸祈念
  一   折伏祈念
  二   当病平癒祈念
  三   安産祈念
  四   命名祈念
  五   厄払い祈念
  六   進学祈念
  七   就職祈念
  八   自動車祈念
  九   旅行祈念
  十   航海祈念
  十一  その他の祈念
  付、  命名の書き方の一例
第五章   葬儀回向
 第一節  葬儀
  一   信徒の葬儀
   1  通夜
      導師御本尊御貸与願
      導師御本尊受納証書
   2  葬式
   3  その他の心得
    イ 枕経
    ロ 葬列次第
    ハ 荼毘
    ニ 埋葬
    ホ 諸書き物
     ○位牌
     ○墓標
     ○七本塔婆(一般の塔婆については一一五頁参照)
     ○幢幡
     ○門牌
     ○六道大燈明
     ○香炉
     ○棺、経帷子、帯、頭陀袋、宝冠(頭巾)、手覆(手甲)、脚半等
  二   僧侶の葬儀(末寺一般僧侶)
   1  納骨
   2  式場
   3  葬列次第
   4  差定
 第二節  戒名
  一   信徒
   1  小人
   2  大人
 第三節  法事
  一   信徒の願いによる法事とその方式
   1  寺院における法事
   2  信徒宅における法事
  二   忌日及び年忌
   1  一年以内
   2  年回
 第四節  塔婆
  一   題目
  二   塔婆の書き方
  三   回向
 第五節  永代供養
 第六節  過去帳
  一   寺院の過去帳
  二   信徒の過去帳
  三   他宗の戒名の取り扱い方
 第七節  石塔及び墓参
  一   石塔の題目
  二   墓石の開眼
  三   石塔五輪
  四   墓参・その他
第六章   年中行事
 第一節  年中行事
  一   行事一覧
  二   末寺の年中行事
   1  元旦勤行
   2  成人式
   3  節分会
   4  彼岸会・盂蘭盆会法要
   5  七五三祝
   6  月例の御報恩御講
 第二節  正月飾り付け
  一   門松
  二   床之間飾り
   1  蓬莱飾り
   2  御鏡飾り
 第三節  盂蘭盆会精霊台飾り付け
 第四節  御会式飾り付け
 第五節  末寺御会式
  一   座配
  二   法要次第
 

言葉、汚い創価学会と日蓮正宗。

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月10日(月)23時38分19秒
返信・引用
  どうしても、日蓮正宗or創価学会会員は、唯授一人を信じてそこから脱していけない現状を、どう理解させ考えていかなければならないか深刻な問題である。

日蓮正宗or創価学会には、規製されたものが沢山ありそれを深々の法という。

事の一念三千についても偽作された戒壇本尊を信じ込まされている。

余りにも、可愛そうだ。
 

注意事項。

 投稿者:管理者  投稿日:2010年 5月10日(月)22時55分37秒
返信・引用
  真蹟御遺文については、http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/goibun/ibun_shi.htm
こちらのURLから真蹟御遺文を選択して引用してください。

また、自分が言えなくなったからと言って謝罪なくインターネットだからと言って、黙って引き下がることなくしっかり謝罪をして引き下がってください。

悪質な書き込みは即、削除の対象となりますので予めご了承下さい。

また、当掲示板は平和と幸せを目的にした掲示板です。

冷静に議論が出来ない方は、書き込みをしないで下さい。
 

以上は、新着順1番目から100番目までの記事です。
これ以下の記事はありません。
1  |  《前のページ |  次のページ》 
/1 


[PR]