薄氷の狩猟生活 大島育雄さん、移住30年…不安
2006年05月29日
グリーンランド北部、北緯78度に位置する「地球最北の村」で、30年以上暮らしている日本人がいる。伝統的生活を続ける先住民イニューイ(エスキモー)との暮らしを選んだ団塊世代の男性、大島育雄さん(58)だ。極北の狩猟民は今、地球温暖化の影響で、生活の足場を年々削り取られている。犬ぞりを駆ってアザラシやセイウチを追う狩人が見られるのは、あとわずかかもしれない。
 海氷の上を軽快に走るそり犬たち。年々、海氷がとける時期が早まり、犬ぞりを使える期間が短くなっている=グリーンランド北部のシオラパルク沖
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 小型船のキャビンで笑顔を見せる大島育雄さん
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「アッチョ、アッチョ(右、右)」。8頭のエスキモー犬が引く犬ぞりが、むちのうなる音とともに海氷上を駆け抜ける。5月半ば、大島さんと長男の海(ひろし)さん(28)の猟に同行した。白夜の北極圏。狙うのは、カナダ国境近くの海氷に生息するセイウチとシロクマだ。
2人が住むシオラパルクは、グリーンランド西海岸の最北部に位置する約20戸の集落である。南極の昭和基地よりも高緯度で、一般住民が生活の場としている世界最北の地と言われる。
東京出身の大島さんは1972(昭和47)年、日本大学山岳部OBとして、極地の高峰に遠征する準備のため、村を訪れた。同じ頃、冒険家の故・植村直己氏も滞在していたが、大島さんは冒険よりも極地での生活に強くひかれた。2年後、村の女性と結婚。狩猟を糧に家族を養う生活を続け、1男4女をもうけた。今は孫が5人いる。
出発して約1時間後、突然、濃紺の海が開いた。10年前まで、この時期にこれほど村に近い場所まで氷が割れることはなかった。以前は、10月から7月まで海は一面の氷だった。ここで排気量1リットルに満たないエンジンを積んだ全長7メートルの船に乗り換える。
廃船を譲り受け、自分で修繕した。これで気温零下20度の氷縁まで何日もかけて遠征し、単発ライフル銃でシロクマやセイウチと渡り合う。
大島さんや村の狩人たちは大型ボートやスノーモービルを使わない。代金や燃料代がかさむ分、動物たちを狩らなければいけなくなるからだ。
「地球最北の村」でさえ、90年代に発電施設ができて以降、次第にモノが増えた。「買うと余計なことをしなくてはならず、自分の時間が消えていく。まるで何かに操られているようだ」
そりは、狩りの獲物を動力源である犬の「燃料」とし、温室効果とは無縁だ。船も最小限。そんな生活をしている人たちが、モノのあふれる国が吐き出した温室効果ガスに追いつめられる。
海氷が突然割れ、猟師が犬ぞりごと流されることが増えた。船での猟は天候に左右されるため、より危険だ。何よりも海氷がなければ、海獣の猟は難しい。
商品経済の浸透で現金収入が重視され始めたことや、動物保護運動の盛り上がりも、何百年と続いてきた伝統的狩猟にとって脅威となっている。
海氷が減り、シロクマすら水死しているというニュースが村に伝えられた。極北の狩猟民はシロクマと同じ運命をたどるだろう。どちらも氷がなければ、生きていくことはできないのだから。
日本の同世代はそろそろ定年退職の時期を迎える。自分も、現役で猟を続けられるのは、あと2、3年――。そう大島さんは考えている。
◆キーワード
〈エスキモー〉 アラスカやカナダ、グリーンランドの極北民の呼び名としてエスキモーが使われてきたが、「生肉を食べる人」という意味もあり、避けられるようになった。現在はカナダの極北民を中心に「人々」を意味するイヌイットと呼ぶことが多い。エスキモーを自称する例もある。グリーンランドでは、イニューイ、グリーンランド人を意味するカラーリが使われる。
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