昨日は朝8時半から午後7時までぶっ続けの会議、その後皆で夕食に行き午後9時半にホテルの部屋に戻りました。会議はすべて英語なので、プレゼンテーションを聞くのに精力を取られ疲れました。医学の専門家によると、脳が消費するエネルギーは人体の総エネルギー消費量の20%を占めるそうです。今日みたいに集中すると20%が40%になったんじゃないかなどといって、皆さん晩飯を多く食べる口実にしていました。
プレゼンテーションの内容は生命科学や材料科学が主要なテーマでした。私の専門領域と外れているので、プレゼンを理解するのにも集中力が必要です。英語よりも、こっちのほうが疲れの主な原因ですね。 私はまだ息が切れるので、ちょっとの時間ですが部屋に持ち込んだ酸素ボンベから酸素を吸って元気を取り戻しました。気持ちを集中させているとそのときは疲れを感じませんが後でどっときます。抗がん剤注射を2回休みにしたせいか昨日から咳が出始めました。今日1日何とかもって下さい。 関係者に「これが最後のお勤めになると思います」というと、何をおっしゃると笑われます。私は一見まだ元気に見えるようです。うれしいよりも何かつらい複雑な感じがします。 英語会話の中にどっぷりつかると面白い経験をすることがあります。日本人同士が日本語で会話しているとします。私がその横を通り過ぎるとき、その会話が耳に入ってきます。ところが、頭の中は英語モードにスイッチされているので、無意識のうちに会話の中から英語の単語を必死になって探しています。時々英語らしい単語を拾い出すのですが、英語に聞こえません。不思議なことに、その会話が非常に奇妙な外国語に聞こえるのです。しばらくたって、頭のスイッチが日本語モードになると、突然会話の内容が理解できるようになります。これは非常に奇妙な体験です。 昨日はイタリアのエリチェの話をしましたが、エリチェに滞在している時のように1週間以上一度も日本語を使わないとこの奇妙なことがよく起きます。 脳の活動を理解するのは一筋縄ではいかないことを感じます。 今日はまた8時半から昨日の続きです。今日も終わりは7時を覚悟しなければなりません。夕食は和食になります。 今日から始まる2日間の打ち合わせのため、昨日ニューオータニにチェックインしました。田舎者ですので、しばらく東京都心の夜景に見とれていました。海外出張ではせいぜい3星クラスのホテルを利用しますので、外国では夜景を楽しむどころか、夜の闇に沈んだように滞在します。
海外出張先は大都会と田舎が半々です。田舎はどこもすばらしいですね。昔、国際夏の学校の講師を引き受けていたため、シチリア島の西の端にあるエリチェという片田舎の集落に、数年間、夏に2週間ほど滞在しました。イタリアの高名でかつ影響力のある物理学者が約40年前にこの学校を始めました。当時この集落は廃墟となっていて、それを復活させたのがこの校長先生です。 エリチェは数100mの孤立した山の上にあり、ほとんど毎日激しい雷雨があります。そのためすぐ停電するのですが、校長は頭に来て自家発電機を設置し、停電を自動的に検知して瞬時に電力を切り替えるシステムを導入しました。停電のとき一瞬暗くなりますが、パソコンが落ちることもありません。校舎は古い廃墟となっていた教会を改造したもので、2階の吹き抜けからの眺めには息を呑みます。まずい写真ですが下に示しました(クリックすると大きくなります)。 海は地中海でエリチェはアフリカに近い村です。アフリカから砂が飛んでくるとのことです。アフリカ系の名前も時々耳にします。 エリチェの歴史は古く、紀元前730年ころギリシャの移民から始まったそうです。中世にはバイキングがはるばるここまで攻めてきて城を作りました。下の写真の左手岩の上にある廃墟がその城です(クリックすると大きくなります)。 集落は高所にあるので夜は夏でも冷え込み靄がかかります。下の写真は集落の一角ですが、前方のカップルは校長ご夫妻です(クリックすると大きくなります)。 エリチェの真下にトラパニという町があります。校長のご先祖はこのトラパニのファミリーということです。校舎にするため廃墟となったエリチェの修道院を改装していたとき、職人が漆喰を削っていたら、「17xx年yy(校長のご先祖の名前)の寄付」と書かれた絵が現れたといっていました。 校長は今でも隠然たる勢力を誇り、夏の学校の卒業式のパーティーには大勢のシチリア地方政府高官が出席します。外国から来た研究者が泥棒にあってカメラなどを盗まれると、彼に相談すれば盗品はすぐ返されるとのことです。ちょっと想像を絶しますが、アフリカに近いイタリアのはずれで本当にある話しです。 都会になじめない者が、昔印象に残った田舎の風景を思い出したので紹介した次第です。 昨晩は、今日から始まる打ち合わせに先立ってレセプションが開かれました。ヨーロッパから来た2人は私の知り合いで、久しぶりに歓談しました。ヨーロッパからはこの2人だけで、あと何人かアメリカから来ていましたが、知り合いはあいにくいませんでした。 しかし、きらびやかな一流ホテルの内装はどうもなじめませんね。 8月22日に、2006年4月から2007年1月までの抗がん剤治療とCT写真から得られる腫瘍サイズの関係を記録しました。今日は、その後の経過を記録します。
2007年2月20日のCT写真から、抗がん剤のオキサリプラチンの効果がなくなってきたと書きました。これは正確な記述とは言えません。 イレウスのために、1月26日からオキサリプラチンの注射を中断しました。前回にも指摘しましたが、抗がん剤注射に1ヶ月ほどの休息期間をおくと、腫瘍が最活発化してサイズが増大します。つまり、オキサリプラチンの効果がなくなったと考えるより、注射の中断の効果と考えることもできます。 主治医の先生と相談の上、薬を代えることを決断しました。オキサリプラチンに代えてイリノテカンを使います。この薬はオキサリプラチンに上乗せするのではなく、オキサリプラチンをやめてイリノテカンにするのです。併用する5FUはそのままです。イリノテカンは副作用として激しい下痢があります。 CT撮像の翌日2月21日に第1回のイリノテカン注射を行いました。吐き気はオキサリプラチンよりやや強いですが、恐れていた下痢はなく逆に便秘になりました。薬剤の先生に便秘という副作用はパンフレットについていませんが、とお聞きすると、便秘は大した副作用ではないので書いてないが、多くの人が便秘になります、とのことでした。頻度の高い副作用なら、それが重篤でなくてもパンフレットに書き込むべきですね。 2回目の注射はちょっと時期がずれますが、3月12日でした。3月6日から10日までアメリカに行ってきたためです。4月下旬にどうしてもアメリカに行きたい用事がありましたので、その予行演習もかねて思い切ってシカゴまで往復しました。アメリカのある研究所の評議員(Board of Directors)を頼まれていて、3月7,8日の会議に出席しました。ちょっとしんどかったのですが、体調に変化もなく無事に帰国できました。もう少し働けるかなと、少し自信もつきました。 3回目の注射は3月30日。無事に終わりました。残念ながら、腫瘍マーカーに顕著な変化がなく、3回の注射の効果はまだ出ていません。(8月17日の図をもう一度見てください)。 4月2日突然発熱しました。38.8度。私はめったに体温があがらないので、異常だと思い病院に行きました。採血結果では炎症の程度を表すCRP値が低かったようで、解熱剤と抗生剤をもらって帰りました。解熱剤の効果は約12時間ありますが、薬が切れてくると体温は上昇。結局症状が改善せず薬も切れたので4月9日病院に行きました。今度は採血と胸部X線撮影。CRP値は21に上昇。先生と一緒に写真を見ると両肺のほとんどすべてが白くなっています。肺炎だということで、また緊急入院。やれやれ。 直ちに抗生剤の点滴が始まりました。ところが一向に熱が下がりません。解熱剤が切れると40度まで体温が上がることもありました。食欲はまったくなくなり、栄養剤の点滴を始めました。血液中の酸素も減り酸素吸入も始まりました。一時6リットル毎分まで酸素吸入を増やしました。 呼吸器の先生も応援に入りました。4月16日間質性肺炎の疑いでステロイド点滴開始。劇的な効果があり、熱も急速に下がりました。ステロイドの影響もあって食欲も出てきました。 しかし、肺の影は一向によくなりません。長期戦を覚悟しました。楽しみにしていた4月下旬のアメリカ行きはこの時点でキャンセル。何人かの皆さんに迷惑をかけましたが、打つ手がありませんでした。 その後、点滴からステロイド剤を服用することになりました。酸素吸入量もだんだんに減らしていきました。しかし、トイレに行くのにも息が切れて苦労です。歩かないと足がなえるので、酸素ボンベを引きずり、クラクラしながら散歩を続けました。4月下旬になるとだいぶ元気になり、妻に買ってきてもらったe-mobileをラップトップにつないで、ようやく外部世界との連絡ができるようになりました。5月2日外泊許可がでて在宅酸素の準備も整ったのでようやく家に帰りました。その後容態に変化がないので5月7日正式に退院しました。 肺炎の原因は何だったのでしょうか。イリノテカン注射後2日後に熱が出始めましたので、イリノテカンによる薬剤性間質性肺炎の疑いが最も高いということでした。残念ながら、イリノテカンの注射はここでストップせざるを得ません。 2006年12月21日と2007年2月20日に撮ったCT写真で、同じ部位の3コマを紹介します(下図。クリックすると大きくなります)。 左2コマには昔患ったサルコイドーシスの炎症痕が見えます。2月20日の写真には左右両肺に新たな影が増えています!私はこの影に気づいていたのですが先生と相談するのを忘れていました。事後になりますが、この影は間質性肺炎の前兆だったかもしれません。1例では確認しようがありませんが、もし3月にCTスキャンが行われていたらもう少し確かな情報が得られていたでしょう。 CTは放射線の被爆量が多いので頻繁に行うとかえって体に悪い影響を与えます。X線量を半分以下に減らし、さらに安価な装置ができればいいと思います。そうすれば、もっと気軽にCTスキャンができるようになり、副作用の予防に効果を発揮できるでしょう。 昨日8月27日の朝日新聞の「私の視点」にカート・キャンベル氏とマイケル・グリーン氏の(多分)投稿記事が載っていました。アメリカの高名な知識人のエッセイですが、アメリカの国益ばかりを考えているのではなく、世界の中でわが国がどうのように位置づけられているか、という視点で公正かつ論理的に書かれています。世界情勢に音痴な落ちこぼれの科学者でも十分理解できる優れたエッセイだと思いますので、ご紹介いたします。ただし、「」内の文章は新聞から引用していますが、本質的でない部分は省略していますので、ご了承ください。
私の誤りでなければ、日本の民主党がテロ特措法に反対する唯一の理由は、「海自のインド洋での活動について、国連決議がなく正当化できない」、とのことです。 民主党の小沢代表がテロ特措法延長阻止を決めたことに関して両氏は以下のような議論を行っています。 小沢氏の認識に対して、 「海自艦船をインド洋から撤退させても、ブッシュ・安部政権だけが傷つくだけと考えているようだ。」 下の引用文にもありますが、両氏は、「それは誤りだ」と指摘しています。 小沢氏が日米関係に多くの努力をしたかについて、 「約20年前、(小沢が)官房副長官として日米同盟を守ろうと努力したことを記憶しているアメリカ人は失望している。」 「イラクがクエートに侵攻した際、日本が指導的役割を果たすことに期待が高まったが海部内閣はそれに答えることができなかった。当時、小沢氏は自民党内で誰よりも熱心に日本の外交的立場が崩壊するのを防ごうと努力した。」 アメリカの認識と日本民主党の認識のギャップについて、 「日米関係を損なっても、米国で民主党政権が誕生し、日本でもそうなれば忘れられてしまうと考えている(としたら)それは誤りだ。」 「アフガンでの戦いについては、米国内では党派を超えた幅広い支持がある。日本が有志連合から抜けたら、米の次期政権が日本の同盟国としての信頼性に疑問を抱くことは避けられない。それは共和党でも民主党でも変わらない。」 日本の民主党がアメリカとの関係を見誤らないことを期待したいと思います。 米国以外の国々はいかに考えているかについて、 「パキスタンのムシャラフ大統領とアフガンのカルザイ大統領はともに海自貢献を高く評価。インド政府も日本との戦略的関係の強化に熱心でインド洋における海自の活動を歓迎。」 「ペルシャ湾岸諸国の間では、中国がこの地域に対するアクセスと影響力を強めようとしているなか、日本の陸海空自衛隊の派遣は高く評価されている。」 アフガンでの活動の意義について、 「(アフガンに)カナダ、豪州、韓国、ニュージーランド、NATOの各国もいる。世界の主要な民主主義国家がそろってアフガンに関与しているのは、文明とテロリズムの戦いとみているから。」 小沢氏がテロ特双方延長阻止に成功し、近い将来民主党が政権の座に着いたとき、 「カナダや豪州の首相に何と語るのか。」 国連関係、 「日本の国連大使は、テロ特措法が期限切れとなり海自が撤退したあとに、日本は安保理の常任理事国として責任を果たす準備ができていると説明できるのか。」 北朝鮮関係、 「日本がインド洋から撤退し、日米同盟が力を失って漂流状態に陥ったとき、拉致問題の解決に向けて北朝鮮と交渉する外交官はあわれだ。」 民主党に関係する知識人は、学生が言うような青臭い意見でなく、世界のパワーポリティクスを直視して、以上の意見に対して項目ごとにぜひ反論意見を投稿していただきたいと思います。ただし、意見は事実に基づき論理的であって、各国の新聞に掲載されても十分説得力のあるものでなければなりません。
今日は月曜日ですが抗がん剤注射はお休みです。来週の注射のことを考えるともう憂鬱になります。注射に終わりがないというのは、前にも書きましたが、精神衛生上よくありません。しかし、あくまで個人的な問題ですので、気合を入れて頑張れるところまで頑張ります。
私は別にがん克服を人生目標にしているのではありません。がんを単なる病気の一種と捉え、その治療を行っているに過ぎません。 研究活動が不可能になった今、お国のためになることで私にできることがあれば最後まで貢献したいと思っています。当面は、今週2日間ある会議にぜひ出席して有意義な貢献ができればいいなと思っています。 あと、週に2回ほどお手伝いに通っている某法人での仕事があります。まあ、私の立場はシンボル的な存在だということは十分わかっていますが、昔の仕事の癖が抜けず皆さんにご迷惑をかけています。仕事の内容を言うわけにいきませんが、今後の法人のことをつらつら考えるとき、今のお手伝いを継続しつつ、研究者として過ごしてきた経験を元に何らかの個人的な提言をまとめたいと思っています。 アメリカ某研究所の評議員(Board of Directors)の仕事を今後どうするかを早急に決めねばなりません。来週9月3日のCT写真や腫瘍マーカーの値を見ながら主治医の先生とちょっと相談したいと思います。第2回の評議会は6月14,15日にあったのですが間質性肺炎の療養のためアメリカ出張ができませんでした。先方で電話会議を設定してもらい、6月14日は朝5時から8時半まで電話を握り続けました。自宅電話の子機を使うと電池切れになる恐れがあるので携帯に充電用コードをつないで行いました。ほとんど聞き役ですが音質が悪くあまりうまく聞き取れませんでした。それでも最後に2,3コメントしましたが・・・。言い足りないことがあったので研究所長と幹事に詳しいコメントをあとでメールしておきました。第3回目の評議会は10月4,5日に開かれます。この会議のためにアメリカまで行けるかどうかが鍵です。 私は20年近く数10人のアメリカ人研究者と一緒に仕事をしてきました(その前の10年間は数10人のヨーロッパ人と仕事をしていました)。私にとって、アメリカ人と一緒に仕事をするほうが日本人と仕事をするより楽でした。またそのおかげでよい研究成果を出すことができました。そのため、アメリカの科学にも微力ながら貢献したいという大それた思いがあり、今回の評議員を引き受けた経緯もあります。何とか続けたいのですがどうなりますか。 主治医の先生にはこういう個人的な相談をすることは難しいですね。むしろ同じような境遇の患者さんの経験を、インターネットを介して聞くことができるような仕組みがあればいいなと思います。政治的に動く患者団体ではなく、経験を共有する団体がほしい。たぶんもうあるのでしょうが、怠け者なので探してもいません。 さて、最近仕事やブログに使っているパソコンのハードディスクが御臨終間近のようで、昨日も3回ほどクラッシュしました。今日、昔の仕事場(奥飛騨でなく柏)においてあるパソコンと交換に行こうと思っています。今使っているパソコンにはいろいろなユーティリティーを入れてありますので、別のパソコンにそれらを再びインストールするのは結構時間がかかるものです。 仕事関係などすべての情報は小型の80GBハードディスクに入れてあり、それをパソコンにUSB接続して使っていますので、パソコンが壊れても情報がなくなることはありません。仕事の情報は暗号化して入れてあります。 今日も酷暑ですので、暑さを避けるために夕方旧仕事場に出かけます。この暑さでは節電など不可能ですね。今使っているパソコンだって、エアコンを切って使えばおかしくなります。8月11日のブログ「地球温暖化対策、社説、論説委員は気楽な稼業」にも書きましたが、省エネで不愉快な生活を強制するより、温暖化ガスを出さない発電をもっと充実させるべきです。私は原発に賛成ですので、どんどん推進してほしいと思います。 20世紀の最も偉大な発見は下の図の2つの方程式で表すことができます。 2番目の式を使っているのが原発なのです。この式は太陽のエネルギー発生を表していますし、宇宙のすべてのエネルギーに深く関わっている式でもあります。 8月19日に「奥飛騨の山歩き、木々の名前その2」を書きました。今日はその第3弾です。
奥飛騨の仕事場から国道41号線を横切って集落を2,3分で抜けると、もう茂住峠へ向かう林道の入り口です。 最初のヘアピンカーブを曲がってしばらく歩くと、左は急峻な登り勾配の山肌になります。道路際には、アブラチャンやキブシの卓越した低木が生えています。時々サワシバも目にします。右は逆に急峻な下り勾配の山肌で、オニグルミの大木がしばらく続きます。オニグルミの根は、山肌のだいぶ下にありますから、手の届くところに花がつき実もなります。秋には、この実を手で取ることができます。 低木は背が低いので、手の届くところに葉、花、実がありますから、観察は容易です。高木は、高いところに枝が張り出すので、木々の名前を同定するには下に落ちた枯葉や枯れ枝を持ち帰って観察する必要があり、結構難しいですね。 さて、道路の左側に、下の写真のような、何の変哲もない木ですがちょっと変わった葉のつき方をした低木がところどころに生えていました。 葉の説明をすると、「対生、葉身は長楕円形、基部は円形または浅心形、尖頭、縁に重鋸歯」と難しい表現になりますが、サワシバに似た葉です。サワシバの葉は互生で、基部ははっきりとした心形ですので、サワシバではありません。家に帰って葉の形から検索すると、この木の名前は、「チドリノキ」と出ました。参考までに、チドリノキとサワシバの葉を比較した図を示します(吉山寛、石川恵美子、『落葉図鑑』、文一総合出版より)。 ロマンチックな名前で、仕事場近くで最も印象的な木のひとつです。 驚くのはこれからです。この一見普通の低木に見えるチドリノキは、カエデ科、つまりモミジの仲間です。モミジの葉は、手のひらの形をした、いわゆる分裂した単葉ですが、チドリノキの葉は、見ての通り普通の葉っぱの形をしています。同じ仲間なのに、この多様性には驚かされました。 なぜチドリノキがカエデ科と分かるのか、という疑問ですが、実を観察ししてみます。モミジとそっくりな翼のついた特徴的な実をつけるのです。これで納得。 カエデ科には、ヒトツバカエデという、やはり分裂していない普通の葉をしたカエデがありますが、こちらの葉はかなり大きく、簡単に区別できます。 生物はなぜこのような多様性を持っているのか。リンネに始まる生物の分類学から今日の分子生物学まで300年間の生物学の歴史をもってしても、この疑問に納得のできる答えは得られていません。 8月8日にガンジーに関する記事を書きましたが、昨日8月24日のCNN.comの記事には同じようなショックを受けました。今日CNN.comに入ったらもう記事が消えていましたので、残念ながら参照することはできません。記事は、新刊本「Mother Teresa: Come Be My Light (Double Day)」の内容に基づいていますので、興味のある方はこの本を参照していただきたいと思います。この本は、マザー・テレサとざんげ聴聞司祭たちの間で交わされた未発表の手紙類を整理したものだそうです。
私は骨の髄まで無神論者ですので、私の紹介が正確かどうかは自信がありません。あくまでも私個人が衝撃を受けた印象として受け取っていただきたいと思います。 よく知られているように、マケドニア生まれのマザー・テレサはスラムの聖者と呼ばれ、1948年以来40年以上にわたってインド・コルカタで貧者や病人救済のための活動を行ってきました。1979年にはノーベル平和賞を受賞。1997年に87歳で亡くなりました。 1946年、彼女はキリストの声に導かれてコルカタでの貧者救済のミッションを始めた、神への深い信仰が40年以上にわたる貧者救済の困難なミッションを彼女に継続させた、というのが大方の理解だと思います。 記事の一部を引用します。 「one of the great human icons of the past 100 years, whose remarkable deeds seemed inextricably connected to her closeness to God and who was routinely observed in silent and seemingly peaceful prayer by her associates as well as the television camera, was living out a very different spiritual reality privately, an arid landscape from which the deity had disappeared. 」 マザー・テレサは、過去100年で最も偉大な聖者といわれ、彼女の驚嘆すべき行為は神へ近づこうとする信仰に支えられ、いつも心静かに祈っている人物である。しかし、神が消え去ってしまった砂漠のような光景の中に埋もれて生きてきた孤独な人物、という一面が浮かび上がってきた。 さらに彼女自身の記述として、 「The smile is a mask or a cloak that covers everything. I spoke as if my very heart was in love with God — tender, personal love. If you were [there], you would have said, ‘What hypocrisy.’」 微笑は仮面、すべてを隠すコートです。私の心は神への愛の下にある、と言ってきました。しかし、あなたがそこにいらっしゃったら、「なんていう偽善なんだ」と言ったことでしょう。 「What do I labour for? If there be no God — there can be no soul — if there is no Soul then Jesus — You also are not true.」 私は何のために働いているのでしょう。もし神が実在しないのなら、霊魂もない。もし霊魂がないのなら、キリストよ、あなた様も本当はいなかったのでは。 マザー・テレサはミッションを始めた直後から死ぬまで、「神がそばにいない」という懐疑の念を持ち続けていた、と書かれています。 それでは、彼女の40年以上にわたる困難なミッションを支えてきた精神的支柱は何だったのか。ざんねんながら記事だけでは分かりません。 彼女の信仰の原点は、キリストが十字架の上で叫んだ言葉、「My God, My God, why have you forsaken me?」(おお神よ、なぜあなたは私を見捨て給うのか)にある、という記事を見ると、スケールの違いはあれ、マザー・テレサも同じ困難に直面し続けた、と言えなくもありません。 その中にあっても、40年以上にわたってミッションを継続してきた彼女の強固な精神に深い敬意を払わざるを得ません。 聖者とまでたたえられた人物の精神にこのような葛藤があったとは、無神論者の私にとっても大変意外でした。 Heaven(天国)は本当にないのか。誰もが死に行くとき、それが真実かどうかを実体験します。私も最後の科学的作業としてそれを観察できるでしょう。残念なのは観察結果をあなたに伝えることが不可能なことです。 8月21日に、インターネットからの情報を元に、日本一の東京大学を紹介しました。
第二弾は、附属病院を持つ地方大学の代表として山形大学を紹介しましょう。 私の息子は東北の某大学で勉強もせずにバレーボールばかりやっていました。山形大学で学会があったとき、たまたま彼もバレーの地区大会とやらで山形大学に来ていました。暇を見て試合場に足を運び、息子の試合振りを初めて見ました。そういう思い出から山形大学を選んだのであって、別に他意はありません。 早速山形大学のウェブサイトから財務関係の情報を引き出します(2005年度)。東京大学と比較するため、各項目の値を東大の値で割った比も掲げています。下の表がそれです(表をクリックすると大きくなります。) 特徴をいくつかあげると、 ・学部学生が圧倒的に多く、大学院生数は学部生数の7分の1くらい。 ・東大と比較すると、学部生数は東大の56%と結構多いが、大学院生数は東大の10分の1。 ・教官や職員の数は学部生の17%くらい(非常勤含む)。東大では、この比は30%以上になる。つまり、山形大学の教官一人は、東大に比べて2倍の学部生の教育を行わなければならない。 ・教官や職員の数は大学院生の110%くらい。東大では、この比は30%強。山形大学の教官一人は、東大に比べて3分の1以下の大学院生の研究指導を行っているに過ぎない。 主な収入の中で、運営費交付金が112億円で39%を占めます。いい忘れましたが、運営費交付金は年々1%ずつ減らされているのです!受託研究は6億円でたったの2%です。東大と比較すると、運営費交付金は8分の1、受託研究は実に50分の1です。教官の研究費の源はほとんど受託研究ですから、東大と比べて研究の格差がひどいですね。 病院からの上がりは主要収入の38%になります。同じ比が東大だと18%。病院がうまく儲けを上げているかどうかは東大に比べて死活的に重要で、もし病院収入が28%にダウンしたとすると、教育研究経費をゼロにしなければならなくなります!主要な収入の合計は約290億円。東大の17%くらいです。 次に使い道を見てみます。主要支出は約275億円ですが、そのうち人件費が63%を占めます。東大の比率は48%でしたから、財政の硬直化がいっそう進んでいることがわかります。教育研究費は人件費の6分の1でたったの28億円。これで8000人の学部生と1300人の大学院生の教育研究をまかなえと、大学執行部は命令しているわけです。上に書いたように、病院経営がおかしくなると、この教育研究費がもろに影響を受けます。 山形大学の教授さんたちがよく反乱を起こさないで耐え忍んでいるな、と感心してしまいます。これはもう悲惨を通り越して喜劇に近いような気がします。学長さんや役員でもない限り、大学の先生方はこのような情報にトンと無頓着なので危機感を持ちようがないのでしょう。 山形大学をさらに発展させるにはどうすればよいか。学長さんもよい知恵は浮かばないでしょう。私にもありません。 (続く)
今日は久しぶりに東京に出かけます。午後6時から8時までの会議です。その前に人と会う約束があるので午後一番に出発です。明日も午前中会議があり、午後人と会うので、一日中東京にいます。関係者には失礼ですが、週に1,2日外出するのは気晴らしになり精神衛生上よい効果があります。
現役時代研究者として国から多くの支援を受けましたので、微力ながら少しでも恩返しができたらと、体力が続くまで努力したいと思います。 今日は昨日の朝日新聞夕刊に載った記事「柏崎原発。閉鎖視野に処理を」について簡単な意見を書きたいと思います。早めに投稿します。 内容は、「柏崎刈羽原発の閉鎖を考える科学者・技術者の会」なるグループが、「今後も原発周辺で再び大地震が起きる可能性がある」と指摘、「重要機器の安全性を検証するには、地震の揺れをもとにシミュレーションするほかなく、安全解析は不十分だ」といった、というものです。 この記事に関する、私の意見を箇条書きにしておきましょう。 •このグループの所属する科学者・研究者のレベルが世界的に見てどの程度かの記述がなく、したがって記事に値する内容を含んでいるのかどうかがはっきりしません。 •この記事は朝日新聞の科学記事ではなく(asahi.comサイエンス欄にない)、たぶん社会部関連の記事かと思います。朝日新聞が原発推進に批判的なことはよく知られており、それに合致する記事を重点的に取り上げる作業の一環という印象を持ちます。8月18日のブログにちょっと書きましたが、いわゆるバイアスをかけて記事を選択する一例です。 •「今後も原発周辺で再び大地震が起きる可能性がある」は、その根拠が明白に書かれていないので、いわゆる「人心を惑わす」意見の一種と思われます。この「指摘」をみて、かつて科学者の片隅にいた私は、ちょっと怒りを覚えます。 •地震学者を名乗るならは、「可能性がある」は科学的言葉でないことが分かるはずです。もし発言するのなら、「何年以内にxx程度の規模の地震が起きる確率はyy%である」と、いくつかのxxに対してyyの値を提供すべきです。もしそこまで言えないのなら、地震学者の努力不足のために地震学はそこまで進歩していない、発言すべきでしょう。 •そもそも、地震学の一番重要なミッションは「地震を事前に予知する」ことです。「もし24時間以内にxx規模の地震が起きる」と科学的に予言できれば、原発を地震の来る前に停止させることができ、少しくらい周辺が壊れてもまったく安全のはずです。地震予知が、原発の安全に対する最善の手段なのです。いやしくもプロの地震学者なら、なぜそういう発言をしないのでしょうか。 •地震予知に関する研究は衰退の一途をたどっています。「科学研究費補助金」という、研究者が最もよく利用する研究費があります。そこに登録されているキーワードを検索してみても「地震予知」または関連するキーワードは見つかりません。一部の地震学者、特に東大の一教官は「地震予知は不可能だ」と公言しているそうです。優秀な科学者は、自分の専門分野で「不可能」という言葉は絶対に使いません。何か重要な課題があったら、何としてでもやり遂げるという意思がなければ、一流の科学者ではないのです。 •私は、地震予知の研究を怠るという地震学者の怠慢を、声を大にして糾弾せざるを得ません。 •「地震の揺れをもとにシミュレーションするほかなく、安全解析は不十分だ」は理解不能です。シミュレーションで安全解析をするのです。「地震動の定量的な情報を地震学者が提供できない」ので、シミュレーションにインプットする信頼できるデータがないと、言いたいのでしょうか。もしそうなら、地震学者の怠慢をここでも自ら晒しているのです。 ちょっと興奮してしまいました。情けないことをいう研究者を見ると、つい昔の癖が出て怒鳴りつけたくなります。
8月17日に、2006年4月から2007年1月までの抗がん剤治療と腫瘍マーカーの関係を記録しました。今日は、腫瘍のサイズに関して記録しておきます。
主要マーカーは確かにがん腫瘍の活発度を表すよい指標ですし、腫瘍マーカーの時間変化を見ることで抗ガン剤の効果を判定することができます。私の再々発大腸がんの例は、8月17日のブログに示したとおりです。 しかし、腫瘍マーカーが10倍以上にジャンプしたといっても、腫瘍の大きさがそれに比例して10倍以上になったとはいえません。そこで、CT写真を比較して腫瘍サイズの時間変化をモニターし、抗ガン剤の本当の効果を判定する必要があります。私の場合は、約2ヶ月に1度の頻度でCT撮像を行ってきました。 私の再々発がんは右肺に10個以上集中し、左肺にも多分4個ほどの腫瘍があります。他の臓器には今のところないようです。肺は内部がほとんど中空なので、素人でもCT写真の中に腫瘍を見つけることができます。特に時間変化を追っていくと、腫瘍はサイズが変化するのに、血管の像は動きませんので、判別することができます。 ちょっと奇異に感じたことがあります。医師の先生方は、前回のCT写真と今回の写真を見比べて、変わらないなとか、少し大きくなったかな、などと説明してくれます。しかし、前回の大きさは何cmで今回は何cmですよ、とは説明してもらったことはありません。多分、治療方針を決めるのに、明らかに腫瘍が大きくなった、例えば2倍以上になった、という判断で十分だから、腫瘍サイズの計測などという面倒くさいことをやる必要がない、ということだと思います。もしかしたら、医学部にいく生徒さんは数学が苦手なので、医学部を卒業した医師は、そもそも数値化という発想がないのかな(失礼)。 私は商売柄どうしても数値化しないと気が済みません。そこで先生にご無理をいって、写真のコピーを頂いてきます(電子媒体でもらえればそれにこしたことはないのですが・・・)。CT写真のコマはかなり小さいので計測するのは難しい。そこで、CT写真をライトパネルの上に固定し、マクロレンズを装填したデジカメでもう一度撮影します。デジタル情報になればしめたもので、コンピューターに取り込んでいろいろ料理することができますし、画像の比較なども簡単にできます。 腫瘍サイズの計測は、原始的ですが、腫瘍の写っている画像をA4の紙にプリントアウトして定規で測ります。測定の誤差は20%以下くらいでしょうか。小さい腫瘍には1mmくらいの誤差が付きます。腫瘍サイズを何cmという絶対値で測ることは難しいので、変化のない部分、脊髄の中心と肋骨前部との間隔を基準にして、相対値を出します。腫瘍サイズの時間変化を見るには相対値だけで十分です。ただし、CT写真にはcm単位の目盛り(多分、未確認)がついていますので、相対値からcm単位の絶対値に変換することもできます。 抗がん剤の副作用で気持ちの悪いときにこんな作業をするのはしんどいですが、そこは年金生活の利点を生かし、時間をかけて行います。 結果を下の図に示しました(図をクリックすると大きくなります)。 図の説明をちょっとします。左の縦軸は腫瘍サイズの相対的大きさ。右の縦軸は腫瘍サイズの大きさをcmで表しています。これは目安と考えてください。横軸は年月日です。腫瘍にはT1からT12まで番号をつけてあります。右肺で私が見つけることができた12個の腫瘍です。T6のサイズが2007年6月にゼロになっています。間質性肺炎の炎症がこの部分でひどく、腫瘍サイズが測れなかったためですので無視してください。T3の腫瘍が他と比べて倍近く大きいことが分かります。他の11個は、最初はどんぐりの背比べの状態にありました。 2005年10月の再々発発見から2月下旬まで、治療は行わず放置の状態にありました。そのため、腫瘍が倍近く大きくなっています。腫瘍マーカーは、同じ期間に10倍以上になっていました。その後6月までは、大部分の腫瘍のサイズがいくらか小さくなっています。同じ期間に腫瘍マーカーは10分の1以下になりました。腫瘍マーカーが小さくなったといっても、正常値よりはずっと大きな値ですから、腫瘍は活発で、抗がん剤との戦争で敵味方ほとんど均衡状態にあることが分かります。8月から12月まで、腫瘍サイズはほとんど変化がありませんでした。 例外は一番大きなT3で、8月以降増大しているようです。大きな腫瘍には抗がん剤が比較的効きにくいことをあらわしているかもしれません。 今年に入って、抗がん剤注射をやった1月26日から2日半後の1月29日未明、突然の腹痛に襲われ、夜中の3時に妻の運転で病院に駆け込みました(病院が近いことの利点)。予想通りイレウス(腸閉塞)でした。2000年11月の大腸がん切除手術の際、小腸の一部に癒着がおき、通りが悪くなっているのです。過去にも4回ほどイレウスを起こしました。 抗がん剤注射直後で腸の働きが弱っていたのに、ちょっと筋のある野菜を食べたのがまずかったと思います。そのまま入院。白血球は500まで下がり、外科の先生が「腸が腐ってきたとき手術をやるのがいやだなあ」といっていました。腹痛の中で何回も強烈に吐き続けました。幸いなことに、数日後お通じがあり、その後急速に回復し、2月9日無事退院しました。 イレウスのために2月の抗がん剤注射は休まざるを得ませんでした。 2月20日CT撮像。ついにほとんどの腫瘍が成長をはじめました。17回続けてきたオキサリプラチンの効果がなくなってきたことを示しています。副作用にめげずに頑張ってきたのに残念です。 (続く) < 前のページ次のページ >
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