昨日9月29日のブログの続きです。
1632年、ガリレオ・ガリレイは「天文対話」を出版しました。前にも書きましたが、新進の哲学者いやむしろ科学者と言っていい人物が対話形式の中で「地動説」を主張し、天動説をとる伝統的な哲学者をこっぴどくやっつけるという筋立てです。 ガリレオは地動説によってダーウィンとは比較にならない苦悩を負うことになりました。 ヨーロッパの歴史を見ると、1500年代に宗教改革の嵐が吹き始め、そして強く吹き募りました。1600年代に入っても宗教改革の余波は続き、1618年から1648年まで続いた30年戦争でヨーロッパは荒廃の極みに達しました。主戦場となったドイツの人口は1600万人ら600万人へ3分の1に減り、村落の6分の5は破壊されたといいます。 余談ですが、この1年くらい、1500~1600年代の大陸ヨーロッパの歴史を繰り返し読みました。 理由はイラク戦争を何とか理解できないか、と思ったからです。イラクではイスラム教の2宗派が血で血を洗う凄惨な戦いをしています。これはまさに宗教戦争ではないのか。それでは、400年前に起きたヨーロッパでの宗教改革ではイラクのような悲惨なことは起こらなかったのだろうか、と思ったからです。 上に見たように、1600年代のヨーロッパは現在のイラクが平和でのどかに見えるほどの惨禍の中にありました。何の教訓を得たことにもなりませんが、イラクでも人々があきらめるまで殺し合いは続くのかな、と暗い気持ちになりました。 ところがこの時代、ちょっと南によったイタリアではまだまだルネッサンスの興奮が収まっていないときだったのです。しかし、バチカンは伝統的キリスト教を守ろうと大変神経質になっていた時代です。 ガリレオ・ガリレイが生きた時代はこのような激動の時代でした。 天文対話を読むと、ガリレオの考え方は現在の科学者とちっとも変わっていません。観測事実を重視し、幾何学など数学の知識を駆使して観測事実を解釈しようとしています。「解釈」と書きましたが、観測事実を何とか体系的に理解できないか、つまりうまい理論が組み立てられないか一生懸命考えることです。 ガリレオの時代に最新科学機器として望遠鏡が登場しました。この威力は絶大で、木星の衛星、彗星、太陽の黒点、金星の喰、月面のでこぼこなど、次々と新しい観測事実が加わりました。 これらの観測事実から必然的に出てきたのが、コペルニクスの提案した新説、つまり、大地の周りを太陽や惑星、星が動いているのではなく、太陽を中心として地球や惑星が動いている、という解釈でした。地動説です。 しかし、世は激動の時代。ローマ教会が黙っているわけはありません。1633年の宗教裁判でガリレオは有罪となり、地動説の放棄を命令され、火あぶりの刑は免れたものの自宅軟禁の身となりました。1642年盲目となったガリレオは幽閉先の地アルチェトリで死にました。 その間、数年をかけて完成させたのが最後の本「新科学対話(Two New Sciences)」です。この本が近代科学の夜明けを告げる本だったのです。 お恥ずかしいですが私はまだこの本を読んでいませんでしたので、先日Amazon.comに注文しました。古本ですが4207円也。 さらに蛇足ですが、新科学対話を出版したのはオランダのエルセヴィエ(Elsevier)社でした。これにはちょっと驚きました。というのは、私が働いてきたグループは何10編もの論文をエルセヴィエのジャーナルに発表したからです。また、私は最近までジャーナルのエディターも勤めました。知人のエルセヴィエ国際出版部長からはまだ時々メールが来ます。 ガリレオが死んだ年の1642年、イギリスでアイザック・ニュートンが生まれています。(300年後の1942年、私が生まれました。関係ありませんが。) その後の歴史には少し心休まるものがあります。ウィキペディアによれば、 1737年、ガリレオの遺体はサンタ・クローチェ教会の豪華な墓室に再埋葬された。 1741年、ガリレオは公式に名誉回復がなされた。 ガリレオのすべての著作物の出版が許可された。 1758年、地動説の禁止が解かれた。 1992年、法王ヨハネ・パウロ二世は、ガリレオの裁判に対して遺憾の意を表した。 「天文対話」が世に出てから約100年後の1700年代始め、太陽の周りを地球が動いていることを疑う人はもういなくなり、地動説を教会も認めざるを得なくなったことがわかります。(むろん狂信的な人を除いて)。 理由は明らかです。膨大な観測事実を説明できるのは唯一地動説だけで、他の解釈のはいる予知がなくなったのです。 この点が進化論とちょっと違う点です。ダーウィンの「種の起源」が出版されたのが1859年。既に150年たっています。生物学やライフサイエンスの進歩はガリレオの天文学の進歩にくらべてちょっと遅れているようです。 生物学・ライフサイエンスに関わる研究者の一層の奮起が必要です。天文学と比べてそれほど難しい学問でもないはずですから。 進化論のダーウィンは、死後すぐに、イギリスのもっとも偉大な科学者の一人としてウェストミンスター寺院に埋葬されました。近くには偉大な物理学者アイザック・ニュートンも埋葬されています。 私の知人でケース・ウェスタン・リザーブ大学のローレンス・クラウス教授は高名な宇宙物理学者です。若いときはピアスをつけ突拍子もない風体をして会議に現れました。昨年久しぶりにあいましたら「まともな」Tシャツを着た普通の大人になっていたのに驚きました。彼は専門の研究だけでなく、多くの軽妙なエッセイを書いて科学の啓蒙に努めていることでよく知られています。
宇宙の神秘をエキサイティングに語るのも得意ですが、科学者として進化論の正しさを主張し続け、キリスト教原理主義者の創造論に対して戦いを挑み続けていることでも知られています。興味のある方は彼のホームページを訪ねて下さい。 彼の名前を思い出したのは、9月17日のニューズウィークに「Can God Love Darwin、 too?」(神はダーウィンに愛の手をさしのべられるか?)の記事を見たからです。唯一神が万能であるなら、当然神が宇宙や宇宙に存在する万物、とりわけ人間を作り給うたはず、と考えるのは自然です。でなければ、神の存在価値は半減してしまうでしょう。 1859年にチャールズ・ロバート・ダーウィンが世に問うた「種の起源」は、神が個々の生物を自ら作ったのではなく、太古に存在した単一または少数の古代生物が、自然選択の原理に従って、今地球に生きている多くの種に分化していったという理論を、多くの観測や実験事実を元に証明しようとした論文です。後の出版物では、人間も単純な種から分化した動物であると主張しています。 進化論はキリスト教原理主義者の創造論と真っ向から対立する概念であることは明らかですが、当時のイギリスでは「ダーウィンのブルドッグ」と呼ばれたトーマス・ハックスレーなどの啓蒙活動で、進化論は科学界だけでなく国民の間で急速に認められていったようです。 一神教に疎い我が国では進化論を疑う人はほとんどいないのではないかと思います。 しかし、科学がもっとも進んだ国アメリカでは、依然として創造論が蟠踞しているようです。生物学科で進化論を教えることを禁止している大学があるというから驚きです。 もっと驚くのは、ニューズウィークの最近の世論調査で、48%のアメリカ人が、神は10000年で今の姿形をした人間を作り給うた、と答えたそうです! 科学先進国アメリカでなぜそのような「非」科学的な信念が生き残るのでしょうか。 一つ心当たりがあります。 科学的観察や実験で得られた結果で、その科学的解釈が唯一でない場合は多くあります。いやそれが普通のことかもしれません。最新の分類学、化石学、遺伝学、分子生物学の知見を総動員したとき、99%以上の科学者は生物の「進化・分化」を疑わないと思います。しかし1%以下であっても、残り少ない科学的根拠を元に進化論に懐疑的な科学者は存在します。 キリスト教原理主義者は豊富な資金を元に、これらの少数の科学者の意見を大々的に宣伝するのです。その基本的戦術は、進化論は確立された学問ではなくまだその正しさが議論されている最中だ、という誤った印象を国民に植え付けることです。 ジャーナリズムは科学的報道になると、たとえ反論を訴える科学者の数が全体の0.1%でありその主張にほとんど根拠がない場合でさえも、両論併記という手法をよく使います。この手法が国民に、進化論は議論の最中だ、創造論はまだ根拠がある、という印象を与えるのです。 ジャーナリズムの危うさは、科学報道にも存在するのです。 そこで、クラウス教授の奮闘が必要になってきているわけです。 ダーウィンから遡ること約200年前の1632年、ガリレオ・ガリレイは「天文対話」を出版しました。対話形式の中で「地動説」を主張し、天動説をとる伝統的な哲学者をこっぴどくやっつけるという筋立てです。 聖書の引用には、「地は強固であって不動である、太陽は昇りまた降り、次の日にそれを繰り返す」とあるそうです。 進化論と同じようにキリスト教原理主義に真っ向から反する主張だったわけです。 ガリレオは地動説によってダーウィンとは比較にならない苦悩を負うことになりました。 しかし、太陽の周りを地球が動いていることを疑う人はもういないと思います(むろん狂信的な人を除いて)。ガリレオのことは稿を改めてもう少し書きたいと思います。 (続く) 昔のファイルの記事をまた見ています。2002年に奥飛騨の山や外国へ行ったときの覚え書きがあります。冬から夏までの記事でちょっと季節はずれですが、来年までブログを続けられるかどうかわかりませんので、時々一部を紹介したいと思います。
今日は2002年8月、9月の短文を紹介します。 2002/08/07(Wed) 雨 今中国の蘇州。英語でSuzhouと書く。蘇州の街路樹はクスノキだ。有名な「寒山寺」に行く。日本の寺と比べて幽玄さがなくいささか幻滅。中国人は寺を新しくしようとつとめているからか。ただし境内の木は新しくしていないようだ。大きなキンモクセイがあってびっくり。見事な書が多く回廊に掲げてある。この方面の知識はとんとないので鑑賞ができないのが残念。 寒山時の善男善女と書一幅の写真を下に示します(クリックすると大きくなります)。 春秋時代から三国志の時代まで続いた呉王朝の墓がある「虎丘」に行く。途中雨ですぐ引き返したが、巨大な岩盤を利用した巨大な墓地だ。庭に植えられた大きなカキノキにびっくり。下の写真は虎丘の石塔です。手前の花はサルスベリでしょう(クリックすると大きくなります)。 2002/08/19(Mon) 雨 台風の影響で雨。おかげで歩きやすい。茂住林道は先日の大雨で新しい谷が出来た。雨が1,2日降り続いた。 茂住林道に流れ込んだ雨が、不幸にして一カ所に集まって道の斜面から流れ落ちた。その場所はトチノキの群落があるところで軟弱な土だった。その土が水流でえぐれ、そのために新たに落下するようになった水流がさらに土を削っていく。たった2日の雨で下流100mまで醜く表土が削られ、下の岩石が掘り出された。山がいかに急速に崩壊していくかをまざまざと見て、ちょっとショックを受けた。 ところで、まだタマアジサイの紫色の花が一部咲いている。リョウブがいよいよ白い花をつけ始めた。ヤシャブシの実がかわいい。ドクウツギの葉は、やはり3行脈だった。茂住林道のヘアピンのところにあるナナカマドらしき木はそうではなさそう。今頃つぼみを出している。後で調べること。 ここからまた外国の話です。エリチェというシシリー島にある小さな村へ出張に行ったときの記録が残っていました。エリチェの話題と写真は8月30日と9月1日のブログに登場してもらいました。ぜひ見てください。村の場所の名前がいろいろ出てきますが想像してください。 2002/09/03(Tue) 晴 今イタリア、シシリー島、エリチェに滞在。天気がずっと悪かったが、昨日からからりと晴れてきた。 今日はエクスカーションの日で、皆出かけた。こちとらは行かずに宿題に精を出す。昼、散歩に出る。San Domenicoから坂を下りて崖に沿った道を通り、さらに遊歩道を通る。何とかという城門を抜けてViale Porta Spadaという通りからトラパニに降りる道をしばらく歩く。途中からスポーツセンターに行く道に入り、さらに旧牧場らしき間道にはいる。ハエがぶんぶん飛び回ってうるさい。荒涼とした岩塊と雑草、それに廃墟がなかなかよかったので写真を撮ろうとしたら、写真器にメモリーカードが入っていなかった。 さて、周りの木々を見る。すぐ目につくのが、キョウチクトウと松。クルミの一種が大変ポピュラー。今日よく見ると、コナラ、アオダモそれにウバメガシらしき木をを発見した。コナラの葉は日本のそれとだいぶ違うが、かわいいドングリがなっている。ウバメガシもドングリがいっぱい付いている木がある。アオダモは元気がない。たぶん乾燥のせいだろうが、なぜこんなところにあるのだろうか。あと、San Roccoにも大きな木があるが、たぶんシャリンバイみたいな木もポピュラー。青くて丸いサクランボのような実が付いている。図鑑でチェックすること。 帰りにBar Edelweissでビールを飲む。久ぶりのビールでうまい。 夏の学校の卒業式をやる修道院St. Francescoの写真をサービス(クリックすると大きくなります)。 2002/09/07 曇 今日エリチェを出発する。1時間かけて駐車場近くにある教会を見物してから、崖に沿ってヴィーナス城に行く。さらに崖伝いにあの古い教会に行くが、何か催し物があって人がいっぱい。中に入らずにもう一度ヴィーナス城に戻り、宿舎に帰る。 いくつかコメントあり。まず、クルミと思っていたのは、翼果を見るとどうやらカエデ科である。葉は明らかに奇数複葉で、幹も縦に切れ目が入っている。また、トウカエデの多いのには驚く。なぜシシリーまで来たのだろうか。あと、マサキがかわいい実をつけている。さらに、シナノキ様の木があり、三行脈で互生。あまり大きな木はないが、シナノキの一種と思ったら、なんとその種子はマメでした。たしか、これらは去年も注目したのだけれどすっかり忘れていた。あと、アオダモと思っていた木の幹はクルミのような縦の切れ目が入っている。奥飛騨にあるアオダモとは明らかに違う。ただし、奇数複葉で、対生なことはたしか。ただし、もう一度慎重に見ないと、アオダモも存在している可能性あり。縦皺の入っている巨木の葉はちょっとアオダモと違うようだ。 いずれにせよ海外出張の時は重くても木本図鑑を持参したいものだ。 車は12:45にパレルモ空港に向けて出発する。 電子レンジはどの家庭でも使われている便利な調理器です。周波数2.45ギガヘルツ(GHz)、出力500~1000Wのマイクロウェーブ(ちなみに英語では電子レンジのことをマイクロウェーブといいます)を、水分を含んだ材料に照射すると、水分子が電磁波で励起されて熱を持ち、調理ができるという優れものです。ウィキペディアによると、電子レンジはアメリカのレイセオン社(Raytheon)が1946年に特許をとり、1947年から製品の発売を始めたとのことです。電子レンジにこんなに長い歴史があるとは知りませんでした。
電子レンジの基本は強力なマイクロウエーブ(電磁波)にあります。マイクロウエーブは小型のマグネトロンという発振器で発生されます。我が家の電子レンジが壊れたときマグネトロンを付け替えてもらったことがあります。10cm角くらいの黒い箱だった記憶があります。 さて、もし電子レンジに使うマイクロウエーブをアンテナで収束し、その焦点にあなたの腕をおいたらどうなると思いますか。マイクロウエーブが集まった焦点の水は急速に励起されてたちまち高い温度になり、下手をするとやけどをする羽目になります。 エネルギービームの一つとしてマイクロウエーブをエネルギービームとして使う兵器が使用可能にあるという記事が出ていましたので紹介します。 英語でActive Denial System (ADS)というそうです。ウィキペディアによると、電子レンジを発明したレイセオン社がアメリカ軍と契約を結んで開発を続けてきた兵器です。日本語のよい訳を思いつきませんが、「電子レンジ兵器」または「暴徒追い払い器」とでも名付けたらよいと思います。 電子レンジよりもずっと周波数の高い95GHzの強力なマイクロウエーブをアンテナで収束してエネルギービームを発生させます。電子レンジと同じようにこのマイクロウエーブのスポットが皮膚にあたると表皮にある水分子が励起されて約55度Cの高温になります(そういうふうに設定されている)。95GHzという高い周波数を使う理由は、「スキン効果」を使ってマイクロウエーブが皮膚の深部にダメージを与えないために選ばれています。 実験に参加した人によると、ADSに「撃たれる」と、熱い電球を押しつけられたような耐えられない痛みと熱さを感じるそうです。 マイクロウエーブはCW(パルスでなく連続放射)で発射され、ビームの方向は自由に変えられるので、狙い撃ちをすることができますし、機関銃のように暴徒に向かって掃射することも可能です。 ADSは「非」殺人兵器として開発されているもので、兵員輸送車の屋上などにアンテナを装着して発射し、暴徒を追い払うことができます。有効射程距離は約500mです。 アメリカ空軍の科学補佐官ジーン・マコール氏は、ADSをイラクに展開していたならファルージャの悲劇は防げたはずだ、と強調しています。 9月10日に高周波電場ががん治療に役立つという話をしました。今日の話題は、高周波電磁波が警察や軍の活動に役立つという話題を提供しました。 人間という動物はいろいろなことを考えるものです。
抗ガン剤治療の効果についてのブログは10回目を9月21日のブログを最後に当分お休みすることにしました。
副作用の克服でうまくいったことや些細なことで役に立ったことなどをショートノートという形で随時記録したいと思います。今回は第1回です。 9月に入って10日に「アバスチン+5FU」、18日に「5FU」、25日に「アバスチン+5FU」の注射をそれぞれ行いました。(実は注射前に安定剤のソラナックス1錠を密かに飲んでいます。別に問題ありません。)今まで注射はなるべく早くということで昼食をとらずに12時から13時の間に始めていました。9月18日、25日は前の日が連休明けということで外来治療センターが混雑し、注射開始が14時や15時になってしまいました。吐き気が心配でしたが、11時半頃おにぎり1個とヤクルト1本を昼食にとりました。 注射の終わりが17:00頃になったので、両日とも帰宅してから夕食もとらず18時過ぎにそのまま床につきました。寝やすくするために安定剤のソラナックスを半錠飲みました。昨日は未明に目が覚めてしまったのでソラナックスをもう半錠飲みました。 翌朝、驚くなかれ吐き気がほとんどないのです。朝食前に安全のため吐き気止めのナウゼリンを飲みましたが、食パン1枚普通に食べることができました。昼食も気味の悪いほど平気です。 まだ確かではありませんが、夕食抜きというのが大いに効果があったようです。 さらに実験すべく、今後注射時間を遅くすることにしました。 もちろん吐き気などの軽度な副作用は個人差が大きいのでこの経験は私に当てはまるだけかもしれません。 いずれにせよ、明日木曜日は法人の方に出勤して仕事ができ、大変嬉しいことです。 1987年8月から2006年1月までの約18年半、アメリカの金融行政の責任を負ってきた前連邦準備制度理事会(FRBまたはFed)議長アラン・グリーンスパン氏の本が発売されたというニュースが先日朝日新聞に載っていました。記事を保存していませんが、確か「ブッシュ大統領の悪口が書いてある」との趣旨だったかと思います。四代の大統領の下でFedを仕切ってきた大人物が一大統領の悪口を書くために本を出版するとも思えません。
9月24日のニューズウィークにグリーンスパン氏とその本に関する詳しい記事が載っていました。 本のタイトルは「The Age of Turbulence」。本の趣旨は、ニューズウィークの記事によれば、2030年における世界、とりわけアメリカの将来を予言した本です。 前日の朝日新聞の社説ブログと対比させるとおもしろいかもしれませんが、極めて論理的に書かれているようです。 自然科学系の研究者にはグリーンスパン氏は遠い異次元の存在ですが、年金生活に入り時間がとれるようになると、異次元の世界にも興味がわくようになります。 予言とその検証は自然系科学者にとって最も重要な作業です。予言は英語でpredictionという単語を使います。グリーンスパン氏の予言にはoracle(神託)という単語を使っています。科学者の予言とは桁外れの尊敬を勝ち得ているようです。 ニューズウィークの記事はまず、簡単にグリーンスパン氏を紹介しています。 「冷戦の終結・グローバル化・中国の台頭・ITの急速な普及は長期にわたって持続した経済成長・高い生産効率・低インフレ・投資ブームをもたらした。」 「四代の大統領に仕え、20年に及ぶ持続的経済発展を指導してきたグリーンスパン氏は、過去30年でもっとも成功を収めた官僚そしてマエストロであった。」 役に立ちそうな至言が二つ載っていますので紹介しましょう。 「If you try to preserve the past, you will not be able to produce the future.」 訳は不要かもしれませんが、「過去にしがみつけば未来を生めない。」郵政民営化で民主党に聞かせたい言葉ですね。 ウィンストン・チャーチルの言葉として、 「The further backward you look, the further forward you can see.」 「近い過去だけでなく昔に遡って過去を理解すればするほど、さらに遠い将来を見据えることができる。」 第二次大戦のみを思い反省を繰り返す人々は近視眼的である、ということかな? さて、本の要約が出ていますので一部を引用しますと、 「2030年のアメリカの経済を予測するにはどうしたらよいか?まず、種々の仮定に対する解答を用意する必要がある(仮定の議論はニューズウィーク参照)」 「失業率予測: 4~10%」 「アメリカが今まで同様技術開発のトップを維持できれば、生産効率の長期予測は0~3%」 「現在から2030年までのGDP平均伸び率は2.5%をちょっと下回る」 「中国経済が成熟するに従って、中国からの輸入品の価格が上昇。そのためインフレの懸念が高まる。(インフレ対策が書いてあるが理解不能)」 「インフレ率予測: 4~5%」 「競争状態にあるグローバル化した市場経済では常に一歩進んだ技術開発が必要」 「つまり、進歩のためには過去の膨大な知識遺産の上にさらに新たなものを積み上げなければならない」 「この知識主導社会では、必然的に高度技能を持ったものに富が集中する」 「現在のアメリカ初中等教育は高度技能者の欠乏と低技能者の増大をもたらした」 「教育システムを改革して高度技能者を増やさない限り、富は少数の高度技能者にますます集中する」 「教育システムの改革には時間がかかる。直近の方策は、技能労働者の移民を促すことにより、それによって全体的な技能レベルを向上させるとともに、高度技術者の給与の抑制をもたらすことができる」 上にも書きましたが、科学者にとって予言とその検証は最も重要な作業です。私は残念ながら、この本の予言が検証されるのを見物することはできませんが、自然系科学者にとってもおもしろそうな本じゃありませんか。 2,3日前、Amazon.comにこの本を予約しました。3842円也。値段は日本の経済ジャーナリストの書いた本ととんとんです。10月10日頃納品。 今日9月23日、気温は昨日から6度下がって26度Cになりました。いよいよ遅かった秋の到来です。8月20日以来久し振りに、妻を運転手にして東京金町にある水元公園に散歩に行きました。
空いていたので車を路肩に止めました。車を降りスティックをついてゆっくり歩きます。歩行訓練も兼ねます。空手*段の暴れ者が今や原形をとどめぬ哀れな姿です。まあ生きているだけでも幸せと思わなければいけません。 歩き始めてすぐに広い水辺に出ます。猛暑が嘘のように涼しい風が吹き、散歩には絶好の日です。 数本のアキニレと、同じく数本のハンノキの横を過ぎ、さらに湿地帯を通り抜けます。実がいっぱいついているエノキがありました。実は赤みを増して堅くなり落ちる寸前でした。公園の中なのでこれらの実が新しい木に成長することはあまり期待できません。 おなじみのナンキンハゼに挨拶。実はまだ緑ですが大きくなっていました。そしてメタセコイヤの林に到着。ラクウショウも一部混じっていますが、葉は既に黄ばみ始めています。秋がそこまで来ていることを実感します。夏はメタセコイヤの林の中に逃げ込んで涼をとったものですが、今日は林の外に出て石の上に腰掛けました。いい気分です。 トネリコの葉はすっかり虫に食い尽くされていました。そういえば、奥飛騨のいたる所にあるマルバアオダモはトネリコの仲間です。なつかしい。別の林の中に入り、子供たちが名札をつけてある木々を見て歩きました。子供の書いた名札の中に「ハクノキ」か「トクノキ」に読めるカタカナがありましたが、多分ハンノキの書き間違いでしょう。 お彼岸の中日とかで帰りは大渋滞。30分の行程が2時間半以上に延びてしまいました。 さて話題を変えましょう。 8月11日、8月20日に朝日新聞の社説を話題にしました。本日9月23日の朝日新聞の社説も話題にしたいと思います。社説の一つは表題にあるように「原発の耐震『この試算では安心できぬ』」でした。 早速ですが最初のコメントを一つ。 この社説は当然科学・技術に関する記事です。私には、科学・技術的素養のある論説委員が書いた記事とはどうしても思えません。 後日話題にしたいと思いますが、朝日新聞の原発指針等に関する記事も科学に素養のある記者が書いたとはとても思えないのです。これが事実なら、ぜひ科学担当の論説委員と社会部その他の論説委員が合同で練った記事をものにして頂きたいと思います。もしこれが事実でなく科学担当の論説委員が実際にお書きになったのなら、もう少し科学・技術的要素を含めた議論をお願いしたいものです。 社説の内容と私の簡単なコメントを書きます。 「『日本の原子力は、あのくらいの揺れなら大丈夫』そんな趣旨の報告を、電力会社など11社と日本原子力研究開発機構がそれぞれまとめ、発表した」 コメントなし。 「だが、これを持って原発の安心材料にはなりそうにない」 この理由が以下の社説に示されるはずで楽しみ。 「ほとんどの原発や原子力施設で(中略)重要機器のどれかが、設計時の想定を超える揺れに見舞われる。だが、安全にゆとりを持たせているので放射能漏れによる大事故などは起こらない」 この文章は不正確。報告書は、どのような地震の場合に「放射能漏れによる大事故など」が起きないといっているのか。中越沖地震程度なら起きないという意味なのか不明。もう少し丁寧に。 「中越沖地震では、柏崎刈羽原発の上空に火事の黒煙がたなびき、微量の放射能が海に流れ出た。そのことが、原発の耐震力への不安を呼び覚ました。」 火災と微量放射能放出は重大事故ではありませんでした。いやしくも科学・技術的素養のあるジャーナリストならこの2点に関して不安はないとすぐわかったはずです。それをいかにも重大な事故のように国民に発信したのは誰かを検証する必要があります。無論東電の対応のまずさは指摘され、今後の改善が図られるべきでしょう。しかし、私は、国民に不安をあおるのではなく、事実に基づいて安心感を与える報道をすべきであると当時思いました。 「そもそも、全国の原発に今回の地震一つを当てはめる試算にどれだけの意味があるのだろうか」 報告書を読んでいないのでむしろ質問になってしまいます。報告書が科学・技術的に正しく書かれているのなら、中越沖地震からのインプットは地震の基礎的情報と、揺れと地盤に関する知見のはずです。それを元に各原発施設における地盤等の情報をインプットしてシミュレーションを行い、各機器への損傷具合の評価を行っていると思いますが、いかがでしょうか。それ以外に考えられません。 一般的にいって、この文章は科学的素養のない方が書いた文章です。 まず、耐震基準などの重要な決定をするときには、当然その時点での最高の科学・技術的知見を考えて決めるものです。そして、次が重要ですが、もし指針決定以降新しい知見が出てきたら、その知見を直ちに考慮して新しい指針を作り直さなくてはなりません。 中越沖地震の情報はまさに新しい知見です。この情報を入力して耐震評価を見直すことは絶対必要であって、「今回の地震一つを当てはめる試算に」本質的な重要性があるのです。私は、各電力会社はこの意味の耐震評価をまず今回行ったと理解しています。 「仮に同じくらいの自身が同じくらいの近さで起こっても、地震の様子などによって揺れ幅や揺れ方は異なる」 当然です。上のコメントを参照して下さい。 「旧指針では『マグニチュード(M)6.5の直下地震』の揺れを想定していたが、新指針はこれをその一帯の地盤の性質などを考え合わせて個別に見定めることにした。」 当然です。私は地震の専門家でないのでこの文章に戸惑います。マグニチュード値と直下型だけを決めただけで、地盤の情報をインプットすることなしに「揺れ」を想定することは不可能なはずです。 上にも書きましたが、各原発施設では当該地盤等の情報をインプットしてシミュレーションを行い、各機器への損傷具合の評価を行っているはずです。 もし論説委員が科学記者ならこの文章がおかしいことがわかると思います。 「原子力安全・保安員は、原発の耐震安全性を新しい指針で評価し直すよう電力業界に求めている。その作業を充実させる方が先ではないか。」 当然、中越地震をインプットにした分析とこの文章にある作業は並行して行うべきです。それは既に開始されていると思います。 もし、電力各社が中越地震をインプットにした分析を当分行わなかったとしたら、この社説を書いた論説委員は、逆にその怠慢を糾弾する社説を書くに違いありません。 「想定外の揺れに直撃されても、破局的な災害は食い止める。その方策を探ることも急務だろう」 科学的な表現ではありません。 上に書きましたが、「現時点での最高の科学・技術的知見を考えて方策を決め、もし方策決定以降新しい知見が出てきたら、その知見を直ちに考慮して新しい方策を作り直す」のが科学的にできる方法です。もし異論があるのなら、論説委員は「想定外の揺れ」がどの程度の大きさかを示さなければなりません。星占いにでも頼りますか。 社説の表題「この試算では安心できぬ」、また記事の一部「だが、これを持って原発の安心材料にはなりそうにない」をもう一度引用します。 この両文章ともに科学的でなく、無責任な表現であると思います。 9月6日のブログ「北岡論文「『外交革命』に日本はどう立ち向かうか」(中央公論9月号)を読んで」に引用しましたが、 「歴史を判断するのに現代の価値基準を直接持ち込んではならないという。それには多くの人が同意する。しかし、現実には現代の価値基準は歴史を判断するのに頻繁に持ち込まれており、ますますそうなっていくのではないだろうか」。 この文章に照らすと、今日の社説は、現在の価値基準を持ち込まない文章を書くことによって、将来への責任を回避しようという(失礼ですが)動機が見え隠れします。 蛇足ですが、9月1日に放映されたNHKスペシャルは、ちょっと不満の点もありますが、柏崎刈羽原発の事故の詳細を追った見応えのある番組でした。特に中部電力が柏崎刈羽原発の事故を受けて浜岡原発の耐震補強工事を開始した報告は大変見応えがありました。当然のことながら、中部電力は浜岡原発での地盤情報等をインプットして揺れの予想を立て、耐震補強工事の設計に反映させていました。映像はCDRに保存しました。 NHKの視聴料は大新聞の購読料と比較して割安だな、という実感を新たにした次第です。 年のせいか、昨今の新聞、テレビ、インターネットの情報洪水から興味のあるものを取り出してもそれを咀嚼する余裕がなく、そのうちに忘れてしまうことが多くなりました。努力して情報を整理していかないと収拾がつかなくなります。
今日は朝日新聞に載った標記の記事だけでなく、過去の関連する記事も参考にして感想を述べてみたいと思います。 今年4月からスキャンしてコンピュータに取り込んである朝日新聞の高等教育に関する記事を見ると、 5月21日; 博士、漂流 任期付き職でしのぐ 6月25日; 個性化問う交付金改革 「競争」へ激変は見送り 7月2日; 大学院予算狭く厚く グローバルCOEプログラム審査公表 年間2.6億円と倍増 9月20日; 私大にも設置方針 文科省「国立偏重」を転換 共同利用型研究所 が手元にあります。 朝日新聞の教育グループには、朝日新聞にしては珍しくできのよい記者がいておもしろい記事を書くので参考になります。 5月21日の記事「博士、漂流」はいわゆるオーバードクター問題です。この件はあらゆるところで議論されていますが、後日私立大学の財務や事業を考えるときに私の考えを書いてみたいと思います。この記事とは独立していますが、8月15日のブログで類似の問題について私のささやかな経験を書いていますので参考にして頂けたらと思います。 6月25日の記事「個性化問う交付金改革」では、あと2,3年で第2期中期計画に入る国立大学法人の運営費交付金をどうするかという問題です。運営費交付金のなんたるかは、8月21日、8月24日、9月1日のブログをご覧下さい。この問題に関しても個人的意見はまだまだ言い足りませんが、後日改めて書いてみたいと思います。 7月2日の「大学院予算狭く厚く」は競争的資金(9月12,13,14,15日ブログ参照)のグローバルCOEの採択結果の報告です。 そして9月20日の「私大にも設置方針」は、文科省が全国共同利用研究所(これが正しい名前)を新しく私立大にも作るらしい、との記事です。 6月25日、7月2日、9月20日の記事の底流には、旧帝大偏重を打破したい、との思惑が見て取れます。 9月20日の記事を紹介する前に「全国共同利用研究所」とは何かを説明しましょう。研究所というのは、研究を本務とする組織ですが、研究と教育は一体であるとの観点から、所属研究者は大学院教育に積極的に関与しています。また多くの研究所が大学に附置されています。センターといって、研究所よりも少し小さな組織も大学内に多くあります。 研究所の中で共同利用型というのは、一専攻や研究室では維持・運転を行うことができない大型装置の建設・維持・管理や、共通のデータベースの整理・管理、文献の収集・管理などを行う組織で、大型装置などを全国の研究者に共同して利用してもらい、高い研究成果をあげるべく設置されたものです。共同利用できる研究者の所属は国公私立を問わず科研費応募資格者に準じているところが多いと思います。共同利用に供する装置の規模としては数10億~100億円程度です。 余談ですが、すばる望遠鏡のように400億円もするさらに大きな装置は大学でも管理が難しいので大学共同利用機関という特別な機関が運営することになっています。研究型独立行政法人も同じような装置を作り始めたのは困ったことです。この問題は9月15日のブログを見て下さい。 それでは9月20日の記事の内容を紹介します。私の簡単なコメントもつけてあります。 「共同利用型研究所は、ノーベル賞につながる研究など我が国の研究活動を引っ張ってきた」 これは正しい認識。 「文科省は私立大も設置対象にするべきだと判断した」 これも問題ない。 ただし、共同利用研究所はその性格からして、まず研究コミュニティの希望する提案を審議し、その上でその設置場所を国公私立を問わず公募によって選別しなければならない。 「審議会の検討を経て08年度中にも実現したい考えだ。『国立大偏重』が指摘されてきた国の研究政策を修正する動き」 ここでは国立大学が風評被害に遭っている。私は新規の共同利用研設立に反対。 「共同利用型研究所には、共同利用のための経費として年間1億~数億円が各国立大の予算に上乗せされている」 研究所の規模にもよるが、共同利用経費は旅費がほとんどで実際はもっと少ないはず。 「全国共同利用研究所を私立大にも置くという文科省の方針転換は、国の研究政策などを巡って指摘されてきた『国立大偏重』『旧7帝大偏重』を改める突破口になる可能性がある」 ここにある「指摘」は風評を根拠としたもの。 次に別のコメントを書きます。 法人になった大学は、自由裁量できる運営費交付金と自己収入で暮らしています。附置された共同利用研も大学の一部ということでその中に組み込まれてしまい、従来は国立大学特別会計の中にあった、共同利用研に設置されるべき装置の費用を賄う事項が予算から消えてしまったのです! 当然のことながら、大学執行部は法人の運営に懸命で、大型予算をかけて他機関の研究者に使わせる装置を作るなど念頭にないのです。 そのため、共同利用研の装置は更新もされないまま老朽化が激しく、「ノーベル賞を生んだ」研究施設も世界と互角に戦うことが難しくなっています。 喫緊に必要なのは、既存の共同利用研究所の近代化を進め、現在でも世界一級の研究所をさらにリノベートすることです。 新しい共同利用研究所を作ることではありません。 実際、これこれの研究分野の新しい全国共同利用研究所を作ってくれ、というような悲鳴が研究コミュニティからでたという話は聞いたことがありません。 所管の文科省学術研究機関課は以上のことを百も承知と思いますが、役人の悲しさ、何とか新予算を獲得しようと知恵を絞って出てきた案かと推察します。 もう一つのコメントは「国立大学偏重」です。 大学教官は主な研究資金を科学研究費補助金(科研費)に応募・採択されて手に入れています。我が国は自慢していいと思いますが、科研費の審査は世界の競争的資金の中でももっとも透明性を持ちかつ公正に行われているシステムと思います。私立大学や国立大学の差もありません。もちろんまだいくつか問題もあり完璧ではないことは認めなければなりませんが。 採択率に少しの差がありますが、それは研究レベルの違いとして理解可能かと思います。 科研費の配分額が国立と私立で大幅に違うじゃないかというもっともな意見がすぐに出るかと思います。この意見をお持ちの方はぜひご自分の大学を調べて大型科研費への応募率(応募数÷応募資格研究者数)を調べ、また採択率も調べ、それらを主要国立大学と比較してみてください。私はその結果をぜひ見てみたいと思います。 科学者たるもの、まずデータを分析してからものを言うようにしましょう。 上に「風評」とあえて書いたのは、科学者が非科学的なまた個人的な根拠を元に、政治家などに直訴して我が国の科学のあり方をゆがめているおそれがあるからです。 科学技術・学術審議会、学術分科会はもう少し頭を使ってほしいものです。
私の大腸がん再々発への抗ガン剤治療の記録も10回目となりました。今回のブログで私の治療記録は現在に追いつきました。今後は、約2ヶ月に1度くらいの頻度で治療経過を記録したいと思います。今まで書いた10回のブログが整合性のとれた記録になっているといいのですが。。
あと何回かブログに書き込めるだけ延命できることを期待しています。 9月18日は第2コースに入ったアバスチン投与の第2回目です。5FUとアイソボリンの点滴でした。先週中にCT写真の解析も終えました。9月9日のブログに腫瘍サイズの時間変化の図を示しました。それに8月16日撮影のCT写真から得られたデータを付け加えましたので、下に示します(クリックすると大きくなります)。図の上にある下向きの小さな矢印が抗ガン剤を注射した日を表します。 ほとんどの腫瘍サイズは増大していますが、増大のスピードは鈍っているようです。ちょっと希望がもてます。 腫瘍マーカーも9月3日のデータが1点増えました。ついでですのでそのデータも下に示します(クリックすると大きくなります)。上図と同じように、図の上にある下向きの小さな矢印が抗ガン剤を注射した日です。 腫瘍マーカーも下がっています。4週間のギャップがあったので最後の点の下がりが鈍っていますが、アバスチンの効果は依然として見えます。 さて、9月11日のブログに書いたように腫瘍の写真に大きな変化が見えました。一番大きな腫瘍T3が中空になっていて、お饅頭の餡を抜いたような格好をしています。腫瘍T3の写真の時間変化をお見せします(3枚。クリックすると大きくなります)。写真の上の数字、例えば、070613は2007年6月13日を表します。 写真のコントラストがバラバラですが、これはデータが電子媒体だったり、CT写真をデジカメでとったデータだったりと違った方法でコンピュータに取り込んだためです。2004年4月20日のCT写真に既にこの腫瘍が見て取れます。2006年3月3日の写真が抗ガン剤治療を始める直前の写真です。「着実」に大きくなっていることがわかります。2006年4月からのオキサリプラチン投与の効果で腫瘍の増大は何とか押さえ込まれていることがわかります(上の腫瘍サイズの図も参照)。2006年12月21日の写真あたりから腫瘍は再び増大をはじめました。2007年6月13日の写真では間質性肺炎の炎症がまだ残っていて見えにくいですが腫瘍は増大の一途です。 そして最後が8月16日の写真です。腫瘍に大きな穴があいています。穴の内部の黒さから穴の中は空洞で水もたまっていないようです。 問題はこれが吉兆か凶兆かを判断しなければなりませんが、私には知識がないのでわかりません。9月11日のブログにも書きましたが、呼吸器の専門家の判断も分かれているようです。 そこでいつも助言を頂いているT教授に写真を見てもらいました。先生によれば、 「肝臓の腫瘍では穴のあく例を見たことがある。腫瘍の増大スピードが大きすぎて内部に栄養が行き渡らず壊死することがある。しかし、肺でこのような内部が空洞になった腫瘍は初めて。穴の内部に壊死した液体がないようなので肝臓の例とは異なる。」 「アバスチンは血管新生阻害剤なので、腫瘍内部に栄養が行かず壊死する可能性がある。また、アバスチンの副作用に消化管に穴があく現象があるが、同じ効果で腫瘍に穴があいた可能性がある。」 「いずれにせよ、マーカーの値や他の腫瘍のサイズの変化を考慮すると、この穴はまさにアバスチンの効果ではないのか。今後の経過に期待がもてる。」 との意見を頂きました。だいぶ勇気づけられ、抗ガン剤治療の継続が「楽しみ」になりました。もちろん副作用はいやでたまりませんが。 聞くところによると、アバスチン投与は普通第2ライン(最初の抗ガン剤が効かなくなり第2の新しい薬を使うこと)までで、第3ラインで行うのは珍しい、うがった見方をすると、製薬会社がアバスチンの効果をよく見せるために、効果の期待できない第3ラインにアバスチンの使用を推奨しない、らしいです。 私の治療記録は、それに反論できるいい材料になるかもしれない、とのことです。 繰り返しになりますが、まだアバスチンは5回投与したに過ぎません。さらに投与を進めて効果をモニターしなければなりません。 また、アバスチン投与の回数が多くなるにつれて重篤の副作用である消化管に穴があくことや血栓の発生、喀血などの出血に備えなければなりません。 それでは抗ガン剤治療の記録はしばらくお休みします。
「日本の環境技術は世界最高だ」という記事を新聞等でよく見かけます。とりわけハイブリッドカーや省エネ家電が自慢です。日本の得意分野は、日常使う工業製品の効率を極限まで上げる技術に長けているといえます。
外国の産業界は違う見方をしているようでちょっと気になります。 少し古いですが、8月20日のCNN.comのニュースの一部を紹介します。 アメリカ政府は京都議定書にも調印せず地球温暖化対策に不熱心なことはよく知られています。しかし、CNNのニュースによれば、クリーンエネルギー技術の分野でアメリカは既に世界のリーダーである、とのことです。 アメリカ政府のエネルギー省、大企業、ベンチャー企業は、様々なクリーンエネルギーの技術開発、すなわち風力、太陽、バイオ燃料、バイオマス、水素燃料、燃料電池、潮汐力、それにエネルギー高効率化に取り組んでいます。 エネルギー省エネルギー関係の予算の伸びに関しては、既に9月13日と9月14日の連載で紹介しました。 CNN.comの記事の一部を引用すると、 「今やアメリカはクリーンエネルギー技術の開発で世界のリーダーに躍り出た。その中でも、ゼネラルエレクトリック(GE)はクリーン技術や高効率化技術の面でトップを走っている。」 「2006年度にクリーンエネルギー関連への投資額は、アメリカが20億ドルに対して、ヨーロッパ、中東、アフリカでの総額は40億ドルで、アメリカが後塵を拝している。一つの理由は、現在のところ中小の企業が資金を得るのにロンドンの証券取引所のほうが柔軟でウオールストリートなどより有利なことによる。」 「2006年度アメリカ各国、大部分は合衆国だが、はクリーンエネルギー・マーケットに40億ドルを投入したのに対し、ヨーロッパ、中東、アフリカは16億ドルを投入したに過ぎない。2005年から2006年にかけてアメリカ州の投資額は倍増したのにヨーロッパ、中東、アフリカは伸びがなかった。」 この記事に日本やアジアの動向が一切出てこないのは異常ですが、多分、クリーンエネルギー関連の投資を行う環境がアメリカやヨーロッパに比べて進んでいないためのような気がします。 環境や特にクリーンエネルギーの分野で、アジアが他の地域と比べて遅れていないかどうか、今後注目する必要があります。 私の個人的な考えをちょっと一言。 、温室効果ガスを押さえる努力はむろん大切です。しかし、日本やヨーロッパがどれほどがんばっても、アメリカ、中国、インド、その他の新興国が経済発展に邁進するばかりで、温室効果ガス抑制の努力をしない限り地球温暖化は止まらないでしょう。 今後重点的にしなければならないのは、地球温暖化は起こるんだという事実を受け入れて、そのための対策を立てることです。 今年の猛暑を考えれば、エアコン等の使用を我慢することには限界があります。ますます電力需要は増えていくでしょう。農業対策なども喫緊の課題です。 地球温暖化が起きれば、エネルギーがますます必要になることをまず覚悟しなければなりません。各国は、この増大するエネルギーを安定的に確保するために動き出しているのでしょう。 原子力発電を第一に、他のクリーンエネルギーの開発に英知を絞らなければならないと思います。また、研究者の自由な発想を元に、何か画期的な発見・発明が出ることをぜひ期待したいと思います。 < 前のページ次のページ >
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