<  2007年 10月   >
会議で恩師に出会う
 今日は、私にとってかなりきつい会議がありましたので、科学入門の記事は明日に延期させていただきます。

 今日の会議で久しぶりに恩師にお目にかかりました(9月19日のブログ「恩師は不要か」を参考願います)。先生は会議の正式な委員で、私は事務方の下働き担当でした。先生には4時間におよんだ会議にも平然とお付き合いいただき、そのかくしゃくぶりと、私の体力の衰えを比較して、「こりゃ逆だけれど僕の分まで先生に生きてもらわなければ」、と思いました。

 帰りしなに先生に御挨拶して「最後まで頑張りますから」と言いましたら、先生曰く、「君、長生きしなきゃだめだ」と激励されました。「頑張り」が精神状態の改良をもたらし「長生き」につながるよう、先生のご期待に添いたいと思います。

 なんだか親に会ったような感じがして、恩師というものは実に得難いものだ、と感じ入った次第です。

 それではまた明日。

by FewMoreMonths | 2007-10-31 20:33 | 教育
科学入門シリーズ2の続:アインシュタインの「E=mc2」、放射線と太陽のエネルギー源
 昨日の続きです。特殊相対性理論の帰結E=mc2(cの2乗)から始めましょう。「質量mの物体は、mに光速c(毎秒30万キロメートル)の2乗した数をかけたエネルギーEと同等である」という意味です。

 具体的に言わないとよく分からないでしょう。例を挙げたいと思います。

 水素には反物質の反水素があります。水素1グラムに反水素1グラムを混ぜたとしましょう(現在の技術では不可能ですが)。このとき、水素と反水素の質量はすべてエネルギーに変換されます。

 ちょっと情報を並べます。

・水素原子の質量:m=1.67x10のー27乗キログラム
・1グラムの水素中に含まれる水素原子の数:N=6.02x10の23乗個
・光速:c=3x10の8乗メートル

 水素1グラムと反水素1グラムの全エネルギーは、
 E=2xmc2(2乗)xN=1.81x10の14乗ジュール
となります。
 前回のブログに書きましたが、石炭1グラムの燃焼熱は20~30キロジュールでした。つまり、1グラムの水素と1グラムの反水素を混合すると、9000トンの石炭を燃やしたのと同じだけの熱を得ることができるのです!

 E=mc2がいかにすごい原理なのかおわかりになったでしょうか。

 ラザフォードの発見した放射線のエネルギーも、実はこのE=mc2の原理を使っていたのです。ラジウム226の崩壊はアルファ線を出して崩壊するとラドン222の原子核になります。式で書くと、アルファ線はヘリウム4の原子核なので、
    ラジウム226 → ラドン222 + ヘリウム4
となります。

 ラジウム226に出てくる数字226のことを質量数といいます。また、ラジウムは元素の一種ですから原子番号も持っていて、その値は88です。
 ラドン222の質量数と原子番号は222と86です。
 ヘリウム4の質量数と原子番号は4と2です。
 (いろいろな数字が出てきていやになりますね。我慢してください。)


 ヘリウム原子の質量は正確に分かっています。しかし、ラジウム226とラドン222の質量は、これらが崩壊することもあって精度良く測れていません。そこで、原子核物理学者は、同じくらいの質量を持つ鉛やウランなどの質量にいろいろな理論的な考えを加えて、原子核の質量数と原子番号を与えれば簡単に計算できる質量の公式を作っています。

 上に書いたラジウム226の崩壊式で、左辺と右辺の質量を求め、それに光速の2乗をかけて見ます。面倒くさい計算ですが、答えを書くと、
     m(ラジウム226)c2 ― m(ラドン222)c2 ― m(ヘリウム4)c2 
       ≒ 400万電子ボルト
と出ます。質量公式はあまり精度が良くないので100万電子ボルトくらいの誤差があります。

 つまり、右辺の質量が左辺の質量よりも400万電子ボルト相当分だけ減ってしまいました。この減った分がエネルギーに変換されたと考えます。つまり、ヘリウム4(アルファ線)の運動エネルギーは大体400万電子ボルトのはずだということです。

 アルファ線の運動エネルギーの実測値は487万電子ボルトでした。誤差の範囲で計算値と一致しています。

 あまり精度が良くないのですが、このことからアインシュタインのE=mc2が原子核崩壊のエネルギー源なことが分かりました。

 皆さんは、以上の考察がかなり大雑把で本当かな、と思う方もいると思います。

 E=mc2の本当の検証は、素粒子を使って行われています。

 電気を持ったパイ中間子は湯川秀樹博士が予言した粒子です。パイ中間子は平均1億分の2.6秒で崩壊して別の2つの粒子、ミューオン(電気を持っている)と呼ばれるものとニュートリノ(電気を持っていない)と呼ばれるものに変化します。式で表すと、

     パイ中間子 → ミューオン + ニュートリノ。

 最近ニュートリノが小さな質量を持つことは分かりましたが、パイ中間子やミューオンと比べると全く小さいので、ここではニュートリノの質量はゼロと思って良いです。

 パイ中間子とミューオンの質量は正確に測られていて、それらをmc2で表してみると、単位として100万電子ボルトを使うことにして、
     mc2(パイ中間子):139.57018、
     mc2(ミューオン):105.658369、
     mc2(ニュートリノ):0。

 上の崩壊式の左辺は右辺よりだいぶ大きな質量を持っています。減った質量分がミューオンとニュートリノの運動に使われます。

 実験では、運動量という観測量が精度良く測定されます。運動量の説明は省きますが、上の質量差からミューオンの運動量を正確に計算することができます。結果は、
     運動量(ミューオン)=29.791789
となります。(運動量には単位として「100万電子ボルト/光速」があるのですが面倒なので省略します。)

1991年、スイスの研究所で測定されたミューオンの運動量の値は、
     29.79179 (誤差0.00053)
でした。
 予想値と実験値は見事に一致しています。これから、E=mc2がものすごい精度で確認されていることが分かると思います。  

 またまた紙数がなくなりました。続きは明日にでも。
by FewMoreMonths | 2007-10-30 16:40 | 科学入門
科学入門シリーズ2:アインシュタインの「E=mc2」、放射線と太陽のエネルギー源
 前回の10月26日のブログ「科学入門シリーズ1:アインシュタインの「神はさいころを振らない」で、イギリスのアーネスト・ラザフォードが原子核崩壊を研究して、3つの重要な発見をしたことを紹介しました。アインシュタインは、その3番目の発見を理解するのに大変苦悩し、結局死ぬまでその発見の意味を信じようとしませんでした。
 
 今回は、アインシュタインも信じたラザフォードの第2番目の発見を紹介しましょう。

 ラジウム226の原子核崩壊で出てくるアルファ線の実験結果です。その発見をもう一度書いてみると、

・ラジウム226の原子核崩壊から出てくる放射線は非常に高いエネルギーを持っていることがわかりました。普通の化学反応、たとえばエチルアルコールを燃やすと、反応エネルギーは1モルあたり1368キロジュールです。1モルの化学反応は膨大な数の分子が反応しているので、これを1分子あたりの反応エネルギーに直すと、答えは14電子ボルトという値になります。
(電子ボルトはエネルギーの単位にそういうものがあるということだけ覚えてください。分子や原子あたりのエネルギーを図るのに便利です。)
ところが、ラジウム226原子核からは、487万電子ボルトの運動エネルギーをもったアルファ線が飛び出してきます。アルファ線は1個のヘリウム原子核ですから、化学反応の1分子のエネルギーと比べなければなりません。そうすると、アルファ線のエネルギーはエチルアルコール1分子の化学反応に比べて34万8千倍にもなります!

 つまり、原子核崩壊から出てくるエネルギーは化学反応とは全く違った新しい原理で発生しているはずです。

 話はここでちょっと横道にそれます。

 19世紀後半に誰も気がついていたけれどあえて無視していた問題がありました。「太陽はどのようなメカニズムでエネルギーを発生しているのだろう。太陽はいつまで光っているのだろうか。」という疑問です。

 当時、熱を出す現象といえば化学反応しか分かっていませんでした。もし、太陽が全部石炭でできていて、その燃焼(化学反応)で熱を発生していると考えてみたらどうだろうか。簡単な計算をしてみたいと思います。

 いくつかの情報を並べてみましょう。
・太陽の質量:1.989x10の30乗キログラム(kg)
・太陽の毎秒熱発生量:3.85x10の26乗ワット(W=ジュール毎秒、J/sec)
・石炭の1グラムあたりの燃焼熱:20~30キロジュール/グラム(kJ/g)

 これだけで十分です。

 太陽が全部石炭でできているとすると、それがすべて燃えつきるまでに発生する総熱量は、グラムやキログラムの単位に注意して、
[太陽の質量]x[石炭の1グラムあたり燃焼熱]=4.0~6.0x10の37乗ジュール
となります。
太陽が燃え尽きるまでの時間を計算するには、この値を上に挙げた「太陽の毎秒熱発生量」で割れば出てきます。すなわち、
4.0~6.0x1037÷3.85x10の26乗秒=3300~4900年
となります。

 つまり、化学反応で太陽が熱を発生しているとすると、太陽は、3000~5000年、多くても10000年以内に燃え尽きてしまうことになります。

 ところが、地質学や化石の研究から、地球の年齢は何億年というスケールで考えなければならない、ということが分かってきました。太陽の寿命がたかだか1万年なのに地球はできてから何億年も経っている、というのは全く理解不能で矛盾しています。

 イギリスの有名な物理学者のレーリー卿は、上の計算を元に、キリスト教の聖書がいうように、神は1万年程度で宇宙を作り給うた、と発言しました。

 「レーリー卿はあまりにも高名な物理学者なので、地質学者や化石学者はこの理論に反論できず、このために生物の進化学はだいぶ遅れた」と、進化生物学者のスティーブン・J・グールドは彼の著書の中でレーリー卿の悪口を言っています。

 しかし、レーリー卿の悪口を言うのは筋違いです。地質学者や化石学者がその研究に確信を持っていたのなら、職を賭してでもレーリー卿に反論すべきだったのです。物理学者は、納得すれば自分の考えを変えるのに躊躇はしません。レーリー卿も、もし彼らの説明に納得したなら、新しいエネルギー源の研究に入り、科学の進歩はむしろ早まったかもしれないのです。

 要するに、太陽のエネルギー発生を理解するには、新しい原理が必要だったのです。

 そこに、ラザフォードの発見が出てきたのです。もし新しいエネルギー発生が化学エネルギーの約35万倍なら、太陽の寿命はたちまち10億年以上に延びます。

 放射線のエネルギー発生と太陽のエネルギー発生は同じメカニズムではないかと、予想することができます。

 ここで、1905年にアインシュタインが提唱した「特殊相対性理論」が登場してくるのです。その理論から帰結される驚くべき結論が「E=mc2」だったのです。

 この式がどのように導き出されたかは、別の科学入門の大きなテーマですから、ここではアインシュタインのこの公式が自然界で成り立っていることだけを覚えておきましょう。

 ちょっと話が長くなりすぎました。今日はここで止めて明日また続きを書くことにします。 
 (続く)
by FewMoreMonths | 2007-10-29 13:08 | 科学入門
一家全員勢ぞろい
 昨日10月27日、珍しくも息子夫婦と孫娘、それに娘夫婦が偶然廃屋を訪ねてくれました。愚妻と私を入れて総勢7人が集い、イタリア料理屋で食事をしながら楽しい会話ができました。

 息子は企業のエンジニアをしていて、現在はそれほど仕事がきつくないようです。家族を大切にしている姿を見て大いに安心しています。大学の修士課程では応用物理に在籍していましたので、研究者の道も開かれていたと思いますが、私は強く企業に就職するように勧めました。

 研究者の道は、楽をすればいくらでも楽ができますが、その道を極めようとすれば、普通の才能しか持たない者にとっては大変過酷な人生となります。家族を犠牲にした生活を送った私の背中を見て育ったせいか、素直に企業に就職し良い奥さんも見つけて本当によかったと思います。

 娘夫婦は息子夫婦とはまったく違ったカップルで、その対比が面白く、今後彼らの人生がどのようになるのか、興味が尽きません。

 娘はいろいろな職業を経験したのち、現在はニートの若者を支援する組織に属しています。業務は結構忙しいようで、週1日の休みを取るのがやっとと言っていました。子供の時の彼女を思うと、人様の世話を焼く職業に就くとは想像もできませんでしたが、社会に貢献できる道を歩んでいることを頼もしく思います。ただ、彼女は飽きやすい体質なので、あと何年持つかが気がかりなところです。仕事持ちのせいか、孫の知らせは当分ないようです。

 子供たち2人が曲がりなりにも職業について家族を持ち元気にやっているのを見ると、我々夫婦も人類の継続にいささかなりとも役に立ったのかなと、昨日はちょっと感慨を催しました。

 孫娘は人見知りがまだありますが、帰る時間になってようやく私とも遊び始め、2歳半とはいえそのバイタリティーについていけず息を切らしました。

 こちらは病弱の身、今朝起きてみると立ちくらみがひどく、また寝込んでしまいました。どうやら昨日の楽しい「過労」がたたったようです。

 末期がん患者の身、あと何カ月彼らを見守れるかわかりません。何年か先の彼ら家族を見物できないのは痛恨の極みです。

 願わくば、21世紀、地球温暖化等の天変地異が穏やかなものになり、彼らの生活に大きな異変が起きないことを祈るのみです。 
by FewMoreMonths | 2007-10-28 16:18 | 人生
スメタナ「わが祖国」を聴く
 最近、スメタナの「わが祖国」のCDを時々聴いています。ご存じのように、交響詩「わが祖国」はボヘミヤ(チュコ)の作曲家ベドルジハ・スメタナの作曲で、6つの交響詩からなります。2番目の交響詩「モルダウ」はもっともポピュラーな曲ですね。

 最近嗜好が変わったのか、第5番の「ターボル」と第6番の「ブラニーク」がなぜか好きになり繰り返し聴いています。「ターボル」には、ボヘミヤの使徒ヤン・フスの騎士団が行進しているような単調ですが重厚なメロディーが繰り返し演奏されていて気に入っています。同じメロディーは第6番のブラニークでも使われています。

 音楽にはほとんど知識がないのですが、私はマーラーやブリュックナー、ブラームスの重厚な交響曲が好きです。「わが祖国」第5、6番目の曲は無論ボヘミヤ臭が色濃く残る曲ですが、ドラマチックな雰囲気が好きです。

 ちょっと気になったので、まったく知識のなかったヤン・フスをウィキペディアで調べてみました。フスはどうやら万能の学者・活動家だったらしく、1400年に僧職を得たのち、1402年にプラハ・カレル大学長になっています。その後「ウィクリフ主義」(私はこの主義を勉強していない)をボヘミヤに広め、教会改革に乗り出したようです。しかし、1414年コンスタンツ公会議に招集され、ウィクリフ主義とフスの思想は異端と審問されたが、自己の主張を撤回せず、結局火あぶりの刑に処せられました。

 (教皇のヨハネ・パウロ二世は1999年、フスに加えられた残酷な刑に遺憾の意を表したと書いてありました。ガリレオのことといい、ヨハネ・パウロ二世は非常に特徴のある教皇でしたね。)

 その後、ヤン・フスを崇拝する一派は、1420から1434年ころカトリック勢力と、いわゆるフス戦争を展開しています。この事件は、1500年代のマルティン・ルターに始まる宗教改革や1600年代の30年戦争に続くのでしょうか、よくわかりません。

 いずれにせよ、ヤン・フスの殉教精神は生き残り、ボヘミヤの使徒・英雄として現在でもボヘミアの人々の心の中に生きているようです。

 ところで、「わが祖国」のCDの表には、ドイツ語のタイトルで、「Mein Vaterland」(父国)と書かれています。日本語では祖国とか母国とか言いますが父国とは言いませんね。もう一つの違いは、「国」という言葉ではなく「Land」という語が使われていることです。

 英語の辞書にあたってみると、Motherlandという単語とFatherlandという単語の両方がありました。単語の意味は、両方とも父祖の出た土地を意味しているようです。とくにアメリカは移民の国ですから、自分のルーツのある地域(国)のことを指すようです。

 それでは、彼らが現在住んでいるアメリカ自身を何と呼んでいるかというと、「Homeland」という語を使っています。

 日本の「祖国」は、建国以来単一民族からなる日本「国」を無意識に「Land」と同じ意味に取ったととらえることができ、国という語を使っても自然なような気がします。

 しかし、わが国では「祖国」という語は死語になったようで、最近聞いたことがありません。また、わが日本という祖国に、ヤン・フスのような国民の精神的支えとなる使徒や英雄もすぐに思い当たりません。
 
 フランスのナポレオン・ボナパルト、トイツのフリードリッヒ大王(二世)、アメリカのジョージ・ワシントン等々、各国にはよく知られた英雄がいます。これらの偉人たちがでた国で、子供たちが彼らの伝記を読むことは、子供たちに祖国を愛しさらに発展させようという気持ちを起こさせ、良い影響を与えるような気がします。

 スメタナのCD「Main Vaterland」からだいぶ脇道にそれました。

by FewMoreMonths | 2007-10-27 11:46 | 人生
科学入門シリーズ1:アインシュタインの「神はさいころを振らない」
 これからシリーズとして主に物理科学で、世界の科学技術の大きなパラダイム変化を起こすきっかけになった発見や、私自身が疑問に思っていたり、またよく理解できない発見などをいくつか取り上げたいと思います。

 まず第1回として、アインシュタインが言ったと伝わる言葉「神はさいころを振らない」をお話ししたいと思います。

 0歳の赤ちゃん1000人を選んだとします。彼らは年とともに成長していきますが、ある原因によって死亡することがあります。ある年数、例えば「T」年後に幸いまだ生存している人数を「N」人とします。縦軸に数値Nを取り横軸に経過年数Tを取ると、そのグラフは例えば、下の図のようになると思います(クリックすると大きくなります)。

 このようなグラフは貧しい国や戦乱によっても大きな影響を受けるでしょう。科学では、このように考えている数値をグラフに表してわかりやすくすることが普通に行われます。

 20世紀前半まで、誰もが、普通の人も偉大な科学者も、このグラフに変化を起こした個々の人々の死には必ず死亡原因があった、と考えることは当たり前で、何の疑問も持ちませんでした。もちろん私もそのことを疑いません。

 ある「結果」があるときには必ずその「原因」がある、というのを「因果律」といいます。哲学でも因果律の存在は疑いようのない原理でした。

 科学者は、この因果律は、極微の世界から、人間が知覚できる世界、さらに大宇宙の仕組みにも、当然当てはまると考えていました。

 1896年フランスの科学者アンリ・ベクレルは原子から何かが放射され、黒紙で包装された写真乾板を黒くすることを発見しました。そしてこの未知の何かを放射線と名付けました。

 20世紀に入って、フランスのピエール・マリー・キュリー夫妻やイギリスのアーネスト・ラザフォードはこの放射線の詳しい研究を行いました。特にラザフォードはキュリー夫妻の発見した高い放射能をもつラジウムを使って詳しい研究を行い、3つの大変重要な事実を発見しました。

・放射線には3種類、アルファ、ベータ、ガンマ線があり、それぞれ、ヘリウムの原子核、電子(またはその反粒子の陽電子)、ガンマ線(エネルギーの互い電磁波、または光子)だということを見つけました。
・放射線は非常に高いエネルギーを持っていることがわかりました。普通の化学反応、たとえばエチルアルコールを燃やすと、反応エネルギーは1モルあたり1368キロジュールです。1モルの化学反応は膨大な数の分子が反応しているので、これを1分子あたりの反応エネルギーに直すと、答えは14電子ボルトという値になります。
(電子ボルトはエネルギーの単位にそういうものがあるということだけ覚えてください。分子や原子あたりのエネルギーを図るのに便利です。)
ところが、ラジウム226と呼ばれるラジウム原子核からは、487万電子ボルトのエネルギーをもったアルファ線が飛び出してきます。アルファ線は1個の原子核ですから、化学反応の1分子のエネルギーと比べなければなりません。そうすると、アルファ線のエネルギーはエチルアルコール1分子の化学反応に比べて34万8千倍にもなります!
・ラジウム226は放射線を出して少しずつ減っていき、違う原子核になっていくことがわかりました。減っていくということはラジウム226が死んでいくことですね。だから、人間の生存率のように、原子核の生存率を図にすることができます。下の図がそれです(クリックすると大きくなります)。

 原子核の減り方は、人間のそれと違って、どの種類の原子核をとってもまったく同じ法則で減っていくことがわかりました。ラジウム226は1600年で最初にあった原子核の数が半分になります。さらに1600年たつと半分になった数はさらに半分になり、最初の4分の1になります。これがどんどん続いていって最終的にラジウム226はすべて他の原子核に変わってしまうのです。この1600年のことを「半減期」と呼んでいます。そしてこの減り方は、「指数関数」という簡単な数学で表すことができます。また、原子核が減っていくことを原子核の「崩壊」と呼びます。

 今日のお話は、この3番目の発見に関することです。人間が死ぬのと違って、原子核はしっかりとした法則で崩壊していきます。科学とはこのような法則をどう「解釈」するか、を極める作業のことです。

 数学的にあらわされた指数関数的減少は実は大変な事実を隠していたのでした。

 それは、「原子核の崩壊には、崩壊を促す原因となるいろいろなパラメータが入っていない。ただ、半減期という基本的パラメータが存在するだけだ。この意味するところは、ラジウム原子核は何の原因もなく突然崩壊する。ただ、多くの原子核崩壊を集めてみると、統計的にグラフに表したような指数関数的減少を示すだけだ」というふうに解釈しなければならないのです。これを純粋な「確率現象」といいます。

 つまり、極微の世界で、それまでだれも、偉大な物理学者や哲学者も疑わなかった因果律、つまり何かが起きるときには必ず原因があること、が成り立たない現象が発見されたのです。

 あの偉大なアインシュタインは因果律の存在しない法則をどうしても受け入れることができず、確率現象のもっともポピュラーなサイコロゲームをもじって「神はサイコロを振らない」とつぶやいたのでした。

 現象が原因に基づかなくて確率的に起こる、という法則は、まったく新しい「量子力学」という物理学の基本原理となりました。

 21世紀のエレクトロニクスなどによる歴史的な科学・技術の進歩は、まさにこの因果律によらない量子力学が基礎となって起こったものなのです。

 しかし、あの偉大なアインシュタインがなぜそれほど因果律にこだわったのか、誰にもわかりません。もしかしたら、21世紀にまたパラダイムの大変換が起きるかもしれません。
by FewMoreMonths | 2007-10-26 16:42 | 科学入門
科学における論文数と引用数その3、科学技術におけるアジアの台頭
 前回のブログ「科学における論文数と引用数1及び2」で、引用数がトップクラスにある論文の生産能力は一国の科学レベルの高さを表すことを書きました。また、その国ではその論文の情報が得やすいことから、関連する後続の研究が発展し研究レベルでも研究層の厚さでも急速に世界のトップに躍り出ることができます。

 文部科学時報2007年9月号に、論文数及び引用数に関係した記事がありましたので紹介します。タイトルは「科学技術の成果に見るアジアの諸国と地域、学術論文の動向」です。根拠となるデータは、トムソン社のデータベースから取っています(下の表の注参照)。

 論文数(全分野)のシェア(ある国の論文数÷全世界の論文数)に関しては、世界の順位を見ると、アメリカ、日本、イギリス、ドイツ、フランス、中国の順になっています。論文数では、中国が急速に台頭しています。アジアでは、インド、韓国、台湾がそれぞれ13,14,18位につけています。

 次に下の表を見て下さい(クリックすると大きくなります)。

 まず、1行目は国名と当該国の論文数が世界で占めるシェア(%)がかっこ内の数字で示されています。中国は人口が多いだけあってシェアが急速に伸びています。しかし、当面日本の優位は続くでしょう。

 次に左の列の順位は、表の中に出てくるいろいろな分野を論文シェアの高い順に並べたものです。例えば、日本では、論文シェアの高い順に材料科学、物理学、薬理学、、、のように並ぶという意味です。

 日本の9位と10位の間を通って二重線が引かれていますが、例えば日本ではこの線の上にある工学、微生物学、農学、、、などが、日本の全分野の論文数シェアより高いことを示しています。神経行動科学、免疫学、、、などはあまり論文数が多くない分野という意味です。

 前の2回のブログで強調したように、論文数とともに、いやそれ以上に重要なのは論文の引用数です。この表では相対被引用度という指標が使われています。これは、
(ある国・ある分野の1論文あたり平均引用数÷全世界・同じ分野の1論文あたりの平均引用数)
として計算します。相対被引用度が1より高ければ高い分野ほど、「平均として」世界で重要な論文を生産していることになります。表の中の赤い楕円で囲った分野は、相対被引用度が1より高い分野を示しています。

 日本では材料科学、物理学、免疫学、植物動物科学、宇宙科学がそれに該当します。

 中国には相対被引用度が1を超える分野はまだないようです。

 韓国では材料科学が1を超えています。

 アジアの諸国では、得意な分野がかなり似通っていることがわかります。

 本文にも言及されていますが、数学、コンピュータ科学の2分野を見ると、日本以外の各国は相当力を入れているな、という印象を持ちます。

 学術というのは、第一に研究者の自由な発想で始めるのが肝要です。数学、コンピュータ科学の研究者は、まず研究成果を(さらに)あげることが必要です。高い研究成果が若者を引きつけ分野が発展していくことになります。また、研究者は自分の働いている分野に愛着と誇りを持ち、積極的に若者を勧誘することも大切でしょう。

 私は研究上のトップダウン手法をあまり評価しないので、政策的に例えば数学の振興を誘導するなどということはいかがなことかと思っています。
by FewMoreMonths | 2007-10-25 16:08 | 科学政策
科学における論文数と引用数その2、福井秀夫氏の日経記事
 前回のブログ「科学における論文数と引用数その1」で、引用数がトップクラスにある論文の生産能力は一国の科学レベルの高さを表すことを書きました。また、その国ではその論文の情報が得やすいことから、関連する後続の研究が発展し研究レベルでも研究層の厚さでも急速に世界のトップに躍り出ることができます。

 だいぶ古くなりますが、5月28日の日本経済新聞に政策研究大学院大学の福井秀夫氏が、
「旧帝大優遇でひずみ、大学の公的助成」なるタイトルで投稿記事がありました。
氏の偏見のある意見は毎度のことなので皆無視して反論を書く人もいませんでした。せっかくですからちょっと紹介しましょう。

・「根岸正光氏の分析によれば、論文の引用度(過去10年間の刊行論文数に占める直近年の論文引用数)は、国立大1.69に対し私立大1.51とほとんど拮抗している。」
・「ところが、主要な競争的資金である文部科学省科学研究費の06年度実績は、東大・京大の2校のみで全体の20%、旧帝大で全体の43%を占めている。さらに旧帝国大は1校あたり99億円を獲得し、一方早慶大は1校あたり20億円に過ぎない。」
・「論文引用度基準から見て、かくも極端な官民格差は説明困難である。」

という記述がありました。

 第一の文章では国立大と私立大全体の平均引用度を議論しています。根岸教授の解析では数10に及ぶグラフを示しているはずですが、著者は都合のいい1つの数値を引っ張り出して示しています。

 次の文章では突然旧帝大に話が行きます。そして、科学研究費の配分額を早慶大と比較しています。

 最後の文章では、国私大(旧帝大と早慶大ではない)の平均引用数を元に「官民格差は説明困難」と結論しています。

 私のコメントを少し書いておきます。

・論文引用数が1や2などは、論文の質に関係なく作ることができます。上の例ですと過去10年間の論文を云々しているわけですから、いくら出来の悪い教官でも10編位の論文はあるでしょう。直近年に1編の論文を書いて過去の自分の論文2編を引用すれば、直近年における引用数は2となります。だから、引用数が2や3では議論の対象にならないのです。前回のブログで高度な研究の引用数を紹介しました。1論文当たり160位の引用数がありましたが、この程度になると自己引用数は関係なくなります。
・旧帝大と早慶大を比較するのならなぜ、引用数も旧帝大と早慶大の数値を直接比較しないのでしょうか。
・旧帝大と早慶大を比較するのならなぜ、さらに重要なトップクラス引用数の比較をしないのでしょうか。
・旧帝大と早慶大で科学研究費取得に対する指標には、配分額以外にも重要なものがあります。各機関の教官総数及び科研費応募登録研究者数に基づいた、応募率、採択率、特に配分額に大きく影響する大型科学研究費に対するそれらの指標です。ちなみに、応募率は各機関の自己努力を表し、採択率は審査の公平さを表します。
・実は早慶大と他の私立大の格差は、旧帝大と早慶大との格差よりももっと深刻です。筆者はそれをどう捉えているのでしょうか。

 福井氏がいやしくも大学教授・研究者であるならば、他人の分析の一部を恣意的に取り出すのではなく、氏ご自身がデータを独自に分析して答えを出さなければなりません。

 福井記事では、氏の個人的信念である旧帝大を貶めようという意図が表に出てしまいました。旧帝大の研究レベルを落とすんではなく、早・慶大の研究レベルを旧帝大レベルに引き上げようという、ポジティブ思考が働いていないのが悲しいところです。

 急いで付け加えますが、日本の科学基盤を充実するためには、私立大学やその他の機関に所属する研究者に、その「研究レベルに見合う」研究費を分け隔てなく配分することが重要です。そのためには科学研究費の採択審査は、透明であり公正でなければなりません。

 以前にも書きましたが、私的な感情に基づいて政治家に陳情し、競争的資金の審査方法を脅迫でもって変えようとする動きがあったように聞いたことがあります。これなどもってのほかで、科学者なら科学者らしく、学術会議等で十分議論をしてほしかったと思います。

 9月22日のブログにも書きましたが、少なくとも、文科省・日本学術振興会が行っている科学研究費補助金の審査体制は、その透明性・公正性からいって世界でもっとも進んだシステムだと思います(まだ問題も多々ありますが)。日本では科学のすそ野を広げるべく多くの努力がなされているのです。

 問題があるとすれば、科学・技術に対する国の支援がアメリカなどと比較すると圧倒的に貧弱である、という点につきるのです。この点に関しては、既に「科学」のカテゴリーに一連のブログを書きました。
by FewMoreMonths | 2007-10-24 14:58 | 科学政策
科学における論文数と引用数、その1
 科学者は、観測や実験、それに理論的考察などによって研究を行い、得られた結果(成果)は論文という形で発表し、その成果を世に問います。

 多くの研究者がいれば当然多くの論文が書かれ、また優秀な研究者がいれば一人一人が多くの論文を書くことになります。だから、一国の論文数というのはその国の科学のすそ野の広さとある程度の実力を表しています。論文数は当然分野別に集計することができます。日本は物理学や材料科学に強いが**分野はとんとだめだとか、アメリカはすべての分野で強いとか、論文数を基準にしてよく議論されます。

 しかし、誰も読まない論文や誰も興味を持たない論文をいくらたくさん書いても科学へのインパクトはありません。重要な発見などを発表した論文は当然科学界で注目されます。そして、科学界は、その発見が重要であればあるほど、その発見の検証やその研究成果をさらに発展させるべく新たな研究が始まります。

 科学論文は、当然ですが、元々の発見者の業績を高く評価します。後続の論文は、自分たちの研究の基礎となったオリジナルの研究論文は何々であると、必ず最後に記載しなければなりません。この記載を「引用(cite、citation)」といいます。

 だから、引用された数(引用数)が多い論文ほど、その価値が高く重要だということがわかります。

 もう20年前になりますが、1986年IBMチューリッヒ研究所のヨハネス・ベドノルツ博士とカール・ミュラー博士は銅酸化物が予想もしなかった高温超伝導の状態になるというセンセーショナルな発見をしました。今でも記憶に新しいところです。これをきっかけに高温超伝導の研究が世界で怒濤のように始まりました。ベドノルツ・ミュラー両氏のオリジナル論文の引用数は大変な数に上るでしょう。

 もう一つの例は、1987年日本の小柴教授のグループが観測した超新星ニュートリノの観測です。16万光年離れた大マゼラン星雲で起きた超新星からのニュートリノを史上初めて捉えた観測でした。この観測結果を解析する理論の論文が何100と発表されました。当然引用数は数100に上りました。

 科学・技術は、まずブレークスルーとなる発見や発明が基礎となります。そのあとに後続の研究が続き、当該分野が大きく発展し「成熟」していきます。発展が一段落した分野では、論文数は多くなりますが、引用数は必然的に下がっていきます。

 最近、日本の科学・技術の実力を図るのに、論文数と「平均引用数」がよく使われます。上にも書いたように論文数は、当該科学分野の基盤の厚さを示す指標として的確なものです。

 平均引用数は当該科学分野で1論文あたり何回引用されたかを示す平均値(全論文の引用数の合計÷全論文数)です。この値が大きいと、その分野は比較的活発に研究が行われていることを示しますし、研究分野の実力が総体的に注目されていることを表しています。

 要するに、論文数と平均引用数はだいたい同じ指標で、繰り返しますが当該分野の基盤の厚さを表しています。

 ある分野で引用数がトップにある論文はその分野で最も重要な論文といっていいでしょう。一国の科学の基盤の厚さでなく「科学レベルの高さ」を測るには、平均値ではなく、引用数がトップクラスにある論文がいくつあるかのほうが重要です。

 そして、そのような論文が身近で作られることが肝心です。例に挙げた超新星ニュートリノの発見は日本で行われたため、情報が日本の研究者に直ちに行き渡り、後続の論文では日本が世界を大きくリードしたと聞いています。また、国民や行政当局も注目するためニュートリノ研究という新分野は日本で大きく発展しました。

 つまり、一国の科学レベルを引き上げるためには、引用数がトップクラスにある論文の生産、その研究成果をあげられる優れた研究者の存在が最も重要なのです。

 日本にも世界が注目する論文は多くあります。いわゆるDistinguished Scientistの一例をお見せしましょう。一般の教官とはちょっと違うレベルだということを理解してください。スタンフォード大学のデータベースに原子核・素粒子・天文・関係の論文の引用数の集計が公開されています。そのデータは自由に閲覧できます。某氏のデータを紹介しましょう。

1論文で最も高い引用数は約2900で、全論文を合計すると、総引用数24000,1論文あたりの平均引用数は161です。

 このような論文が出ると、関連する研究活動が活発になって基盤が充実し、その論文を発表した国は、その科学分野で世界のトップに躍り出ることになります。  (続く)

by FewMoreMonths | 2007-10-23 12:24 | 科学政策
映画「グッド・シェパード」を鑑賞して
 今日は秋晴れのすばらしい天気でした。体調もよく散歩に絶好の日でしたが、妻との約束で映画「グッド・シェパード、The Good Shepherd」を観に行きました。

 実は先週10数年ぶり映画に行きました。新しい映画館は昔と全く違い、約10種類の映画を同時放映できる小劇場群からなり、劇場内の座席は快適で、ドリンクを置くトレーまでついていました。トイレも全く快適で昔の薄汚い映画館の印象をぬぐい去るカルチャーショックを経験しました。
 そして、何年も時代物のテレビで洋画劇場の映画を観ていましたので、大きな画面と大音響に圧倒されました。

 先週の映画は「大統領の死、The Death of a President」という、ブッシュ大統領がシカゴのシェラトンホテルの前で暗殺されるストーリーでしたが、今ひとつの感がありました。しかし、久しぶりの娯楽映画なので楽しみました。

 今日の映画のストーリーを詳しく説明するわけにはいかないのでしょうが、ちょっとご紹介します。

 時は第二次世界大戦が始まる前の1930年代後半のアメリカ。イェール大学の優等生エドワード・ウィルソンはイェール大学のエリート秘密結社「スカル&ボーンズ、Skull & Bones」に入会後、退役将軍ビル・サリバンの誘いで、当時アメリカにいなかった本格的な諜報活動員になり、イギリスで諜報活動の訓練を受けます。第2次大戦後、ドイツで優秀な科学者がソ連に連行されるのを阻止する活動を行い、そこでソ連KGB諜報員との接触を経験します。

 時はさらに進んで1961年、新組織CIAのシニア諜報部員となったエドは、カストロ政権の転覆を図るべく、反カストロ軍のピグス湾上陸作戦を指揮する指導者になっています。しかし、ピグス湾作戦はものの見事に失敗。敗戦の理由は、極秘情報の「ピグス湾」なる語がソ連KGBに漏洩したのでした。

 物語は秘密漏洩の解明とソ連二重スパイの活動、昔のKGB将校との邂逅と進み、最後に秘密漏洩を暴いて情け容赦のない制裁を加えます。

 最後にエドは換骨奪胎されたCIAの諜報本部の責任者になったところでストーリーは終わります。

 この物語のもう一つの重要な要素は、諜報活動と家庭との両立でした。エドはアメリカ国家へ忠誠を誓う愛国者であり、家庭を一切顧みることなく作戦に没頭し、その過程で家族の愛との葛藤に苦しんでいます(8月8日のブログ「ガンジー、家庭か国家か」でも似たような物語を紹介しました)。

 もうストーリーの説明をやめますが、3つとても印象に残ったことをコメントして終わりたいと思います。

・ビル・サリバン将軍は重篤な糖尿病を煩い余命1年の宣告を受けながら、国家のため諜報組織設立とそのための有能な若者のリクルートに大きな努力を払います。スケールは全然違いますが、余命の少なくなった我が身を振り返ったとき、祖国日本にほとんど貢献できなかったことがなんだかすごく恥ずかしく感じました。
・10月12日のブログでハーバード大学の状況を紹介しましたが、そのとき、エリック・シーガルの小説「クラス」を紹介し、名門大学の強固な同窓会組織のことに言及しました。今日の映画に出てくる「スカル&ボーンズ」も大変強固な同窓会組織で、エドは定期的に結社の会合に参加しています。ここで必要な人脈が形作られていくわけです。
・映画の主役エドワードや小説「クラス」のアンドリューなど名門大学出身者は、俗界からほとんど隔絶したエリートです。一般大衆との接点はなく、少数のエリートとの接触と、国家への忠誠心に基づいて人生を切り開いていきます。実は、アメリカやフランス、イギリスなどはこのような超エリート集団によって下層国民が統治される形態を取っていると考えていいと思います。正しい比喩でないかもしれませんが、プラトンの「国家」にでてくる「哲人統治者」のイメージがここにあります。

 前々から考えていたことではありますが、アメリカなどに存在する厳しい規律と強烈な愛国心を持った超エリート集団に対して、日本の官僚・政治家そして末席ではありますが科学者はいかに対抗すべきなのか、気がかりなことです。

 娯楽映画とはいえ、ちょっと参考になる映画でした。

 しかし、手に汗を握る緊張感には大分疲れました。

by FewMoreMonths | 2007-10-21 18:39 | 人生