<  2007年 11月   >
ラスコー洞窟画にも黒かび!地球温暖化の影響か
 ちょっと古いですが、11月21日のCNN.comに標記のびっくりするような記事が載っていました。

 わが国では高松塚古墳の壁画がカビのために見るも無残な状態になったことはよく知られています。ちなみに高松塚古墳の作られた時代は、600年代末から700年代初めの藤原京期とのことです。カビでだいぶ痛んだ壁画の画像は上のリンク(ウィキペディア)に載っていますのでご覧になってください。壁画のある壁は分解されて修理をするというニュースは、今年大きく報道されました。日本の宝ですから、十分な保存対策が採られていなかったのは残念です。

 さて、ラスコーは、フランス南西部にある旧石器時代の人々が住んでいた洞窟群です。洞窟は、1940年4人の若者と1匹の犬によって発見されました。見事な洞窟画は学校の教科書にも載っていましたので、誰でも記憶にあると思います。きれいな画像は上のリンクに入ると見ることができます。
 その後、多くの人々が訪れたため洞窟画の痛みが激しくなったので、1963年に洞窟は閉鎖され、研究者など関係者のみが入るだけとなりました。

 炭素14年代測定によると、岩壁画は、今から15000年~17500年前に描かれたもので、旧石器時代の見事な芸術作品です。

 過去にも湿気によるしみなどが現れたそうですが、今回は黒かびの発生が認められたのです。確か高松塚古墳の壁画にも黒いしみがありましたね。

 まだはっきりしませんが、黒かび退治に有効な薬品が見つかったそうです。

 さて、黒かびがなぜ発生したか、です。記事によれば、1981年と比べて洞窟内の温度が1.6度F上がったそうです。研究者は、地球温暖化がこんなところにも影響しているのではないか、と考えているそうです。

 しかし、高松塚古墳壁画の悲惨な状態と比べると、ラスコー洞窟はまだまだ被害が初期段階のようです。洞窟の閉鎖は、高松塚古墳のような地上にある遺物と比べて完全にできるためでしょう。

 文化庁のHPにある「高松塚古墳壁画保存管理の経緯」を見ると、2004年には、カビの状態は最悪になっていて、石郭内でムカデ16匹を捕まえた(ひどい!)とありますから、密閉が明らかに不完全だったことがわかります。

by FewMoreMonths | 2007-11-30 08:25 | 環境・災害
「柏崎刈羽原発での制御棒事故」朝日新聞報道を叱る
 原発関連のブログは、構想を練った後でまとめて行おうと思ったのですが、「柏崎刈羽原発での制御棒事故」に対するメディアの記事に疑問がありますので、香が抜けないうちにお話ししたいと思います。

 私は朝日新聞を購読しているので、他のメディアが関連する事項をどのように取扱ったのか承知していません。一紙だけ取り上げるのはいかがなものかと思いますが、おかしいことはおかしいので、あえて話題にしたいと思います。

 原発事故に関係する朝日新聞の記事で、私が切り抜いて保存しているものを見ると、8月24日から11月23日まで12件あります。すべてが原発指針や東電・中電の対応に対する批判記事です。気になった報道は、10月19日と11月23日の記事です。そのコピーをそれぞれ下に示しました(青のマークは筆者)。


 10月19日の記事は図の上側で、柏崎刈羽原発7号機で制御棒が抜けなくなったのは原発炉心にも地震の被害が及んでいる、と大きな見出しで報道しています。

 11月23日の朝刊に、見えないくらいの小さな記事が片隅に載っていました。図の下側がそれです。上下の記事の大きさはもともともの記事とほとんど同じ比率にとってあります。タイトルは、「柏崎刈羽4号機タービン、新たな傷」とあります。タービンは原子炉の外に設置されている装置なので、故障自体は重要な事故ではありませんし、「こすれたり当たったりした傷」の重要性がいかなるものかの説明もありません。

 驚くのは、同記事の後段の部分です(青マーク参照)。「地震で緊急挿入した制御棒が引き抜けなくなった7号機については、分解して点検した結果、異状は見られなかった」とあります。

 炉心での事故は原発にとって極めて重大な事柄です。だから10月19日の記事はあのように大きな取扱いになったのです。

 地域住民の皆さんもさぞかし不安に思ったことでしょう。私も、この故障は原発の将来に暗い影を落とすのではないかと懸念していました。

 ところが、11月23日の取り扱いを見てください。タイトルには制御棒事故の言及は一切無しで、後ろにさりげなく制御棒の故障はなかったと書かれています。

 マスメディアの報道は、地域住民に正確な情報を流して、その情報内容が地域住民に危険なものならば、さらに専門家の意見を聴取して徹底的にその情報を究明し報道すべきなのは言うまでもありません。

 しかし、もう一つマスメディアの重要な役目は、最初の報道で地域住民に与えた不安がその後の検査で誤りだった場合、その事実を「最初の記事と同じくらいの大きさで」報道し、住民の不安を解消すべきです。

 11月23日の記事をも追う一度見てください。朝日新聞はこの記事で住民の不安を解消する努力を全く怠っているのみならず、微小な傷の報道によって、さらに地域住民の不安をあおろうとしています。

 朝日新聞はもともと原発に反対の立場を貫いていますので、地域住民の不安をあおる記事を意図的に大きく扱っている、と誤解されても仕方ないと思います。

 他のメディアの方によく聞くことですが、新聞も所詮は企業の一つ、新聞が売れなければ成り立たない。報道で一番よく売れる記事は、スキャンダルと住民の不安をあおる事故報道とのことです。だから、科学記事でも、研究費不正や論文捏造の記事ばかり出て、重要な新発見は置き去りにされます。

 新聞社の思い入れと、売れればいいという2つの側面でできた記事が幅を利かしていることは、日本の新聞の質を考えたとき悲しむべきことです。

 もう一つ、災害や事故に関する内容は科学技術と密接にかかわっています。上記の記事は、多分柏崎あたりの地方記者が書き、それが全国版に載ったものと推測します。新聞社も大きな組織で日本的な風土を強く持っていますから、各セクションが縦割りになっている弊害は免れません。しかし、大災害や大事故のような重大な報道の場合、科学技術担当の記者が深く関与することがどうしても必要と思います。これは以前にも主張したことですが、改めて繰り返しておきます。

 朝日新聞の綱領の一つに、「真実を公正敏速に報道し、評論は進歩的精神を持してその中正を期す。」とあります。記者諸氏は、公正・敏速・中正を忘れるべきではありません。

 蛇足ですが、綱領のもう一つを示します。「不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す。」大変高邁な精神で結構だと思います。政治記事における民主党びいき、国際記事における非民主国家ベネズエラびいきは、たぶんこの綱領の範囲内なのでしょう。
by FewMoreMonths | 2007-11-28 10:24 | 環境・災害
佐々木閑先生の「僧侶の集団は年功序列」(朝日新聞11月15日夕刊)を読む
 佐々木閑先生の連載エッセイ「日々是修行」は毎週木曜日に朝日新聞夕刊に出ています。10月25日11月8日のエッセイは既にブログでその含蓄ある内容をご紹介しました。今日は11月15日のエッセイをご紹介できればと思います。

 タイトルは上にも書きましたように「僧侶の集団は年功序列」です。

 私の実家は近所にある曹洞宗の寺院にお墓があり、父そして今は兄がお寺の総代の一人としてお世話になっています。その関係かどうか、お寺の住職さんが永平寺で修行した時のことをちょっと聞きかせてもらったことがあります。しかし、お坊さんの集団がどのような組織になっているのか、またどのように修業をするのかまったく知識がありません。

 今回の佐々木先生のエッセイは、そのあたりのことをさりげなく紹介しています。まずちょっと引用しましょう。

・スリランカや東南アジアには、お釈迦様時代の規則をそのまま守って修行している坊さんたちの集団がいくつもある。そしてその規則によれば、寺の中の序列は全くの年功制。『坊さんになってからの日数』だけで上下が決まる。

・上下関係が、本人の資質や能力とは関係のない、出家からの日数というつまらない基準で決まっていると、上下関係そのものがつまらないものになる。

・自己を見つめ、心の煩悩と戦うために出家した僧侶の生活に、世俗的な上下関係は邪魔である。闘争なき集団統制システム。

なるほどなるほど。

 科学者には二通りの世界があるようです。一つは、1人か部下2,3人と一緒に研究を行うスモールサイエンス、もう一つは、数10人以上の研究者が徒党を組んで研究を行うビッグサイエンスです。

 お坊さんも自分のお寺に帰れば修行は個人で行わざるを得ず、科学のスモールサイエンスに当たるのでしょうか。お坊さんが総本山に出向き、他のお坊さんと集団で修行する世界は、さしずめビッグサイエンスに対応しているかもしれません。

 しかし、お坊さんの世界には競争がないのでしょうか。煩悩を断ち切るのはあくまでも個人的なことで、他人と張り合うことなど全く必要ないのでしょうか。まあ、この張り合いこそ煩悩そのものなのでしょうが。

 私はビッグサイエンスで生涯を送ってきましたので、佐々木先生の「つまらない年功序列」に大いに憧れました。科学とは普遍的原理を探求するものだから人間の葛藤など入り込む余地がなく、科学が行われている場所は暗黒の宇宙に漂う無機質の世界だ、と思っていませんか。実は大違い。科学は頭でっかちで世間知らずの泥臭い人間が行う極めて世俗的な営みです。

 研究者は煩悩の塊で、張り合っている他の研究者の足を引っ張ることもするし、伸びてくる若者の頭を押さえつけることさえあります。研究者は、およそ科学的でなくシステム化があまりされていない混とんとした組織を作ります。研究代表者は、研究者間の折り合いをつけ、集団として最高の成果を出すように仕向けなければなりません。そのため、よい研究成果を出しているグループでは、往々にして独裁的な研究代表者が率いていることが多いです。

 しかし、なぜ研究者は張り合って競争するのでしょうか。それは、研究では1番乗りがすべてで、2番煎じは成果とは認めてくれないからです。振り返ってみると、まったくバカみたいに外国グループと張り合って研究した思い出があります。これは精神にすごい緊張をもたらし、うつ状態に陥ることさえあります。

 そこで、できる研究者は、人のやっていない研究テーマ、それも大変重要な研究テーマを見つけて、他人の動きに惑わされずに悠々と研究を続けます。他人と張り合うという愚かな行為を避けているのです。こういうグループでは、研究代表者は昼寝をしていればいいし、若者も焦らず時間をかけて研究に専念します。グループ内の競争も余りありません。
 (ただし、ユニークな研究成果は必ず他人による独立な検証が必要です。オンリーワンの研究は定義からして人がやっていない研究ですから、その検証には、他人がその研究レベルまで追い付く必要があります。そのためにはある程度の時間が必要で、研究成果の確立が遅れます。できる研究者になるは、時間を気にしない落ち着きを持つことが必要です。)

 もしかしたら、このようにユニークな研究をしているグループが僧侶の修行世界と少し似ているかもしれません。

 しかし、人がやっていない研究テーマを見つけるには、どうしても抜きん出た才能が必要です。才能は人のやっかみを生みます。なにはともあれ、そのようなやっかむ心を捨て去るまで修業し、心を澄ませることが必要なのでしょう。俗人にはなかなか難しいことです。
by FewMoreMonths | 2007-11-27 09:56 | 人生
「がん体験をめぐる語り」のデータベースを作ろう・公開フォーラムに参加した印象
 昨日11月23日、東大農学部のホールで上記のフォーラムがあり、データベースに関してブログでも訴えたことがあるので、講演等を聞きに行ってきました。

 主催は、厚生省科学研究費の支援を受けている「がん患者の語り」データベース研究班で、共催が日本対がん協会、協賛がディペックス・ジャパンという「任意団体」です。研究班と任意団体の関係がよくわからないのですが、いずれもデータベースの構築に熱心です。

 私は、データベース構築の案には大賛成ですので、厚労科研費の研究班に年会費を払うのは変だなと一瞬思ったのですが、年会費4000円を払って早速ディペックス・ジャパンに入会しました。作ろうとなさっているデータベースの詳しい内容が私の思っていることと同じなのか、違っているかを知りたいと思って今回のフォーラムに参加しました。

 ディペックス・ジャパンの理事長さんが、オクスフォード大学の2人の研究者が始めたDIPEx(Database  of Individual Patient Experiences)に感動して、言ってみればそのコピーを日本で展開しようというものです。ディペックスの趣旨は、ディペックス・ジャパン理事長の講演によれば、「薬と症状を単につなぎ合わせた断片的な知識としてではなく、患者の語る言葉、患者の映像などから、その思いを受け取ることが必要」とあります。

 いくつかの印象をまず述べます。
・主催者の熱意は大いに伝わってきました。
・患者のためというよりもむしろ看護師を含む医療関係者のためのデータベースという印象を強く受けました。厚労科研費の研究班主催ですから仕方ないのかもしれません。
・研究班と任意団体「ディペックス・ジャパン」の関係は最後までわかりませんでした。
・フォーラム参加者のほとんどは医療関係者や患者団体の代表者等で、私のような個人患者の参加はあまり多くなかったようです。

 ディペックスが作っているデータベースは、ウェブサイトを訪問してご自分で判断していただくのがよいと思います。私のコメントをちょっと書きます。

・データベースの作成に当たっては、患者さんの自宅に行き、1,2時間ビデオ撮りをします。
・1、2時間の情報は膨大すぎますので、担当の研究者が編集を行い、内容を数分間に締めます。研究者が編集作業を行い、大幅な縮小版を作るため、編集方針、マニュアルが極めて重要になります。
・編集方針の内容はあまり明らかではありませんでした。厚労科研費の主任研究者によるある程度の思いは紹介されました。「各患者さんのヒヤリングから共通する普遍的な情報を抽出したい」と発言されたと思います。あくまでも研究者からの発想と思いました。
・データ数は、がん部位ごとに30~50名とする。この数の制限は、たぶん編集作業のマンパワーの制限によるものと思われます。
・英国のディペックス・データの一部を見聞きしてみました。確かに患者さんの顔が見えるのは印象深いです。
・語りの内容ですが、極めて一般的な話です。患者さんの履歴は、たとえば、「概要 : 1998年に乳がんの診断。乳房温存手術、化学療法、放射線療法、タモキシフェン、アリミデックス投与、がんの転移に薬物療法」という、簡単なものです。

 以上簡単な紹介ですが、このデータベースの意図しているところは、患者の心理的な側面を映像・音声を通して獲得し、上にも書きましたが、それを患者ではなく、むしろ医療関係者に利用してもらい、患者との対応の改善につなげたい、と理解しました。

 しかし、長年お世話になっている先生方とのお付き合いで得た感想は、先生方には違うといわれるかもしれませんが、プロとして患者の素人意見は取り上げない、というプライドを先生方はお持ちのようです。また、先生方は外来患者等の対応で大忙しですから、データベースを検索する時間的余裕さえないのではないかと危惧します。

 ディペックスのデータをちょっと見ただけですが、患者として全く同感する文言がありました。紹介しますと、
「Everybody is different, it's not like an engine where you just take a cog out and put one back in, is it? It's all very different.
So, I am concerned, I feel well but I don't know what's going to happen.」。
意訳してみると、
(みんながみんな違うんです。エンジンの悪くなった歯車をひとつ取りだして新しいのを付け替えるのとはわけが違います。みんなすごく違うんです。私はもちろん心配です。今は気分がいいんですが、これから何が起きるのかわからないからです。)

 患者のためのデータベースでは、この点を重視することが必要です。多くの違いの中から、自分の履歴と似ている患者さんの体験を多く聞いて、参考にし、上の文章にある、「I don't know what's going to happen.」の懸念に対する方策を求めたいのです。

 私のブログに書きましたように、患者の究極の願いは、
「がんが完治する必要はない、今の状態でいいから少しでも長生きがしたい、です。しかし、耐えられない苦しみはご勘弁願いたいですが。生命個体の本能でしょうか、とにかくもう少し生きたい、というのが大方のがん患者の最も切実な希望だと思います。だから、私にとって5年生存率というのは参考にはなりますが、5年経過してしまえば、我が人生にとって意味のない数値なのです。」

 そして、患者の私にとって知りたいことは極めて具体的なことなのです。いくつかを書いてみると、

・同じ病歴を持つ他の患者さんは、私が今抱えている抗がん剤の副作用を経験しているのか、その軽減策はどうなのか。
・今の抗がん剤が効かなくなったとき、他の患者さんはどのようなチョイスをしたのか。
・間質性肺炎にかかったが、その前兆がなかった。次の予防のために、他の患者さんの場合、前兆現象があって予防ができたケースがあるのだろうか。
・同じ病歴のある患者さんはあと何年くらい生きていたのだろうか。

等々きりがありません。

 このような具体的な情報をピックアップするためには、残念ながらディペックスのデータベースは目的が違うようなので、あまり役に立ちません。

 私がかかっている病院では、抗がん剤専門の薬剤師さんが小冊子を患者さんに配布します。そこには、日付、血圧、体温、副作用症状(多くの具体的項目があり自分でチェックを入れる)を書き込んだり、さらに気づいたことを書き込む欄があります。我々はできるだけ毎日記録をつけ、次回に薬剤師の先生に診ていただきます。

 私は、この小冊子を患者さんの了解を取って回収し、患者の詳しい履歴と一緒に整理してデータベースにしてくれないか、と先生に提案したのですが、想像を絶する提案だったらしく、思いもよらないというようなお顔をされていました。

 このようなデータベースの作成は、プロジェクトとして長期的に行い、医療の進歩等に応じて必要な更新を行うことが重要です。ユーザーフレンドリーな検索エンジンの開発も欠かせません。私は、国の恒常的支援を受けた組織がこのような作業を行うべきと考えます。

 お前がやれと言われそうです。遺憾ながら、私はがん対策とともに、いやそれ以上にやりたいこと現在あります。もう少し体調が改善した時には、ぜひ貢献したいと思います。
by FewMoreMonths | 2007-11-24 11:48 | 大腸ガン治療経過
科学入門シリーズ3、植物の基本は「いい加減さ」続続続続、木々の種子はいい加減でない
 樹木愛好家のお話も一応今日で最後にします。

 植物の葉や枝振りなどは、一定の規則も持たずかなりいい加減にできていることを話しました。そのいい加減さにも遺伝子が関与しているらしく、問題は、遺伝子のスイッチをオンにしたりオフにしたりする動的メカニズムにいい加減さの秘密がありそうだと見当をつけました。しかし、このあたりの研究はまだ進んでいないようです。

 我が家の猫の額ほどの庭には、2本のヒメシャラが植えてあります。もう30年も年を取っていますが幹の直径は15センチメートルくらいで成長の遅い木です。それでも春になると、大きさが2センチほどの白い花をいっぱいにつけます。目立たない花なので、花が下に落ちているのを見て、ああヒメシャラが咲いているんだ、と気がつきます。花が終わると、実がなり、秋口になると多くの実は落ちてしまいます。

 落ちた実の一部は、翌年の春に芽を出します。それを鉢に植え替えて育てたことがあります。数年かかって数10本も試したでしょうか。なかなか気むずかしい木で、多くは育ちません。それでも1本が元の仕事場の奥飛騨で、もう1本は相模原の方で生き残っています。奥飛騨のヒメシャラはもう3メートルを超えているようで、たぶんこのまま生き残るでしょう。
 懐かしい奥飛騨の谷底にある私のヒメシャラを紹介します。(クリックすると大きくなります。上部の枝が雪の重みで折れています。)


 横道にそれました。今日のお話は、その実のことです。葉の大きさのいい加減さと比べたとき、実の方は大きさもそろっていて、決していい加減ではないことに気がつきました。

 庭には、何種類かのバラや、ヘンリーヅタ、ツキヌケニンドウ、スイートカズラなどいろいろ変な植物が植わっています。これは妻の趣味で、私は植栽に特別興味はありません。今年は気候が良かったせいか、ツルバラにたくさん実が付きました。また、今年初めてヘンリーヅタに花が咲き紫っぽい実もなりました。ツキヌケニンドウやスイートカズラの真っ赤な実もかわいいものです。

 植物の種類によって実の大きさ、色や形も違いますが、各植物の実は大きさもほぼ同じで決していい加減ではありません。

 奥飛騨の秋口には、オニグルミの実が頭の上に落ちてきます。坂の急な道ではクルミがころころ転がっていきます(まだ果肉のついた実なので丸く転がりやすい)。今思い出してみると、それらの実の大きさはほとんど同じくらいで、葉のように大きな違いはありません。

 実(み)はその中に種子を宿し、植物の生存に最も重要な部分です。だから、実の部分には「いい加減さ」が許されないのではないか、と愚考しています。研究者はこの件に全く興味がないらしく、本を見ても関連する記事はないようです。

 しかし、すぐ反論が聞こえてきます。クリのイガイガを見よ。トチノキの実を見よ。殻の中に3個ほどの実が入っているが、そのうちの1つが大きく、残りの実が小さくなったものが多く見られる。また、落花生を見よ。殻付きピーナッツをむくと、中の実はいろいろな大きさを持っているではないか。

ヒメシャラやバラ、ツタの類と違って、殻の中に複数の実が入っているものは違う戦略と取っているようです。狭い殻の中で3個の実ができるだけ大きくなろうとして競争します。3個が同じように平衡を保って大きくなるのは難しいことでしょう。どれか一つの勢いが強くて、他の実の勢いを凌駕してしまうと考えられます。どのようなきっかけで一つの実が勢いを増すのでしょうか。その仕組みは分かりません。

 暇があったら(十分ありますが)調べてみたいと思います。

by FewMoreMonths | 2007-11-23 09:23 | 科学入門
科学入門シリーズ3、植物の基本は「いい加減さ」続続続、水はなぜ100メートルも上るのか
 私は、樹木の愛好家で植物学など研究したことがないのですが、すでに3回のブログ(11月17日11月20日11月21日)で私が興味を持った「植物のいい加減さ」の中で、特に葉の多様性について、素人なりに理解したことを書きました。今日はその続きです。

 世界で最も高い木は、カリフォルニアにあるレッド・ウッドというセコイヤの仲間だそうで、背丈が115メートルもあります。もちろんてっぺんにも葉があって(針葉樹ですが)光合成をやっています。光合成のためには、地中から水分を、そして空気中から炭酸ガスを取り込まなければなりません。

 私が疑問に思ったのは、一体レッド・ウッドはどのようにして水を100メートル以上もの高いところに持ち上げているのだろうか、ということです。

 手こぎの水を吸い上げるポンプを見たことがあると思います。ポンプをこぐとピストンが持ち上がって、ピストンの入っているシリンダー内部が真空になり、井戸にかかっている1気圧の大気圧が水を押し上げてシリンダーに水を注ぎこみ、シリンダーについている出口から水が出るようになっています。

 1気圧は1平方cmあたり1キログラムの力が加わっていることです。水の密度は1立方cmあたり1グラムですから、高さが10メートルの水の柱の底面には、1気圧の圧力がかかっています。だから、手こぎポンプの位置が、井戸の水面から10メートル以上高いところにあると、井戸からポンプにつながっているパイプの途中10メートルのところまで水が来るだけで、ポンプが動きません。

 だから、レッド・ウッドは、手こぎポンプとは違う原理を使って水を持ち上げているはずです。この原理がわかりませんでした。実はこの勉強をするために、前回のブログに出てきた、ピーター・トーマス著、「樹木学」(築地書館)を買いました。

 日本語訳の39ページから51ページにかけてそのからくりが出ていました。原理はこうです。

 水を運ぶパイプは導管と呼ばれます。針葉樹では仮導管と呼んでいます。針葉樹では、仮導管は木材全容積の90~94%を占め、樹木を支える役目もしています。仮導管は非常に細く、直径が0.025~0.08ミリメートルほどです。仮導管は数ミリメートルの長さの管で、仮導管どうしは両端に開いた穴を通して木の上までつながっています。
 
 広葉樹の導管はずっと太く、0.5ミリメートルくらいになります。導管になる細胞が死ぬと、内容物が抜けてチューブになります。死んだ細胞どうしは穿孔と呼ばれる穴を通してつながっています。この導管が木のてっぺんまで伸びているのです。

 導管は葉の中まで伸びています。導管に気泡がなく、水で充満しているとします。葉は気孔を通して水を外に排出します(蒸散)。

 ここで、水の特殊な性質を知る必要があります。水はH2Oと表わされるように、2個の水素原子と1個の酸素原子がくっついた分子です。下に貼り付けた図の上の絵を見てください(クリックすると大きくなります)。2個の水素は酸素に対して104度の角度でつながっています。水素原子にある電子は、水素と酸素の間にいることが多いので、水素を分子の外側から見ると、プラスの電気を持った原子核がちょっと見えるようになります。酸素は逆に、電子が分子の外側に集まる傾向があります。だから、水分子は、水素のあたりがプラスの電気を、そして酸素の近くではマイナスの電気を帯びる、いわゆる電気双極子になります。
 すると、図の下の絵にあるように、水分子同士のプラス・マイナスの電気が引き合って、お互いに結び付くようになります。この現象を水素結合といいます。

(コピー:ウィキペディアのリンクから。)
 細い導管の中にある水分子も、水素結合をして相互につながりを持つようになります。

 葉から水が蒸散していくと、水素結合をした水が蒸散で無くなった分だけ上ってくるのです。蕎麦を箸で持ち上げるような感じです。つまり、この水素結合が高い木のてっぺんまで水を持ち上げる原理を担っていたのです。

 細い管に気泡が入らないように注意して水をいっぱいに張ります。そして上から水を抜いていくと、何と水を450メートル以上持ち上げることができるそうです。水が昇れる高さは管の直径に関係しているはずで、太い管では水はうまく上がらないと思います。

 中学生の実験にちょうど良いですね。ぜひやって、実験結果を教えてもらいたいものです。
by FewMoreMonths | 2007-11-22 12:33 | 科学入門
科学入門シリーズ3、植物の基本は「いい加減さ」続続、葉の多様性を遺伝子解析する
 朝日選書821に「植物の生存戦略―『じっとしているという知恵』に学ぶ」という本があります。文部科学省の科学研究費補助金から多額の経費を貰って行った一連の研究成果ですが、非専門家にもわかるようにやさしく紹介されています。流行りの遺伝子解析を駆使して、植物の花、葉っぱ、受粉と受精、水や栄養を送る導管や師管をターゲットとした研究です。

 その中に塚谷裕一氏による「葉の形を決めるもの」という章があります。遺伝子が葉の形を決めるのだという最新の研究で、大変面白いです。詳しい解析をするために、「モデル植物」といわれ、この植物のあらゆる部分がよく研究されているシロイヌナズナという草を研究に使っています(写真はこのリンクの中にあります)。

 普通に生えてくるシロイヌナズナは「野生株」と呼ばれます。たくさんのシロイヌナズナを育てると、草のいろいろな部分が野生種とは違った格好をしたものが見つかります。これらの変わり者を「変異体」と呼びます。

 葉の形にも当然変異があります。塚谷氏によれば、野生種と比べて、4種類の変異体が認められます。

1.葉の長さは同じくらいだが幅が細い、細胞の数はほぼ同じで細胞の幅が縮んでいる、
2.葉の幅は同じくらいだが長さが短い、細胞の数はほぼ同じで細胞の長さが縮んでいる、
3.葉の長さは同じくらいだが幅が細い、横方向にある細胞の数が少なくなっている、
4.葉の幅は同じくらいだが長さが短い、縦方向にある細胞の数が少なくなっている、

の4種類です。

 つまり、細胞の横方向と縦方向の厚みを減らす作用、そして横方向と縦方向の細胞の数を減らす作用があります。塚谷氏は、このような4種類の採用がそれぞれ固有の遺伝子によって制御されていることを発見したのです。

 もう一つ、塚谷氏は、細胞の数が少なくなる作用が起きると作られた細胞は形が大きくなる、という新しい発見もしました。しかし、この現象が遺伝子の作用かどうかはまだ分かっていません。

 以上の研究結果は大変面白いと思いませんか。

 ただ、植物愛好家の目から見ると、大変失礼ですが、さらに研究を続けていただきたいという希望があります。

・シロイヌナズナで見つけられた葉の形を支配する遺伝子は、別の種類の植物にもあるのだろうか。
・葉の形が変わっているシロイヌナズナの変異体では、本の写真を見る限り、すべての葉っぱが変異を起こしている。つまり、変異を起こす遺伝子の発現はシロイヌナズナ個体全体に及んでいる。胚の時にすでに突然変異が起きている草を研究対象にしているので、遺伝子の発現が一斉に起きているらしい(下の図を見てください)。
・シラカシなどでは、同じ個体の葉に大きさの違いが現れる。この現象にも同じ遺伝子が関与しているのだろうか。
・ハリギリなどは、木の年齢とともに葉の形が変わっているようだ。この現象にも同じ遺伝子が働いているのだろうか。
・そもそも、何が遺伝子の発現を起こしているのだろうか。また、何が遺伝子の時間的発現を促しているのだろうか。

 (図は、朝日選書821、45ページよりコピー。真中のシロイズナズナが野生株。左上が、上に示した1から4の変異で1番目の変異体。右上が第2番目の変異。左下が第3番目、右下が第4番目の変異体。株全体の葉が突然変異の影響を受けているようだ。)

 塚谷氏の研究成果は、植物のいわば「静的」な現象の解明に貢献したものです。植物愛好家の興味は、むしろ植物の「動的」な現象、にあると思います。この辺に対するアタックがぜひ必要でしょう。

 塚谷氏もこのあたりは十分わかっているはずで、本の中に関連した記述があります。引用しますと、

「葉の『原基』(器官を作り出す基になるもの)では、一般に基部で細胞分裂をしていますから、先端から先に葉は完成していきます。つまり、葉の先端にある細胞が完成した時点では、最終的に葉がどのくらいの大きさになり、葉に何個の細胞が使われるかが、まだそれ自身にもわかっていないはずなのです。それなのに、このとき、葉の先端の細胞はすでに、あるべき大きさになっています。(中略)もしかしたら、細胞分裂の様子を、葉の器官まるごとモニターする仕組みがあるのかもしれません。葉の形づくりを理解するためには、細胞だけに注目するのではなく、器官としての葉に何が起きているのかを調べる必要があるといえましょう。」

 このように着実に遺伝子解析は進歩しているようですが、どうも私は消化不良気味です。やはり、前回のブログに書いたように、葉の形態に関する詳しいデータベースがないと、植物の全容を解明することはできないような気がします。初心に戻って、地道な植物形態のデータベース作りに励む方はいないのでしょうか。

 トランスポゾン
といわれる「動く遺伝子」の現象があります。バーバラ・マクリントックは、トウモロコシの種子のまだら模様に着目して、その遺伝の仕組みを詳細に分析し、また、染色体との関連を調べて、動く遺伝子を発見した、とウィキペディアにあります。推測ですが、種子のまだら模様の詳しい観察が研究の背景にあったに違いありません。

 前回のブログの繰り返しになりますが、葉の形態に関して、まず観察記録(データベース)が欲しい。中学、高校の先生方、やりませんか。
by FewMoreMonths | 2007-11-21 12:00 | 科学入門
科学入門シリーズ3、植物の基本は「いい加減さ」続、データベースはあるか
 前回のブログで、植物のいい加減さとして葉のいろいろな形について書きました。

 いろいろな本を読んだり、グーグルで調べてみましたが、「いい加減さ」に関する記述を見つけることはできませんでした。

 私が知りたいことは、

1.葉の形の多様性を引き起こす原因。たぶん、遺伝子的な要因。
2.葉のいろいろな形を引き起こす原因。たぶん、環境の作用に刺激されて遺伝子の発現と細胞死(アポトーシス)が開始される。
3.これらのメカニズムは植物で共通しているのかどうか。たぶん、進化の過程によってメカニズムにある程度の違いがあると思う。
4.植物によっていろいろなメカニズムがある時、その起源となる進化の過程が理解できるのだろうか。
5.植物の葉の多様性は、将来どのような進化を遂げるのだろうか。
6.地球温暖化の時代に、環境圧のかかる時間は極端に短くなるが、植物は短期間に適応ができるのだろうか。そのことを、葉の形の多様性から勉強できないだろうか。
7.その他、その他。

など、きりがありません。

 しかし、私が最も気になったことは、葉の多様性についての、系統的(systematic)な観察データがどうやら存在しないらしい、ということです。学問の基礎は、自然にある事象をまず集め、そしてそれを整理することから始めなければなりません。リンネが植物の分類を始めてから300年たちますが、この作業がまだ始まってもいないというのは由々しきことです。

 シラカシの葉を取り上げてみましょう。観察して取りたいデータを気が付くままに書いてみましょう。

1.ある地域において多くのシラカシの個体を選ぶ。
2.それを樹高や幹の太さ(木の年齢に相当)別に区分けする。
3.芽吹く前から地域の気温、降雨、風、等を定期的に記録する。
4.多くの葉を選び、その大きさを計測する。木はいい加減なので計測精度はおおざっぱ(約10~20%)でよい。
5.葉の環境、日向か日陰か、風通し、雨の当たり具合等々、多くの情報を記録する。
6.この作業を落葉まで続ける。
7.以上の作業を数年続ける。
8.以上の作業を複数の地域で行う。

 このようなデータが集まれば、いろいろな環境パラメータとの相関を取って、葉の大きさに影響する環境圧力を同定し、圧力の大小と葉の大きさの変化との関係式を導き出すこともできるでしょう。

 以上の操作をぜひハリギリやヤマグワでもやってみたいですね。

 ピーター・トーマス「樹木学」(築地書館)19ページには、
「葉の形を支配する因子はあまりに多く、我々が目にする葉の形をいちいち気にするのは難しいということである」
とあって、はなから私の疑問にさじを投げています。さじを投げる理由となったデータベースのことは触れていませんので、あまり科学的な表現ではありません。

 岩槻邦夫・加藤雅啓編「多様性の植物学」(東京大学出版会)③、36ページから49ページまでに、葉の多様性についての記述があります。私の知りたいことを上に1から7まで書きましたが、この本では、そのうち1の記述が大部分です。49ページに、

「しかし、古典形態学や比較形態学を専門とする研究者はきわめて少なく、Evo/Devo研究の今後を考えると、著しくアンバランスな状況にある。」
また、
「葉の形の多様性については、巨視的な記載こそ詳細になされているものの、たとえば解剖学的な観察などはほとんどなされていない。そのため、現在モデル植物から得られている知見を適用できる野生生物があるかどうか、その候補選びをしたくても、その手掛かりがないか、きわめて乏しいのが現状である。」
と言及しています。
 
 私は「巨視的な記載こそ詳細になされている」にもちょっと疑問があります。つまり、現在の記載は言ってみれば「静的」なもので、上に述べたように、多くの環境パラメータと同時に記載された、いわゆる「動的で系統的データベース」がないのだと思います。

 学問にはいろいろなやり方があり、分野ごとにその方法も全く異なります。私が専門としてきた、素粒子・原子核・宇宙の分野では、コンピュータの発展とともに、トロール漁船のようにとれるデータは根こそぎ取ってしまい、そのデータを総合的に分析する手法に大きく舵を切ってきました。またそのことによって、その分野が大きく発展しました。

 生物学や地震学などは、ペットとなる対象物を舐め尽すようにする研究、「タコつぼ研究(失礼!)」、が依然として続いているようです。だから、非常に多くのものを網羅する「データベース」という考え自体が存在しないのです。

 しかし、上に書いた様な観察は中学生や高校生でもできる作業です。我々のいう「系統的なデータベース」の構築を行ってほしいものです。

 お前がやれという声が聞こえそうですが、残念ながら体調が許しません。遺憾なことです。 (続き)
by FewMoreMonths | 2007-11-20 09:03 | 科学入門
映画「ボーン・アルティメイタム」を観に行った
 昨日は土曜日ですので、いつも霞がかかったような頭をすっきりさせるため、ショッピングセンターの中にある映画館に行ってきました。先日「グッド・シェパード」を見たんですが、映画は癖になりますね。妻はアクション映画が苦手なので私一人で車を運転して朝から出かけました。

 10時ちょうどにショッピングモールの扉が開き中に入りました。今頃いるのはどうせ奥さんに追い出された老年世代と思いきや、土曜日のためか、映画の切符売り場は老年よりも若者で混んでいました。
 
 映画は、記憶喪失した元CIAの殺人マシーン「ジェイソン・ボーン」の3作目です。第1,2作はテレビの洋画劇場で観ていて、現実離れした超人のアクションドラマなので気に入っていました。今回はタイトルからわかるように最終回ということで、ジェイソン・ボーンが自分の過去を取り戻し、自分を殺人マシーンに仕立て上げた秘密組織を暴いて終わりとなります。

 ボーンの活躍場所は、モスクワ、パリ、ロンドン、トリノ、マドリード、ダンジール(モロッコ)、最後にニューヨークです。私は数年間ヨーロッパに住んでいましたので、ヨーロッパの街並みに違和感がありません。そういう意味でも楽しめました。「アルティメイタム、Ultimatum」という単語も「ウルティマートム」とついドイツ語風に読んでしまいます。こんな風にいろいろな都市が出てくると、ニューヨークはむしろ東京に雰囲気が近いことがよくわかりますね(逆に東京がニューヨークに近い)。

 格闘あり、カーチェイスあり、陰謀あり、ハイテク情報機器の羅列ありで、久しぶりに頭の霞が晴れました。

 グッド・シェパードの主役と同じマット・デイモンが主役でした。彼はむしろ華奢な作りで殺人マシーンとは思えないところに意外性があります。

 グーグルでMatt Damonを検索したら769万件のヒットがありました。ウィキペディアで調べると、父親は不動産屋兼税理士、母親はレスリー大学教授ですが、両親は早くに離婚したとあります。兄が一人いて高名な彫刻家だそうです。子供時代、マサチューセッツ州ケンブリッジに住み、公立高校卒業後ハーバード大学に入学するも映画のため12単位を残して中退しました。どうりでインテリっぽいところがありますね。映画の脚本も手がけ、今後は監督業も行うそうです。

 彼は、アメリカの大金持ちですから、慈善事業に熱心です。第三世界の貧困とエイズ対策に取り組む組織「ONE」を支援し、また面白いことに、アメリカのジャンク・メール(日本のダイレクト・メールのことか)撲滅の組織の理事を務めています。世界の虐殺を防ぐための組織「Not On Our Watch」の創立にかかわったとウィキペディアに出ています。若いながらも、このあたりが日本の有名俳優とかなり違うところでしょうか。

 ジェイソン・ボーンは、知らなかったのですが、ロバート・ラドラムの小説にあったんですね。昔、ラドラムの翻訳小説は愛読していて、ほとんど読んだつもりだったのですが、恥ずかしながらジェイソン・ボーンの出てくる小説は読んでいませんでした。翻訳では「最後の暗殺者」というタイトルでした。どうせ暇な年金生活、Amazon.comで思い切って英語版を注文しました。読み切る時間が残っているかな。
 中古かもしれませんが3冊で〆て3104円。

by FewMoreMonths | 2007-11-18 15:19 | 人生
科学入門シリーズ3、植物の基本は「いい加減さ」
 今まで何回も奥飛騨の木々の思い出を書きました(ブログのカテゴリーの奥飛騨を参照してください)。木々の中を歩き、木々の姿を見るのが楽しく、あまり科学的な疑問を持ったり解決すべき問題に突き当たったりすることはほとんどありませんでした。
 しかし10年近く植物を見てくると、なぜだろうという好奇心が時々わくことがあります。シリーズ3として、植物に関する好奇心の種を書いて、皆さんにその解答を教えていただきたいと思います

 私は元物理科学者ですので、研究で最も大切な点は、自然現象から、信頼できる数字を何ケタ引き出せるか、という文字通りディジット(digit)に生命をかけるデジタル世界に住んでいました。研究で予想と少しでも違う数値が出たら、それは新しい発見か、研究が間違っているかのどちらかです。妥協のない、ファジイ性のない世界です。

 植物はデジタル世界とは全く違う世界だなあ、というのがまず実感です。

 それでは私の好奇心をかきたてたことをまず書きたいと思います。

 植物を観察したとき、葉の形や枝ぶりなど、植物の形のいい加減さにはあきれてします。たとえば、シラカシの葉を見てみると、日向の葉と日陰の葉ではその大きさが1:3くらい違っていることがあります。トウネズミモチは葉が左右対称に出る「対生」ですが、葉とともに出てくる枝のうち半分くらいは対生にならず一つの枝が生えてきます。その生えぶりは全くランダムのように見えます。(下の写真参照。クリックすると大きくなります。)

 ヤマグワの葉は切れ目が入ったり入らなかったりで、しかもどのような原因でどの葉に切れ目が入るか(因果律)に規則性が見られません。

 植物の枝が幹のどこから出てくるのか興味があって、2cmくらいの苗のころからイヌシデを自宅の鉢に植えました。そしてその成長具合をじっくり観察し、枝が出てくるきっかけ(原因)を探そうとしましたが、とうとう見つかりませんでした。

  また、幹から枝が何本出てくるのか、また何本出すべきなのか、ということも決まっていないようです。ケヤキなど1本1本の木が違った枝の数と枝ぶりを持っています。

 動物、たとえば人間では、腕が体のお腹のほうから出てきたり、腕が3本や4本でてくることなどありえません。右足が左足より3倍も大きかったりすることもありません。たとえこのような変な動物が生まれても、ダーウィンの自然淘汰によってたちまち絶滅させられてしまいます。

 なぜ植物はこうもいい加減なのでしょうか。ここにも当然、自然淘汰は働いているはずです。葉が大きくなったり小さくなったり、枝の張り方もいい加減だったりするのは、動物と違って、地面にじっとして動かないという戦略をとった植物が長年かかって手に入れた知恵に違いありません。

 しつこいですがもう少し続けましょう。

 ハリギリというウコギ科の高木があります。ハリギリにつく葉はいわゆる分裂葉で、1枚の葉に切れ込みが入っています。葉の大きさと葉にある切れ込みの様子が葉によって(全く)異なっています。ただ、大きさと切れ込みの間に関係があるらしく、ヤツデのように大きな葉は切れ込みもヤツデのように大きいです。小さな葉はイタヤカエデによく似てきて切れ込みがほとんどなくなります。なぜだろう。

 シラカシの葉の大きさの違いはどうだろうか。観察によると、日向と日陰の影響がシラカシは葉の大小を決めているようです。シラカシの木は、葉の製造(細胞分裂)を開始してから、このあたりで成長を止めよ、という命令を、いつどんなきっかけで出すのでしょうか。

 生物の成長はすべて遺伝子によって制御されているといわれています。

 幹のここから枝を作れとか、葉のここに切れ込みをこのくらいの深さで入れよとか、日陰だから葉を大きく何cmくらいに作れ、などという命令をどこかが発しなければならないと思います。

 つまり、外界の影響によって遺伝子の時間的発現が大きく制御されているはずです。 (続く)


by FewMoreMonths | 2007-11-17 13:11 | 科学入門