今年も終わりに近づきました。今日の記事を最後にして、12月29日から1月3日までブログは官庁並みに休止にしたいと思います。
過去を振り返るとき、まず自分のことを振り返ります。2007年は、健康状態を考えると、人生最悪の年でした。抗がん剤の日常的な副作用と、同じく抗がん剤の重篤な副作用が関係した3回の入院と、さんざんでした。しかし、2007年の年の初めには、1年を乗り越えられない確率が高いと予想していましたから、その予想に反して年を越せたのは望外の喜びでした。 最悪というのはあくまで相対的なものです。60有年の中で今年が一番悪かったというだけです。年を越せたという事業をやり遂げたと考えれば、人生で最もやりがいのある年だったかもしれません。 実験物理科学分野の研究者というのは、若いときにはペシミストでもやっていけます。しかし、グループを率いるリーダーになると、あらゆる場面でオプティミストの面を表面に出さなければなりません。この癖が身についてしまい、かなり悲惨な状況でもよい面を敢えて見ようとしていると思います。 しかし、身内、特に妻には無意識のうちにしょっちゅう愚痴をこぼしていたらしく、彼女はだいぶ長い間軽い胃潰瘍に悩まされていました。身内のために、意識的にオプティミストである努力をしなかったと反省しています。来年は態度を改めなければ。 いずれにせよ、主治医の先生の的確な治療、身内、友人の励ましに感謝しているところです。 世相に関しては、政治がメディア報道に振り回されることが多い年だったかな、と感じます。メディアというのは、極論すれば、スキャンダル、責任追及、国民の不安をあおる誇大な事故報道によって、購読数を増やしています。したがって、たとえば新聞紙面を見ると、スキャンダルとその責任追及に明け暮れ、問題をいかに迅速に解決すべきか、という報道は皆無でした。具体的な例を挙げる必要はないと思います。 また、その報道の性癖をうまく利用して、自分たちの主張を通すため、裁判所の言うことより、メディアを利用して政治家を恫喝する例も見受けました。そこで名を売った皆さんは、メディアの後押しのもと、きっと2008年の衆議院選挙に立候補することでしょう。 もちろん、メディアに助けていただくことは大変有用で重要なことです。「がん対策基本法」の成立などは成功例と考えることができるでしょう。患者さんが自分の苦境を超え、患者全体のために行動したのには、本当に頭が下がりました。彼らの多くはすでに他界しています。 わが国の経済は今年もぱっとしませんでした。アメリカ・アカデミーの報告などを見ても、アメリカの危機感は中国・インドなどの新興国の脅威に対抗することにあり、そのための経済、教育・科学・技術戦略をいかに打ち立てるかに勢力を注いでいます。そこには日本という文字はほとんどまったく出てきません。確か「Japan is irrelevant.」(日本なんて眼中にない)と、アメリカの某氏が発言したことを記憶しています。この風潮がますます顕著になった年でもあります。 唐突ですが、アメリカのアカデミ-と比べたとき、日本の学術会議は何をやっているんですかね? 最後ですが、いよいよ気候変動が顕著に見え始めた年でもありました。南方に暮らす蝶やセミの北上、果物の収穫異常など、多くの話題がありました。バングラデシュなど低地での大規模な洪水、アフリカでの異常気象などがあり、途上国の人々は悲惨な状況に置かれました。2年前のハリケーン・カトリーナは気候変動のさきがけだったのでしょう。 気候変動の研究、気候変動の軽減措置(mitigation)、気候変動が起きるとしての適応措置(adaptation)など、行うべきことは山ほどあります。しかし、日本の大学の先生たちに危機感がないのは、私は特に残念に思います。今週のNewsweekにも、適応措置の重要性を指摘し、その研究を早急に始めるべき、との記事がありましたが、まったくそのとおりです。 メディアの報道は、政府間条約のことばかり熱心で、アメリカ・日本・カナダの悪口を言っています。問題は、条約の空文ではなく、問題を的確に把握して、その対策を実行に移しているかどうかなのです。この面で言うと、アメリカは、日本とは比較にならないほどの経費をかけて気候変動対策(実際はエネルギー安全保障対策)を推進しています。今年は、アメリカにおけるバイオエタノールの急激な生産増加によって、はるか離れた日本で食糧の値上がりを経験しました。また、風力・太陽・原子力発電にかけるアメリカの政府開発投資は大変な額に上っています。 アメリカに比較して、日本は対策の実行に大きく遅れをとっていることを忘れてはいけません。 思い出してみると、同じ報道の偏向は、アメリカの狂牛病(牛海綿状脳症)騒ぎのときもありました。メディアのヒステリックな報道の効果もあってか、アメリカ牛の輸入が直ちに禁止になりました。牛1000頭あたりで数えたとき、狂牛病にかかった牛の数は、日本のほうがアメリカよりずっと多いことをご存知ですか。人間が狂牛病に感染すると、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)を発症することがあります。狂牛病はどうでもよく、われわれにとって、このvCJDが怖いのです。国民1人あたりのvCJD患者の数を比べると、日本のほうがアメリカより多い、という事実をご存知でしょうか。日本の牛のほうが、実は高い危険度を持っていたのです。 気候変動に関して、他国を非難する前に、ぜひ自国の状況を率直に把握しておきたいものです。 というわけで、今年はあまりよい年ではなかったような気がします。しかし、人間、オプティミストでなければなりません。よい兆候を見つけそれを積極的に伸ばす2008年であれ、と期待しています。 私の新年の目標は、2007年の経験を元に、2009年の新年を何とかして経験するぞ、です。 猫の額ほどの庭にも季節ごとにいろいろな花が咲いています。気に入った花から紹介したいと思います。今の季節にあった花を選ぶとは限りません。あしからず。草木の世話をして花を咲かせているのは妻です。
今日の花はよく知られた「キンセンカ」です。12月17日の撮影です。冬に元気に咲く花のひとつですね。真っ黄色の花も咲いていますが、ちょっと色違いの花を選びました。ウィキペディアで調べると、「原産地は南ヨーロッパ、宿根草タイプは冬を越すので『冬知らず』の名で市場に出る」とあります。また、花びらは食べられるとのこと。まだ試していませんが。 冬に元気をもらえる花です。(クリックすると物すごく大きくなります)。 佐々木先生の連載エッセイ「日々是修行」(朝日新聞夕刊毎週木曜日)は毎週楽しみにしているエッセイです。すでに4回ブログで紹介しました。前回は、11月22日のエッセイでしたので、だいぶ怠けてしまいました。
実は怠けた理由があります。友人たちに佐々木閑先生のエッセイはすばらしい。普通の宗教のエッセイと違って理屈っぽいところが良い、理科系にも先生のお考えがよくわかる、一度お目にかかって教えを請いたいものだといいましたら、驚くことに佐々木先生とお話しするチャンスを作ってくださいました。 佐々木先生からは恐れ多いことにメールを頂き、また事前に読めということで御著書「犀の角たち」を頂きました。このご本を読むのに時間がかかってしまいました。 佐々木先生のご経歴を拝見すると、京都大学工学部工業化学科を卒業後、同大学大学院文学研究科博士課程に入学、満期退学後、カリフォルニア大学バークレー校に留学しています。その後花園大学で教鞭にたち、現在は花園大学教授です。 理工系の修行をまずなさっているので、先生の理屈っぽさが理解できました。 私が理解した「犀の角たち」の内容は後日紹介できればと思います。今日は先生とのお話の一部の紹介です。 私の前置き: ・最近宗教に関心を持ったのは、死後10年を迎えるカルカッタの聖者マザー・テレサが神の実在(彼女にとって神の子キリストの実在)を死ぬまで信じていなかった、という報道にショックを受け、いったい宗教、また信仰とはいかなるものか、興味を持ったこと。 ・先生のエッセイや著書を拝読すると、(古代)仏教には神という考え自体が欠落しているのではないか。 ・キリスト教、イスラム教や日本の神道には、世界の開闢を記述する哲学的な記述があるが、仏教では、キリスト教の創世記のような壮大な物語は聞いたことがない、なぜか。 ・仏教の来世、または永遠に続く輪廻転生の存在、そこからの解脱とは何か。 ・その他、その他。 先生のお話: ・マザー・テレサが神の実在を信じていなかったのは知らなかった。ドーキンスがある本の中で、ドグマチックなマザー・テレサの信仰のことを非難していたが、ドーキンスもマザー・テレサの本当の内面世界を知らなかったようだ。 ・釈迦の開いた古代仏教は、あくまで個人が瞑想修行によって人生の苦悩(老・病・死)を克服し、確かな安らぎへの道を見つけることにある。そこに超越者へすがる態度はまったくない。瞑想による修行は徹底していて、食事も作らず托鉢によって非修行者から食事を頂く。信仰という字に使われている「信」は、仏教では本来「信頼」という意味で使われている。 ・釈迦の死後500年くらいにわたって優れた仏教者が輩出し、仏教においても壮大な哲学が編み出された。それを「倶舎(クシャ)論」という。その中には宇宙論もある。章立てになっているので自分の興味ある事項を拾って勉強することができる。最近チベットで倶舎論の古代文書が新しく発見され、日本語訳が最近終わったところである。 ・仏教の哲学では、宇宙は永遠の過去から永遠の未来に向かって進んでいく。生き物は輪廻転生を繰り返す。(以下は私の勝手な理解)つまり生き物は苦悩(老・病・死)を背負って永遠に生き続けなければならない。仏教は、瞑想修行により、その永遠の輪廻を断ち切って苦悩から開放(解脱)されることを目指す。開放された先にあるのは、時間も空間も存在しない完全な「無」である。無は大乗仏教のいう「空」とはまったく異なる。 まだまだあります。 ・仏教は因果律によって世界を理解する。「犀の角たち」の本の中では、「超越者の存在を認めず、現象世界を法則性によって説明する」と解説している。(私の理解では)世の中の出来事は「神からのトップダウンではなく、原因に基づいた法則」によって起きている。 これはまさに現代科学と同じ原理ではないですか。興味深いことです。 ・日本の仏教は大乗仏教で、釈迦の開いた古代仏教とは大きく異なる。大乗仏教もインドで生まれ、中国を経て日本に来た。その際、時の権力者の意向が入り、変貌を遂げてきた。 ・(私の理解では)大衆の苦悩を救うために、ヒンズー教の一部が取り入れられ、神々にすがって苦悩を取り除くという案が生まれた。しかし、仏教は神々の存在を認めないので、大乗仏教では別世界を考え、そこに種々の如来や菩薩がいるという世界観を考えた。衆生は、信仰により別世界にいる超越者と交信ができる、というのである。古代仏教とはまったく異なった宗教である。 ・超越者の存在を認めない古代仏教は宗教なのか、という疑問が浮かぶと思うが、修行によって苦悩から開放されることができる、ということを無条件に信じて瞑想修行をする、という点で宗教である。 どうです。理屈っぽいですね。そういえば、インドは数学の天才を輩出しています。インド人には、法則、律などという考えが本来備わっているのかもしれません。 佐々木先生との2時間にわたるお話には、まだ多くの深遠な内容がありますが、私の理解を超えているところもありますので、今日はこのあたりで終わりにしたいと思います。また、佐々木先生のエッセイを定期的にご紹介したいと思います。 猫の額ほどの庭にも季節ごとにいろいろな花が咲いています。気に入った花から紹介したいと思います。今の時期に咲いている花を選ぶとは限りません。あしからず。草木の世話をして花を咲かせているのは妻です。
今日の花は「アストランティアマヨール」です。非常に対称的な花で宝石のようです。マクロレンズで撮っているので大きく見えますが、1センチちょっとの大きさしかありません。今年の5月28日の撮影です。草はすでに枯れて取り除かれてしまい、跡形もありません(写真はクリックするとさらに大きくなりますが、解像度はブログ用に落としてあります)。
今日はばかばかしいお話です。
私は週2回つくばエクスプレスの某駅から都心に出ています。仕事に余裕があるので、8時か9時ころ某駅に着き、帰りも7時前には某駅に戻ってきます。朝はすでにラッシュも過ぎていますし、帰りはまだ早い時間なので、某駅は比較的空いています。 駅には、地上から改札階へ、そして改札階からホーム階へ行く2台のエレベーターがあります。体調の関係でいつも両方のエレベーターを利用しています。 皆さんも感じたことがあるかと思いますが、朝も夕もエレベーターに乗ろうとした時、乗る階にエレベーターが待っていてすぐ乗れることはほとんどありません。エレベーターは上下するだけですから、乗る階に待っている確率は50%のはずだと無意識に思っていました。しかし、この確率は明らかに50%よりずっと小さいのです。私は要領が悪いほうなので、さては「マーフィーの法則」(何かが起きるときは最悪のことが起きる、という法則)が当てはまっているのかと、要領の悪さを嘆いていました。妻に言ってもばかばかしいと取り合ってくれません。 しかし、ついにその理由を見つけました。現役の皆さんはそれぞれ忙しくてこんなばかばかしいことを解決しようとも思わないでしょうが、こちらはある程度時間がありますから。 理由はこうです。朝、エレベーターに乗る人のほとんどは電車に乗ろうとする人です。夕は、逆に電車から降りて地上に出ようとする人がほとんどです。人の流れが上下一様ではないところにトリックがあったのでした。 朝、ほとんどの人は、地上階でエレベーターに乗って改札階で降ります。だからエレベーターは上から下へ人を乗せて降りていきます。人が改札階で降りると地上へ行く人がいないので、エレベーターは改札階で止まった状態のままです。次にエレベーターに乗る人は、電車に乗りたいのですから、地上階にいます。ところがそのとき、エレベーターは地下にいることになり、ボタンを押して呼ぶはめになります。だからいつもエレベーターは乗ろうとする地上階にいないのです。 改札階からホーム階に行くエレベーターも同様です。また、夕方は人の流れが逆になるだけで、カラクリは同じように働き、エレベーターはいつも待っていてくれないのです。 この状態をあえて解決しようとするなら、朝は、エレベーターが地階に着いたとき、乗る人がいないときはすぐ扉を閉めて上に登るようにすればよいのです。夕方はスイッチを逆にすればよろしい。しかし、メーカーはこんなばかばかしいことをしないでしょう。 ただし、この法則は、混雑していて上下に動く人の流れがいつもある駅では、人の流れがたとえ非対称であっても、成り立ちません。あしからず。 また古いファイルをひっくり返して、仕事の合間に近くの山歩きをした記録を見返しました。木々の名前を覚える最中ですので、今から思うと間違った思い入れもありますが、懐かしい思い出です。
観測装置の大事故から約1ヶ月たったころです。昼は、事故原因調査の仕事、それに再発防止策、早急な復旧計画立案を皆で考えることに専念し、夜になると、今必要な予算の確保と次年度予算の折衝を事務方とやっていて(長距離電話とファックス)、毎日真夜中を過ぎていました。大腸がん手術からちょうど1年後で、ようやく体調も回復したころでしたが、ついにイレウス(腸閉塞)でダウンしました。夜中で誰もいないので、30分近く自分で運転して町民病院に飛び込み、そのまま入院しました。幸い金曜日でしたので、土、日曜日に入院して回復しました。院長先生から、今大変な時なんだからこんなところにいないですぐ仕事に戻りなさいと、病院を追い出されました。月曜日からいつもの通り仕事に復帰したので、秘書さん以外の同僚は、私が倒れたことは今でも知らないと思います。 そういうパニック状態の中でも、山の木々は変わらずやさしく迎えてくれました。山歩きの途中にいくつもよいアイディアをもらいましたよ。 下の写真は、雪が降り始めたころの散歩道の一部です(クリックすると大きくなります)。 2001/12/05(Tue) 曇 昼食が遅かったので13:20に茂住入り口に車を止め、山道に入り込む。落ち葉の絨毯を踏みしめ、笹を払いながら進む。木々に残っている葉はブナを残すのみ。倒木が多い。イヌシデとミズナラの枯れ木が痛々しい。彼らは次の世代の肥やしになる。白い肌色をした薄いコシアブラの落ち葉が何か寂しさを誘う。事故のせいか。 15分で町道まで登坂完了。今年初めて。気分良し。帰りはさらに早く10分で車まで戻る。ちょっとたたらを踏むがまだ足の力は大丈夫。 2001/12/17(Mon) 雪 積雪約30cmのなか、茂住町道をヘアピンのところまで登る。曇り空なのにまぶしい。サングラスが必要。とうに落葉した高木に枯れたたくさんの実(房状)が残っている木がある。そのうちの1本は雪で町道に倒れかかっている。実を採集して本と比較すると、どうやらイイギリのようである。トチノキ林の奥に1,2本あるのは知っていたが、ヘアピン近くにあるのは気がつかなかった。あと、枯れた豆の実をたくさんつけたまめ科の高木がある。名前未定だがエンジュか。春に調べること。 iPS細胞の続きです。
ここで思い出すのは、昔あったヒトゲノム解読事業です。ヒトゲノムを系統的に解読すべしという発案は、日本の和田昭允先生がなされました。先生はもともと物理学者でしたので私もよく存じております。先生は、物理科学の手法にもちろん通暁していました。 物理科学的手法はいろいろありますが、「系統的、数量的」というキーワードが当てはまると思います。生命系の研究者が最も苦手とするキーワードでしょう。 つまり、個々の研究者が興味ある遺伝子を突っついて細々と研究するのではなく、多くの人からサンプルを取って、すべてのDNA配列を一気に解読する。このことから、各人の遺伝子内のDNA1個1個を比較すべきだと、和田先生は考えたのです。これは、ちょうど素粒子物理学の実験で行う、現象すべてのデータを一気にとって、そのデータを比較解析していく手法、いわゆるビッグサイエンスの手法です。 残念ながら、生命科学者はビッグサイエンスの手法に関心も経験もありませんでしたので、後発のアメリカにあっという間に先を越されてしまいました。アメリカで最初にヒトゲノム解読を推進したのは、素粒子研究などをサポートしているエネルギー省だったことが面白いと思います。 私は、iPSの技術面の仕事で、ヒトゲノム解読と同じ轍をわが国の生命科学者が踏むのではないか、と危惧しています。ヒトゲノム解読以降、わが国の生命科学では、理化学研究所などが大きな施設を作って再生医療や脳科学の研究開発を行っているようですが、誤解を恐れずに言えば、系統的ではなく個々人の研究の寄せ集めに過ぎないように思えます。 ビッグサイエンスのすごいところは、研究はあくまで個々人の仕事の集積ですが、物理学で言うところの「位相がそろった、コヒーレントな」研究手法を使うことによって、1+1=2ではなく、(1+1)の2乗=4の研究成果を挙げることができる、という点です。 iPS細胞の技術開発に当たっては、ぜひ素粒子物理学等のビッグサイエンスの手法を参考にしてもらいたいものです。たとえば、小柴昌俊ノーベル賞受賞者が創設したわが国のニュートリノ研究は、1987年に一気に世界のトップに躍り出て、20年後の現在でも、現在進行中の事業を入れれば、さらにあと10年間、世界の追随を許さないトップランナーであり続けるでしょう。その辺のノウハウをぜひ学んでいただければと思います。 ところで、若い山中教授には、研究体制立ち上げなどの雑用を避けて、ぜひ研究に専念していただきたいと思います。 研究体制の整備などは新しくできた研究拠点の拠点長がリーダーシップをとってやるべきことです。先日テレビで、山中教授が文科大臣や科学技術担当大臣に会っているところを拝見しましたが、中辻憲夫拠点長がなぜ同席していなかったのか理解に苦しむところです。 役所がよくやることですが、よい研究成果を挙げると、その研究者は研究に専できるどころか、いろいろな雑用に追われて、かえって研究の邪魔をすることがよくあります。アメリカでは、ノーベル賞を受賞するような一流の研究者は、研究のみに専念できる体制をとり、最大限の研究効率を上げています。 ただ、山中教授にひとつ期待したいのは、今後の研究に関する自分自身のビジョンを語っていただきたいと思います。アメリカにアイディアを盗まれるからいやだなどという、情けない考えはだめです。上にも言いましたが、日本の体制などを考える必要もありません。ご自分の夢を語って、関連研究者や国民をぜひ感激させてほしいと思います。まだまだ若いんですから。 ちょっと視点を変えたいと思います。iPS細胞の技術開発はすばらしいものがありますが、基礎科学をかじった私には、いくつもの「なぜ」、またどう質問してよいかわからない漠然とした「なぜ」が多くあります。この「なぜ」から出発するのが科学です。わが国のiPS細胞科学はどのような状況にあるのでしょうか。生物学の知人に聞いたところ、iPS関係の研究をやっているのは、わが国では山中グループのみである、とのことです。再生生物学関係では有名なES細胞(胚性幹細胞)の研究がありますが、この分野で、できのいい研究者を数えると、わが国で20~30人くらいかな、といっていました。 学術月報という冊子があります。その8月号に「わが国における学術研究の動向について:生物系科学、農学、医・歯・薬学の研究動向」という記事があります。85ページに渡る労作ですが、その中でiPS細胞研究に関係するのは「発生生物学」です。その分野の中で「幹細胞」に関する記述はなんと1ページの5分の1くらいしかありません。種々の幹細胞というキーワードは特に医・歯・薬学系で多く出てきますが、iPS細胞という単語は一切出てきません。 また、研究費の中で最大の金額を誇る科学研究費補助金のキーワードを調べてみると、「幹細胞」、「再生」というキーワードはありますが、「胚性幹細胞」や「胚細胞」というキーワードは見つかりません。もちろん「iPS」もありません。下の表を見てください(クリックすると大きくなります)。 どうやら、幹細胞関係の科学研究は、日本であまり活発ではないことが伺えます。別の面で心配しているのは、日本の研究者の性格として、誰かがブレークスルーの研究成果をあげると、他の研究者はしらけてしまい、そのブレークスルーを盛り立てるどころか、その分野の研究をやめてしまう傾向があります。この情けない性癖は絶対に改めなければなりません。特に若手の皆さんの奮起を期待したいと思います。京都の新拠点は、優秀な若手を多く採用すると思いますので、ぜひチャレンジしてみたらいかがでしょうか。 要は、わが国がiPS細胞の科学研究を推進するのに必要なのは、お金ではなく、人材の早急な育成です。山中教授にお金をざぶざぶあげて溺れ死ぬようなことをさせてはいけません。 小柴教授のニュートリノ研究は、1985年、大学院生を入れて日本人10人、アメリカ人10人程度のグループから始まりました。20年後の現在、2009年から始まる次期ニュートリノ研究に参集している研究者は、アメリカ、ヨーロッパ、アジア、それに日本から計400人の規模に拡大しました。ご参考までに。 しかし、何ですな。孫悟空のように髪の毛をぱっと散らせば自分のクローンが何人も飛び出してくる世の中になったらいやですね。 11月から、ヒトの皮膚からあらゆる人体組織に分化する可能性のある万能細胞(iPS細胞、induced pluripotent stem cell)が作られた、というニュースが大きく報道されました。私は科学者といっても専門違いですが、山中教授のご活躍を大変うれしく思います。山中教授は45歳とまだまだ若いので、今後の発展が楽しみです。
iPS細胞関係は、山中研究室のHPやウィキペディアの記事が参考になります。 メディアも大変な熱の入れようでしたが、だいぶ熱が下がり、山中先生も少し落ち着かれたのではないでしょうか。彼の研究は昔からよく知られていて、昨年には、若手に贈る賞では最も権威のある「日本学術振興会賞」を受賞しています。 また、今年は、彼の研究を柱とする研究拠点「物質―細胞統合システム拠点」(中辻憲夫拠点長)が認められ、10月から発足しています。 読売新聞の2月14日付報道によると、 「同拠点は、再生医学研究などの分野で世界最高水準の研究機関を目指し、今後10年間で約250億円の資金を投入する。 iPS細胞の研究拠点は、山中教授をリーダーとし、全国の再生医学研究の第一人者が、それぞれの所属のまま利用できる共同利用施設にする。新たな施設、設備を確保し、iPS細胞を目的の細胞に変化させる技術や安全性確認検査など関連分野の研究を重点的に行い、iPS細胞研究の先行性を生かす。」 とのことです。 10年間で250億円という額にびっくりされた方も多いと思いますが、これは文科省のいつもやるトリックです。今年認めた研究拠点は、10年間で150億円を、主に若手や外国研究者への旅費・滞在費・給与・研究資金として支出することが決まっています。また京都大学はマッチングファンドとして同額以上の支援をする義務がありますので、新研究拠点はすでに総額300億円以上の経費(人件費が主で、その他一切合財を含んだもの)を持っていることになります。新規の真水として250億円を支出することでは決してありませんので、誤解しないほうがよいでしょう。 しかし、大いに意気込みが感じられることは確かです。 また、総合科学技術会議は、福田首相の指示により、「iPS細胞研究ワーキング・グループ」を立ち上げるべく、準備をしているようです。総合科学技術会議は国の科学技術政策の本締めですから、細かい議論ではなく、研究体制整備、臨床研究、知財関係の指針等の策定を早急に行うようです。 ぜひよい提言を出し、文科省や厚労省が積極的な活動をするよう期待したいと思います。 テレビのインタビューなどで、山中教授は自分のご研究を「技術」といっているのが印象的でした。専門外の私が言うので誤りがあるかもしれませんが、iPS細胞を作るに当たっては、基本的な理論があるわけではなく、試行錯誤を繰り返しつつ、技術のベストな方向を見つけ、新しい製品を作り出すという、まさに職人技的技術革新なのだろうと思います。 この技術のインパクトは何かというと、人体の組織や臓器を取り替えなければならないような重い病気の治療にのiPS細胞が応用できるという点です。もちろん、技術開発は始まったばかりで、本当に臨床応用が可能になるのはだいぶ先のことでしょう。 しかし、その可能性がある限り、その実現に向かって邁進すべきなのは言うまでもありません。そのためには、基本特許をすぐさま取るなどの知財関係の業務、産業界や国立研究所の研究施設を十分に利用して実用化を図るなど、山中教授個人の仕事量の範囲を優に超えた業務を行う必要があります。その辺の整理を行い、効率よく成果を挙げるようにするのが、総合技術会議や産業界、国研の仕事になります。その際、山中教授の研究進行を遅らせるようなことがあってはならず、彼には引き続き研究に専念させる体制作りが重要です。 応用面での技術開発を考えるとき、アメリカとの競争をどのように行うか、大変難しい問題があります。政府が支出する生命科学の研究開発経費を比較すると、アメリカは日本の10倍です。当然研究者の層も厚く、また外国からアメリカに研究に来ている研究者の数も日本とは比較になりません。 日本は、アメリカやEUとすべてのテーマで競争するのではなく、アメリカやEUがやらないテーマで重要なものをいかに見つけ出すかが、勝敗を分ける鍵になります。 紙数が足りなくなりました。次回に続きを書きます。
今日メールをのぞいたら、「American Institute of Physics Bulletin of Science Policy News」のニュースが入っていました。AIP(American Institute of Physics)のサイトhttp://www.aip.org/fyi/は広く科学・技術・教育に関するアメリカ政府、議会、ナショナルアカデミーその他多くの組織で行われている議論や報告をかいつまんで紹介し、また該当する事項へのリンクを張っています。
アメリカが自国の発展のために、科学や技術それに教育全般を重要視して、現在でもぬきんでた存在をさらに推し進めて行こうとしているかがよくわかります。 今日入ったニュースは、ナショナルアカデミーが新しい報告書を出したが、これは“must read”である、というものです。報告書は、“Rising Above the Gathering Storm Committee”委員会の議長、ノーマン・オーガスティン氏の名前を冠した、いわゆる“オーガスティン・レポート”の最新のものらしいです。報告書のタイトルが、表題にした「Is America falling off the flat earth?」、訳すと、「アメリカはフラットな地球から転げ落ちようとしているのか?」です。 ノーマン・オーガスティンは元ロッキード・マーチン社の会長で、産業界の巨人です。今年、フランクリン協会の「ボアー・ビジネスリー・ダーシップ」賞を受賞しました。受賞理由は、ロッキード・マーチン会長としてのリーダーシップ、科学・技術に関するアメリカのリーダーシップを維持発展させるために行ってきた貢献、また研究開発、イノベーション、および理数教育の改革がアメリカ経済の競争力に持つ意義を周知させている貢献、でした。 2005年、オーガスティン氏を議長とする委員会は、「Rising Above the Gathering Storm」(集まりくる嵐を乗り越えて)という500ページの報告書を出し、アメリカの国際競争力、特に中国やインドなどの新興国に負けないためにアメリカは何をなすべきか、を具体的に提言しました。小・中・高教育の一貫性(K-12)を維持し、移民に頼ることを少なくするため、アメリカの子供たちの理数教育を抜本的に改善する。そのために教員の質の向上を図る具体的な施策を提言しています。もうひとつの柱として、経済の柱である物理科学、特にイノベーションの源となる基礎科学の推進を行うべく、これも具体的な提言を行っています。報告書の最後に載っている詩が面白いです(英語ですが興味のある方は翻訳してください)。 Every morning in Africa a gazelle wakes up. It knows it must outrun the fastest lion or it will be killed. Every morning in Africa a lion wakes up. It knows it must outrun the slowest gazelle or it will starve. It doesn’t matter whether you’re a lion or a gazelle – when the sun comes up, you’d better be running. わかりますか? ブッシュ大統領は、この報告書に大いに影響を受けて、2006年の一般教書で、「ACI, American Competitiveness Initiative、アメリカ競争力強化活動」の名の元に、教育・科学・技術予算の大幅な増額を約束し、実行に移してきました。 議会もこの報告書に感銘を受けたらしく、ブッシュ政権の予算提案を生ぬるいと批判し、教育・科学・技術予算をさらに増やせと予算案の変更を行い、ブッシュ大統領が財源がないとして拒否権を発動する騒ぎにもなりました。 この報告書のおかげで、アメリカの科学財団やエネルギー省の予算が新興国並みに増えていることは、このブログで何回も紹介したところです(このブログの科学政策の記事を参照願います)。 今回の報告書はその続編です。まだ93ページの報告書はこれから読むので内容を詳しく紹介できないのですが、 現在の世界はデジタル革命によって距離が死んだ世界である、 そのため世界に産業・科学等での高低差がなくなり、フラットな地球になっている、 以下の方程式でアメリカは中国、インドなどの新興国の脅威を受けている、 競争力方程式:労働コスト、 競争力方程式:労働力の質 競争力方程式:科学・技術者の投入 競争力方程式:研究機関 競争力方程式:エコ・イノベーション エコシステムに関するサマリーとして詩が載っています。 So in the Libyan fable it is told That once an eagle, stricken with a dart, Said, when he saw the fashion of the shaft, “With our own feathers, not by others’ hands, Are we now smitten.” わかりますか? 日本などもう目じゃない、という報告書の雰囲気に、とても悲しくなります。
体力の関係で、首都圏を離れることは昨年8月に富士吉田にいったきりでした。一昨日は体調がまあまあなので、静岡市で開かれた会議に出席するため、1年ぶりに首都圏を離れ新幹線に乗りました。東京駅で駅弁をじっくり眺める時間もありました。野菜がほとんどで、ほんの少し玉子焼きの入ったお弁当を見つけ買ってみました。ベジタリアンになった気分でしたが、油を使わずに煮物がすべてでしたので、胃腸が薬の副作用で弱っている体にはぴったりでした。大変おいしく、ほとんど食べてしまいました。
新幹線で東京を離れると、紅葉・黄葉の美しい林や森が目に入り、1時間ちょっとの旅はあっという間に終わりになりました。美しい黄色に色づいたイチョウはすぐにわかります。あとは、ケヤキやコナラのちょっと赤みがかった黄葉の色もなかなか渋くていいものです。新横浜を過ぎ小田原に近づくと丹沢の山々が目に入ります。小田原を過ぎると今度は箱根の山が迫ってきます。ちょっと霞がかかっていたので、丹沢や箱根の山の色合いは目にすることができませんでした。もう枯葉も散ってしまっているはずなので、空気が澄んでいても黒々とした色にしか見えなかったでしょう。 熱海を通って丹那トンネルを過ぎればもう静岡県です。木々に覆われた山を過ぎれば三島、そして多くの製紙工場があって活気のある富士につきます。書類に目を通していたので、気がついたら新富士駅に電車が止まるところでした。残念。 というのも、私の生家は富士市の東はずれにあって、新幹線の線路からそれほど遠くないところころです。新幹線から見えますので、新幹線に乗ると必ず生家や、昔遊んだ川を眺めるのが習慣でした。今日はしばらくぶりなので見過ごしたというわけです。 しかし、富士市の煙突から出る煙は減りましたね。煙といっても、白く見えている煙はほとんどが水蒸気です。昔、妻は私の生家を訪ねるのをすごく嫌がっていました。東海道線の駅を降りると、製紙特有の、苛性ソーダで溶かしたパルプの腐った臭いがひどかったのです。私が子供のころ遊んだ川も製紙の廃液でたちまちのうちに死の川になってしまいました。美しかった田子の浦湾もヘドロの堆積で悪臭を放ち、よく泳ぎに行った海岸もひどく汚れました。 その後、公害対策が進み、空気も水もだいぶきれいになりました。富士市は、本当は水のきれいなところです。富士山からの地下水がいたるところで湧き出しています。水草が生え、透明な水がとうとうと流れるあの美しい川をぜひ生き返らしてほしいと思います。 もちろんわが故郷の自慢は富士山です。中学のとき富士山に登りました。トラックの荷台に乗せられて1合目まで行き、そこから延々と登るのです。今のように、5合目から楽をして登るわけではありません。へとへとになって帰ってきて父にあったら、父は、俺たちの時分は家から歩いて富士登山をしたものだと言われ、弱音を吐けなくなりました。 新富士を過ぎると10分くらいでもう静岡市です。静岡市は旧清水市と合併して政令指定都市となりました。静岡県には浜松市というもうひとつの政令指定都市があります。そのため、県の仕事はだいぶ静岡市と浜松市に移ったようです。静岡市も昔と比べるとビルも増えてすっかり大都会になりました。 浜松市も私にはなじみの場所です。仕事で使った機器の製造メーカーが当地にあり、社長をはじめ、技術者、営業の方に技術的な無理難題を吹っかけて大変ご迷惑をおかけしました。そのメーカーさんをはじめ、浜松市は目を見張るような発展を遂げました。都市が短時間で発展するさまを見る稀有な機会を持つことができました。冬さなかの2月、打ち合わせのため、仕事場の奥飛騨から高山線に揺られて浜松に下りてくることがありました。雪に埋もれた灰色の冬景色から梅が満開の別世界に突然入り込み、また太陽の光があまりにまぶしく目が開けられなかった思い出があります。 横道にそれました。 私は静岡近辺に友人が多いものですから、尋ねていくと飲み疲れて駅近くのホテルに泊まったものです。今回の会議はその同じホテルで行われました。まあ、この年になれば生まれ故郷に貢献するのも大切な役目と思い、お声がかかればできる限り引き受けることにしています。 奥飛騨は、20年近く仕事のために生活し、地元の皆さんに大変お世話になりました。私にとって第2の故郷です。静岡同様何とか貢献したいのですが、遠すぎて現在の体力では出向くことが難しいです。残念なことです。 < 前のページ次のページ >
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