(GXロケット開発の経緯。松浦晋也のレポートより作成。 http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/matsuura/space/080128_gxrocket1/ http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/matsuura/space/080130_gxrocket2/ http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/matsuura/space/080201_gxrocket3/ http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/matsuura/space/080205_gxrocket4/) 「打上げ需要は、中規模のものが増大すると予測されるとともに、宇宙科学の分野を中心に小規模のものの活用が指向されている。このような打上げ需要の多様化に対してより柔軟かつ効率的に対応することができる宇宙輸送系の構築を目指すこととする。このため、中型ロケット及び小型ロケットについて、それぞれ次の取組を 進めていくこととする。」この中型ロケットがGXロケットです。 GXロケットは2段式で、初段はアメリカ・ロッキード・マーチン社製「アトラス3」ロケットを採用、2段目は、液化天然ガス(LNG)を推力に使うロケットで、日本の産官が共同で開発するロケットです。 朝日新聞の記事にある開発費当初の3倍というのは、主にこのLNGを使う2段ロケットの開発製造がまったくうまくいっていないことをさしています。 上に掲げた表を見てください。この表は、松浦晋也氏のレポートを下に、GXロケット開発に関する簡単な経緯をまとめたものです。要約すると以下のようになります。 • 比較のために、LNGエンジン以前に開発された液体酸素・液体水素(液酸・液水)エンジンの慎重な開発経緯と今回のLNG開発経緯が比べられています。 • 当初からロケットの設計が最適化されていなかった。第1段ロケットはGXロケットに使うには大きすぎること。第2段ロケットに関しては、手持ちの技術のレベルを無視して挑戦的な仕様を立てたこと。 • 問題は、LNGエンジン技術のノウハウを蓄積する基礎研究なしに、実機製作、それも3年以内という無謀な開発期間の設定を行ったこと。 • 危惧されたとおり、推進薬容器、ガス加圧による推進薬輸送、衝突型噴霧器等、あらゆる技術課題でうまくいかなかった。 • 重量オーバー、さらに再着火技術の見直しにより、高度800km極軌道に約2トンの衛星を打ち上げる設計であったものが、0.7トンに低下。 • 第1段に使うロシア製エンジンの価格高騰により開発経費の増大。 • 省庁間の対立。技術的観点ではなく、予算獲得の観点からスペックを決定した。 どうお考えですか。 次回にさらにお話しましょう。 より引用。) 最近、私の興味を引く記事が朝日新聞に多く出てきます。勉強するのに時間をとられて困ります。 以前にも言いましたが、新聞記事というのはスペースの関係で極端に短くなっていて、記事の意味を十分理解するのはほとんど不可能です。今日話題にする記事は科学政策に関係することですので、新聞社は別に月刊誌またはインターネットで詳しい報道をする体制をぜひ整えてほしいと思います。記者さんは当然詳しい知識と情報を集めたはずですから、それを発表しないのは宝の持ち腐れです。 GXロケットというのをご存知ですか。ウィキペディアから引用してみましょう。 「ロケット本体の開発は2002年(平成14年)に開始した。2段式の液体燃料ロケットで、1段目には米国のロッキード・マーティン製アトラスIIIの1段目と第1段エンジン(ロシアから技術移転されたRD-180)を輸入、2段目には低公害・安価とされる液化天然ガス (LNG) を推進剤に利用した国産のエンジン(LNG系推進システム)を世界で初めて採用する。ペイロードアダプタやフェアリングはH-IIAと同じものを使用し、一発あたりの打ち上げ料金を従来より大幅に低減させることを目標にしている。」 「JAXAが担当する2段目のLNG系推進システムの開発が難航し、当初96億円程度とされた開発費は、現時点で347億円とも言われ、数倍にまでふくれあがっている。そもそも、打ち上げ料金の低減を目的とするロケットであるにもかかわらず、世界初で開発リスクも高いLNG系推進システムを採用したことに問題があったのではとの批判もされている」 つまり、「今後の我が国における衛星打上げ需要は、中規模のものが増大すると予測されるとともに、宇宙科学の分野を中心に小規模のものの活用が指向されている。このような打上げ需要の多様化に対してより柔軟かつ効率的に対応することができる宇宙輸送系の構築を目指すこととする。このため、中型ロケット及び小型ロケットについて、それぞれ取組を進めていくこととする。」この中型ロケットがGXロケットです。 なぜGXロケットと呼ばれるのか。ウィキペディアによると、 「GXロケットは日本の航空宇宙関係企業グループと宇宙航空研究開発機構 (JAXA)、アメリカ合衆国のロッキード・マーティンが官民共同で開発を進めている中型ロケット。H-IIAロケットを使うほどでもない中小型人工衛星を専門に取り扱うギャラクシーエクスプレス社 (GALEX) が運用し、種子島宇宙センターの大崎射場から打ち上げる予定である。」 「ギャラクシーエクスプレス (GALAXY EXPRESS Co.) とは日米の民間企業の出資により平成13年に設立された、人工衛星の打上用ロケットおよびシステムの設計・開発、製造を業務とする企業。正式名称は株式会社ギャラクシーエクスプレス。日本の宇宙航空研究開発機構 (JAXA) および新エネルギー・産業技術総合開発機構 (NEDO) が技術協力を行っている。」 ということだそうです。朝日新聞の記事にあるように、ギャラクシーエクスプレスは、「官民が共同開発している中型ロケット」のための会社です。。 宇宙開発の問題を話す前に紙数が尽きました。続きは明日に。 (科学研究費補助金申請のために登録している研究者の地域・大学分類別の人数(平成17年度)。) 昨日の続きです。 先日2月23日の朝日新聞に、「複数大学で共同学部、文科省、設置基準改正へ」なる記事が出ていました。 記事の中では、この構想が浮かんできた理由が3点挙げられています。今日は、その3番目、「地方の学生は地元に特徴ある学部や大学院が少なく、進路の選択が限られてしまっている」を考えて見ましょう。 地方大学をつぶすわけにはいかず、その活性化をぜひ図る必要があります。地方大学の卒業生は、地元の産業の担い手であるからです。地方に住めばその必要性を痛感します。 地方国立大学の活性化には、複数大学の連携は避けられないことだと思います。非効率な事務機構を考えたとき、連携による効率化は大きな魅力でしょう。また、教官も融通でき、事務官とともに教官の削減も可能になります。 地方に大学を置くことは、大学の民営化で出来るのでしょうか。上に示した表を見てください。ちょっと見にくいですが、科研費申請のために登録している研究者を地方別、またいろいろな大学別に分類したものです。登録研究者数は、大体各大学の常勤研究者数に近い数字です。 この表からすぐ気が付くのは、早慶を含む主要私立大学は大都市圏に偏在していることです。また、北海道、北陸、四国では、私立大学に所属する教官の割合は大変低くなっています。これは当然で、私立大学は、学生の集まらないところで経営を行うことが出来ないからです。必然的に大学数も少なく、教官数も少なくなります。 地方に大学はぜひ必要です。まさに「複数大学で、地方に特色のある、共同学部・大学院を設置する」ことが、地方大学を活性化させる有効な方策ではないか、と考えます。 私が朝日新聞のこの記事に注目したのは、まさにこの点です。 昨日も書きましたが、地方大学大学の単なる共同はなかなか難しいような気がします。最終的には、法人を1組織とし、各大学がその法人によって運営することによって、共同もうまく機能することになるでしょう。最終的にはそのような方向に進むべきと思います。 地方国立大学を廃止する可能性はあるのでしょうか。現在、道州制の議論が行われているようです。私見ですが、各道州に1大学法人を設置して、各道州に必要な複数の大学を当法人が経営することが、ベストと考えます。 (地方でも高等教育を受けた人材が必要。http://city.hida.gifu.jp/よりコピー。) 昨日は病院で新薬投薬の第1回でした。満を持して休みましたので、昨日はお休みしました。 先日2月23日の朝日新聞に、「複数大学で共同学部、文科省、設置基準改正へ」なる記事が出ていました。 2月24日に、朝日新聞の「東大に財界が基金、120億円、世界に対抗」なる記事を参考に、日本のトップ大学の、その利点を生かした取り組みを紹介しました。今日も朝日新聞の記事を参考に、トップ大学とは違った危機の只中にある私立大学や地方大学に関係したお話です。 記事の一部を要約してみましょう。 「複数の大学が教員や施設を出し合って授業を行い、各大学連名の学位を授与する『共同学部』、『共同大学院』を作れるようにする。」 「共同学部・大学院の学生は参加する全大学に所属し、学位は各大学連名で授与。」 この構想が浮かんできた理由として以下の3点が書かれています。 ・私立大学は、学生に魅力ある特徴ある学部を作ろうとしても、単独では教員や設備の面で限界がある。 ・有力国立大学にとっても、補助金が減らされる中、多様化する研究分野に対応して単独で学部や大学院を次々と増やすのは難しい。 ・地方の学生は地元に特徴ある学部や大学院が少なく、進路の選択が限られてしまっている。 早い段階で実現できそうなところとして、 ・神戸大(国立)・神戸薬科大(私立):将来は生命創薬科学部のような学部の設置を目指す。 ・関西大学、大阪薬科大、大阪医科大(いずれも私立):生命科学分野の学部を共同で設置。 ・日本女子大、大妻女子、実践女子、昭和女子、東京家政(いずれも私立大):教職大学院を共同で設置することを検討。 があがっています。いずれも首都圏、近畿圏での構想です。つまり上の理由の1,2に該当するものでしょうか。また、神戸大・神戸薬科大は、国立・私立で共同学部を設置する構想です。 この構想自体は結構なことで、規制を撤廃する一環として評価できます。 記事にもあるように、「入試や授業料」をどうするかは大きな問題です。私立大学は学生を増やしたいのですが、授業料が何分の1になってしまう学生を受け入れて経営上のメリットがあるのでしょうか。構想を見ると、巨大な学部や専門大学院を作る話ではなさそうです。 神戸大の試みは、前回の東大の話と同様に、国立大の民営化に弾みをつけることになるでしょう。 しかし、各大学の単なる共同はなかなか難しいような気がします。最終的には、法人を1組織とし、各大学がその法人によって運営されることによって、共同もうまく機能することになるでしょう。最終的にはそのような方向に進むべきと思います。 今日2月24日の朝日新聞に、「東大に財界が基金、トヨタなど15社、120億円、世界に対抗」なる記事が出ていました。 以前に、東大がなりふりかまわず寄付金集めに走っており、この動きは国立大学の民営化への動きを加速する、と指摘しました。 今回の記事が正しいとすれば、いよいよその動きが加速することになるでしょう。記事の要約を示しましょう。 「東京三菱UFJ,トヨタ自動車、その他電機や化学、電力、石油、繊維、保険などの有力企業15社が5億~15億円を出し合い、三菱UFJ信託銀行に運用を委託。総額120億円。目標利回りは年3.5%を目標。」 「各社が得た収益の一部を毎年、東大に寄付する。毎年、2億5千万円ほどが東大に寄付収入になる。」 「東大はすでに基金の2次募集を始めている。東大としての運用総額を2008年度中に500億円、2010年以内に2000億円に拡充したい考え。」 この記事を見ると、「基金」は大手15社が作り運用するのであって、基金をそっくり東大に寄付するわけではないようです。 そうすると、記事にある「東大としての運用総額」にこの基金は入らないはずですが、記事ではその辺があいまいです。知り合いに問い合わせてみることにします。 毎年2億5千万円の寄付は、東大の年間予算約2000億円に比べたら微々たる額ですので、取り立てて大騒ぎする必要はないのかもしれません。ちなみに、ハーバード大学の基金(endowment)は4兆円で、この基金の一部の運用は大学が行い、利回りは10%以上を超えているそうです。これだけで1000億円以上の収入を上げています。東大の2億5千万円はこれに比べたら取るに足りない額です。 ハーバード大学は私立大学です。無論、国から多額の経費を、競争的資金や受託研究費として、他大学との競争の中で、受け取っています。東大に入る国の予算は、大部分は運営費交付金として、他大学との競争なしに一括してもらっています。この運営費交付金が、日本の国立大学の主要収入になっています。 寄付金等の獲得では、東大は私立大学と競合して行っています。しかし、東大はその裏で多額の国庫補助を受け、たとえば早稲田や慶応大学は東大の数分の1以下の私学助成金で我慢しているわけです。当然私立大学からクレームが出るでしょう。 あらためて、「国立大学とは何か」、をもう一度考えなければなりません。私の考えはすでに述べました(その1、その2)ので繰り返しません。 ほとんどの大学の先生方は知らないでしょうが、今年から第4期科学技術基本計画策定のための議論・作業が始まります。いや、もう始まっているとの噂も聞こえてきます。そこで、大学は大きなテーマになることは間違いありません。 ・国立大学を存続させるのなら、第3期科学技術基本計画でできなかった、運営費交付金と競争的資金のバランスの数値を決めることになるでしょう。 ・国立大学を将来民営化するのなら、その議論を開始することになるでしょう。 もしチャンスがあれば、国立大学の民営化推進に加担する議論に加わりたいと思います。 (隕石が地面に衝突する寸前。http://edition.cnn.com/video/#/video/us/2008/02/20/am.hotshots.meteor.cnnから印刷。) 隕石が地上に衝突する映像をCNNが流していました。上のURLをご覧ください(少し待つと映像が出ます。動画ですよ)。監視カメラに偶然映ったイベントのようです。ただし映像の質はひどく悪い。 Giant Meteorといっているが、どのくらい大きさなのだろう。どう大きくてもメートル程度なのではないでしょうか。 恐竜を絶滅させた隕石はサイズが10キロメートルのオーダーだといわれていますが、それを映像に撮ったらどのように映ったんでしょうか?想像できませんね。 2007年1月、中国が、528マイル上空を周回している2200ポンドの人工衛星を、地上発射ミサイルで破壊したことは記憶に新しいところです。この破壊によって、10万個以上の破片、その内4インチ以上の大きさを持つものが2600個、を宇宙に撒き散らし、大きな非難を浴びました。 昨日のCNNニュースを要約してみましょう。 (http://edition.cnn.com/2008/TECH/space/02/20/satellite.shootdown/index.html) 「ハワイ沖太平洋に展開するアメリカ海軍のイージス艦『エリー湖』は、1基の戦術ミサイルM-3を発射し、247キロメートル上空を毎時17000マイルで飛行するミサイルに衝突させた。ミサイルは弾頭を付けずに打ち上げて人工衛星に衝突させた。人工衛星はミサイルの運動エネルギーで破壊された。破壊された人工衛星は、2006年12月に打ち上げられた5000ポンドの重量を持つスパイ衛星で、打ち上げ直後に作動しなくなったものである。」 「衛星は高熱を発していないので、イージス鑑の熱線追尾ミサイルシステムを冷熱標的用に改良した。これに多くの努力が費やされた。」 「標的となった人工衛星は1000ポンドのロケット燃料を搭載していた。衛星は3月始めに大気圏に突入して燃え尽きずに地上に落下し、毒性のロケット燃料を撒き散らす恐れがあった。 そのため、ミサイルによる破壊を敢行した。」 「破壊時に飛び散った破片のほとんどは24-48時間以内に大気圏に入って燃え尽きる。残りも40日以内に大気圏に突入するはずである。」 「アメリカ海軍は、今回の行動は軍事目的ではなく、衛星落下による被害を防ぐためである、と発表している。」 ということです。中国がやったように、破片が本当に宇宙に飛び散らなかったのなら、今回の破壊は正当化できるようです。 しかし、恐るべき性能ですね。 日本のイージス艦も戦闘技術はアメリカに引けをとらないのでしょうが、混雑した海域では、通常の船と同じように安全に十分注意して走行しなければいけません。 (ブラック・クローバーの葉。2月2日撮影。クリックすると大きくなります。) 今日は、病院に行く日です。予定だと今日から新薬の点滴を開始する日ですが、急遽アレルギー関係の検査が入るようです。1月16日から抗がん剤を中止しています。何もせずに1ヶ月が経ちました。腫瘍の活動度がかなり上がっているのではないかと心配です。早く投薬を開始したいところですが、第1回は来週になるようです。この影響で、来週はじめにつくばの講演会に行こうと思っていましたが、急遽キャンセルせざるを得ませんでした。残念。 今日も関東はよい天気です。まあ、くよくよせずに日常を淡々と過ごすようにしましょう。ということで、今日のお話は昨日の続き、我が家の庭に咲く花々の第9弾です。 といっても花ではなく、葉っぱです。庭の一角に10cmくらいの小さな黒い塊が目に入りました。なんと、黒い葉が密集した草でした。写真を見てください。撮影した翌日に雪の中に埋まってしまいましたが、雪が融けると再び元気な葉を開いてくれました。 私のカメラはどうも黒色がうまく出ません。実際は、写真よりもっと黒っぽい葉です。余談ですが、バラのブラック・ティーの写真を取ったときも、黒が抜けて真っ赤に近い色に写ってしまいました。(息子よもっとしっかりしたカメラを製造せよ。) 妻に聞くと、この草の名前はブラック・クローバーとのこと。確かに、クローバーの葉が黒くなったものです。クローバーは冬に見かけることはありません。多分葉は冬に枯れるのでしょう。ブラック・クローバーは真冬の今でも元気な葉を伸ばしています。 しかし、黒色の葉では表面で光を吸収してしまい、葉の内部に届く光の量はずっと少なります。光合成はうまく出来るのでしょうか。多分葉緑素のある部分は黒ではないのでしょう。いつか顕微鏡で葉の表面を観察してみましょう。 私はブラック・クローバーをこの冬初めて見ました。春以降、葉や株がどのように成長するか楽しみです。もちろん花も楽しみです。まさか黒い花が咲くことはないのでしょうが。 夏は大変でしょうね。黒い衣服を着て真夏の直射日光を浴びるのですから。頑張ってほしいと思います。 (2007年12月28日撮影。クリックすると大きくなります。) 今日は花で気分を和ませましょう。スイート・アリッサムです。妻に言わせると、こんなポピュラーな花を見せる必要はないといいます。 確かに、この花は1年中いつも咲いています。先日の雪に埋もれてしまいましたが、雪が融けるとまた顔を出し、か細く花をつけています。鼻を近づけるとかなりの匂いを発散しています。あまり好きな香りではありませんが。 スイート・アリッサムは草花ですが、コデマリのように多くの小さな花が球状に集まって白いボール状に見えます。1つの草にそのボールがいくつも付きますので、白い色がほしいときは便利な草花のようです。特に冬の庭を飾るのに適しています。 我が家では、こぼれ種が翌年顔を出し多く繁茂します。それらと他の草花を一緒に、コンビネーションを勘案しつつ、鉢植にしています。私はまったくそのようなセンスがないので、出来たものをもっぱら観賞する役目です。 園芸の好きな方は花が多く咲いた全体のバランスを楽しむのですが、私は科学者くずれですので、どうしても花の詳細に目が行ってしまいます。上の写真にあるひとつの花は高々2~3mmの大きさしかありません。しかし、4つの花弁を持ち、6つのおしべがかわいく、けなげではありませんか。 地中海沿岸が原産とのことです。何年か前に仕事でイタリア・シシリー島に行ったのですが、同行した妻によると、石畳の隙間などあらゆるところにスイート・アリッサムが咲いていたとのこと。こちらは仕事のことを考え中で花には気が付きませんでした。 (「犀の角たち」の表紙の一部。) 佐々木先生の「犀の角たち」をいろいろ紹介しました。恐れ多くも佐々木先生からもコメントを頂きました。そのコメントに関する私の考えも含めて、書き残したことをここに記します。 その前に、佐々木先生から「犀の角」のご本を頂き、本当に感謝しています。古代仏教、そして科学に関しても、得るところが多くありました。 その1 「佐々木閑先生の「犀の角たち」を読み返す、その1」の最後に、 私は、「脳の直覚=神の考え」には違和感を覚えます。聖典に書かれていることは、神が預言者に啓示した人知の及ばない律法だと考えたいところです。」と書きました。徹底的に超越者の存在を否定する私がなぜこのように言ったか説明します。 私が尊敬している高名な科学者(故人も含む)に、何人かのキリスト教信者がいます。論理に徹している彼ら先生方が、教会に通い賛美歌を歌って、実に穏やかな研究生活を送っているのを目の当たりにしてきました。 彼らは、超越者としての神、そして神が預言者に下した啓示を信じていたのではないか。このトップダウンの教えと、論理で組み立てる科学とが心の中でどう整合性をとっていたのか。私は直接にたずねることをしなかったので、今でも疑問のままです。 このような経験があって、「脳の直覚=神の考え」に一歩下がった物言いをした次第です。まだ私の理解を超えた何かがあるのではないか。 その2 「佐々木閑先生の「犀の角たち」を読み返す、その2、脳科学は科学に突破口を開くか」の中で、 「確かに科学は、人間の脳によってなされた自然界の抽象化にほかなりません。しかし、得られた科学は、決して人間固有な特殊化されたものではなく普遍的なもので、人間ではない他の星に住む生物にとっても理解可能な論理なのです。」と主張しました。 これに対する反論として、 「地球という小世界の中で,ある特定の条件下,特定の道筋で進化してきて生み出された我々ヒトという生命種の,その認識が,絶対的普遍性を持つということが不自然に感じられるのです。原始的生命体にはもちろん眼はありませんでしたから,もしそのまま知性が発達したら,光という概念を持たない宇宙観を創成したはずです。ところがなんらかの条件が整って,一部の電磁波領域を認識できる「眼」という器官を持つ生命へと変化して,我々人間になったわけですが,それは偶然の産物だろうと思います。」 私の考えは、 ・人間と同じ目や耳を持った高度文明を有する生命体が宇宙にいるとは思いません。これには同意します。ただし、光はわが宇宙でもっとも情報伝達に適したものなので、光を使わない高度文明を持つ生命体は、ちょっと想像できないことも確かです。 ・高度な観測手段を持たない生命体は高度文明を築くことは出来なかったと思います。 ・彼らが高度文明を得る過程で、必ず周囲および宇宙を観測する手段を手に入れたに違いがありません。その手段が、光を使おうがニュートリノを使おうが重力波を使おうが、それは本質的なことではありません。問題は、それらの観測手段を駆使して、得られた観測事実を抽象化し体系化して知識にしていったはずだということです。 ・我々は、宇宙の精密観測によって、1億光年彼方にある原子も地上にある原子と同じものだということを知っています。つまり、われわれの宇宙は、時間経過の違いを考慮すれば、一様で等方的かつ同じ法則の支配する世界です。 ・1億光年離れたところにいる高度文明を持った生命体も、同じ宇宙とそれを支配している法則を理解しているはずです。 ・「われわれの住む宇宙は何年前に生まれたのですか」という質問に対して、我々も彼方の生命体もまったく同じ答えを出すはずです。 ・また、「宇宙に最も多くある元素は何か」という問いには、1個の陽子の周りを電子が1個回っている構造体だ(元素や陽子や電子の名前は違うでしょうが)という答えで一致するはずでしょう。 私は、高度文明を持ったすべての生命体は、これらの基本的な設問に同じ答えを出すに違いないと確信します。私が言う、科学の普遍的意味とは以上のことをさします。 その3 「佐々木閑先生の「犀の角たち」を読み返す、その2、脳科学は科学に突破口を開くか」や、「佐々木閑先生の「犀の角たち」を読み返す、その4、日本にある大乗仏教はおすがりする宗教」の中で、多宇宙(Multiverse)に言及しましたが、無論それが宗教と関係あるわけではありません。単に、仏教者が似たようなアイディアに至ったことに驚嘆したのです。 多宇宙論では、たとえ一般相対性理論や素粒子理論の基本法則が同じであっても(多宇宙論自体が一般相対性理論と素粒子理論を使って導出された)、その中にある基本的パラメータは自由な値をとることが出来ます。そのため、ほとんどの宇宙はビッグバン後直ちにつぶれてしまうでしょう。我々の宇宙の特殊性は何なのか、というのが議論されてきました。「人間原理、Anthropic Principle」に逃げ込むというのが現在の考えです。つまり、我々が生存できるちょうど適当なパラメータを持った宇宙が我々の宇宙である、ということです。 私を含めて多くの科学者はこのアイディアを好みません。人間原理は、科学をもうやる必要はないという、敗北主義につながるおそれがあるからです。 宗教の話が科学のほうにそれてしまいました。大昔、遠藤周作の本を読んだとき、イスラエルの遺跡に行った登場人物が歴史や事実に関していろいろ質問したとき、案内していたイスラエル人が、宗教は研究するものではなく、信じるものですよ!といった言葉が今でも心に残っています。 神を信じるものは幸せかな。科学に身を捧げた人生も悪くはなかった。 < 前のページ次のページ >
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