私の恩師-4: お酒の好きな恩師は大歓迎

(DESY研究所で一緒に働いた友人で偉くなった連中。左から、ドイツDESY所長、スイスETH学長)

(ヨーロッパCERN所長予定者。)

 恩師に教わることは黒板の前だけではありません。小柴先生は決してお酒の強いほうではありませんが、よくお飲みになります。それも気の置けない友人とお飲みになることを好んだようです。われわれ若造は時々末席に座ることを許されることがあります。

 ある会食の末席にかしこまっていたら、朝永振一郎先生が上席に座られたのでびっくりしました。そのまわりは素粒子研究でよく知られた方ばかり。顔を拝むだけで勉強になりますし、彼らが話すことを聞くだけで、研究の最新動向をつかむことができました。

 先生は、大塚にある飲み屋が気に入っていて、おい行こう、とお声がかかることがありました。もちろん断ったことはありませんでした。お銚子を傾けながら無粋な科学の話はほとんどありませんでした。朝永先生と小柴先生との関係は有名です。さぞかし高尚な科学の話をしたのだろう思ったのですが、お酒の中でお聞きすると、下ネタ話ばかりだったらしいです。下ネタの話から、この男はなかなかできる、とわかったようです。

 大塚の飲み屋でどんな話をしたのかすでに記憶にありません。しかし、先生の話し方まで似てきます。酒を飲みながらの付き合いは、先生の科学の考え方や研究の仕方がしらないうちに染み付いてしまうのでしょう。

 小柴先生は本当においしいものと飲み物がお好きな方でした。弟子どもをときどき味見に連れて行ってくださるので、こちらは大歓迎です。

 根津の一膳飯屋で新鮮なイワシのたたきがあったといって、昼によく食べに行きました。
 池之端にある海鮮中華レストランはなかなかの味でした。

 1965年に大学院に入ってから7年後の1972年にようやく博士号を手に入れました。実は博士課程2年の1968年に嫁さんをもらいました。嫁さんと貧乏を十分すぎるほど経験しました。(市の貧困家庭の範疇に入れていただき、毎日牛乳をただで配っていただきました。) 博士号を取った1972年は力が抜けてボーっと次にやることを頭の中で考えていました。

 DESYというドイツ最大の素粒子研究所がハンブルクにあります。小柴先生がアメリカで一緒に仕事をされた方が副所長かそれに近いポストについていて、1970年代、世界最大の電子・陽電子衝突型加速器を建設中でした。この衝突型加速器(コライダーと呼ばれる)機械を使って電子・陽電子の衝突をさせると、きれいな素粒子反応がとれ、解析もなかなか楽そうでした。しかし、共同研究を行う研究費が取れるかどうか、小柴先生の豪腕にかかっていたわけでした。

 1972年10月に理学部長に呼ばれました。あなたに10月から1973年3月末まで助手のポストをあげる。ついては、一身上の都合で1973年3月31日に辞職する、なる書類を書くようにいわれました。6ヶ月間のポストでしたが、大喜びで書いたことはいうまでもありません。

 1972年12月入ってから、小柴先生に呼ばれて、お前ハンブルクに出かけろ、との命令が下りました。大喜びで承諾しました。ハンブルクに日本人は多く滞在していましたが、DESYには一人もいませんでした。何かまうもんか。先生に、私の助手職は来年の3月で切れますが、その後どうしたらいいでしょうか、と聞きましたら、向こうで職を探せ、というお言葉でした。何とかなるだろうと思いながら、厳冬の北ヨーロッパに旅立ちました。その後、小柴先生は日本で大変努力されて、東大での職が切れ切れに続いて私が向こうで職探しをすることもなくなりました。途中3年東大に戻って次の研究の準備をし、またハンブルクに舞い戻りました。1981年最終的に東大に戻りましたが、都合6年半DESYで働くことになりました。

 この6年半は私のその後の研究遂行に決定的な影響を与えました。小柴先生はアメリカ臭さがふんぷんとしていましたが、DESYに参加した私の同僚や私はヨーロッパの洗練さが体に染み付いていました。私のルームメートはアメリカ人だったのでアメリカ臭さも少し残りました。彼はコーネル大学にまだいますがコンタクトはなくなりました。

 当時いっしょに働いた友人たちの中にはえらくなった連中もいます。一人はDESYの所長を長く務めていて、昔、しょっちゅう会議で一緒になったものです。もう一人スイス人の友人は昨年ETHの学長に就任しました。研究の鬼で一見付き合いの悪い男でしたが、たいしたものです。もう一人ババリア・スピリット丸出しの面白い男が、今年の7月からCERNの所長になります。世界最大の陽子・陽子のコライダーがちょうどビームを出すときと重なります。彼に期待すること大です。

by fewmoremonths | 2008-05-24 18:17 | 教育


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