教師として: 伝説の物理学者ジョーン・アーチボルド・ホイーラー博士96歳で死去

(我が家のロニセラ。5月12日撮影。)

 先日、伝説の物理学者ジョーン・アーチボルド・ホイーラー博士が亡くなったというニュースが入りました。

 アメリカ下院の有志議員は、物理学者ジョーン・ホイーラー博士をたたえる決議を採択しました。堕落しきった日本の国会では考えられないことですね!

 ホイーラー博士といっても知っている方は少ないと思います。純粋な理論物理学者なので、私も彼の業績とのコンタクトはありません。

 上のリンク先に、ホイーラー博士の教師としての興味深い一面が載っていました。日本の大学教師と比較することは面白いと思いましたので、翻訳してみました。ただし、アメリカの多くの大学教師がホイーラー博士と同じようだ、と言うつもりはまったくありませんが。

 ホイーラー博士の教え子でその後共同研究を行ってきた一研究者の手記です。

 それでははじめてみます。

 17年前のあるきれいな秋の日、僕はとある研究室に入り込み、人生がまったく変わってしまった。僕はプリンストン大学の学部生で、大学院での指導教官を探していた。「ジャドウィン ホール」という場所は近づきがたいところだった。僕の教科書によく出てく連中が多くそのホールに巣くっていた。ノーベル賞受賞者もちらほらいたし。そして、学部生はそこに入っていって彼らと研究するよう求められていたのだ。

 ある研究室のドアはいつも開いていて、歩きがてら覗いてみると、主はいつも研究に没頭しているのがわかった。ノートに書き物をし、書棚の横に立っていたり、殆どの時はチョークを片手に黒板の前にいた。この人物が現代物理学者の伝説の一人、ジョーン・アーチボルド・ホイーラーだった。彼は、原子核分裂反応の初期の研究でニールス・ボーアと共同研究を行い、量子力学の発展に本質的な貢献をした。彼はSマトリックス理論を発明した。彼はマンハッタン・プロジェクト(原爆)および2次マンハッタン・プロジェクト(水爆)で重要な役割を担った。一般相対性理論に関しては、チャーリー・ミスナーとキップ・ソーンと共著で書いた教科書がこの分野のバイブルとなっている。また、新しい名前をつけることで有名だった:ワーム・ホール、クォンタム・フォウム、ブラック・ホール、宇宙の波動関数(ホイーラー・ドウイット方程式)。彼は何世代かの学生を育て上げた;第一世代の一人がリチャード・ファインマンだ。

 僕はまだ20歳で、こんな研究のことはほとんど知らなかったけれど、重力と宇宙論に興味を持っていて、ホイーラーがこれらのことを一つか二つ知っていると聞いたことがあった。そこで彼の研究室に入っていった。4時間後、いっぱい本を抱え、見通しのよくついた研究目標を手に入れて、ふらふらと研究室をよろけ出た。それからの2年間、ほとんど毎日ホイーラーと一緒に過ごした。毎朝僕は彼の研究室に向かう。いつも「What’s new?」が挨拶だった。とにかくこの質問に答えたくて夜遅くまで起きていたものだ。それから何時間も時間をかけて、僕の結果について計算をチェックし、文献を調べ、新しいアイデアのブレインストーミングを行った。ホイーラーは研究の楽しさを直接個人的に教えてくれた。ランチはファカルティ・クラブに出かけていった。彼はとにかく速足だった。エレベータを使わず階段を飛ぶように上っていった。1990年のことだ。ホイーラーはすでに80歳だった。

 時々講義に出かける時間の無駄遣いはあったけれど、午後いっぱい一緒に研究した。夕方、ジャドウィン・ホールからアイビー路地、ワシントン道路を通り、キャンパスを一気に横切って彼のバスをつかまえた。ジョーンズ・ホールの横を通ったけれど、ホイーラーがアインシュタインと相対論を議論したところだ。フィッツランドルフ門から外に出たほうが便利だけれど、ホイーラーはナッソウ・ホールの前を通ってわざわざ遠くの門から出ることに固執した。学部生は卒業までフィッツランドルフ門から出ない伝統があって、彼は僕にそれを破って欲しくなかったのだ。

 2年間僕はマスターの足元に座り、科学や人生について目いっぱい吸収した。ホイーラーは広範な興味を持っていて、バイオロジー、歴史や詩についてよく議論した。僕らはその後も一緒に研究することになった。ホイーラーの最後の論文は僕との共同研究だ。

 昨日、僕は彼のベッドサイドで2,3時間過ごした。ありがとうと言いたかったのだ。しかし、僕の人生で彼がどんな存在だったのか、僕がいかに感謝しているか、伝えることは不可能だった。僕は彼の研究室の敷居をまたいて新しい航海に乗り出し、今もその航海途上にある。彼が僕にこの航路を示してくれたことを僕がいかに感謝していることか。

 ジョーン・ホイーラーは今朝死んだ。

by fewmoremonths | 2008-05-14 16:03 | 教育


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