佐々木閑先生の「犀の角たち」を読み返す、その5、科学と宗教に関して書き残したこと

(「犀の角たち」の表紙の一部。)

  佐々木先生の「犀の角たち」をいろいろ紹介しました。恐れ多くも佐々木先生からもコメントを頂きました。そのコメントに関する私の考えも含めて、書き残したことをここに記します。

 その前に、佐々木先生から「犀の角」のご本を頂き、本当に感謝しています。古代仏教、そして科学に関しても、得るところが多くありました。

その1
佐々木閑先生の「犀の角たち」を読み返す、その1」の最後に、

 私は、「脳の直覚=神の考え」には違和感を覚えます。聖典に書かれていることは、神が預言者に啓示した人知の及ばない律法だと考えたいところです。」と書きました。徹底的に超越者の存在を否定する私がなぜこのように言ったか説明します。

 私が尊敬している高名な科学者(故人も含む)に、何人かのキリスト教信者がいます。論理に徹している彼ら先生方が、教会に通い賛美歌を歌って、実に穏やかな研究生活を送っているのを目の当たりにしてきました。

 彼らは、超越者としての神、そして神が預言者に下した啓示を信じていたのではないか。このトップダウンの教えと、論理で組み立てる科学とが心の中でどう整合性をとっていたのか。私は直接にたずねることをしなかったので、今でも疑問のままです。

 このような経験があって、「脳の直覚=神の考え」に一歩下がった物言いをした次第です。まだ私の理解を超えた何かがあるのではないか。

その2
佐々木閑先生の「犀の角たち」を読み返す、その2、脳科学は科学に突破口を開くか」の中で、

「確かに科学は、人間の脳によってなされた自然界の抽象化にほかなりません。しかし、得られた科学は、決して人間固有な特殊化されたものではなく普遍的なもので、人間ではない他の星に住む生物にとっても理解可能な論理なのです。」と主張しました。

 これに対する反論として、
 「地球という小世界の中で,ある特定の条件下,特定の道筋で進化してきて生み出された我々ヒトという生命種の,その認識が,絶対的普遍性を持つということが不自然に感じられるのです。原始的生命体にはもちろん眼はありませんでしたから,もしそのまま知性が発達したら,光という概念を持たない宇宙観を創成したはずです。ところがなんらかの条件が整って,一部の電磁波領域を認識できる「眼」という器官を持つ生命へと変化して,我々人間になったわけですが,それは偶然の産物だろうと思います。」

私の考えは、

・人間と同じ目や耳を持った高度文明を有する生命体が宇宙にいるとは思いません。これには同意します。ただし、光はわが宇宙でもっとも情報伝達に適したものなので、光を使わない高度文明を持つ生命体は、ちょっと想像できないことも確かです。
・高度な観測手段を持たない生命体は高度文明を築くことは出来なかったと思います。
・彼らが高度文明を得る過程で、必ず周囲および宇宙を観測する手段を手に入れたに違いがありません。その手段が、光を使おうがニュートリノを使おうが重力波を使おうが、それは本質的なことではありません。問題は、それらの観測手段を駆使して、得られた観測事実を抽象化し体系化して知識にしていったはずだということです。
・我々は、宇宙の精密観測によって、1億光年彼方にある原子も地上にある原子と同じものだということを知っています。つまり、われわれの宇宙は、時間経過の違いを考慮すれば、一様で等方的かつ同じ法則の支配する世界です。
・1億光年離れたところにいる高度文明を持った生命体も、同じ宇宙とそれを支配している法則を理解しているはずです。
・「われわれの住む宇宙は何年前に生まれたのですか」という質問に対して、我々も彼方の生命体もまったく同じ答えを出すはずです。
・また、「宇宙に最も多くある元素は何か」という問いには、1個の陽子の周りを電子が1個回っている構造体だ(元素や陽子や電子の名前は違うでしょうが)という答えで一致するはずでしょう。

 私は、高度文明を持ったすべての生命体は、これらの基本的な設問に同じ答えを出すに違いないと確信します。私が言う、科学の普遍的意味とは以上のことをさします。

その3
 「佐々木閑先生の「犀の角たち」を読み返す、その2、脳科学は科学に突破口を開くか」や、「佐々木閑先生の「犀の角たち」を読み返す、その4、日本にある大乗仏教はおすがりする宗教」の中で、多宇宙(Multiverse)に言及しましたが、無論それが宗教と関係あるわけではありません。単に、仏教者が似たようなアイディアに至ったことに驚嘆したのです。

 多宇宙論では、たとえ一般相対性理論や素粒子理論の基本法則が同じであっても(多宇宙論自体が一般相対性理論と素粒子理論を使って導出された)、その中にある基本的パラメータは自由な値をとることが出来ます。そのため、ほとんどの宇宙はビッグバン後直ちにつぶれてしまうでしょう。我々の宇宙の特殊性は何なのか、というのが議論されてきました。「人間原理、Anthropic Principle」に逃げ込むというのが現在の考えです。つまり、我々が生存できるちょうど適当なパラメータを持った宇宙が我々の宇宙である、ということです。

 私を含めて多くの科学者はこのアイディアを好みません。人間原理は、科学をもうやる必要はないという、敗北主義につながるおそれがあるからです。

 宗教の話が科学のほうにそれてしまいました。大昔、遠藤周作の本を読んだとき、イスラエルの遺跡に行った登場人物が歴史や事実に関していろいろ質問したとき、案内していたイスラエル人が、宗教は研究するものではなく、信じるものですよ!といった言葉が今でも心に残っています。

 神を信じるものは幸せかな。科学に身を捧げた人生も悪くはなかった。

by FewMoreMonths | 2008-02-19 09:40 | 人生


<< 我が家の庭に咲く花々―8、スイ... 佐々木閑先生の「犀の角たち」を... >>