佐々木先生の連載エッセイ「日々是修行」(朝日新聞夕刊毎週木曜日)は毎週楽しみにしているエッセイです。すでに4回ブログで紹介しました。前回は、11月22日のエッセイでしたので、だいぶ怠けてしまいました。
実は怠けた理由があります。友人たちに佐々木閑先生のエッセイはすばらしい。普通の宗教のエッセイと違って理屈っぽいところが良い、理科系にも先生のお考えがよくわかる、一度お目にかかって教えを請いたいものだといいましたら、驚くことに佐々木先生とお話しするチャンスを作ってくださいました。 佐々木先生からは恐れ多いことにメールを頂き、また事前に読めということで御著書「犀の角たち」を頂きました。このご本を読むのに時間がかかってしまいました。 佐々木先生のご経歴を拝見すると、京都大学工学部工業化学科を卒業後、同大学大学院文学研究科博士課程に入学、満期退学後、カリフォルニア大学バークレー校に留学しています。その後花園大学で教鞭にたち、現在は花園大学教授です。 理工系の修行をまずなさっているので、先生の理屈っぽさが理解できました。 私が理解した「犀の角たち」の内容は後日紹介できればと思います。今日は先生とのお話の一部の紹介です。 私の前置き: ・最近宗教に関心を持ったのは、死後10年を迎えるカルカッタの聖者マザー・テレサが神の実在(彼女にとって神の子キリストの実在)を死ぬまで信じていなかった、という報道にショックを受け、いったい宗教、また信仰とはいかなるものか、興味を持ったこと。 ・先生のエッセイや著書を拝読すると、(古代)仏教には神という考え自体が欠落しているのではないか。 ・キリスト教、イスラム教や日本の神道には、世界の開闢を記述する哲学的な記述があるが、仏教では、キリスト教の創世記のような壮大な物語は聞いたことがない、なぜか。 ・仏教の来世、または永遠に続く輪廻転生の存在、そこからの解脱とは何か。 ・その他、その他。 先生のお話: ・マザー・テレサが神の実在を信じていなかったのは知らなかった。ドーキンスがある本の中で、ドグマチックなマザー・テレサの信仰のことを非難していたが、ドーキンスもマザー・テレサの本当の内面世界を知らなかったようだ。 ・釈迦の開いた古代仏教は、あくまで個人が瞑想修行によって人生の苦悩(老・病・死)を克服し、確かな安らぎへの道を見つけることにある。そこに超越者へすがる態度はまったくない。瞑想による修行は徹底していて、食事も作らず托鉢によって非修行者から食事を頂く。信仰という字に使われている「信」は、仏教では本来「信頼」という意味で使われている。 ・釈迦の死後500年くらいにわたって優れた仏教者が輩出し、仏教においても壮大な哲学が編み出された。それを「倶舎(クシャ)論」という。その中には宇宙論もある。章立てになっているので自分の興味ある事項を拾って勉強することができる。最近チベットで倶舎論の古代文書が新しく発見され、日本語訳が最近終わったところである。 ・仏教の哲学では、宇宙は永遠の過去から永遠の未来に向かって進んでいく。生き物は輪廻転生を繰り返す。(以下は私の勝手な理解)つまり生き物は苦悩(老・病・死)を背負って永遠に生き続けなければならない。仏教は、瞑想修行により、その永遠の輪廻を断ち切って苦悩から開放(解脱)されることを目指す。開放された先にあるのは、時間も空間も存在しない完全な「無」である。無は大乗仏教のいう「空」とはまったく異なる。 まだまだあります。 ・仏教は因果律によって世界を理解する。「犀の角たち」の本の中では、「超越者の存在を認めず、現象世界を法則性によって説明する」と解説している。(私の理解では)世の中の出来事は「神からのトップダウンではなく、原因に基づいた法則」によって起きている。 これはまさに現代科学と同じ原理ではないですか。興味深いことです。 ・日本の仏教は大乗仏教で、釈迦の開いた古代仏教とは大きく異なる。大乗仏教もインドで生まれ、中国を経て日本に来た。その際、時の権力者の意向が入り、変貌を遂げてきた。 ・(私の理解では)大衆の苦悩を救うために、ヒンズー教の一部が取り入れられ、神々にすがって苦悩を取り除くという案が生まれた。しかし、仏教は神々の存在を認めないので、大乗仏教では別世界を考え、そこに種々の如来や菩薩がいるという世界観を考えた。衆生は、信仰により別世界にいる超越者と交信ができる、というのである。古代仏教とはまったく異なった宗教である。 ・超越者の存在を認めない古代仏教は宗教なのか、という疑問が浮かぶと思うが、修行によって苦悩から開放されることができる、ということを無条件に信じて瞑想修行をする、という点で宗教である。 どうです。理屈っぽいですね。そういえば、インドは数学の天才を輩出しています。インド人には、法則、律などという考えが本来備わっているのかもしれません。 佐々木先生との2時間にわたるお話には、まだ多くの深遠な内容がありますが、私の理解を超えているところもありますので、今日はこのあたりで終わりにしたいと思います。また、佐々木先生のエッセイを定期的にご紹介したいと思います。 by FewMoreMonths | 2007-12-25 15:36 | 人生
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