山中教授の研究成果「ヒトiPS細胞作成」の今後に注目、続
 iPS細胞の続きです。

 ここで思い出すのは、昔あったヒトゲノム解読事業です。ヒトゲノムを系統的に解読すべしという発案は、日本の和田昭允先生がなされました。先生はもともと物理学者でしたので私もよく存じております。先生は、物理科学の手法にもちろん通暁していました。

 物理科学的手法はいろいろありますが、「系統的、数量的」というキーワードが当てはまると思います。生命系の研究者が最も苦手とするキーワードでしょう。

 つまり、個々の研究者が興味ある遺伝子を突っついて細々と研究するのではなく、多くの人からサンプルを取って、すべてのDNA配列を一気に解読する。このことから、各人の遺伝子内のDNA1個1個を比較すべきだと、和田先生は考えたのです。これは、ちょうど素粒子物理学の実験で行う、現象すべてのデータを一気にとって、そのデータを比較解析していく手法、いわゆるビッグサイエンスの手法です。

 残念ながら、生命科学者はビッグサイエンスの手法に関心も経験もありませんでしたので、後発のアメリカにあっという間に先を越されてしまいました。アメリカで最初にヒトゲノム解読を推進したのは、素粒子研究などをサポートしているエネルギー省だったことが面白いと思います。

 私は、iPSの技術面の仕事で、ヒトゲノム解読と同じ轍をわが国の生命科学者が踏むのではないか、と危惧しています。ヒトゲノム解読以降、わが国の生命科学では、理化学研究所などが大きな施設を作って再生医療や脳科学の研究開発を行っているようですが、誤解を恐れずに言えば、系統的ではなく個々人の研究の寄せ集めに過ぎないように思えます。

 ビッグサイエンスのすごいところは、研究はあくまで個々人の仕事の集積ですが、物理学で言うところの「位相がそろった、コヒーレントな」研究手法を使うことによって、1+1=2ではなく、(1+1)の2乗=4の研究成果を挙げることができる、という点です。

 iPS細胞の技術開発に当たっては、ぜひ素粒子物理学等のビッグサイエンスの手法を参考にしてもらいたいものです。たとえば、小柴昌俊ノーベル賞受賞者が創設したわが国のニュートリノ研究は、1987年に一気に世界のトップに躍り出て、20年後の現在でも、現在進行中の事業を入れれば、さらにあと10年間、世界の追随を許さないトップランナーであり続けるでしょう。その辺のノウハウをぜひ学んでいただければと思います。

 ところで、若い山中教授には、研究体制立ち上げなどの雑用を避けて、ぜひ研究に専念していただきたいと思います。

 研究体制の整備などは新しくできた研究拠点の拠点長がリーダーシップをとってやるべきことです。先日テレビで、山中教授が文科大臣や科学技術担当大臣に会っているところを拝見しましたが、中辻憲夫拠点長がなぜ同席していなかったのか理解に苦しむところです。

 役所がよくやることですが、よい研究成果を挙げると、その研究者は研究に専できるどころか、いろいろな雑用に追われて、かえって研究の邪魔をすることがよくあります。アメリカでは、ノーベル賞を受賞するような一流の研究者は、研究のみに専念できる体制をとり、最大限の研究効率を上げています。

 ただ、山中教授にひとつ期待したいのは、今後の研究に関する自分自身のビジョンを語っていただきたいと思います。アメリカにアイディアを盗まれるからいやだなどという、情けない考えはだめです。上にも言いましたが、日本の体制などを考える必要もありません。ご自分の夢を語って、関連研究者や国民をぜひ感激させてほしいと思います。まだまだ若いんですから。

 ちょっと視点を変えたいと思います。iPS細胞の技術開発はすばらしいものがありますが、基礎科学をかじった私には、いくつもの「なぜ」、またどう質問してよいかわからない漠然とした「なぜ」が多くあります。この「なぜ」から出発するのが科学です。わが国のiPS細胞科学はどのような状況にあるのでしょうか。生物学の知人に聞いたところ、iPS関係の研究をやっているのは、わが国では山中グループのみである、とのことです。再生生物学関係では有名なES細胞(胚性幹細胞)の研究がありますが、この分野で、できのいい研究者を数えると、わが国で20~30人くらいかな、といっていました。

 学術月報という冊子があります。その8月号に「わが国における学術研究の動向について:生物系科学、農学、医・歯・薬学の研究動向」という記事があります。85ページに渡る労作ですが、その中でiPS細胞研究に関係するのは「発生生物学」です。その分野の中で「幹細胞」に関する記述はなんと1ページの5分の1くらいしかありません。種々の幹細胞というキーワードは特に医・歯・薬学系で多く出てきますが、iPS細胞という単語は一切出てきません。

 また、研究費の中で最大の金額を誇る科学研究費補助金のキーワードを調べてみると、「幹細胞」、「再生」というキーワードはありますが、「胚性幹細胞」や「胚細胞」というキーワードは見つかりません。もちろん「iPS」もありません。下の表を見てください(クリックすると大きくなります)。

 どうやら、幹細胞関係の科学研究は、日本であまり活発ではないことが伺えます。別の面で心配しているのは、日本の研究者の性格として、誰かがブレークスルーの研究成果をあげると、他の研究者はしらけてしまい、そのブレークスルーを盛り立てるどころか、その分野の研究をやめてしまう傾向があります。この情けない性癖は絶対に改めなければなりません。特に若手の皆さんの奮起を期待したいと思います。京都の新拠点は、優秀な若手を多く採用すると思いますので、ぜひチャレンジしてみたらいかがでしょうか。

 要は、わが国がiPS細胞の科学研究を推進するのに必要なのは、お金ではなく、人材の早急な育成です。山中教授にお金をざぶざぶあげて溺れ死ぬようなことをさせてはいけません。

 小柴教授のニュートリノ研究は、1985年、大学院生を入れて日本人10人、アメリカ人10人程度のグループから始まりました。20年後の現在、2009年から始まる次期ニュートリノ研究に参集している研究者は、アメリカ、ヨーロッパ、アジア、それに日本から計400人の規模に拡大しました。ご参考までに。

 しかし、何ですな。孫悟空のように髪の毛をぱっと散らせば自分のクローンが何人も飛び出してくる世の中になったらいやですね。


by FewMoreMonths | 2007-12-19 10:17 | 科学政策


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