体力の関係で、首都圏を離れることは昨年8月に富士吉田にいったきりでした。一昨日は体調がまあまあなので、静岡市で開かれた会議に出席するため、1年ぶりに首都圏を離れ新幹線に乗りました。東京駅で駅弁をじっくり眺める時間もありました。野菜がほとんどで、ほんの少し玉子焼きの入ったお弁当を見つけ買ってみました。ベジタリアンになった気分でしたが、油を使わずに煮物がすべてでしたので、胃腸が薬の副作用で弱っている体にはぴったりでした。大変おいしく、ほとんど食べてしまいました。
新幹線で東京を離れると、紅葉・黄葉の美しい林や森が目に入り、1時間ちょっとの旅はあっという間に終わりになりました。美しい黄色に色づいたイチョウはすぐにわかります。あとは、ケヤキやコナラのちょっと赤みがかった黄葉の色もなかなか渋くていいものです。新横浜を過ぎ小田原に近づくと丹沢の山々が目に入ります。小田原を過ぎると今度は箱根の山が迫ってきます。ちょっと霞がかかっていたので、丹沢や箱根の山の色合いは目にすることができませんでした。もう枯葉も散ってしまっているはずなので、空気が澄んでいても黒々とした色にしか見えなかったでしょう。 熱海を通って丹那トンネルを過ぎればもう静岡県です。木々に覆われた山を過ぎれば三島、そして多くの製紙工場があって活気のある富士につきます。書類に目を通していたので、気がついたら新富士駅に電車が止まるところでした。残念。 というのも、私の生家は富士市の東はずれにあって、新幹線の線路からそれほど遠くないところころです。新幹線から見えますので、新幹線に乗ると必ず生家や、昔遊んだ川を眺めるのが習慣でした。今日はしばらくぶりなので見過ごしたというわけです。 しかし、富士市の煙突から出る煙は減りましたね。煙といっても、白く見えている煙はほとんどが水蒸気です。昔、妻は私の生家を訪ねるのをすごく嫌がっていました。東海道線の駅を降りると、製紙特有の、苛性ソーダで溶かしたパルプの腐った臭いがひどかったのです。私が子供のころ遊んだ川も製紙の廃液でたちまちのうちに死の川になってしまいました。美しかった田子の浦湾もヘドロの堆積で悪臭を放ち、よく泳ぎに行った海岸もひどく汚れました。 その後、公害対策が進み、空気も水もだいぶきれいになりました。富士市は、本当は水のきれいなところです。富士山からの地下水がいたるところで湧き出しています。水草が生え、透明な水がとうとうと流れるあの美しい川をぜひ生き返らしてほしいと思います。 もちろんわが故郷の自慢は富士山です。中学のとき富士山に登りました。トラックの荷台に乗せられて1合目まで行き、そこから延々と登るのです。今のように、5合目から楽をして登るわけではありません。へとへとになって帰ってきて父にあったら、父は、俺たちの時分は家から歩いて富士登山をしたものだと言われ、弱音を吐けなくなりました。 新富士を過ぎると10分くらいでもう静岡市です。静岡市は旧清水市と合併して政令指定都市となりました。静岡県には浜松市というもうひとつの政令指定都市があります。そのため、県の仕事はだいぶ静岡市と浜松市に移ったようです。静岡市も昔と比べるとビルも増えてすっかり大都会になりました。 浜松市も私にはなじみの場所です。仕事で使った機器の製造メーカーが当地にあり、社長をはじめ、技術者、営業の方に技術的な無理難題を吹っかけて大変ご迷惑をおかけしました。そのメーカーさんをはじめ、浜松市は目を見張るような発展を遂げました。都市が短時間で発展するさまを見る稀有な機会を持つことができました。冬さなかの2月、打ち合わせのため、仕事場の奥飛騨から高山線に揺られて浜松に下りてくることがありました。雪に埋もれた灰色の冬景色から梅が満開の別世界に突然入り込み、また太陽の光があまりにまぶしく目が開けられなかった思い出があります。 横道にそれました。 私は静岡近辺に友人が多いものですから、尋ねていくと飲み疲れて駅近くのホテルに泊まったものです。今回の会議はその同じホテルで行われました。まあ、この年になれば生まれ故郷に貢献するのも大切な役目と思い、お声がかかればできる限り引き受けることにしています。 奥飛騨は、20年近く仕事のために生活し、地元の皆さんに大変お世話になりました。私にとって第2の故郷です。静岡同様何とか貢献したいのですが、遠すぎて現在の体力では出向くことが難しいです。残念なことです。 by FewMoreMonths | 2007-12-14 13:22 | 人生
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