1900年、マックス・プランクは光ツブツブである、という光の量子説を発表しました。長らく光は波と考えられてきたので、多くの科学者は光量子説を認めようとしませんでした。光量子(光子)説が確立されるためには、その説を支持するさらに新しい現象を見つける必要がありました。つまり、世間が革命的なアイディアを認めるためには、多くの観測事実が必要なのです。このことは、現在でも変わりません。
光を金属板に当てると、電子が飛び出してきます。この現象は1887年にハインリッヒ・ヘルツによって発見されました。 1900年ころには、光電効果の研究から、いくつかの奇妙な効果が発見されていました。 ①光の「色」が赤くなると(振動数が低くなると)、電子が出てこなくなる。 ②光の「強さ」を上げていくと、飛び出してくる電子の数が増える。 ③光の強さをあげても、飛び出してくる電子の運動エネルギーは変わらない。 ④光の色を青くしていくと、飛び出してくる電子の運動エネルギーが大きくなる。 光の色はその振動数に関係し、光の強さはその明るさに関係していることに注意しましょう。 この現象は、光を波と考えると、うまく説明できません。前にもちょっと言いましたが、光を波と考えると、光のエネルギーは光の波の振幅(明るさ)に関係し、振動数に関係しません。だから、光の明るさを強くしていくと、出てくる電子の運動エネルギーも大きくならないといけませんし、光の色によって電子の運動エネルギーは変わらないはずなのです。このように、光電効果はなぞの多い現象でした。下の図が光電効果を示す漫画です(クリックすると大きくなります)。 英語で申し訳ないのですが、漫画を説明しましょう。(どこかのホームページから引用したものですが、引用先が見つかりません。失礼して引用させていただきます。)図の下にある灰色の部分はナトリウムの板を表します。図の中央にある波線は、ナトリウム板に入射する光です。左の波線から説明します。 ①波長が700nm(ナノメートル、10億分の1メートル)の赤い光が板に当たっても、電子は飛び出さない。 ②波長が550nmの緑の光を当てると、速さが毎秒29.6万メートルの電子が飛び出してくる。 ③波長が400nmの紫色の光を当てると、出てくる電子の速さは毎秒62.2万メートルに増加する。 さて、ここで登場するのが、アルベルト・アインシュタインです。1905年、26歳のアインシュタインは、プランクの光子説を使えば、光電効果を簡単に説明できることを示しました。 ナトリウム板の光電効果を詳しく調べると、光子の振動数が約460テラヘルツ以下だと電子が出てきません(下の説明参照)。この振動数に相当するぎりぎりのエネルギーをWとしましょう。アインシュタインは、飛び出してくる電子の運動エネルギー(T)は、入射する光子のエネルギーからこのWを引いたものだ、式にすると、 T=hf-W だと、予想したのです。fはもちろん入射光の振動数、hはプランク定数です。 アメリカ物理学界の大御所ロバート・ミリカンはアインシュタインの理論を信じず、理論の間違いを見つけるべく、光電効果の精密な実験を繰り返しました。下の図は1916年の実験結果です。ナトリウム板を使っていろいろな振動数の光を当てて実験しています。図の丸がデータ、横軸は光の振動数、縦軸は飛び出してくる電子の(最大)運動エネルギーを表します。振動数の単位は100テラヘルツ(10の14乗ヘルツ)です。運動エネルギーの単位は電子ボルトです。(どこかのホームページから引用したものですが、引用先が見つかりません。失礼して引用させていただきます。) データは見事に直線に乗っていています。hは直線の傾きですから、 h=直線の傾き=4.1・(10の-15乗)電子ボルト・秒 が導かれ、プランク定数もついでの求めることができます。この値は、るつぼ内部の光(黒体放射)の観測から求めた値とぴったり一致します。 つまり、まったく違った現象にもかかわらず同じ意味を持つ値が、両方の観測で一致するというのは、その根拠となる理論が正しいことを示しています。 図をもう一度見てみましょう。直線は約460テラヘルツで横軸を横切っています。つまりアインシュタインの式で、(h=4.136・(10の-15乗)電子ボルト・秒を使うと、) W=h・(460テラヘルツ)=1.9電子ボルト とWを求めることができます。 1915年、ミリカンは実験結果を発表しました。彼の結果は、アインシュタインの理論を破るものでは決してなく、理論を見事に証明するものでした。ミリカンはそれでもアインシュタインの理論を信じなかったといわれています。 物理学は間違いのないようにその正しさを確認しながら進みます。革命的なアイディアは往々にして間違った理論や観察に基づくことが多いので、科学者はそれを認めるのに非常に慎重になります。そのため、革命的なアイディアが浸透するのに、長い時間、時には数10年の歳月がかかります。光電効果はその一例です。 1921年、アインシュタインは光電効果の理論的業績によりノーベル物理学賞を受賞しました。2年後の1923年、ミリカンは電気量の最小単位(つまり電子の電気量)の測定と光電効果の測定の業績によりノーベル物理学賞を受賞しました。 ちなみに、ミリカンはアメリカ人として2人目のノーベル物理学賞受賞者です。最初のアメリカ人受賞者は、光の速度の不変性を測定したアルバート・マイケルソンでした。マイケルソンのお話は特殊相対性理論のお話のときに出てくるはずです。 (続く) by FewMoreMonths | 2007-12-11 12:03 | 科学入門
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