佐々木先生の連載エッセイ「日々是修行」の第4弾です。お坊さんの修行の話が続きます。
エッセイの一部を引用させていただきます。 ・木の下で瞑想するとか、お経を読んで仏教哲学を学ぶとか、そういった坊さんらしいことはずっと後の話。真っ先にしなければならないのは、寺の中で共同生活を送るための規則を覚えることである。 ・規則は重要なものだけで250近くある。それを全部覚える。 ・ほかに日々の細かい作法がびっしり決まっていて、一つも破らないよう、毎日の行動パターンを体で覚えていく。 ・規則の勉強がすんだら、いよいよ釈迦の思想や瞑想の方法といった本筋の勉強に入る。 ・指導は「和尚」と呼ばれる先生から受ける。科目別教師もいて「阿闍梨」という。 ・この義務教育期間は、何と5年も続く。人は5年間みっちり教育されて、やっと一人前の坊さんとして自立できる。 お坊さんになるのも大変です。この入門期間ももちろん修行の一つだと思います。この方法は、今でも世間でよくみられる指導法のようですね。 私は毎朝NKHの朝ドラを楽しんでいます。ドラマでは、落語家を目指す少女がいよいよ修業を始めたところに来ています。彼女がまずやることは、掃除・洗濯・炊事を徹底的に覚えること。落語の稽古はいつ始まるかわかりません。今どきの少女は驚くあきれ不貞腐れてしまいます。この最初の修行ができなければ、入門をあきらめざるを得ません。 私が中学で野球部に入った時も、最初は球拾いだけでした。球拾いから、ボールの取り方や投げ返し方を学んだものです。お坊さんの修行とよく似ています。まだほかにも多くの例があると思います。 昔、母校の高校で講演した時、話のあとで数人の生徒さんが訪ねてきて、「勉強はどんなことをやったらいいでしょうか」と質問しました。私はひとしきり考えて、「高校時代は基礎を学ぶ時代です。まずは、読み書きそろばん。将来理工系に行くにしても、自分の考えを表現する国語、同じことですが英語で表現する力が必要です。読み書きそろばんと英語力を身に付けましょう。」といったら、げんなりして帰って行きました。 修行の規則や方法は、その時代に即して改善したほうがよいと誰も考えると思います。しかし、前回のエッセイの中に出てきた「お釈迦様時代の規則をそのまま守って修行」という一節を思い出しましょう。この点が、学校教育や科学研究とは大いに異なると思います。 科学では、コンピュータの導入やインターネットなどの普及で、勉強や訓練の仕方が革命的に変化しました。データ解析やグラフィックスでは年寄りが若者に手ほどきを受ける始末です。しかし、何か根本的なところが見落とされているような気がしてなりませんでした。 高速インターネットなどが普及すれば、外国との打ち合わせやシンポジウムは居ながらにしてコンピュータディスプレーから参加でき、わざわざ会場を設定して皆で集まることもなくなるのではないかと、昔思ったことがありました。ところがどっこい、皆が一堂に会するシンポジウムやワークショップはむしろ増加しました。やはり、皆と会って目を見ながら話すことが意思疎通にどうしても必要だ、ということがはっきりしてきたのです。 お坊さんの修行方法は2500年の歴史があり、同じ作業が今でも行われているようです。恩師による指導という昔ながらの方法が科学の基本を教えるのに最善だ、ということに改めて気付かされました。 目を見て話し合うという古典的な方法が究極の意思疎通方法だ、ということも納得できるような気がします。 by FewMoreMonths | 2007-12-01 10:54 | 人生
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