原発関連のブログは、構想を練った後でまとめて行おうと思ったのですが、「柏崎刈羽原発での制御棒事故」に対するメディアの記事に疑問がありますので、香が抜けないうちにお話ししたいと思います。
私は朝日新聞を購読しているので、他のメディアが関連する事項をどのように取扱ったのか承知していません。一紙だけ取り上げるのはいかがなものかと思いますが、おかしいことはおかしいので、あえて話題にしたいと思います。 原発事故に関係する朝日新聞の記事で、私が切り抜いて保存しているものを見ると、8月24日から11月23日まで12件あります。すべてが原発指針や東電・中電の対応に対する批判記事です。気になった報道は、10月19日と11月23日の記事です。そのコピーをそれぞれ下に示しました(青のマークは筆者)。 10月19日の記事は図の上側で、柏崎刈羽原発7号機で制御棒が抜けなくなったのは原発炉心にも地震の被害が及んでいる、と大きな見出しで報道しています。 11月23日の朝刊に、見えないくらいの小さな記事が片隅に載っていました。図の下側がそれです。上下の記事の大きさはもともともの記事とほとんど同じ比率にとってあります。タイトルは、「柏崎刈羽4号機タービン、新たな傷」とあります。タービンは原子炉の外に設置されている装置なので、故障自体は重要な事故ではありませんし、「こすれたり当たったりした傷」の重要性がいかなるものかの説明もありません。 驚くのは、同記事の後段の部分です(青マーク参照)。「地震で緊急挿入した制御棒が引き抜けなくなった7号機については、分解して点検した結果、異状は見られなかった」とあります。 炉心での事故は原発にとって極めて重大な事柄です。だから10月19日の記事はあのように大きな取扱いになったのです。 地域住民の皆さんもさぞかし不安に思ったことでしょう。私も、この故障は原発の将来に暗い影を落とすのではないかと懸念していました。 ところが、11月23日の取り扱いを見てください。タイトルには制御棒事故の言及は一切無しで、後ろにさりげなく制御棒の故障はなかったと書かれています。 マスメディアの報道は、地域住民に正確な情報を流して、その情報内容が地域住民に危険なものならば、さらに専門家の意見を聴取して徹底的にその情報を究明し報道すべきなのは言うまでもありません。 しかし、もう一つマスメディアの重要な役目は、最初の報道で地域住民に与えた不安がその後の検査で誤りだった場合、その事実を「最初の記事と同じくらいの大きさで」報道し、住民の不安を解消すべきです。 11月23日の記事をも追う一度見てください。朝日新聞はこの記事で住民の不安を解消する努力を全く怠っているのみならず、微小な傷の報道によって、さらに地域住民の不安をあおろうとしています。 朝日新聞はもともと原発に反対の立場を貫いていますので、地域住民の不安をあおる記事を意図的に大きく扱っている、と誤解されても仕方ないと思います。 他のメディアの方によく聞くことですが、新聞も所詮は企業の一つ、新聞が売れなければ成り立たない。報道で一番よく売れる記事は、スキャンダルと住民の不安をあおる事故報道とのことです。だから、科学記事でも、研究費不正や論文捏造の記事ばかり出て、重要な新発見は置き去りにされます。 新聞社の思い入れと、売れればいいという2つの側面でできた記事が幅を利かしていることは、日本の新聞の質を考えたとき悲しむべきことです。 もう一つ、災害や事故に関する内容は科学技術と密接にかかわっています。上記の記事は、多分柏崎あたりの地方記者が書き、それが全国版に載ったものと推測します。新聞社も大きな組織で日本的な風土を強く持っていますから、各セクションが縦割りになっている弊害は免れません。しかし、大災害や大事故のような重大な報道の場合、科学技術担当の記者が深く関与することがどうしても必要と思います。これは以前にも主張したことですが、改めて繰り返しておきます。 朝日新聞の綱領の一つに、「真実を公正敏速に報道し、評論は進歩的精神を持してその中正を期す。」とあります。記者諸氏は、公正・敏速・中正を忘れるべきではありません。 蛇足ですが、綱領のもう一つを示します。「不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す。」大変高邁な精神で結構だと思います。政治記事における民主党びいき、国際記事における非民主国家ベネズエラびいきは、たぶんこの綱領の範囲内なのでしょう。 by FewMoreMonths | 2007-11-28 10:24 | 環境・災害
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