前回のブログ「科学における論文数と引用数その1」で、引用数がトップクラスにある論文の生産能力は一国の科学レベルの高さを表すことを書きました。また、その国ではその論文の情報が得やすいことから、関連する後続の研究が発展し研究レベルでも研究層の厚さでも急速に世界のトップに躍り出ることができます。
だいぶ古くなりますが、5月28日の日本経済新聞に政策研究大学院大学の福井秀夫氏が、 「旧帝大優遇でひずみ、大学の公的助成」なるタイトルで投稿記事がありました。 氏の偏見のある意見は毎度のことなので皆無視して反論を書く人もいませんでした。せっかくですからちょっと紹介しましょう。 ・「根岸正光氏の分析によれば、論文の引用度(過去10年間の刊行論文数に占める直近年の論文引用数)は、国立大1.69に対し私立大1.51とほとんど拮抗している。」 ・「ところが、主要な競争的資金である文部科学省科学研究費の06年度実績は、東大・京大の2校のみで全体の20%、旧帝大で全体の43%を占めている。さらに旧帝国大は1校あたり99億円を獲得し、一方早慶大は1校あたり20億円に過ぎない。」 ・「論文引用度基準から見て、かくも極端な官民格差は説明困難である。」 という記述がありました。 第一の文章では国立大と私立大全体の平均引用度を議論しています。根岸教授の解析では数10に及ぶグラフを示しているはずですが、著者は都合のいい1つの数値を引っ張り出して示しています。 次の文章では突然旧帝大に話が行きます。そして、科学研究費の配分額を早慶大と比較しています。 最後の文章では、国私大(旧帝大と早慶大ではない)の平均引用数を元に「官民格差は説明困難」と結論しています。 私のコメントを少し書いておきます。 ・論文引用数が1や2などは、論文の質に関係なく作ることができます。上の例ですと過去10年間の論文を云々しているわけですから、いくら出来の悪い教官でも10編位の論文はあるでしょう。直近年に1編の論文を書いて過去の自分の論文2編を引用すれば、直近年における引用数は2となります。だから、引用数が2や3では議論の対象にならないのです。前回のブログで高度な研究の引用数を紹介しました。1論文当たり160位の引用数がありましたが、この程度になると自己引用数は関係なくなります。 ・旧帝大と早慶大を比較するのならなぜ、引用数も旧帝大と早慶大の数値を直接比較しないのでしょうか。 ・旧帝大と早慶大を比較するのならなぜ、さらに重要なトップクラス引用数の比較をしないのでしょうか。 ・旧帝大と早慶大で科学研究費取得に対する指標には、配分額以外にも重要なものがあります。各機関の教官総数及び科研費応募登録研究者数に基づいた、応募率、採択率、特に配分額に大きく影響する大型科学研究費に対するそれらの指標です。ちなみに、応募率は各機関の自己努力を表し、採択率は審査の公平さを表します。 ・実は早慶大と他の私立大の格差は、旧帝大と早慶大との格差よりももっと深刻です。筆者はそれをどう捉えているのでしょうか。 福井氏がいやしくも大学教授・研究者であるならば、他人の分析の一部を恣意的に取り出すのではなく、氏ご自身がデータを独自に分析して答えを出さなければなりません。 福井記事では、氏の個人的信念である旧帝大を貶めようという意図が表に出てしまいました。旧帝大の研究レベルを落とすんではなく、早・慶大の研究レベルを旧帝大レベルに引き上げようという、ポジティブ思考が働いていないのが悲しいところです。 急いで付け加えますが、日本の科学基盤を充実するためには、私立大学やその他の機関に所属する研究者に、その「研究レベルに見合う」研究費を分け隔てなく配分することが重要です。そのためには科学研究費の採択審査は、透明であり公正でなければなりません。 以前にも書きましたが、私的な感情に基づいて政治家に陳情し、競争的資金の審査方法を脅迫でもって変えようとする動きがあったように聞いたことがあります。これなどもってのほかで、科学者なら科学者らしく、学術会議等で十分議論をしてほしかったと思います。 9月22日のブログにも書きましたが、少なくとも、文科省・日本学術振興会が行っている科学研究費補助金の審査体制は、その透明性・公正性からいって世界でもっとも進んだシステムだと思います(まだ問題も多々ありますが)。日本では科学のすそ野を広げるべく多くの努力がなされているのです。 問題があるとすれば、科学・技術に対する国の支援がアメリカなどと比較すると圧倒的に貧弱である、という点につきるのです。この点に関しては、既に「科学」のカテゴリーに一連のブログを書きました。 by FewMoreMonths | 2007-10-24 14:58 | 科学政策
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