科学者は、観測や実験、それに理論的考察などによって研究を行い、得られた結果(成果)は論文という形で発表し、その成果を世に問います。
多くの研究者がいれば当然多くの論文が書かれ、また優秀な研究者がいれば一人一人が多くの論文を書くことになります。だから、一国の論文数というのはその国の科学のすそ野の広さとある程度の実力を表しています。論文数は当然分野別に集計することができます。日本は物理学や材料科学に強いが**分野はとんとだめだとか、アメリカはすべての分野で強いとか、論文数を基準にしてよく議論されます。 しかし、誰も読まない論文や誰も興味を持たない論文をいくらたくさん書いても科学へのインパクトはありません。重要な発見などを発表した論文は当然科学界で注目されます。そして、科学界は、その発見が重要であればあるほど、その発見の検証やその研究成果をさらに発展させるべく新たな研究が始まります。 科学論文は、当然ですが、元々の発見者の業績を高く評価します。後続の論文は、自分たちの研究の基礎となったオリジナルの研究論文は何々であると、必ず最後に記載しなければなりません。この記載を「引用(cite、citation)」といいます。 だから、引用された数(引用数)が多い論文ほど、その価値が高く重要だということがわかります。 もう20年前になりますが、1986年IBMチューリッヒ研究所のヨハネス・ベドノルツ博士とカール・ミュラー博士は銅酸化物が予想もしなかった高温超伝導の状態になるというセンセーショナルな発見をしました。今でも記憶に新しいところです。これをきっかけに高温超伝導の研究が世界で怒濤のように始まりました。ベドノルツ・ミュラー両氏のオリジナル論文の引用数は大変な数に上るでしょう。 もう一つの例は、1987年日本の小柴教授のグループが観測した超新星ニュートリノの観測です。16万光年離れた大マゼラン星雲で起きた超新星からのニュートリノを史上初めて捉えた観測でした。この観測結果を解析する理論の論文が何100と発表されました。当然引用数は数100に上りました。 科学・技術は、まずブレークスルーとなる発見や発明が基礎となります。そのあとに後続の研究が続き、当該分野が大きく発展し「成熟」していきます。発展が一段落した分野では、論文数は多くなりますが、引用数は必然的に下がっていきます。 最近、日本の科学・技術の実力を図るのに、論文数と「平均引用数」がよく使われます。上にも書いたように論文数は、当該科学分野の基盤の厚さを示す指標として的確なものです。 平均引用数は当該科学分野で1論文あたり何回引用されたかを示す平均値(全論文の引用数の合計÷全論文数)です。この値が大きいと、その分野は比較的活発に研究が行われていることを示しますし、研究分野の実力が総体的に注目されていることを表しています。 要するに、論文数と平均引用数はだいたい同じ指標で、繰り返しますが当該分野の基盤の厚さを表しています。 ある分野で引用数がトップにある論文はその分野で最も重要な論文といっていいでしょう。一国の科学の基盤の厚さでなく「科学レベルの高さ」を測るには、平均値ではなく、引用数がトップクラスにある論文がいくつあるかのほうが重要です。 そして、そのような論文が身近で作られることが肝心です。例に挙げた超新星ニュートリノの発見は日本で行われたため、情報が日本の研究者に直ちに行き渡り、後続の論文では日本が世界を大きくリードしたと聞いています。また、国民や行政当局も注目するためニュートリノ研究という新分野は日本で大きく発展しました。 つまり、一国の科学レベルを引き上げるためには、引用数がトップクラスにある論文の生産、その研究成果をあげられる優れた研究者の存在が最も重要なのです。 日本にも世界が注目する論文は多くあります。いわゆるDistinguished Scientistの一例をお見せしましょう。一般の教官とはちょっと違うレベルだということを理解してください。スタンフォード大学のデータベースに原子核・素粒子・天文・関係の論文の引用数の集計が公開されています。そのデータは自由に閲覧できます。某氏のデータを紹介しましょう。 1論文で最も高い引用数は約2900で、全論文を合計すると、総引用数24000,1論文あたりの平均引用数は161です。 このような論文が出ると、関連する研究活動が活発になって基盤が充実し、その論文を発表した国は、その科学分野で世界のトップに躍り出ることになります。 (続く) by FewMoreMonths | 2007-10-23 12:24 | 科学政策
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