今日9月23日、気温は昨日から6度下がって26度Cになりました。いよいよ遅かった秋の到来です。8月20日以来久し振りに、妻を運転手にして東京金町にある水元公園に散歩に行きました。
空いていたので車を路肩に止めました。車を降りスティックをついてゆっくり歩きます。歩行訓練も兼ねます。空手*段の暴れ者が今や原形をとどめぬ哀れな姿です。まあ生きているだけでも幸せと思わなければいけません。 歩き始めてすぐに広い水辺に出ます。猛暑が嘘のように涼しい風が吹き、散歩には絶好の日です。 数本のアキニレと、同じく数本のハンノキの横を過ぎ、さらに湿地帯を通り抜けます。実がいっぱいついているエノキがありました。実は赤みを増して堅くなり落ちる寸前でした。公園の中なのでこれらの実が新しい木に成長することはあまり期待できません。 おなじみのナンキンハゼに挨拶。実はまだ緑ですが大きくなっていました。そしてメタセコイヤの林に到着。ラクウショウも一部混じっていますが、葉は既に黄ばみ始めています。秋がそこまで来ていることを実感します。夏はメタセコイヤの林の中に逃げ込んで涼をとったものですが、今日は林の外に出て石の上に腰掛けました。いい気分です。 トネリコの葉はすっかり虫に食い尽くされていました。そういえば、奥飛騨のいたる所にあるマルバアオダモはトネリコの仲間です。なつかしい。別の林の中に入り、子供たちが名札をつけてある木々を見て歩きました。子供の書いた名札の中に「ハクノキ」か「トクノキ」に読めるカタカナがありましたが、多分ハンノキの書き間違いでしょう。 お彼岸の中日とかで帰りは大渋滞。30分の行程が2時間半以上に延びてしまいました。 さて話題を変えましょう。 8月11日、8月20日に朝日新聞の社説を話題にしました。本日9月23日の朝日新聞の社説も話題にしたいと思います。社説の一つは表題にあるように「原発の耐震『この試算では安心できぬ』」でした。 早速ですが最初のコメントを一つ。 この社説は当然科学・技術に関する記事です。私には、科学・技術的素養のある論説委員が書いた記事とはどうしても思えません。 後日話題にしたいと思いますが、朝日新聞の原発指針等に関する記事も科学に素養のある記者が書いたとはとても思えないのです。これが事実なら、ぜひ科学担当の論説委員と社会部その他の論説委員が合同で練った記事をものにして頂きたいと思います。もしこれが事実でなく科学担当の論説委員が実際にお書きになったのなら、もう少し科学・技術的要素を含めた議論をお願いしたいものです。 社説の内容と私の簡単なコメントを書きます。 「『日本の原子力は、あのくらいの揺れなら大丈夫』そんな趣旨の報告を、電力会社など11社と日本原子力研究開発機構がそれぞれまとめ、発表した」 コメントなし。 「だが、これを持って原発の安心材料にはなりそうにない」 この理由が以下の社説に示されるはずで楽しみ。 「ほとんどの原発や原子力施設で(中略)重要機器のどれかが、設計時の想定を超える揺れに見舞われる。だが、安全にゆとりを持たせているので放射能漏れによる大事故などは起こらない」 この文章は不正確。報告書は、どのような地震の場合に「放射能漏れによる大事故など」が起きないといっているのか。中越沖地震程度なら起きないという意味なのか不明。もう少し丁寧に。 「中越沖地震では、柏崎刈羽原発の上空に火事の黒煙がたなびき、微量の放射能が海に流れ出た。そのことが、原発の耐震力への不安を呼び覚ました。」 火災と微量放射能放出は重大事故ではありませんでした。いやしくも科学・技術的素養のあるジャーナリストならこの2点に関して不安はないとすぐわかったはずです。それをいかにも重大な事故のように国民に発信したのは誰かを検証する必要があります。無論東電の対応のまずさは指摘され、今後の改善が図られるべきでしょう。しかし、私は、国民に不安をあおるのではなく、事実に基づいて安心感を与える報道をすべきであると当時思いました。 「そもそも、全国の原発に今回の地震一つを当てはめる試算にどれだけの意味があるのだろうか」 報告書を読んでいないのでむしろ質問になってしまいます。報告書が科学・技術的に正しく書かれているのなら、中越沖地震からのインプットは地震の基礎的情報と、揺れと地盤に関する知見のはずです。それを元に各原発施設における地盤等の情報をインプットしてシミュレーションを行い、各機器への損傷具合の評価を行っていると思いますが、いかがでしょうか。それ以外に考えられません。 一般的にいって、この文章は科学的素養のない方が書いた文章です。 まず、耐震基準などの重要な決定をするときには、当然その時点での最高の科学・技術的知見を考えて決めるものです。そして、次が重要ですが、もし指針決定以降新しい知見が出てきたら、その知見を直ちに考慮して新しい指針を作り直さなくてはなりません。 中越沖地震の情報はまさに新しい知見です。この情報を入力して耐震評価を見直すことは絶対必要であって、「今回の地震一つを当てはめる試算に」本質的な重要性があるのです。私は、各電力会社はこの意味の耐震評価をまず今回行ったと理解しています。 「仮に同じくらいの自身が同じくらいの近さで起こっても、地震の様子などによって揺れ幅や揺れ方は異なる」 当然です。上のコメントを参照して下さい。 「旧指針では『マグニチュード(M)6.5の直下地震』の揺れを想定していたが、新指針はこれをその一帯の地盤の性質などを考え合わせて個別に見定めることにした。」 当然です。私は地震の専門家でないのでこの文章に戸惑います。マグニチュード値と直下型だけを決めただけで、地盤の情報をインプットすることなしに「揺れ」を想定することは不可能なはずです。 上にも書きましたが、各原発施設では当該地盤等の情報をインプットしてシミュレーションを行い、各機器への損傷具合の評価を行っているはずです。 もし論説委員が科学記者ならこの文章がおかしいことがわかると思います。 「原子力安全・保安員は、原発の耐震安全性を新しい指針で評価し直すよう電力業界に求めている。その作業を充実させる方が先ではないか。」 当然、中越地震をインプットにした分析とこの文章にある作業は並行して行うべきです。それは既に開始されていると思います。 もし、電力各社が中越地震をインプットにした分析を当分行わなかったとしたら、この社説を書いた論説委員は、逆にその怠慢を糾弾する社説を書くに違いありません。 「想定外の揺れに直撃されても、破局的な災害は食い止める。その方策を探ることも急務だろう」 科学的な表現ではありません。 上に書きましたが、「現時点での最高の科学・技術的知見を考えて方策を決め、もし方策決定以降新しい知見が出てきたら、その知見を直ちに考慮して新しい方策を作り直す」のが科学的にできる方法です。もし異論があるのなら、論説委員は「想定外の揺れ」がどの程度の大きさかを示さなければなりません。星占いにでも頼りますか。 社説の表題「この試算では安心できぬ」、また記事の一部「だが、これを持って原発の安心材料にはなりそうにない」をもう一度引用します。 この両文章ともに科学的でなく、無責任な表現であると思います。 9月6日のブログ「北岡論文「『外交革命』に日本はどう立ち向かうか」(中央公論9月号)を読んで」に引用しましたが、 「歴史を判断するのに現代の価値基準を直接持ち込んではならないという。それには多くの人が同意する。しかし、現実には現代の価値基準は歴史を判断するのに頻繁に持ち込まれており、ますますそうなっていくのではないだろうか」。 この文章に照らすと、今日の社説は、現在の価値基準を持ち込まない文章を書くことによって、将来への責任を回避しようという(失礼ですが)動機が見え隠れします。 蛇足ですが、9月1日に放映されたNHKスペシャルは、ちょっと不満の点もありますが、柏崎刈羽原発の事故の詳細を追った見応えのある番組でした。特に中部電力が柏崎刈羽原発の事故を受けて浜岡原発の耐震補強工事を開始した報告は大変見応えがありました。当然のことながら、中部電力は浜岡原発での地盤情報等をインプットして揺れの予想を立て、耐震補強工事の設計に反映させていました。映像はCDRに保存しました。 NHKの視聴料は大新聞の購読料と比較して割安だな、という実感を新たにした次第です。 by FewMoreMonths | 2007-09-23 17:29 | その他
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