恩師は不要か
 昨日9月18日は抗ガン剤の注射日でした。連休明けということもあり外来治療センターは大にぎわいで点滴が終わったのは午後5時半になってしまい、帰宅後夕飯も食べずに寝てしまいましたので昨日のブログ投稿はキャンセルしました。
 採血結果によるとカリウムが高いので果物と野菜を控えるようにとのこと、食べ物のチョイスも追いつめられてくるような感じです。

 今日は恩師について書かせて頂きます。9月16日のブログにも出てきましたが(無論冗談でしょうが)、大学の教官が若手研究者を「兵隊」と考える風潮を信じる向きが、総合科学技術会議等の議員の先生方にも存在するようです。

 2006年度から始まった第3期科学技術基本計画は「モノから人」の立場から種々の施策を推進しています。
 モノから人への観点で、女性研究者、外国人研究者の活躍促進とともに、若手研究者の自立支援が施策の重要項目として挙げられています。特に「自立」という言葉が入っていますが、その裏には、大学の助教や准教授が競争的研究資金を確保しても、教授が代表する研究室の予算に組み込まれてしまい、彼らのイニシアティブを発揮することができない、ボス教授から若手研究者を独立させなければ我が国に独創的な研究は育たないという、上に述べた意見がその根拠にあります。

 実際、日本学術振興会が行っている科学研究費補助金の種目でも、若手研究者が個人で、つまり自立して研究できるように、若手(A)、若手(B)、若手(スタートアップ)が充実し、新規採択率はそれぞれ25%、29%、20%と他の種目と比べて高い水準にあります(スタートアップはまだちょっと低いですが)。若手(S)という大型の若手個人研究種目も始まり、若手への手当も一段落したかなという感じがあります。
 日本学術振興会・文部科学省はさらに若手研究者への支援を図るべく、これらの採択率向上を平成20年度概算要求に盛り込んだと聞いています。
 だたし、本当に若手が自立できたのかどうかの検証結果はまだありません。


 さてここからが今日の本題です。

 「ボス教授から若手研究者を独立させなければ我が国に独創的な研究は育たない」、極言すれば「恩師は不要だ」という風にもとれます。これは本当でしょうか。

 私はA教授の大学院生として更に助手、助教授として教えを受け、またご一緒に研究をさせて頂きました。自分でも科研費を何回か取って研究室で行う研究に最大限有効に使ってきました。私どもが行った基礎研究はグループで行うことがどうしても必要です。グループ内の各若手教官は、自分の得意なところを責任担当として必要な研究費の確保を目指します。予算を請求・獲得した各教官が経費に係わる全責任を持つことは当然です。実験装置が完成した後は、皆で観測しデータ解析して研究結果を出します。

 (蛇足ですが、最近研究不正がよく話題になるライフサイエンスなどの分野でも、研究者が相互に検証しあいながら行うグループ研究は、研究の信頼度を上げるのに必須だと思っています。)

 この間、我々は、先生がいかに研究目標を見つけて研究計画を立案するに至ったのか、また彼がリーダーとしていかに実験に取り組むのか、どのように対外交渉を行うのか、若手をどのように鼓舞するのか、さらに外国人研究者やグループとの連携・競争、時には激しいやりとり等々、我々はあらゆることを先生から学び取りました。研究を大いに楽しんだのは無論ですが、何とかして巨大な対象である先生に追いつき、できたら追い越そうという目標を持って研究に励んできた面もあります。

 私にとって、研究室の教授である先生は頭を押さえる迷惑な上司では決してなく到達すべき巨大な目標であり恩師である以外の何者でもありませんでした。
 (わたくしは研究を引退した今でも時々先生を訪ねては教えを受けています。もっともお願い事をすることも多いですが。)

 中学時代に英語を教えて頂いたB先生は私の第二の恩師です。先生の英語教育は、基礎を徹底的にたたき込むスパルタ教育でした。先生は、その昔通訳をされていたとかで、英語を話すことも堪能でした。
 中学2年の富士登山の折り、先生がアメリカの軍人さんと英語でしゃべりながら下山するのを見て、何とかあのように英語を使えるようになりたいと思ったものでした。先生の教育のおかげで、後日始めた研究活動が英語能力で阻害されることはあまりありませんでした。
 (先生は昨年天寿を全うし逝去されました。私は病弱の身でお通夜・告別式にも出られなかったのは痛恨の極みでした。「恩師」に関する短文を郵送して感謝の意を伝えました。)

 勉学にしても創造性の涵養にしても、学ぶ側の努力が絶対に必要なことは自明です。加えて、目標とする人物が近くにいて指導を仰ぐことができる環境の下でその効率は最大になります。
 偉大な研究者は若いときに大発見を行うかまたはそのきっかけをつかむと言われます。しかし、そのような偉大な業績は自分一人で出来たのでしょうか。多くの偉大な研究者の後ろには教え子の業績を喜んでいる有名無名の師がいるに違いないと思います。

 (この記事は2006年に某機関誌に掲載された文章に手を加えたものです。)

by FewMoreMonths | 2007-09-19 11:52 | 教育


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