今日9月8日の朝日新聞に興味深い記事がありましたので紹介します。記事のタイトルは上に書いた通りです。(48P)とはタイトルのフォントのおおよその大きさ(ポイント)を表します。ポイントが大きいと派手なタイトルになり、小さなポイントだと、重要な記事を見逃します。私は、多分皆さんも同じと思いますが、タイトルのフォントの大きさを見、そして次にタイトルを読んで、最後に興味がわいたら記事を読みます。
どの新聞でもそうですが、社の上層部の意見に合致する記事のタイトルは大きくなり、反する記事はタイトルを小さくしたり記事の掲載を不許可にします。だから記事のタイトルを具体的に決めるのは大変重要です。 ここに新聞社独自のバイアスが入り込み、読者の考え(世論)を一定の方向に誘導する働きがあります。 あえて悪意をもっていうと、自分たちが誘導して世論が一定の方向に向くと、世論調査なる作業を行って、国民はこう思っていると強調する記事を書きます。このように、ポジティブフィードバックを意識的にかける現象を時々目にします。 記事のバイアスに関しては、昨年、朝日新聞の記事を約2ヶ月にわたって分析したことがありますので機会がありましたら紹介します。 横道にそれました。今日の話題に入りたいと思います。今日話題にする記事は事実の報道でバイアスは一切かかっておりません。 9月6日のブログに【北岡論文「『外交革命』に日本はどう立ち向かうか」(中央公論9月号)を読んで】を掲載しました。その中の文章の一部をもう一度書きます。 『政策決定の責任を明らかにする政治史や外交史は、少数の権力者に焦点を当てる英雄史観だと貶められ、民衆史、社会史に席を譲らされている。軍事研究は平和研究の片隅に追いやられている。その結果は、しかし、最も重大な影響をもたらす諸決定に対する研究が不十分になるということなのだ。』 私のコメントも書きますと、 「至言ですね。日本で戦争が語られるとき、すべてが敗者の戦争史観です。悲惨、むごいとしか出てきません。風化させずに子孫に語り継ぐべきと強調されます。しかし、敗者があれば必ず勝者も同じ数だけあります。日本には勝者の戦争史観がすっぽり抜け落ちています。風化させずに子孫に語り継ぐべき勝者の戦争史観も日本にはあるはずなのですが、それは行われていません。 わが国の大学では、原子爆弾やそれを運搬するミサイルの研究は一切行われておりません。北朝鮮の核実験やミサイル実験に対して正しい具体的な対策が講じられない理由は、まさにこの研究不足が原因なのです。」 このコメントの後半に該当する記事が今日の朝日新聞の記事と思われます。 記事の内容は見ての通りですが、「米国、中国、ロシアが核問題の専門家を北朝鮮に派遣し、合同で寧辺の原子炉などの各施設を実地検分する。」、「北朝鮮が6者協議参加国のうち核保有国の3か国の専門家を招請。各国の代表団は11日に平壌に集まり、15日までの日程で各施設を訪れる。」ということです。この記事に関する記者のコメントはありません。 私が記者なら、「日本の核専門家が実地検分に入らないのは日本を置き去りにした措置だ。北朝鮮の核問題で直接の脅威を受ける我が国が直接検分する必要がある。」くらいのことを書きたいと思います。 しかし、上にも書いた通り日本には軍事核施設の専門家はいません。自分たちに直接脅威がある施設の検分を行う能力が我が国にはないのです。 国家の安全保障を考えるとき、科学・技術の観点からもう少し検討を加える必要があるのではないかと愚考します。 by FewMoreMonths | 2007-09-08 13:22 | その他
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