抗がん剤治療その7、またイレウス(腸閉塞)!
 2日ほどブログを休みました。
 9月1日のブログに書きましたが、ホテルニューオータニでの強行軍(会合)が終わり、午前11時過ぎ無事家に帰りました。家に帰ってほっとしたせいか、昼食時に猛烈な勢いでリンゴとナシを食べました。ホテルでは果物がでませんでしたので、ちょっと果物飢餓状態にあったようです。少し休んだり、メールチェックをして体力を取り戻す努力をしました。
 午後6時頃夕食を始めましたが、チクチクとおなかが痛むではありませんか。はっときて直ちに食事をやめベッドで横になりました。案の定おなかが張ってきました。慎重におなかのマッサージを30分ほどすると腸が動き出し、さらに1時間ほどたってガスと少量のお通じがあり痛みもなくなりました。やれやれ一難去ったか。
 安心したついでに、この2、3日便秘気味だったので、酸化マグネシウム(カマと呼ばれる)と水を午後8時頃とりました。これが大失敗!午後10時頃から再びおなかが張りだし腹痛が始まりました。日付が変わって9月2日の午前0時過ぎ、病院に電話してイレウス(腸閉塞)らしいのでそちらに伺ってよろしいかと当直の先生に聞きましたら、お通じがあって4時間後ならイレウスの可能性は薄いからもうちょっと様子を見たら、ということでした。8月22日のブログに書きましたが、自慢じゃないけどこちらは過去5回イレウスをやったエキスパートですから、今回の自覚症状はイレウスという確信があったのです。まあ早く病院に行っても点滴だけだからと思い、我慢して午前2時妻の運転で家を出発し2時半に病院に着きました。当直の先生は大変優秀な方で、型どおりの触診の後、腹部X線撮影をして、イレウスであるとの診断を下しました。またまた入院、今年に入って3回目です。当直の看護士さんは4月に入院したときの病棟の看護師長さんで、またですかとのご挨拶を頂きました。
 今回のイレウスは直前に気がついたので、自分でも軽いとわかっていました。とりあえず痛み止めの筋肉注射をしてもらい、点滴開始。午前4時頃妻にも帰ってもらって、私は仮眠をとりました。
 朝6時頃から8時頃まで盛大なお通じ。おなかの中がスッカラカンになりました。これでイレウスは全快。午後になるとこれまた元気なガス放出もあっておなかの張りもすっかりとれました。9月2日はあいにく日曜日で主治医の先生は不在です。点滴だけの絶飲食を継続しました。
 翌日9月3日主治医の先生が現れ「どうしました」のひとこと。1月にかなり重いイレウスをやったばかりなので「面目ありません」と恐縮するしかありませんでした。同日午後から3分粥の病院食開始。本日9月5日めでたく退院となりました。

 今回のイレウスの原因は、8月30,31日の過労が原因です。同時に、抗ガン剤による胃腸の機能の低下が大いに寄与しています。しかし、9月1日の昼食で、なぜああもがつがつ果物を食べたのか疑問です。果物があまり消化されずに腸の癒着部分に詰まったのでしょう。
 尾籠な話ですが、私のイレウスで吐瀉物や排泄物を観察すると、ホウレンソウの葉やキノコがそのまま放出されていました。食事時に噛んでいないことがわかります。また胃での消化がほとんど機能していないことも確かです。
 イレウスの予防は、従って、常によく噛むこと、過労の時は食事の量を減らすとともに、細かく刻んだものを食べることが肝要です。抗ガン剤で胃腸が弱っているときは特に十分な注意が必要です。寺田寅彦のいう「災害は忘れた頃にやってくる」の通り、つい不注意をして同じ間違いをしでかします。
 
 悲しいですが、10月4,5日にあるアメリカでの会議に出席する勇気がなくなりました。キャンセルです。今後も貢献できる道筋が見えませんので、評議会(Board of Directors)委員も辞めようと思っています。

 少しずつ追いつめられていく感じですね。

by FewMoreMonths | 2007-09-05 14:48 | 大腸ガン治療経過


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