ホテルニューオータニにて、その3、エリチェが話題に、それとレズーシュ
 まだホテルニューオータニにいます。もうすぐチェックアウトして家に帰ります。 
 昨日無事に強行軍の会議が終わりました。「なだ万」での夕食会も何とか皆さんに付き合いました。咳がひどくなり、かなりゲホゲホしました。抗がん剤が切れてきたことも一因ですが、ちょっとしゃべりすぎました。私の専門分野の研究者は(私も含めて)慎みということを知りません。疑問の点があると、頭でまとめる前に口から文句が出て、相手をやっつけるまで止まりません。弱点を見つけて攻撃する鮫みたいな存在です。どうもundiplomaticで困ったものです。会議の皆さんも野蛮人が一人いると辟易したことでしょう。

 夕食のときヨーロッパから来た知り合いと歓談しました。「お前さん明日何時に出るんだ」と聞いたら朝6時半とのこと。「パリ経由でジュネーブかい」と聞いたら、「いやパリからミラノに出てそこからパレルモに飛ぶ。パレルモから車でエリチェだよ。着くのはヨーロッパ時間の真夜中だ。」火曜日の夜日本について土曜日成田発、それからはるばるアフリカに近いエリチェまでの旅行ですって。まったく彼らはタフです。
 8月30日のブログで、アフリカに近いエリチェのことを書きました。来週、彼はエリチェの国際夏の学校で講義をするんだそうです。「俺も何年か前に数回講義に行ったんだ」ということで、校長の消息やらいろいろ懐かしい話をしました。
 会議はしんどいですが、会議とは関係のない、こういった話ができるので無理して出かけます。

 もう一人ヨーロッパ人の知り合いとも久しぶりに歓談し、ヨーロッパの科学・技術政策や大学改革の話を聞くことができました。日本と似ていて、抵抗勢力のためなかなか改革が進まないと嘆いていました。日本にも参考になることが多く、話ができてよかったと思います。グローバル化の中、伝統的なヨーロッパの高等教育にも大きな変革の波が押し寄せています。それに比べて日本の大学、特に教官はのんきですね。私のブログで「教育」のカテゴリを見ていただけたらと思います。
 彼も水曜日に着いて今朝イギリスに向かいました。

 エリチェの写真をまた2枚紹介しましょう。下の写真は夏の学校の卒業式の後、地元の皆さんが民族ダンスをしているところです。夜中の1時か2時だったと思います。修道院の廃墟にちょっと手を加えた建物の中にあるパティオで踊っています。もっと大勢の踊り手がいたのですが、パティオから見えるお月様を入れたかったので細長の写真になりました(クリックすると大きくなります)。

 もう一枚は、集落の路地のスナップです。路地の向こうには今でも使われている古い教会がちょっと見えます。路地は人がやっと擦れ違えるくらいの幅しかありません。ごらんのようにすべての建物は石と漆喰からできています。夏ですから日本でもよく見かけるキョウチクトウがあちこちで咲いていました。宿舎に使っている修道院のパティオではフクシアが満開でした(クリックすると大きくなります)。

 エリチェの村の入り口には「La Citta della Scienza」という看板がかかってて、科学の町だと主張しています。もちろん校長の命令によるものです。
 奥飛騨の活性化にエリチェが参考にならないかと思って地元の皆さんに紹介したことがありますが、やはり実現は難しいようでした。奥飛騨は一見ロマンチックに聞こえますが、エリチェと比べると個性に物足りなさが残ります。
 もう2つ写真を紹介しましょう。フランスのレズーシュ(Les Houches)という片田舎の村に、研究集会専門のために作られた施設があります。講師を頼まれていったことがありますが、そこの宿舎から見えるアルプスの夕焼けです(クリックすると大きくなります)。

 下の写真は講義に疲れたとき散歩に出かける山道です。しばらくいくと山の中に入っていきます。細いでこぼこの山道ですが上のほうから若者たちがマウンテンバイクでものすごいスピードで降りてくるのに出会いびっくりしました。マウンテンバイクは実際山の中で使うんだ、と納得しました(クリックすると大きくなります)。


 レズーシュも強烈な個性を持っていています。
 奥飛騨も何とかなりませんかね。

by FewMoreMonths | 2007-09-01 08:22 | 人生


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