日本の教授、アメリカの教授、多すぎる大学院生、ポスドク、運営費交付金
 私が経験した日米の教授の違いについて記録しておきます。教授は各専門分野のカルチャーにどっぷり浸って研究・教育をしているので、一般的な比較はできません。私がここで紹介するのは、基礎研究の大型グループ研究に参加している教授さんに関しての比較です。
 奥飛騨で私が参加していた研究には、教官、ポスドク、大学院生を含めて約120名が参加していました。彼らは一研究機関に属しているのではなく、現地に常駐していて研究・教育だけでなく観測装置やビジターのお世話もする研究者(私のこの一員)のほかに、日本の数大学、アメリカの数大学、韓国の1大学、ヨーロッパの1大学に、それぞれ数人ずつ所属していました。
 さて、私が現役のときの研究はどのように行われていたか紹介しましょう。観測装置の建設には義務として登録した研究者全員が参加します。装置が完成して観測が始まると、観測の当番にも全員が義務として参加します。観測は、トロール船のようにあらゆる信号を根こそぎコンピューターに取り込んでしまう、いわゆる多目的観測で、観測データは多くの情報が含まれていますので、多くのテーマでデータ解析が可能です。
 各大学の教官は、自分のグループ内の議論を通して研究テーマを選び、主に大学院生に主体的に仕事をさせて、彼(彼女)の博士論文にさせます。研究テーマの選定は原則的に自由です。
 データ規模は膨大ですし、装置の基本パラメータの決定にも多くのマンパワーが必要ですが、この辺は後日改めて記録に残します。
 実験装置の状況や研究解析結果などは、年2回開かれるグループミーティングを開いて検討します。グループミーティングは2日半ほどみっちり行います。研究解析の結果は、主体となっている大学院生やポスドクが発表します。解析の詰めが甘いとたちまち突っ込まれ、半年後にもう一度出直しということになります。
 グループミーティングのあと直ちに、コラボーレション・カウンシルという給料取りだけが集まる会(アメリカ流で言えばtenure + tenure track)が開かれます。元気のいいポスドクも後ろのほうで立って見学し、口を挟むこともあります。コラボレーション・カウンシルは、グループミーティングで発表された解析結果のうち、公式結果として公表に耐えるものを選びます。また、大量の図やテーブルのうち、発表に使えるものを公式図として選びます。既にグループミーティングで十分議論しているのですが、この会でも議論が沸騰します。まとまらないときは(めったにないことですが)、研究代表者(spokesperson)の最終責任で決定します。国際会議や各大学でのセミナーに多くの共同研究者が出かけますが、発表に使うパワーポイントには公式結果と公式図以外は使うことができません。実験の質を常に一定に高めておく必要があるからです。言い忘れましたが、両ミーティングの発表と議論はすべて英語です。

 長々と実験の説明をしてしまいました。ここからが本番です。グループミーティングとコラボレーション・カウンシルには無論日本の研究者も参加します。ところが、両会議での議論は、常に、奥飛騨に常駐する日本研究者と、外国人教授共の議論になってしまい、日本人の教授さんたちはほとんど言葉を発せず傍観している状態なのです。私は「鬼軍曹、鬼将軍」と恐れられた身ですが、身内以外の教授を怒鳴りつけるわけにもいかず、今でも悔しくて仕方ありません。ただし、私の経験は、5年前のことですから状況が変わっているかもしれません。しかし、2,3年前の新しい実験でも似たようでしたので、生きのいい准教授達以外は今もそうでしょう。

 なぜこのような情けないことがおきるのでしょうか。私の推測を述べます。
 アメリカの教授は、大学院生を学年あたり1人程度しか受け付けません。このくらいの人数ですと、奥飛騨の研究のような多目的実験ですと、1実験に参加するだけで博士論文を書かせることが可能です。教授も含めて、ひとつの実験に専念できるわけですから、実験の細かいことまで理解し、他の研究者が何をやっているかも十分理解できます。
 日本の教授は、大学院生を学年あたり2,3人抱えています。これでは1実験で博士論文の製造をまかないきれず、必然的に他の実験にも参加せざるを得ません。このため、悪く言えば虻蜂取らずになってしまい、両実験のエキスパートになれないのです。所属する学生さんは、ホスト機関に所属する常駐の研究者に教えを請わざるをえないという気の毒なことになります。
 率直な意見を言わせていただくと、アメリカと日本の教授の間に、実験に対するはっきりとしたレベルの違いが出てきてしまいます。
 お前はどうだったのか、という質問が出ると思います。幸か不幸か、奥飛騨に常駐して研究を行いたいという希望者は少なく、私の大学院生は学年あたり1人以下でした。

 要は、自分の研究の身の丈にあった大学院生のみを受け付けるべきです。あまり多くの院生を取ると、上に書いたように、自分の研究レベルを低下させ、さらに院生のレベルも低下させる恐れがあります。当然オーバードクター(ポスドク)の過剰にも直結します。
 よく大学院生の定数は、文部科学省で決められているので仕方がない、という諦めにも似た意見を聞くことがあります。法人化された大学では、そのようなことはないはずです。教室で受け入れ可能な大学院生の定員を見積もり、研究科で集約し、さらに全学で集計する。さらに国立大学であれば、国立大学協会で意見をまとめる。この意見と数を文科省に要求すればよいのです。
 運営費交付金は学生数を考慮して配分されますから、当然その額は減ります。しかし、文科省は、減額した概算要求を財務省にするはずがありませんから、減った分はどこかを増額します。私なら、老朽化した機器の更新に関する予算の増額要求を、運営費交付金の減額とセットして提案しますね。
 老朽化機器の更新の際には、大型装置は大学共同利用機関に重点的に配置し、小型のものは学内共同利用として設置すべきです。全国一律というわけにいきませんから、国・公・私立の区別なく公募を受け付け、重要なものから設置してゆくべきでしょう。新たな大型の競争的資金と考えることもできます。
 教授さんたちは、もっと声を出して戦闘的になってほしいものです。個人ではなく、組織的に運動することが重要でしょう。

 年金生活者がえらそうなことをいって失礼しました。

by FewMoreMonths | 2007-08-15 10:00 | 教育


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