今日8月14日NKH「おはよう日本」の特集で、テノール歌手の秋川雅史氏の歌う「千の風になって」がミリオンセラーになったということで、インタビューの放映がありました。おめでとうございます。日本人はこの手の歌が好きですね。歌の歌詞やいきさつ等は、ウィキペディアのホームページに載っています。ちょっと長くなりますが、ホームページから歌詞を引用しますと、
•(b) の日本語訳の例 わたしのお墓に佇み泣かないでください わたしはそこにはいませんし、わたしは眠ってはいません わたしはふきわたる千の風 わたしは雪上のダイヤモンドのきらめき わたしは豊穣の穀物にそそぐ陽光 わたしはおだやかな秋雨 あなたが朝の静けさの中で目覚めるとき わたしは翔け昇る上昇気流となって 弧を描いて飛ぶ静かな鳥たちとともにいます わたしは夜に輝くやさしい星々 わたしのお墓に佇み泣かないでください わたしはそこにはいません、わたしは死んでいないのです •(b) Margaret Schwarzkopf の両親の友達が、葉書に印刷した詩(大幅なアレンジが加えられている) Do not stand at my grave and weep I am not there; I do not sleep. I am a thousand winds that blow, I am the diamond glints on snow, I am the sun on ripened grain, I am the gentle autumn rain. When you awaken in the morning's hush I am the swift uplifting rush Of quiet birds in circled flight. I am the soft stars that shine at night. Do not stand at my grave and cry, I am not there; I did not die. 日本語訳はほとんど直訳ですね。ただし、歌のタイトルは英語版の3行目からとっています。死者を悼むのではなく、死者が「元気でいるよ」という言葉を詩的な表現で歌い、生者を慰めている、という意味合いに取れます。日本人の好みにあうかなりロマンチックな詩ですね。 大変申し訳ないと思いますが、私はこの歌が好きではありません。 この詩は、生者が想像し、生者に送っている詩に過ぎず、本当に死者のことを痛切に感じているのかどうか、疑問に思ってしまうのです。死期を宣告された身になってみると、完全に断絶された死後このような激励の言葉を家族、友人に送ることはまったく不可能だと、確信しているからです。 むろん、このような言葉を死んでから送れたらこんなにすばらしいことはないのですが。 話は変わります。だいぶ前になりますが、5月14日にNHKで放映された「岡本喜八がん闘病記」も見て、DVDに保存してあります。このドキュメンタリーの最後に、奥様が、喜八監督がタバコをうまそうに吸ったあと奥様の腕の中で眠るように亡くなった、と語っていました。このシーンも生者から見たものですね。喜八監督は、妻の腕での中で最後に何を見、何を考えたのか、ぜひ知りたい、なぜそのような記録を死者は残せないのだろうか、と痛切に思いました。 実際に死にいく者の視点で物事を見てみたい少数の人々もいることを理解してください。あるいは私一人だけかな。 by FewMoreMonths | 2007-08-14 13:22 | 抗ガン剤ショートノート
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