ガンジー、家庭か国家か
ニューズウィーク8月6日号に興味深い記事があったので記録しておきます。
マハトマ・ガンジーは、イギリス帝国に対して非暴力による抵抗を貫きながら、1947年インドを独立に導いた偉大な指導者です。糸車を引いている彼の写真をよく見た記憶があります。
インドで、「ガンジー、わが父」という映画が作られたそうで、その批評が同誌52ページに載っていました。ガンジーには4人の息子があり、長男ハリラルが映画の主人公です。映画の一シーンの説明があります。
ムンバイのとあるゴミだらけの通りに、ハリラルは酔いつぶれて倒れている。通りすがりの人が彼を見つけ、近くの病院に運んだ。医師は、連絡を取りたいので家族の名前を言うように何度も彼にいった。ハリラルは自分の名前も思い出せないほどだったが、最後に小さな声で「ガンジー」とつぶやいた。医師はいらいらとして彼にこういった。「ガンジーは全インド国家の父だよ。僕は君の父さんの名前を聞いているんだ。」
 ガンジ-の家族のことなどぜんぜん聞いたことがなかったので、この批評を読んでびっくりしました。ハリラルは、ブルーカラーに徹せよという父に抵抗して自分の道を歩もうとし、最後はホームレスにまで身を落として死にました。父ガンジーは彼の死の5ヵ月後凶弾に倒れ、長男の後を追いました。「ガンジーは息子や家族を愛した。しかし、彼はそれ以上に国家を愛した。」が、批評の結論のようです。

 私は、企業戦士の皆さんと同じように、仕事にほとんどの時間を使い、家庭を顧みませんでした。息子や娘は、父をほとんど見ない家庭に愛想を尽かし、18歳で大学に入学と同時に家を出て行きました。現在、彼らが人様のご厄介にならない生活をしているのが唯一の慰めです。妻と時々話をするようになったのも、病気のために仕事をやめてからです。
 インドの国父とうたわれ神のごとく慕われたガンジーでさえ、国家に全身全霊をささげるためには、家庭を犠牲にしなければならなかった。まして、私などに家庭と仕事の両立なぞできるはずがなかった、というのが、このページを読んだ私なりの結論です。

by FewMoreMonths | 2007-08-08 16:34 | 人生


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