社会生活を送る中で何か失敗をおかしてしまった場合、それによって傷ついてしまった自らの立場(E.Goffmanによれば「状況に対する自分の見解を示し、そしてそれを通じて参加者、特に自分自身に対する評価を表すような言語的・非言語的パターン」とのこと。「筋書き」とも呼ばれる。たとえば私が日頃から上品な言葉遣いで発言し、まじめに、毎日きちんと講義を行い、会議にも出席しそこで積極的に発言し、論文もたくさん書いているとする。このような私の「発言」=「言語」や「行い」「書く」=「非言語」にある一定のパターンが認められ、かつそれによって“私は大学という職場=状況を自分にとって大事なものと考えており、その職場においてほかの同僚=参加者と同様に、教員としての職務を全うしている”という自己評価を暗に明に表明しているような場合、私のこの行動パターンを「立場」という、のかな?いや、2011/06/16現在の福島原発をめぐる状況に対する菅直人首相の発言や表情やパフォーマンスを例にとった方が分かりよいかな?)ないしは面子(「立場によって、事実上自ら主張する積極的な社会的価値」あるいは「承認された社会的属性という形で描かれた自己イメージ」。たとえば、先の「立場」によって私が“有能な教員”という評価を得ているならば、その評価が「面子」である、のかな?いや、2011/06/16現在の菅直人首相の原発問題対策をめぐる首相自身に対する自他の評価を念頭に置いて方が分かりよいかな?)を修復するために、人々は多くの場合「釈明」という営みに追われることになります。この点については、安藤清志さんの著作(*)(*)なども使いながら、私が担当している講義「産業社会学(自己呈示論)」で詳しくお話しするつもりです。 さて、私は、この場を借りて、これまでの私自身の立場について釈明し、何とか面子を立て直したい、といま考えています。 これまで、幾度となく私は、とりわけ研究生活において大失敗ないしは失態を重ねてきました。 1)まずは、1996年9月~1997年3月の時期です。自己中心的きわまりない行動により、「当時の所属先における自らの面子」を完全に失った私が「自暴自棄」になっていた時期です。 その自暴自棄の結果が以下のものです。 このときはまだまだ「かわいい」ものでした--その後の「失態」と比べれば--。以下では信じられない形で「失敗」がエスカレートしていきます。 2)2000年9月~2001年9月の時期です。自己中心的であった私が、無理をして徹底して利他的な行動・態度(=精神活動)をとった結果、主として私的領域において酷い役割葛藤(role conflict)を経験し、半ば狂乱しかけた時期です。精神的に完全に潰れていた、と言っても過言ではありません。その結果の最たるもの(極めつけ)がこれ▼。 http://megalodon.jp/2011-0606-1225-55/ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/kuwabara/19700121/phd09.jpg http://megalodon.jp/2011-0607-0921-55/ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/kuwabara/19700121/phd10.jpg http://megalodon.jp/2011-0607-1405-51/ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/kuwabara/19700121/phd11.jpg http://megalodon.jp/2011-0607-1626-39/ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/kuwabara/19700121/phd12.jpg http://megalodon.jp/2011-0607-1802-26/ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/kuwabara/19700121/phd13.jpg http://megalodon.jp/2011-0607-1803-29/ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/kuwabara/19700121/phd14.jpg http://megalodon.jp/2011-0607-1804-48/ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/kuwabara/19700121/phd15.jpg http://megalodon.jp/2011-0607-1805-33/ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/kuwabara/19700121/phd16.jpg http://megalodon.jp/2011-0607-1806-17/ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/kuwabara/19700121/phd17.jpg http://megalodon.jp/2011-0607-1806-55/ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/kuwabara/19700121/phd18.jpg 何度見返してもすごい内容です。もちろん「悪い意味で」です。正気の沙汰とは思えません。完全に常軌を逸しています。 3)続いて、2002年12月~2003年7月の時期です。パニック障害の前兆が徐々に顕在化し始めた時期です。 「今から考えればどうでも良いこと」に対する「病的なまでの執着心」を感じるもの(=文章)です。また上記の「2)」に執拗に拘っているところからも、その後の病の発症が予期され得ます。 4)最後に、2003年8月某日です(事情があって正確な日時を記すことができません)。パニック障害を発症した日です。以来、2010年9月18日までこの病は激しい起伏を見せながら私の精神を蝕んでいきます。その結果の極めつけが以下のものです。 桑原司が完全に「壊れた」瞬間です。以後、これほど酷い「壊れ方」はなかったように思われます。とはいえ、教員として大学に在籍している以上は、とにもかくにも「業績を出している」という「立場」を装い続けなければならなりません。そこで私がとった策が以下のものです。 はっきり言いましょう。3本とも、「博士論文要旨」を、そのままタイトルだけ代えて公刊し続けたものです。何とか<<面子を取り繕おう>>としている観が強くにじみ出ています。 とりわけ3本目は酷すぎます。「合冊版」です。三冊まとめて束ねただけです!普通はしないことです!いえ、してはいけないことです。やってはいけないことです。「何かを出していないと」不安で不安でしょうがなかったのでしょう。とにかく「何か(業績)を出し続けている」という、ポーズというか見栄というか印象を維持したかったのでしょう。その様子がありありと出ています。 5)2010年9月18日。 この日は私にとって「自立」を迫られた日です。この日を境に徐々に精神的にも肉体的にも体調が回復し始めます。 6)よくもまぁ、これだけ(▲)のことをしておきながら大学をクビにならなかったものだな~と今になってつくづく思います。ひとえに学科のスタッフや当時のゼミ生・院生諸氏の方々のおかげだと思っています。 とりわけ昨年度(2010年度)の教務委員は、「よく一年間務まったな~」と我ながら不思議でなりません。 よくよく考えれば、いろいろな先生方に手取り足取りご指導いただいた、その所産であることは言うまでもありません。 とにもかくにも、このサイト(ページ)を「書くだけは書いて」みたのですが、どうも意図した「釈明」にはならなかったようです。なかなか中島さんのようにはいきません (同氏著『哲学の教科書』講談社学術文庫、における同氏の「釈明」はなかなか巧いです。自分のライフヒストリーを書くというのは、どうも難しいものです。1回だけ書いたことがありますが「釈明にもなっていなければ、自慢にすらもなっていません」。今まで読んだライフヒストリーとしては、佐藤郁哉さんの『フィールドワークの技法』が最も巧妙です。ご自身の釈明と自慢が非常によいバランスで織り込まれています。)。 とはいえ、少なくとも「Coming out」の目的だけは達成できたと思われます。 やはり「面子の繕い」ならぬ「立て直し」は、今後の「結果」で示していくしかなさそうです。 |