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現状認識

創価学会と日蓮正宗が決裂して泥沼のような貶しあいをしていたことはご存知だろう。日蓮を本仏とする宗派、団体がお互いを罵り合っているわけだが、くしくも因果を説く宗教団体どうしなのに相手がなぜ間違ったかという根本的な原因について仏教の根源的な論説をもって批判されたことはなかった。スキャンダルの応戦と裁判争議ばかりが目に付いたがいかがであろうか。

創価学会は僧侶に対し、宗門は葬式仏教と化し、肉食妻帯をしたがために信仰が狂ったと批判をしているし、近年はそれ以前の宗門史にまで汚点を見出しケチをつけている。しかし、創価学会の歴史の中で、決裂する直前まで宗門こそが清流であり、他の宗派は葬式仏教に堕落した邪教だと言い続けてきた悲しき自己矛盾の歴史があり、自分たちの発言や責任には完全にほおかぶりを決め込んでいる。昭和に刊行された創価学会発行の書物をご覧あれ。背筋が凍るような宗門賞賛の文字が延々と並んでいる。何を今さら坊さんの肉食妻帯が腐敗を招いたなどといえようか。それは原因の一端というよりも僧侶の分別の結果である。借金をしたから家をとられるのではない。借金をしなければならない当事者の心の所作に問題があるのである。それに関しては一切の分析が無い。創価学会が宗門を批判出来る立場など米粒ほども無いのである。

宗門は宗門で、阿部執行部は創価学会破門当初、池田は宗門僧侶を批判し増上慢になっていると批判した。池田がなぜ、増上慢という悩乱を起こしたかという仏教的な根本原因については具体的な論説をもっていなかった。管長の阿部日顕は「創価学会には大謗法は無い」と言い切った過去がある。阿部は謗法には「大中小」があり(そもそもどのように線引きをするのかはなはだ疑問だが)創価学会には大謗法はないとお墨付きを与えたのだ。
ところが、平成18年頃になると「池田氏の説く宇宙根源の法という解釈は外道論だ」ということを平然と言い出している。実はこれ、宗門と創価学会が表向きまだ蜜月時代だった昭和50年代に、すでに石田次男によって論述された池田批判の書の盗用なのだ。つまり石田は、宗門と創価学会が蜜月時代に双方の教義解釈を「外道に染まった反仏教」だと批判したのだ。ところが、宗門は創価学会と別れてもしばらくは石田の指摘した「宇宙妙法は外道義解釈」論を無視し続け、阿部日顕に至っては平成8年頃でも「宇宙法界という表現は間違っていないと思う」と、二言三言の反駁で抵抗したに過ぎなかった。ところが、阿部日顕は自分たちに都合の悪いところは隠して信者を大いに利用した。

まず、元創価学会副会長福島源次郎だ。この福島は池田大作諫言の書として「蘇生への選択」という本を上梓し自費出版で販売。週刊誌で取り上げられたので知っている方もいるだろう。この本の教学部分は彼も書いているが、ほぼ石田次男から学んだものの写しに過ぎなかった。ところが福島は池田教学批判をしながら池田を「世界の指導者」「大謗法は無い」「宗門発展の功労者」とした阿部日顕(当時管長)の批判を意図的に避けた。拙者は当時彼が主宰していた豊島区民センターの勉強会「蘇生への集い」で挙手をし突っ込んだが、福島は大勢の前での明言を避け、終了時に「その話が聞きたければ石田先生を訪ねてくれ」と囁いた。拙者の石田宅通いが始まったのはそれがきっかけだ。

そして宗門が創価学会を破門にすると、福島は蘇生講として宗門に入り込んで講頭職に治まった。福島の行動は論理的に矛盾していた。この蘇生講にいた愛知在住の関係者の話では、当初福島は「猊下を諫言する」と言っていたが、段々その傾向は薄れ、最後は批判を辞めた。福島は石田次男から「創価学会と日蓮正宗が認識している妙法の宇宙実在論化、宇宙法界という表現、宇宙のリズム論は間違いだ」と聞いているにもかかわらず、創価学会を批判しながら宗門には黙秘を決めた。あとで聞いた話だが、福島が石田宅に法門の話を聞きに訪れたのはわずかであった。今思うと、蘇生の集いの福島の講義で彼自身が返答に詰まると「あらかわ」(偽名だったらしい)なる人物がしゃしゃり出て攻撃的に反駁する光景が何度かあった。拙者は今こそ真意を福島に聞きたいところだが、福島は既に故人となってしまった。

ともかく、今現在日蓮正宗が創価学会を批判する上で用いる教説解釈は石田次男からの盗用であり、それを口にする前は蜜月時代から自分たちも創価学会と同じことを主張していた事実を忘れてはならない。

西日本の宗門の寺の住職Xが、創価学会と宗門の妙法外道論化について批判の書を書くと、阿部日顕はすぐさま反応し、この住職Xと法論も議論も反駁もせず、住職から寺を取り上げ、大勢の僧侶の前でネチネチといびり倒した。もちろん、阿部からは教義的な反駁や反証などはなかった。この僧侶イビリについては創価学会の機関紙でも紹介された。ちなみに拙者はこの元住職とは面識がある。

しかし、いまや自分たちが批判された宇宙法界論、妙法実体化論を、石田氏がいないことをいいことに宗門は利用しているのだから相当タチが悪い。

正信会については別の機会に書くが、一言で言えば「合議制と言いながら異論をいうものを無視という陰険なやり口で苛める基本は姑息で臆病な僧侶集団」と斬っておく。ただし、執行部のやり方を批判する良心のある寺もある。宗創が喧嘩別れしたことから、自分たちの目的が迷走し、体制維持のための教義変更や二世僧侶の出現による時代感覚のずれなど、一筋縄ではいかない。数十年後は覚醒運動で燃えた壮年部がいなくなるだろう。しかし、わずかばかりでなかなか増えず覚醒運動の思想の無い青年部の現況をみる(大石寺を知らない青年部が増えているのだ)と、先行きは消滅か独立のための新教義模索しか道はあるまい。

顕正会…語るのもはばかるほどカルト化してしまった。いまだに警察のご厄介、三面記事でお騒がせ。終末思想でオウムのように若者をビビらせるも、会長様の予言は外れっぱなし。暴力的な行動のどこに心の平安があるというのか、仏教とは名ばかり。この浅井会長も実は宇宙法界論者である。しかしある意味、故 日達上人の判断ミスによる被害者。

これでは日興富士門流系に正義はなさそうに思うだろう。しかし組織を捜す前に自分の信仰理解や修行が正しいのかを問わずして、どうして正義の判断がつくものか。

今現在の各組織の執行部が間違っているのであり、日蓮の本尊を、日蓮の御書を、正しく解釈して正しく実践出来る僧俗がその中に現われれば、名は同じでも中身は変わる。願わくば、これを読んでいる方々に期待をしたい。

2008.02.04 | 日蓮正宗

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政治も教育も宗教も腐敗した世界で安らぎはない。タブーと巨悪を見過ごしてはならない。目覚めよ、と呼ぶ声あり。(有志が集って主張します)

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