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タイトル戦争を(する/しない)の分かれ目
記事No831
投稿日: 2011/08/22(Mon) 23:44
投稿者aSTN
2009年の9月にこちらで、戦いを本能で抑制していたという趣旨の記述に一言(どころじゃなくなってしまいましたが)書きこんだaSTNです。
この一連のやりとりは今でも私の中で大きな位置を占めてます。そして今になってふと思いついたことがあるのでまた投稿させてください。

少し前までは「そういう本能、ないと思うんだけど…でも武器が出てないのは動かぬ証拠、なのかな?」ぐらいのもやもやした感じでした。

今は、
「農耕や狩猟などの労働が、戦争よりも能率的に富を得られるのなら、人々は戦争を選ばない」
「生存への有利さを得られる何かが偏在せず遍在しているのなら、人々は戦争を選ばない」
この二つのつまるところ利己的な判断が蓄積して、シカンの人々などは「技術はありそうなのに武器をもたない文化」を培ったんじゃなかろうか、そう思うようになりました。

また、そういう文化の中で育ち、それを継承していけば、まず暴力をあてにするような感性は希薄になって行く、とも。

まだかなり穴のある意見だと思うので、岡沢さんの意見をお聞きしたく存じます。

また暑い日々が帰って来るようですのでお体に気を付けてください。

タイトルRe: 戦争を(する/しない)の分かれ目
記事No832
投稿日: 2011/08/24(Wed) 17:13
投稿者岡沢@THE接待
すません週末までなんかこう飲み会的なアレが入ってるのでお返事おくれそうです!
ちくそう、旅行の持ち帰り資料の整理もまだだというのに…

タイトルおつかれさまです
記事No834
投稿日: 2011/08/25(Thu) 11:05
投稿者aSTN
お忙しいのにありがとうございます。社会人は大変ですね。後回しでも大丈夫ですから。

タイトルRe: 戦争を(する/しない)の分かれ目
記事No836
投稿日: 2011/08/25(Thu) 21:10
投稿者岡沢 秋
二次会ぶっちして帰ってきた中の人です。
ぶちょーとカラオケ? 行けるかホゲエ!

> 2009年の9月にこちらで、戦いを本能で抑制していたという趣旨の記述に一言(どころじゃなくなってしまいましたが)書きこんだaSTNです。

過去ログもけっこう溜まってきましたねえ。
脱線ぶりが清々しいこのスレですね。懐かしい。(リンク貼れるかな?)
http://cgi.www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/bbs/09.cgi?mode=allread&pastlog=0001&no=202&page=80&act=past#202


> 少し前までは「そういう本能、ないと思うんだけど…でも武器が出てないのは動かぬ証拠、なのかな?」ぐらいのもやもやした感じでした。
>
> 今は、
> 「農耕や狩猟などの労働が、戦争よりも能率的に富を得られるのなら、人々は戦争を選ばない」
> 「生存への有利さを得られる何かが偏在せず遍在しているのなら、人々は戦争を選ばない」
> この二つのつまるところ利己的な判断が蓄積して、シカンの人々などは「技術はありそうなのに武器をもたない文化」を培ったんじゃなかろうか、そう思うようになりました。

たしか前の時も、南米の文化って代理戦争なんだよというのを私の意見として述べた気がするんです。

たとえばマヤで、戦争で負けた部族の人を捕虜にしてきて絶対その人たちが負ける球技試合をやる。で、試合が終わったあとに捕虜をイケニエとして捧げる。それで戦争終了。

一部の代表者の代理戦争で終わらせるということは、相手部族を全滅させなくていいし、逆に自分たちが負けたときも自分たちが全滅しなくていい。

中南米の文化ではイケニエは残酷だという側面が強調されているけれど、実は大規模で致命的な戦争を回避するためのスポーツ的な代理戦争をやっていた、より平和的に争いを回避するための方法だったんじゃないのかかなぁ、というのが自分の意見です。

なのでシカンの人たちも、その文明の流れを組んでいれば、本気で相手を殺しに行くような殺傷武器は持たず、戦争やりたかったらとりあえず代表者レスリングさせとけ、みたいなスポーツ戦争やってたんではないのかなぁ。と思います。

文化の継承としては、中南米の文明全体がそういう考え方なんではと思っているのですが。。



ちなみにマヤ文明がどうして衰退したかという話で、「徹底的に敵対都市を破壊したら連鎖的に全部滅びた」というのがあるようです。

マヤ文明は、ティカルとかコパンとか各都市がほぼ独立して都市国家を築いてたわけですが、それぞれの都市で得意な交易品があって、都市は互いに交易しながら密接に関係していた。
それまでは戦争になっても代表者をイケニエにするだけで済んでいたのが、9世紀頃から帝国主義が台頭してきて相手を完全に支配したいと思う王が出てきた。そこで相手の都市を徹底的に破壊して殺しつくしたら、そこの交易品が流通しなくなってしまった。

地方によって、威信財となるヒスイやキクガイを産出してたり、金属を取り扱ってたり、トウモロコシを栽培してたりというバランスで成り立っていた地域文明が、本格的な戦争の始まりとともに致命傷をくらって纏めて自滅してしまったという説です。
これはなかなか面白いなあと思いました。

インカはもともと帝国主義なんでちょっと違うと思いますが、マヤ・アステカは都市国家がゆるーくまとまる連邦制の文明だったので、「大戦争になったらみんな纏めて滅びる」状態にあって戦争が出来なかった、と


あとイースター島で、モアイ倒し戦争で首長を決める時代から、毎年の鳥人レースで島の代表者を決める制度に移行していったのなんかも、「マジメに戦争やったら俺らみんな滅びるじゃん」と悟った結果の選択だったのかなあ。とか。

あんままとまりないですが、こんな感じでいかがでしょう。

タイトル代理戦争or殲滅
記事No837
投稿日: 2011/08/26(Fri) 11:05
投稿者aSTN
ありがとうございます。

代理戦争というと、大国同士のこぜりあいが原因で起こる互いの傘下の国同士の戦争のことだと思います。
岡沢さんがおっしゃったような形の戦争を、ちゃんとした学術用語でなんというのか私にはわからないのでとりあえず「代理戦争」って書きますね。この二つは全く別のことを指してると思うので。

マヤの衰退に至る殲滅と、「代理戦争」を同じコインの裏表とみるのは、確かにある意味では正しいけれど、本能レベルで確かなことでは無いと思ってます。
それだとマヤもイースター島も最後らへんにはその本能を発揮できなかったことになっちゃいますし、それならやはり本能ではなく、合理性で戦争を抑制していたんじゃないかと思うわけです。

つまりはどこまでが本能なのか、という解釈が私達ではちがうと。

話それますが、自称・平和を愛する民ってあらゆる地方にたくさんいますよね?
でもそれって単に、自称・正義を貫く人々とか自称・神の加護を受けた者に劣勢になったあとでたまたま手打ちが成立して生き残れただけなんじゃないの? とも思うわけです。

私、この二年でネオダーウィニストに毒されたかしら???

タイトルせいぞーん せんりゃーく!
記事No838
投稿日: 2011/08/26(Fri) 20:28
投稿者岡沢 秋
>つまりはどこまでが本能なのか、という解釈が私達ではちがうと

そういうことなんでしょう。

生物としての本能って、結局は「種としての生存」、これに尽きると思う。
だから、種として生き残るのに戦いが必要ならやるだろうし、この環境ではやったらヤバいなと思ったら極力戦闘は避けていくんではないのかな。

人間がいま地球上のあらゆる種族の頂点に立てているのは、環境適用能力の高さゆえですから、環境に合わせて臨機応変に本能の調整をやっていたと思っています。


ただ、それを厳密に理性か本能かといわれると、なんかどっちでもよくね? と思うんですよ。理屈を分かってやってる=理性、理屈はよくわかってないけどヤバいと感じて選択する=本能、っていう違いだけじゃ。


> 話それますが、自称・平和を愛する民ってあらゆる地方にたくさんいますよね?
> でもそれって単に、自称・正義を貫く人々とか自称・神の加護を受けた者に劣勢になったあとでたまたま手打ちが成立して生き残れただけなんじゃないの? とも思うわけです。

なんか前にも日記的なブログてちょこっと書きましたが、戦うか戦わないかを選択できるのは強者の立場にある者だけです。弱い者は戦いを拒否することも回避することもできません。
平和や愛を語れる者は、相対的に見て強者であるということです。

宗教とか関係なく、社会的・民族的に強者=生存競争の勝利者になることが、戦闘の全面回避という選択肢を持つことができる絶対必須条件だと私は思っています。

#つまり、生存のための戦闘行為が本能とするなら
#彼らはすでに戦いおわっていて本能に従わなくていい

タイトルRe: せいぞーん せんりゃーく!
記事No839
投稿日: 2011/08/27(Sat) 08:13
投稿者aSTN
こうなってくると、水掛け論になりかねないかもしれないですが、岡沢さんのキャラから言って、このぐらいは許してもらわんと困るとも思うんでもう一息。

「種としての本能」も、ドーキンスとか的にはそれは自然淘汰の結果、たまたま繁栄したにすぎず、そんなものは最初からは存在してなかったという考えがあります。私も人間は頂点に立ててなんかいないし、自ら本能を調整なんてできるのかな(調整している時点で本能じゃない)、と思います。

それから、私は既に滅んでしまった人々に対して「自称・平和を愛する民」を適用したわけじゃないつもりでした。生き残って発言力を少しずつでも増した人々、という意味で書いたのですが、舌足らずだったのは間違いないです。そこはすみませんでした。

弱い者が弱いのにもそれぞれ理由があるし、圧倒的戦力差がある場合はおっしゃるとおり強者のみが選択の余地をもっていますが、戦闘回避はいろいろな状況で(例えばお互いに損害ゼロにはならないくらいの戦力差のときなど)成立し得ると思うのですが、それも生存競争の勝利者でしょうか?

生存競争の勝利者とは、後から見た視点であり、現状を正しく認識するには邪魔になると思うのです。つまり、「生存競争の勝利者になる」というのは絶対必須とまではいかないんじゃないかな、と考えます。それなら冷戦おこらなかったじゃない、と。

植民地主義が席巻していた時代の中南米、アジア、アフリカで起こったことと、現代・現在の世界で起こっていることを全て理解できる法則をまだ人類は見つけていないと思います。

長くなりましたね。わたしは岡沢さんの知識の豊富さには憧憬を感じています。私のような人間にもマジになってくれるところ、好きです。
それでは。

タイトルRe^2: せいぞーん せんりゃーく!
記事No840
投稿日: 2011/08/27(Sat) 20:48
投稿者岡沢 秋
褒めても何も出ませんよ…。

> 「種としての本能」も、ドーキンスとか的にはそれは自然淘汰の結果、たまたま繁栄したにすぎず、そんなものは最初からは存在してなかったという考えがあります。私も人間は頂点に立ててなんかいないし、自ら本能を調整なんてできるのかな(調整している時点で本能じゃない)、と思います。

ミームの人ですね。ドーキンスそんなこと言ってたんだ? ちゃんと本を読まないと何とも言えませんが、何となく意味を取り違えているような気がする。

ドーキンスの「たまたま」って、たとえばカンブリア紀の種の爆発のこととか言ってませんか。何が生存に適してるか分からないからありとあらゆる方法をとる生物が誕生して、アノマロカリスのようにギャグみたいな生き物もできたけど、その中から「たまたま」生存に適したやつだけが生きて残りは大量絶滅した。

現在生き残っている生物に採用されている体のパーツパーツは、過去の試行錯誤と大量全滅を乗り越え生き残ってきた祖先から引き継がれたもので、その方法論を選んだこと自体は特に意味がない。みたいなことを言いたかったんじゃなかったんかなーと思うんだけど、違うのかしら。。

蝶々や鳥のメスは後尾の時に明確に生存確率の高い模様のオスと交尾することがあるし、すべてが「たまたま」ではないと思う。生物はきっと意図的に生存戦略してると思う。


あと、生物は遺伝子によって支配されているというけれど、人間の場合、脳が肥大化していて肉体は脳の支配下に置かれています。たぶん本来は本能としては小脳のことを指すのだろうけれど、その上に乗ってるデカい大脳がいて、こいつがたまに小脳の動きを抑制するんですよ。

たとえば、おなかが空いてる信号が出てるのに、ストレスとかでごはんが食べられなくなるのは大脳から食欲の抑制信号が出てるから。

人間の場合は大脳の働きで無意識に本能をある程度抑制出来てしまうんではないかと思う…。このへんは思いつきなんでアレですが。


> それから、私は既に滅んでしまった人々に対して「自称・平和を愛する民」を適用したわけじゃないつもりでした。生き残って発言力を少しずつでも増した人々、という意味で書いたのですが、舌足らずだったのは間違いないです。そこはすみませんでした。
>
> 弱い者が弱いのにもそれぞれ理由があるし、圧倒的戦力差がある場合はおっしゃるとおり強者のみが選択の余地をもっていますが、戦闘回避はいろいろな状況で(例えばお互いに損害ゼロにはならないくらいの戦力差のときなど)成立し得ると思うのですが、それも生存競争の勝利者でしょうか?

戦闘回避の選択肢が出てきた時点ですでに勝利者だと思う。
ごはん食べるのに他の生き物を必ず殺さなくてはならないのが自然界だから、自分が殺すかどうか悩める時点でもう生態系の上の立場ですよね。っていう。

人間社会に限定して、対人間の戦闘だけに絞ってイメージされているのなら、ここで私が言っている内容は違うかもしれません。

> 生存競争の勝利者とは、後から見た視点であり、現状を正しく認識するには邪魔になると思うのです。つまり、「生存競争の勝利者になる」というのは絶対必須とまではいかないんじゃないかな、と考えます。それなら冷戦おこらなかったじゃない、と。

冷戦は何も手打ちも交渉もしてない、たまたま戦闘が起こらなかっただけで実質は戦争状態が継続されてるだけだから、戦闘回避とは違うと思いますよ…。
お互い手を出すタイミングないうちにソ連が内部崩壊しちゃっただけかと。


> 植民地主義が席巻していた時代の中南米、アジア、アフリカで起こったことと、現代・現在の世界で起こっていることを全て理解できる法則をまだ人類は見つけていないと思います。

aSTNさんがやりたいのは現代社会で戦争が起きる理由/起きない理由の解明なんですかね? だとすると古代に起きていた話と全然意味が違うと思う。

古代の戦争は近隣と直接的な利害で起こすもので、現在の戦争は全く接点のない遠方とでも政治的な理由で起こせるものだから。

例)
古代→隣の部族と獲物とり合って起こす
現在→あの国が勢力持ちすぎると厄介だからついでに叩いとく

とか。国連がメンドクセェから戦争に参加する、アメリカさんが睨んでるから戦争参加しないとか、そんなんもあり得るのが今の戦争のあり方かと。

タイトル挨拶挨拶〜
記事No841
投稿日: 2011/08/27(Sat) 23:17
投稿者aSTN
ドーキンスはあくまで「最初からは」で、蝶の例のような性淘汰も、いろんな形態の生物が出現しては滅んでを繰り返す一般的な自然淘汰も「最初はたまたま」と言ってました。性選択は好む傾向がたまたまそのとき生存に有利な形質と「一致」しただけ、と。確かムロディナウとかもそう書いてたと思います。

> 人間の場合は大脳の働きで無意識に本能をある程度抑制出来てしまうんではないかと思う…。

大脳の働きである程度抑制したり、逆に興奮させることができるのは確かですが、人間に限らないはずです。

> 冷戦は何も手打ちも交渉もしてない、たまたま戦闘が起こらなかっただけで実質は戦争状態が継続されてるだけだから、戦闘回避とは違うと思いますよ…。
お互い手を出すタイミングないうちにソ連が内部崩壊しちゃっただけかと。

前のレスでは

> たとえばマヤで、戦争で負けた部族の人を捕虜にしてきて絶対その人たちが負ける球技試合をやる。で、試合が終わったあとに捕虜をイケニエとして捧げる。それで戦争終了。

一部の代表者の代理戦争で終わらせるということは、相手部族を全滅させなくていいし、逆に自分たちが負けたときも自分たちが全滅しなくていい。
中南米の文化ではイケニエは残酷だという側面が強調されているけれど、実は大規模で致命的な戦争を回避するためのスポーツ的な代理戦争をやっていた、より平和的に争いを回避するための方法だったんじゃないのかかなぁ、というのが自分の意見です。

とあったので、両者は等質でともに戦争状態継続・戦闘回避と考えてました。

> aSTNさんがやりたいのは現代社会で戦争が起きる理由/起きない理由の解明なんですかね?

No。全時代で起きる/起きないです。

> 現在の戦争は全く接点のない遠方とでも政治的な理由で起こせるものだから。

アメリカなら接点ありまくりの国としかしないと思うし、実際してないと思います。

> 国連がメンドクセェから戦争に参加する、アメリカさんが睨んでるから戦争参加しないとか、そんなんもあり得るのが今の戦争のあり方かと。

国連参加決めたの誰だったか思い返せよ的なとこですよね。
古代の例はいわゆるランドパワーとかいうやつかな。。。くわしくないからようわからんのですが。
でも現在も起こってますよね? だから比較できるかと思って。

長くなったので今夜はここまでにします。つきあってくださってありがとうございます。

タイトルお詫びと追記
記事No842
投稿日: 2011/08/29(Mon) 11:27
投稿者aSTN
前のレス、引用部分は改行されると無効になるのわからなくて、引用がまるで私が考えた文であるかのように表示されてしまいました。すみません、もう一度書き直します。

ドーキンスはあくまで「最初からは」で、蝶の例のような性淘汰も、いろんな形態の生物が出現しては滅んでを繰り返す一般的な自然淘汰も「最初はたまたま」と言ってました。性選択は好む傾向がたまたまそのとき生存に有利な形質と「一致」しただけ、と。確かムロディナウとかもそう書いてたと思います。

> 人間の場合は大脳の働きで無意識に本能をある程度抑制出来てしまうんではないかと思う…。

大脳の働きである程度抑制したり、逆に興奮させることができるのは確かですが、人間に限らないはずです。

> 冷戦は何も手打ちも交渉もしてない、たまたま戦闘が起こらなかっただけで実質は戦争状態が継続されてるだけだから、戦闘回避とは違うと思いますよ…。
> お互い手を出すタイミングないうちにソ連が内部崩壊しちゃっただけかと。

前のレスでは

> たとえばマヤで、戦争で負けた部族の人を捕虜にしてきて絶対その人たちが負ける球技試合をやる。で、試合が終わったあとに捕虜をイケニエとして捧げる。それで戦争終了。

> 一部の代表者の代理戦争で終わらせるということは、相手部族を全滅させなくていいし、逆に自分たちが負けたときも自分たちが全滅しなくていい。
> 中南米の文化ではイケニエは残酷だという側面が強調されているけれど、実は大規模で致命的な戦争を回避するためのスポーツ的な代理戦争をやっていた、より平和的に争いを回避するための方法だったんじゃないのかかなぁ、というのが自分の意見です。

とあったので、両者は等質でともに戦争状態継続・戦闘回避と考えてました。

> aSTNさんがやりたいのは現代社会で戦争が起きる理由/起きない理由の解明なんですかね?

No。全時代で起きる/起きないです。

> 現在の戦争は全く接点のない遠方とでも政治的な理由で起こせるものだから。

アメリカなら接点ありまくりの国としかしないと思うし、実際してないと思います。

> 国連がメンドクセェから戦争に参加する、アメリカさんが睨んでるから戦争参加しないとか、そんなんもあり得るのが今の戦争のあり方かと。

国連参加決めたの誰だったか思い返せよ的なとこですよね。
古代の例はいわゆるランドパワーとかいうやつかな。。。くわしくないからようわからんのですが。
でも現在も起こってますよね? だから比較できるかと思って。

長くなったので今夜はここまでにします。つきあってくださってありがとうございます。


追記
昨日一日かけて、高校時代の生物の図録と、シカン展の図録、2007年から2008年にかけて開催された『インカ・マヤ・アステカ展』の図録を読み返しました。

その結果、まず食欲中枢や満腹中枢は間脳にあるということを知りました。大脳の状態によっておこる食欲不振は興奮系がうまく興奮しないこと、逆に過食は抑制系の不活性のようです。

あとは、進化論についてです。
私の見た図録『フォトサイエンス生物図録』数研出版・平成13年の版にものっているものなのですが、ウマの大きさが「昔は小さくて今は大きい」という図が生物進化の証拠としてあげられています。
でもこれ、ドーキンスの論敵にして盟友・故スティーブン・ジェイ・グールドがこれはダーウィン進化論に対して誤解を招く表現だと、エッセイのどれかで言ってました。(たぶん『パンダの親指』だと思います)。ドーキンスも多分意見は同じです。

ネオダーウィン主義者は「定向進化説」を受け入れていないので、「総合説」とも距離をおいているようです。逆に、総合説以外の考え方、「中立説」とは結びついて行きやすいようです。
ドーキンスとグールドはダーウィンの進化論を大筋で支持しあいながら、科学と宗教の共存について、種の分化についてなどは対立する意見を持っている人たちです。(片方亡くなってるので、でしたかな?)

後は本題のシカン文明ですが、図録を見ても武器は出てないんですが、その点を特筆したページは見当たりませんでした(探し方が悪かっただけかもしれませんが。)

『インカ・マヤ・アステカ展』の図録に、ちょろっとシカンとチムーの話が書いてあって、シカンでは砒素青銅で鋤を作っていたとありました。
また、シカン展の図録によれば、鋳型はその都度割って(p178)しまうとあるので、武器を作ってる余裕はなさそうですね。

タイトルRe: お詫びと追記
記事No843
投稿日: 2011/08/29(Mon) 18:58
投稿者岡沢@新幹線なう
いま手元に資料とかないんでアレですが、古今東西のすべての戦争について起きる要因とかを考えたいというのが趣旨であれば、ここまでの私の話はズレとることになります。

私の前提にあるものは、「集団で社会生活を営む生物は必ず闘争に何らかのルールをもうける」という考えです。

集団で生きる生き物は集団が存在しないと生きられない、個体として生き残っても意味が無い。敵味方、つまり集団内と集団外を区別するルール、集団内の闘争の抑制や規律などを必ず持つ。それは理性ではなく本能だろう。

というところを起点にした考え方なのです。


なので、生物としての構造的な進化というよりは、ハードはそのままで、載ってるソフト(脳内の習慣とかの構造)の進化の話を多分しなくてはならない。

あと、古代から近代までの直接的な闘争と、現代的な戦争は分けて考えないと。ゲーム感覚でスイッチぽちっとなしたら見えない地球の裏側で人が何万人も死にますとか、経済回したいから今から戦争しまーす☆とか、んなもん近代以前の戦争と同一軸上で語れるもんじゃない、全くの別ものでしょう。

目の前で敵が死ぬか否か、自分の「手」で敵を倒すか遠隔武器を使うか、だけでもだいぶ違うかと。


ダーウィンの言ってることが全部正しいわけではないのは知ってますが、ネオダーウィニズムってのが具体的に何なのかよくわかってないのでこのへんはパス。そのうち本を読んだら何か書くかも。

ただし進化の方向が一方向ではなくいろんな方向に向かってるんだって話をするなら、それはハードの話であって、ソフトウェア的な進化でいえばおそらく一方向だと思います。そこは言える。なんでかっていうと生き物は訓練で脳の働きを何かに特化できてしまうから。例えば、同じハード(脳)を積んでても、古代人はコンピューター使えない。そのかわり20世代前の家系を暗証できたりする。


> 大脳の働きである程度抑制したり、逆に興奮させることができるのは確かですが、人間に限らないはずです。

それはそうですが、人間は特に複雑なんですよ…。っていうことです。


とりあえず文字数制限とかでこんなかんじで。

タイトル新幹線と私の相手、どっちのほうが疲れるかな
記事No844
投稿日: 2011/08/29(Mon) 21:54
投稿者aSTN
> いま手元に資料とかないんでアレですが
ぜひゆっくりでおねがいします。真剣に考えてるんで。

> 私の前提にあるものは、「集団で社会生活を営む生物は必ず闘争に何らかのルールをもうける」という考えです。

> 集団で生きる生き物は集団が存在しないと生きられない、個体として生き残っても意味が無い。敵味方、つまり集団内と集団外を区別するルール、集団内の闘争の抑制や規律などを必ず持つ。それは理性ではなく本能だろう。

淘汰の結果、そういうものが生き残りやすかったのならそれは種全体の本能に近づいていくといえそうです。が、どこの時点でそういう傾向を獲得するのか、人間の行動はどこまで本能か、そこら辺考えないといけませんね。

> なので、生物としての構造的な進化というよりは、ハードはそのままで、載ってるソフト(脳内の習慣とかの構造)の進化の話を多分しなくてはならない。

それは進化とはいわないのでは?

> あと、古代から近代までの直接的な闘争と、現代的な戦争は分けて考えないと。ゲーム感覚でスイッチぽちっとなしたら見えない地球の裏側で人が何万人も死にますとか、経済回したいから今から戦争しまーす☆とか、んなもん近代以前の戦争と同一軸上で語れるもんじゃない、全くの別ものでしょう。
> 目の前で敵が死ぬか否か、自分の「手」で敵を倒すか遠隔武器を使うか、だけでもだいぶ違うかと。

う〜ん、、、
銃で戦うのと投槍あたりまでの武器で戦うのとでは違う、って話ですか?
それとも、弾道ミサイルを発射できる偉い人と現場の兵士とでは戦闘の重みが違うって話ですか?
後者なら、古代のリーダーにだってあてはまっちゃうし、前者でも、兵士はあらかじめかなり訓練しないと使い物にならないですから、やっぱり時代を通じて変わらないと思うので詳しく説明してください。

> ただし進化の方向が一方向ではなくいろんな方向に向かってるんだって話をするなら、それはハードの話であって、ソフトウェア的な進化でいえばおそらく一方向だと思います。そこは言える。なんでかっていうと生き物は訓練で脳の働きを何かに特化できてしまうから。例えば、同じハード(脳)を積んでても、古代人はコンピューター使えない。そのかわり20世代前の家系を暗証できたりする。

ソフトウェア的進化がなぜ一方向だと思うのか、お聞かせください。
現代人に20世代前の家系を暗誦すると同時にコンピュータを使いこなす人がいればその前提は崩れますか? 崩れませんね?

あとは、脳に関して人間は特に複雑としながら、生存にかかわるルールに関しては素朴に本能由来とするのはなぜなのか知りたいです。
本能なのに「もうける」とはこれ如何に? と思ってしまうのです。

質問ばかりになって終わるのも良くないと思うので、新しいコメを。

シカン展の図録で、銅の加工は彼等にとって、とても重労働だったとあるので、ナイペないし銅製のトゥミは威信財で間違いないように感じました。

くれぐれもお体に差しさわり無い範囲でお願いします。では。

タイトルたぶん本能の語がおかしいんだろうな…
記事No845
投稿日: 2011/08/30(Tue) 06:06
投稿者岡沢 秋
心理学用語の「本能」を心理学辞典で引いてみたらローレンツの生得的行動が出てきた。ヒヨコが最初に見た動くものを母親だと思ってついていくような、誰にも教えられずにできること=生得的行動≠本能

ただし、動くものを母親だと思うのは遺伝子に規定された生得的行動なのに対し、どの動くものを母親だと思うかは学習行動。たまたま見た動くものが人間だったら人間を母親だと思う。

んで、生物の行動は遺伝子によって規定されているものと、学習によって獲得されるものが相互に関連していて、その比重は行動によって異なる。つまり、ある行動が遺伝子によって規定されるものなのか学習によって獲得されたものなのかを論じることは無意味である、ということのようです。

aSTNさんの想像している本能とは完全に遺伝子のみで規定されている行動でしょうが、そんなもんは「ない」です。

ひるがえって、何が本能なのか、本能でないのかは、心理学では、過去にさんざん議論した挙句「そんなの規定すんのムリ」という話になったようです。まぁだから本能という言葉を使って何か説明しようとすると、たぶん正確な議論にはならないのだと思う。

ただし人間が集団行動をとろうとすることは、メダカが群れを作るのと同じく生得的行動=遺伝子に規定された、いわゆる本能 であると言える。淘汰とか関係なく、そのほうが生存に有利だから選んできたはずです。群れを作ることを拒否する「本能」はないわけですから。

そして群れを作るということは=集団のルールを作るということで、そのルールが遺伝子に規定されているか学習行動なのかというと、学習しようとすること自体は遺伝子規定、集団社会内で学習するもの、という位置づけになるのではないかと思う。


> > いま手元に資料とかないんでアレですが
> ぜひゆっくりでおねがいします。真剣に考えてるんで。

とりあえずは、古代における戦争と現金代における戦争が同一軸で語れると思っている理由を逆に説明していただけますか?
あらゆる面において全く異なるものが同一だと言われると謎。

極端なところいくと、自分に直接利害のない相手を、金で雇われた傭兵が、スイッチを押すだけで見えないまま殺す、という行為には、良心の呵責や直感的抑止の入る余地が無いですが…。

少なくとも人間 vs 人間ではない戦争は分けなきゃだめだろう。


> > なので、生物としての構造的な進化というよりは、ハードはそのままで、載ってるソフト(脳内の習慣とかの構造)の進化の話を多分しなくてはならない。
>
> それは進化とはいわないのでは?

いや脳構造の進化ですよ・・・。
使ってる部分が短期間で進化していくんで。
アフリカの人がなんで視力5.0もあんのかっていう話とか。

ソフトといったのは、上の方で言いたかった学習行動の話になるので置いときます。


> シカン展の図録で、銅の加工は彼等にとって、とても重労働だったとあるので、ナイペないし銅製のトゥミは威信財で間違いないように感じました。

技術の使い方を制限する理由はないです。必要があったなら、武器に応用したはずですよ。脳手術用のナイフ作れるんだから…。

重労働であるかどうかも威信財には関係ないです。浜辺で拾うだけの貝殻でも、珍しければそれが威信財になるです。

タイトルRe: たぶん本能の語がおかしいんだろうな…
記事No846
投稿日: 2011/08/30(Tue) 08:50
投稿者aSTN
> んで、生物の行動は遺伝子によって規定されているものと、学習によって獲得されるものが相互に関連していて、その比重は行動によって異なる。つまり、ある行動が遺伝子によって規定されるものなのか学習によって獲得されたものなのかを論じることは無意味である、ということのようです。

それは理解しているつもりでしたが、、、
>
> aSTNさんの想像している本能とは完全に遺伝子のみで規定されている行動でしょうが、

ちがいますよ。私にとって「岡沢さんが大脳での制御にこだわるのが不思議に思える」ぐらいちがいますよ。脳はからだからのフィードバックがないとうまく働けない、という知見があるのでしょ? この辺は岡沢さんの方が詳しいことなので詳述は避けますが。

> ひるがえって、何が本能なのか、本能でないのかは、心理学では、過去にさんざん議論した挙句「そんなの規定すんのムリ」という話になったようです。まぁだから本能という言葉を使って何か説明しようとすると、たぶん正確な議論にはならないのだと思う。
>
> ただし人間が集団行動をとろうとすることは、メダカが群れを作るのと同じく生得的行動=遺伝子に規定された、いわゆる本能 であると言える。淘汰とか関係なく、そのほうが生存に有利だから選んできたはずです。群れを作ることを拒否する「本能」はないわけですから。

淘汰でないというのなら、どうして「選んできた」といえるのか教えてください。(淘汰とは強者が生き残ることではなく、その時点での弱者が滅びて行く傾向のことですよね?)

> そして群れを作るということは=集団のルールを作るということで、そのルールが遺伝子に規定されているか学習行動なのかというと、学習しようとすること自体は遺伝子規定、集団社会内で学習するもの、という位置づけになるのではないかと思う。

ルールは学習である、でいいですか?


> とりあえずは、古代における戦争と現金代における戦争が同一軸で語れると思っている理由を逆に説明していただけますか?
> あらゆる面において全く異なるものが同一だと言われると謎。

古代における戦争も、近現代における戦争が同一軸で語れると思うのは、「人間のやることだから」が一つ。「あらゆる面において全く異なる」の説明は尽くされていないと思うのが一つ。つまり私には「同じものを全く異なると言われると謎。」

> 極端なところいくと、自分に直接利害のない相手を、金で雇われた傭兵が、スイッチを押すだけで見えないまま殺す、という行為には、良心の呵責や直感的抑止の入る余地が無いですが…。
>
> 少なくとも人間 vs 人間ではない戦争は分けなきゃだめだろう。

その例はなんの例ですか?(人間vs人間ではない戦争)
具体的な言及がないと考えることが難しいです。
限られている情報から考えると、良心の呵責や直観的抑止がなくなっているのなら、それ(良心、直観的忌避感)はいわゆる本能ではないのですよね? とはおもうのですが。。。


> > > なので、生物としての構造的な進化というよりは、ハードはそのままで、載ってるソフト(脳内の習慣とかの構造)の進化の話を多分しなくてはならない。
> >
> > それは進化とはいわないのでは?
>
> いや脳構造の進化ですよ・・・。
> 使ってる部分が短期間で進化していくんで。
> アフリカの人がなんで視力5.0もあんのかっていう話とか。

ああ、言及不足で呆れられたようですが、私が言いたかったのは「ソフトの進化」に進化という語をあてはめたところです。
それと、ハードは短期間では進化してないんじゃないですか? 何年、何万年、何千万年のどのペースで語るかによりますが。
「アフリカの人が何で視力5.0もあんのか?」その地域の淘汰圧がそういうもんだったから、でいいじゃないですか。

> > シカン展の図録で、銅の加工は彼等にとって、とても重労働だったとあるので、ナイペないし銅製のトゥミは威信財で間違いないように感じました。
>
> 技術の使い方を制限する理由はないです。必要があったなら、武器に応用したはずですよ。脳手術用のナイフ作れるんだから…。
>
> 重労働であるかどうかも威信財には関係ないです。浜辺で拾うだけの貝殻でも、珍しければそれが威信財になるです。

浜辺で拾うのも、探したり持って帰ったり交換したりと手間がかかるぐらいに手に入りにくいという意味では同じに思えます。

武器の生産にかかわる話は、私の元の言及(11/08/22)では「(仮定が成立するなら)必要がない」という趣旨を述べたつもりです。
脳手術に関してはそもそも今で言う呪術であって、今で言う医療ではなかったんじゃないかと想像します。超自然的なパワーを取り入れるために使うから最高の金属を使用した、ということです。

呪術医って今もいますけど、この人は現代人ではなく古代人なのでしょうか。

私の記述の乏しいところ、見逃しなど他にもありましたらどんどん指摘してください。

タイトルこれじゃ議論にならんがな(笑
記事No847
投稿日: 2011/08/30(Tue) 17:18
投稿者岡沢@出先
質問に質問で返したら話はすすまんがな。
取り敢えず、本能という用語は内容がアバウト過ぎるので使わないこと、あと、古代から現代までの戦争の目的原因参加者等をひとまず書き出してみることはお勧めする。

タイトルRe: これじゃ議論にならんがな(笑
記事No848
投稿日: 2011/08/30(Tue) 21:13
投稿者aSTN
だから出先でさくっと済まそうとしないでください。

> 質問に質問で返したら話はすすまんがな。

悪魔の証明ってごぞんじですよね。ないことの証明は非常に難しいが、あることの証明には一例挙げれば済むというやつ。質問に質問で返したのは、「人間vs人間でない戦争」について教えてくれ、だけなんですが。

> 取り敢えず、本能という用語は内容がアバウト過ぎるので使わないこと、あと、古代から現代までの戦争の目的原因参加者等をひとまず書き出してみることはお勧めする。

本能という語を最後にお使いになったのは岡沢さんご自身ですよ。
最初の私のレス(8/22)で使ったのも、
岡沢さんのブログ記事「スペイン人の南米開拓時における人口減少の資料その2」
http://55096962.at.webry.info/200909/article_5.html
およびそれを見た私のコメント(そこだけは違うんじゃないかと思ったのでついまた)
http://cgi.www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/bbs/09.cgi?mode=allread&pastlog=0001&no=202&page=80&act=past#202
を受けてのことです。

最後のはそんなんあんたはやったんかいと逆につっこみたいとこです。岡釣りですか?

タイトル私の側に事実誤認がありました。
記事No849
投稿日: 2011/08/30(Tue) 21:24
投稿者aSTN
細部までよく読んだら最後に使ったの私でした。すみません。でも本能の語を使うことはこれからは避けます。

タイトルおはようございます
記事No850
投稿日: 2011/08/31(Wed) 07:24
投稿者aSTN
そろそろ論点を整理すべきかと思い、岡沢さんのコメントを待たずに返信します。岡沢さんの意見/私の意見の順で書いていきたいと思います。

1.群で生きる生物の生存を利する生得的行動
種全体のためのものが必ずある/個体のためのみ(結果として利他的であることは有り得る)

2.現代と古代の戦争について
全く違う/違いがない

3.ハード&ソフトの進化
【ハード】
人類のハードの進化はある/ハードとしてのヒトの脳はたいして変わってない
【ソフト】
ソフトの進歩は一方向/ヴァリエーションが増えるだけ

4.威信財の定義の解釈
(?。記述がないので判断はひかえます)/その人々にとって希少性があり、好まれるものならなんでもよく、とりわけ主たる使用目的が当時なかったもの

こんなところでしょうか?

1.の発展
・群で暮らす仔殺し行動をとる生物の存在(ライオンやチンパンジー)は、種全体を利する生得的な性質は普遍的なものではないことを証明していると思う。
・自分の種と他の種をどう区別しているのか、わからない点で懐疑である。
・上記に関連して種の判定は自然発生する物か否か(私は否と思う)

2.の補足
・現代はすでに「地球の裏側」も「お隣さん」状態にあると思う。
・弾頭(通常でよい)を積んだ弾道ミサイルの使用実績、潜水艦搭載ミサイルの使用実績があるなら示してほしい。(ゲーム感覚でぽちっとな、に関して)
・傭兵の配備先は、先進国(フランスなど)では前線。リーダーシップを発揮できるのはゲリラ戦略をとるときだけだったと記憶しています。

新しい補足やなんやかやはここまでで。
長くなったのでいったん切ります。

タイトル続きです
記事No851
投稿日: 2011/08/31(Wed) 07:46
投稿者aSTN
>古代から現代までの戦争の目的原因参加者等をひとまず書き出してみることはお勧めする。

困難な要求と思いつつも、まあちゃっちゃっとやれるものはやっといてもいいかな、とも考え直したので、5つだけ挙げます。日本史に偏っているのと、例数が少ないこと、中世の例がないのは問題点としてあると思いますが、年を確認するだけですらすら書けるのはこれくらいなので。
でははじめます。

・白村江の戦い(663年)飛鳥時代・上古
参加者:倭軍・旧百済勢の連合、唐・新羅の連合
関係:倭軍(同盟関係への支援と権益拡大)
   百済(防衛・復興)
   新羅(拡大)
   唐(同盟関係国への支援と権益拡大)

・島原の乱(1637〜38)江戸初期・近世
参加者:立ち返りキリシタン武士とキリシタン農民、幕藩体制派の武家
関係:キリスト教信仰への回帰とキリスト教国家の樹立(キリシタン側)
   体制維持(幕藩)

・ペリー来航(1853〜)江戸末期・近代
参加者:アメリカ艦隊、日本(江戸幕府)
関係:開国要求、最恵国待遇の要求(米国)

・太平洋戦争(1941〜1945)現代
参加者:日本、アメリカ
関係:石油禁輸の解除等の要求(日本)
   中国における機会平等・門戸開放路線の堅持、南方進出への非難、一般民衆の強い戦争支持(アメリカ)

・イラク戦争(2003)現代
参加者:アメリカ・イギリスを中心とする多国籍軍、フセイン政権要するイラク軍
関係:フセイン政権への非難、国連の査察受け入れ拒否に対する独自制裁、大量破壊兵器の所持(発見されず)に対する疑惑(アメリカ)
   フセイン氏の亡命拒否(イラク)
   宗教対立(笑)
補足:主としてアメリカの空爆で終わったが、治安の安定には程遠かった。