タイトル | : 戦争を(する/しない)の分かれ目 |
記事No | : 831 |
投稿日 | : 2011/08/22(Mon) 23:44 |
投稿者 | : aSTN |
2009年の9月にこちらで、戦いを本能で抑制していたという趣旨の記述に一言(どころじゃなくなってしまいましたが)書きこんだaSTNです。 この一連のやりとりは今でも私の中で大きな位置を占めてます。そして今になってふと思いついたことがあるのでまた投稿させてください。
少し前までは「そういう本能、ないと思うんだけど…でも武器が出てないのは動かぬ証拠、なのかな?」ぐらいのもやもやした感じでした。
今は、 「農耕や狩猟などの労働が、戦争よりも能率的に富を得られるのなら、人々は戦争を選ばない」 「生存への有利さを得られる何かが偏在せず遍在しているのなら、人々は戦争を選ばない」 この二つのつまるところ利己的な判断が蓄積して、シカンの人々などは「技術はありそうなのに武器をもたない文化」を培ったんじゃなかろうか、そう思うようになりました。
また、そういう文化の中で育ち、それを継承していけば、まず暴力をあてにするような感性は希薄になって行く、とも。
まだかなり穴のある意見だと思うので、岡沢さんの意見をお聞きしたく存じます。
また暑い日々が帰って来るようですのでお体に気を付けてください。
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