ルポ2011

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ルポ2011:寄り添って・被爆医師の半世紀/1 85歳「患者は仲間」

「おなか痛はよくなった?」。優しく声をかけながら被爆者の診察をする小林=大阪市此花区で、西村剛撮影
「おなか痛はよくなった?」。優しく声をかけながら被爆者の診察をする小林=大阪市此花区で、西村剛撮影

 ◇小さな体、大きな信頼

 まだ夜の明けきらぬ早朝4時過ぎ、大阪府豊能町に住む小林栄一(85)の一日は静かに始まる。5年前に75歳で亡くなった妻をまつる仏壇に手を合わせ、届いたばかりの新聞に目を通す。電車で座れるよう、5時半には自宅を出発する。「最近、右太ももが痛くて少しつらい」と漏らしつつ、身長154センチ、体重47キロの小柄な老人は、駅までの長い下り坂を20分かけてゆっくり歩いていく。四つの電車を乗り継ぎ、2時間半後、ようやく到着したのは大阪市此花区の「此花診療所」。小林が51年間、所長を務めてきた場所だ。

 85歳にして現役の医師。66年前の夏、長崎で原爆の閃光(せんこう)を見た被爆者でもある。大阪の下町に根付くこの診療所で、被爆者医療に力を注いできた。これまで診察してきた被爆者は府内外の延べ5000人以上。現在は週2回、被爆者の相談や診察を担当する。

 診察開始の午前9時。受付では既に多くの患者が小林を待つ。白衣をまとった小林は、きりっと引き締まった表情になり、普段より少し大きく見える。近所に住む崎原幸子(83)が長女(47)に付き添われて診察室に入ってきた。「調子どう?」。カルテに目を走らせていた小林が顔を上げ、崎原にほほ笑みかける。「足が痛いんです」

 ベッドに寝かせた崎原の足の状態を確かめた後、小林は崎原の背中を抱きかかえ、起き上がるのを手伝った。「体が重いわな」とぽつりつぶやくと、崎原と長女から笑いが起こる。白内障の手術を受けるべきか、前回訴えていた腹痛の経過、めまい……。次々と出る崎原の相談に、小林は一つ一つ丁寧に答える。40年来の患者との掛け合いは息がぴったりだ。

 崎原は17歳の時、広島の爆心地から1・1キロの自宅で被爆した。1カ月後に姉のいた大阪に移り住み、30歳で結婚、2人の子どもに恵まれた。しかし、被爆後はずっと疲れやすく、頻繁に発熱した。少し動いてもすぐに横になるため、働きに出ることもできなかった。どの病院に行っても「原因不明」で済まされるばかり。しかし、小林は違った。自身も被爆者であると明かし、どんな訴えにも真剣に耳を傾け、わずかな変化も見逃さない。

 崎原は「同じ被爆者で親身になってくれ、偉ぶることなく、よく話を聞いてくれる。一度行ったら、離れられんようになった。私の体を一番分かってくれている」。長女も「優しくて、声を上げて笑ってくれる。診察室がぱっと明るくなる」と絶大な信頼を寄せる。

 患者は途切れることなく、この日診察が終わったのは予定の正午を大幅に過ぎた午後1時ごろ。それでも疲れを見せない小林に、患者から信頼を得る秘訣(ひけつ)を問うと「特にないよ。被爆した仲間だと思って接してるから、患者も『自分を分かってくれる』という気持ちになるんだと思う」。すべてを包み込むような自然体の笑顔を見て、その答えがすっと胸に落ちた。

  ◇

 広島、長崎への原爆投下から66年。大阪の下町の診療所で被爆者医療に半生をささげてきた医師と、患者の被爆者たちの今を追う。(敬称略)=つづく

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 ■ことば

 ◇原爆被爆者

 1945年8月の広島、長崎への原爆投下で被害を受けた被爆者。被爆者援護法では(1)直接被爆者(2)原爆投下2週間以内に爆心地から約2キロ以内に立ち入った入市被爆者(3)救護、死体処理従事者(4)胎内被爆者--に分類され、該当者には被爆者健康手帳が交付される。10年3月末現在、全国の手帳所持者は22万7565人。大阪府は全国の都道府県で5番目に多く、7212人。

毎日新聞 2011年7月13日 大阪朝刊

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