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『ハジャイの日々パート1』

朝6時に起床。
朝食はホテル併設の食堂で、トーストとスクランブルエッグとハム。
午前中はエヤコンが効いた部屋で、宿題をできる所まで終らせた。
昼食は屋台でブッカケ飯を食べる。
一度ホテルに戻って、気温の高い間は昼寝。

午後からハジャイの街をぶらつく。
ハジャイはタイの中でも、イスラム教徒が多い事で知られている。
街にもイスラム教寺院のモスクがたっている。
モスクの中に入って、靴を脱いで寺院の中を散策。
イスラム教寺院に入るのは初めてだった。
余りにも暑かったので、一度喫茶店に避難する。
エアコンが効き過ぎていて寒かったが、暑いよりはましだった。
東南アジアでは、エアコンは寒いくらい効かせるのが客へのサービスらしい。
迷惑このうえないサービスだと思うのは、僕が日本人だからだろう。
1時間くらい休憩しようと思ったが、30分で限界だった。

ハジャイの街はそれほど大きく無いので、1日有れば全部回れる程度みたいだ。
明日の午後にも残りの見たい所を、観光して明後日にはマレーシアに行く事にしよう。

| 2006夏 | 15:53 | comments(2) | -

『バンコクーハジャイパート2』

今日も朝6時に目が覚めた。
昨日の内に、朝御飯を6時に持って来る様に頼んでいた為、起床と同時に朝食。
朝食はサニーサイドアップとブッカケ飯。
食事が終ったら、間もなくハジャイの駅に到着。

ハジャイの駅に降りて、街の安宿街までトゥクトゥクに乗る。
キングホテルという、名ばかりのホテルの部屋を見せてもらう。
華僑経営の宿らしく大王旅社と、いう名前も付いていた。
エアコン付きでツインで400バーツ。
ちょっと高いからキープして、他の宿も探してみよう。

2件目の宿は、所謂バックパッカーの宿。
バックパッカーズトラベラーズロッジ、ファン付きツインで300バーツ ドミトリーなら1ベット80バーツ 僕は、ここで始めてのドミトリー体験をしても良いと思った。
一応父にドミトリーに泊まりたいと、相談してみた。
父も異議は無い様だ。
3泊分のデポジットをして、ドミトリーのベットを2つ確保した。
大王旅社にキャンセルを申し入れたら、値下げして来た。
エアコン付きのツインが200バーツ。
これはお得なので、決めようとしたら、父がさらに値下げ交渉を始めた。
30分粘って150バーツまで下げた。
客が居ないのだろう。

先程のデポジットを返してもらいに行く。
嫌な顔1つなくデポジット返還に応じてくれた。

ハジャイの宿はキングホテル(大王旅社)に決った。
決ったので、屋台に昼食を食べに出かける。
ブッカケ飯とトムヤムクンで60バーツ。
父はこれにビール2本。

昼食後暑かったので、シャワーを浴びて、エアコンの効いた涼しい部屋で宿題を始めた。
父は知り合いのタイ人に逢いに出かけた。
午後全てを使って、やっと今日までの分の宿題が終った。
今まで随分サボっていたからな、ちょっと反省。

夕食を屋台で食べて、明日からのハジャイ観光の計画を立てながら就寝。

| 2006夏 | 13:37 | comments(0) | -

『バンコクーハジャイ』

朝6時に起床して、毎朝の日課であるワットアルンまで散歩をする。
今日で、バンコクで続けていた日課は終わりだな。

今日の午後に、バンコク中央駅から南部のハジャイへ寝台列車で移動する。
朝御飯と昼御飯をお世話になったゲストハウスの食堂で食べた。
食堂のおばちゃんがタイ語で何か必至に伝えようとしていたので、父が通訳してくれた。
おばちゃん曰く「ハジャイは、バンコクと違って回教徒が多いから気を付けるんだよ。この前もテロが有ったばかりだから、夜出歩く事は自殺行為だからね。楽しい旅行で死んでしまっては、それこそ親不孝だよ。」
僕は、「コプクーンカップ(ありがとう。)」と、言いワイ(手をあわせておじぎする事)をしたら、おばちゃんが涙を一筋流した。
不思議に思った父は、おばちゃんに何やらタイ語で尋ねていた。
どうやら、おばちゃんの子供がハジャイで最近亡くなったばかりだったらしい。
おばちゃん、僕は自分の命を粗末にはしないから大丈夫だよ。

バンコクの中央駅に14時30分に到着して、駅の近くの喫茶店でチャイを飲んで時間潰しをした。
父は勿論ビールをしこたま飲んでいた。
列車の切符を買って SP37 15.15ー07.10 15時に列車に乗り込んだ。
僕はアッパーデッキで父はダウンデッキだ。

列車は15時15分定刻通りバンコクの街を離れた。
僕はすぐに列車内の施設を調べ始めた。
父は相変わらずビールを呑んでいた。

列車の中は日本の寝台特急より広かった。
列車の中を見終って、暇だったので学校の宿題に取りかかった。
列車内でサボり気味だった宿題を終らせる事が出来た。

夕方列車の車窓から眺めた夕日がとても綺麗だった。
18時に食事をどうするか、車掌が聞きに来た。
どうやら乗客全員に配られる様だ。
車掌が御用聞きを始めたので、タイ語でバーミーナムとカオパットクンを頼んだ。
父はバーミートムヤムクンとカオパットカイとビールを頼んでいた。
ビールだけ別料金で取られるが、食事は切符代金に含まれているらしい。

バーミーナムは余り美味しく無い、麺がのびているのは頂けない。
カオパットクンは美味しかった。

夕食後は暇だったので、最近サボり気味の旅行日記をしたためていた。
1週間分をまとめて書いたが、アユタヤの遺跡の名前を失念してしまったので、日本に帰ってから調べなくてはいけないな。

日記を書いていると眠くなったので、今日はここまでで休む。

| 2006夏 | 23:44 | comments(0) | -

『アユタヤ』

朝5時に目が覚めた。
体調は良いので、今日は予定通りアユタヤに行く。
6時にジュンポーとお父さんが、車でゲストハウスに迎えに来てくれた。
朝ごはんは、途中のレストランで食べた。

アユタヤに着いたら、色々な遺跡を回った。
有名な所から、そうでも無い所まで。
有名な所は、仏像の首だけがガジュマルの木に巻き付いているところ。
ジュンポーが説明してくれたが、いまいち覚えていない。

昼食を食べて、ほとんどの遺跡を回ったので、車でバンコクへ帰る事にする。
アユタヤ王朝の事は、勉強不足で余り調べていなかったので、帰ってから調べる事にしよう。

夕方にはバンコクのゲストハウスに戻り、夕食はお礼で父が日本料理店に招待して鮨を食べた。
夕食後ゲストハウスに戻り、明日の移動に備えて早めに就寝した。

| 2006夏 | 12:10 | comments(0) | -

『体調不良』

朝起きたら、少し熱っぽい感じがする。
食欲はあるので、トーストと目玉焼きで朝食。
朝食後熱を計ってみると、38.5℃ある。
フロントで氷を貰い、袋に詰めて脇の下と首筋を冷やす。
午前中は寝ていよう。
午前中寝ていたら、微熱程度まで下がった。
おなかが減ったので、昼食に焼そばを食べる。

おそらく暑気あたりだろう。
それ以外に原因が見当たらない。
今日は一日おとなしく休む事にしよう。
ゲストハウスのインターネットを利用して、母にメールを送ったり、明日のアユタヤの情報を調べる。
父からジュンポーのお父さんに、「もしかしたら行けなくなるかもしれない。」と、連絡を入れてもらう。
僕は行く気満々だから、大丈夫だと思う。
だって、「病は気から」って、言うしね。
夕方、ジュンポーが様子を見に来てくれた。
彼は、「案外元気そうだから安心した。」「でも、無理してまで行く必要は無い。」「もし明日行けなくても、また行く機会は有るから、大丈夫だよ。」と、言ってくれた。
彼の気遣いがとても嬉しかった。

夜には平熱になっていた。
この分なら明日は大丈夫みたいだ。
これからは、日中の観光は注意する事にしよう。
夕食を食べて、明日に備えて、今日は早めに就寝。

| 2006夏 | 22:03 | comments(0) | -

『バンコクの喧噪』

朝5時に目が覚めてしまったので、ホテルの近くを散策してみる。
日本ならもうとっくに明るい時間なのに、タイではまだ暗かった。

暗い中30分くらいあても無く彷徨っていたら、同じ歳くらいのタイの少年に出会った。
タイ語で話しかけられたんだけど、残念ながら僕にはタイ語を理解する能力がない。
僕が理解していないとわかった彼は、綺麗な英語で話しかけて来た。
『おはよう。君は何処から来たの?』
「日本だよ。僕はKnightよろしくね。」
『やっぱり日本人か。僕はジュンポーよろしく。いつタイに来たの?ホテルはどこ?』
「昨日タイに到着して、そこのホテルに泊まっているよ。」
『同じホテルに泊まっているんだね。まだ暗いからホテルに戻って、コーヒーを飲みながら話をしないか?』
「オッケー」
二人でホテルに戻り、ロビーで1時間くらい色々な話をした。
ジュンポーは2つ年上の中学3年生で、来年はアメリカに留学するらしい、お父さんはタイの外交官で昨日赴任地から家族一緒に一時帰国したらしい。
何か困った事が有ったら電話してと、自宅の電話番号をメモしてくれた。
そして、2日後にバンコクから近いアユタヤと言う世界遺産の街の観光を、一緒にする約束をして別れた。

部屋に戻ったら、父が起きて居たので事の顛末を話すと、同年代の交流は大事だから行って来いと、言ってくれた。
但し、ジュンポーのお父さんに確認を取ってからと、釘を刺された。
父と一緒に朝食を食べようとレストランに行くと、ジュンポー家族も来ていた。
父同士タイ語で何か話している。
どうやら身元確認がお互いに済んで、子供同士の小旅行は許可せずに、家族同士の小旅行にする事になったらしい。
2日後の予定が、アユタヤ観光に決った。

ジュンポー一家と別れて、ホテルをチェックアウトして、バンコクのダウンタウンにタクシーで移動する。
途中で、バックパックや着替えを買った。
日本で買うよりもずっと安い。
バンコクで旅行荷物を揃えた方が安い、当り前の事に僕は気がつかなかった。
バンコクのバックパッカーが集まる、カオサンロードに到着して、ゲストハウスを探す。
カオサンロードに面しているゲストハウスは、朝まで音楽がかかっていて喧しいので、ちょっと外れたお寺の近くのゲストハウスにする。
シャワーとファンのツインで、390バーツ。(1,170円)
部屋は綺麗で、ノリの利いたシーツが気持ち良い。
バンコクでの拠点が決ったので、昼食を兼ねて近くを観光する。

カオサンロードの屋台で、バーミーナム(タイ風ラーメン)とカオパット(炒飯)を食べる。
バーミーナムは、薄味でさっぱりしているラーメン、生のモヤシとパクチーがたっぷり入っている。
自分で、スウィートチリソースや唐辛子の入った酢等をかけて、味付けして食べる。
カオパットはタイ米なので、パラパラしていてとても良い具合だ。
カオパットにも、自分で好みの調味料をかけて、味付けして食べる。
2つで80バーツ。(240円)
ちなみに父はこれにビールを頼むのは、言うまでも無い。

昼食後、近場のワット・プラケオ(王宮寺院)を見に行く。
3大仏塔が有名らしい。
タイの仏教は日本と違いカラフルな寺院が多い。
仏像も黄金色だ。
エメラルドの仏像をみる。
この仏像は、ラーマ1世がラオス侵攻の時に持ち帰ったものらしい。
元々はラオスの仏像、それを勝手に持ち帰ってしまう。
なんだか嫌な感じ。
1時間ほどぶらぶらみて回り、暑いので近くのマックで休憩する。

休憩後、ワット・ポーを見に行く。
1788年に、ラーマ1世によって建立されたバンコク最古の寺院。
本堂には、長さ46m高さ15mの涅槃仏が安置されている。
足の裏には、バラモン教の真理が書かれているらしい。
もう1つ有名な事は、タイ古式マッサージの総本山としての機能だ。
父は、タイ古式マッサージを受けている。
僕は、必要無いので日陰で日記を書いている。

夕方、夕焼けに染まる暁の寺を見に行く。
チャオプラヤー川を渡し船で、対岸に渡る。
対岸に渡ると、ワット・アルンがそびえたっている。
高さ104mの大仏塔は荘厳だ。
途中まで階段で登れる様になっている。
僕がタイの中で、一番好きな寺院になった。
ワットアルンは、クメール様式で白い漆喰を基調とした寺院である。
台座を支えているインドラ神をみていると、クメールの特徴が現れている。
夕焼けの中眺めていると、あっという間に閉館時間が来てしまった。
また、チャオプラヤー川を渡し船で渡り、一度ゲストハウスに戻る。

ゲストハウスでシャワーを浴びて、少し休憩して晩御飯を食べに出かける。
一度食べてみたかったスチームボートを食べに行く。
スチームボートとは、鶏ガラの出汁で好みの具を煮て、辛いタレに付けて食べる。
ビーフボール、エビ団子、ワンタン、ビーフン、豆腐、野菜、蟹、おなか一杯食べた。

ゲストハウスに戻って、明日は何処に行こうか考えながら横になった。

| 2006夏 | 22:02 | comments(0) | -

『韓国からタイへ』

バンコク行きの搭乗が始まった。
今回は、大韓航空の好意でビジネスクラスだ。
流石はビジネスクラス、席が広くてゆったりしている。
たった5時間しか乗らないけど、快適な空の旅が出来そうだ。

インチョン空港を予定通り離陸して、ほどなくして巡行速度と巡行高度に達して、ドリンクサービスが始まった。
父はシャンパンを呑んで、そのあと赤ワインを呑んでいる。
僕は、オレンジジュースを頼んだ。
食事が始まるまで、タイ語の会話の本を読んで過ごす。
ビジネスクラスは、食事も豪華だった。
僕は、ピビンパとカルビがある韓国料理を頼んだ。
父は、シーフードを頼んでいた。
他には、ビーフ 和食から選べる様だ。
今回は手違いで、ミールオーダーが伝わっていなかった。
ピーナッツが使われていないか何度も確かめて、こわごわ食べる事になってしまった。
しかし、アレルギーが起きなかったので一安心。
食事を満喫して、少し眠ろうと思った。

少しのつもりだったが、気がついたら着陸体勢に入るので座席を戻して欲しいと、C.Aに起こされた。
気がついたら、4時間近く寝ていたらしい。
A/Dカードと税関申告書は、父が貰っていて記載も終っていた。
昔からそうだけど、僕は飛行機に乗ると爆睡してしまう。
寝過ぎたせいか、頭がぼんやりしている。
ぼんやりした頭で、窓からのバンコクの夜景を眺めていたら、空港に着陸した。

いよいよ本来の目的地であるタイに到着した。
タイの入国審査と税関は呆気無く終了。
何かを聞かれても、多分答えられないけどね。
空港からリムジンバスで、予約してあったホテルまで移動する。
本当はホテルなんて勿体無いから、ゲストハウス(安宿)で十分だけど、父が到着時間とタイが始めての僕の事を考えて、最初の1泊だけホテルを予約してくれた。
ホテルは1つ星クラスらしい。
建物は古いが、内部の客室は広くて綺麗だ。
フロントでチェックインをして、客室までポーターに案内された。
ポーターさんが、持つ荷物が無くて困惑顔だったよ。
一応ポーターさんに、1バーツを渡した。
部屋に入り一日の疲れを癒す為に、湯槽にお湯を張る。
母に無事到着の報告をする為に、パソコンが使える所を探そうと、ホテルの案内に目を通す。
ホテルの中には無いみたいだ、仕方が無いから明日ネットカフェからメールを送る事にしよう。
湯槽に浸かってさっぱりしたら、晩御飯を食べに出かけよう。

ホテルが空港の近くなので、近くで御飯を食べられそうなレストランを探すのが大変そうなので、ホテルの中のレストランで食事をする。
ホテルの中には、洋食、中華、タイ料理、日本食のレストランがそれぞれあり、僕と父はタイレストランにした。
僕はグリンカレーを、父はイエローカレーを、ソンタム(青パパイヤサラダ)ポッピアクン(海老の揚げ春巻き)を2人で頼んで、父は勿論ビール(ビアチャン)も頼んだ。
グリンカレーは辛さ控えめと聞いていたが、僕には十分過ぎるほど辛い。
父のイエローカレーを少し貰ったが、舌が痺れるくらいに辛くて、味が余り良くわからない。
ソンタムとポッピアクンは、僕好みで美味しかった。
遅い夕食を楽しんで部屋に戻り、ベットに横になりながら、明日は何処を観光しようか考えていたら睡魔に襲われて、気がついたら朝になっているんだよね。
僕は、いつもこんな感じ。
さて明日は、いよいよバンコクのダウンタウンに移動して、本格的な旅の始まりだ。

| 2006夏 | 21:56 | comments(0) | -

『始めての韓国』

僕は、ひょんなことから予定に無かった韓国に入国する事になった。
空港を出て、大韓航空のリムジンバスで市内観光に向かう。
5時間の市内観光の内、1時間が夕食で1時間が免税店だった・・・
夕食はプルコギとピビンパ、おなかが減って居たので、大変美味しく頂いた。
父は隣でビールと焼酎を呑んでいた。全く一日中呑み通しなんだよね。
市内観光が終り、ムクゲの花が4つのホテルにチェックインする事になった。
結構立派なホテルでびっくりした。本当にタダで泊れるのかな?
ホテルにチェックインして、母に電話して状況を伝えると、「Knight運が良い様だね。旅は運次第だからね。気を付けて楽しんで来てね。」と、言っていた。
お風呂に入ってベットに横になっていたら、寝ていなかったのが効いたのか、気が付いたら朝の6時だった。
今日は夕方の便でタイに行く。
午前中はする事が無いので、僕は大韓航空の無料のツアーに申し込んだ。
父は、ホテルでゆっくりしたいと言って居たので(本当は呑んだくれるつもりなのだろう)別行動になった。
朝食は、ホテルのバイキングで軽く食べた(結構な種類が有ったがこれも無料)
昨日とは違うコースで、市内観光に出発。
これまた昼食に1時間もちろん免税店も1時間、正味の観光は2時間程度。
これでは観光とは言えない、名ばかりの市内観光の様な気がする。
市内観光が終ってホテルに戻り、少し休憩してシャワーを浴びて、インチョン国際空港にリムジンバスで向かう。
空港で飛行機のチェックインを済ませて、1泊した韓国を出国する。
韓国の出国を済ませて、待ち合い室で父はまた小銭を消費してビールを呑んでいる。
今回はビジネスクラスのラウンジで、サンドウィッチと韓国風海苔巻きを食べた。
間もなく、タイ便への搭乗が始まる。

| 2006夏 | 13:41 | comments(0) | -

『とうとう出発』

2006年夏、中学生になって初めての夏休みが始まった。
3日後には日本脱出だ。
そろそろ出発の荷物を、準備しようと思った。

バックパックが無いと始まらないので、買って貰おうと思い父にお願いした。
父は、バックパックなんて今は要らないと言った。
しかし、バックパックが無いと、荷物を持って行けないよ・・・
この事は後に解決しますが・・・
父が、「取り敢えずは、デイバックに2・3日分の着替えと、洗面用具が有れば十分事は足りる。」と、言ったが・・・
何を考えているのやら・・・
しかし、父に養われている僕が反論出来る訳も無く・・・
取り敢えずは、旅慣れた父の言う通りにしておこうと思った。
準備に30分もかからなかった。
靴は履き慣れたスニーカーとトレッキングブーツを用意した。
出発日前日は、中々眠れなかった。

これまで前置きが長かったが、とうとう人生初めての冒険旅行が始まる。
計画したのは僕で、僕の為の旅行、父は危険な事が無い限り口を出さない事になっていた。
ここからは現在進行形で表現しようと思う。

やっぱり、何かする前日ってワクワクして眠れないんだよね。
昨日の3時過ぎまで眠る事に挑戦してみたが、無理な様なので諦めてしまった。
まあ飛行機で寝れば良いしね。
朝は、いつも通り6時に目が覚めた。
近くの神社まで自転車で行って、旅の安全祈願をして来た。

昼頃、僕と父はJRで空港まで向かう。
母も一緒に、僕の見送りに来てくれた。
母が「しっかり見聞を広げて来なさい。1週間に1度はメールで近況を教えてね。」と、言いキス&ハグを求めて来たよ・・・ちょっと恥ずかしかったけど、しょうがないね。

空港の国際線ターミナルに向かう。
大韓航空のチェックインカウンターで、僕と父のチェックイン手続きをする。
僕は、2名分のパスポートと航空券を出して「2名のチェックインをお願いします。」と、言うと
グランドホステスが「かしこまりました。予約の確認を致しますので、少しお待ち下さい。」と、言う。
端末操作をして、「2名様の予約を確認させて頂きました。」「ミールオーダーを頂いていますので、確認をさせて頂きます。」「Knight様はピーナッツアレルギーの為ウィズアウトオーダーが出ていますが、間違い無いですね?他に気を付け無ければならないアレルギーはございますか?」
僕は、ミールオーダーを忘れていたのに、父がやってくれていた様だ。助かった。
好き嫌いは無いけれど、ピーナッツだけはダメなの。
小学校の時は気が付かなくて、アナフィラキシーショックが出た。
それ以来ピーナッツだけは食べない様にしている。一応エピペンも持っている。
僕、「ピーナッツ以外には、今の所アレルギー反応が出た事は無いです。」
G.H、「DOKMAI様は、半量オーダーが出ていますが、何か気を付ける事はございますか?」
父、「特に無いですよ。酒が呑めなくなるから、量を少なくしただけです。」
おいおい、とーちゃん・・・半量オーダー出さなくても残せば?
G.H、「確認させて頂きます。Knight様がピーナッツ抜きオーダー。DOKMAI様が半量オーダーです。」
「続きまして、座席の確定をさせて頂きます。ご希望の席はございますか?」
父、「46ABは、空いていますか?」
G.H、「空いております。但し弊社の規定により13歳以上のお客様で、日本語、英語、韓国語の日常会話が出来る方に、限らせて頂いて居ります。」
父、英語、韓国語、日本語の順番で「私は、英語、韓国語の日常会話には困らない程度に話せます。日本語は少し怪しいですが・・・」と、冗談を交えて話していた。
僕は、英語のみ聞き取れたので、僕は拙い英語で「私も、英語は日常会話に困らない程度に話せます。日本語は父より困らない程度です。」と、冗談を交えてみた。
それが功を奏したのか、難無くG.Hチェックをパスした様だ。
G.H、「お二方の会話能力を確認させて頂きました。」「続けて利用される予定のインチョンーバンコク便のチェックインも同様の座席でさせて頂きます。」
父と僕、「カムサハムニダ」無事にチェックインが完了した。

次は、出国手続だ。これも初体験。
特に何も無かった・・・ 呆気無いくらいに出国のハンコを押しただけで終り。ツマンネ。
何か有っても困るけどね。
国際線待ち合い室で搭乗時間まで、暫し休憩しよう。
父は残った小銭で早速ビールを呑んでいる。ちょっと心配になったので「とーちゃん、搭乗拒否されるまでは呑まないでね。」と、釘を刺しておいた。
父は、「これからタダ酒呑めるのに、そんなに呑む訳無いだろう!」と、言ったがどうなる事か・・・
ほどなくして、搭乗が始まった。

僕が46A窓側の席で、父は46Bの通路側の席。機内荷物を棚に入れて貴重品は身に付けた。
父も僕もデイバック1つと言う軽装なので、預ける荷物が無いに等しかった。
大韓航空機は定刻通り、スポットを離れて滑走路に向かう。
C.Aが忙しそうに、シートベルトの確認をしている。
滑走路に入りいよいよ離陸だ。ジェットエンジンの音が大きくなったかと思うと、スムーズに離陸してほどなくして巡行速度と巡行高度に達し、ドリンクサービスの準備でC.Aが忙しそうにしている。
そして、ドリンクサービスが始まる。
僕はオレンジジュースを頼み、父は言うまでも無くビール。
映画でも観ようと思ったが、全ての映画が観た事があるものだったので、韓国ポップスを聞きながら、タイ語の練習をしていた。
しかし、韓国に向かっている機内でタイ語も変だね。
父が、「タイ語はタイに向かう時にすれば?折角韓国人C.Aが居るのだから、ナンパ韓国語教えようか?」と、バカな事を言い始めた。
僕は、「何を言っているの、かーちゃんに叱られるよ?かーちゃんに報告しても良いの?」
可哀想だから報告はしないけど・・・って、ここに書いたらバレバレだよね?
そんなバカ話をしていたら、ミールサービスが始まった。
特別オーダー食が、先に運ばれて来る事を僕は知らなかった。
父の半量オーダーの意味はこれも有ったのだろう。ようはつまみになるものが欲しかったらしい。
僕のオーダーには、ピーナッツの殻に大きく×が付いていた。
C.Aが、「Knight様、ぴーなっちゅアレルギー対応食ご希望のお客様ですか?」
「はい。私はピーナッツアレルギーなので、ピーナッツが入っていない食事をオーダーしました。」
続けて、「DOKMAI様、半量ご希望のお客様ですか?」
「イエ〜(はい)」「アガシィメクチュハンビョントチュセヨ?(ビールもう1本くれますか?)」
「メクチュヨォー」
食事は、韓国風海苔巻き、オープンサンド、果物、ゼリーだったと思う。
食事内容メモしていないし、機内で撮影して良いか聞くのが恥ずかしかった。

食事が終り下げに来た時に始めての韓国語を使ってみた「コピチュセヨ(珈琲をください。)」
「コピヨォ〜」韓国語って女性が話すと可愛く聞こえる。例えおばちゃんC.Aでもね。
なんだかんだ有りながら、韓国インチョン空港に無事着陸して、スポットに到着。
空港ターミナルに到着して、そのままバンコク便のチェックインカウンターに向かう。
チェックインカウンターが騒々しくなっている。なんだろう。
父が、韓国語で大韓航空係員と話している。韓国語なので、何がなんだか理解出来ない。
父が戻って来て状況を説明してくれた。
「んー なんか機材のやりくりが出来なくて、今日の便はキャンセルされたって。」
「今日の次の便には空きが有ったけど、バンコクに到着するのが深夜になるので、Knightを連れているので明日の便に振り替えてもらった。」
僕は心配になって「今日はどうするの?」と、聞いてみた。
「んー 今日? 今日は適当に空港で過ごすのも一興だよw」
「ええーー 嫌だよ。」
「冗談だよ。 大韓航空がホテルと食事とソウル観光を提供してくれるってさ。」
「それからラッキーな事にエコノミーが空いて無かったので、ビジネスクラスを提供してくれるってさ。」
さて、ひょんな事から予定に無い韓国入国になった。
A/Dカードと税関申告書を書いて、入国審査場と税関に向かう事になった。
入国係官ってなんか緊張する。悪い事は、何もしていないから堂々としていれば良いのにね。
何事も無く、記念すべき1個目の入国スタンプを押してもらい、税関もスルーして韓国入国を果たした。

| 2006夏 | 07:22 | comments(0) | -

『旅行計画2』

マレーシアの政府観光局のwebページも調べてみた。
http://www.tourismmalaysia.or.jp/

マレーシアでは、西海岸を通ってクアラルンプールを通ってジョホールバルに向かう。
その後をどうするか?
シンガポールまで行くべきか。
それとも、折り返すべきか。
計画段階で余裕があったら、シンガポールまで行く事にしよう。

マレー半島は、西海岸と東海岸では雨期と乾季がずれている。
これは、西海岸モンスーンと東海岸モンスーンの影響が異なるからだ。
それを考えて、行きは西海岸帰りは東海岸を通って行きたい。
調べると、マレーシア国鉄には通称ジャングルトレインという列車があるらしい。
これは乗らなきゃね。
さらにマレーシアとタイの国境を調べると、東海岸側に歩いて越えられる国境がある。
これで、旅の目的は果たせそうだ。

完成した計画

最初の1週間
日本ー韓国インチョン経由ータイバンコク
バンコクで数日観光してから、タイ南部ハジャイへ 
バンコクーハジャイ SP37 15.15ー07.10
ハジャイで数日過ごす。

2週間目
ハジャイからマレーシアへ
ハジャイーバタワースークアラルンプール
KTM EXP7 15.50 BW20.55 KL06.45
クアラルンプールで数日過ごす。
クアラルンプールーワカバル 通称ジャングルトレイン
XW16 20.30−10.04
ワカバルからコタバルへ
コタバルで数日過ごす。

最後の3週間目
コタバルから国境へバスで移動 国境の橋を歩いて渡る
タイ国境の街からサムイ島近くの街までバスで移動
サムイ島で数日間過ごす。
サムイ島からバンコクへバスで移動
バンコクで出発日まで過ごす。
バンコクー韓国インチョン経由ー日本

| 2006夏 | 07:20 | comments(0) | -

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