東日本大震災では、ツイッターなどのソーシャルメディアが安否確認や被災者支援に力を発揮した一方で、デマ情報の拡散も指摘された。ネットの動向に詳しいブロガーで、「災害とソーシャルメディア」(毎日コミュニケーションズ)をこのほど出版した小林啓倫さん(38)に、震災発生からこれまでのソーシャルメディアについて聞いた。【聞き手・小島昇】
--3月11日の地震発生時には日本におられなかったそうだが。
◆バリ島にいて、日本にいる親類からツイッターのリプライ(相手を指定したツイート)が飛んできて大地震発生を知った。慌ててホテルに戻ると、NHKの国際放送が震災を中継していて、これはすごいことになったと。ただ、たまたま国外にいたことで、日本に帰るまでの数日間、冷静にネットの情報を見ることができたのは得難い経験だった。
--日本にいたら巻き込まれていた。
◆会社(のビル)に閉じ込められたり、帰宅難民になったりして、わらをもすがる思いでツイートしまくっただろう。当時はある意味で(日本中が)ハイテンションだった。普段なら絶対にしないような他人の情報までリツイート(回覧)していた。居場所がわからない肉親や知人を探す安否情報がその最たるものだ。安否がわかってよかった場合が大多数だろうが、一歩間違えばストーカー被害につながるような危険性もあった。「死にそうだから助けて」とツイートして、警察や消防が出て大騒ぎになった例もある。本当に浮足立っていたんだと思う。
--昨年12月に出された新書「リアルタイムウェブ」(毎日コミュニケーションズ)では、「ラーメンなう」(今ラーメン食べてます)とつぶやかれるようになったウェブ空間の質的変化を指摘した。今回の新著「震災とソーシャルメディア」のサブタイトルは「~混乱、そして再生へと導く人々の『つながり』~」で、ソーシャルメディアを論じた2作目となる。震災前と震災後で大きな違いは何か。
◆「リアルタイムウェブ」のエピローグ(後書き)では、2010年にアイスランドの火山噴火で欧州の空港が閉鎖され、旅行中のスペインで1週間足止めされた個人的体験を紹介した。同様にマドリードで足止めされた日本人とツイッターを通じてたった数時間で知り合い、情報交換することができた。火山爆発という予想外のトラブルに見舞われたおかげで、「ソーシャルメディアってすごい、こんなことができるんだ」と気づかされた。
今年に入って、チュニジアやエジプトで政権が倒れ、ツイッターやフェイスブックが駆使されてソーシャル革命と言われた。その後、日本で東日本大震災が起こり、革命でも震災でも社会が混乱して危機的状況に陥った時に、ソーシャルメディアがどのように使われ、人々にどんな行動を促すかについて考察した。集団行動にソーシャルメディアがどう影響するかだが、このうちいろいろ掘って出てきたのはデマの問題だった。
--千葉県市原市のコスモ石油千葉製油所で発生した火災をもとに、有害物質が降るという誤った情報が広まったのはその典型例だろう。ソーシャルメディアの伝播(でんぱ)力を見せつけたが、当事者のコスモ石油がデマを否定して、ツイッターでも素早く広まって、翌12日には収束している。
◆不安な状況だと人間はデマを信じてしまうもので、それこそローマ帝国時代の大火(西暦64年)からある。災害時にデマが発生するのは人類の歴史と同じで、ネット時代に初めて登場したわけではない。コスモ石油の件も、デマの拡散は速かったが、それを疑い、否定されるスピードも速く、ソーシャルメディアには自浄能力があるというソーシャル擁護の議論がある。
しかし、改めて調べてみると、そう簡単な話でもなく、デマにもすぐに打ち消されるデマと、ずっと残っていくデマがある。政治的なものに絡んだり、自分の主観や思想に深く関わるものはすぐに打ち消せない。コスモ石油の例では、火災発生と有害物質が降るという話に政治性や思想性はなく、確かに否定の公式見解が出て治まった。ところがその後、「あれはデマではなかった」「デマとして火消ししたのは政府の陰謀だ」という新たな展開がある。折からの政治に対する不信や、放射性物質の飛散に対する恐れが背景にあるからだろう。心理学者が指摘しているが、人間は自分が見たいもの、いいと思う情報、自分の見方を肯定する情報ばかり集めてしまう傾向がある。
--今回の震災について、ソニーのストリンガー会長兼社長が「震災史上、最も記録されたものになる」とコメントしたことを著書で紹介された。ソーシャルメディアの発達で、あたかもマスメディアの特派員があちこちに配置されている状態になり、テキストによるツイートのほか、写真、動画と記録し、すぐに送信して共有された。動画投稿サイトのユーチューブが広まってまだ5年しかたっていないが、震災や津波の多くの映像が世界で共有された。
◆これは本当に特筆すべきことだと思う。これだけ大きな災害が、これだけの規模で記録されたことは歴史に残ることだ。海外の知り合いが、ユーチューブにアップされた災害映像を見て「私は日本語がわからないが、映像に鳥肌が立った」と連絡してきた。「怖い」とか「逃げろー」という言葉が録音され、いろんなものが目の前で押し流されていく津波の映像は、撮影者が恐怖を感じながら撮影した主観的な映像だ。報道のために撮影されたマスコミの客観映像にはない「恐ろしい」という撮影者の感覚が世界に伝わったのだと思う。
--そうした街中の特派員が伝える情報は、特に災害の初動に大事なことを伝えており、やっかいごとを市民が持ち込むと避けず、前向きにとらえて活用すべきだと提言されている。
◆これまでは、被災地の情報を当局がいかに集めるかが課題だった。これからは、市民の側が情報を上げられるという前提に立って、ボトムアップで上がってきた情報をどのように集め、どのように関係機関に流していくか、その際、どのようにソーシャルメディアを使うかが重要になる。災害発生時のコミュニケーションの考え方が変わってきていることを、米国の研究者が真剣に検討している。
--震災とソーシャルメディアについての考察を踏まえて、ソーシャルメディアの今後の発展には何がカギになるか。
◆ソーシャルメディアは受信するだけでなく、発信することが容易なメディアだ。今までメディアについて私たちは、受動的に受け取るもので自分でコントロールすべきものではなかった。メディアリテラシーとよく言われたが、まさにマスメディアが報じることを読み解き、だまされないようにしようという議論で、要は気をつけてさえいればよかった。
しかし、ソーシャルメディアの時代は自分も発信者だ。受信者として紛らわしい情報に気をつけ、うのみにしないだけでなく、自分が発信者になった時にデマ情報を流さないとか、発信する時はあいまいな部分は直すといった、発信者としての責任や使い方が大切になる。他人のツイートを引用して発信するリツイートも発信であって同じだ。ただ右から左に流しているわけではない。受発信の双方に責任があると言える。参加する人の意識次第で、ソーシャルメディアは良くもなれば悪くもなるのだと思う。
2011年8月24日