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韓国・日本のサッカー戦争史・・・「唾を吐いてクギで刺して・・・」[JES]
入力:'10年10月11日10時13分/修正:'10年10月11日11時3分
韓国 joins.com 中央日報 Joinsスポーツ チェ・ウォンチャン記者
http://news.joins.com/article/202/4513202.html?ctg=14※日本語機械訳意訳
写真
tp://isplus.joins.com/component/htmlphoto_mmdata/2010/10/11/htm_201010111012090107000001070100-001.jpg
写真(クッションページ経由)
http://c.uta.la/?http://isplus.joins.com/component/htmlphoto_mmdata/2010/10/11/htm_201010111012090107000001070100-001.jpg韓国・日本戦は戦争だった。
必ず勝たなければならない競技だったので、時には過度な情熱が噴出したりもしたし、数多くのエピソードを作り出した。
釜本邦茂は'68年メキシコオリンピックで得点王になり、銅メダルを導いた日本サッカー界の英雄だ。
しかし、キム・ホの前では水に落ちたハツカネズミであった。
釜本は、キム・ホが立ちはだかる韓国を相手に、たった一つのゴールも入れることができなかった。
釜本は『キム・ホ! キム・ホ! キム・ホ! その名前をどうして忘れる事が出来るか。
日本をとても困らせた。彼は友人ではなかった(笑い)』と回顧したことがある。
キム・ホは日本のサイドウイング、杉山を捉えるため、夜中に肉が擦りむけるまでタックルの訓練をした。
1970年代、ゴールキーパーで活躍したイ・セヨンは、
空中でボールを奪い合う時は、ボールではなく日本の攻撃選手の顔に拳を打ち込んだ。
MFとしてプレイしていたイ・チャマンは、競技場にクギを持ち込み、
体当たりした日本選手たちに対し、釘の先端を素早く刺すような反則に使うこともした。
主審にばれそうだったので、素早くクギを捨てて完全犯罪に終わったという後日談だ。
MFとしてプレイしていたイ・ヨンジン(現・大邱FC監督)は、自身がマークする日本選手の顔に唾を吐くこともした。
「前半が終る時まで、無条件に日本選手の顔に唾を吐きかけろ」という先輩たちからの強い圧力のためだった。
1998年、フランスワールドカップアジア最終予選当時、日本のストライカー、三浦知良に対し、
専門担当守備選手のチェ・ヨンイルが唾を吐きかける場面がTV画面に捉えられることもあった。
もし日本に敗れでもした日には、逆賊扱いされなければならなかった。
チャ・ヤンズン技術局長は『一度、日本遠征に出た時であった。
日本の事業家から、選手たち全員に大型カセットを贈り物にもらったが、日本に敗れてしまった。
世論が良くないと金浦(キンポ)空港の税関員に押収された』と回顧した。
1993年10月、カタールで開かれた'94年アメリカワールドカップ最終予選で、
日本に0-1で敗れると、すぐにホン・ミョンボ(洪明甫/現・オリンピック監督)は
『これから私が出る韓日戦で、日本に負けるようなことがあればサッカーシューズを脱ぐ』と宣言した。
幸い以後ホン・ミョンボは選手期間中に韓国・日本戦で一度も敗れなかった。
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