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日蓮正宗日記

日蓮大聖人にいつでもお会いできることへの感謝を


遅ればせながら、御誕生会のこと。

日蓮大聖人は、末法に入って171年目に当たる貞応元年(1222年)2月16日に貫名次郎重忠を父とし、梅菊女を母として安房国長狭郡東条小湊(現在の千葉県)御生誕あそばされ、幼名を善日麿とお名乗りになりました。

御書に「日蓮は日本国東夷東条安房国、海辺の旃陀羅が子なり(佐渡御勘気抄)」と、また「民の家より出でて頭をそり袈裟をきたり(妙法比丘尼御返事」と拝せるとおり、当時の社会では最下層の身分の漁師の子としてお生まれあそばされました。
これは、宇宙法界において最も尊い御本仏であられながら、末法の一切衆生を救うために顕されたお姿にほかなりません。

御書にたびたび名前が出る四条金吾さんをはじめ、大勢の人が大聖人を信奉していきました。
数々の法難にお遭いあそばされながら、日蓮大聖人は、ついに本懐中の本懐である大御本尊を御図顕あそばされるのです。

私が思ったのは、「生身(しょうじん)の大聖人に会い、ことばを交わしブッポウについて直接ご指南を受けることが出来た人たちは、なんとうらやましいことだろう」ということです。

背が高くて恐い感じのお坊様であると伝えられる大聖人のお姿ですが、”しか”鹿残っていないのではなんとも物足りません。

しかし、考えてみれば、大聖人は仏様であることを公言なさっておらず、すべての弟子檀那方は、あくまでも偉い御僧侶として拝していたわけです。
ただお一人日興上人だけが、日蓮大聖人こそ久遠元初に御悟りを開かれた御本仏であることをご存知でした。

そうなると、もし大聖人が今この世に人間としていらっしゃって、直接そのお姿を拝したとき、私は果たして仏様だと信じることが出来るだろうか、と考えてしまいました。
つまり、大聖人の(人間としての)お姿が目に見えないからこそ、信を保っていられるような気もするわけです。

そして、何よりも忘れてならないのは、戒壇におわします大御本尊様こそが大聖人なのです。
これは比喩的な概念ではなく、まさしく大御本尊様が大聖人です。

凡夫すなわち人間の姿は、あくまでも仮のお姿でした。
そのお姿を、とりわけ今の時代に、大聖人であると考えるのはおかしいのです。

そう思いなおしてみると、自宅の御本尊様が、とりわけ神々しく有難く思えました。
そして、それは大御本尊様すなわち日蓮大聖人に直結しているのです。

いつにも増して、勤行唱題にこころがこもり、また身が引き締まり感謝の気持ちが強まる思いがします。


2011年2月24日


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