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挙げられた石田氏の文ですが、氏はこのように念を押しています。
【客観宇宙法界】などは御書にも一切経にも説かれてなどおりません。
妙法が【(客観上)】宇宙に無ければ成り立たない熟語です。
これは私が、一昨日言ったことと同じです。
「「大聖人の悟りを差し置いて客観的に宇宙根源の法たるものが存在する」という「宇宙法界論」は間違っていると言っているのです。」
創価の連中は、妙法とは「宇宙根源の法である」「宇宙の法則である」と言いますが、これは明らかに間違いでです。妙法が宇宙根源の法、法則であるならば、まず、御本尊は必要が無いですよね。科学者、天文学者が妙法という法則を見つければよいわけです。・・で、見つかるまで誰も成仏が出来ないということになりますね。
私は自分のブログに昨日あなたの意見に関し、面白い話題と思って、次のように書きました。
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先日『降魔の剣』で樋田氏が「宇宙法界」という言葉を動画「法華初心成仏抄009」で使用しているのに少々クレームを付けた法華講員?と思われる人が登場した。
曰く、
これは石田次男さんのサイトです。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~enyoukai/1-10%20utyu%203%20.html
石田氏がここで言わんとしていることは、学会では『(大聖人を差し置いて)「宇宙法界に妙法が客観的に存在する宇宙根源の法」という思想は間違っている。」』と言っておられるのである。これは正しい意見である。
妙法が宇宙法界に存在するというのはあくまでも「理」ということである。ようするに理論上はそうであるということだ。理事は相対しているのであるから、「理」を以て「本」とし、学会の言うようにこれを肯定すれば、大聖人は必要がなくなるのである。御本尊は必要がなくなるのだ。・・科学的、天文学的に立証できる妙法という結論になってしまうのだ。
しかしこの理を我々凡夫が、悟ることは絶対にできない。久遠元初の仏のみの能力ということを肝に銘じなければならない。これを混合すると、学会員の沖浦氏のように、「自分は本、本尊迹」という大増上慢と堕ち、正しい信仰を見失ってゆくこととなる。
大聖人曰く、
「釈迦如来 五百塵点劫の 当初 ( そのかみ ) 、凡夫にて 御坐 ( おわ ) せし時、我が身は 地水火 風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき」( 総勘文抄 新編1419)
「即座に悟りを開き」とあるように、これを悟られた方は大聖人以外にはどなたもおられないのだ。
その一身の悟りを御出生の本懐とし顕されたものが「本門戒壇の大御本尊」ということである。
http://blog.livedoor.jp/sokadakkai/archives/52579008.html
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従いまして、御本尊を中心におき宇宙法界と表現しても何も問題はないと思いますよ。検索エンジンで「宇宙法界 日蓮正宗」で検索してください。御宗門でもこの言葉を使用しております。
最後になりますが、石田次男氏は創価の要職に在り、創価を離れ、日蓮正宗からも遠ざかった人物です。一生不成仏のお方であります。教学には優れておられましたが、氏の言葉を金科玉条のようにすることはお勧めできません。・・あくまでも参考程度とした方がよいと思われます。
では、
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