岩手県釜石市のご当地グルメの灯を消すまいと、東日本大震災で津波の被害を受けた「釜石ラーメン」発祥の店「新華園本店」が再開の準備を進めている。特徴は極細麺。短時間でゆで上がり、製鉄の街・釜石でせわしく働く男たちの空腹を60年にわたって満たしてきた。店を創業した釜石ラーメン生みの母、西条富貴(ふみ)さん(85)は長男優度(まさのぶ)さん(62)と10月の再出発を目指している。
釜石ラーメンは、極細の縮れ麺に、琥珀(こはく)色の澄んだしょうゆ味のスープで知られる。
富貴さんが夫の暢士(のぶひと)さんと釜石市に新華園を開いたのは1951年。当初は太い麺だったが、富貴さんの好みで極細に切り替えた。
ラーメンも店も、製鉄会社の高炉が立ち並び、戦後日本の鉄産業を支えた街と歩んできた。極細麺はすぐにゆで上がり、来店する大勢の工員を待たせずに提供できた。富貴さんは「製鉄所の人たちにはかわいがってもらってね」と懐かしむ。
暢士さんが16年前、病気で亡くなり、店は優度さんが継いだ。次男公滋(こうじ)さん(59)も市内にのれん分けし、同じ特徴のラーメンを出す店が市内に増えると、ご当地グルメとして知名度が高まった。
製鉄所の縮小に伴い、一時は9万人に達した市の人口も今は4万人足らず。市内のラーメン店約40店はラーメンを町おこしにつなげようと、3月10日、「のれん会」を発足させ、優度さんが会長に就いた。
津波が襲ったのは翌日だった。富貴さん、優度さんら家族は無事だったが、3階建ての店は2階付近まで浸水した。1階の厨房(ちゅうぼう)は流され、大型冷蔵冷凍庫や内装が壊された。
のれん会の他店も、店主が亡くなったり全壊するなどの被害を受けた。8月に入っても、再開にこぎつけられた店は約半数にとどまる。優度さんは「会長としての責任もある。ここで逃げるわけにはいかない」。がれきを撤去し、自ら改築工事に取りかかった。
内装工事が終われば、再開も間近だ。富貴さんは「津波には絶対に屈しない。七転び八起きが大事。メソメソしたってしょうがないでしょ」と力を込めて話した。【池田知広】
毎日新聞 2011年8月29日 東京夕刊