2006年12月03日

'06 12/3 TBS「報道特集」失踪した日本人特殊技術者

*2006年12月3日放送に放送された「報道特集」の一部を文字化しました。よろしかったらご覧になってください。聞き取りに間違いのある可能性もございます。どうぞご了承ください。写真はテレビから撮影しましたので不鮮明です。

 「それはすごい技術ですよ、本当にね」金属加工のスペシャリストが船を残して日本海に消えた。「北朝鮮に拉致されたのは間違いないなと・・」周辺で多発する失踪・拉致、そして工作員の影。消えた技術者と北朝鮮、その関係は―。

【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて)
 「こんばんは、報道特集です。まず最初は北朝鮮です。六ヵ国協議、再開のめどがなかなか立ちませんが、日本の捜査当局はこのところ朝鮮総連の施設などを相次いで家宅捜索しています。で、この中にはミサイル開発との関連を指摘されている団体の関係者の自宅なども含まれています。こうした中、ミサイルの技術なども含めまして多方面に転用出来る技術を持ったエンジニアの失踪事件が今改めて注目されています。18年前の失踪、これは果たして拉致だったのでしょうか?」

北の拉致か 技術者失踪

【VTR】
 「帰れ!オラっ!帰れっ!」「帰れー!!」(映像:朝鮮総連東京都本部 2006年11月27日)

【ナレーター】
 6日前、朝鮮総連の施設に対して行われた家宅捜索。容疑は薬事法違反ですが、警察当局は北朝鮮への“物”“金”“人”“技術”すべての流れに対し監視を強めています。こうした中、北朝鮮に拉致されたのではないか?と注目されている失踪者がいます。鳥取県米子市にいたその男性は非常に高度な技術を持っていました。

 特定失踪者・矢倉富康(やくら とみやす)さん。米子市内にあった工作機械のメーカーで金属加工のスペシャリストだった人物です。1984年に会社が倒産し、その後は地元で漁師をしていましたが、1988年、36歳の時に漁に出たまま姿を消してしまいました。

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*特定失踪者 矢倉富康さん 昭和63(1988)年8月2日失踪
調査会リストより

http://www.listserver.sakura.ne.jp/cgi-bin/list/list3.cgi?word3=138&mode=search3

【矢倉さんの元同僚・井田敏次さん】
 「それはすごい技術ですよ、本当にね。大したもんです、あの人は。」

【ナレーター】
 こう話すのはかつての同僚・井田敏次さんです。矢倉富康さんが作っていたのは工作機械。「部品の元となる金型をも作れる精密機械だった」と言います。

 これがその機械“マシニングセンター”です。縦あるいは横に付いた刃物で金属を削り取り、3次元で思いのままに加工することが出来ます。「会社でも指折りの技術者だった」という矢倉富康さん。“マシニングセンター”を作って取引先に納入し、自らそれを動かして技術指導をしていました。

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【矢倉さんの元同僚・井田敏次さん】
 「ええ、精密ですね。そりゃあもう100分の何ぼ(ミリ)という精度ですからね。精度を出すのがやはり難しいんですよ。機械加工だけでは(精度が)出ないんです、そこまでの。手作業で最終的に調整するんです。鉄を削ったりなんかしてね・・。」

【ナレーター】
 「おとなしい性格だった」という矢倉富康さん。(1988年8月失踪)技術者の生活は多忙でした。「ほとんど出張です。1ヶ月で家に10日くらいしかいなかった状態です。」こう話すのは、矢倉富康さんの父親・三夫さん(85)です。

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【矢倉富康さんの父・三夫さん】
 「輸出して売ったんじゃないかと思います、機械を。そういえばね、1回チェコスロバキアですか、それからオーストリア、息子が言うには行った事があります。」

【ナレーター】
 チェコスロバキアは当時の社会主義国。冷戦時代を通して輸出規制が敷かれていたといいます。またオーストリアの首都ウィーンは北朝鮮が活発な動きをみせていたことで知られています。しかし会社は1984年に倒産。矢倉富康さんは友人に誘われて当時実入りがよかった漁師になりました。そして結婚も間近だった1988年、漁に出たまま失踪してしまいます。

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【特定失踪者問題調査会・妹原仁理事】
 「ここの辺りに係留されていたんでしょうね。」

【取材者・吉田さん】
 「この辺り?ちょうどこの辺り?」

【特定失踪者問題調査会・妹原仁理事】
 「ええ」

【ナレーター】
 特定失踪者問題調査会の妹原仁理事。先月、拉致認定された松本京子さんの事件を始め鳥取県の失踪について調べ続けています。

【特定失踪者問題調査会・妹原仁理事】
 「1988年の8月2日に(午後)6時ぐらいだったと思いますけど(矢倉富康さんは)ここを出港したんですよね。」

【ナレーター】
 風もなく波も穏やかな夜。夕方から漁に出た矢倉富康さんは単独で操業。翌朝港に戻る予定でしたが帰っては来ませんでした。仲間の捜索でも見つからず、遺体もあがりません。

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 1週間後、船は竹島近くで見つかりました。航跡の記録によると船は漁をしていた場所から浜田沖へ。そして最終的には竹島の近くまで行っていました。さらに―。

【特定失踪者問題調査会・妹原仁理事】
 「衝突なんでしょうねぇ、車でも衝突をすると相手の塗料がつきますよね。それと同じように矢倉さんの船も(相手の船が)左舷にぶつかってきて、その相手の塗料がついたと。」

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【ナレーター】
 船の左舷にできた大きな傷。先端部分などに青い塗料が付着していました。いずれも他の船と衝突した際につけられたものだと考えられます。(映像:矢倉さんの船「一世丸」)

【矢倉富康さんの父・三夫さん】
 「私はもう1週間に1回くらい(海上)保安庁に行って『何か手がかりはありませんか?』と聞きに行ったんです。『塗料の問題があるのでどうでしょうかな?』と聞くと『まだ塗料は分析中』だと・・。」

【ナレーター】
 私たちの取材に対し、境海上保安部は「全国に手配をかけ、付近を航行していた青色の日本船数隻から塗料を採取して調べた」とした上でこう言います。

【境海上保安部】
 「一世丸(矢倉さんの船)から採取した塗膜片と、付近を航行していた船舶から採取した塗膜片とは相違することが分かりました。なお塗膜のもととなる塗料の製造国・製造者を特定するには至っていません。」

【ナレーター】
 2001年12月、銃撃を受けて沈没した北朝鮮の工作船。船は9ヶ月後に引き上げられました。

【特定失踪者問題調査会・妹原仁理事】
 「北朝鮮の工作船が最近何度かテレビに映るようになって、具体的に北朝鮮の工作船というのは青と白がほとんどです。」

【ナレーター】
 境海上保安部は「この工作船の塗料も調べましたが、矢倉さんの船に残された塗料とは別の物」だとしています。しかし「外国の船が事件に関わり、領海外に逃げた可能性については排除できない」としています。そして米子では北朝鮮工作員の活動をうかがわせる痕跡がありました。

【特定失踪者問題調査会・妹原仁理事】
 「ハングルで書かれた本が置いてあった・・。」

北の拉致か 失踪多発地帯

【ナレーター】
 船を残して日本海に消えた元技術者・矢倉富康さん。その故郷・米子では北朝鮮工作員の活動をうかがわせる痕跡がありました。

【特定失踪者問題調査会・妹原仁理事】
 「波打ち際からちょっと陸側に入った方に穴が掘ってあった。50〜60センチくらいの深さ、そういう穴が一つあった。」

【ナレーター】
 1977年、当時砂浜だった海岸に掘られた穴。その横でハングルの本とビニールで厳重に包まれた物体が見つかりました。発見した女性は「近くにいた男性に声をかけましたがそのまま立ち去った」と言います。

 3年後の1980年、横浜市の工事現場からもビニールで包まれた同じ形の物体が発見されています。中に入っていた機器について警察は「社会主義国の工作員が使っていた受信機」だとみています。

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 妹原理事によると、1980年代には米子市内の海岸でアベックがほふく前進していた男たちに追いかけられる事件が発生。2003年には隣の島根県沖で「潜水艦を目撃した」との情報も寄せられたといいます。さらに―。

【取材者・吉田さん】
 「米子周辺もしくは米子に関係する失踪者というのは全体でどのくらいになるのでしょうか?」

【特定失踪者問題調査会・妹原仁理事】
 「そうですねぇ、具体的に話を聞いていない人とか含めれば10人を超すのではないかと思いますね。」

【ナレーター】
 米子を中心に多発する失踪。市内の観光地・皆生(かいけ)温泉では、仲居をしていた古都瑞子(ふるいちみずこ)さんが1977年11月14日に失踪しました。この日は横田めぐみさんが拉致された前日にあたります。古都さんについては「似た女性を見た」という脱北者からの目撃証言もあります。

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*特定失踪者 古都瑞子さん 昭和52(1977)年11月14日失踪
http://www.listserver.sakura.ne.jp/cgi-bin/list/list3.cgi?word3=92&mode=search3

 一方、米子から望むことができる名峰・大山(だいせん)でも―。

【特定失踪者問題調査会・岡田和典理事】
 「この駐車場にですね、車が放置されたまま車だけが発見され本人がいなかったんですね。」

【ナレーター】
 兵庫県の団体職員・広田公一さんは1984年7月、大山の登山口の駐車場に車を残したまま失踪しました。登山客が多数いたにもかかわらず目撃情報一つありません。

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*特定失踪者 広田公一さん 昭和59(1984)年7月21日失踪
http://www.listserver.sakura.ne.jp/cgi-bin/list/list3.cgi?word3=123&mode=search3

 特定失踪者問題調査会の岡田和典理事はこう言います。

【特定失踪者問題調査会・岡田和典理事】
 「車の中にですね、登山靴が放置されたままになっている。これはもうおかしいですよ。その登山靴が泥だとか砂などがついていなかったという話です。」

【ナレーター】
 広田さんは大山に来る途中の喫茶店で女性と一緒にいる姿が目撃されています。しかしこの女性が誰なのかは今も分かっていません。

 事は失踪に止まりません。何よりも米子は17人目の拉致被害者 松本京子さんが住んでいた街でもあります。

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*拉致被害者 松本京子さん 昭和52(1977)年10月21日拉致
http://www.listserver.sakura.ne.jp/cgi-bin/list/list3.cgi?word3=90&mode=search3

北の拉致か 技術者失踪

【ナレーター】
 17人目の拉致被害者 松本京子さん。彼女は失踪した元技術者・矢倉富康さんと3歳違いで同じ中学に通っていたことが分かりました。自宅は隣町にありました。また兄の松本孟(はじめ)さんは、矢倉富康さんがいた会社で一時働いた事もありました。

【松本京子さんの兄・孟さん】
 「あれだけね、向こう(北朝鮮)がミサイルだとかそういった物を作っているということは、やはり技術的な物を日本から調達してきたんだろうなと。技術だけではなくて人までも調達したのかなという気がしますよね。だから逆に言えば、(矢倉さんは)うちの妹よりは確率が高いんじゃないですかね、向こう(北朝鮮)に拉致されているっていうことが・・。」

【ナレーター】
 1998年のテポドンミサイル発射。この時、米子では「矢倉富康さんの持つ金属加工の技術が使われたのではないか?」と噂になりました。

【矢倉富康さんの父・三夫さん】
 「まず今の北朝鮮に拉致されたのは間違いないと。そういう特殊な技術というものがあるために、一般の社会と隔離された秘密の工場とかで、誰も近寄ることのできない所で働かされておるんじゃないかと思います。」

【ナレーター】
 特殊な技術を持った特定失踪者は各地にいます。1982年に失踪した河嶋功一さんはロボットアームの研究者。1988年に失踪した石坂孝(たかし)さんは厚生省の技官で薬学が専門でした。

*特定失踪者 河嶋功一さん 昭和57(1982)年3月22日失踪
http://www.listserver.sakura.ne.jp/cgi-bin/list/list3.cgi?word3=115&mode=search3

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*特定失踪者 石坂孝さん 昭和63(1988)年11月20日失踪
http://www.listserver.sakura.ne.jp/cgi-bin/list/list3.cgi?word3=140&mode=search3

 特定失踪者問題調査会の荒木和博代表はこう話します。

【特定失踪者問題調査会・荒木和博代表】
 「もともとですね、北朝鮮という国が出来る時に、インフラはすべて日本の当時に出来ていた物を使っている国なんですね。で、それ以降、自力で特別な技術を開発したとか、あるいは人を育てたとかいう事というのはほとんどその形跡が見られないと。ともかく基礎的な技術に極めて欠ける。それからそういう基礎的な事をやるという意識がまったくない国ですから、そうすると『足りなければ持ってくればいいじゃないか』という発想になってしまうわけですね。」

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【ナレーター】
 矢倉富康さんの父親・三夫さんは85歳の現在も働き続けています。息子が生きていると信じ、帰りを待ち続けています。

【矢倉富康さんの父・三夫さん】
 「息子に(家業を)継がせる考えでおりましたけれども、こういうような事態になったので、もういないからしょうがない、年とっても我慢して仕事しているような状態です。」

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【ナレーター】
 富康さんの写真を持って来てくれたのは母親の節子さん(79)です。息子の趣味はスキー。パネルにして大事に保管していました。

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【矢倉富康さんの母・節子さん】
 「(失踪して)長い事だから。もう涙もかれてしまって・・。」

【ナレーター】
 日本海に消えた元技術者・矢倉富康さん。不可解な失踪の謎は未だ解明されていません。

技術者の失踪 北朝鮮の関与は・・

【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて)
 「極めて精密で高度な金属加工の技術を持っていた矢倉さん。矢倉さんの当時の会社の関係者によりますと、取引が最も多かったのはアメリカの航空業界なんだそうです。で、矢倉さんはチェコやオーストリア以外にも韓国の造船会社などにも出張していたようです。まぁこうした業界は、いずれも軍事関係・ミサイル関係に転用が出来る技術を持っている業界ですね。特定失踪者問題調査会ではこうした点にも注目しています。

 特定失踪者の中には、矢倉さん以外にもお伝えしましたように高度な技術を持った人たちが数多くいます。印刷関係の技術を持った人たちも含まれています。荒木代表は『北朝鮮は自力で技術を開発できず、外から人も技術も持って来るような国』だと指摘していますが、確かにあの国ならそのような発想を容易にするだろうなと十分に考えられます。」

終わり

(ディレクター:吉田豊さん)
【2006年 TBSの最新記事】
posted by あおいのママ at 23:00| 千葉 曇り| 2006年 TBS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする