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発信箱:政権交代は幻影だった=伊藤智永

 「自民民主 貫く棒のごときもの」

 上句が「去年(こぞ)今年」なら、年が改まる感慨を詠んだ高浜虚子の有名な俳句だが、首相が交代するのにちっとも何かが改まる感じがしないので、もじってみた。

 毎年の首相交代も、政権をまたがってとうとう6代目。民主党がここまで自民党政権末期をなぞりだすと、もはや単なる偶然とは言えない。二つの政党は名前こそ違えど、実はひとつながりの連続したもの、とみなす方が実態に即している。

 自民党没落の原因は、世襲議員が議席をふさいで、裸一貫の次世代政治家たちに代替わりできなかったことにある。民主党代表選の顔ぶれは、今ごろ自民党議員でも不思議でない人たちがほとんどだ。

 民主党には綱領がない。つまり、目指す政治がない。国民生活第一とか脱官僚なんて何も言っていないに等しい。自民党から政界に出られなかった人たちの「第2自民党」なのである。2大政党制とか政権交代だけで政治が変わるというのは空言だった。

 今また「参議院や選挙や政党の制度を直せば良くなる」と言う学者は、「この銘柄なら今までの損も取り戻せますよ」と株を勧める証券マンとどこが違うのだろう。

 リーダーは、環境と機会を通じて経験を積まないと育たない。自民と民主はすでに失敗した。日本はこの先も荒涼たる人材払底の現実を生き抜かねばならない。

 いっそ首相は1年交代制にしてしまえ。不毛な争いで空転することもなくなるぞ。スイス大統領は輪番制だが、うまくやっているぞ。首相に権威がなくなる? 権威は天皇にお返しするのだ(これを「平成の大政奉還」と呼ぼう)。首相とは元々内閣を作る閣僚の首席にすぎない。形だけの「顔」や「リーダー」など要らない。実務に徹する愚直な仕事師でいい。

毎日新聞 2011年8月30日 0時03分

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