一応EBM(Evidence-Based Medicine)とかEBN(Evidence-Based Nursing)とかいう、根拠に基づいた医療を提供する身である。この場合の「根拠」とは、とりもなおさず「科学的根拠」である。ただそれには「現時点で最良最善の」という但書きがつく。
例えば褥瘡治療。わたしが最初に医療系の学校に足を踏み入れた約20年前は「とにかく乾かせ」なんて言われていて、オムツ交換のときに付き添い婦さんとかが患者のオシリにドライヤーをごんごんあてていたもんである。それが回り道して看護学校に再入学した約10年前には「肉芽形成のために湿潤環境を保ちましょう」なんてことになっていて。褥瘡の原因も「圧迫よりも摩擦とずれ」なんて言われるようになっていた。同じ根っこにあるところで、創傷ケアについても「完全な無菌操作、毎日消毒とガーゼ交換が感染予防と創部の回復によい」なんて言われてたのが、ほんのここ数年でこういう創傷ケアがスタンダードになりつつある。とにかく今この時点の「科学的根拠」の上に胡坐はかいていられない。ただでさえ後出しジャンケン後医は名医がまかり通るご時勢なわけで、たとえその時の最善を尽くしたとて、後から何を言われるかわかりゃしない。 そして医療に関して言えば相手は常に生身の人間、不確定要素高すぎ。いろんなデータから導き出された「科学的根拠」はもちろん大事だけど、たとえ「ありえねー!」みたいな一例報告でも、一度聞くようなことがあれば常に頭の片隅に「ありうる可能性」として置いておくもんである。 さて、首をつって、一度は心肺停止になって蘇生した場合、ずっと発見されたときの、ぶら下がっていたそのときの顔のままで止まってしまうらしい。これは別に根拠のある話ではないのだが、わたし達の病棟ではそう語り継がれている。そうかもしれない。今まで見てきた「首吊り」は5人、そのうち3人はすでに冷えるだけ冷え切った遺体として対面。そして二人は今、わたし達の病棟で「生きて」いる。ああみんなそういえば同じような顔になってるな、と思う。他に蘇生後脳症で入院している患者も多い。一度心拍が止まってもまた再開するぐらいだからみんな心臓にもともと力があって・・・というか実際に若い人ばかりで、だいたいが20代から40代である。原因は様々、溺水や地下作業中の窒息や原因不明の突然のCPAとかそんな感じ、でも彼らは「首吊り」の人のような顔にはなっていない。 「フランスの・・・なんていうところでしたっけ?奇跡の泉で有名なところがありましたよね」 と、ある日面会に来ていたその「首吊り」の蘇生後脳症患者の夫に聞かれた。彼女は40代の半ばで、夫もまたそれぐらいだろうか。休みの日の午後は必ず面会に来て、しばらくベッドの横に座って変わり果てた姿の、痛み刺激にも全く反応せず、ほとんど自発呼吸もなく、人工呼吸器頼りの換気を続けている妻の手を握って、日が暮れる頃に帰っていく。それを彼女が自殺を図ってからもう数年、ずっと続けている。 ああ、それってルルドのことじゃないですか?確かスペイン国境近くのキリスト教巡礼地で。と、わたしが彼女の高カロリー輸液のバッグを交換して、痰の吸引をしながらそう答えると 「息子が教えてくれたんですけど、1週間ほど休暇をもらって、そこに行って水を汲んでこようかなあ、って思ってるんです」 その水を汲んできて、彼がどう使いたいのかは聞けなかった。いや、わかっている。彼とてわたし達と同じぐらいには「科学的根拠」を必要とする仕事をしている人間なのだから。自分の妻がどういう状態で、予後がどうかなんてことはとっくに知っている。もちろんその水が単なる湧き水だってことぐらい。 ねえ「科学的根拠」とやらがそんなにスバラシくって、その根拠に基づかない話を信じている人を「批判する」行為が正当なものであると思っているのなら 妻の手をとって撫でながら、そして今でも時々ひっそりと泣いていることもある彼に 言ってやってよ。 階段の手すりにぶら下がっていた母親を最初に発見した、当時まだ小学生だったという息子にも 言ってやってよ。 そんな「科学的根拠」もない、ただの水に奇跡が起こせるわけなんてないだろ、って。 罵倒とか中傷みたいな下品なことはしない人達は「科学的根拠」に基づいて「論理的」に「冷静」に説得できるんでしょ? 終始一貫した、毅然とした態度がそんなに立派なものならば、これぐらい平気で言えるでしょ? そんな迷信まで信じるようになるなんて、貧すれば鈍す、ですかぁ?なんて言葉も、差別表現じゃないし、あくまで個人に対して言うのであって、そのカテゴリー全体を罵倒するわけじゃないのなら、大丈夫なんでしょ? これを「共感派」と呼ぶのならそれも結構。でもわたしの仕事から「共感」を取ってしまえば何が残る?確かに「共感はしても同調はしない」という器用なことをするトレーニングは受けてきたけどね。 ええ、こういうときだけは「医療従事者」という属性に逃げ込ませていただきますとも。 ただ、わたしは毎日毎日命むき出しでやりとりする場所で生きてますから。常に見ているのは何にも持たない、裸の、そこにいるただの人間だけ。 その裸のあなたや、あなたや、あなたを、もう見ているのはイヤだと思う。黙っていればよかったことかもしれないけれど。
Tracked from アルゴン探検隊の極西紀行 at 2008-09-04 00:08
タイトル : 9月22日。11日目。奇跡のルルド。
いま、9月27日午後3時前、オロロン・サント・マリー(Orolon Ste Marie)という街にいます。オルレアンを出た後、インターネット接続はおろか、せっかくフランス、スペイン全土を網羅しているというので電話会社を変更してまで持ってきた携帯電話も圏外になったままでした。こんな街にはあるはずもないだろうと探すことさえ諦めていたインターネット・カフェが、見つかりました。でも営業時間は14時から18時まで、なぜかきのう(水曜日)は休みでした。実はある事情でこの街にあと1週間ほど滞在することになりました。......more
Tracked from アルファブロガー・アワー.. at 2009-01-30 10:14
いつも拝見してます。重症心身障害児対象の仕事をしています。よろしく。で、泉の水なんですが わざわざ行くことに意義または効能があるんだとは思います(日頃の信仰も神様からチェックされそうなw)。が、実は国内でも手に入ります。私は鎌倉の某カトリック教会の売店で、目薬程度からポリ容器まで各種の大きさのものが売られているのを見ました。わらにもすがりたい人への安心価格っぽかったような。信じる者は救われるんでしょうか?むしろ「平等に救われない」ことに神の公平さがあると思ってしまう私ですが、さすがに自分がガン宣告を受けた直後にはあの水を買いに行くことも考えました(苦笑)。 Commented by 人生アウト at 2008-09-03 09:36 x 少々弁護を。 色々な方が「同調圧力」「批判を封じるな」といったことを言われているように、皆さん、自分の口を封じる者の姿を、相手の中に認めてきた。それが勘違いであったかどうかは問題ではなく、とにかくそう受け止めた。 口が封じられたと感じることは、多くの人にとって、追い詰められる経験です。呼吸困難に陥る。 追い詰められた人は、必ず手近なものに反撃します。窮鼠猫をかむような、必死の猛反撃。それは弱者の悲鳴です。 弱いのです、みんな。だから挑発的なことを書いたり、怒りを言葉にする。 それは、今の追い詰められた感を脱するための、藁をつかむようなことだから、無我夢中で言葉を繰り出す。論理は一つ、「私の口を塞ぐな」。 それ以外は感情の迸りだから、論理といえるものはないけれど、なぜか皆、喧嘩ではなく議論をやろうとする。喧嘩をやっているのに、議論のつもりになる。 飛び交う言葉に、何の意味もありません。追い詰められた人が発する「私の話を聞いてほしい」という信号だから。 その気持ちを汲むことができなかったのは、私の力不足からですが。 Commented at 2008-09-03 09:43 x ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。 Commented by valencienne at 2008-09-03 13:36 >あねさん さん あっ、どもよろしく。最初ルルドの話が出たときに考えたのが、あそこって車椅子やストレッチャーでも行けるようにしているし、優先的に案内してもらえるらしい、ってのは知っていたので、患者を連れて行くんだろうかと。その場合この人の自発呼吸のなさに対応できるモードのあるポータブルの人工呼吸器ってあったっけなあ、最小でどれぐらいのサイズになるかなあ、間違いなく医者同伴だろうし、まず飛行機乗せられるのかなあってことでした。(現実的問題) 確かに水を汲みに行くことそれ自体に意味があるんだと思うんですよ、お遍路さんみたいに。で、近場で買うっていう行為にも「信じる」という意味がある。たぶん「平等に救われない」ってことは、信仰のある人達にはすでに織り込み済みなんじゃないかなあ、って思うんです。最近一緒に遊ぶのがカトリシスモの影響の強い国出身の人達が多いせいかもしれないですけど、彼らの頭の中にはそういうのがあるみたいですね。 Commented by valencienne at 2008-09-03 14:15 >人生アウトさん ええ、ケンカですよね。まさに「ウンコの投げ合い」みたいな。自分が掴んで投げているのがウンコじゃなくてすげえ高性能な爆弾だと信じてるんですかね、議論しているつもりの人は。 だからやつらださんの合目的からはるかに遠いあの行為は「どんだけおキレイな言葉使っていようが、お前らのやってることはこれと同じだぞ、わかってんのか?」っていうことだとわたしは思ったんですよ。実際ハタから見てりゃそうだし。だとすりゃ、自分が掴んで投げているのが他ならないウンコだと自覚している方になんぼか理がありますよね。 まあそういうわけでー、「最近カッコ悪いですねえ」って言葉も、「『見殺し』かな(中略)どちらにしても『けっ』」って言葉も。あらあ、あなたたちを見ていてわたしが思ったことがなぜおわかりになるのかすぃら?ってことです。 Commented by valencienne at 2008-09-03 14:20 >鍵コメさん どちらにしても結構。でもまあ、不妊に悩んで悩んで、代理母出産まで考えるほど悩み続けた人に対して「科学的根拠」とやらを持ち出して責め立てて追い込んだことがあっても「わたしは何にも間違ったことしてませんが」とケロっとしてる人なら平気で言えるでしょうね。 胸のつかえがスットしました。 これで仕事に専念できる。昨日はあやうく、指を切断するところだったので。 ありがとう♪ す、すみません2度目です。自分とこのURLを間違えてましたので、一応(汗)。では。 Commented at 2008-09-03 22:31 x ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。 Commented at 2008-09-03 22:32 x ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。 Commented by うんころもち at 2008-09-03 23:00 x はじめまして。えぼりさんの切り口、目線、文章が好きで2年ほど愛読してきた者です。いわゆる「水伝騒動」なるものも1月からずっと周辺を(かなり広範囲にわたり)ROMし続けてきました。 人生アウトさんへのレスで「ウンコの投げ合い」というフレーズが出てきましたので、思い切ってひとことだけ書かせてください。 「うんこ投げの真の勝者は、相手に向かって多くのうんこを投げた者ではなく、最も手の汚れていない者だ」(スティーヴン・キング) 借り物の言葉ですみません。 >もう見ているのはイヤだと思う えぼりさんの言葉に唱和します。私は死ぬのはやつらださんもgegengaさんも好きなのです。(ROM専ですが) やつらださん、お仕事気をつけてください。 えぼりさん、こちらのエントリーには大変感銘を受けました。どうかうんこ投げ大会に巻き込まれませんように。 >1週間ほど休暇をもらって、そこに行って水を汲んでこようかなあ 実際に昨年、私はこれを実行しました。一週間ではなく、とんでもないことに私の場合は3ヶ月でしたが。 3年前に長女がひどい交通事故に遭い、妻と次女共々、長期間にわたる心痛と緊張で困憊し、かといって深く眠ったままの娘に父親として何もしてやれず、このままでは自分が先に破滅してしまうと感じ、何か夢中で打ち込めるものをとサンチャゴ巡礼を思い立ちました。娘がようやく危機から脱して平衡状態を保ち始めていたからということもありますが。 ならばと奇跡が起きるという水を汲み、それを最後まで持ち歩こうとルルドに立ち寄ったのでした。そんなことを許してくれた妻と次女、そして肉親たちの援助による経済的事情という条件が与えられていたことが、まず何よりの奇跡でした。 Commented by argon at 2008-09-04 01:03 x 奇跡とはもちろん比喩です。物語です。そもそも私は理系出身の人間です。でもこんなその場仕立ての物語にでもすがらねばどうにもならず、すがるべき物語を無意識の裡に探していたのだろうと思います。 紀行ブログを現地から家族や知人に向けて発信すべく、ノートパソコンや一眼レフのデジタルカメラまで持参し、ただでさえ人より随分重くなっていた荷物を、奇跡の水を満たした水筒でさらに重くし、なおかつもともと弱点だった踵をひどく痛めながら、およそ千キロの道のりを歩き通したのでした。その自分で思い描いた物語を、心の片隅で馬鹿馬鹿しい限りだと冷笑しながらも最後まで演じ通し、結局、大阪に持ち帰ったその水筒は、一度も栓を開かれないまま、いまもリュックに入ったままです。 帰国してから水伝騒動のことを知りました。自分の恥部をそのまま見るような気もし、できるだけ触れずにきました。後からきた者などとても立ち入ることのできないようないがみ合いが生じていたように思います。 Commented by argon at 2008-09-04 01:03 x でも客観的事実として馬鹿馬鹿しい限りのことを自分はしてきたのだという思いよりは、切実な物語を生きたのだというリアリティの方が、いまも自分の中に強く残っています。むろん、水伝騒動の渦中にいた人たちも、あの騒動が生み出した切実なリアリティの物語をそれぞれに生きていたのでしょうが。 くどくどとした長文、失礼しました。 (ルルドでの日記をトラックバックさせていただきました。) ルルドの泉を迷信だと一蹴するのなら、実は横に座って手を握ることだって科学的には意味のないことだと言えるわけですが、それを迷信だと嗤う人は(あまり)いない。不思議と言えば不思議ですね。 もっとも、それが美談として喧伝され過ぎることによって「ルルドにも行かない奴は人でなし」みたいな風潮になるのも考えものです。もちろんvalencienneさんやargonさんにそんな意図が毛頭無いことは分かってますが、その辺りが難しいなあとは思います。 Commented at 2008-09-04 10:12 x ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。 A : 金儲けが悪いことか? B : 方法が問題なんだよ。 こんなやり取りを思い出した。 たいていの場合、問題になるのは『やり方』なんですよね。 Commented by valencienne at 2008-09-05 02:21 >死ぬのはやつらださん ちょっと待った、わたしはウンコ投げを全面肯定してるわけやないです。ひとつ言うておきたいのは なにも汚れついでやからって、向こうと一緒になって素手でウンコ掴むことはないやろ。 ってこと。まだ続ける気やったら早よ手え洗うてから、こういうの(http://ansell.jp/swf_content1.html)使てください。わたしは普段ラテックスのパウダーフリーだよっ。 >あねさん さん 了解。あれぇ?って思ったんですよぅ。 Commented by taka at 2008-09-05 03:55 x >「共感」を取ってしまえば何が残る? このあたりが、看護学や診察の視点から重視されることと、医療技術の発展や根本治療の視点から重視されることの違いになるのかなと思います。 奇跡にすがることを一律に否定することはできないと思いますが、極限状態の人に奇跡を提供することを口実に、詐欺的商売で奇跡を切実に必要としない人たちを食い物にするシステムを維持しようとするのはやはり問題が大きいと思います。 水伝はこの範疇に入るものと思いますし、教会が万能薬としてルルドの水を売り出せばここに仲間入りすると思います。 騒動が「水伝は間違い」という論点から個人の名誉の問題にシフトしてしまったのは残念なことではあるのですが、水伝批判の善し悪しを感情論や陰謀論で判断するのは間違っていると思います。共感派の論者は水の奇跡が必要な極限状態にいたわけではないのですから。 やつらだ氏については「お前たちの行くコンサートに俺も行く」と具体的なフィジカルコンタクトについて発言しているのでgegengaさんが攻撃的になるのは仕方ないと思います。やつらだ氏の発言は口げんかの域を超えて脅しの域に達してしまったと思います。 >とにかく今この時点の「科学的根拠」の上に胡坐はかいていられない この一文にしびれました。近親者に科学者(医者など)おりますが科学的正しさは常に変化ありと理解し、勉強をおこたらいないようにしているようです。(たぶんww) 自分が責任をもって実験と検証もしてない方が、我の言う科学は正しきことなり!といえる方がいることのほうが不思議です。 え?水伝?信じかけた人に対し、ものの数分内で ありがとう の言葉だけで水の結晶が変わるほど物質の性質変化が単純なものでないと、過去お話して理解いただけなような。 ともかくお仕事お疲れさまです。 いつも興味引かれるエントリありがとうございます。 Commented by valencienne at 2008-09-06 05:05 >鍵コメさん そういえば何度か、あちらでは拝見しておりました、はじめまして。 こんなに近い職種の方とは気づきませんでした。確かに働く側も利用する側にも価値観の多様さはありますし、なんというか「これが絶対正解!」ってのもないですよね、この業界。 だからなんというか・・・こう・・・はっきり言い切れないんですけど、あれってきっと「擬似正義」なんじゃないかと(笑) >うんころもちさん わはは、とりあえずやつらださんにはラテックスお勧めしておきました。大ウンコ祭りはリアルだけで十分です(笑)でもそれもわたし達にとっては大切な業務なもんで(きちんと管理しないと出すぎてかぶれたり褥瘡できたり、詰まり過ぎて今度はイレウスゲロ祭りに移行したりする)毎日頑張ってます。 Commented by valencienne at 2008-09-06 05:33 >argonさん 実はこれ、argonさんのことを意識しつつ書いたんですよ。サンチャゴ・デ・コンポステーラの病院でICU医をしている知人がいますが、患者や家族の中に最後の最後、意識のなくなる、呼吸の上がるその瞬間まで決して消えない「Algo milagro(何らかの奇跡)」を待つ心の話をした覚えがあります。でもそれは決して「極限状態」にある「一部」の人達の話ではないんです。第一、その「極限状態」なんてもの、誰にでもいつかは訪れる可能性のある・・・というよりは予定されたものなんですから、という話。 水にまつわる話、を批判している人達の中にも、argonさんの背景を知っている人もいるだろうに、なんて思うとちょっとどう表現していいかわからない気持ちになったもので。ちょっとノツノツ(これって古い大阪弁ですね)しつつ書きました。 >切実な物語を生きたのだというリアリティ これに強く「共感」します。 Commented by valencienne at 2008-09-06 05:54 (続き) 毎日のように、いろんな人々の「切実な物語」と関わります。何も答えない植物状態の人達の中にもそれは厳然としてあります。いちいち思いをはせていたら身がもたないし仕事も回らない、でも決して忘れないようにしてはいます。 だからかもしれませんが、こういう話に対してまるで明後日の方向の反応なんてしている人を見ると「ああ、人の姿はしているけど・・・犬でもないな、なんだろ?」と思えてくるんですよね。まあその反応もその人の「切実な物語」なのかもしれないとは思いますが。 Commented by valencienne at 2008-09-06 06:06 >非国民さん >「ルルドにも行かない奴は人でなし」 宗教カルトみたいな感じですな。でもってそういう宗教カルトを批判する側の方がいつの間にかカルト臭さにターボがかかってきちゃうことも往々にしてあったりして・・・ホンマに難しいです。 タッチングに関しては看護研究とかで科学的検証をされてるみたいですけどー、わたし抄録すらよく読んでません。 Commented by valencienne at 2008-09-06 06:22 >鍵コメさん 実際に行かれたことがおありですか、わたしは確かあしべゆうほの漫画「悪魔の花嫁」で読んで知ったんですよね、ルルドの話って。 そんな感じで信者が何かを求めて集まる場所、ローマでもイェルサレムでもバラナシでも、きっと同じようなエネルギーでむんむんなんだと思います。ルルドも「水を汲みに行く」という目的とともにそういう「エネルギー」浴をしに行くって目的があるのかもしれませんね。 >すてはんさん そうそう(笑)「やり方」が・・・って話はもう相当前に書いたはずなんですけどねえ。ま、いっか。 Commented by valencienne at 2008-09-06 06:37 >ぼこぼ・・・失礼しました。takaさん まあ「極限状態」についてはargonさんへのコメントに書いたとおりの認識をわたしはしておるんですが。 騒動がそういう方向にシフトしちゃった、ってのは確かに残念な話ですけど、シフトしかかった時点で方向修整するヲトナっていなかったんですかね?わたしその頃ちょうど席をはずしておりましたんで。 ところで、ぼこぼ・・・じゃなくてtakaさんはお詳しいようなんで聞いてみたいんですけど「コンサートに行く」とか言うのと、mixiで検索して個人情報探っちゃうのと、脅迫度合いじゃどっちが高いもんなんでしょうか? Commented by valencienne at 2008-09-06 06:45 >kurokuさん わたしは研究する側ではないので「科学的根拠」を見出す立場ではなくて、日常業務を通じて他人の出した成果の「批判的吟味」をするんだな、と思って仕事してますんで。まあ実際フィードバックできるかどうかはともかく。 Commented by taka at 2008-09-06 20:59 x 認識の問題というよりその時点での状況に対してどんな対処法が妥当なのかという問題だと思います。例えば、同じ借金でもガン治療のための借金なのかガン保険のための借金なのかで意味合いが変わるというようなことだと思います。 ヲトナな人も少数いたんですが、煽るブロガー、コメンターが多すぎて収集がつかない状態に… 脳細胞の異常興奮による細胞死の連鎖反応をくい止めるのにも全身に対して低体温法が必要になるでしょう? 脅しについてはどちらもリアルに対して具体的な害を及ぼすのでどっちもどっちだと思います。ただ対処の難しさから言えば個人情報を入手されてしまうと後々手がかかることになると思います。 Commented by ちょちょんまげ at 2008-09-07 05:23 x valencienne様 はじめまして。ちょちょんまげと申します。 貴エントリを拝見し、いくつもの疑問が生じました。 まず、 >ねえ「科学的根拠」とやらがそんなにスバラシくって~ このくだりは、典型的な「藁人形論法」では、ありませんか。 valencienne様が上記の文章をもっていったいどちらの方(々)を揶揄なさっているのかはっきりいたしませんが、 仮にご批判なさりたい対象が、 >「科学的根拠」とやらがそんなにスバラシくって、その根拠に基づかない話を信じている人を「批判する」行為が正当なものであると思っている人 一般ということであるならば、少なくとも私は、追い詰められた極限(あるいはそれに近い)状況にある人を不用意に攻撃する上記引用タイプの人を知りません。 ようするにご提示のような状況で、「神社でお守りを買ってくる」ような行為を(不用意に)いちいち批判する人はいないのじゃないかということです。 もし、valencienne様が具体的にそういう例をご存知でしたら、ぜひお示しくださいませ。 Commented by ちょちょんまげ at 2008-09-07 05:24 x それから、「そんなに~なら(無理やり拡大した前提を持ってくる)」、「こうしてみろ(極端な要求を持ってくる)」という口げんか等で散見される論法を使っていらっしゃると思うのですが、いかがですか。 >罵倒とか中傷みたいな下品なことはしない人達は「科学的根拠」に基づいて「論理的」に「冷静」に説得できるんでしょ? これも、上記と似たような論法に思えます。 そして、以下は、 >自分の妻がどういう状態で、予後がどうかなんてことはとっくに知っている。もちろんその水が単なる湧き水だってことぐらい。 という前提で書きますけれども、「ルルド」に行かれるのはこの場合明らかに「夫」が御自分のために行きたいとおっしゃっているわけですよね。 考える条件は、「ケアする人のためのケア」であるわけです。(上に書き込みをなさっているargonさんは、それをよく承知なさっていると私は読みました) Commented by ちょちょんまげ at 2008-09-07 05:24 x そうした場合(ケアする人のためのケアを前提に明らかに治療対象の人に対する効果が望めない行為をするべきかどうか、或いは単にどうするべきか)、相談された人(相談された、という前提で)がどう答えるかは、ケースバイケースだと考えます。(一般化は無理だと思います) 「ルルドに行く」というコストを考えた場合に(はっきり幾らかかるのか私は知りませんけれど) そのコストが、例えば一般の方が近所の神社でお守りを買うぐらいの負担にしか感じないような経済力を持つ方で、その方のメンタルヘルス上プラスになるならば(あるいは、単純に本人がそうしたいのならば)、あえて何も言う必要も無いのでしょう。 しかし、そのコストがこれから生活していくことの足を強く引っ張ってしまうような場合は、やはり一度は止めるべきではないかと考えます。(むろん、それでも行く行かないを決めるのは本人の意思しかありえませんが) そして、その止める理由の中の大きな一つが、「ただの水に奇跡が起こせるわけなんてないだろ」じゃありませんか?(効果的な言い方は別にあるかも知れませんが、要約すればそういうことですよね) Commented by ちょちょんまげ at 2008-09-07 05:34 x さらに、「夫」が望んでいる(?)行為が「ルルド」でなく、 (以下、生活に影響があるような「大金」がかかるようなケースとしてお読みいただけますか) 韓国の統一協会本部に行き文鮮明お父様のスペシャルパワーが入ったツボを買うことだったり、 どこかの霊能者かなんかが、「私に○まる万円払いなさい、そうすれば・・」だったり、 麻原ショウコウの風呂の残り湯を買うことだったり、 南米やアフリカまで行って、ウイッチドクターの鼻くそを丸めた「秘薬」を買うことだったり、 パンダの生き胆を中国まで行って買ってくることだったり、 したら、読者の印象もずいぶんと違ってくるように思いますが。 (上記の例は少なくとも私にとっては、「ルルド」と等価です。まぁ、どの「ストーリー」がどのように魅力的かというのは、人それぞれだと思いますけれど) 大変長文になってしまいました。申し訳ありません。 Commented by ごん at 2008-09-07 08:20 x なんか、すごく、べとべとしてきましたね。 最後のなんか、韓国、南米やアフリカ、中国、で印象がどのように違うというのでしょうか? < どちらにせよこんなコメントをここにしてくるとは相当のアレだよ、この人は > アサハラと同列にならべてることに意味はあるのかな。それに鼻くそ、パンダの生き肝・・・って、なんでこんなものだしてくるんだろ。とにかくセンスないよね。こんなにせつないエントリに。 < 狙ってやってるとしたら「一般的に」「荒らし」以外の何ものでもないにゃ > この人たちは、何かがはみ出てるのか、それとも足りないのか。 ちなみにあたしのふるさとでは、犬が長寿の薬だと言われていたんだけど、そういうことを「信じて」いた人々を否定(してバカに)しようとしているのかな。 ・・・まさかそうじゃないよね。 とりあえず、この人(たち)の文が無駄に長かったりするのは、懸命に差別意識を隠して「(俺とお前は違うんだよ)差別」をしようとしている、そのせいだから、その点に留意してお読みください。だよ。 じゃないと、こころ、をやられちゃう。お気をつけくださいな。 Commented by ごん at 2008-09-07 08:25 x あんら、あたしも無駄に長くなっちゃった。ごめんあそばせ。でも、お目汚しついでにもうひとつだけ。 差別意識なんてのは誰のこころにもあるのよ。問題はそれを自覚してるかどうか。見てて恥ずかしいから、せめて人前に出るときには、十分留意してお隠し遊ばせ、ってことなんじゃないかな。管理人さんが(あなた方に)伝えたいことは。 勘違いかもしれないけど(笑) Commented by 死ぬのはやつらだ at 2008-09-07 11:19 x どうやら、ウンコまみれに素手で投げたかも。 ゴム手は仕事で使わないからなぁ。 長文コメントできる人って、たいていは否定文。 うっぷん溜まっているんだろうな。 オレなら、もっと楽しいことするけどね。 Commented by Xcel at 2008-09-07 14:16 x すみません、横から失礼します。 ちょちょんまげさんのコメントを読んで、これまで見ていてずっと違和感を感じていたことがようやくわかりました。 要するにこの人たちって「現代の科学の物差し」では計れないけど、「現実に、経験・実績の蓄積によって成果を上げている」ものを十把一絡げに全否定しちゃってるんですね。 それを言ったら世界の伝統医療、代替医療の類なんかほとんどがそれに近いわけで、そういうものが本当に効果のないもの、ただの気休め、「科学的に証明されている通りに」無価値だとしたら、そもそも何百年もの間、伝わってくるわけもなく、どこかで自然に廃れてると思うんですが。 Commented by Xcel at 2008-09-07 14:16 x もちろん中には本当にただの迷信でしかないものも存在はしているわけですし、オウム真理教なんか(いわゆる「新興宗教」の類)もそれに近いと言えると思いますが、この辺を一まとめに否定してしまうのは物凄い暴論であると感じました。 …と、こう書くと「歴史のみを根拠にして正当性を肯定するのは暴論だ」と 返されるかも知れませんが、しかし少なくとも機序が近代科学では説明できないのに実際に治療効果が出ているものというのは存在するわけで、そういった経験に基づくものをまるっきり全て否定はできないのではないかと。(実際に目の前で治っているものに対して「科学的に正しくないからお前が治ったのは嘘だ」とはならないですよね。) 念のためお断りしておきますが、私は水伝を擁護しているわけではなく、「科学的でない」という理由だけで経験医療の全てを否定するような考え方はどうなのか、ということを問題にしています。 Commented by 通りすがりさん at 2008-09-07 15:25 x えぼりさんはじめまして。いつも楽しく拝読しております。 場を荒らすつもりは毛頭ございませんが、コメンター同士の意見交換をお許しください。 Xcelさん 作用機序が完全に解明されていないクスリでも西洋医学でもけっこう普通に用いられていますよね。 胃潰瘍の治療薬が抗精神薬に用いられたり、抗ガン剤が免疫疾患に利用されていたり。 新薬開発も化学合成剤は行き詰まっており、欧米の製薬メーカーでは、現在伝統医療で(原住民が)使っている薬物(薬草など)を血眼になって探しているとも聞き及んでいます。これについては、プロのえぼりさんがお詳しいので、言わずもがなかと思われますけれども。 お目汚し失礼いたしましたm(_)m Commented by valencienne at 2008-09-07 22:56 >ちょちょんまげさん はじめまして。まずその「藁人形叩き」とやらの意味がわたしにはよくわかりませんが、それは「上記の文章をもっていったいどちらの方(々)を揶揄なさっているのかはっきりいたしませんが」としながらも「仮にご批判なさりたい対象が」と、ちょちょんまげさんのご判断でわたしの「批判」する「対象」を設定した上で、その「批判する」わたしを批判する行為と同じようなものと思えばよろしいでしょうか? だとしたらこのような長文を書かせるお手間を取らせたのに誠に申し訳ありませんが、その仮説自体がまったく見当はずれのものでして、わたしとしてはお答えできるような話ができないんですが。 ただあるのは、わたしの意図は、ある一人には伝わり、ある一人には伝わったかと思われ、ある一人には届かなかった、それだけのことです。 それから、この時期に経済的な問題を絡めた話をするのには慎重であった方がいいと思います。 Commented by valencienne at 2008-09-07 23:18 >ごんさん あら、お久しぶりです。 昭和40年代後半から50年代のドラマで孫がおばあちゃんに「そんなの迷信だよー、これからは科学の時代だよ」なんて言ってた頃の「科学」なんか思い出しちゃったりする今日この頃です。あの時代の「科学」って、当時の人々にはなんだか輝いて見えてたんでしょうねえ。他のものなんてどうでもよくなるぐらい。 >死ぬのはやつらださん わたしも初見で長文連投なんて、どこのネトウヨやと思ったもんで、危うく読まずに消すとこでした(笑)やぎさんゆうびん Commented by valencienne at 2008-09-08 00:27 >Xcelさん いえいえ、お構いなく。 わたしは実際に問題になるのは「迷信」よりは「盲信」する行為の方やろな、と思ってます、「過信」とはまた違ってね。それでも「盲信」したくなる気持ちがどんな人にもあるってことにも「共感」しますよ。 >通りすがりさん さん どうぞどうぞ。わたしもXcelさんの話でノイロトロピン(腰痛の薬)のことが思い出されたものですから。 >欧米の製薬メーカーでは、現在伝統医療で(原住民が)使っている薬物(薬草など)を血眼になって探している 今それでアフリカや南米が食い荒らされているそうですよ。 Commented by ちょちょんまげ at 2008-09-08 11:41 x valencienne様 お返事ありがとうございました。 >その仮説自体がまったく~ これについては、 >「科学的根拠」とやらが、(中略)正当なものであると思っている 人一般でなく、「特定の、(恐らくは)個人、或いはグループのこと」であると、了解致しました。 で、その対象者(グループ)今回設定された状況下で、奇跡に縋りつきたい考えているような方々を「非科学的である」と批判して周るような人(々)である証拠を持っていらっしゃる? でなければ、「藁人形」であるという私の論旨を変える必要が認められません。 また、私の2008-09-07 05:24 以降の書き込みについては、批判対象が誰なのかという事とは関わりのない部分でありますので、お返事なさる、なさらないはvalencienne様のご自由なのですが、 >わたしとしてはお答えできるような話ができないんですが。 は、理解できません。 長くなったことについては、申し訳なく思っています。 しかしながら、私個人は自ブログにコメントを頂く際に、初見であろうが、長かろうが気にしないタイプですので(論に中身さえあれば)、そちら様の常識とはずれていたことについて、残念に思います。 Commented by ちょちょんまげ at 2008-09-08 11:44 x valencienne様 連投しつれいいたします。 また、場所をお借りいたします。 >Xcel 様 コメントをありがとうございます。 とりあえず、批判対象の内容をよく読まれてから投稿なさることをお勧めいたします。 全て指摘してると、また長くなってしまうのではしょりますけれど、例えば私が「代替医療」の「だ」の字にでも触れている部分があるでしょうか? Commented by valencienne at 2008-09-08 18:55 >ちょちょんまげさん 残念ですがその「了解致しました」もまったく違います。 その対象者(グループ)に自ら名乗りを上げて下さっている方々もいらっしゃるのは知っておりますが、それもまた違います。 >2008-09-07 05:24 以降の書き込みについては その件に関しましては「経済的な問題を絡めて話すのには慎重であるべき」とお答えしております。こと今のこの状態においては、ですが。 Commented by Xcel at 2008-09-09 05:28 x ちょちょんまげさん 代替医療云々については失礼致しました。自分で読み直しても少々飛躍させすぎたと感じています。 要するに私が批判したかったのは、 >上記の例は少なくとも私にとっては、「ルルド」と等価です の一文なのですが、これについても結局ちょちょんまげさんにとっては「人によって価値が違う」で済まされてしまうのかも知れませんね。 横レス失礼します。 ちょちょんまげさん お久しぶりです。覚えていらっしゃいますでしょうか、aliceです。 ここのエントリの主張は、ニセ科学批判批判ではないし、水伝擁護をしようとしているのでもないように思います。 ここでは「科学的根拠」に基づいて「論理的」に基づいて物を言いさえすれば、個人攻撃することをすべて免責されるものなのか、とおっしゃりたいのだと思います。 水伝は批判されるべきところが多すぎます。が、それが少々象徴的な存在になりすぎているようにも思います。水伝批判さえすれば人を批判できると言う様な、ある種の思考停止状態に陥る可能性があります。 そういう状態を批判しているという風に私は読みました。 Commented by naoko at 2008-09-10 05:18 x えぼりさん、はじめまして! 興味深いエントリーでした。 宗教・信仰が、日常生活において、自我をゆだね、「信じられる」対象としての輝きを失っているように思える現代社会においても、「自分自身の生きる意味」を問い続けねば生きられないのが人間というもの。 自分はどこから来てどこへ行くのか、自分は何のために生きているのか、というような問いは、永久に切実さを持ち続けると思うのです。 人が人である限り…。 そして「科学的根拠」や「論理性」は、(今のところ?)、そうした個々の人間の切実な欲求に応えうるものではないという気がします。 人の心が拠って立つ支えとなるもの。自分自身の生きる意味。 それは結局は、個別の人の心の問題と言うべきなのか? あるいは人と人の関係性の問題と言うべきなのか? それとも、もっと広く社会的問題として考えうるのか? または、歴史的存在として自分の存在を考えたときに答えを導きうるのか? いや、いつか自分は理性的な人間として、ひとつの信仰に確信を持ちうるのか…。 Commented by naoko at 2008-09-10 05:22 x (続きです。) 誰にとっても、容易に答えの出る問題ではないと思います。 現代人は、言わばその意味を求めてさすらう『永遠の旅人』かもしれません。 その旅の途中、せめて旅人同士、つかの間でも、ねぎらいや共感を持って励ましあいたいものですね。 初コメで、長文コメント、ついだらだらと書いてしまいました。 失礼致しました。 Commented by ちょちょんまげ at 2008-09-10 10:11 x valencienne様 レスありがとうございます。 私の頭がよほど悪いのでしょうが、 「一般でなく」、「特定の個人(グループ)」で無いとしたら、 >ねえ「科学的根拠」~ 及び >言ってやってよ。 の呼びかけ対象者(グループ)は、少なくとも地球上には存在しないように私には思えます。 >Xcel様 前回のレスをもう一度読んでみていただけますか? で、私の元コメントの >>自分の妻がどういう状態で、~ >という前提で書きますけれども の部分と、 >まぁ、どの「ストーリー」が~ にご注目くださいませ。 >alice様 美味しいお蕎麦屋さんをご紹介いただいた恩を忘れるほど、薄情ではありません。 とりあえず、わたくしご覧のとおり、こちらで歓迎されていないのは明らかでして、こうして横レスにお返事申し上げるだけでアラシ認定されかねない雰囲気でございますので、レスはaliceさんの「読み」が管理人様にどのように評価されるかを待ってエントリを立てたいと思っています。 2重手間はさけたいので。 ただし、一言だけ申し上げますと、管理人さまは既に「一般に向けた説である」は否定なさっていると思いますが。 Commented by ちょちょんまげ at 2008-09-10 10:24 x valencienne様 またまた、場所をお借りいたします。 >死ぬのはやつらだ様 >オレなら、もっと楽しいことするけどね。 「絨毯爆撃」とかですか(笑) それはともかく、確か私とやつらださん(省略御免)の間では、やつらださんの >共感できるところは共感し、納得いかないことは罵倒する。 >それでいいじゃありませんか。 に対し、私が了解する、ということである種の合意があったと、私は思っているわけですが、 >長文コメントできる人って、たいていは否定文。 >うっぷん溜まっているんだろうな。 ぐらいの皮肉じゃ罵倒にもなんにもなってないじゃないですか。 おれの「コメント内容」についてちゃんと評価してくださいよ。 結果罵倒でもなんでもかまいませんから。 エントリあげたら、コメントしてくださいよ。 やつらださんへの横レスはおれの方で禁止してもいいですから。 その義理は無いって言うかもしれませんが、今回そちらから絡んだことはお忘れなく。 Commented by 死ぬのはやつらだ at 2008-09-10 11:03 x ごめんよ、長文読んで悩むほど人生の残り時間無いのさぁ。 ほんとゴメンヨ。 Commented by イッチョカミ at 2008-09-10 11:05 x >ちょちょんまげ 殿 問題の所在をわかる人間は稀だが、原因の多くはおまえの「正義病」だよ。 正義が度を越すと、独善になる、ていう生きた見本なんだよな。周りの同病者はハヤシたてるだろうが、類が自分に及ぶや、おまえは皆から見捨てられるタイプだ。 良い例ではイエス・キリスト。悪い例では金正日、ヒトラーだろうぜ。 同じ種が条件と気候とで、全く違う花を咲かせるってこった。おまえがキリストかファシストかは神の味噌汁だけど、身の程をわきまえろ、って忠告しといてやるわwww Commented by valencienne at 2008-09-10 13:38 >aliceさん まあ大筋はそんなところで、っていうかー。 ただ疑似科学批判にひとつ言うことがあるとしたら「ちょww、あんたら喋り過ぎwww」ってことですけどね。気持ちよく語っているのだとしたら水をさすようで申し訳ないけれども、あれってもっと悪くて賢い人達、次の商売ネタを探す疑似科学仕掛け元や信者獲得に血の道を上げているカルトにとってみれば「こう言われたら私は信じちゃいますよ」っていうお宝情報の山みたいなもんですから。志村ー後ろ後ろー!って。 といってもこの反響を見る限り、遅いか。 >ちょちょんまげさん 私のコメントでは、「そういう状態」に陥った人への批判ではないか、と申し上げましたが、その対象が「一般」であるか「特定」であるかには触れておりません。 ちょちょんまげさんへのレスを見ると、確かに特定の誰かへのメッセージのようですね。 >valencienneさん 大筋は合ってますか。アサッテ君でなくて良かったです。(^^; Commented by valencienne at 2008-09-10 14:05 >naokoさん はじめまして。 信仰に関していえばこの稼業、もともと信仰から生まれたもんですし、それに時代に伴って科学が接ぎ木されたもんだ、というように看護史で教わりはしたんですけどね。まあその人の持つ世界の捉え方を知る助けにはなってます。 何よりわたしがこれでちょっと驚いたのは、世間にはこんなに批判されたがっている人達がいるのか!ってことですけど。まあ「自分達が批判されてるー」「謂れのない攻撃されてるー」と言うことで意思とか集団の団結意識を高める、ってのはよくあることですからねー、あ、こんなこといったらちょちょんまげさんが例に挙げたオウムの話みたいになっちゃいますね。親に反対されてるから(しなくてもいい)駆け落ちするカップル、ぐらいの喩えにしておきましょうか。 Commented by valencienne at 2008-09-10 14:13 >ちょちょんまげさん あのう、「経済的な話を絡めるのには・・・」と言った理由がお分かりいただけていたんでしょうか? >イッチョカミさん まあ、そういうのを収めるために岡八郎メソッドという「引き際」があったりするんですね、わかります(笑 Commented by ちょちょんまげ at 2008-09-10 15:53 x valencienne様 正直良くわかってないと思います。valencienne様の意図を掴みかねていてまるで判じ物のように感じております。 すみません、私、頭があまりよくないので、もうちょっと具体的に説明していただければ助かります。(経済的~以外の部分も) で、別件で伺いたいのですが、2008-09-10 11:05みたいのは、こちらでは放置ですか? Commented by 人生アウト at 2008-09-10 19:01 x >もっと悪くて賢い人達 そんなに褒めないでください。照れます Commented by ごん at 2008-09-10 22:28 x valencienneさん、手袋くださいな、はい装着! で、やつらださんは、 >長文読んで悩むほど人生の残り時間無いのさぁ。 だと言うことなんで、ホントはちょっと憚っちゃうんだけど・・・ ごめんなさい、やっぱり我慢できなくて、質問、です。 「ルルドの泉」と「鼻くそ」や「パンダの生き肝」が等価だと宣うお方に、 あなたは神ですか、それとも独裁者ですか? と、(ご本人はご自分のことをどう思っているのか)たずねたくてしょうがないというのがあたしの今般の悩み、なの。それで、 >2008-09-10 11:05みたいのは、こちらでは放置ですか? こういうの見るとさらに深みにはまっちゃって・・・ ねえ、どなたかこういった(一般的な)悩みの解決法、教えてくださらないかしら。岡八郎さ~ん! < 手袋しててもびんびん来てるよ。そろそろ足洗おうよ。海でも行って > >2008-09-10 11:05みたいのは、こちらでは放置ですか? 「神の味噌汁」にはウケました。 どうして、こんな爆笑誤変換になったのかは、神のみぞ知る。 Commented by naoko at 2008-09-12 04:53 x 感想ですが…。 ちょちょんまげさんの「考え方」は、唯脳論というか、理性・論理の普遍的な価値への至上主義という感じが致します。つまり、「論理的に正しい思考による結論は、如何なる状況・場合にも当てはまる普遍的に通用するものとなる」という強烈な信仰を感じるのです。 こうした「考え方」は、ひとりちょちょんまげさんのものではなく、現代の社会において強い勢力を持っている思考方法なのかもしれません。 しかし、「現実をそうした思考法で認識するのはあやまりである」と考える者からは、賛同されないばかりか、強い反発を招くこともある…。 Commented by naoko at 2008-09-12 05:02 x (つづきです) わたしもある意味、反発・不快感・怒りを示されることが多く、自分ではその理由がわからないということが多々あり、ちょちょんまげさんの指摘になるほどと感じたことがあったもので、参考までに。 ただ、これはあくまでも感想であり、指摘とかそういう的確なものではないとは思いますが…。 的外れでしたら、ご容赦を。 Commented by たんぽぽ at 2008-09-12 20:57 x valencienneさま、はじめまして、 「たんぽぽ」ともうします。 エントリを拝見したところ、わたしがかかわってきた 「水からの伝言」の騒動のことのようなので、コメントしたいと思います。 >その根拠に基づかない話を信じている人を「批判する」行為が >正当なものであると思っているのなら わたしが批判したのは、「水からの伝言」を利用して、 あいさつは大事だと言った、特定の道徳の正当化をしたケースです。 これは、ある種のイデオロギー強制にもつながるので、問題でしょう。 さらに、「水からの伝言」を利用して、機器を売りつけるという、 詐欺もなされているので、やはり批判をする必要があるでしょう。 >妻の手をとって撫でながら、そして今でも時々ひっそりと泣いていることもある彼に >言ってやってよ。 「ルルドの水」を汲みにいったという、男性のかたは、 特定のイデオロギーを強制したり、あるいは詐欺を働いたりする、 反社会的なことをなさっていると、おっしゃりたいのかな...? Commented by かめお at 2008-09-12 21:36 x ご無沙汰です。毛色の変わった仕事が災いして相変わらず孤軍奮闘。私の仕事に人の命は介在しませんが、インフラの設計なんてやっていると数年先を見据えて考えるので、普遍的で革新的とそりの合わないことを探求するので、深く悩むことは多いです。ただ、人命に影響がないことを神に感謝しています(ハゲ頭が記者会見するぐらいのことはありえるけど)。 さて、なんかすごい展開になっているようですが、そこまでの騒ぎになる理由が理解できません。私の単機能な頭では、言葉のロジックの奥の奥までは理解できませんが、「属性に逃げる」というところに全てが集約されているのではないでしょうか。 職務としてのあり方、えぼりさん個人としての気持ち、相手のことを少なからず知っている状況を想像すると、致し方ないのではと思いました。 私は仕事になると、利害や既得権や政治的ほにゃららの渦中で、システムとしての論理を、場合によったら原理主義者のように振りかざしますが、どっちに倒してもまずい立場になる人が出るようなとき、神の声を聞きたいと思うことはあります。 散文になりましたが、いろいろな正解があっていいと思います。 Commented by ごん at 2008-09-12 22:12 x んん...、 >髪の味噌汁?! ナルホド、味噌汁に髪が入っているのはいただけない。でも、だからといってオッカア相手に「手前、こんなもん俺に食わせる気か」といきまいてもしょうがないということだよね。 「あ、髪どころかあんたは子どものころいろんなもん口に入れたよ、教えてやろうか?」 ・・・知らぬがホットケーキ。ぷ。 Commented at 2008-09-12 23:17 x ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。 valencienneさん、はじめまして、さつきと申します。 エントリー記事を拝見して大きな違和感を感じるところがありましたので、書かせていただきます。 テーマの核心部分は次の一文から始まるところだと思います。 >ねえ「科学的根拠」とやらがそんなにスバラシくって、その根拠に基づかない話を信じている人を「批判する」行為が正当なものであると思っているのなら ・・・ 「根拠に基づかない話を信じている」というだけで情況をわきまえずに批判する人がどこにいるでしょうか? 私は、そんな人はまずいないと思います。 実在しない者を相手に批判するのは、特定の相手に対する誤解がある場合と、特定の相手の主張を故意にねじ曲げて批判することで相手の評判を貶める印象操作のどちらかだと思います。 どちらでもないことを願いたいのですが、どうでしょう? Commented by 野次馬 at 2008-09-13 02:27 x 「我こそが世の道理をわきまえしモノなり」と両者互いに譲らぬウンコ投げ合戦がおおいに盛り上がっているようで誠に重畳。 Commented by ちょちょんまげ at 2008-09-13 08:54 x valencienneさん 何度も失礼いたします。 場所をお借りしたく。 >naokoさん xcelさんへのレスにもありますように、とにかくよく読んでからレスしてください。 私が、naokoさんが大好きな世界観を今回どこで少しでも否定してますか。 今回の話は、上のさつきさんのおっしゃっている「藁人形論法」と、「印象操作」の話だけですよね? 前提が、 >自分の妻がどういう状態で、予後がどうかなんてことはとっくに知っている。もちろんその水が単なる湧き水だってことぐらい。 と、 >それでも行く行かないを決めるのは本人の意思しかありえませんが なんですから。 そして、naokoさんがいつも主張している通り、それぞれの「価値観」は等価。 よって、「ルルド」と「麻原の残り湯」は等価。(人によるということ) これ以上はこちらの迷惑になるので、なにかあったら、私のとこの昔のnaokoさん用エントリにでも書いてください。 Commented by たんぽぽ at 2008-09-13 23:49 x >ねえ「科学的根拠」とやらがそんなにスバラシくって、 これはどういうことかな...? わたしは、「水からの伝言」の騒動に関しては、 すばらしいと思って「科学的根拠」を主張したのではないですよ。 すばらしいという状況もあるのかもしれないけど、 科学的根拠とは、通常はすばらしいとか、すばらしくないといった、 性質のものではないと思います。 現時点においての概念体系として統一的に捉えた論をもってのみ科学もしくは科学的とする論は、仮説から始まる科学的真理から大きく逸脱するものであり、それはすなわち科学的態度を装った盲信的迷妄に過ぎない。 現存する理論が一般的認識に拠る絶対的普遍であることの証明はおよそ不可能である以上、ヒトが万物霊長の頂点に君臨するといったキリスト教的奢りは、医療の進歩がこれ以上は金輪際あり得ないことの感覚的証明をしてみせていることの皮肉。極めて固有の正義に執着するは、新新興宗教の醜悪な偏執信徒にも似たり。 身の程知らずの害虫も地球の一部と認識すれば、それすらをも慈悲せねばならぬのか。嗚呼、私はたったいま仏になった。否、私はすでに神である。 Commented by 自他 at 2008-09-15 13:48 x 水伝は明らかなフィクションです。ニセ科学ではありません。 Commented by taka at 2008-09-15 14:32 x >自他さん フィクションだからどういうことが言えるのか?ということが重要なので、それについての自他さんの意見が知りたいです。 Commented by UMA at 2008-09-15 19:30 x はじめまして。 騒動で、ずっと違和感があったのですが、共感派vs○○、て、おかしくないですか?ウェブで公開するのは、多少でも共感を求めてのことだと思います。お互い味方(?)には共感してますし。むりやり仲良くする必要はないと思いますが、喧嘩しなくてもいいのにとも思います。 Commented by バーニカ at 2008-09-15 20:10 x >水伝は明らかなフィクションです。 ちがうな。たんなるフェイクだよ。 たんなるフェイクをここまでひっぱるな。バカが。 水伝批判や、ニセ科学批判関連の話は、ここでは本質的ではないと思います。その系統の話は、ここでは控えてはいかがでしょうか。 >罵倒とか中傷みたいな下品なことはしない人達は「科学的根拠」に基づいて「論理的」に「冷静」に説得できるんでしょ? これは、「罵倒とか中傷みたいな下品なこと」をする人達と「「科学的根拠」に基づいて「論理的」に「冷静」に説得できる」人達を対置しています。これは、 >言ってやってよ。 >そんな「科学的根拠」もない、ただの水に奇跡が起こせるわけなんてないだろ、って。 を受けたものです。 つまり、valencienneさんは、ルルドの泉の奇跡にすがろうとする人を前に、「ただの水に奇跡が起こせるわけなんてないだろ、って」説得してごらんなさいと挑発しています。「科学的根拠」に基づいて「論理的」に「冷静」に説得できる人達を、血も涙もない人間の屑であると罵倒し、もって、「罵倒とか中傷みたいな下品なこと」をする人達を擁護しようとしているのです。 「根拠に基づかない話を信じている」というだけで情況をわきまえずに批判する人など居る訳ないのに、おかしな論法です。そんな人が実在するという具体例を示すことができずに反論に窮した時に使う論法です。ちょちょんまげさんは、このことを「藁人形論法」と書かれたのです。 valencienneさん、はじめまして。ちょっと失礼しますね。 ちょちょんまげさんの「藁人形論法」は正しいと思います。ですが、その論法、適用の仕方が少々おかしいのではないかと思うんです。 そんな人は実際にいないよ、ってことで藁人形というのはわかりますが、では、実在していれば藁人形ではないのですか? そも水伝騒動の始まりは、実在の人物を藁人形に仕立て上げたことが発端だったのでは? 実在の人物といったって、「私」が把握できるのは「私」の中の虚像でしかありませんし、虚像はすなわち藁人形です。そして「私」のなか藁人形を生きた人間に格上げしようとする営為が対話であり共感です。 そんな人物は実在しないという指摘は、リアルに接触のある場では、だれもが対話をし共感するのだという指摘と同義であり、それはまさしくvalencienneが述べられていることと同じです。 Commented by ちょちょんまげ at 2008-09-17 08:13 x valencienne様 何度もすみません、場所をお借りいたします。 >愚樵さん >実在していれば藁人形ではないのですか でしょうね。 但し、誰を批判対象にしているかが問題になるのでは? 一般を批判しているか、特定の人やグループが対象にしているかで違ってくるでしょうし。 藁人形論法は、誰かの主張の内容を(今回は「科学的根拠はスバラシい」)を誇張して論難すること、(今回は、対象が「科学的根拠のないものはどんな場合でも批判してまわってかまわないと主張している」と、誇張」)ですから、そのものズバリであり、愚樵さんのおっしゃっていることは、私にはよくわかりません。 水伝の始まりをここで持ち出されることも理解に苦しむのですが、私は藁人形じゃなかった、という理解です。(別の意味で藁人形だった、というご意見があり、むしろそちらの見解には組いたしますが) この話を続けるならば、別の場所でやりませんか。私のところででも。 それから、ブログ主様の「対象」に対する見解が出ていない(と、私は理解しているのですが、愚樵さん、お分かりになりましたか?)のですから、私と愚樵さんでやりあったところで意味がないでしょうから、見解をお待ちしましょ。 Commented by イッチョカミ at 2008-09-17 15:53 x >「罵倒とか中傷みたいな下品なこと」をする人達と「「科学的根拠」に基づいて「論理的」に「冷静」に説得できる」人達を対置 なんだこれwww アナーキストはな、たとい自分の愛する人間が弱者であっても、彼の代行や代弁は決してしないんだよ。 そもそも人間を差別しないのだから、強者や弱者はいないという立場をとる。 本来的にはアナーキストに言葉は不要、行為だけがある。 したがって、人を見るに、ぐだぐだ言わずに根こそぎ愛するか、または敵対的相手とは死ぬまで徹底的に戦うかのどちらかしかないのだ。 くたばれ!! スターリニスト 色目使って権威の傘を借りる徒党主義者ども かたっぱしから針の穴ほどの論理のほころびに目をつけては中傷し、お節介と代弁に走り、人に恩を売り、おのれを保身する代行主義者どもよ! Commented by すてはん@爪楊枝 at 2008-09-17 17:38 x 組いたす:組+いたす× 与する:味方するという意味の動詞○ 行為者の行為が観測者にそう見えたのならば、それはそうなのだ、ということ。 ならば。 ルルドの泉に水を汲みに行く行為が『ルルドの泉の奇跡』を信じていると見えたのならば、それはそうだということ。 それに対しての忠告が相手の心情を慮らない無神経な言動だと見えたのならば、それはそうだということ。 逆もまた然りってことで、略。まあ、これが相互主義ってヤツね。人間の本質的平等って観念でもある。 て言うかそもそも、この記事は『やり方』が問題なのよ。ってことでしょ? なのにどうして『何をするか』が問題だってことになるんだ? わけがわからない。 Commented at 2009-03-01 20:19 x ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。 Commented by valencienne at 2009-03-17 15:29 TBスパムは削除しました。ジハードごっこに付き合わされる義理なんかありませんので。
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