29日投開票された民主党代表選は、「当選圏外」(渡部恒三最高顧問)とさえ評された野田佳彦財務相が、党内最大勢力を擁する小沢一郎元代表の支援を受けた海江田万里経済産業相を決選投票で逆転して当選を果たした。基礎票で優位に立つ海江田陣営に対し、他の陣営は決選投票での逆転を目指して2位争いを展開。元代表側は当初、グループ内に代表候補を欠くため「2、3位連合」を画策していたが、結果的に「反小沢」の主流派と中間派が「2位以下連合」を結成して勝利した。元代表の戦略の破綻が鮮明に表れた。
「177票は立派な数字だが、負けは負けだ」
投票終了後、小沢グループの選対会合で元代表は「敗北」を認めた。
党員資格停止中の元代表にとって、今回の代表選は復権に向けた正念場でもあった。元代表が最初に代表選出馬を打診したのは藤井裕久元財務相。旧自由党時代の側近だった一方、首相補佐官を務めるなど主流派にも近く、主流派分断の狙いがあった。しかし、藤井氏は固辞。このため、元代表は主流派以外の複数の候補を支援し、決選投票で「2、3位連合」を成立させることを目指した。
しかし、前原誠司前外相の突然の出馬表明で代表選の構図は一変した。主流派の分裂が確定したことで、元代表は独自候補擁立に走り始めた。まず輿石東参院議員会長に打診したが、輿石氏は固辞。次は西岡武夫参院議長に依頼したが、連携する鳩山由紀夫前首相と輿石氏が「三権の長(議長)が別の長(首相)に行くのはいかがか」と反対したため断念し、結局海江田氏の支持に落ち着いた。
これが裏目に出る。海江田氏はそれまで20人の推薦人確保さえままならなかっただけに、「完全な『小沢印』がついた」(主流派若手)からだ。
さらに、海江田氏が民主党マニフェストの見直しに関する民主、自民、公明の3党合意の見直しに言及したことや、経産相として推進した環太平洋パートナーシップ協定(TPP)について「代表選出馬をきっかけに慎重に対応する」と消極姿勢に転じたことが決定打となった。
「3党合意を無視して果たして国会は進むでしょうか、政権は立ち往生しないでしょうか」。決選投票直前に野田氏はこう語りかけ、海江田氏の「ぶれ」を印象づけた。
キャスチングボートを握ったのが鹿野道彦農相の陣営だ。1回目の投票で52票を獲得した鹿野陣営は、決選投票で野田氏を支持。38票差での勝利に寄与した。背景には、海江田陣営による鹿野氏支持者の「引きはがし」に対し「反感がすごく広がった」(陣営中堅)ことがある。さらに鹿野氏が29日朝、「3党合意は守らなきゃいけない。野党との信義にかかわる」と陣営幹部に語ったことも野田氏への流れを強めた。
「1回目で過半数を目指す」と豪語していた海江田選対本部長の赤松広隆元農相は悔しさを隠せない。投開票後、記者団に「テレビでイエスかノーで答えろ、となり、イエスでなければ3党合意を破棄する、と取られてしまった。決選投票の構図が親小沢、反小沢に見られたのが残念だ」と語った。
一方、世論調査で高い支持を集め、当初は本命視された前原氏は支持が広がらず失速した。投開票後、記者団に敗因を問われた前原氏は「3月に外相を辞任して、そのおわび、説明から入らなければいけなかったこと。私の不徳のいたすところだ」と認めた。
馬淵澄夫前国土交通相の陣営幹部は「各グループからの締め付けが強かった」と振り返る。推薦人確保に最後まで苦しみ、小沢元代表の側近から推薦人確保で協力するとの打診も受けた。告示前日の夕方に馬淵氏が正式な出馬会見をした時も推薦人が確保できていなかったという。かつて野田グループに所属していた馬淵氏だが、決選投票では海江田氏に投票。記者団には「増税すべきでない、デフレ脱却と掲げてきたので、決選投票では私の政策に近い海江田さんに投票した」と説明した。鹿野氏支持の中堅は「1回目で馬淵氏が獲得した24票のうち17票は海江田票になったのではないか」と分析した。
毎日新聞 2011年8月29日 21時35分(最終更新 8月29日 21時53分)