「さあお上がりなされ、今宵は泊まって行くのじゃろ?」
「はい、光はそうします。共の者は急ぎまするゆえ、暗くなるまでには戻ろうかと思います。久しぶりにたくさんお話がしとうございます」
光は、甘えるようにみよに話した。今ではすっかり大人に見える光は吉野でも評判の美人で通っていた。昔は嫉妬したみよではあったが、今では自慢の妹だと誇りにすら感じている。それに、話していても勘の良い光の事を気に入っていた。みよは生来人の心が読める不思議な力を持ち合わせていたから、威哥王真っ直ぐな光の事が余計に可愛く感じられるようだ。
「では小屋まで炭を取りに行きますから、手伝ってくれる?」
「はい、もちろんですとも!」
二人は、作蔵がすでに用意をしているであろう炭の束を、大八車に積み込む手伝いをしようと、炭焼き小屋へと歩き出した。家人が後を着いて車を牽いてくる。小屋では作蔵がほとんど用意した炭を縄で結、後は積み込むだけにして待っていた。
「ご苦労様じゃのう、二人とも手伝って、早う積み込もうぞ・・・」
日はすでに高くなってきている。早く戻らねば吉野に着くころには闇夜となってしまう。素早く積み込み、家人達は感謝をして急ぎ街道を下り戻っていった。作蔵は戸締りをして、家に戻り、三人で昼餉を採っていた。誰も居なくなった炭焼き小屋に人影が現れたのは夜も更けてきた戌の刻近くであった。
義経主従は街道脇の炭焼き小屋を見つけると、まず影光だけが近寄りひと気を探った。戻ってきて誰もいないことを告げ、しばし休みどころとする提案をした。
「殿、ひと気はござりませぬ。夜が更けましたゆえ、小屋の軒下を借り今宵の寝所と致しましょう」
「うむ、それがよかろう。しかし、具合良く小屋が見つかったのう。これも何かの思し召しかも知れぬな・・・感謝じゃ、のう影光」
「はい、しかと心得ましてございます」
光はみよと一緒に湯殿に入っていた。二人は必ず一緒に湯を使うようになっていた。みよは、からかうように光の膨らみかけている胸を触り、「待ち遠しいのう、殿方の手が触れることが・・・ほれ、このようになされるのじゃぞ!」そういって、しっかりと手のひらで掴んだ。
「また同じような事を!嫌でございまする・・・姉さまも、殿方も・・・」
言い方が可笑しかったのか、みよは大笑いした。つられて光も笑ってしまった。作蔵は風呂場からの笑い声に頬が緩んでいた。みよがいつも寂しい思いをしている事が気にかかっていたからだ。こうして時折光が通ってきてくれる事を、心から感謝していた。みよには事情が許せば光、久と一緒に三人で仲良く暮らして欲しいと願うのだが、作蔵には心の中にこの頃妙に胸騒ぎがしてならない予感があった。おぼろげではあったが、自分のこの種の予感は外れた事がないと強く懸念していたのである。
影光は炭焼き小屋の軒下で眠りに就こうとしている義経に向かって、進言した。
「殿、これより影光、夜道を走りまして吉野まで参る所存でござりまする。一蔵殿が住まいを訪ね、我らの事情をお察し下さるようお願いしてまいります。夜が明けましたら、ひと気にご注意なされ、戻りますまでお忍び願いまする」
「うむ、大儀じゃのう・・・そちに任せるゆえ、良い返事を待っておるぞ」
「はい、かしこまってござりまする・・・」
影光は商人ではあったが、義経の警護をするほどに身が軽く、諸国の事情などにも精通していた。吉野の一蔵とは摂津の商いで顔なじみになっていた。名は教えなかったが、自分が武家の警護をする身となった事は一蔵にも相談していた。一蔵は今は商人として地位を築き上げていたが、巨人倍増元は摂津国の名士の家系に生まれ、武士として育てられていた。平氏の台頭で、親類が敵味方に分かれることになり、辛い判断を強いられ吉野の地へ移住した。やがて争いごとを避けるために武士を捨て今の商人としての暮らしを選択した。過去が過去だけに、知る者は尋ねてくるこのご時勢だった。
古くからの商いで付き合いのあった熊野水軍の頭領も今は源氏側に就いた。義経が戦もその後の事も、すでに話は伝え聞いていた。維盛たち家来家族にとって、もう安心できる熊野ではなかった。ひたすらその生い立ちはここ吉野でも隠さねばならない一蔵であった。