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なぜ日本人は自らの祖先が侍であるかのように語るのか

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日本人の祖先は農民



日本人が自らを出さないことには2重性がある。一つは自然主義的に環境に埋め込まれてきたこと。共同体で共有される慣習の流れに身を任せることになれている。もう一つは禅的に「我無し故に我有り」という形で自らを主張すること。これはいまでは一つの美学に近い。我が我がは美しくない。「侍」たるもの、黙ってやるべきことをやる。

しかしおもしろいのは、武士の時代、武士はほんの一握りで、ほとんどが農民だったわけで、いまの日本人の祖先はほとんどが農民だったはずである。なのに現代日本人がまるで祖先がみな侍だったように語ることだ。

確かに祖先を考えるときに、農民よりも支配者層の武士の方がかっこいい。それに支配者層といっても、日本人は運命共同体的なもので、精神性の祖先は侍といってもいいのかもしれない。しかしそうではなくて、ほんとにほとんどの日本人の祖先は侍なのだと思う。いつほとんどの日本人が侍になったのか。明治維新から戦後までの近代化においてである。

近代化という日本人総侍化



近代化には大きく二つの面がある。産業化と民主化である。明治維新は下級武士層によるプルジョア革命だったために、民主化よりも産業化が重視された。日本における民主化は西欧に侵略されないよう、国民を育てて、富国強兵のための手段であったといえる。

>このように国民を軍事、産業力として育てるために用いられたのが、武士の精神性である。天皇を君主とした忠誠心、そして個を殺しても組織を重視しする推進力など。このように国民総侍化が行われたのだから日本人が戦争へ邁進したのはある意味で当然だったともいえる。究極的にお国のためにと自らの死を捧げた。

西欧人「おまえは何者であるのか」



さらに西欧人は当然のように「おまえは何者であるのか」と問う。それに対して日本人が持ち得た方法が「我無し故に我有り」であった。
武士道とはなにかがもっとも語られたのは、多くの知識人が西洋で学びはじめた明治以降である。

そしていまも他国と対峙するときの日本人のあり方として「侍」が立ち上がる。いまも日本人は明治以降の侍化を継続している。現代の侍ジャパンや、侍ドラマなど、日本人の侍への郷愁は、正しくは、武士の時代へのものではなく明治以降のものだ。

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