気象・地震

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東日本大震災:大川小なお4人不明 消防団、最後の捜索

懸命に大川小学校付近を捜索する加納美雄さん(手前左)ら河北消防団員=宮城県石巻市で2011年8月28日、梅村直承撮影
懸命に大川小学校付近を捜索する加納美雄さん(手前左)ら河北消防団員=宮城県石巻市で2011年8月28日、梅村直承撮影

 東日本大震災の大津波で児童74人が死亡・行方不明になった宮城県石巻市立大川小学校周辺で28日、地元の河北消防団員約100人が行方不明者の捜索を行った。震災発生から半年となるのを機に団としては今回が最後の捜索となる。「自分たちの手で捜してあげたい」。子どもを亡くした悲しみを抱えながら参加した団員の姿もあった。

 同小は全校児童108人のうち69人が死亡し、1人がDNA鑑定中で、4人が行方不明。この日は、学校の南西にある富士川に数隻の船を出して川底を中心に捜索したが、新たな発見はなかった。

 同消防団は巨大地震発生翌日の3月12日から本格的な救出活動を開始。発生5日目に警察の大部隊が到着するまで、道路のがれき撤去、重症者の病院搬送、遺体収容などの初期対応で中心的な役割を果たした。6月中旬で活動を打ち切ったが、「このままでは終われない」と遠藤宏団長(52)が再び、全団員約400人に捜索を呼び掛けた。遠藤団長は「あらゆる場所を捜索し尽くし、一人でも見付けてあげたい」と厳しい表情で捜索を見守った。

 6年生の次女愛香さん(当時12歳)と、2年生の長男悠登君(同8歳)を亡くした加納美雄さん(36)も「時間が解決してくれるわけではない」という悲しみを胸にしまい団員として参加。「遺体が見付からない人は『なぜうちだけ』という思いが強いはず。自分も子どもを見付けてもらったし、同じ立場だったら今も捜していると思う」と捜索隊に加わったという。

 70世帯が暮らす福地地区では、児童8人のうち6人が犠牲となった。地域のつながりが強く、7月10日に6人の合同葬を実施。今月14日には恒例の盆踊りの代わりに約50発の花火を打ち上げて、児童たちを追悼した。団員の今野吉昭さん(50)は「地域の子どもたちはおいっ子、めいっ子みたいなもの。大川小の子どもは全員連れて帰りたかったのに……」と悔しがった。

 県警は同小周辺で捜索活動を続けている。【津久井達】

毎日新聞 2011年8月29日 2時31分(最終更新 8月29日 4時16分)

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