「小沢幹事長が前面に出ることによって、女性のアレルギーが起こる懸念がないかということについてのお考えを」(朝日新聞の記者)
貴重な時間を割くほどの質問とは思えないが、女性に嫌われている小沢氏が目立つのは選挙にマイナスなのでは、という意味のようだ。
小沢氏が憮然として「僕がオモテに出るとはどういうこと?」と聞き返すと、「政府に要望を出しましたね」。
これに対して小沢氏は「幹事長がみんなの要望を政府に伝えなきゃ職務怠慢でしょうが」。
女性のアレルギーについては「それはしょうがないね、不徳のいたすところだね」。
こういった不毛な言葉のやり取りでいたずらに時が過ぎてゆく。
不思議なのは、党から政府に要望した政策の中身についての質問がいっさい無いということだ。
「マニフェストの変更を盛り込んだ政府への要請について、幹事長が説明する機会を設けられなかった理由をお願いします」(TBSの記者)
政策変更の説明の場がないことを問題視するだけで、なぜか政策の中身には斬り込まない。
その場で聞けばいいではないか。短時間でも、ズバリと核心をつくのが記者の腕ではないか。
政策を官僚に丸投げし、党内の権力争いに明け暮れてきた長い自民党政権の間に、この国では「政局記者」はゴロゴロ育っても、「政策記者」がほとんど不在なのである。
敏腕といわれるベテラン記者や、マスコミ出身の評論家、学者のほとんどは、自民党の有力政治家に食い込んで、政局についての本音や、暗躍ぶりをさぐるのが巧みだったわけで、政策に詳しいわけではなかった。
マニフェスト選挙、政治主導で、政治家に政策立案能力が求められるようになったいま、記者の取材のありようも変わっていくのが自然である。
ただ「闇将軍に支配されるシロウト政権」とか「小沢独裁」とかいう、ワンパターンの報道では、いずれ読者、視聴者に飽きられるだろう。
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以上、若い記者を念頭においた記事だったが、模範となるべき大先輩記者の思考停止のほうが深刻かもしれない。
日本記者クラブの共同会見は、若い記者が育たない原因をベテラン記者がきっちり示してくれたという点で、意義深いものであった。一方、そのお粗末な質問内容は、誰が総理にふさわしいかを見極めたい国民にとって無意味なものでもあった。
活発な政策論議が行われていないことを嘆く前に、マスコミ自体が政策を重視する報道姿勢に転換し、まともな質問ができるよう記者を鍛え上げてゆくことが肝心なのではないか。