青少年SFファン活動小史(5)
宇宙塵 No.173
1973/II 昭和48年12月30日発行
第四章 「青少年」ファンダムの発展的解消
若手ファンの造反――今回は特にこれを中心に筆を進めてゆきたい。この問題を「造反運動の流行」で素通りしてしまう事は楽だが、それはこの小史の使命を忘れて逃げてしまう事に他ならないと思う。この運動によってファン活動の持つ様々な問題が初めて多くの人に認識されるようになり、そして一年後にはファンダムの主導権は青少年が握っていたのである。(同時に大人ファン、青少年ファンという概念が無意味となった。)ところが、それまでのSFファン的日常は何らの疑念もはさまれぬまま、今日の若手ファンの手にそのまま移ってしまい、確かにあったはずの数々の問題は忘れ去られたままなのである。ファンダムの日常的活動は、殆んど何の問題提起もされぬまま、平然と続いている。日本のファンダムがアメリカのそれのように社交に近い意味を持つでもなく、SF追及の場としてあるわけでもなく、単に馬鹿話仲間のようになっているのも、そして毎年のようにSF大会に白けたり絶望したりする人が多く出るのも、結局は日本のファンダムが持つ伝統がそのまま(良くも悪くも)若手によって続いてしまっているからだと思う。
ここで本論に入る前に、一通の興味深い書簡を紹介しておこう。“空間クラブ”と並ぶ青少年ファンジンの先駆“SFコンパニイ”の重鎮の一人であった中川格氏から筆者に直接送られてきたものである。
『(前略)第一世代青少年ファンにとって「SFの理解」と「SFからの離反」は同時に起こったのではないでしょうか。私自身は第一世代の尻にぶら下がった、いわば一・五世代見当の位置にいたわけですが、当時のSFの先輩は、私の目から見た限りではそのように変化していったように思えてなりません。公式の集まりに私が最初に出た時、あるファンクラブの人(確か石川律夫氏でした)が、「SFから離れるのに一年半もかかった」云々と発言したのを聞いてびっくり仰天した訳ですが、当時のSFファングループの主宰者は殆んど「SF卒業」のためにファンジンを作り会合に出席していたのではないでしょうか? この見方が、正否は別としても、私自身のファンダムへの姿勢を、努めてこしかけ的な中途半端なものにしてしまい“SFコンパニイ”解散の原因を作ってしまった事は確かです。今振り返っても「SFCY解散宣言」を、まるで普通のファンジンのように印刷し、出したものでした。それにしても、解散宣言と共に載せられた「青少年SFファン論」(矢野純)の状況は、現在も何一つ解決されていないのに、“SFコンパニイ”的解散の話をいっこうに聞かないのは何故でしょうか。池袋春次のエッセイとも足し合わせれば、SFファン一人一人にかかってくる重みであるはずなのに。タイプ化という札びらと、受験突破という幻想の平和によって解決したとでも思っているのでしょうかね? (「科学魔界」は正常に活動がにぶってきているようですが……)最後に「原点」五号の矢野純の詩を紹介しておきます。
僕たちの原点
鉄腕アトムみたいに強くて
正義感があっていばらなくて
鉄人28号みたいなのを操縦したくって
月光仮面みたいにかっこよくて謎の人で
スーパーマンみたいにほんとは超人なのに
いつもはポケッと平凡人のふりをしてて
そんなことがしたいな
と強烈に思っていた子供が
きずだらけの夢をかかえながら
大人になりかかったら
それが 僕たち。』
まことに初期の青少年ファンの複雑多感な心境を表現した書簡と詩で、中川氏には厚く御礼申し上げる。
どうやら青少年ファンのSFからの離反や、回帰を書くことが今回のテーマになりそうである。
一九六九(昭和四十四)年九月。ファン出版初のアジビラが出された。佐藤昇氏の「Be(ビ)ビラ」二号と平井康介氏の「革バグ」一号である。
「Beビラ」の一号は、この年の三月、「バグ」の「挑戦状」に対する反論として出されているが、もう“SFコンパニイ”とも“プラネッツ”とも関係のない佐藤氏の個人的立場からのファンダムへの発言の場と称していた。二号の内容は、「〈TOKON5〉の犯罪性についての原稿募集についてのメモ&よびかけ」と題された一文。『〈TOKON5〉が七〇年安保・万博を背景にそれらを全く容認した形でひらかれる。特に運営委員はSF大会準備という労働で日和見を強制され、その労力・時間の全てが現状を容認する形で費やされてしまう。さらに「EXPO見物がてらの外人ファン大勢の出席も予想され、国際的なファン交流の成果が期待されます。(「準備会報」〇号)となるとまるで万博追従機関である。』という主旨。そして、SF大会を反体制的なものに変革するか、あるいは粉砕するしかないと結んで、意見を募っている。
「革バグ」の方は〈SFフェスティバル〉の実行委員長であった平井康介氏の筆によるファンダム批判。『成功したと言われる〈SFフェス〉は、「挑戦状」の青少年ファンダム批判を実践するために反体制的なものにするつもりであったが、“バグ”が崩壊し、“超人類”との共同事業に移行したため、その性質も大巾にうすれた。というのはあまりにも僕一人で反体制的にしようとすると誰もついて来ず、開催不可能になる事も考えられたからである。そして僕も反体制的大会を開くよりも、体制的な大会を開き、あとで自らそれを批判する事によってファンダムを弾劾した方が効果的であると考えた。功利的ととられるかもしれないが、したがって真の自己批判ができない異常な立場にあり、これをきっかけにファンダム批判の声が高まれば僕など捨て石になってもかまわない。』といった調子で、今度の大会のプログラムが相も変わらずプロ作家やBNFをあてにしたものであり、『自分たち青少年だけでやろうとしていたのに某BNFの鶴の一声で一般大会になってしまったし、また〈九コン〉の〈ファングループ連合会議〉でも、某BNFが“バグ”を不当評価し、“バグ”と合併する予定だった“超人類”の連合会議への加盟を「反体制的になる恐れがある」といって反対した』ことなどを取り上げて非難している。はじめのほうの某BNFと書かれているのは他ならぬ柴野氏のことらしいが、柴野氏は『どうせなら大人も参加できるように間口をひろげて下さい』と要望したにすぎないとこれを否定しているし、また、加盟問題については、発言者ははっきりしないが、『合併発足後に加盟したらどうか』という意見が出ただけのことらしく、また実際にはそれが否決され加盟が認められている。いずれにせよ、平井氏のこの一文に現れた青少年意識は、初期の青少年ファンのそれとは異質のものだ。最初はSFファンの中に青少年が少なく孤立していた事からくる仲間意識であったものが、ここでは明らかに大人(のつくりあげたもの)に対する不信感・反撥の表明に変化している。意外に形式好きのSFファンが現実の社会組織とは言えないファンダムの中に連合会議などというものものしい(ある意味ではきわめてユーモラスで小児的――ということは多分に趣味的(マニア)な)ものを作ったため、新左翼理論の洗礼を受けた若者たち、SFにすべてを求めてしまう若者たちが、それを現実の政治的組織と錯覚してそこに反体制理論を持ち込んできたという事は、よく考えればむしろ当然の成り行きであった。
筆者も、デモなどに良く参加していた頃、SFファン活動や学生生活などとの多面生活をどうとらえたらよいのかわからずに随分悩んだものだが、ある時、ある大人のSFファンの方から「若い人が反抗をするのはむしろ若い人の義務だ。若者の反抗のない社会などまったく刺激のない停滞した社会だ。そんな社会は面白くないし、魅力もない。」とひどくSF的な見解をつきつけられ、そのあまりにすっきりと巨視的な立場から見事に反体制運動を肯定されていささか唖然とした覚えがある。同時にすべてをこうした立場と感覚で処理してしまう(あるいは処理できる)SFファンの思考方法に大きな問題を感じ、この先自分がSFというものの考え方についてゆけるかどうか、一時は本気で不安になった。今でもこの疑問を、しばしば自分に向けてみる。以前から、SFファンだけはどこか他の人と違う考え方をするという観念をはっきり持っていたため、教師や親や先輩にはかなり議論をふっかけ、喧嘩もしたのに、SFファンの――それも確固たる自分のSF観を持った人の前に出ると、妙にちぢこまってしまい、今の自分にとって何か新しい視野が開けるのではないかという漠然とした期待をもって対してしまうのであった。今でも、筆者が会合などで、『すぐれたSFは不愉快なものであり、中途半端に不愉快なのは何か物足りない』とか『文学者が卒倒するような話だ』などと発言するのは、あながち冗談ではなく、自分の中にまだどうしても、常識的なヒューマニズムをのりこえなければ到底現れてこないような事柄を、あたかもひどく一般的な前提のような顔をして平然と話しているSFやSFファンが、本当はまだ多少こわいというのが本音なのである。閑話休題。
ともあれ、ここで筆者が問題にしたいのは、七〇年前後の純粋な反体制青年の感覚(あえてこう言おう)と、SFファンの感覚とは、ずれるものが多かったということである。特にSFファンの二重人格性は前々から問題になっている。シリアスなSFを読み、思索にふけるその同じ人が、会合やSF大会ではとたんに人間の持っている楽天性をすべて出しきってしまい、大いにはめをはずして騒ぐ。山野浩一氏はこの感覚を「暇な人が世の中にはいるんだねえ」で片付け、柴野拓美氏は「SFファンの持つこの奇妙な幅こそがSFの持つ幅につながる」とみる。筆者は自他共に認める典型的SFファンタイプの人間と考えているが、SFファンという人種は、酒がなくともSFで酔うことができ、飲み屋に行かなくても会合で騒いでそれですむようなところがある。SFファンの中にこのタイプの人間がなぜ多いのかの分析は専門の学者に任せるとして、これがどうもSFから離れて反体制運動のシリアスさにむかおうとしていたいわゆる造反派が、今までの自分たちの醜さをそこに見出だして、嫌悪を感じた点だろう。彼らに言わしむれば「今はSFなど読んでいる時ではない」「まだSFなんか読んでいるのか」なのであり、筆者も板ばさみにあってかなり消耗した時期があった。
SFと政治・思想云々の問題は、わりあいによく議論され、とくにハインラインの「宇宙の戦士」以後盛んになったが、どこか論争のピントがずれていた。まず思想のない小説などあり得ないというきわめて初歩的なことがわからず、「SFと政治とは関係があるのか」とか、「SFの中に思想を持ちこむことは良いことなのか悪いことなのか」の類の白痴的な問答がなされていたことを思い出す。これはいわゆるこのファンダム内の造反運動の時もくり返された水かけ論だ。その水かけ論を克服していった一つの運動としてニューウェーブがあったが、これについては後で触れたい。話を戻そう。
“革バグ”の出現にあわてたのが“バグ”と合併するつもりだった“超人類”である。『九月一日付で成立する予定であった両会の平等合併は、“バグ”側幹部からの突然の吸収合併への変更要望があり、これが“バグ”側のやむを得ぬ理由からであるため当会はこれに応じた』(「超人類新組織報告」より)。結局“超人類”は多少会員が増えただけで、それまでの形態と大して変わらないまま続いてゆくことになった。
九月二十八日。「Beビラ」三号発行。飯島和男・佐藤昇氏の評論。反体制の立場でSF大会やファンダムの持つ諸問題をシリアスに論じたもの。
十月五日。「革バグ」二号発行。志賀時夫氏の評論。『すぐれたSF作品は常に高い思想性を持っている。反面それらを読んで感銘している筈のSFファンには無思想者が多く、SFの発展とは何の関係もない所にファンダムが惰性的に存在している』という指摘は正しい。ところが後半にいくと、“バグ”側から平等合併を放棄したはずなのに、『“超人類”は“バグ”を吸収し』と論理が怪しくなり、ここいらあたりは前号の平井氏の文とも抵触する。つまり“バグ”と平等合併をする筈だった八月における“超人類”は評価しており、連合会議への“超人類”加盟に難色を示したBNFがいると非難までしているにもかかわらず、九月に“バグ”色の抜けた“超人類”が連合会議に加入すると、こんどは『体制への身売り』とその鉾先が今までの仲間にも向き、『青少年ファンダムに対する裏切り行為』とまで決めつけている。こうした表現に「青少年ファンダム」という概念が利用された事は意外であった。先号と同じく、BNFを中心とする大人への不信表明、それに『BNFにシッポを振る』同年代ファンへの非難である。三号は十月十日に出ており、完全なアジビラ。
ところが十月九日に出た四号の「圧殺の時代」という小説(?)になると、まじめな皮肉のつもりでやっているのか、ファンの冗談の延長としての遊びのつもりなのか、大方を当惑させた。とくに“バグ”が以前からかなり新しい企画やセンスを売り物にしていただけに、しばらくしてから「どうもお騒がせしてすいませんでした。今までのは全部演技(おしばい)でした」とうっちゃりを喰わされるのではないかという妙な予感もあった。この小説は深沢七郎の「風流夢譚」の手法を意識したらしく、“革バグ”など中大系のSFファンが帝国主義的SFファンで悪の権化である柴野拓美宅を遅い、奥さんと二人の娘さんを人質にし……というおふざけにしても悪趣味(キッチュ)でスマートさを欠く後味の悪いもの。BNFの首が切れてコロコロ転がるなど、パロディとしてもいただけなかった。
十一月一日。五号はおたより特集。柴野拓美、“超人類”代表の高橋正則両氏のおたよりは批判し、“パンパカ集団”幹部の小田根章氏の“革バグ”礼賛は評価している。
この二つのほか、北海道の“日本SF研究会”(代表・波津博明氏)もこの頃アジビラを出し、連合会議の解体と、一部エリートファンだけでなく全SFファンの加盟できる新連合組織設立をよびかけた。
十一月五日。佐藤昇氏の「Beビラ」四号発行。内容的には「革バグ」と対照的に破綻はなく充実してきている。この号では「革バグ」に対する疑問が提起されており、『彼らは単なるヘゲモニー争いの方向へ行きかねない』という懸念が、ついに現ファンダム否定という共通項を持っていた「Beビラ」からも表明されてしまった。(確かに「バグ」から「革バグ」へと続く一連の活動の中には、自分達のクラブに対する自意識過剰と、それに伴わない評価とのギャップから来るコンプレックスに振り回されているのではないか、と思われるフシが多くあった事は、彼らも否めまい。)この他にもおたより、評論が載っているが、この思想を持つ人がファンダム論を書けば当然かくのごとく帰結するであろうと思われるものが多い。その中で、先に触れた新たな方向性を若い人たちに示したのが山野浩一氏のおたよりであった。
『ファン活動、及びSF大会への疑問については同感です。現実主義的に「SFが存在するからSF大会が開かれる」であってはならず、SFの意味をつきつめながらSF大会の志向性も求めていかねばならないと考えます。SFは高々小説でしかなく、同時にまた人間文明と多様に対応できる小説であります。SFを考える上で文明を考えないことは不可能であり、人間文明の最も重要な転期にあってSFを考えるものが日和見主義的な毎日を送ることがまちがいであります。ただ問題はこうした考え方が造反しなければならないほどSF界が権力的かどうかです。むしろ、小生が考えるには、理論闘争によりSFそのものを理想主義の砦として文化的前衛たりえるのではないかと考えるのです。小生の創作及び評論はそうした意図で展開しているもので、今後もそうするつもりです。SFは論理的なものであり、理想主義的なものであるはずだと思うからです。』(文脈のおかしい所があるがすべて原文のまま)
ここには山野氏の現在の活動の原点が示されており、たとえば小松左京氏の「拝啓イワン・エフレーモフ様」などと比べてその違いも明白であり、興味ふかい。とくに柴野氏との違いも、ここからうかがえよう。柴野氏はSFファンはまず日常の生活がきちんとできる常識人でなければならぬと考え、SFと日常生活をきり離して見ているし、SFファンにとって活動はあり得るが運動はあり得ないとしている。また今までのSF作品にかなりの評価を与え、今までのSFの行き方自体に独自の存在価値があり、それが仮に例えばニューウェーブなどによって別の行き方になれば断固としてこれまでのSFの在り方を守ると宣言している。一方、山野氏は自らの理念によって生活まで変え、今までのSFを様々な点で評価しつつもこれからのSFを求めて新しい旅へと、「NW・SF」の運動へと進んで行ったのである。SF自体が文化的前衛運動たりえるという考えは、まったくそれまでのSF界内部にはなかったもので、ファンも造反派も気がつかなかった事であった。再び閑話休題。
この頃、柴野氏の呼びかけで、〈TOKON5〉や連合会議のめんめんと、「Beビラ」側との話し合いが、横浜の佐藤氏宅で開かれたが、この時、「革バグ」は出席をボイコットし、また討議の結果も平行線を確認しあったのみに終わった。この席で柴野氏は、「みんなが喜んでくれるわけでないことがわかったので」という趣旨で〈TOKON5〉運営放棄を表明し、その結果、新たな在京若手ファンの進出をうながすことになった。
翌七〇年早々にも、“MAC”(宮川洋二氏代表)の仲介で、柴野氏個人と「革バグ」との話し合いが持たれた(柴野氏は前回の呼びかけが無視されたことで話のケリはついたという考えだったが、あくまで交渉は拒否しない態度からこれに応じたのだという。)渋谷の某喫茶店で、加藤義行氏が司会役となって話を進めようとしたが、結局はお互いに非難をぶつけあったのみで、ものわかれに終った。SFやファンダムやファンと政治とのかかわり方、ファンとしての遊び方、ふざけ方などに対する考えが、すべて前から述べてきたような感覚のちがいによってかみあわず、違う土俵の上で相撲を取ってしまったともいえる。
この混乱期にあっても青少年ファンの出版活動がとどこおった訳ではなく、以下にそれらをまとめておこう。
“クラブ超人類”が活発な活動を続けているほか、“パンパカ集団”、“ブルードリーム”、“STYX”(十三号では佐藤昇氏が「みくだりはん」を書き、文字通りファン活動との縁切りを宣言している)、“SFあじていたあ同盟”(現在「黎明」を出している“ADO”の母胎、柏谷雅一氏代表)、“新宿高校文芸部SF研究班”(代表石束嘉和氏、会誌名「刻駕」)などがあり、そこへ新たに翌七〇年一月、筆者らが作った学習院中・高の“太陽の神(ジ・アマテラス)”を母胎として学外グループに発展した“ヒューマノイズ”(会誌名「科学魔界」)が戦列に加わるなど、決して衰えはみせていない。特に「科学魔界」は中三であった巽孝之君が高校進学を前に孔版の月刊で発刊し、巽君の、ファン創作では珍らしいロマンティシズムが呼び物だった。筆者も色々と相談役のようなことをしていたが、その七号に、革バグ・シンク・タンク署名の「ファンダムの義務意識からのファンダム批判」が載った。これは巽君が論争の方でも活気をいれようとばかりにタイミングよく載せたものだったが、そのあとで柴野氏に反論を依頼し、それをあたかも柴野氏からの積極的投稿のように一部削除して八号に掲載してしまった。これに対し次号には「革バグ」からまってましたとばかり「まあまあ柴野さんそう興奮しないで」が寄せられ、これが原文のまま掲載されたため、まずい事になってしまった。結局編集者の巽君が不手際を謝罪して納まったが、こうしたことが良い教訓となって、その後三年間も巽君は月刊を守り通し、昨年からはタイプの季刊となった。また、十号の「革バグの諸君に問う」の投稿から、以後ずっとこのクラブをひいきにしてこまめに指導したのが荒巻義雄氏である。
大学系出版もにぎやかで、明大の「ファウンデーション」、早稲田ミステリ・クラブの「ディオレッツァ」、九州大学の「パラレル・ワールド」「ネオ・ルナティック」、熊本大学の「時の影」などなど――。
一連の造反運動は、現象としては前に述べたとおり、〈TOKON5〉委員長の柴野氏をはじめ役員中枢の退陣(柴野氏は連合会議議長も辞任)をもたらし、それに代る若手ファンの進出がはじまった。
一方、造反派も、あるものはファンダムから去り、あるものは何となくそのままファンダムに居すわり、あるものは新しい可能性――「NW・SF」へと散っていった。六九―七〇年にかけてのこの事件によって告発されたSF大会シリーズは相も変わらぬ楽屋オチの企画やマンネリズムでなれあい的惰性的に続いているようで、世代交代ののちも視覚化という新趣向が現われた程度でさしたる進歩がみうけられない。特に筆者にとって驚きだったのはSF映画史上指折りの名作「メトロポリス」「巨人ゴーレム」などをやっていてもロビーでうろちょろしている若手ファンが多かったことである。これは昨年の大会のことだが、何かを象徴していると思う。かといって、欧米のようにファンダム=社交界という図式が成立するには日本の風土が不向きである。この中途半端は会合にも如実に現われ、今のところ真剣に議論できる場が〈宇宙塵月例会〉〈NWSFワークショップ〉ぐらいしか見当たらないのも、若い世代の主体性・実行力のなさを物語っている。
* *
こうして青少年ファンダムは崩壊した。大人のファンダムと並行して、ずっと先輩→後輩へとバトンタッチが続いてゆくと考えていたかもしれない第一世代の理想は誤信であった事が明らかになってしまった。学校のクラブ活動のようには新陳代謝は起こらなかった。同時に、大人ファンの活動も、一部の創作評論活動をする人を除いては次第に下火になり、ファンダムは今や青少年によって席捲されたかの観を呈している。現在では小学生のSFファンまでいる。中学二年で最年少などと言われ、いきがっていた頃を思い出さずにはいられない。同時にファン活動の形態も変わってきた。一方ではSFのクラブというより、むしろSFファンが集まって別な事をやって楽しむという、アメリカ型に近いファンニッシュなクラブも現われた(“ブルードリーム”“ショッカー”など)。フォーク大会、ハイキング、クラブのバッジやバッグの製作、テープの製作、SFファンだけの電子音楽バンド、SFをテーマとしたオーディオの研究会、特定の作家の会、etc、etc。趣味化と同時に、SF大会や会合にアベックで現れる若者が増えたのも、ここ一、二年の出来事だろう。もう、彼らにとってSFやSFファン活動は、日常生活の一部になってしまっているのだ。昨今、低年層を中心に第三世代とも言うべきSFファンが激増して、平井和正氏の「ウルフ・ガイ・シリーズ」などのヒーローに新たなロマンを求めるきざしもみうけられる。何でも「面白ければいいじゃん」というこの世代の出現を、バラードからハミルトンまで単に感覚的なかっこよさだけで無批判に受け入れてしまえる彼らの出現を、各個人が自己とSFとのかかわりにおいてどうとらえてゆくか、今後の課題となろう。
あとがき
ようやく終わった。僕として書けることはすべて書き尽したつもりである。今後これが色々な立場の方の色々な視点から補足されれば幸いに思う。ご協力頂いた方々に厚くお礼申し上げたい。
このように今から三年前のところで切ってしまったため、その後はという疑問を持たれる方も多いと思うが、一応「青少年」という概念がファンダムの中で崩れた時点をもって終わらないときりがなくなってしまうので、割愛(というと少し意味が違うが)させて頂いた。ここ二、三年のファンダムの動きはむしろ個々のクラブにあたられた方がよくわかるし、また「ブルードリーム」で連載がはじまった加藤義行氏の「日本SFファンダム史の試み」もあるので参照されたい。
何故たかが趣味(ホビイ)である筈のファン活動の「歴史」などという大袈裟なものを書く気になったかと言えば、それは即ち、単にファンジンの歴史を調べるだけではなく、僕自身を振り返ることでもあったからである。この機会に関係のある資料やSF作品を読み返すことができた。それは同時に、青春という敏感な時代を、七〇年前後の日本の社会を、少くともSFという共通項を共にわかちあった友や先・後輩の思想や行動を、学生運動挫折派とはまた違った人生観を、(確かに学生運動家のようにドロ臭く、かっこ良くはないが)僕自身の中に拾い集めてゆく作業でもあった。従って外面的には資料として読まれたとしても、僕にとってはそれ以上の意味があったのである。ある人には造反の一言で片付けられる事柄でも、僕にとってはそうではない。多くの思想書や当時の情況を歩き直し、非常に考えさせられた面が多い。
長い間のんびりとSFファン的日常のぬるま湯の中につかっていた僕に、今ようやく遅すぎた目覚めがやってきた。この連載は僕の原点を煮つめる上で一つの契機となった。僕はここで自己を確認し、SFや、ファン活動をやっと論じ始めようとしている。僕自身の本当の意味のSF活動は、今始まったばかりだ。
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